伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

続・芯の強い子、元気な子

2008年05月26日 | エッセー
 毎度のことだが、女子バレーが始まると落ち着かなくなる。とくに今回はそうだ。『北京』がかかっている。ブログも書けない。北京五輪世界最終予選兼アジア予選。17日以来、心臓によくない日々が続いたが、23日にやっと落ち着いた。韓国戦を3-1で制し、切符を手にした。先ずはめでたしである。
 
 今回、スピードアップには目を見張った。特にバックアタックでの1秒の壁への挑戦はみごとであった。第一試合のポーランド戦ではおもしろいぐらい決まった。さらに、櫻井、多治見の復活、狩野の参加と、顔ぶれに変化もあった。ただ惜しむらくは未だ腰痛の癒えない大山加奈のメンバー落ちだ。『控えのカナ』が遠望できない。柳本ジャパンの重要な付加価値のひとつを逸失したことは辛い誤算であった。
 わたしはかつて本ブログで彼女たちを「排球の佳人たち」と呼んだ。「佳人」については何度か述べた。本稿では「排球」について考えてみたい。
 
 バレーボールは19世紀末葉に米国で生まれた。格闘技や祭事に由来するスポーツではなく、新種のそれとして新大陸で発祥した。野球もバスケットボールも同様である。その辺りの事情については06年11月16日付本ブログ「捕手は投手に従え??」に記した。
 英語で表記すると「volley」である。『ボレー』、サッカーの「ボレーシュート」の「ボレー」だ。テニスにもある。いずれもボールが地に着く前にシュートすることをいう。一説によれば、テニスのラケットを素手に替えたのがバレーボールだともいう。『ボレー』が『バレー』にどう変訛したのか、あるいは変訛ではないのか、浅学にして知らない。
 さて「排球」である。「野球」は判りやすい。「籠球」はカゴからの連想。コートは中庭の意だから「庭球」も明確。「卓球」も然り。「蹴球」はそのものズバリだ。そこにいくと、排球は判りずらい。魚目燕石の解釈をすると、件の「ボレー」が字源ではないか。ボールを自陣内に着地させてはいけない。自陣の地面より排する。そこからきたのではないだろうか。逆にいえば、敵陣に着地させれば得点となる。とするとほかの日本語名と比べ、見た目ではなくルール、内容に来由する命名といえよう。
 さらに山雀利根を重ねる。按排、排列という言葉がある。按配、配列と同じ意味だ。となると、「排」には「配」の字義があるといえる。3回を限度として自陣の中でボールを配り、順序立てることが許される。つまりは按排し、排列できるのだ。どこかの洒落者が「配球」を「排球」としたのかもしれない。いずれにせよ、外形的名称ではない。

 『北京』を決めた第5戦。なんといっても痛快だったのはSHINだ。プレーはもちろんだが、試合後のインタビューである。
 背番号順に一列に並んでインタビューを受ける。最初は番外のキャプテン、3番・竹下。「やっとスタートラインに立っただけ」さすがにリーダーの発言である。次は1番・栗原。にこりともせずに同趣旨のコメント。4年前の大はしゃぎとはまるっきり違う。エースの風格が漂う。2番・ベテラン多治見。そつのない受け答え。さらに4番・大村。笑顔で大阪弁。明るい。
 
 そして、5番・高橋である。
 感想を求められ、(それまでの笑顔が消えて)「本当にうれしいです。チーム一丸となった結果です」
 北京への抱負は、(少し間を置いて)「とにかくあしたもあるので、気持ちを切り替えていきたい」
 木で鼻を括った返事。鰾(ニベ)もない。明らかに強く抑制を利かせた言葉遣いだ。壮語どころか、いかなる言質も与えまいとする応対だ。中半(ナカバ)嗤いながら、軽く去(イ)なしている。取り付く島もない。
 となりは6番・佐野。アテネの時は直前でレギュラーを降ろされ、フランスへ武者修行。捲土重来の北京だ。案の定、インタビュアーがそれに触れる。と、画面の外からSHINの声が。
 「まーた、泣かそうとしてる」
 佐野は堪(コラ)えきれずに落涙。SHINが小柄な佐野をしっかとわが胸に掻き抱く。あたかもいじめられっ子を護るように。
 
 この5番、6番の遣り取りが痛快だったのである。その後の7番・杉山、12番・木村でも家族の支え、同僚の死をお涙頂戴調で取り上げる。ショウアップされたオープニングセレモニーといい、プレー途中の浪花節擬(モド)きのアナウンスといい、タイムアウト明けのドラマ仕立ての選手紹介など、とかくに民放は演出過剰なのだ。そんなことをしなくても充分視聴率は稼げるし、盛り上がってもいる。小さな親切、大きなお世話というものだ。
 牽強附会、郢書燕説を重ねる。
  ―― SHINにはそのような報道のあり方が「心外」だったのではないか。アスリートにとってはコートだけが戦場であり舞台だ。殊更にプライバシーを肴にされることに辟易していたのではないか。または、大会直前までレギュラーから外されていたことに話柄が転ずるのを回避したか。満身創痍が強調され、その中での奮戦を称賛されては敵わないと予防線を張ったのか。いずれにせよSHINの沽券が関わっていたのは想像に難くない。
 かつて、感涙して「仕事」にならないアナウンサーの代役を機敏に果たした彼女である。並の選手ではない。SHINの「心情」を忖度するに、いま自身がバレー人生の奈辺にあるのかも聡明に見据えているにちがいない。
 天稟に恵まれているとはいえ、「心身」にわたる言語に絶する鍛練と試練を経て戦場に立つアスリートたち。そこいらのバラタレと同列にされてはたまったものではない。
 SHINはテレビメディアの状況に「排」を突き付けたのではないか。やはり、「排球の佳人」は健在だった。 □


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「へーん、しん!」

2008年05月16日 | エッセー
 変身ものとくれば「ウルトラマン」が最右翼だが、残念なことに団塊の世代には縁が浅い。テレビ初演が昭和41年、すでに高校生であった。いかに純情可憐であったとはいえ、ハヤタの「へーん、しん!」にときめくレベルは超えていた。

 変身ものといえば「スーパーマン」があった。もちろんテレビ版だ。小学校、中高学年のころ。これには釘付けになった。クラーク・ケントがネクタイを外し部屋に駆け込む。窓からスーパーマンが翔び出していく。気弱でひ弱なケントが怪力無双の正義の味方に変身する。身じろぎもせず、あのシーンを食い入るように観たものだ。「ウルトラマン」に続いた「仮面ライダー」も一世を風靡した。「人造人間キカイダー」、「秘密戦隊ゴレンジャー」、「快傑ライオン丸」など、変身ブームが起こった。しかしこれらも長じた後ゆえ、いずれも馴染みが薄い。

 変身ものは洋の東西を問わず、古今を通じて物語の重要な語り口となってきた。グリム童話然り。神話も民話も昔話も寓話も、みな変身譚で満ち溢れている。
 
 変身ものとはすなわち変身願望の表出だ。人間にとってプリミティヴな欲求であり、属性ともいえる。だが、禍福は糾える縄の如し。変身も時として禍となる場合もある。

 変身もののなかでも凄みのあるのはカフカの「変身」であろう。
 「グレゴール・ザムザがある朝、なにか不安な夢から目を覚ますと、自分がベッドで巨大な虫に変わっていることに気づいた。」奇妙な書き出しである。突如どでかい甲虫に変身した男の物語が綴られる。実存主義文学の代表的作品だ。
 「実存は本質に先立つ」 変身は予想だにできないまったくの偶然であった。かつ虫とは個別化の極みである。しかし虫のザムザは現に存在する。普遍もロゴスもこの不条理な現実の前には無力である。 …… と、こちらの変身は深刻だ。

 変身とは独語で「メタモルフォーゼ」という。日本人は約(ツヅ)めるのが得意で、「メタモル」ともいう。「平家物語」で鳴り響いた「祇園精舎の鐘の声」である。諸行は無常なのだ。ひとつとして常なるものはない。万象は変化の連続である。シャレていえば、無限のメタモルである。
 
 変身にはトワイライトが似合う。曙光の眩しさや、中天にかかる灼熱の陽光ともちがう。まして漆黒の闇は悍(オゾマ)しい。トワイライトには、あの詩(ウタ)が甦る。

    甘い情熱、溶かしたコーヒー
    冷めないうちに飲もうじゃないか
    触れることない、あなたの唇
    話すことばは途切れてしまう
     …… …… ……
    少し黄昏、でも会えてよかった
    今は黄昏、また、会えてよかった
     …… …… ……
    懐かしさは青春の影か
    愚かだった、あの頃はまだ

    少し黄昏、でも会えてよかった
    今は黄昏、また、会えてよかった
     …… …… ……

    (「黄昏に乾杯」 作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎)

 この稿は07年12月13日付の拙稿をイントロダクションとして綴ってきた。つまりは、マドンナのことだ。
   
    「むかしマドンナ。いマ、ドンナ?」

 と、親父ギャグをカマしたところで本質に先立つ実存には抗いようがない。臥薪嘗胆、『屈折』40年、ついに遭逢が叶った。 …… 『見事な』メタモルであった。

 変身を追って筆路ここに至るも、この先へは進めない。そのような鼎を扛(ア)ぐ筆力も、世の難渋に猪突する勇猛心も持ち合わせない。とてもハヤタの分限ではない。だからウルトラマンは見果てぬ夢。ああ、ザムザのように虫になりたい。 □



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光は射したか

2008年05月11日 | エッセー
 もっとほかの呼び名はないものか。成人した男性はすべて「元少年」である。だが、「少年A」でもおかしい。マスコミもおそらく悩んだのだろう。「三浦元社長」も変だ。「三浦和義氏」ではなぜいけないのだろう。少なくとも、いま日本国内では容疑者でも被告人でもない。「被告の元少年」では長すぎるか。ともあれ、その元少年に判決が出た。4月23日、山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で、広島高裁が「反省とはほど遠い」として元少年の新供述を退け、元少年に死刑判決を言い渡した。
 二つの点について語りたい。
 まず一点目は、厳罰化の流れである。
 かつそれが少年犯罪にまで及んできていることだ。たしかに犯行時、被告は少しではあっても18歳を超えていた。死刑の適用は違法ではない。しかし、これには二つの問題点がある。ひとつには、「永山基準」を逸脱していることである。
 「永山基準」とは、83年に永山則夫連続射殺事件の審議に際し最高裁が明示した死刑適用の指標である。①犯行の性質 ②犯行の態様(残虐性など) ③結果の重大性、特に被害者の数 ④遺族の被害感情 ⑤犯行時の年齢、など9項目を総合的に勘案して決める。有り体にいえば、2回以上で計4人以上を殺した場合に死刑となるということだ。この基準が出て以来、確定した少年の死刑判決は19歳のみであり被害者は4人であった。
 したがって、この判決は明らかに異様である。順当に考えれば、量刑は無期懲役だ。永山基準は拡大どころか、ネグられたというべきだろう。先例をつくったり、先例を破ると、際限がなくなる。死刑の量産などまっぴらだ。死刑に抑止効果などありはしない。世界の大勢も死刑は廃止だ。日本の流れは逆行している。
 問題点のもうひとつは、少年法の精神に悖ることだ。少年法は冒頭で次のように謳う。

(この法律の目的)第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。

 つまりは処罰のためではなく更生のために、この法はある。先般の改定で家裁の判断で逆送し刑事裁判にすることもできるようになったが、その場合にも不定期刑や量刑の緩和など種々の配慮が規定されている。立法の精神を等閑すれば、法治国家は足元から崩れる。
 一昨年であったか、少年犯罪をテーマにしたテレビ討論番組があった。『キレ芸』を売りものにするカンニング竹山が発言席に座り、盛んに厳罰化を主張していた。お笑い芸人風情に少年法のスタンスなぞ判るはずがない。テレビ局は一体なにを考えているのだろう。こんな手合いに社会問題を語らせること自体がまちがっている。猫でも杓子でも画面に並べれば、世論を忠実に準えているとでもいうのであろうか。唯唯としてしゃしゃり出る芸人も噴飯ものだが、「よくぞ言ってくれた」などと溜飲を下げる向きがあるとすれば、わが国の行く末は相当に昏い。茂木健一郎氏は「知のデフレ」を嘆くが、「法のデフレ」もまた憂うべき現象である。
 厳罰化が必要だというなら、法を変えるしかない。ただしその場合は一国の基本法である憲法との整合性が求められる。事はさほどに容易くはない。違憲立法審査権も最後の砦となる。

 二点目は、世論誘導の疑いである。
 「最高裁が『死刑ありき』で差し戻し、それに迎合しただけの判決。被害者の声が無期懲役も死刑にできるという事例を作った」との学識者の指摘がある。一点目に述べた判決の異様さが世論の圧力によるものだとすれば、司法の独立に重大な疑義が生まれる。
 ひとつは、テレビメディアの恣意的な番組作りである。元少年の奇異な主張をことさらに取り上げ、コメンテーターや司会者が大仰に憤慨し指弾する。大向う受けを狙った、明らかに公平性を欠く世論誘導である。さすがにBPO(NHKと民法で作る番組向上機構)もこれには苦言を呈した。似たり寄ったりの番組が畳み掛けるように茶の間に押し寄せた。報道を超えて、捉え方や感じ方まで押し売りされる視聴者もずいぶん馬鹿にされたものだ。メディアも分を知り、弁えねばならぬ。第四の権力よろしく横柄が過ぎると、自損することになる。
 さらに遺族である木村洋氏のテレビメディアへの異常な露出がある。ことは刑事裁判である。被害者はマスコミに登場して自由に発言できるが、被告はそうはいかない。推定無罪の原則に立てば、マスコミには特段の配慮が必要だ。映像が売りのテレビメディアではなおさらだ。お笑い芸人やタレント紛いの弁護士を知事に押し上げるほどの力があるのだから。
 木村氏は判決後の記者会見で、「被害者としての報復感情は満たされた」と述べた。続けて、「被告と妻と娘の3人の命が奪われることになった。これは社会にとって不利益なこと。これで終わるのではなく、どうすれば加害者も被害者も出ない平和で安全な社会を作れるのかということを考える契機になれば」と語った。この撞着する発言は理解しがたい。綯い交ぜになった私怨と公憤。死刑の主張と「社会にとって不利益」「平和で安全な社会を考える契機に」との乖離にはたじろいでしまう。どうもこの人物にはある種の胡乱が拭えない。同情は売りものではない。ましてや憐憫を使嗾の具にしてはならない。集団リンチを脱皮したところに司法制度は成ったはずだ。
 加えて、裁判員制度への懸念だ。この事件の一、二審は無期懲役の判決だった。それが差し戻し控訴審で、一転死刑となった。職業裁判官でも判断が付きかねる難物だったのである。ましてや市民である。いかにこの制度が理不尽なものか。何度も取り上げてきたが、天下の愚策である。すでに指呼の間に迫った。「過ちを改めざる、これを過ちという」である。光の射込まない闇はなお深い。□

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2008年4月の出来事から

2008年05月05日 | エッセー
■ 後期高齢者医療制度スタート
 75歳以上を対象に発足(1日)、年金からの保険料天引きも始まった(15日)。新保険証が届かない、徴収額に過不足があったなど、混乱が相次いだ
―― 一点だけ触れておきたい。ネーミングの問題だ。批判を受けて、首相は通称の検討を指示。「長寿医療制度」と決まった。割と速い対応だった。
 名前を変えても中身は変わらないと、野党はいつものように木で鼻を括った批判。しかし名は体を表す。野党のセンシビリティーにこそ疑問符が付く。名コラムニストである天野祐吉氏も触れていた。これは悪くない呼び名だ。行政の遂行上、さまざまな区分け、仕切りは避けられない。ならばあとはセンスが問われる。天野氏は「大老医療制度」はどうだと言っている。「大老」なら呼ばれた方も悪い気はしないだろう。

■ 温室効果ガス排出、米が2025年まで伸び容認
 温暖化対策の総量目標を初めて表明。欧州連合(EU)の削減目標よりかなり低い(16日)
── 3月24日付拙稿「ダマされる前に、ぜひお読みください」で触れた。エコロジーを巡る綱引き。先進国同志の、開発途上国との、また欧と米での、大国との利害の衝突。みんなお国大事だ。これを称して「エコ贔屓」という。

■ 自衛隊のイラクでの活動に違憲判決
 航空自衛隊のイラク派遣差し止めなどを求めた集団訴訟で、名古屋高裁が「空輸先のバグダッドは戦闘地域」として憲法九条違反とする判決。ただし結論は原告敗訴に(17日)
── オオイズミくんの「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域である」との詭弁が裁かれたというべきであろう。『派遣されるところは非戦闘地域に限る。現に派遣されているのだから、すなわちそこは非戦闘地域である。』この珍妙な三段論法に司法の鉄槌がくだったのだ。イラク派遣の裁判では初めての違憲判断である。日本の司法が健在であることを示した賞讃さるべきジャッジメントであった。さらに、損害賠償を認めず、差し止め請求や違憲確認は不適法な訴えだとして退け原告は敗訴した形である。つまり被告である国は表向き勝訴であるから上告できない。原告は上告しない方針だから、裁判はこれで確定となる。現代の大岡裁きである。見事である。
 ところが、フグタくんは「それは判断ですか。傍論。脇の論ね」と去なした、……つもりらしい。だが、去なされたのは政府の方だ。とぼけが十八番のフグタくんだが、全然いただけないとぼけであった。おまけにイラクから戻ってきた自衛隊幹部がこの裁判結果について聞かれ、「そんなの関係ねぇー」と応える始末。もっとも、自衛隊も軍である以上、思考停止集団でなければ務まらないことを如実に示す受け答えであった。
 原告団には故人となった小田実氏がいた。以下朝日の報道から。
 「平和を求める精神のリレーがつながったよ」。  
 名古屋高裁の判決を知った故小田実さんの妻玄順恵(ヒョン・スンヒェ)さん(55)は、兵庫県西宮市の自宅で亡き夫に報告した。
 太平洋戦争末期、13歳で大阪大空襲に遭った小田さんは、「イラクで苦しむ子どもの気持ちが僕にはわかる」といつも玄さんに語っていた。
 陸上自衛隊がイラクへ派遣された3カ月後の04年4月、小田さんは1048人とともに大阪地裁へ提訴。だが、06年7月、憲法判断がなされないまま訴えは退けられた。
 イラク派遣に反対する各地の集会や講演会に出かけ、ともに闘う仲間を励まし続けた。すぐれない体調をおしてデモにも参加。しかし、控訴審の行方を病床から気にかけながら、小田さんは07年7月に胃がんで亡くなった。
 07年12月の大阪高裁でも、原告側の訴えは退けられた。だが、玄さんは望みをつないでいたという。各地で同じ志を持った仲間が裁判を続けていたからだ。「他の裁判があるから、あきらめず見ようや」。小田さんがそう語りかけている気がしていた。
 そして、この日の名古屋高裁判決。玄さんは「小田なら『市民の声の快挙だ』と言ってにっこり笑うでしょうね」と話した。(4月18日)

■山口県光市の母子殺害事件で元少年に死刑判決
 山口県光市の母子殺害事件で、広島高裁が「反省とはほど遠い」として元少年の新供述を退けた(23日)
── これについては、別途、稿を起こすつもりである。

■ 任天堂、売上高1.6兆円
 08年3月期連結決算で売上高が前期の1.7倍に伸び、国内ゲーム事業メーカー初の1兆円突破。「Will」と「ニンテンドーDS」が好調(24日)
── 1兆円というと、関空ひとつ分に相当する。1年で関空をひとつ造った計算だ。さらに、任天堂の従業員数は約3000人。一人当たりの売上は約3億円になる。トヨタでさえ約7千万。情報集約型の企業が時代の主力なのであろう。
 かつてはトランプを作っていたメーカー。ゲーム機へのシフトが見事に成功を呼び込んだ。ジョーカーだけあって、化けるのはお得意だったのだろう。

■ 北京五輪の聖火リレーで混乱
 中国のチベット政策に抗議して、ロンドン、パリで妨害行動が続いた(6、7日)。中国では反発した市民が各地で仏系スーパーや仏政府公館に対して抗議活動(18~20日)。長野市でも妨害行為があり6人が逮捕された(26日)
── おそらくゲッベルスあたりの知恵であろうか。聖火リレーはナチスが始めた。1936年のベルリン大会だった。ちなみにテレビでの中継もこの時が初めてだったそうだ。
 長野でも一悶着があった。朝日新聞の報道によると、
 【善光寺が聖火リレーの出発地点を辞退、チベット問題に配慮】4月18日
 国内各メディアの報道によると、今月26日に長野市で行われる北京五輪の聖火リレーでは、出発予定地となっていた善光寺が辞退を決定した。関係者が18日に明かしたところでは、善光寺はチベット問題を理由に辞退を検討していた。
 ということだ。早速というべきか、やはりというべきか。石原都知事は「立派な姿勢」だと持ち上げた。
 以下、毎日新聞の報道。
 <聖火リレー>善光寺返上
 16年夏季五輪の招致を目指す東京都の石原慎太郎知事は18日の定例会見で、長野市の善光寺が「チベットの人権問題」などを理由に北京五輪の聖火リレーの出発地を返上したことについて、「立派な姿勢ではないか。同じ仏教徒に対するあわれみ、共感、一種のプロテスト(抗議)として拒否したのはむべなるかなという感じがする」と述べた。
 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と親交があるという石原知事は「(中国の)大国主義は無理があると思う。文化も民族も違う人間が一つの独裁政権に束ねられていくのは気の毒」と同情。聖火リレーに絡めた抗議活動にも「聖火リレーの混乱のおかげでチベットの窮状が分かってきた」と理解を示した。(4月18日)
 『大都市主義』のトップが「大国主義」を批判できるのか、疑問がある。それに「16年夏季五輪の招致を目指す」のであれば、発言に政治的配慮も必要であろう。だが新銀行東京も大銀行への「一種のプロテスト」であったとすれば、知事の「理解」は辻褄が合うのだが……。
 「牛にひかれて善光寺」という。『聖火にひかれて善光寺 』とはいかなくなった。どころか、善光寺がチベット問題でひ(退)いてしまった。善光寺は何にひかれたのだろうか。
 朝日にはおもしろいインタビュー記事が載っていた。
 そんな彼らに遮られ、走者の友人を応援に来た地元の短大生(19)は式典の様子がほとんど見えなかった。「違う国にいるみたい。聖火だけでこんなに熱くなっていると、ちょっと引いちゃう」(4月27日)
 こちら、「熱い」ものには『引』いてしまう。わが国の若者たちを象徴するようなコメントだ。

■ グルム伊達公子が復帰
 女子テニスで06年以来の現役選手に復帰し、初戦を飾った(27日)
── 20年くらい前、某国営放送の某女子アナウンサーが『だてこ きみこ』と呼んだことがあった。性格が素直なのか、他人の失敗は結構覚えているものだ。今は民放で復帰なさっている。
 約1年前、拙稿で「カズ型かヒデ型か?」を話題にしたことがある。(07年5月16日)その伝でいくと、女王グラフを破った絶頂で引退した「ヒデ型」が突如「カズ型」に変身したことになる。しかしサーブは全盛期以上との評もあり、「ヒデ型」が十年ぶりに復活したのもしれない。あかるい出来事であった。
 
■ 一般財源化を確認 
 道路特定財源を今年の税制抜本改革時に廃止し、09年度から一般財源化することを、政府・与党が確認(11日)
■ 暫定税率を復活
 ガソリン税などの暫定税率を復活させる税制改正関連法が、衆院本会議で3分の2以上の賛成多数で再可決され成立した(30日)
── 4月1日付の拙稿と前稿(4月30日付)の中でも取り上げた。『エイプリル・トリック』の仕掛人はだれだろう。税率の復活を百も承知の上で仕掛けたとなると、なかなかの曲者。ために、内閣支持率は奈落に喘ぐ。フグタ君、今度は一本取られたか。

■哀悼
 チャールトン・ヘストン(米国の俳優)83歳(5日)
── ワープロで名前がカタカナ表記に変換できない。デフォルトでは辞書にないのだ。それほどに過去の人となっていたのか。
 なんといっても、わたしなどは「ベン・ハー」が鮮烈だった。「猿の惑星」も忘れられない。名作は数え上げれば限りがない。『重い』役柄の多い、存在感のある役者であった。日本でいえば、少し小粒にはなるが仲代達也といったところか。
 一時は全米ライフル協会の会長も務めていた。武装する権利を護るために銃は必要だと主張した。いかにもアメリカ人らしい。ジョン・ウェインと同じだ。
 生者の列を去っても、映画俳優は銀幕に永遠に残る。哀悼のつもりで、連休に「ベン・ハー」を観てみようか。 

(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げました。見出しとまとめはそのまま引用しました。 ―― 以下は欠片 筆)□


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