伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

『ぼくの新しい歌』

2017年06月27日 | エッセー

 拓郎の新曲である。昨年9月、拙稿で「70歳のラブソング」と題して紹介した。今春リリースされた『LIVE 2016』DVD・Blu-ray版のボーナストラックとして収録されている。今、これにハマっている。
 不思議な吸引力に満ちた曲だ。作詞は康珍化。『全部だきしめて』もそうだが、憎いほど、悔しいほど巧い。姜 尚中氏と同様、在日二世の混濁が稀に見る純度で蒸留された澄明な美禄になったのであろうか。嗜む者を惹き、今の日本のありようとその心象を過たず掬う。
 ハマっている理由はどうも“リメンバー『結婚しようよ』”であるらしい。この曲については12年7月の愚稿「いまさら『結婚しようよ』」で、神戸女学院大学教授の難波江和英氏の「恋するJポップ──平成におけるディスクール」を徴しつつ管見を述べた。それを下敷きに“リメンバー”を探ってみたい。
 難波江氏は『結婚しようよ』を「牧歌的といえるほどのどかな歌である」と評した。『ぼくの新しい歌』も同等だ。メロディーはシンプルで確かに“牧歌的”だ。老いを迎える夫婦の日常をコロキアルな言葉で綴った“のどかな歌”でもある。しかし難波江氏は“牧歌”が背負う革新性を見逃さなかった。その革新性が拓郎世代の琴線を掻き毟り、見逃した連中は帰れコールを浴びせた。
 上掲稿の繰り返しになるが、以下の4点である。
1)家より本人、家(制度)からの独立、個人の意志(自立)
2)地元より町、都会志向
3)神式より教会式……西洋志向
4)親戚縁者より仲間…共同体から友だち、グループへの移行
 周知のことゆえ、歌詞とのレファランスは省く。あれから44年、4点とももはや抜き難い価値観、慣習となっている。革新はとうに古びた。家父長制は崩れ去ったし、東京への一極集中は已まない。グローバリゼーションは西も東も平準化したし、ITは仲間を驚異的に重層化した。そこに登場したのが『ぼくの新しい歌』である。以下、牽強付会──。
 「ぼく」はもちろん拓郎だが、ぼくたち「拓郎世代」でもある。「歌」を『結婚しようよ』だとすれば、そのリメークが「新しい」だ。
「きみが好きだって 内緒で書いたんだ」
 と語り、
「きみの新しいシャツが 好きなんだ」
 と続ける。それでいて、
「だけど その辺はうまく隠したから きみは聞いたって きっとわかんないさ」
「だけどそういうと 着なくなっちゃうから 興味ないフリして 横目で見てるんだ」
 とエクスキューズする。70のじいさんがなにを恥ずかしげもなくと、こちらが赤面するほどの惚気である。枯れてないといえなくもないが、これは『結婚しようよ』で5回もリフレインされた「結婚しようよ」のフレーズを耳にした時の気恥ずかしさと同質ではないだろうか。当時、あれほど明け透けにカジュアルなフレーズを求婚に使ったりはしなかった。
 香山リカ女史は「Jポップはあまりに等身大な世界を歌っているので、仮想現実の持つ凄みや浮遊感という点では今ひとつである。洋楽のサウンドから浮力を得ながら、言語のレベルで日常生活の重力に引っ張られて、現実性の大地に引き戻されている」とかつて語ったそうだが、それはあまりに短慮というものだ。少なくとも一流ミュージシャンは「等身大な世界を歌っている」ように見せて「仮想現実」に「浮遊」し、「言語のレベルで日常生活の重力」を削ぎ落とす術を心得ている。でなければ、演歌の衰退を尻目にJポップがこれほど重畳の歴史を刻むはずはない。一体、香山女史は中島みゆきの「浮遊感」をどう説明するというのだろう。
 ともあれ、『ぼくの新しい歌』の気恥ずかしさは『結婚しようよ』のそれと類似性が高い。相当高い。「言語のレベルで日常生活の重力」を振り切っているからだ。「そんなこといわないだろう」と、仲間内で頷き合う蓋然性が同等に極めて高い。確実に高い。
「きみが言うことは大体当たっている」
 とは認めつつも、
「だけど欠点もそれなりにぼくだし 反省したくせに懲りていないんだ」
 と空とぼける。
「きみは喧嘩するとなんでも投げつける だけどどうしてなんだろ一度も ぼくに当たったためしがないんだ」
 これは「日常生活の重力」を撓める老練な技だ。そして、極めつきが7回も繰り返される
「愛してるって なんてテレくさいんだ」
 である。
 もうお判りいただけるであろう。『ぼくの新しい歌』は『結婚しようよ』のアンサーソングである。44星霜を越えたアンサーであり、それはそのまま拓郎世代が担う(べき)老いらくの革新性を歌っているのだ。かつて『結婚しようよ』が牧歌に隠し持っていた革新性を愛でた世代が高齢化の波に対峙している。傍らには同類の連れ合いがいる。
 〈心まで老いちゃだめ。「愛してるって」そっと聞こえないように呟いてごらん。今だからこそ、そうするんだ。「結婚しようよ」のアンサーは「愛してる」。意外だろうけど、そうなんだ。だって、それが老いらくへのぼくたちの「日常生活の重力」を振り解くアンチテーゼだから。「結婚しようよ」が共感を呼んだように。〉
 とでもいうのではないか。
 「70でも80になってもラブソングを歌いたい。ラブソングを作り続けたい。ずっと言い続けてることなんだけど、ラブソングのない音楽なんて話になんない。ラブソングの側にいたいのは永遠のテーマです」と拓郎はインタビューに応えている。
 蛇足ながら、老化防止に本能に属する刺激が有効であるとか、ましてや老いらくの恋を勧めるものではない。
 話はこれで終わらない。
「なんてテレくさいんだ」
 も7回リフレインされる。ここだ。なんだかんだ言っても、拓郎さんは日の本のおのこなのだ。難波江氏は上掲書で、
「しかし他方、この歌(『結婚しようよ』・引用者註)の主人公も、根本から進歩派だったとはいえないだろう。たとえば地元より〈町〉、神式より〈教会〉がアカ抜けていると考えること自体、見方によれば非常にヤボったく思われる。そこには、新しいものに飛びつく日本人の田舎根性と保守性が透けて見える」
 と斬り込んでいる。しかし、それもまた浅見というべきではないか。「田舎根性と保守性」という俗っぽさこそが「仮想現実」への「浮遊」力になる。そういう力学を身に帯してこそ世に受け入れられる。それは、『寅さん』を想起すれば足りる。深山幽谷に住まう寅さんなぞ単なる戯画でしかない。
 日に何度もなんども聴くものだから、愚妻があらぬ勘違いを口にした。
「ん、そういうことなんだね」
 なにを血迷ったか、この不届き者。そこへ直れ、拙者が成敗してくれようぞ!! □


お笑いを編む

2017年06月22日 | エッセー

──1976年、東京生まれ。41歳。一橋大学非常勤講師もつとめる。早稲田大学第一文学部卒業後、早稲田大学大学院文学研究科日本語日本文化専攻博士後期課程修了。文学修士。著書に『ヘンな論文』、春日太一氏との共著書に『俺たちのBL論』がある。──
 これがプロフィールである。名前は判らない。
 実は上記のプロフィールから抜いた部分がある。それは、「サンキュータツオ。芸人。オフィス北野所属。お笑いコンビ「米粒写経」として活躍する一方、日本初の学者芸人。ラジオのレギュラー出演のほか、雑誌連載も多数。」である。
 先日、本屋でなんとなく目が合った。もちろん、本人ではない。
   「学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方」(角川文庫 昨年11月刊)
 帯にはこうある。
──『新明解』『角川必携』『岩波』など、この世にたくさん存在する国語辞典。いったい何がどう違い、どれを選べばいいの? その悩み、すべて解決します! 辞書200冊超をコレクションする、オタクで学者で芸人のサンキュータツオが、辞書の楽しみ方、選び方、つきあい方を徹底ガイド。編者や執筆者の熱い想いと深い哲学が詰まった、ユニークで愛すべき国語辞典たちの、知られざる個性と魅力をわかりやすく紹介。解説・三浦しをん──
 解説者が憎い。言葉の海原を渡る「舟」、つまりはあの『言海』を擬した辞書づくり物語「舟を編む」を著した直木賞作家だ。「舟を編む」で12年の本屋大賞を受けている。同じ早稲田の出身でほぼ同期。その彼女が、タツオさんの「境地には、私は到底至れない」と畏敬するほどの“学者”である。
 辞書以外に、文体論を使ったお笑いの分析が専門の分野である。YouTubeにいくつかある中でもマキタスポーツとの対談形式での講演が出色である。
 マキタスポーツについては12年4月の拙稿「マキタスポーツは売れ筋」で触れた。
 〈過去30年のJポップヒット曲から作詞・作曲技法を微細に分析し、「ヒット曲の法則」を導出した。作曲にもヒットする法則性があるそうだ。彼はそれをネタに芸人として活動をつづけてきた。「作詞作曲ものまね」と自称する。作詞作曲の方法を真似る。声帯、形態模写ではなく、アーティストの思想、作風の「文体」を模写する芸だという。〉
 マキタスポーツと強いアナロジーがありそうだが、こちらは単なるインテリではない。歴とした学者の知的バックボーンがある。それを敢えてお笑いに落とし込んで語るところが空恐ろしいといえなくもない。
 「漫才文体論」講座の中から、一部を紹介する。
 〈テキスト(漫才の遣り取り)がどう相関的に関わっているか? ナイツを例に採ると、彼らは辞書的情報をずらしてネタを作る。特にツッコミの土屋さんがおもしろい。塙さんはお客に向かってしゃべり、土屋さんはツッコミを入れる。塙さんに対して喋る。2人は会話はしていない。そこで、台本分析をしてそれっぽい漫才をつくるとどうなるか。仮に相撲をネタにした場合を実演すると……
塙 「ヤホーで検索したら、昔から人気のスポーツを見つけた。みなさん、相撲ってご存知ですか?」 
土屋「全員知ってるよ」
塙 「日本の国技であるサガミ(相模)は」
土屋「相撲(すもう)だろ」
塙 「最高位がヨコハマ(横浜)」
土屋「やっぱりさがみ(相模)の話かよ」
塙 「一番下が溝の口」
土屋「序の口ね、やっぱり神奈川県」
塙 「現在ヨコスカ(横須賀)は2人いて」
土屋「横綱ね」
塙 「で、『ハクほう』と『ハカナイほう』と言って、そこそこ上の階級をヤクウチ力士と言います」
土屋「それちょっとマズいだろ。幕内ね」
塙 「丸く縄で縁取られたメヒョウに」
土屋「土俵ね」
塙 「白い粉を撒いて、勝ち負けは星と呼ばれ、時々金銭で売買される」
土屋「それはないだろ」
塙 「メールにそう書いてあった」〉
 メールはかつての八百長事件を指しているのだろう。「ヤクウチ」はもしかしたらおクスリか。「辞書的情報をずらし」て塙は客席を向き、土屋は塙を向く。2人の対話はない。マキタスポーツでいう「声帯、形態模写ではなく、アーティストの思想、作風」の完コピである。オードリーはどうか。春日が客席に向かってしゃべり、若林がツッコむ。ナイツと似ているようだが、そのうち2人だけの世界へ入っていく。ここがおもしろいという。そのような論説が40分近く続く。聴き応え充分だ。
 さて、辞書である。同書は単なる蘊蓄本ではない。体系的かつ網羅的に論じている。しかし決して固くはない。イラスト入り、現代風“吹き替え”ありで極めて読みやすくしてある。
 はじめに近代国語辞典の嚆矢となった『言海』に触れている。「国語」という概念の創始。祖父が蘭学者、父が儒学者という国際感覚をもった大槻文彦の出自。それが僥倖となった辞書編纂。あいうえお順の採用と大御所福沢諭吉のクレーム。その他、辞典それぞれの個性。存外にシュールな語釈。例示されている『新明解国語辞典』(三省堂)には、
 〈【動物園】 鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。
【恋愛】 精神的な一体感、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態。〉(抄録)
 と、ある。「飼い殺し」「まれにかなえられて」、実に大胆だ。
 ともあれタツオくん、徒者ではない。有り余る学識に任せてお笑いを編む超凡の匠かもしれない。 □


「奇跡のレッスン」

2017年06月18日 | エッセー

──世界の最強コーチと子どもたち 
世界の一流指導者が子どもたちに1週間のレッスンを行い、技術だけでなく心の変化まで呼び起こす。──
 番組HPにはこのように記されている。Eテレで毎週金曜日夜10:00から10:50(BSは別時間帯)に放送されているシリーズだ。そろそろ1年になるか。これが実にすばらしいコンテンツである。
 過去の主だったものを拾ってみると、
◇世界の最強コーチと子どもたち~「柔道編」
◇アート編 「違いはみんなのために」
◇「“仲間”のために走ろう! 女子サッカー」
◇「“ぎりぎりセーフ”でポジティブになる! ゴルフ」
◇「最強コーチ」スペインの若き食の巨匠、アンドニ・ルイス・アドゥリスさんと子どもたち
◇「サッカー編 最強コーチ ミゲル・ロドリゴ 被災地へ」
◇「何かを成し遂げたければ自分でやるしかない!陸上100m」
◇「子どもたちのその後スペシャル テニス編&バレー編&合唱編」
 と、レンジは広い。他の種目では、車いすテニス/バスケットボール/フィギュアスケート/野球/ストリートダンス/ハンドボール/卓球/チアダンスなどなど。
 押し並べていえるのは、どのコーチも目線が低い。かつポジティヴだ。押しつけはせず、自分で考えさせる。弱点、失敗の指摘はほとんどしない。観た範囲ではまったくなかった。ともかく褒める。褒めまくる。長所、成功例に徹してフォーカスさせる。ゴルフのコーチ(タイガー・ウッズの元コーチ)は失敗や反省を一切捨てて、うまくいったことのみを日記に書き留めさせていた。
 「奇跡」とはいっても、駄目チームが技術の飛躍的進歩を成し遂げ遂に優勝を果たしたといったドラマではない。むしろ低かったモチベーションが急上昇する、後ろ向きががっちり前を向く、楽しくて仕方なくなる。わずか1週間で。つまり奇跡は子どもたちの心に起こる。そういう奇跡だ。
 対極にあるのが日本の鉄拳指導、体罰である。今月も、埼玉にある高校のサッカー部で暴力指導が発覚した。一言でいえば、腕力に頼るのは指導力がないからだ。山本五十六の言を借りるなら、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。 話し合い、耳を傾け、承認し、 任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、 信頼せねば、人は実らず。」である。「叩いてみて」などどこにもない。ただ、元帥はなぜこのような発言に及んだのか。背景には精神論を主軸にした軍隊教育への自戒があったのではないか。
 実は、軍隊での暴力的指導は西南戦争を機に始まったらしい。農民を兵士に仕立て上げ、急遽国民軍をつくらねばならない。相手は武の薩摩。戦闘とは無縁の農民たち。しかし、事は急を要する。そこで、登場したのが大和魂と体罰だった。急場凌ぎの促成栽培だ。さらに、大正末期からは学校で軍事教練が課され、今時暴力的な熱血指導は抜き難い伝統となっている。よって、暴力指導が繰り返されるのは如上の近代史に根因があるといえよう。
 再度の引用となるが、内田 樹氏が「スポーツ界の体罰」と題して13年2月に朝日新聞に寄稿した一文を徴したい。
 〈「速成」が要請されるのはいつでも同じ理由からである。「ゆっくり育てている時間がない」というのだ。自然な成長を待つ暇がない。「負けてもいいのか」という血走った一言がすべてを合理化する。私はひそかにこれを「待ったなし主義」と名づけている。スポーツにおける体罰を正当化する指導者たちもまた例外なく「待ったなし主義者」である。「次の選考会まで」、「次の五輪まで」という時間的リミットから逆算する思考習慣をもつ人にとって、つねに時間は絶対的に足りない。だから、アスリートの心身に長期的には致命的なダメージを与えかねない危険な「速成プログラム」が合理化される。
 体罰と暴力によって身体能力は一時的に向上する。これは経験的にはたしかなことである。恫喝をかければ、人間は死ぬ気になる。けれども、それは一生かかって大切に使い伸ばすべき身体資源を「先食い」することで得られたみかけの利得に過ぎない。「待つたなしだ」という脅し文句で、手をつけてはいけない資源を「先食い」する。気鬱なことだが、この風儀は今やスポーツ界だけでなく日本全体を覆っている。〉(抄録)
 「待ったなし主義」は「日本全体を覆っている」という。今日閉じる国会でも、この風儀が跋扈した。オリンピックのためのテロ対策は「待ったなし」、森友・加計隠しのために「待ったなし」と2つもだ。
 「次の五輪まで」というなら、五輪なぞ願い下げだ。共謀罪の成立は、“社会”に「長期的には致命的なダメージを与えかねない危険な『速成プログラム』」だからだ。「手をつけてはいけない」“社会”の「資源を『先食い』する」からだ。その資源とは戦後70余年掛けてつくりあげてきた風通しのよい自由だ。監視社会は確実に自らを殺す。
 疑惑隠しは、逃げ切りの「待ったなし」だ。おそらく明示的な「総理のご意向」はなかったであろう。手続き上の瑕疵もなかったであろう。しかし、疑惑を呼びかねない構図があったことは確かだ。ツッコミの隙を与えたことは事実だ。戦略特区という「瓜田」に「履を納れ」たことは抗いようのないファクトだ。首相官邸のHPには国家戦略特区は「総理・内閣主導」と太ゴシックで書かれている。そこに「腹心の友人」が絡めば、『痛くもない腹』を探られるのは当然だ。これは明らかに「瓜田に履を納れず」との『君子行』に悖る。そんな事の進め方自体が稚拙すぎる。
 民事も刑事も、裁判官は自らが当事者の代理人であったり自らの親族が係わる訴訟については外れることが各訴訟法で義務づけられている。当たり前といえば当たり前だ。行政だって同等ではないか。「腹心」というなら、余計に距離を置くべきだ。当該事案については余人をもって代えるくらいの慎重さが必要だった。「李下に冠を正さず」ならば、気張っちゃダメなのだ。それにしても、この程度の御仁がトップリーダーとはまことに「気鬱なこと」である。
 永田町の面々には是非とも「奇跡のレッスン」をご覧いただき、霞ヶ関のコーチングに活かしてほしい。いな、上に立つ者、人の親、万人必見だ。 □


ペンは剣よりも強し

2017年06月15日 | エッセー

 今月3日に封切られた映画「花戦さ」を観た。
 野村萬斎が上手すぎる。台詞回しも動きも、どうしても狂言、それの引き写し、もしくは現代版のそれを感取してしまう。それに、なにより話が狂言のようだ。かつて拙稿にこう記した。
 〈鍛え上げられた野太い声と隙のない所作、足拍子は絶妙な効果音だ。まさにどたばたの音だ。能と二つで悲喜劇の両面を担う。それにしても遙か古(イニシエ)の笑劇が、今なおなぜ笑いの波を起こすのだろう。それは人間の奥深いありように材を採っているからではないか。〉(13年7月「なぜ笑う?」)
 現代版はおかしみばかりではなく、涙もある。悲劇もある。しかし「人間の奥深いありよう」だけは的確に描いている。読み物でいえば、史実を基にした歴史小説ともいえる。
 映画COM.には次のように紹介されている。
──野村萬斎が、戦国時代に実在した池坊専好という京都の花僧に扮し、天下人である豊臣秀吉に専好が単身立ち向かう姿を描いたエンタテインメント時代劇。織田信長が本能寺で倒れ、天下人が豊臣秀吉へと引き継がれた16世紀後半。戦乱の時代は終わりを告げようとしていたが、秀吉による圧政は次第に人々を苦しめていた。そんな中、町衆の先頭に立った花僧の池坊専好は、花の美しさを武器に秀吉に戦いを挑んでいった。萬斎が池坊専好を演じるほか、豊臣秀吉役に市川猿之助、織田信長役に中井貴一、前田利家役に佐々木蔵之介、千利休役に佐藤浩市と、豪華な役者陣が顔を揃える。──
  秀吉役が猿之助とはなんとも憎い。狂言と歌舞伎のバトルともいえるし、狂言の鼻祖が猿楽であってみれば洒落めいてくる。それに、「猿」が筋書きの重要なファクターでもある。
 いけばなは古代において神の依代として発芽した。やがて仏前の供花として開花を迎え、さらに華道が結実する。だから「花僧」だ。舞台となる六角堂は聖徳太子の創建である。
 同時期に成立したのが茶道である。司馬遼太郎は今の生活の行儀、作法の原型は室町時代にできたという。乱世ではあったが生産力が飛躍的に上がり、文武の両面を経済的に押し上げた。それゆえ司馬は室町時代ほど輝ける時代はないといい、「われわれは室町時代の子孫」(講演集から)とも讃える。
 劇中では武の絶頂として秀吉が、文の爛熟として利休と専好が登場する。かつ、武と文が干戈を交える。「花戦さ」とはその謂だ。
 齋藤 孝氏は、利休の史的偉業は価値観の支配力を明示したことだという。今に至る日本人の美意識は利休の遺産だとし、
 〈戦国時代は力の強い者が支配する時代でした。武士の中でも強い者が土地を支配する。商人はお金の力で多少はそれに対抗できるかもしれませんが、それも一握りです。しかし、そうした武力や金というわかりやすいものとは別に、美意識を軸にして新たな価値で世の中に存在感を示すことができる。〉(祥伝社「型破りの発想力」から)
 と語る。自己肥大した武である秀吉に文を体現する利休は敢えなく潰える。そのリベンジが「花戦さ」だ。
 信長の居城、岐阜城の大座敷に盤踞する大砂物。その専好の作品を初見した時、利休は「けったい」と評する。大砂物とは、自然の景観と調和を表現する「砂の物」を幅広に極大化した形式である。豪壮なものだ。侘び寂び軽みとは対極にある。今様にいえば、シュールかプログレッシブとでもなろうか。もちろん専好はシチュエーションによって楚々たる「投げ入れ」(花瓶に投入したように自然に生ける)もする。いずれにせよ、対極の美に堺の人利休はコテコテの関西弁を発語した。脚本の妙であろう。互いは触発しつつ高みをめざす。
 秀作ではある。役者にも、演技にも文句はない。ドラマツルギーも上質である。ただ、映像が悪い。凡庸だ。ここぞという見せ場に迫力がない。つい黒澤映画の「夢」、その『桃畑』の艶やかな雛壇シーンを連想してしまうのだが、比するにまさに花を撮らんとするにいかにも貧相だ。世阿弥がいう「めづらしきが花なり」の花がない。意外性が、驚きがない。つまり、映像が「けったい」ではないのだ。現代池坊に、悲しいかな刻下の映像力が適わなかったのであろう。「花に負けた」というべきか。
 さて、「戦さ」である。勝敗はどう決したか。帰り道、ラジオが共謀罪の騒動を報じていた。頻りにあの箴言が浮かんだ。
「ペンは剣よりも強し」 □


私的読書法

2017年06月12日 | エッセー

 うどん屋の釜と一笑に付されるのは覚悟の上で、似ぬ京物語をしたい。
 かつて養老孟司氏が
「本屋さんとは、精神科の待合室みたいなものだ。大勢の人(著者たち)が訴えを抱えて並んでいる」(新潮社『養老訓』)
 と語っていた。となると、
「私はあくまでも読書は自分で考える材料にすぎないと考えています。つまり本は結論を書いているものではなく、自分で結論に辿り着くための道具です」(同上)
 ということになる。強い矜恃だ。竹葉に準えるなら、「読んでも読まれるな」であろうか。
 西欧、別けてもフランスともなると、独立自尊はいよいよ高々としてくる。08年に話題を呼んだピエール・バイヤール著『読んでいない本について堂々と語る方法』(筑摩書房)にいたっては凄まじい卓袱台返しだった。さすがはフランス論壇の雄とされる人だ。読書至上主義に創造の斧を手に縦横に斬り込んでいる。読書とは、完読とは、どういうことか。読むと読まないは表裏一体ではないのか。さらには「読んでいることがかえって障害となることもある」という。読書コンプレックスを打ち破り、読者の主体性を徹頭徹尾押し出していく。決してトンデモ本でも、ハウツーものでもない。きわめて深い文化論であり、啓発の書である。
 特に同書の次のパラグラフには釘付けになった。
 〈教養ある人間は、しかじかの本を読んでいなくても別にかまわない。彼はその本の内容はよく知らないかもしれないが、その位置関係は分かっているからである。つまり、その本が他の諸々の本にたいしてどのような関係にあるかは分かっているのである。ある本の内容とその位置関係というこの区別は肝要である。どんな本の話題にも難なく対応できる猛者がいるのは、この区別のおかげなのである。〉
 つまりは、マッピングに読書の本質があるとする。しかしそれには多くの書物に触れなくてはならない。通読は不要にしても多読は必要だ。
 そこで、稿者なりに括るとこうなる。
──読書は人づきあいと同じだ。袖振り合う全員と語り合うのは物理的に不可能だが、多種で多様な人物を知り、広い人脈をつくっておくことは一生の財産になる。とはいっても、信条も好き嫌いもある。好みだけを選ぶか、隔てなく付き合うか、それは自分次第だ。途中で嫌いになることもあろうし、存外に好もしくなる場合だってある。良縁、悪縁、それは運次第だ(それに人徳も)。
 たくさんの知り合いがいると人脈図が作れる。それぞれの、または自らの位置づけができる。これが世渡りに欠かせない。
 実際の選択には、帯が大事だ。とりわけ推奨する人物が誰か。「友だちの友だちはみな友だち」である。稿者なぞのチョイスはほとんどそれに依る。
 人生も長くやってくると、対面して数分話を聞けば対する人物の品定めはほぼできる。じっくり語り合うべきか、話半分にしておくか、相槌だけ打っておくか、名刺だけもらってお引き取り願うか、あるいは席を立つか。本も同じ。目次から読み始めて数ページで、拾い読みでいいか、流し読みにするか、ページだけ捲って済ませるか、床に叩き付けるか、破り捨てるか、焼却するか、あるいは精読、熟読すべきか、その見極めは付く。──
 そんな按配である。ここにきてふと、かつて拙稿(11年1月「線香花火」)で引いた小林秀雄のエピソードが甦る。今日出海の『わが友の生涯』から。
 〈ある夜、文壇の会合で小林君がスピーチをした。その中で流行作家、吉屋信子の小説を厳しく批評した。
「私はちよつと読んだだけだが、あれはダメです」
  その席の後の方に、まずいことに吉屋さんがいた。
「小林さん、何ですか、ずいぶん失礼じやないの。読みもしないで人の作品をよくもけなしたわね。よく読んでから批評しなさいよ」
  普通の男だつたら、あの吉屋さんにかみつかれたら、おしまいである。しかし小林君は負けなかった。
「吉屋さん、いいですか、患者の身体を全部診ないとわからないのはヤブ医者。名医は顔色みて、脈を見ればわかるんです。私はね、あなたの小説を二頁読んでるんですよ。そりや、わかりますよ」〉
 これは決して強がりでも、ましてや増長でもない。バイヤール氏は上掲書でこう語る。
 〈流し読みしかしていなくても、本について語ることはできる。しかも流し読みは、本をわがものとするもっとも効果的な方法かもしれないのだ。それは、ディテールに迷い込むことなしに、本がもっている内奥の本質と、知性を豊かにする可能性を尊重することだからである。〉
 流し読みどころか、小林はたったの「二頁」。待合室から招き入れた患者に、名医は2度聴診器を当てただけでたちどころに患部を見抜く。これぞ奥義だ。 □


退位特例法付帯決議

2017年06月10日 | エッセー

 グリコのおまけみたいな付帯決議は渋々なされたものの、検討課題は「女性宮家の創設等」とされ、「等」の字に丸め込まれてしまった。「女性天皇」の女(ジョ)の字もない。なぜ保守層は異様に嫌うのか。
 〈皇室典範 第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。〉
 との法違反を挙げるのはトートロジーでしかない。もっとドラスティックに問いたい。
 生物学的な血統を前景化するなら、女性天皇がむしろ望ましいのではないか。アマテラスを祖神とする以上、ミトコンドリア・イブこそなによりのエビデンスであるからだ。だが、「男系の男子」という抜き難いこの執着は社会学的事由に因る。
 変な言い方だが、女性天皇自体は問題ない。推古天皇をはじめとしてかつて8人いた(重祚を入れると10代)。しかしすべて男系皇族の女性であり中継ぎであった。在位中に配偶者はいなかった。皇位は男系男子に継承されている。問題が惹起するのは、皇族以外の配偶者がいる場合だ(男系ピンチヒッターの継体天皇は皇族であったとされる)。その子(男性)が後継すると女系天皇となる。万世一系の「一系」が男系を前提としている以上、これが崩れる。これがボトルネックだ。
 理解のために極端な仮定をする。女性天皇が英王室の王子と結婚すると、どうなるか。その子が男系「一系」でなくなるのはもとよりだが、それと同時に天皇家とウィンザー朝が合一され新しい王朝(あるいは天皇家)が生まれることになる。ヨーロッパではよくある事例だが、天皇家は実態的に消える。国内でも事情は同じだ。仮に島津家嫡男とでは、「島津・天皇」家となる。手っ取り早くいえば保守層が最後の砦とし、まさにその「象徴」とする天皇家という家制度(家父長制)が瓦解する。それは彼らの死活的痛点を直撃する。郷愁の戦前的価値体系の具象が喪失される。だから忌避するのだ。家父長制による家制度こそ彼らの核心的イシューなのだ。
 家父長制をベースにした家制度は江戸時代の武士階級によって発達した(庶民は埒外だった)。明治政府はこれを法制化して、天皇家という擬制の総本家による全国の統治を構築した。「郷愁」の実態とはそういうことだ。ただ、無下に却けるばかりが能ではない。
 内田 樹氏は、こう語る。
 〈昔の「家」中心の家族は、愛情なんてあってもなくても、とにかく共同体を形成していることが一人一人が生き延びるために必要だったわけです。愛情ではなく、社会契約の上に立脚していたのです。(戦後に・引用者註)家父長的な家族システムを封建遺制として葬り去ってしまったわけですが、それを断罪するときに、それがどういうプラスの社会的機能を担っていたのかについてもほんとうは冷静に吟味すべきだったと思います。もし、今の家族制度のままであの時代(戦時・引用者註)のような危機的状況に際会した場合、果たして核家族は効果的な相互扶助組織として機能するでしょうか。ぼくは懐疑的です。〉(「疲れすぎて眠れぬ夜のために」から)
 こういう洞見の上でなら、家父長的家制度への固執も頷ける。核家族の対概念としての家制度である。刻下の社会が抱える諸問題の基底的要因として家族のあり方が問われる(さらに核家族の果てに朝日新聞の造語である「孤族」化も)、そのコンテクストでなら家制度への指向は肯んじうる。あくまでも、「郷愁」としてのそれではない。
 ではレンジを広げたい。すると、人類はなぜ家父長制を選択してきたのかという疑問にぶつかる。そう、地上至るところで、かついつも人類は例外なくこのシステムを採用してきたからだ。
 今年1月に取り上げた『サピエンス全史』でユヴァル・ノア・ハラリは「生物学的作用は可能にし、文化は禁じる」という経験則を挙げ、「人々に一部の可能性を実現させることを強い、別の可能性を禁じるのは文化だ」と述べている。その好個の例として「家父長制」に言及し、
 〈何か普遍的な生物学的理由があって、そのせいでほぼすべての文化で男らしさのほうが女らしさよりも重んじられた可能性のほうがはるかに高い。その理由が何なのかは、私たちにはわからない。説は山ほどあるが、なるほどと思わせるようなものは一つもない。〉(上掲書より)
 と、「普遍的な生物学的理由」を棚上げにしている。だから、「文化は禁じる」なのだ。続いて、過去1世紀の間にジェンダーは劇的にフリー化していると述べ、
 〈今日明確に実証されているように、家父長制が生物学的事実ではなく根拠のない神話に基づいているのなら、この制度の普遍性と永続性を、いったいどうやって説明したらいいのだろうか?〉(同上)
 と、「根拠のない神話」に溜息交じりの疑問符を突き付けている。歴史学の泰斗が鳥瞰する図はまことに大きい。比するに、本邦は危機対応の上からも「家父長的な家族システム」に再考が求められる段階にある。停滞と観るか、退歩と捉えるか。なんとも悩ましい。 □


「これでいいのだ」

2017年06月06日 | エッセー

 「これでいいのだ」、読み進むうちしきりにこの名台詞が浮かんできた。天才バカボンのパパをトリックスターの祖型だという人もいる。いわゆる賑やかしである。正気と狂気の混在。世の成り立ちを圧倒的な支離滅裂が切り裂いていく。常識が卓袱台返しにされ、ウソっぽさが晒される。散々賑やかしておいて、決まり文句が「これでいいのだ」である。実に深い! かつ懐かしい。
 「勉強の哲学 来たるべきバカのために」 文藝春秋社 本年4月刊
 著者は新鋭の哲学者 千葉雅也氏である。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、現在立命館大学准教授。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッションなどの批評を連関させる哲学/表象文化論を専攻する。
 帯にはこうある。
──人生の根底に革命を起こす「深い」勉強、その原理と実践
   勉強とは、これまでの自分を失って、変身することである。
   だが人はおそらく、変身を恐れるから勉強を恐れている。
   東大・京大でいま1番読まれている本!
   勉強とは変身である
   ・勉強と言語──言語偏重の人になる
   ・アイロニー、ユーモア、ナンセンス
   ・決断ではなく中断
   ・勉強を有限化する技術
 勉強を深めることで、これまでのノリでできた「バカなこと」が、いったんできなくなります。「昔はバカやったよなー」というふうに、昔のノリが失われる。しかし、その先には「来たるべきバカ」に変身する可能性が開けているのです。この本は、そこへの道のりをガイドするものです。──
 「哲学」とはいうものの、らしくない言葉が頻出する。別けてもツッコミ(=アイロニー)とボケ(=ユーモア)がキーワードだ(お笑いのそれ)。勉強はツッコミに始まる。かのソクラテスもツッコミを駆使したというから驚きだ。何事につけツッコミを入れる(=アイロニカルに問う)ことから「深い」勉強が駆動する。だが、ツッコミが極まればナンセンスに至る。「根拠を疑う」(=ツッコミ・アイロニー)果てに、遂には自らの足場を掘り崩してしまうからだ。よろしきところでボケに切り替える。しかし、ボケも極まればナンセンスに至る。「見方を変えること」(=ボケ・ユーモア)は行き着くところ何でもありのナンセンスに陥るからだ。だから漫才は「もう、ええわ」や「いいかげんにしろ」で中断する(この漫才のカットオフは稿者の勝手な譬え)。中断であって「決断」ではない。氏は決断主義を固く戒めている。「決断ではなく中断」とあるのはそういう事情を指している。
 「勉強と言語──言語偏重の人になる」とは、フランス現代思想をベースに言語論を語る(あるいは、言語論をネタにフランス現代思想を語る)ツカミである。導入ではあっても、圧巻だ。
 前後するが、「勉強とは変身である」はかなりインパクトがある。同書ではこういう。
 〈【勉強とは、自己破壊である】 では、何のために勉強をするのか? 何のために、自己破壊としての勉強などという恐ろしげなことをするのか? それは、「自由になる」ためです。どういう自由か? これまでの「ノリ」から自由になるのです。〉
 「ノリ」もよく出る。環境や既知、それに囲まれてある自己の謂であろう。ノリからの自由、および新たなるノリへ。ここに勉強の目的がある。なにを大仰なという向きには、「学ぶ」をドラスティックに捉えた孔子の言「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」を想起願いたい。養老孟司氏は次のように訓(オシ)える。
 〈この言葉の背景には、自分ががらっと変わると、過去の自分は死んでしまうんだという認識があるんですね。たとえば僕はそれを学生に説明するときに、癌の告知を例に挙げて言うんだけど、「あなたは癌です。半年も持ちません」って言われたとき、やっぱり愕然とするでしょう。そのとたん、今そこに咲いている桜が違って見えるでしょう。「来年はもうこの桜は見られない」と……。で、桜が違って見えたときに、じゃあ自分は去年まで桜をどういう気持ちで見ていたかと考えても、自分が変わってしまっているから思い出せないんですよ、本当には。ということは、過去の自分はもうすでに死んでいるわけです。生まれ変わって新しい自分になってしまうというかね。学問をするということは、それを絶えず繰り返していくことなんです。〉(扶桑社「記憶がウソをつく!」から)
 まことに勉強とは「恐ろしげなこと」である。「自己破壊」はキツい物言いだが、「死すとも可なり」よりはソフトといえなくもない。
 「勉強を有限化する技術」は一転、実用的だ。「来たるべきバカ」に変身するため、「もう、ええわ」をスキル化する。加えて、「書く」技術も提示。これはかなりユースフルだ。
 「東大・京大でいま1番読まれている」とはいえ、学生ばかりが対象ではない。繰り返しになるが、勉強を哲学しつつフランス現代思想をも望見する仕掛けになっている。まさか「夕べ」ではなくとも、逢魔が時に接近しつつあるおじさん・おばさんにも「読まれて」不思議ではない好著である。
 併せて、千葉氏のこの著作には大いにエンカレッジされた。なぜなら前稿のツッコミをはじめ、先般の「奇想・珍説 目録」に挙げたすべての拙稿はことごとくツッコミとボケだらけだからだ。それゆえ、バカボンのパパよろしく「これでいいのだ」と大いに意を強くしたところである。ツッコミは十八番の「珍説」、「奇想」は宿痾ともいうべきボケか。いわば『伽草子』はわが勉強ノートともいえる。ただし、お立ち寄りの皆さまからは「もう、ええわ」の連打ではあるが。 □