伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

成熟とは複雑化

2022年03月29日 | エッセー

 「玄人好みのお相撲さんだね」と北の富士は評した。さすがに正鵠を得た解説だ。
 「玄人好み」とはなにか。土俵上の動きが複雑だということではないか。宇良のトリッキーとは違う。王道の技を連続的に発動し、攻防の中で勝機を的確に掴み、相手を制する。身長182㎝、体重127㎏。北の富士の現役時代が身長185㎝、体重135㎏だったから、決して見劣りはしない。
 決定戦の取り口を言葉にすれば、
「高安の体当たりをいなし、先手を取った。相手得意の左差しをおっつけで封じる。前に出られたが、土俵際、上手を取って大関経験者を投げ捨てた。」(朝日新聞)
 と素っ気ないが、映像では実に複雑な動きを重層的に繰り出している。
 武道家にして思想家の内田 樹氏は新著で
「成熟とは複雑化すること。単純化とは退化することだ」
 と述べている(東洋館出版社「複雑化の教育論」)。人体も1個の受精卵が60兆もの細胞へと複雑化していく。まさに成熟とは複雑化だ。原始社会もひたすら複雑化を重ね現代に至っている。
 となると若貴景の相撲は、近年やたら重量化し力勝負が主流となった大相撲へのアンチテーゼではないのか。大相撲の単純化に抗する複雑化。若貴景はそういう大相撲史の結節点にいるとはいえまいか。
 「昔いたタイプの力士ですよね。しぶとくて」
 との審判部の藤島副部長(元大関武双山)の言葉も軌を一にする。ならば桟敷席も目を肥やさねば、猫に小判の憂き目に遭うやもしれぬ。
 では、複雑化の対極にある単純化は言語ベースではどうか。沈黙である。大相撲3月場所の最中、3月18日の『タモリの沈黙』が話題を呼んだ。以下、Yahoo!ニュースを抄録する。
〈3月18日、緊迫するウクライナ情勢を受けて報道特番『タモリステーション』(テレビ朝日系)が放送された。MCとして出演したタモリは、冒頭でウクライナ情勢に揺れる国境地帯・ポーランドで取材を進める大越健介キャスターに軽くねぎらいの言葉をかけると、それ以降、1時間以上の沈黙を貫いた。
 無言のタモリを挟み、専門家が解説を重ねていく。タモリは番組のエンディングでコメントを求められると「一日も早く平和な日々がウクライナに来ることを祈るだけですね。こうしている間も、大勢の人がウクライナで亡くなっているわけですね。というより、殺されているわけですから」と静かに話した。
 自身の冠番組で、発言時間の合計が1分程度というのは前代未聞だ。連日、テレビ番組ではウクライナ情勢が取り上げられており、多くの著名人が持論を展開している。彼もかつては、戦争について自分の意見を強く述べていた。第二次世界大戦を扱った『NHKスペシャル』(15年)に出演した時、「終戦って言いますけど、敗戦ですよね?」と問いかけ、一般的な言い方に疑問を呈した。〉
 タモリが放った沈黙の『鏑矢』は何を射貫いたか。訳知り顔の、あるいは芸人風情のコメンテーターによる与太話、彼らによる恐るべきものごとの単純化ではなかったか。「単純化とは退化」である。歯切れよい一刀両断を売りにする弁護士の元府知事、深読みを擬装する元芸人の県知事などなど。一例に、カンニング竹山は「もうコメンテーターは終わりだ」と音をあげたらしい。ともあれ命に直結するイシューを軽々に論じてはならない。
〈タモリ、時として警句を発する。20数年前、徹夜で飲んでたといって、「笑っていいとも」に出てきた。ほとんどヘベレケ状態、呂律も回らない。案の定、抗議が殺到した。そして明くる日。開口一番、史上最高の『警句』が発せられた。 
  ―― 『お前ら、白面でテレビなんか見るな!!』〉
 06年5月の拙稿「白面はいけません!」でこう記した。この度の奇策も同一線上にあると見ていい。テレビという単純化を宿命的に背負うメディアの呻吟か。単純化は退化だと、芸人からの脱皮を試みたタモリという複雑系がアラームを発しているのであろうか。 □


拍子抜けの国会演説

2022年03月24日 | エッセー

 遠火で手を焙るというか、隔靴搔痒、頗るインパクトに欠ける演説だった。ブレインに凄腕のライターがいるらしいが、今時本邦で謙譲の美徳に痺れる者など希少種であることに考え至らなかったとみえる。
 アメリカ議会では
「あなた方のすばらしい歴史の中に、ウクライナ人を理解するためのページがあります。いまの私たちを理解するため。最も必要とされるときに。
 パールハーバーを思い出してください。1941年12月7日の恐ろしい朝。あなたたちを攻撃してきた飛行機のせいで空が真っ黒になったとき。それをただ思い出してください。」
 と強烈なアッパーカットを見舞っておきながら、本邦では触れず終いだった。77年前に大日本帝国陸海軍は消滅したはずである。遠慮は要らない。ウクライナも同じ目に遭っていると訴えればいいではないか。ひょっとして永田町の忖度に倣ったか。
 一国の領土が他国の意のままに蹂躙される。クリミア併合を黙認し足元を見抜かれて、北方領土問題を手玉に取られた安倍政権の失態にひと言もなかった。愚劣なリーダーが取り返しのつかないミスリードを犯す。プーチンがただの白熊ではない証左として取り上げてもよかった。これぐらいカマしてくれれば、演説はレジェンドになっただろう。変な忖度は不要だ。表面的とはいえ、忖度は悪の代名詞になりつつある。
 「チェルノブイリ原発は武力で占拠された」
 と泣訴したにも拘わらず、フクシマへの言及がなかった。自然災害ですら取り返しのつかないことになる。いわんや人為的に放射能汚染を起こす武力作戦がいかに人道に反することか。ここも靴を隔てて痒きを掻くである。
「化学兵器、特にサリンを使った攻撃が起きる可能性があると、警告を受けています。」
 つい先日(3月20日)、地下鉄サリン事件27年を迎えたばかりだ。14人死亡、6300人が被害に遭った。これほどのテロ事件を世界が識らないわけはない。引用すれば大きなインパクトになったにちがいない。
「もしロシアが核兵器を使用した場合、どう対応すべきかです。どんな国でも完全に破壊されてしまうおそれがあります。」
 演説の画竜点睛はこれだ。なぜ、ヒロシマ・ナガサキが出て来ない。アメリカの核の傘など配慮している場合ではない。今、狂った指導者が「絶対悪」の縛めを解こうとしている。ヒロシマ・ナガサキこそ日本人の琴線そのものである。「アジアのリーダー」と持ち上げられても、琴線に触れねば単なるお追従だ。これがこの演説の本質的に欠落した部分である。
 期待が大きかっただけに拍子が抜けて、力が抜けた。 □


地球外知的生命体

2022年03月21日 | エッセー

 「ドレイクの方程式」は1961年、アメリカの天文・天体物理学者フランク・ドレイクにより提唱された。世界で初めてSETI(セチ:地球外知的生命体探査)を実施した学者である。巨大な電波望遠鏡で宇宙から届く電波をキャッチしようとする計画だったが、不首尾に終わった。そのドレイクの計算である。
<銀河系には電波を使う知的生命体がいるか?> 
 銀河系には約1000個の恒星がある。惑星が170億個。
 その中で、生命発生の確率 → 文明に至るまでの確率 → 通信技術を持つ確率 → その文明の持続期間などを勘案すると、
  【電波を使える知的生命体の存在する惑星は銀河系に10個程度ある】
 との結論に達した。170億分の10だと限りなくゼロに近いが、10個と聞けば意外に多い。
 ブレイクの方程式で最大の不確定要素は「文明の持続期間」である。このことに関し、生命科学者である小林武彦氏はこう述べる。
〈もっとも幅があり議論の余地が大きいのは、文明の持続する期間です。ドレイクは1万年と予想していますが、それが長すぎるのではないか、というのです。人類は電波を使い始めてからわずか100年の間に、二度の世界戦争をし、ものすごい勢いで環境破壊を進めました。とてもこのまま1万年もつとは思えません。仮に1000年で人類のような文明を持った知的生命体は滅びる運命にあるとすると、今この時点で銀河系に知的生命体が存在する惑星数はほぼ「1」となってしまい、地球以外に一つあるかないかという寂しい値になってしまいます。〉(講談社現代新書「生物はなぜ死ぬのか」)
 100年に2回の地球的規模の戦争。電波はネット社会を生み、サイバー戦争へと戦場を変えた。77年前の核の惨禍は忘却されたか、「使える兵器」へと魔の変貌を遂げつつある。これで終わりと誓った2度目の終戦からまだ100年経ってはいない。
 さらに不幸か不運か、この100年間に人類は狂気の指導者を2人も抱えることになった。1人はドイツに、もう1人はロシアに。
 SETIには未だ反応がない。「地球以外に一つあるかないかという」惑星から「知的生命体」が自らの教訓にこの星をじっと観察しているのかも知れない。地球上のあらゆる電波を克明に分析しつつ。 □


正視眼

2022年03月15日 | エッセー

 先月18日、文化放送で、作家の佐藤 優氏が次のように語った。
〈「(ロシア侵攻の)ポイントはミンスク合意。ミンスク合意をちゃんと履行してくれればこの問題は終わるわけです」
「2014・15年にミンスク合意というのがあります。その時点で、親ロ派勢力が侵攻している地域(ドネツクとルガンスク)、これは当時のままにしておく。それでその地域で自由で公正な選挙をやって政府を作る、と。それでウクライナは特別の統治を認める。だから、自治州あるいは自治共和国みたいなものを作るということですね。それが決まったところで、ロシアが国境警備をウクライナに移す。こういう話です」
「みんなこの文書、合意してるんですね。しかも国連で登録されている条約になってますから拘束力を持つんです」
「ウクライナの今の大統領のゼレンスキー氏が言っているのが、“条件が変わった、ウクライナ国民がミンスク合意は認められないからこれじゃできない、誰が署名したのか知らない”ということ。署名したのは前の大統領。でも、外国と約束したことは守らないといけないわけですよ」
「平和維持のためには、ミンスク合意とウクライナ政府がドネツク、ルガンスクの代表と話し合わなければいけない。しかし、ウクライナ側はそういう連中とは話ができないと言って一切対話することを拒否してるんですね。ウクライナの態度にすごく問題があると思うんです」〉
 ミンスク合意には、ドネツクとルガンスクに事実上の自治権にあたる「特別な地位」を与えるとある。「特別な地位」つまり「特別の統治」に含まれるのが、外交権である。ドネツクとルガンスクが外交権を持つようになると、ウクライナ政府が「NATOに入りたい」と言い続けても、ドネツクとルガンスクが「入りたくない」と言えば不可能になる。
 大国ロシアの策謀が臭う明らかな不平等条約である。もちろん佐藤氏はロシアによる軍事侵攻を認めているわけではない。しかし、「誰が署名したのか知らない」などと公言するゼレンスキー氏には一国のトップリーダーとして大きな疑問符が付く──そう佐藤氏はいいたいのだろう。これこそ世の大勢に惑わされない正視眼、遠視眼でも近視眼でもない正視眼ではなかろうか。 
 ゼレンスキー氏は俳優、コメディアンの出身だけあって危機に際して国民を鼓舞する言動は素晴らしい。だが俳優になる前キエフ国立経済大学で法学の学位を取得したとはいうものの、外交の基本が解っていないのではないか。たとえ不利な条約でも結んだ以上は履行しなければならない。でなければより以上の不利益を蒙る(現にそうなった)。一方で、修正を粘り強く働きかけ続けることは論を俟たない。それでこそ一国の外交だ。ロシアの軍事侵攻の陰惨さに目が行きがちだが、ポピュリストと評されるロジンスキー大統領の底の浅さ、脇の甘さも同時に見ていかねばならない(なんだか、コメディアン出身の“そのまんま東”が県知事に就いた経緯に類似している)。これこそが正視眼であろう。 
 維新政府は江戸幕府が結んだ各国との不平等条約にどれほど苦しんだか。権力主体が変わったから知らないとは言わなかった。旧敵の負の遺産を健気にも引き継いだ。アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5カ国と結んだ「安政五カ国条約」である。関税自主権を奪われ治外法権を許した強引極まりない不平等条約である。
 鹿鳴館での舞踏会で欧化をアピール。幾たびにわたる使節団の派遣。艱難辛苦、粘り強い交渉を繰り返し不平等を解消したのは維新後43年のことであった。『坂の上の雲』を目指した先達たちに頭が下がる。
  古来武道の世界で誡めとされたのは、後手に回ることと居着くことだ。思想家にして武道家である内田 樹氏の洞見をまた徴したい。まず、後手に回るについて。
〈そんな問い(暴走するトロッコ問題)をしている時点でもう手遅れなんです。「究極の選択」状況に立ち至った人は、そこにたどり着く前にさまざまな分岐点でことごとく間違った選択をし続けてきた人なんだから。それまで無数のシグナルが「こっちに行かないほうがいいよ」というメッセージを送っていたのに、それを全部読み落とした人だけが究極の選択にたどり着く。正しい決断を下さないとおしまい、というような状況に追い込まれた人間はすでにたっぷり負けが込んでいる。それは「問題」じゃなくて、「答え」。「いざ有事のときにあなたはどう適切にふるまいますか?」という問題と、「有事が起こらないようにするためにはどうしますか?」という問題は、次元の違う話なんです。〉(「評価と贈与の経済学」から)(19年10月の拙稿 「『トロッコ問題』は問題ではない!」から)
〈「居着き」というのは、足裏が地面にはりついて身動きならない状態を指しますが、こういうふうに「相手がどう出るか?」という「待ち」の状態に固着してしまうのは、居着きの最悪の形態の一つです。「待ち」に居着いている人間は、絶対に相手の先手を取ることができないからです。相手がまず何かしてから、それに反応するようにしてしか動き始めることができない。相手に先手を譲って、それをどう解釈するかの作業に魅入られるというのは、構造的に負けるということです。〉(「『おじさん』的思考」から抄録)
 ウクライナは「無数のシグナル」を読み落としてこなかったか。「『待ち』の状態に固着」してはいなかったか。盗人に三分の理を与える口実を放ってはこなかったか。
 佐藤氏も稿者もロシアの侵攻を認めているわけでは決してない。それどころか、核をも辞さない飢えた白熊に付け入る隙を見せてはならないと呼ばわりたいのだ。 □


やったね、ばあば

2022年03月12日 | エッセー

 退職したのが4年前。ひと月と経たないうちに県から声が掛かり、保育アドバイザーとして嘱託職員に。東奔西走の忙しい日常に再び戻った。その間、連れ合い(つまり、稿者)が二度入退院。踏んだり蹴ったりだ。一昨年には当方が免許を返納したため(20年12月愚稿「免許自主返納」に記した)、アッシー役が付け加わることに。
 さらにお立ち会い。おととし末の免許更新をすっかり忘れ、気がついたのが去年の4月。慌てて“自ら”運転して警察署へ直行。飛んで火に入る夏の虫、署のカメラに写っている以上無免許運転とせざるを得ない。擦った揉んだの挙句、お上の思し召しで不起訴とはなったものの2年間の欠格処分。泣きっ面に蜂、いや熊ん蜂である。
 辞表は差し戻され、なお奮励せよとのお達し。しょぼいバス通勤が始まった。禍福は糾える縄の如しとはいうが、この縄は順番がまったく無視され禍ばりで糾われているようだ。
 証拠に、なんと昨年12月バス停に向かう途次足首を骨折(同月の拙稿「妻 骨折中」に録した)。畳み掛けるような禍の襲来である。
〈心理学におけるレジリエンスとは、社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される 。自己に不利な状況、あるいはストレスとは、家族、人間関係、健康問題、職場や金銭的な心配事、その他より起こり得る 。〉
 とWikiにある。
 レジリエンスの対極にあるのが白旗である。かつて浅田次郎氏は「ハッピー・リタイアメント」(幻冬舎)にこう綴った。 
〈ポケットからおもむろに取り出したパッケージの白さを、立花女史は見逃さなかった。意志薄弱の証明、「マイルドセブン・ワン」。タール一ミリ、ニコチン0・一ミリ、この究極の成分を煙草と称するならば、蝶々もトンボも鳥のうちであろう。やめるにやめられず、かといって肺癌も脳卒中も心臓病も怖いという、日本男児の風上にも置けぬオヤジの象徴である。〉
 浅田氏は、決然と白旗を揚げられず微温的な妥協策に逃げ込むオヤジたちの弱腰を糾弾している。「蝶々もトンボも鳥のうち」にしてしまうあざとさを断罪している。
 白旗も妥協もかなぐり捨てれば、「撃ちてし止まん」以外に選択肢はない。銃砲を松葉杖に持ち替え、往来には乗合自動車を専らとし、兵糧は握り飯を常食とし、ついにアナクロニズムの媼へと化身したのであった。まあ、件(クダン)の「オヤジ」を「風下」に追い遣ったのは確実だ。畏るべし、レジリエンスである。
 屈折4年、この3月で年季が明ける。移動の時期ゆえ、上司、同僚から早めに寄せ書きと花束をいただいた。旭日・瑞宝章、如何ほどこれに過ぎようか。
 孫娘がもう少し大きければ「やったね、ばあば」と言ってくれるところだろうが、とりあえずじいじが代弁しておこう。 □


キーパーソンは習近平

2022年03月08日 | エッセー

 少し遅くなったが、ウクライナ危機について敬愛する三氏の見解をまとめておく。──
◆佐藤 優氏
〈ウクライナ侵攻は制限主権論の復活であり、フィクションの集団的自衛権の行使である。〉(「琉球新報」ほか)
◆内田 樹氏  
〈これがプーチンの計画的な軍事行動なら彼は「侵略者」だということになります。NATOへの恐怖心から始めたことなら彼は「恐怖で自制を失った人間」だということになります。だから「ウクライナがロシア系国民を虐殺している」という作話を採用した。でもこの話は説得力がありません。どんな場合でも戦争を始めるには「大義名分」が必要です。ロシア国民はウクライナ侵攻に歓呼の声を上げるとプーチンは期待しているのでしょうが、果たしてロシア国民はどういう反応を示すのでしょうか。〉(先月25日内田 樹の研究室)
◆寺島実郎氏
① 『正教大国』がロシア統合の理念
 キエフは、ロシア最初の統一国家、キエフ大公国発祥の地。その統治者で、同じ名前のウラジーミル公が、キリスト教の洗礼を受けたことがロシア正教の原点。それがロシアとウクライナは一体だというプーチン氏のこだわりにつながる。氏はソ連崩壊からの失地回復を目指しているとされるが、社会主義には共感がなく、『正教大国』をロシア統合の理念に掲げている。
② 安倍氏がプーチン氏を増長させた
 日本がプーチン氏を増長させた面もある。ソチ五輪の開会式には、主要国は人権問題への抗議で首脳の参加を拒んだが、北方領土問題の解決に前のめりだった当時の安倍首相は参加。そのすぐ後クリミア編入を宣言。各国が厳しく制裁を科したが、日本の対応は微温的。北方領土への思惑からクリミア問題を黙認したと世界が受け取った。
③ ウクライナは核廃棄
 自国のチェルノブイリ原発事故の被害を受けたウクライナの人々は、ヒロシマ、ナガサキに続いて起きた悲劇を強く意識している。ウクライナはソ連崩壊後、当初は世界3位の核保有国だったが、国際社会との交渉の末、核兵器を放棄した。非核化の先行モデルとして注目される。(今月2日朝日のインタビューから要約)──
 「フィクションの集団的自衛権」とは、「ウクライナがロシア系国民を虐殺している」という作話のことだ。
 「制限主権論」とは、1968年にソ連の主導するワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに対する軍事介入を正当化するために持ち出した論理であり、「社会主義陣営全体の利益の為には、そのうち一国の主権を制限しても構わない」という考え方のことである。
 『正教大国』とは、ローマ・カトリック教会とフル・コミュニオン(全面的統一関係)にあるという宗教的確信・世界観をいう。社会主義の代替としてプーチンが持ち出した。
 内田氏が疑問符を付けたロシア国民の反応は的中し、強烈なメディア規制に乗り出した。結局、『正教大国』はプーチンの独り善がりにだった。
 安倍はプーチンと27回も会ってとどのつまりは足元を見透かされてまったく前進なし。どころか、01年のイルクーツク声明よりも後退した。なんとも惨めな碌でなしに終始した。
 「自制を失った人間」にどう対峙するか。そのまんま東なぞは暗殺しかないとおバカを飛ばしている。満々が一成功すればロシアの核は一斉に火を噴く。呪殺の方がまだ理に適う。古典的なストラテジーだが、やはりここは「敵の敵は味方」しかない。中国だ。米欧の敵 ロシアにとって最大の潜在的敵は中国だ。インドやトルコの名も上がるが、ステークホルダーでは弱い。ウクライナ侵攻を台湾に代置されたら、習近平が掲げる「中華民族の偉大なる復興」という『崇高』な理念が深傷を負う。単なる領土的『野心』と同等に見做されてしまう。これは誇り高き中華民族には堪えがたかろう。
 だから、キーパーソンは習近平。「強国・中国」を高々と掲げ仲介に乗り出すべきだ。稿者、老残の身を顧みず、そう切に願う。 □


尻馬に乗る二匹のゾンビ

2022年03月04日 | エッセー

 先月27日、フジテレビの番組に出た安倍晋三はウクライナ侵攻に関しニュークリア・シェアリングを取り上げたうえで、
「国をどうすれば守れるかについては、様々な選択肢を視野に議論すべきだ」と公言した。
  今月2日、菅義偉前首相はインターネット番組でニュークリア・シェアリングに言及し、
「日本は非核三原則は決めているが議論はしてもおかしくない。同時に日米同盟を確かなものにしなきゃならない」
と揚言した。
 「あんな男」のアンバイと「くだらないヤツ」のスッカスカと瓜二つだ。ウクライナ危機の尻馬に乗るゾンビ2匹。まったく胸くそ悪い! 
 ニュークリア・シェアリングについては前稿で詳述したが、NATOの内、独自に核兵器を持たないドイツ・イタリア・ベルギー・オランダの4カ国に供与するものである。もちろん冷戦の産物である。
 重ねて言うが、ニュークリア・シェアリングは実態的には核武装である。「議論さえ封じるのは民主的ではない」との主張はポピュリズムに道を開く。物事を単純化して衆愚へと民衆を誘(イザナ)うからだ。第三帝国へのとば口はそのようにして開かれた。再度言う。唯一の被爆国として議論すべきは「核廃絶」の一つ切りだ。「絶対悪」の根絶以外に議題はない。殺人の技法について「議論さえ封じるのは民主的ではない」と誰が言えようか。
 思想家 内田 樹氏は「日本が核武装するということは、端的に『アメリカの属国ではなくなる』ということです」と断ずる。(「株式会社化する日本」から抄録、以下同様)そんなことを宗主国がさせるわけがない。ないのになぜ言挙げするのか。
〈自国の軍事的オプションについての決定権を持っていないということの無力感と苛立ちが、「核武装すべきだ」というような非現実的な空語を語らせているのです。自己決定できるような国である「ふりをしたい」。それだけのことです。核武装なんかアメリカが許すはずがないということがわかっていながら、まるでそれが自己決定できるイシューであるかのように語るというのは、一種の妄想です。〈「株式会社化する日本」〉
 核武装は、「議論すべきだ」と言う擬態と夜郎自大による「自己決定できる」と言う妄想の産物である。ニュークリア・シェアリングはアンバイとスッカスカの擬態と妄想である。まったく胸くそ悪いが、その本質を見逃してはなるまい。 □