伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

同じ愚を犯すな!

2015年11月30日 | エッセー

 12年の5月、拙稿で「盆から先にゃオーランドー」と揶揄した通り、スキャンダルや経済の低迷で長らく支持率低迷に喘いでいた。あまりの能力不足に17年の再選はあり得ないとまで言われていた。昨年末には20%を切っていたのだが、今年1月のシャルリー・エブドへのテロ対応で一気に40%に急上昇。今度も二匹目の泥鰌狙いか、破天荒な強攻策に出た。はっきりいって、後先考えない無謀で思慮を欠いた愚策だ。某国の元大統領ブッシュとオツムは同程度といってさして外れてはいまい。「テロとの戦い」を金科玉条に掲げはするものの、結局は自国の安全のみが目的で空爆の犠牲になる戦地の市民は眼中にないのが実態だ。誤爆や過剰報復でどれだけの犠牲者が出ているか。生活の基盤がどれだけ破壊され国土がどれだけダメージを受けているか。難民はその象徴でもある。なぜそれが見えないのだろう。見て見ぬ振りか、本当に盲いているのか。なにより、シリアでは毎日のようにテロが続く。パリと同じ殺戮が繰り返されている。パリとベイルートで命に値(ネ)の違いがあるのだろうか。
 報復は報復を呼ぶ。ルサンチマンの応酬で事が収まった歴史を、悲しいかな人類は持ち合わせていない。ISが狙うのもそこだ。最もプリミティヴな情念を制御できるほどの内的進化に人類は達し得ていない。敵に限ってその敵の弱みを知り抜いているものだ。
 小林秀雄はこう語った。
「キリストが、山上の垂訓で、『右の頬には、左の頬を』という飛んでもないパラドックスを断乎として主張したのは、『目には目を、歯には歯を』という人間的な余りに人間的な悲しい掟について考えあぐんだ上であった。」(「忠臣蔵Ⅱ」から)
 だからこそ、バタクラン劇場で妻を失った仏人ジャーナリスト、アントワーヌ・レリス氏のメッセージが高々と輝くのだ。
◇金曜の夜、君たちは素晴らしい人の命を奪った。私の最愛の人であり、息子の母親だった。でも君たちを憎むつもりはない。君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂だ。君たちは、神の名において無差別な殺戮をした。もし神が自らの姿に似せて我々人間をつくったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた銃弾の一つ一つは神の心の傷となっているだろう。
 だから、決して君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが君たちの負けだ。(私という)プレーヤーはまだここにいる。
 今朝、ついに妻と再会した。何日も待ち続けた末に。彼女は金曜の夜に出かけた時のまま、そして私が恋に落ちた12年以上前と同じように美しかった。もちろん悲しみに打ちのめされている。君たちの小さな勝利を認めよう。でもそれはごくわずかな時間だけだ。妻はいつも私たちとともにあり、再び巡り合うだろう。君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国で。
 私と息子は2人になった。でも世界中の軍隊よりも強い。そして君たちのために割く時間はこれ以上ない。昼寝から目覚めたメルビルのところに行かなければいけない。彼は生後17カ月で、いつものようにおやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。そして幼い彼の人生が幸せで自由であり続けることが君たちを辱めるだろう。彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから。◇(全文)
 多言は要すまい。「君たちに私の憎しみはあげない」。心あるならば、他ならぬ自らへのメッセージとして受け取るべきであろう。心中、血を流しつつ。
 では、具体的にどうするか。国際政治学者 藤原帰一氏の提言が極めて示唆的だ。
◇ISに対する力の行使を避けてはならないと考える。だが、ISのテロ攻撃を空爆では解決できない。地上部隊の支えのない空爆は戦果を支えることができないからだ。ISへの攻撃が成果を収めた区域はクルド系勢力、さらにイラク軍が活動する区域に集中しており、地上軍の支援をともなわない区域では成果がまだ乏しい。パリのテロ事件を受けて各国が地上軍の派遣に踏み切ったとしても空爆に頼る戦略に変わりはないだろう。自軍の犠牲を恐れるからである。
 必要なのは住民の安全を高めることが明確であり、人々も前より安全になったと認識するような武力の使い方である。難民の安全を保つためには十分な規模の地上軍が必要となる。空爆すれば相手を倒せるというのは希望的観測に過ぎない。難民の安全を図るため安全な地域を確保し、難民の信頼を得るとともに、そうした安全な地域を難民キャンプの外へ次第に拡大する。地味で困難なうえに危険な作業だが、破綻国家に平和をもたらすためには避けることのできない選択である。◇(11月28日付朝日新聞「時事小言」から抄録)
 空爆で決着はつかない。地上軍を派遣するほか勝負はつかない。かつ戦力の小出しは愚策中の愚策だ。「自軍の犠牲を恐れ」て、付け焼き刃で大向う受けする空爆頼みでは軍事的資質にも欠けるといわざるを得ない。大口を叩くなら、主要各国の指導者に一様にいえることだ。
 いずれにせよ、軍事的オプションは下策である。使える局面は上記下段の部分だ。難民キャンプの漸進的拡大。「地味で困難なうえに危険な作業だが、破綻国家に平和をもたらすためには避けることのできない選択」であろう。だからといって、腰の引けた主要国に替わって自衛隊をというわけにはいかない。某国にとっては喉から手が出るほどのオプションであろうが、派遣の根拠は新たな安保法制には一条もない。ただの一箇所もない。力にではなく、分に応じた国際協調を模索すべきだ。
 この狂気渦巻く状況で、果てのない騒擾の中で、敵の所在と狙いを過つことなく把捉しているのはアントワーヌ・レリス氏ではないか。憎しみを断ち切り、メルビルを幸福の軌道に乗せることで敵に致命傷を科すると断固たる闘争を宣言した。各国の指導者は浮き足立たず、まず立ち止まり、この宣戦の布告を翫味することから歩みを始めるべきだ。空爆ではど壺は必定(ヒツジョウ)。何度同じ事をやれば気が済むのか。 □


今度も笑えたが……

2015年11月27日 | エッセー

 本年6月『おかんからの珍メール・謎メール』(ソフトメディア社)を取り上げ、「おかんの珍メール」と題する拙稿を呵した。
 先ず、なぜおかんに珍・謎メールが多いのかについて以下のように愚考した。
〓今、おかんと呼ばれる女性たちはきっとキーボードによるパソコン入力をじっくりと経験していないのではないだろうか。入力をして変換する──このプロセスに難渋する、あるいは狂喜する原体験が希薄であるのが如上の悲喜劇を生んでいるのではなかろうかと推察申し上げている。
 おとんに関して出版するに至らないのは、おとんと呼ばれる男どもが曲がりなりにも仕事上忌まわしい苦渋を嘗めてきたからかもしれない。失敗が成功の母となったか。となれば、失敗のなかった母が成功しなかったわけだ。〓
 そこで、次なるイシューを以下のように述べた。
〓筆から鉛筆へ、鉛筆からキー入力へ。これは単なる道具の変化ではあるまい。鉛筆までは指の動きを即物的に紙に伝えた。キーは思考をマシンに伝える介在物である。アナログとデジタルの違い。つまり、思念の表現経路が次元を変えた。逆も然り、思念も変わるのではないか。事は「ペーパーレス」などとは比較にならぬほど深刻かもしれない。この変容はもっと注視されていい。ツイートのような短文化の波、絵文字やスタンプの隆盛、インパクトのあるワンフレーズプロパガンダなど、世の思考回路も短小化しつつある。未だ経験の浅いキー入力が深く広く定着していけば、はたして元に復すであろうか。わたしはそれほど楽観的にはなれない。今後はこのイシューを出来のよくないわが脳みそを叱咤しつつ愚慮を廻らしてみたい。
 お棺の、いやお燗の、元い、『おかんの珍メール』は“悪寒”のするほどシビアな問題提起なのかもしれない。〓
 『おかんからの珍メール・謎メール 2』 奥付の発行日は12月1日になっているが、1週刊前に平台の隅にお目見えしていたのでついまた買ってしまった。案に違わず、これが前作にもまして実におもしろい。爆笑の新ネタ、オンパレードである。
 受験に失敗した息子へのおかんメール
【大丈夫 偏差値高いばっかり
がいい学校じゃない死ね!!】 
 は、拙稿で指摘した誤入力にあらざる『誤変換』であろう。以下の2件も同類。
【件名:また喧嘩になるから
母:蒙古の話は
やめましょう。】
【件名:地震
本文:また揺れた
ね…そっちは大丈
夫だった?最近多
いからパパが避妊
グッズ買ったよ。あ
んたも貴重品だけ
でも集めておきな
さい。避妊場所も
ちゃんと確認!】
 目を引いたのが『誤変換』の亜種ともいえようか、不慣れな故か。
【from:母
ちゃんとごはん食べたか? 
from:娘
うん
from:母
おいしかたか? 
from:娘
ふつう
from:母
そか。あとなんで私のメール中国人
みたいか?】
 「か」の前後がなんだかおかしい。入力に不慣れというより、日本語に不慣れか。しかし、変なことにはちゃんと気づいている。自覚はある。不思議なおかんだ。
 こんなのもあった。
【娘:洗濯物はお父さんと別に
してほしいんだけど
母:そんなこと言うと
感動するよ!!】
 『誤変換』には違いなかろうが、娘と同じ感覚であることに「感動」する妻の本心が読み取れもする。であるなら、夫であるお父さんに同情を禁じ得ない。同類、同族として。
 稿者が噎せるほど笑ったのは次。
【from:おかん
本文:1年ぶりにミニパソコン使
いたいんだけど
from:おかん
本文:スイッチ入れたのに画面が
うつらない 困ってる
from:息子
本文:ご利用のパソコンの環境をくわしく書いてみてくだ
さいな
from:母
本文:一戸建て南向き8
畳の和室 気温24度】
 先述前段に記したパソコン時代をスルーしたおかん達の常識が、「環境」をごく常識的に受け取った結果であろう。それにしても呵々大笑だ。息子の妙に改まった物言いがいい薬味になっている。
 後段のイシュー「世の思考回路も短小化しつつある」、これが難題だ。「“悪寒”のするほどシビアな問題提起」である。言葉が短小化していくのはいつの時代でもそうだが、グラマーまで短小化しつつあるのではないか。挙句、工業製品のように軽薄短小が「思考回路」をも蚕食しつつあるようだ。さらにそれは今誠実な識者達が一様に指弾する「反知性主義」の通奏低音であるやも知れず、「“悪寒”のするほど」怖気を誘う。
 思想家内田 樹氏はこう語る。
◇彼ら(註・反知性主義者)には「当面」しかない。彼らは時間が不可逆的なしかたで流れ、「いま、ここ」で真実とされていることが虚偽に転じたり、彼らが断定した言明の誤りが暴露されることを望まない。それくらいなら、時間が止まった方がましだと思うのである。この「反時間」という構えのうちに反知性主義の本質は凝集する。◇(晶文社「日本の反知性主義」から)
 「『反時間』という構え」を本質とする反知性主義と思考回路の軽薄短小化が相性の悪かろうはずはない。誕生時夜行性だったため1万種以上の嗅ぎ分け能力があった人類の臭覚は、今や最大2千種に減っている。使わないと退化する道理だ。脳の完成が5億年前。言語の発生が10万年前。脳が言語を使うようになったのはついこないだだ。付き合いはごく短い。縁遠くなれば、鼻と同じ行く末にならぬとも限らぬ。ここは踏ん張りどころであろう。
 といって、別におかん達を責めているわけではない。そんな大それた事ができるほどの勇気はない(命は惜しいし)。ただおかん達が世の大勢である現実を踏まえると、そこに世の通奏低音が流れ通っていないはずはない。だから、珍メール・謎メールと嗤ってばかりはいられないのだ。 □


身も蓋も無いから面白い

2015年11月25日 | エッセー

──「目が合う」ということと「セックスをする」ということの間に大きな一線がなかった古代。「優雅な恋物語の世界」と思われがちな平安時代ですら、文学や絵巻物からは、強烈な「人間生理」とともに世界を認識していた日本人の姿が浮かび上がる。歌舞伎や浄瑠璃の洗練されたエロチック表現や、喜多川歌麿の錦絵に見られる独特な肉体観など、世界に類を見ない、性をめぐる日本の高度な文化はいかに生まれたのか? 西洋的なタブーとは異なる、国民の間で自然発生的に理解されていた「モラル」から紐解く、驚天動地の日本文化論。──
 カバーのそでには、そう書いてある。
 今月22日発刊の集英社新書
    性のタブーのない日本
     橋本 治
 「『性的タブーはないがモラルはある』と言うと、なんとなく不思議な感じはしてしまいますが、それは明治以降の『性的なもの≒猥褻』という思い込みのせいで、それ以前の日本には性的なタブーなんかないのです」と著者はいう。同書の了見を約めればそうなる。
 「古事記」、本居宣長、和泉式部、清少納言、「源氏物語」及び紫式部、「万葉集」、「土佐日記」及び紀貫之、「葉隠」及び山本常朝、芭蕉に近松門左衛門などなど、古典文学に連なるオールスターの揃い踏みである。
 さらに、能に歌舞伎に浄瑠璃、錦絵、春画と、芸能・絵画にウィングを広げ、「ウンコだらけの平安京」に通い婚や遊女、BL(ボーイズラブ)の実態と、目から鱗の社会学的論究が加わる。なんとも無類のというか、あるいは学的無頼ともいえる博学才穎、該博深遠のマエストロによる「驚天動地の日本文化論」である。
 世に「身も蓋も無い」という。身は器の本体部分、それに蓋までなければもはや器ではない。広辞苑は「露骨すぎて、情味も含蓄もない」と解(ホド)いている。「身」を中身と早とちりして無理やり焼き直すと、蓋も身もなければいきなり鍋底に突き当たるの謂にならないか(“鍋”に別意はない、念のため)。「西洋的なタブー」や「明治以降の『性的なもの≒猥褻』という思い込み」という蓋や身を外せば、鍋底の「性をめぐる日本の高度な文化」に突き当たる。それは「情味も含蓄もない」の真反対で、豊潤なまさに本邦文化の基“底”である。と、郢書燕説をしてみるも一興か。
 なにせ、超長編『窯変 源氏物語』を呵し遂げた作家である。徒者ではない。圧巻は「源氏物語」を下敷きに平安末期、女から男の時代への潮目、「貴族の世」から「武者(ムサ)の世」への変遷を語るくだりだ。藤原道長から頼通へ。「性的主導権と人事権」を軸にした摂関政治の実態、院政と男色。炯眼が日本史の切所を抉っていく。通途の裏面史なぞと高を括っていると、とんでもない置いてきぼりをくうことになる。素晴らしく高尚な日本史である。
 ついでだから、全3章のタイトルを挙げて締め括る。
第一章  それは「生理的なこと」だからしょうがない
第二章  「FUCK」という語のない文化
第三章  男の時代
 念を押しておくが、断じて内容は猥褻ではない。本書冒頭に、その「猥褻」自体が痛烈、明解に釈義されている。件(クダン)の「思い込み」は忽ち雲散するにちがいない。 □


交響曲第3番『英雄』

2015年11月23日 | エッセー

 隣市で催されたオーケストラの定期演奏会に招待された。2年振り4回目という。恥ずかしながら、その存在すら知らなかった。不明を恥じ入るばかりだ。
 隣市のさらに隣に県内唯一の医科大学があり、出身の医師を中核に看護師、地元の芸術家の3者で構成されたアマチュアオーケストラだという。ほかに医学生・看護学生を含め、総勢70名にも及ぶ一大音楽集団だそうだ。
 茂木健一郎氏はこう語る。
◇音楽は意味から自由であり、生命運動に近い。だから、私の音楽に対する関心は一貫して生命哲学と密接につながっている。おそらく、ニーチェが音楽に興味を持っていたのも、そういう理由からではないか。哲学者ニーチェは「音楽なしで〈生〉をとらえることはできない」と語った。◇(『すべては音楽から生まれる』から)
 また、内田 樹氏はこう語る。
◇「裁き」と「学び」と「癒し」と「祈り」のための制度。この四つの柱が、人間たちが共同的に生きることを可能にします。集団存立の必須の条件ですから、この中のひとつでも欠けたら、もうそれは人間の集団としては存立しません。想像してみてください。司法、教育、医療、宗教のどれかひとつでも欠いたまま今に生き延びている社会集団が存在するでしょうか。◇(『日本霊性論』から)
 「生命運動」といい、「癒し」という。最高の知性は確かに結び合っている。だからこのオケが命を受け渡す“DNA”と名乗るのだろうと考えた。パンフレットには3者の英語の頭文字を取って命名したとあるが、含意はその結び合いに違いあるまい。生命に最接近する医師、看護師が生命に直結する音楽に向かうのは理に適う。余技などでは断じてない。医療への真摯な向かい合いが誘(イザナ)う、技を替えた「癒し」といえようか。
 「ヒポクラテスの誓い」 ギリシャの世襲医家の子弟が修業を仕遂げ晴れて一員に加えられる際に行われた宣誓であり、今も大学医学部の卒業式などで朗読される。誓いはこう始まる。
「医の神アポロン、アスクレーピオス、ヒギエイア、パナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。・・・・」
 アポロンは太陽の神、予言の神、音楽の神、医術の神である。パナケイアはアポロンの孫娘で癒しを司る女神であり、転意して万能薬をも意味する。両者とも医療と音楽の両意に亘る。してみれば、医療と音楽は近似値、もしくは同一のトポロジーといえよう。
 それにしてもこのオケ、よくぞ立ち上げたものだ。全国に類似のものがあるにはあるが、過疎に悩む鄙の地にこれほどの大所帯を構えるとは驚嘆に値する。否、奇蹟に近い。公設ではない、私設である。創業に携わったパイオニアの辛苦はいかばかりであったろうか、さらに刻下の守成の難(カタ)さを推し量るに頭が下がる。文化の防人といって不都合はあるまい。平気で文楽の予算を切る某市長に比して、なんと高々と屹立していることか。
 浅田次郎人気シリーズの一つに「天切り松 闇がたり」がある。突飛なようだが、ある一場面が頻りに連想されてならぬ。
 <昭和侠盗伝 第四夜 王妃のワルツ>満州支配が始まり世が軍国一色に染まる中、学習院の女学生たちが国の政略結婚に巻き込まれる学友の結婚祝賀舞踏会を開く。やはりと言うべきか、右翼が街宣車を大挙繰り出してホテルに向かいがなり立てる。

「ところで、あの騒ぎはいってえ何だ」
 栄治は大音量の軍歌に眉をひそめた。真向かいの日比谷公園の木立ちに沿って、幟を掲げた無蓋トラックが並んでいた。特等客室はホテルの両翼に張り出した二階だから、騒々しさはひとしおである。
「まあ、こんなところでしょうか」と、常次郎は明晰な解説をした。
「軍にしてみれァ、この国家の非常時にダンスパーティなんぞ許せねえ、だがそうは言ったって取締る法律なぞあるわけァねえから、お国のことなんてこれっぽっちも考えてねえ似非右翼を雇って、あんなふうにいやがらせをしている、と」
 栄治はうんざりとして溜息をついた。
「やれやれ、帝国陸軍も姑息なまねをしやがる」
「このところ、陸軍の十八番は謀略です。それにしたって、細かいところまでよく気が付くもんだ」
「ホテルは迷惑千万だの」
「そこなんですが、今の支配人はあれでなかなかの硬骨漢でしてね。軍に圧力をかけられようが、右翼に脅されようが、鹿鳴館以来の舞踏会は帝国ホテルの華だから、やめるわけにはいかねえ、ましてや人身御供のおひいさんをお慰めしようてえパーティだ、あなたがたも帝国臣民ならお控えなさい、とはねつけたそうで」

 「なかなかの硬骨漢」である支配人が過疎化という「軍に圧力をかけられようが、」無理解という「右翼に脅されようが、」オーケストラという文化、つまりは「帝国ホテルの華」を護り抜く。クラッシックといえども心意気は同じではないか。
 堂々、2時間半。ベートーヴェンの「交響曲第3番 変ホ長調『英雄』 作品55」をフィナーレに演奏会は跳ねた。拍手が湧き起こった。それはステージの『英雄』たちへのオマージュではなかったか。 □


“1%”が魅力!

2015年11月21日 | エッセー

 いま衆目を集める新進気鋭の学者がいる。
  藤山 浩(コウ)氏。プロフィールは以下の通り。

 1959年、島根県生まれ。一橋大学経済学部卒業。島根県中山間地域研究センター研究統括監、島根県立大学連携大学院教授、博士(マネジメント)。2008年、広島大学大学院社会科学研究科博士課程後期修了。㈱中国・地域づくりセンターなどを経て、1998年より島根県中山間地域研究センター勤務、2013年から現職。
 著書『中山間地域の「自立」と農商工連携──島根県中国山地の現状と課題』(共著新評論)、『これで納得! 集落再生──「限界集落」のゆくえ』(共著ぎょうせい)、『地域再生のフロンティア──中国山地から始まるこの国の新しいかたち』(共編著農文協年)など。

 “田園回帰1%戦略”を唱えて脚光を浴びている。徹底したフィールドワークと緻密なデータ処理で過疎と対峙してきた。概略を近著から紹介する。“里山資本主義”の藻谷浩介氏も「地域再生の分野の書籍の、決定版の中の決定版だ」と激賞する一書だ。

田園回帰series 1
『田園回帰1%戦略』──地元に人と仕事を取り戻す
発行 一般社団法人 農山漁村文化協会

 
 まず序章で、「『市町村消滅論』は本当か」と問いかける。増田寛也氏の『地方消滅』へのオブジェクションである。続いて“田園回帰”という希望を掲げ、島根からその胎動をレポートする。
 かつて引いたが、U・I・Jターンの専門誌“TURNS”で、「脱東京」について内田 樹氏がこう語っている。
「いま地方へ向かいはじめた人たちは、東京でなにか起きたら死ぬだろうということが、なんとなくわかっているんでしょうね。このまま東京に住んでいたらやばいと、身体的に察知して」
 生き残りのセンサーが大東京のカタストロフィを探知する。いつもながら、内田氏の洞見には膝を打つ。田園回帰は静かだが確かなトレンドになりつつあるといえる。
 続いて“田園回帰”──「人口1%取り戻しビジョン」と「所得1%取り戻し戦略」の提唱。詳細な人口分析と綿密な予測プログラムの結果、【毎年人口の1%に当たる定住者を増やせば、人口減に歯止めがかかり、30年後総人口と14歳以下の子供の数を少なくとも現在の9割以上にキープし高齢化率も現在より低くなる】というのだ。全国の山間地域でシミュレーションしても同じ結果になったそうだ。中身は20代前半の男女、4歳以下の子供をもつ30代前半の夫婦、定年後の60代前半夫婦という三つのパターンをバランスよく増やすのが大切だという。
 キモは“1%”だ。しかも“ゆっくり”取り戻そうと呼びかける。人口5000人の1%=50人はキツそうだが、500人に5人ならイケる。生活圏である地区、公民館区に目標を細分化すれば希望の湧く数字になる。氏の計算では、島根県の中山間地域全体で毎年必要な定住者数は東京圏約3500万人の1万分の1未満に過ぎないという。現に岩手、長野、石川の5市町村では『1%戦略』を施策に採用し、島根県邑南町は町の総合戦略に「64人」という毎年の定住者の目標を書き込み12の公民館区ごとに活動を始めているそうだ。
 かつ、急いては事をし損じる。団塊の世代の大挙入居で後一挙に高齢化した「団地の失敗」に学び、漸進的で持続可能な変革を訴える。
 問題は方便(タズキ)だ。それが「所得1%取り戻し戦略」である。新鮮なのは、「取り戻し」だ。大工場誘致・観光客誘致・特産品開発の“御三家”つまり『外貨獲得』からの脱皮を唱える。周密なデータ分析と海外の事例を交え、地産地消、域内経済循環を掲げる。商業・電気機械・食料品を中心とした移出入額は圧倒的に移入額が多い。地域外に出荷して外貨を稼いでも、域外調達で大半が失われていると説く。貿易に譬えると輸入超過から内需喚起へとなろうか。
 再び内田 樹氏の達識を徴したい。
◇現に日本では一九六〇年代から地方の商店街は壊滅の坂道を転げ落ちたが、これは「郊外のスーパーで一円でも安いものが買えるなら、自分の隣の商店がつぶれても構わない」と商店街の人たち自身が思ったせいで起きたことである。ということは「シャッター商店街」になるのを防ぐ方法はあった、ということである。「わずかな価格の差であれば、多少割高でも隣の店で買う。その代わり、隣の店の人にはうちの店で買ってもらう」という相互扶助的な消費行動を人々が守れば商店街は守られた。「それでは花見酒経済ではないか」と言う人がいるだろうが、経済というものは、本質的に「花見酒」なのである。落語の『花見酒』が笑劇になるのは、それが二人の間の行き来だからである。あと一人、行きずりの人がそこに加わると、市場が成立する。その「あと一人」を待てなかったところが問題なのだ。商店街だって店が二軒では「花見酒」である(というか生活必需品が調達できない)。何軒か並んで相互的な「花見酒」をしていれば、そこに「行きずりの人」が足を止める。循環が活発に行われている場所に人は惹きつけられる。だから、何よりも重要なのは、「何かが活発に循環する」という事況そのものを現出させることなのである。「循環すること」それ自体が経済活動の第一の目的であり、そこで行き来するもののコンテンツには副次的な意味しかない。◇(晶文社「街場の憂国論」から)
 おらが街で「花見酒」ができるかどうか。“御三家”は「行きずりの人」でいいのだ。藤山氏は島根県西部から山口県北部にかけて20店舗を展開する地方スーパー株式会社キヌヤを挙げ、地産地消による「1%取り戻し」の実例を紹介している。
 要するに、域外から購入している金額の1%分のモノとサーブスを域内で調達する。それが「所得1%取り戻し戦略」である。これも「1%」でいいという。なんだか元気を誘う提言ではないか。
 後は、田園回帰のための社会システム・総合戦略、条件整備へと論攷を進めている。結びには「使い捨て」を止めて記憶が紡がれる地域へと諭している。
◇私たちは、皆、いすれ死んでいく存在です。しかし、だからこそ、美しい営みを次の世代へと伝えていく末長い輪の中に身を置きたいと思います。その場限りの「使い捨て」を続ける人や地域は、過去の尊い営みを消し去るだけでなく、未来に足跡を遺すこともできないでしょう。田園回帰によって都市と中山間地域のバランスを回復させるなかで、私たちは、そこに生きる人々の記憶が紡がれる「地元」を取り戻していくべきだと考えます。「美しさと、時間」と「記憶」は、三位一体で「地元」の中でつながっていくのです。◇(上掲書より)
 “1%”は魅力的であり、なにより革命的だ。細流は一滴よりはじまる。幾筋もの流れが川となり、大河へと連なる。偉い学者が現れたものだ。 □


世界のガセネタ

2015年11月19日 | エッセー

 CO2温暖化説への疑問は何度も繰り返してきた。ざっと14回になる。先月、また極めて示唆に富む好著が発刊になった。『地球はもう温暖化していない』(平凡社新書)。著者は金属物理学が専門の深井 有中央大学名誉教授である。同書の問題意識を明らかにするため、「あとがき」から孫引きする。
◇田原総一朗氏は温暖化防止キャンペーンを批判する武田邦彦・丸山茂徳両氏の対談に寄せた序文で述べている。「私は、正直に言って科学者ではないので、二人の指摘が正しいかどうかは断定できない。(しかし)私は、戦中・戦後の体験から、世の中がある方向に向かって一斉に流れる現象というのは危険だと考えている。そして、現在の『反温暖化』一本やりの日本社会に、その危険な香を感じるのだ」
 もう一つ、半藤一利氏の文章を引いておこう。氏は戦争に明け暮れて終には破滅に至った昭和の歴史を克明に辿ることから得られた教訓を次のようにまとめている。「国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。昭和史全体をみてきますと、なんと日本人は熱狂したことか。ジャーナリズムが煽ることで世論が形成され、世論が大きな勢いになってくるとこんどはジャーナリズムが引っ張られる。熱狂の前には、疑義をとなえて孤立する言論機関は、あれよあれよという間に読者を失っていく。数多く新聞がアッという間に同じ紙面になる。ほんとうに怖いことというほかはありません」この歴史の教訓が「地球温暖化」をめぐる現在の状況にそっくりそのまま当てはまることは、恐ろしいほどではないか。「地球温暖化」は「科学」の仮面をかぶっているので、なおのこと始末が悪い。◇(抄録)
 傘寿を超えた老碩学である。かつて踏んだ同じ轍に、とりわけ強い危機感をもつのであろう。真正の科学的知見が「『科学』の仮面」を剥がすとどうなるか。エッセンスを抜き書きしてみる。

①地球の平均気温は長期にわたって変動を繰り返してきた。現在は再び中世温暖期とほぼ同じ気温に戻った。300年前から上昇してきた気温は18年前から頭打ちになっている。
②気候変動と太陽活動との間に強い相関があることは古くから知られていたが、最近、これは太陽磁場が地表に到達する宇宙線量を左右しているためであるという認識が得られた。
③今後数十年間、気温は頭打ちから低下に向かい、大きな寒冷期が頻発すると予測される。
④CO2は植物の成育を促すプラスの効果はあっても、人間の環境にとって如何なる意味でもマイナス要因にはならない。CO2を減らすこと自体に意味はないのであって、CO2削減は炭素資源を子孫に残すためにこそ意味がある。
⑤炭素資源に替わるエネルギー源の開発は緊急の問題である。可能性があるのは、水素エネルギーシステムと、藻類バイオマスエネルギーである。特に藻類は有望だ。

 ギリギリまで約めると──温暖化の原因は太陽活動でありCO2ではない。それどころか、CO2は生命活動に不可欠(光合成)である。IPCCの報告書は政治的意図に基づく科学的根拠を欠くガセネタである。備えるべきは寒冷化だ。──となろうか。
 至極常識的な見解が「『科学』の仮面」で塞がれ意図的に歪曲される。“ガセ”とは人騒“がせ”からきたという。世紀のガセネタ、世界的規模のガセネタに飛びつき囚われて、国民的規模の刷り込みを続けてきたのが本邦である。まことに人騒がせな話だ。“1億総なんとか”の伝でいくなら、『1億総刷り込み社会』『1億総環境パラノイア』ではないか。詳しくは同書を繙読願いたい。かつて書いたが、人為でどうこうされるほど地球は柔(ヤワ)ではあるまい。自体のリズムと、宇宙系の主である太陽の差し響きか。そう頭を回すのが順当な筋道ではないか。
 同書最初のページには目を剥く。「CO2による世界の緑化」という世界地図だ。巷説とは異なり、砂漠がどんどん緑化されている。もちろんCO2の増加によるものだ。生物が爆発的に進化・増殖したカンブリア大爆発は活発な火山活動で噴出したCO2による温暖化がもたらしたといわれる。まさに「④ CO2は植物の成育を促すプラスの効果はあっても、人間の環境にとって如何なる意味でもマイナス要因にはならない」のだ。刻下問題の杭打ち。それを借りれば、日本列島に杭を打ちすぎたので地殻を刺激し地震が多発しているからもうビルを建てるのは止そう、となろうか。CO2温暖化説はこんな与太話に当たらずといえども遠からずかもしれない。
 突出してCO2削減に先駆け絞ってももう水一滴も出ない雑巾状態なのに、どこかの脳天気総理は“COP21”にまで乗っ込んで「新たな国際枠組みの合意に向けたわが国の積極姿勢を示す」そうだ。なんだ、そのバカ騒ぎは。お騒がせも極まれりではないか。あるいはひょっとして、騒ぎに乗じた原発再稼働の口実づくりか。
 括りに養老孟司氏の炯眼を徴したい。
◇(温暖化を)人為的だと見るのが「倫理的」だ、つまり「正しい」ということになると、もはや喧嘩の種を蒔くようなものである。それを疑う人は、不正と見なされるからである。モノに関する見方を、正しいとか、正しくないで分ける、つまり政治化してはいけない。経験科学の結論はつねに、より蓋然性が高いか否か、だけなのである。政治的な問題での「正しさ」は、容易に原理主義と結びつく。私はそれをもっとも警戒する。現在の日本人の環境問題に対する態度は、軍国日本の時代の戦争に対する態度に、本当によく似ている。私にはそう見えるのである。省エネが得意で、世界の優等生に見える。それも軍事力では強そうに見えた戦前とよく似ている。◇(「養老孟司の大言論Ⅱ」新潮社より)
 深井、田原、半藤、養老4氏の問題意識は符節を合わするが如しだ。
 買い物に行くとレジ袋の代金を取られる。実体験はないが、なんだか戦時中の金属供出が連想される。集団パラノイアがこんなものに化けている。「より蓋然性が高いか否か」を忘れるとガセネタに絡め取られるだけだ。 □


人に翼

2015年11月15日 | エッセー

 鉄路の廃止が止まない。この15年だけでも東京から姫路までの路線が消えた勘定になるという。只事ではあるまい。   
 新政府が鉄道建設を決めたのは維新翌年であった。肇国への素早い対応といえる。範を英国に求め、長州五傑の1人井上 勝が諸難を越えて奔走した。のち、本邦鉄道の父と称された。
 〽汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として
 と詠われた新橋―横浜間の開通が明治5年。爾来、全国土へ拡張していった。「鉄道唱歌」も後を追って増え続け6集374番に至った。別けても1集65番の
 〽思えば夢か時のまに 五十三次はしりきて 神戸のやどに身をおくも 人に翼の汽車の恩
 は泣ける。「人に翼」とは言い得て妙ではないか。在来線から新幹線で縮んだ時間の割合と、汽車による五十三次に要した日数(ヒカズ)からの縮み具合はまさに「人に翼」であったろう。決して誇張ではない。明治の先達たちに満ちていた進取の息吹すら感じ取れる。
 意外なことに、当初日本の鉄道は民営会社が主導した。維新十傑の1人岩倉具視の肝煎りで設立された「日本鉄道会社」がそれだ。この会社が先導役となり、各地に民間会社が起こって鉄道網を敷き延べていった。問題は資金だ。誰が出したか。華族であった。秩禄処分で受け取った公債を元手に銀行が設立され、鉄道に投資。鉄道会社の設立ブームを呼んだ。巧みな財政・金融政策が奏功した。つまり、日本の鉄道は旧公卿・大名、維新の功臣たちが身銭を切った私鉄から始まったといえる。旧公卿・大名もなお文明開化に資したわけだ。
 ところが、日露戦争後事情が変わる。軍事輸送を円滑にするため、軍部から鉄道国有化の要求が強まった。財界も戦後不況の資金がほしい。両両相俟って明治末期、鉄道国有法が成立した。民鉄路線が大量に買収され、主要幹線は国が一元管理することとなった。87年国鉄民営化まで約80年、この体制が続いた。つまり本邦の鉄道は民営から国営へ、そして再び民営へという軌跡を辿ってきたわけである。民営の肝は利潤だ。儲からなければ廃線已む無しも道理か。
 いやそうではないという識者がいる。関西大学経済学部教授で、『鉄道復権』(新潮選書)を書いた宇都宮清人氏だ。近著『地域再生の戦略』(ちくま新書)で「交通まちづくり」というアプローチを提唱している。
 交通には、「費用対効果では捉えられない要素として、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)という側面」(上掲書より、以下同様)があるとする。「公共財に準じる社会資本」であり、社会に絆を創る枢軸だという。「信頼関係やつながりは、経済発展や社会の安定につながるという研究蓄積もある。このような考え方に立てば、公共交通の役割は、マニュアル通りの費用対効果では過小評価されてしまうということを考慮する必要がある」と訴える。公園、消防、警察などの公共財が費用対効果では計れないものとしてあるのと同等だという。他に「広く環境を改善するという便益効果」、さらに「存在効果」という視点も挙げている。「鉄道の存在そのものに価値があるという考え方で、具体的には、いつでも利用できる安心感としての『オプション効果』、周りの人が利用できる安心感としての『代位効果』、後世によい移動環境を残せるという安心感としての『遺贈効果』、地域のイメージ向上という『イメージアップ効果』、駅空間の改善、新車両の導入によって向上した景観を見ることができる『間接利用効果』」を列挙している。
 例えば苦戦はしているもののSLをフィーチャーした静岡の大井川鐵道などは、『遺贈効果』や『イメージアップ効果』、『間接利用効果』を組み合わせた適時打といえる。
 ともあれ、氏は「公共交通の整備は、現に利用しているかどうかではなく、そこに存在していることで、人々に『今は利用しなくとも、必要な時に利用できる』という選択肢を提供することになる。この選択できるという『オプション』を無視することはできない」と重ねて述べている。費用対効果に対置してソーシャル・キャピタルを忘れてはならないという頂門の一針と捉えたい。
 民営ゆえに儲からなければ廃線已む無し。「赤字であれば、『無駄』とさえ言われる日本とは根本的に差異がある」として例示するのが独仏の交通政策である。「ドイツやフランスがクルマ社会であるにもかかわらず、公共交通の利用者を伸ばした背景には、クルマと共存できる公共交通を育てる交通政策がある」と指摘し、公共交通の整備が公的資金に依存している点を取り上げている。「ドイツであれば、日本のガソリン税にあたる鉱油税による収入が公共交通にも適用される。また、フランスの場合、一定規模の事業所は交通税(交通負担金)を支払っており、得られた資金が公共交通の整備に充てられる」。ところが、日本では「公共交通のための特別な財源は存在しない」。本邦のガソリン税約5兆円は道路の建設、維持、赤字道路の損失補填に使われるばかりで、鉄道にはびた一文投じられてはいない。独仏に比して、交通を全体として俯瞰する社会的観点が惨めなほどに欠落しているといえよう。1周も2周も遅れている。自動車関連の諸税もある。その気で取り組めば財源はある。車に乗る人間も鉄道に応分の負担をする時代が来ているのではないか。地方創生と言うからには木を見て森を見ざる、角を矯めて牛を殺す愚を犯してはなるまい。
 今では「人に翼」と聞けば飛行機を連想するにちがいない。ドローンという向きもあるかもしれない。しかし開国日本の先人たちには陸蒸気こそ翼であった。その衝撃と感動が人体の血脈のように国土を被った。世紀の遺物どころか、刻下再びロジスティクスとしても光が当たってきている。「人に翼」は今もって健在といえる。いや、「心に翼」かもしれない。でなければ、あれほどSLに人びとが群がりはしないだろう。 □


邂逅 3人

2015年11月11日 | エッセー

 先月下旬の同窓会も与ってこの半月の間、40数年ぶりの邂逅が3回あった。

 会った刹那、母堂と見紛うほどに容姿も醸す雰囲気も似ていることに驚いた。「お母さんに似てきたね」と言うと、「みんなにそう言われるのよ」と応じた。
 斜向かいに住んでいた幼馴染みである。一家で越した中学初年度まで一緒だった。幼稚園の遠足で手をつないだツーショットの写真がある。ある……はずだ。随分前に見たきりで、今手元にはない。この陋屋のどこかに身を潜めているにちがいない。その内、“捜索”するつもりだ。
 男は母親に、女は男親に似るという。都市伝説の類いだろうが、彼女の場合は異説といえよう。3姉妹だったからも、根拠には乏しい。しかしでも、なぜだろう。愚慮を巡らすうち、この「似ている」は両者を並べて見比べるのではなく、重ねて見ているのではないかと気づいた。
 いかにお向かいさんとはいえ、対面の頻度は圧倒的に母堂より息女である彼女の方が多かったはずだ。特別な事情がない限り、リファレンスする対象は朧だ。だから、今の彼女の面貌から往昔の母堂の像を追想しているのではないか。息女の向こうに母堂を透かし見ている。そういう事情ではないだろうか。似るのは当たり前だ。むしろ、こちらが似姿を拵(コサ)えているのだ。
 「諸行無常」は湿りっ気などまるで含まぬ至極乾いた認識だと、瞭(アキ)らかにしたのは小林秀雄だった(「無常といふ事」)。40年とはまことに諸行に溢れかえり常無き星霜である。その中で、歳相応にエイジングするのは至難といえなくもない。馬齢を重ねるわが身に比して、彼女は嫋やかに年輪を刻んできたように見えた。なにせ母堂、3姉妹と、美形揃いの家だった。それにふさわしい軌跡といえよう。母堂は長く臥せっているという。寛解を祈るとともに、それだけは似ないようにと願うばかりだ。

 90年代吉田拓郎の曲に、康珍化が詞を書いた『友あり』がある。

   〽生まれた時から 旅に出る
    男に生まれたおれたちは
    夢の途中で すれちがい
    あれから何年 たっただろう
    飲め飲め友よ まだ夜はあけぬ
    友あり友あり おれに友あり
        ・・・・・
    花火みたいに生きる奴
    黙って山をのぼる奴
    誰かに道をゆずる奴
    みんな夢追う風になれ〽

 「夢の途中で すれちがい」した友といえる。学生時代約1年を共にした。「黙って山をのぼる奴」は粒々辛苦し、念願の飛行機整備の道を永く歩いた。翼を風に乗せる仕事は「夢追う風」そのものだったであろう。
 還暦で退職したという。おまけに熟年離婚までも。文字通り第二の人生だと笑った。それにしても日焼けがひどい。訊けば、持ち船で海に遊ぶ毎日らしい。さらに、船の係留地を求めて3度転地したという。3.11でにわかに南海トラフが話題に上り、津波を怖れた。予測水位では完全に呑み込まれてしまう。マンションを売って日本海側へ。しばらくして今度は原発の直下にある断層の問題が惹起した。行き着いたところが九州。なんとも豪勢な引っ越しである。
 人生、何発もの大きな「花火みたいに生きる奴」だ。「夢追う風」は空舞う風から、ついに海渡る風となった。羨ましい。次の「飲め飲め友よ まだ夜はあけぬ」が待ち遠しい。

 3歳年下で20代前半の一時期、連れ立ってよく遊んだ。双方大の贔屓が拓郎で、三日にあげず聴き語らったものだ。どちらもがトラバーユし、そのうち疎遠となった。出向が重なった90年代少し離れたらしいが、彼もまたずっと拓郎を追い続けてきたという。
 ひょんな事から偶会した。文字通り「あれから何年 たっただろう」である。彼は今や聴くことが叶わぬ70・80年代の貴重な音源を溜め込んでいた。もちろん借りない手はない。 
 やはり声が若い。パワフルだ。一気にあの滾りの時代へワープした。若者たちが、そして社会が「旅に出る」時代の滾り。学園が荒れ、橋本 治が「男東大、どこへ行く」と詠ったカオス。日本ではスチューデントパワーがアンシャンレジームに果たし状を叩き付け、ベトナムは日本が果たせなかった本土決戦を竹槍同然の武器で戦い遂にアメリカを敗走せしめた。混沌の中からベトナムは新たな肇国の夜明けを迎え、日本は溜息に紛れつつ黄昏れ前の日盛りに狂奔した。
 「みんな夢追う風になれ」は、潰えた夢をもう一度手挟めとのメッセージであったろうか。ともあれ、長遠な「諸行に溢れかえり常無き星霜」を一っ飛びした邂逅であった。彼とも、あの歌声とも。
 
 なにかの節目であろうか、時の流れが小休止したような半月であった。 □


京阪点描

2015年11月06日 | エッセー

 おとつい急な用で京都へ行った。折角だから秋の京都を観て帰ろうという話になった。先月読んだ浅田次郎著『わが心のジェニファー』の主人公ラリーはこう語る。

 ガイドブックのコラムによると、「京都」という町の名前はとてもミステリアスなんだそうだ。君は知っているかもしれないけど。
 「キョウ」も「ト」も、日本語では首都という意味だから、英語に直訳すれば「キャピタル・メトロポリス」という変てこな名称になるらしい。
 何だかSF映画に出てきそうな名前だ。さもなくば、「ザ・メトロポリス」というくらいの意味だろうか。しかしこれもまた、純粋な京都にはふさわしい気がする。
¶                          
 その“首都・首都”である。だが、夜には大阪に入らねばならない。すでに昼下がり、半日しかない。「純粋な京都」をとりあえず「定番」と置き換えて、まずは嵐山に向かった。
 タクシーで近づくと観光バスが並んでいる。ずっと寡黙だったドライバーに荊妻が「いっぱいバスがいますねー」と声を掛けると、暗くくぐもった声で「観光でっしゃろ」と鰾膠も無い返事。降りたとたんに「あれはないでしょ!」とこちらに噛み付く。確かに近ごろめずらしい愛想のなさだ。「あのな、彼は今家庭に重大な問題を抱えているんだ」となぜか弁護して、笑い流した。
 亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る」と愛でた渡月橋。京都のド定番だ。ところが、桂川の瀬音を遙かに上回る外国語の渦の音(ネ)。似てはいるがやはり違うアジア系。はっきり違う欧米系。中には中東系。もう人種も渦だ。これは外国で開催されるエクスポ何とかの日本村ではないか、それも大掛かりな。と、口走ってしまった。
 橋を渡るのは月ではなく、人の群。なんと車も行き交う。コンクリート製の二車線道路。両サイドに歩道付きだ。欄干だけは木製。か細き木橋を想像していたが、当てが外れた。たいがいの写真は川岸からの遠景。よく見れば判りはするが、そこが千年の古都。ブランドが先入主を生んで、とんだ勘違いをしていた。
 橋床部分が見えるように“証拠”写真を撮る。1枚、2枚。後で暗がりに移り確かめると、ギョッ! な、なんと、眼鏡をずらしスマホ画面を覗き込む頓馬なテメーの顔がドアップで写っているではないか。めったに写真は撮らない。ましてやスマホの写真は使わない。近ごろの機種は自撮りができるようにカメラを反転させる機能があることを知らなかった。外光の中ではディスプレーが見えない。余計に顔を寄せ、余計なところをタップしたらしい。ああ、邪な意図をもってする企ては碌な事にはならないという教訓か。
 ついでに近くにあるという竹林の小径へ。歩きづらい石畳をとことこと。なかなか行き着かない。痺れを切らした愚妻が地図を見ながらこちらに向かってくる男性に尋ねると、もう少し前方だと教えてくれた。さらに進んだところで、先ほどの人が追いかけてきた。失礼、失礼、反対でした。もう一度戻って3つほど行った角を右へ、と。御親切にありがたいことだ。しかし、やはり行き着かない。こういうのを小さな親切大きなお世話というんだ、とぼやくこと頻り。うんと戻って、漬け物屋さんの御姉さんに訊く。観光案内を交えて丁寧に案内してくれる。
「なんか買ってあげたら」
 と言うと、荊妻は首を激しく横に振る。なんと吝嗇な。すぐガラクタになるつまらないものは惜しげもなく買い込むくせに。
「今度来たら、一杯買うからね」
 と、ほとんど嘘に近い一言を残して竹林へ向かった。でも御姉さんは引き攣り気味の愛想笑いを返してくれた。まことに京女とは奥ゆかしい。
 竹林は写真の通り。ひんやりとした幽玄の小径が続く。ただ、人並みは依然として日本パビリオンの体(テイ)は免れぬが。おまけに車が入り込んでくる。一台分の幅員はあるものの、これは興醒めではないか。やはり小径のままがいい。
 暮れてきた。急いで次の定番へ。花見小路だ。

   〽ある朝目覚めたその場所は
    君と結ばれた花見小路
    憎たらしいほど惚れさせて
    いつか地獄の底で待ってる
    嘘ばかりつく女
    それを真に受けた男
 
 『イヤな事だらけの世の中で』、桑田佳祐が歌ったフレーズが浮かぶ。たしかにそのような場所ではあるが、朝ではなく夕間暮れ、憎たらしいほど惚れさせた男と嘘ばかりはつかぬ女。名曲とは逆のトラベラー。案に違わず、ここもエクスポ日本館であった。
 きのうは大阪。当地はワンポイントで、大坂城へ。
 大手門から入り桜門を潜ると正面の巨石が目に飛び込んでくる。「桜門枡形の巨石」、別けても城内最大の「蛸石」である。枡形とは方形の広場。出陣する兵が蝟集するところであり、進入した敵軍を羈束するところでもある。「蛸石」は高さ5.5メートル、幅11.7メートルで36畳敷。厚みの平均が1メートル、重量130トン。圧倒する威容である。
「豊臣秀吉の権力を見せつけるようだね」
 と連れ合いが言う。
 そこだ。それが問題だ。備前藩主池田忠雄が備前犬島からこの巨石を運んだのは1624年という。すでに豊臣が滅亡した後だ。
「実は、徳川の威光を見せつけるためではないか」
 と応じると、傍らにいた観光ボランティアガイドの媼(失礼ながら、おばさんではない)が話に割り込んできた。
 1615年、夏の陣で秀吉の大坂城は落ちた。徳川二代将軍秀忠によって再築されたのが1629年。64家の大名を動員し、旧大坂城の2倍の高さが命じられた。9年を費やし倍とはいかぬまでも約1.5倍の天守閣を有し、豊臣時代の本丸地盤を石垣もろともすっぽりと盛土を施し埋め込んで新たな石垣で包(クル)んでしまった。外観も豊臣時代の黒から白亜へと一新。ことごとく秀吉の遺したものを消し去った。苛烈な徳川の仕打ちであった。そのようにして経済、軍略上の要であると同時に徳川の権勢を高々と誇示する巨城が成ったのである。爾来390年に迫る。片や秀吉創建の大坂城はわずか30数年で潰えた。秀吉の個性ゆえか、大阪城とくれば、豊臣秀吉。なんとも先入主は怖い。
 などなど、ガイド媼と話が弾んだ。真田丸にまで話柄が至り、ふと気がついた。
「あのー、大変失礼ですが、今催されている『大坂の陣400年』はひょっとしたら落城400年、大坂敗戦400年ということになるのではないでしょうか」
 痛いというふうに媼は応じ、話は笑いに紛れて終わった。深々と辞儀をして先へ進んだ。言わでものことだったかもしれない。おそらく、城内で府知事選告示の報道中継に出くわしたのが引き金になったのだろう。懲りない面々の性懲りもない果たし合い。それにしても落ちたり敗れたりをもイベントのモチーフにする手法は、自虐ネタを十八番とする吉本芸人に通底しているといえなくもない。もちろん幾次元も高い『400年』記念なのだが。
 かくて、短いが割に濃い旅は終わった。以上、備忘のために点描した。 □ 


渓谷にて

2015年11月02日 | エッセー

 もみじ葉が朽ち葉となり幾重にも降り敷かれて、色も形も綯い交ぜになった絨毯の小径がつづいていた。厚みがあり、歩み込むとサクッと拉(シダ)かれる音がした。それでいて前夜の雨を吸っていて、どうにかすると滑る。谷川に沿った枯葉のペーブメントは奥へ、奥へとつづく。
 渓流は早川となり、左右の山膚はいよいよ切り立ってきた。遠慮がちに蹲っていた岩は大きさを増し群となり、主役を追われた流れは別たれ合して岩間を奔る。岩を叩き砕け落ちる水音が人語を抑え込むほどに猛々しくなってきた。おちこちの岩山に設えられた木道をおそるおそる進む。大小の瀑布が階(キザハシ)のように連なり、それぞれに滝壺を造っている。透き通った水が中程を過ぎると一気に暗い深緑(フカミドリ)となって水底を塞いでいる。
 息が上がるころ、荒削りな石床(イワトコ)が陸(ロク)に展(ノ)びる空間が行く手に豁(ヒラ)けた。頭上に秋空が拡がり、山際が見通せる。白髪三千丈を模したような名を持つこの渓谷がひとまず尽きるところだ。
 およそ十年ぶりに訪(オトナ)った。かつては鉄道で山間(ヤマアイ)に分け入り、バスに乗り継いで遠路を辿った。今は車で小一時間、雲泥の違いだ。

 そこは晩秋の只中にあった。かつて同級の女生徒が滝に身を投げたのは、確か秋のとば口であった。半世紀に近い過去だ。それがどの滝なのかは、知らない。聞いてもいない。なぜそうしたのかも、知らない。訊いてもいない。記憶は遙か遠景に退いているが、鮮烈な印象は埋み火のように蟠り、そして渓谷は今もそこにあった。

 ついこないだ同窓会があった。話題にはもちろん上りはしなかった。風化したか、迂回すべき話柄なのか。宴が跳ねた後、年相応にエイジングした同輩たちの間にもし彼女が混じっていたら、どんな面立ちで佇んでいただろうと揣摩が巡った。メタモルフォーゼし皺が被い微かな面影しか残してなくとも、久闊を叙し来し方の話に笑いさんざめく方がいいに決まっている。生き切る以上に高価な宝物はこの世にはないのだから。

 帰り道は難儀だった。夕にかかり日差しが傾(カシ)いで、一転冷気に包(クル)まれた。休み休み駐車場まで戻った時、ばかばかしいことを想起した。
「彼女はあれ以来帰路についていないのではないか。亡骸ではない。彼女自身が、だ」
 応えに窮したのち、
「だが、それもいいだろう。渓谷の風になって四季を誘(イザナ)い過客を愉しませてきたのなら、それもいい。それでもいい」

 そう自答して、渓谷を後にした。 □