伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

学徒出陣??

2008年03月27日 | エッセー
 春の甲子園がたけなわだ。今回で80回。昨年の春には特待生問題があり、とんだ蹉跌をきたした。だが年の末に新しい基準が決まり、来年から試行される。曲折は続くだろうが、それにもまして一途に白球を追う外連味のなさは捨てがたい。ただ一点を除いて……。

 あれは、わたしにとって「いただけない絵面(エヅラ)」である。見るだにぞっとする。春も夏も同じなのだが、つまりはあの入場行進である。どうしても「学徒出陣」を連想してしまう。「ガクト」と聞けば、大河ドラマ『風林火山』で上杉謙信を演じた『Gackt』の出陣シーンのことかと勘違いする向きもあるかもしれぬ。だが、そうではない。もはや死語であろう『学徒』である。
 高々と手を振り腿を上げて、前後左右一糸乱れぬ行進。東条英機が指揮台に立ち、檄を飛ばす。昭和18年10月21日、東京・明治神宮外苑競技場で行われた第1回学徒出陣壮行会。その記録映画の一齣一齣が重なるのである。
 大戦末期、兵力不足を補うためついに学生が徴兵される。軍事政権が禁じ手に触手を伸ばした際(キワ)であった。戦局は雪崩を打つように傾(カシ)いでいく。陰鬱な歴史である。「奇想、天外より来たる」に類するかもしれぬが、どうにもそれが浮かんでくるのだ。
 もちろん、原体験はない。「団塊の世代」といっても、それほど古くはない。しかしほぼ背中合わせの出来事である。そのおぞましい記憶がどこかに残留しているのであろうか。先達からのなにごとかの継承なのであろうか。あるいは個人的な性癖に属することなのであろうか。杯中蛇影の一種か。ともかくも、「いただけない絵面」なのだ。
 
 勝利チームの校旗掲揚の際のアナウンスは相当に変わった。「○○校の栄誉を称え、校歌斉唱裏に校旗の掲揚を行います」などという堅苦しい調子ではなく、「校歌を斉唱して、校旗の掲揚を行います」といったふうに。選手宣誓も随分とくだけた言い回しになっている。なのに、行進だけは相変わらずだ。せめてオリンピック並のスタイルではいけないものか。主催者には毎日、朝日という大新聞が名を連ねている。世の木鐸があの大時代な軍隊式の行進を見てなにも感じないのであろうか。異を唱えないのであろうか。あるいは、とうに過ぎた論議なのであろうか。杳として知れぬ。戦後の民主主義教育という大海原に、ぽつねんと残された青錆びた機雷のようでもある。
 ところがである。近ごろ件(クダン)の行進に変化が見られる。きっちりと観察・分析をしたわけではない。瞥見した印象である。 ―― ぎこちないのだ。様になっていない。野球の格段の進歩に引き比べ、てんで下手なのだ。かつ、不揃いである。中には掛け声で合わせようとするチームもあるが、一糸乱れぬとはいかない。新兵でももっとましな行進をしたはずだ。これはどうしたことか。
 思案してみるに、教育現場であのような身動き、行進スタイルがなくなってきたからではないか。右利きが急に左で字を書くようなものだ。いかに運動神経に優れる野球選手でも、慣れないことは俄仕込みではうまくいかない。
 と、ここまで按じたところで気がついた。 ―― あのぎこちなさは平和の象徴ではないか。「陰鬱な歴史」が遠ざかっていく程に、ぎこちなさは度を増すのではないか。だとすれば、まんざら捨てたものではない。まさかそこまで慮(オモンポカ)って大新聞は打棄(ウッチャ)っておいたのではあるまいが、瓢箪から駒だ。いただけないことながら認めざるを得ない本当の事柄を「不都合な真実」と呼ぶならば、あの行進もそうといえなくもない。
 都合の悪いことを隠すのが「不都合な真実」ではない。アル・ゴア氏のその映画では南極の温暖化がセンセーショナルに持ち出される。しかし南極大陸の98パーセントがここ三十数年にわたって寒冷化していることは伏せられたままだ。これは一例。自らの主張に「不都合な真実」にはいくつも蓋をして作られたのがあの映画だ。まことに皮肉な題名というほかない。 ―― と、これは前稿の余勢を駆った道寄りである。

 桜とともに甲子園が沸く。80回の歴史には戦乱に散った球児たちの無念が刻まれているにちがいない。スポーツは平和の華であってこそ美しい。桜木もまたそうであるように。□


☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆

ダマされる前に、ぜひお読みください

2008年03月24日 | エッセー
 今月15日に出たばかり、ほっかほっかの新刊である。養老孟司氏の共著ということで、つい手に取ってしまった。
 「ほんとうの環境問題」 池田清彦(早稲田大学国際教養学部教授)・養老孟司(東京大学名誉教授)共著 新潮社刊である。
 
 仰(ノッ)けから池田氏が吼える。
 ~~~2007年の暮れにインドネシアのバリ島でCOP13(国連気候変動枠組条約の第13回締約国会議)が開かれた。会議の中身はともかくとして、会議場はクーラーがよく効いていて、外にはこれまたクーラーをつけっぱなしの車を待たせていた参加者も多かったらしい。CO2の放出による地球温暖化が、人類の存続を脅かすほどの大問題ならば、クーラーなど使わずに、短パンにTシャツ、ゴム草履で会議をやればいいのにと思う。ノーベル賞を取ったアル.ゴアの自宅も豪邸で、光熱費だけでも月に何十万円もかかるという。なぜこういうことになるかというと、この人たちは誰ひとりとして、地球温暖化が脅威だなどとは本心では思ってないからである。だから自分たちはエネルギーを使いたいだけ使う。それでゴアも日本の環境省も、一般庶民に対しては、CO2削減に協力しろなどとふざけたことを言う。~~~
 50~60年代には「大気汚染」「公害」が問題になった。「自然保護」も喧伝された。ついで「ゴミ処理」が取り上げられ、オゾンホールの主因として「フロンガス」が槍玉に挙がった。オゾンホールは太陽活動に関係することが判明し、いまでは話題にもならない。
 つまり、
 ~~~環境問題にはある種の「流行」のようなものがある。その時どきの、いちばん“ウケる”話題が一気に出てきて、それだけが最大で唯一の環境問題になってしまう。逆に言えば、あとのことは別にたいした問題ではないというような感じにさえなりがちである。~~~
 というわけだ。そこで今は「温暖化」である。わけてもCO2だ。以下、池田氏の主張を何点か列挙してみる。
◆IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、地球温暖化の要因のうち、太陽の影響はたった7パーセントで、93パーセントは人為的なものだとしている。そのうちの53パーセントがCO2の影響だという。果たして正しいのだろうか。
◆日本が京都議定書を守ったところで、全体でせいぜい2パーセント程度しか炭酸ガスの排出量は減らない。焼け石に水にもかかわらず、日本は京都議定書を守るために年間1兆円もの金を注ぎ込んでいる。
◆地球温暖化でいろんな生物種が絶滅するという。だが、地球の歴史を見れば、温暖化している時には大型生物の大量絶滅は起きていない。大量絶滅が起こる時というのは、いずれも、地球が寒冷化した時である。だから、ほんとうは、地球は寒冷化するぐらいなら温暖化したほうがいいはずである。
◆現在の自然の生産性は、白亜紀に比べればそれほど高くはないので、恐竜のような大きな生物を養えるほどには、植物の光合成量も多くはない。逆に言えば、現在のような勢いで炭酸ガスが増えていき、もし仮に三倍ぐらいになれば、それはそれで植物が繁茂して、地球全体で養える生物の量が増えるという意味での生産性は上がるかもしれない。
◆地球が破滅というのは、大隕石の衝突などのすごい天変地異によってである。人為的な温暖化ぐらいでは地球の破滅は起こらない。
◆人間が何をしようがするまいが、放っておいても地球の気温や気候というのは変動する。そして、気候の変動の要因が何かというのは、実はあまりよくわかっていない。どこまでが人為的な要因かなんてことは簡単には特定できない。
◆人間は、自分が現在享受できている状態をベストと考えて保守的になるから、炭酸ガス増加による変化を都合が悪いと考えてしまうだけの話である。維持しようとしている現状も、100年前や200年前と比べれば全然違うのだ、ということには思いが至らない。
◆IPCCの予測の妥当な線では、今世紀中に2.8℃の温度上昇があるとされている。たとえば、東京と札幌の平均気温の差は7℃ほどもある。そう考えれば、2.8℃の上昇というのはさほど大きな変動ではない。海面上昇も、これから100年間で35センチというのが妥当なところである。もともと日本では冬と夏とで、海水面の高さの差は40センチもあるのだ。
◆地球温暖化によって我々がどれだけのダメージを被るのかということも、実はよくわかっていない。
◆実際問題として、石油があと40年後ぐらいでなくなるのなら、100年後の温度なんか計算したってしょうがないのである。そういう、実際には無意味な計算によって100年後の予測を出して、それでただいたずらにみんなの危機感を煽っている。そして国民の危機感に乗じて環境税を導入するなどと言っているのは、恐喝か詐欺のような話だ。
◆京都議定書を守れば空気中の炭酸ガスが減ると思っている人がいる。それはもちろん間違いである。炭酸ガスは毎年265億トンずつ排出されていくわけで、京都議定書を守ろうが守るまいが、炭酸ガスの総量は増え続ける。石油、石炭、天然ガス等の使用をストップしない限りは、炭酸ガスの総量は減らないし、もちろん、現状維持さえもできない。そんなこともわかっていない人が、なんとなくムードに乗じて「炭酸ガスを減らしましょう」などと言っている。
◆日本の場合は、京都議定書をつくったときに、かなりのレベルで環境優等生だった。日本は、エネルギー利用の効率が良い車をつくり、排ガス量を抑える装置をつくり、性能の良い脱硫装置をつくりと、「環境にやさしい」ことにすでに取り組んでいた。にもかかわらず、今後6パーセントも減らすという条件を飲んでしまった。日本は減らすことが不可能なCO2を減らすということを約束したのが、京都議定書であったのだ。いまのままだと他国から2兆円もの金で排出権を買わなければならないらしい。これは電気代などの上昇をもたらし、物価は確実に上がるだろう。庶民の生活はどんどん苦しくなる。これは、いわば、国を売っているような行為ではないのか
◆結局、自分たちがくだらない約束をしたツケを国民に押しつけて、一種の精神運動をやっている。「欲しがりません、勝つまでは」などと言って釜とか寺の鐘とかを溶かして鉄に戻していたのとよく似ている。国民精神総動員運動の再来だ。地球温暖化問題に関しては、マスコミも一緒になってキャンペーンをするものだから、多くの人が完全に洗脳されている。CO2削減に協力しない奴は非国民だってわだ。

 さらに以下、養老氏の指摘をいくつか。
◆実は環境問題とはアメリカの問題なのです。つまりアメリカ文明の問題です。簡単に言えばアメリカ文明とは石油文明です。古代文明は木材文明で、産業革命時のイギリスは石炭文明ですね。そしてその後にアメリカが石油文明として登場する。
◆京都議定書の後で、環境省が年間約1兆円の予算を組んだ。世界の科学者の8割はこう言っている、と環境省は言うわけだけれど、1兆円を使うならば、まず大きなコンピュータを使って本気でシミュレーションをやり、データを取るのが先です。石油に関しては、当然ながら、埋蔵量以上は使えない。だから地球にある石油を全部燃やしてしまったらどうなるのかを計算してみればいい。石油埋蔵量はだいたい分かっているわけだから、そこから始めるべきです。シミュレーションや議論といった基礎的な部分に時間をかけるべきです。それで決まったことなら納得がいくでしょう。いまは納得がいかないですよ。
◆炭酸ガスの問題にしても、日本人がどれくらい排出していて、世界の総量の中でどれくらいの比重を占めているのかということを自分たちで把握しなければいけない。たしか5パーセント未満だったと思いますから、すべて削除したとしても大して変わりはない。だから電気をこまめに切れとか、アイドリングをやめろとか、どうでもいい話なんですよ。そういう態度のいちばんよくないところは、それが外国に対する道徳的圧力になると考えられているところです。しかしそんなはずはない。誰もそんなことは気にしませんよ。世界に対していい恰好をしようとしても意味はない。「欲しがりません、勝つまでは」が美談として成立するようなことは、いいかげんやめてほしいですね。
◆信用に足らないデータにもとついてその対策に金を使うぐらいなら、氷が溶けて困るというところに対して具体的な援助をすればいいんです。そのほうがよほど安くつく。

 大上段の構えから日常のディテールへ。刷り込まれた「常識」が覆される視点、論点。飽きさせることなくグイグイ引っぱる。目次の一部は ――
ペットボトルのリサイクルはムダ/リサイクルに向くものと、向かないもの/自治体指定のゴミ袋はエコロジカルではない/ゴミがないと困るハイテクのゴミ焼却炉/人口が増加に転じた要因/エネルギーと食物の関係性/持続可能なエネルギーはない/石炭と石油が自然環境を救った/本来、最もエネルギー効率が良いのは水力発電だが/なぜアメリカがバイオ燃料に力を注ぐのか/貧民から食料を奪うことにつながるバイオ燃料/風力発電やエコカーはペイするかが問題/太陽光発電の問題点と優位性/憲法でエネルギーは買えない/食料自給率は上がるか/フード・マイレージと農業振興/少子化対策に金をばらまくのは錯誤 ―― と続く。

 一昨年あたりか、光文社新書の「99.9%は仮説」が話題になったことがある。飛行機の飛ぶ原理にしたところが仮説の域を出ないのだそうだ。なにはともあれ、マスコミの掌で踊らされる愚だけは避けたい。マスメディアが作りだす「常識」「世の大勢」の類はせいぜい斜に構え、疑ってかかるに如(シ)くはない。
 結びに、池田氏の決めゼリフを。
 ~~~環境問題とはつまるところ、エネルギーと食料の問題である。現在の日本の食料自給率は39パーセント。エネルギー自給率は4パーセントである。食料についてはいざとなったら、全国のゴルフ場をイモ畑にすれば、なんとかしのげるかもしれないが、エネルギーの自給率が4パーセントではさすがにどうにもならない。未来のエネルギーを確保するためにどういう戦略が必要なのかこそが、日本の命運を左右する大問題なのだ。地球温暖化などという些末な問題にかまけているヒマはない。~~~
 いかに「些末な問題」なのか。ぜひ、御一読を。□


☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆

巧い!!

2008年03月20日 | エッセー
 予感や予想がことごとく外れ格段にちがう感動に浸る時、それは微量の媚薬が混じったカタルシスともいえる。
 浅田次郎著「壬生義士伝」がそうであった。
 新選組ものは随分読んできた。だから、誰を主人公に据えるにせよ、あるいはどの事件をメインテーマに設(シツラ)えるにせよ、おおよその察しはつく。パターンが先入主として組み込まれている。だが、これはちがった。まったく想像の外であった。
 はじめの二話ぐらいまで読み進んだ時、「やられた!」と唸った。つづいて「巧い!」と快哉を叫んだ。件(クダン)の先入主は脆くも崩れた。物語の紡ぎ方がまるで尋常ではない。本末が転倒しているといえなくもないプロットなのだ。しかも五、六人の語り部が時間軸を巧みにずらしながら物語をすすめる。維新から五十年、大正から往時の記憶を辿る。かつ、見せ場ではタイムスリップしてリアルタイムに描かれる。そのズレが妙技といっていいほどに読者を酔わせる。やはりこの作家、只者ではない。「お主、できるな」どころではない。並外れた膂力だ。
 映画も観た。中井貴一は小説のイメージに適ってもいたし、好演だった。しかし平板に過ぎた。物語の厚みがまるでない。シナリオに工夫がないか、映画の限界か。あの重厚感はやはり小説にして初めてなし得るものかもしれない。

 「義士」とは、壬生「狼(ロ)」の対語、アンチテーゼであろう。しかも主人公・吉村貫一郎に即して「義」とは主君への忠義ではなく、家族を飢えさせないという極めて人間的な色彩で語られる。脱藩という不義を超えるより大きな義として位置づけられる。この辺りの色合いは作者の真骨頂だ。しかし当時の武士として、これはあきらかに珍稀に属す。この珍稀さは作者の創造に帰すべきところだが、奇しくも同類がいた。実在の人物、相馬大作である。
 文政四年(1821年)、盛岡藩士相馬大作が弘前藩主を狙撃しようとした暗殺未遂事件である。元を糺せば、津軽・弘前藩は南部・盛岡藩から略取したものである。津軽の祖は南部の子飼いであった。弘前藩の成立は南部衆がいわば嵌められるかたちでなされた。怨念といえばそうにちがいないが、二百年も前のことである。相馬三十過ぎの時、無位無冠の盛岡藩主に対して弘前藩主は叙任される。その不満がすでに歴史になっていた怨念に火を付けた。それが「相馬大作事件」である。吉田松陰は歌にまで詠んで賞讃している。
 司馬遼太郎はかつてこの事件について次のように述べた。

 この事件で驚歎すべきことは時代が江戸期の四海波風もたたぬ天下泰平のころだったということが第一である。第二に、南部氏から津軽氏が独立したのは豊臣期で、大作の事件から二百年も前の昔ばなしだったということである。さらに第三として、津軽氏の藩主は代々温厚で聡明な人物が多く、具体的に南部氏に意地悪したとか、南部氏の利益を害するといったふうの加害行為をしたことがなかったということである.第四に考えねばならぬことは、相馬大作が狂人でも愚人でもなく、当時江戸の軍事学者として名声の高かった平山小竜の門下で、その門下でも四天王のひとりにかぞえられていたという事情から推して没知性の人でもなかったろうということである。となれば相馬大作の憎悪というのは、ありうべからざるほどに抽象度の高い憎悪であったにちがいない。(「街道をゆく」3から)

 「ありうべからざるほどに抽象度の高い憎悪」これがキーワードか。朱子学という観念性の強い思想が江戸期三百年に亘って武士層に培養され、とくに南部という過酷な自然条件の中で凝結した、と考えられなくもない。南部では飢饉の折、食人さえもなされたほどに環境は苛烈さを極めた。勢い、思弁は先鋭化し抽象度はいや増す。珍稀の生まれる所以である。安藤昌益の珍稀もこれに来由すると考えねば収まりがわるい。だから南部衆の精神風土を前提とするなら、南部藩士・吉村貫一郎を「ありうべからざるほどに抽象度の高い憎悪」をもった義士として描くのは十分に理のあるところだ。憎悪は愛惜と表裏をなす。愛憎併せ持つ情念と置き換えてもいい。守銭奴と罵詈されようとも、妻子を養うことを義といって憚らない愛惜。一転して、徳川の殿(シンガリ)と呼ばわりつつ単騎で敵陣と斬り結ぶ修羅闘諍の姿。それはもっとも打算から遠い「抽象度の高い」情念の激発ではなかろうか。
 
 以前にも触れたが、繰り返す。浅田作品の歴史ものはいつも滅びる側を描く。「蒼穹の昴」・「中原の虹」は最右翼だ。「歴史もの」という呼び方をあえてするのは「歴史小説」なる模糊たる表現を避けるためだ。時代小説と言い換えてもいい。歴史に材を採った小説、というほどの意味である。したがって当然、小説に軸足はある。「中原の虹」の読後感で語った通り、歴史解釈に対する『冒険』が始まる。かつ、滅びる側を描いてもデカダンではない。滅びの美学でもない。美学を易易として超える人間臭さが充満する。前述した「人間的な色彩」である。ここがこの作家の魅力であり、膂力の源ではないか。

 「壬生義士伝」には、ある仕掛けが施されている。 ―― 吉村貫一郎と大野次郎右衛門との友情、さらにその子息同士のそれが全編を織りなす縦糸である。実はここに秘密がある。有り体にいえば、トリックが隠されている。
 「友情」とは舶来の概念である。明治期に本邦で創られた言葉だ。友はあっても、情が結ばれ、ましてや忠義と拮抗する徳目として存在し得たであろうか。吉村は友情に縋(スガ)り、大野は忠との迫間で呻吟する。いや、だから小説なのだともいえる。たしかにこの縦糸を抜けば、艶(アデ)のない無粋な織物しかできなかったであろう。この附会も作家の膂力の一端か。
 
 さらに「歴史もの」である一面を挙げれば、この作品には歴史が語られていない。書割としての歴史はあっても、歴史そのものが登場することはない。
 幕末の日本には身を焦がすほどの危機意識があった。清国と同じように欧米列強に侵略されるのではないかという居ても立ってもいられない焦燥感に覆われていた。痩身長躯の日本列島にあって、特に西に遍在した。維新は西国の雄藩で発火し、列島を北上して五稜郭で終焉を迎える。そのような歴史のうねりの中で新選組は誕生し、徒花と消える。刀による支配と武士への昇進願望は徳川支配体制のカリカチュアであるともいえる。つまり彼らは時代に盲目であった。「歴史小説」であれば俯瞰するであろうそのような視座がない。最後の将軍となる慶喜へのにべもない評価、薩長倒幕勢力への一方的断罪は欲目に見ても正当を欠く。「歴史もの」であるゆえの隔靴掻痒であり、食い足りなさであろうか。

 この作品は第十三回柴田錬三郎賞を受けた。宜なるかな。時代小説である以上、シバレンこそが相応しい。
 巻末の解説は演出家の久世光彦が書いている。冒頭、「巧い」と絶賛している。奇しくも印象が一致し、意を強くした。
 さらに、先般病気加療中にこの作品に大いにエンカレッジされた。そのことは、拙稿「囚人の記 3」で触れた。ここでは略す。
 
 発刊から八年。遅きに失してはいない。感動は抱えられないぐらい重い。□


☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆

ねこまんまは猫跨ぎか?

2008年03月16日 | エッセー
 ねこまんまには鰹節と味噌汁の2派があるが、どちらも飯に混ぜ込んで喰う。品良い食い物とはされていない。しかし時間のない時、食欲の失せた時など重宝だ。わたしは時々これをやる。
 さて、先日の朝日新聞におもしろい小論があった。以下、抄録。

食品偽装、毒ギョーザ、サブプライム ―― 「混ぜる」行為に懐疑心を
福岡 伸一 青山学院大学教授(分子生物学)
 練り物は料理としては本来ごまかし。
 狂牛病禍、食品偽装、毒ギョーザ、再生紙偽装、サブプライム問題など ―― 私たちの身の回りのものはほとんどすべて、その生成プロセスを誰か他のシステムに負託した、中身の見えない「練り物」としてある。
 微量の毒を大量の水に混ぜて捨てれば、毒は希釈されて無害なものになる。一昔前なら環境汚染の問題はこのように見なすことができた。地球のキャパシティーは無限に近いほど大きく、また環境の自浄作用も十分すぎるほど大きかった。ところがこれは毒が単純で静的なもの、つまり希釈されて時間が経過すれば分解されるか不活性化されるものに限られた話だった。
 今や、私たちの社会にはより複雑で動的な毒が侵入しつつある。
 病死した家畜の死体がたとえ混入していても大量の死体とともに加熱処理すれば安全な飼料ができる。こうして作られた肉骨粉に想定外の耐熱性病原体が混入した。かくして世界中に狂牛病が拡散した。
 不良な債権がたとえ混入していても大量の債権と混ぜ合わせ、それを細分化してもう一度証券化すればリスクを無限に希釈することができる。こうして作られたサブプライム債権に含まれた微量の不安は、薄まるどころか逆に時を経ずして大増殖し、そして全体を損なうに至った。
 混ぜることにはもう一つ別の陥穽がある。ひとたび混ぜ合わされたものから価値のあるものを取り出すには膨大なエネルギーと労力が必要とされるということである。秩序あるものを使用すると、それは傷や汚れに見舞われ、廃液や廃物が混入し、酸化や劣化、すなわち無秩序化が進む。したがってリサイクル行為とは、永久運動のようなものでは決してない。無秩序から秩序を回復するために多大なコストがかかる。それはしばしば最初から新品を作るよりも大きい。
 このことを忘れたまま私たちがリサイクルを称揚しつつ、そのすべてを誰か他の仕組みにゆだねたところに再生紙偽装が起こった。
 私たちが取り戻さなければならない認識とは何か。それは練り物に対する第一義的な懐疑心である。
 何かを混ぜ合わせることは、まず第一にプロセスを見えないもの・触れられないものに変えてしまう。
 第二に、ひとたび混合すれば、無秩序=エントロピーが飛躍的に増大する。その対象は、中身の見えない出来合いのギョーザだけにとどまらない。CO2排出量を多国間でこね回すことも、大気中のCO2濃度低減への実効性を可視化できないものにするのなら、練り物を作ることと全く同じ行為に他ならない。 (08年3月8日付)

 プロセスの不可視とエントロピーの増大 ―― ここに「混ぜる」危険があると説く。卓見である。複雑系の社会で足をすくわれかねない死角を突いている。食品とサブプライムとを同列の発想で論じるところが、なおおもしろい。
 エントロピーの増大といえば、EUもそうだ。EECからの老舗でEUでも優等生のベルギーが、いま喘いでいる。南北の地域間対立が先鋭化し、昨年は半年間も内閣不在の政治空白を生んだ。国がEUという大きな枠に混ざり、外交・防衛・社会保障という連邦政府の役割がシュリンクした。ために地域の存在感が増大し、今まで国家によって押さえ込まれていた対立が噴きだした。国が他国と混ざり合って、国内の紐帯が緩む。なんとも皮肉な話である。越しがたくとも越さねばならぬ歴史の試練か。
 
 わたしは生な食材の形より練り製品を好む。ステーキよりもソーセージ、尾頭付より捏(ツク)ねもの。しかしこの御時世、猫にあらずとも跨いだほうがいいものもあるようだ。□


☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆


囚人の記 3

2008年03月13日 | エッセー
 4日前に放免された。いや、有り体は追放かも知れない。ともかく娑婆に出た。だから、追記になる。

<刺身>
 病院食の膳立てに諦めがつきかけたころだった。夕飯の蓋を取って驚いた。なんと、刺身だ。山葵も醤油も付いている。
 「オレはついに見放されたか。末期の晩餐にちがいない」と、まわりを見渡すとみな同じだ。この病室全員が同類か。では、ほかはどうだ。廊下に出て、配膳の入れ物を覗いてみる。どれにも同じ器が並んでいる。もしかして病院の経営が傾いたか。「ヤケのヤンパチ、夕餉の刺身」か。
 ……杞憂だった。看護師におそるおそる訊いてみると、月に一度の大盤振る舞いだそうだ。ならば、最初にそう言ってくれればいいものを。疑心暗鬼を生ず。食欲の前に邪念が沸いてくる。しかしひさびさの、それも瞬く間の完食ではあったが。

< 鬼 >
 「這えば立て、立てば歩めの親心」という。しかしあの病院には鬼がいた。白衣の天使ではない。白衣を纏って角を隠した鬼がいた。
 7時間に及ぶ手術の2日後、鬼が言った。「ベッドのここをつかんで、肘をこう突っ張って、体を起こしましょう」と。存外にできた。と、「では、ゆっくりと立ち上がりましょう」ときた。ことばは優しいが、目が笑っていない。一呼吸置いて覚悟を決め、やおら立ち上がる。二足歩行を始めた類人猿もこうだったのだろうか。はるかな進化の過程に感慨を抱く間もなく、怖れとともに予感した鬼のひと言がついに襲ってきた。「では、ゆっくりと歩きましょうか」ゆっくりであろうがなかろうが、こちとらは歩くこと自体が大問題なのだ。
 鬼はじっと見つめている。慈愛の目ではない。獄卒の眼光だ。ええい、ままよ。もうヤケクソである。元気であれば間違いなく、飛びかかって首を絞めてやるところだ。人を病人と見くびっての罵詈雑言か。角を見せろ。お前は鬼だ。お前は鬼だ。 ―― 怨念には不思議な力が宿るらしい。一歩、二歩、ついに十歩も進んだであろうか。「はい、きょうはこれくらいにしておきましょうね。あしたからはこのフロアーを歩くようにしてください」ごくビジネスライクに言い残して、鬼は去った。後ろ姿に角が2本、たしかに見えた。
 
<ドラキュラ>
 早朝5時過ぎ、揺り起こされて採血がある。なぜこんな時間にと考える間もなく、腕に痛撃が走る。消毒綿を押さえながら、六時の起床まで束の間の眠りに入る。
 何度か繰り返されるうち、ついに叫んでしまった。「君たちはドラキュラか!」訊くと、手間不足で起床時の採血が間に合わないらしい。わが国の抱える医療事情が朝駆けの採血に行き着いているようだ。そういう話ならば、協力するにやぶさかではない。
 ではあるが、やたらと続く検査、検査には辟易した。CT、MRI、レントゲン、エコー、内視鏡、カテーテルなどなど。クランケは赤裸にされ、どころか痛くもない腹を探られ、果ては体内深くカメラまで突っ込んで「現場写真」を撮られる。警察の捜査でも、そこまではしない。クランケはさまざまな数値に分解され、データの集積体として遇される。この記の1に綴った通り、「藪」は顔を見ないでPCのディスプレイだけを覗いている。
 どこかおかしい。木を見て森を見ず、ではないか。果てのない細分化、専門化、数値化。それだけが進歩ではあるまい。朝っぱらから血を吸われながら、いつもの問題意識が頭を過(ヨ)ぎった。

<インスパイア>
 命の掛かる手術を控えると、やはり萎える。ナーバスにもなる。そうとなれば本を読むしかあるめい、と結構忙しい囚人の時間帯の中を読書に勤(イソ)しむ。差し入れてもらった本は20冊。すべてを平らげて、晴れて娑婆に戻った。
 かねてより気になっていた題名、浅田次郎著「壬生義士伝」稿を改めて感想を述べるつもりだが、これには力をもらった。文字には人をしてインスパイアする力がある。たしかにある。言霊は実在する。
 選りすぐりを3個所、抄録しておきたい。

◆あの戦場には、もう吉村先生はいなかった。でもあたしは、顔にがつんと一発くらって何間も吹っ飛ばされたとき、耳元ではっきりとあの人の声を聴いたんです。「立て、池田! 死にたいのか。じっとしていたら殺されるぞ。立ち上がって進め、一歩でも前に出て戦え。立て、池田!」
 立ち上がりましたですよ。立ち上がって前に進んで、ちくしょう、ちくしょうって叫びながら、刀を振り回した。何も戦に限らず、人生なんてそんなものかもしれません。倒れていたらとどめを刺されるんです。死にたくなかったら、立ち上がって前に出るしかない。
◆「どのみち死ぬのは、誰しも同じだ。ここでよいと思ったら最後、人間は石に蹴つまずいても死ぬ。戦でなくとも、飢えて死んだり、病で死んだりするものだ。だが生きると決めれば、存外生き延びることができる」このさき生きたところで何ができるのですかと、あたしは捨て鉢に訊ねました。すると先生は、真白な歯を見せてにっこりと笑い、あたしの頭を撫でてくれたんです。
「何ができるというほど、おまえは何もしていないじゃないか。生まれてきたからには、何かしらなすべきことがあるはずだ。何もしていないおまえは、ここで死んではならない」
◆軍隊じゃあたしかに、死に方は教えてくれるがね。生き方ってのを教えちゃくれません。本当はそっちのほうがずっと肝心なんだ。生き方を知らねえ男に、死に方なんざわかるもんかい。世の中が良くなって、生き方を知らねえそういう馬鹿な男が増えたってこってす。私なんざこうして生き恥を晒しておりやすが、今にして思や、大野次郎右衛門様も、吉村貫一郎さんも、生き方を心得た立派な男でござんしたよ。いい生き方をしたから、いい死に方ができた。(略)男なら男らしく生きなせえよ。潔く死んじゃあならね、潔く生きるんだ。潔く生きるてえのは、てめえの分(ブ)をまっとうするってこってす。てめえが今やらにゃならねえこと、てめえがやらにゃ誰もやらねえ、てめえにしかできねえことを、きっちりとやりとげなせえ。そうすりゃ誰だって、立派な男になれる。□



☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆

2008年2月の出来事から

2008年03月11日 | エッセー
■ 海自イージス艦が漁船と衝突
 海上自衛隊のイージス艦「あたご」が千葉県房総沖でマグロはえ縄漁船と衝突。漁船の親子が行方不明に(19日)

―― かつて引用した司馬遼太郎の講演の一部を再度援用する。
 「私は戦車兵でした。当時、日本の戦車隊が玉砕していき、ほとんどなくなっているころでした。私の所属している戦車隊はその生き残りであり、大本営は東京の防衛のために連れ戻したのですね。敵が東京湾や相模湾に上陸したら、出ていく。これが私どもの戦車連隊の役目だったわけです。あるとき、参謀肩章をつけた大本営の偉い人がやってきて、いろいろ説明したことがあり、私はちょっと質問してみました。だれでもする質問ですよ。敵が上陸してきたら東京の人は逃げることになる。大八車に家財道具を積んで北のほうに逃げるとすれば、道が二つか三つぐらいしかない。ところがそれらの道をわれわれは使うことになっている。ですから聞いてみました。『途中の交通整理はどうするのですか』いまのように広い道ではありませんから、大混雑するだろう。交通が停頓して、戦争には間に合わないかもしれません。それで聞いたところ、大本営の人は頭をひねって、『轢き殺していけ』これにはびっくりしました。日本人が日本人を守るために戦争をしていて、それで日本人を轢き殺していけと言う。不思議な理屈ですね。平和な時代になって二十数年たってみると、そんなばかなやつがいたのかということになりますが、それが、当時の日本が持っていたイデオロギーというものであります、イデオロギーというものは、はたして人間に幸福を与えるものでしょうか」
 「軍の論理」とはつまり、そういうものである。どこかで前後、左右、上下、主客が転倒する。イデオロギーの怖さだ。報告の遅れや、対応のばらつき。さらには守屋前事務次官であればもっと機敏に要を得た対応ができたであろう、などという論議は枝葉に属す。問題の本質はそこにはない。自衛隊が「軍の論理」に鎧われたなにものかであることを、影絵のごとく映し出したともいえる。であるなら、同種の事故、事件は続発する。なくなりはしない。単なる海難事故ではないからだ。

■ 米兵の少女暴行事件再び
 在沖縄米海兵隊の2等軍曹が中3女子を暴行したとして沖縄県警が逮捕(11日)。那覇地検は不起訴処分とし、釈放した(29日)

―― 前稿との比較でいくと、こちらは「軍の質」の問題である。これでは『世界の警察官』が泣く。

■ 三浦和義元社長を逮捕
 元雑貨輸入販売会社社長の三浦容疑者(60歳)がサイパン島で逮捕されたと、米ロサンゼルス市警が発表。81年に妻一美さん(当時28)を銃撃、殺害したとする殺人などの容疑(28日)

―― 時は江戸時代文政のころ、浅草で大坂の職人が催した蝋細工興行が大変な人気を博した。江戸の職人は花蝋細工で向こうを張ったがとても敵わない。と、突如そこに登場したのがガラス細工を引っ提げた長崎の職人。見事、大坂職人の鼻をへこました。ために、江戸ではガラス細工の簪(カンザシ)が大流行した。「江戸の敵を長崎が討つ」の来由である。(「長崎で」は間違いで、「長崎が」が正解らしい)
 いまでは考えられないが、手錠を掛けられて警察に連行される姿がテレビ放映された。メディア・スクラムの嚆矢であった。さらに、今では「ミウラ カズヨシ」といえばサッカーのカズだが、団塊の世代にとっては「ロス疑惑」の三浦和義が馴染み深い。彼自身が同世代でもある。むこうもこちらも、三十を少し超えた脂ののりかけ時分だ。それだけに記憶は鮮明だ。
 日本は属人属地主義、アメリカは属地主義。法体系のちがいがある。アメリカでは殺人事件に時効はない。おまけにロス市警には選り抜きのコールドケースがある。このあたり、歴史や文化の背景を知りたいところだ。
 「江戸の敵を長崎が討つ」かどうか。シュワちゃんまで巻き込んで、にわかにおもしろくなってきた。

(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げました。見出しとまとめはそのまま引用しました。 ―― 以下は欠片 筆)

※よんどころなき事由によりしばらく休載しておりましたが、ぼちぼち再会いたします。ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。□


☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆