伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ヨシ子さん

2016年06月30日 | エッセー

 “ヨシ子 Who?” が囂しい。明治安田生命「名前ベスト100」で調べると、ヨシ子を含め嘉子・好子・喜子・美子・良子・佳子・芳子・よし子、一人もいない。字は不明だが、「よしこ」がDQN(ドキュン/ネットで非常識を指す用語)だと悩んでいる女子中学生の投稿があった。それほどに古格である。稿者が推察するに、「ヨシ子」はベルエポックの象徴ではないか。仮名も漢字も使わず“ヨシ”として、和洋折衷風の溜を拵えたところに工夫が滲む。そのままの「ヨシ」だと戻りすぎてしまうが、「子」がグンと引き寄せる。してみると、昭和の30年代。そんな按配ではないか。「さん」は郷愁の呼び掛けだ。今年の2月で還暦を迎えた紛れもない「オッサン」の桑田が、遂に懐かしのメロディーを奏でる。しかもうんと桑田流で。それが新譜『ヨシ子さん』だ。

「オッサンそういうの疎いのよ 妙に」
 と嘆くのは、R&BとHIPHOPについて。オッサンはやっぱり
「サタデー・ナイトはディスコでフィーバー」
 だと言うが、霞むようにすげぇー古いフレーズだ。
 “EDM”(Electronic Dance Music)をED(Erectile Dysfunction)とトッ違えたり、刻下流行りの音楽配信システム“サブスクリプション”からターンテーブル時代の“ナガオカ針”に飛んだり、挙句
「なんやかんや言うても演歌は良いな」
 と、なりふり構わぬ開き直りをカマす。もう、オッサンそのもののリアクションだ。しかし、そこに桑田のメッセージがある。
 10年8月、拙稿「私的演歌考」にこう記した。
<演歌とはなんだろう。ふと、考える。
   演歌。 演説の歌。
   艶歌。 艶物の歌。 
   怨歌。 怨嗟の歌。
  諸説ある。どれもその通りだ。しかし、わたしはこう仮説を立てた。
 ―― 歌を演ずる。
 それが演歌ではないか。
 歌うのではない。演ずるのだ。歌をドラマ化する。感情移入では、まだ浅い。歌中の人となる。それでこそプロだ。憑依すれば、すでに天才だ。巧いかどうか、美声か否か。それは前提でもあり、埒外でもある。歌唱能力は演技力の一部でしかない。アマを隔つ壁はそこに屹立する。
 自由民権運動抑圧の渦中に「演説歌」として生まれ、政治的主張や諷刺が託された。「オッペケペー節」が代表である。つまり、弁士の代わりを演歌師が担ったのだ。そこに源流がある。
 演歌一般にそうなのだが、情感をステロタイプにして押しつけてくるところが鼻持ちならない。『大きなお世話』に、いつも苛立つ。嫌悪感(押し付けがましさ、強引さ)は、演説という祖型に来由するのかもしれない。遡及すれば、そうなる。>(抜粋)
 桑田は新譜についてフジテレビのインタビューで、「色気・笑い・風刺」という歌謡曲の原点への回帰を語っていた。風刺では川上音二郎の名を挙げ、「オッペケペー節」に込められたお上の抑圧に抗する庶民の反骨に心を寄せていた。今もまた同じ抑圧の気配を感じると。
「チキドン(チキドン)/チキドン(チキドン)/チキドン/エロ本(エロ本)/エロ本(エロ本)/エロ本」
「フンガ フンガ 上鴨そば(Hey)」
 の間の手は風刺と色気、それにことば遊びの笑いも凝っている(おそらく「上鴨そば」は桑田の頭脳にストックされた語彙のケミストリーで、鴨蕎麦の上という他特段の意味はないはず)。もうこれは桑田にしかなし得ない独壇場だ。インド音楽風のメロディーラインや、エロくて無国籍な音楽ビデオ、サイケデリックなCDジャケットといい“桑田ワールド”全開である。特にビデオの振り付けは「演ずる」歌を地で行く。矢沢某の“カッコいい”振り付けと比すれば、桑田が演じるオッサンがどれだけダサいか。カッコよくできるのは凡才で充分だが、ダサくできるのは非凡、鬼才もしくは天才に拠る。
 ところがこのオッサン、間抜けなことに恋したヨシ子さんに袖にされる。
「可愛い姐ちゃんに惚れちゃったんだよ/ヨシ子さん 好きさ
 ・ ・ ・ ・
イイ歳こいて捨てられたんだよ/ヨシ子さん ノー・リターン」
 励まし諭してくれるのは、なんとディランとボウイ。無秩序なシッチャカメッチャカが桑田ワールドである。
 例に漏れず、若者にやたら説教を垂れるのがオッサンの特性。
「青春はお洒落でスゲェ High!!」
 なのに
「最近はエロが足んねぇ Why?/笑ってもっとベイビー Smile!! 
 と、いつか聞いた台詞を挟んで
「ニッポンの男達(メンズ)よ Are you happy?」
 と苦言を呈する。「イイ歳こいて捨てられた」自分のことは棚に上げて。
 それにしても、ベルエポックのヨシ子さんに振られるとはいかなることか。温故の至難をいったのか、オッサンの失敗を披露してニッポンのメンズをインスパイアするつもりなのか。多重な繙読もしくは誤解、曲解は一級品の愉しみでもある。
 3年前のサザン復活の時、精神科医の斉藤 環氏はこう述べた。
<“サザン”は日本語を解放した。「語り」の延長線上に閉じ込められていた日本語は、意味の呪縛から解き放たれ、8ビートに躍動する「うた」となった。その挑発、その風刺、その猥雑、その皮肉、すべての背後にかいま見えるのは桑田佳祐の“シャイネス”だ。その含羞の上にこそ、彼らの「ロック」が輝いている。>(毎日新聞から)
 そうなのだ。“シャイネス”という補助線を引かないと、桑田ワールドは解らない。自虐はシャイネスの裏返しでもある。

 6月29日に『ヨシ子さん』はリリースされた。ビートルズ来日50年のその日であった。意識したのかどうか。あの日から日本のミュージック・シーンは劇的に変わった。桑田もその申し子である。半世紀を経てオッサンになった彼がどんなリターンを打つのか。その1球目がラケットを離れた。 □


反戦小説『帰郷』

2016年06月27日 | エッセー

   戦争小説ではなく 
     反戦小説です
       浅田次郎

 こう、記事下広告に作者の手書きコピーが載っていた。年初に紹介した『獅子吼』中の同名作もそれであったが、今回は全6篇が「反戦小説」である。今時「反戦」は軽くなったが、決して遠くなってはいない。健忘は新手の誘惑に搦め捕られ、悪夢の再来を至近に引き寄せてしまう。必要なのは語り継ぐことだ。凄腕の語り部が巧みな意匠を施して物語ることだ。「反戦」に十全な重みを付け直し、世に放った「反戦小説」がこれだ。

   『帰郷』

 集英社から6月30日に発刊される。『小説すばる』で02年3月号から16年4月号まで随時掲載された6篇が単行本化された。
 4作目の「不寝番」は、この短編集のアサインメントである「語り継ぐこと」をこう綴る。
¶「どうした、やっぱり痛いか」
 死なないで下さい、という懇願がどうしても声にならず、片山は顎を振って泣いた。
 戦争は知らない。だが、ゆえなく死んで行った何百万人もの兵隊と自分たちの間には、たしかな血脈があった。
 ジャングルの中や船艙(フナグラ)底や、凍土の下に埋もれていった日本人を、外国人のように考えていた自分が、情けなくてならなかった。¶
 作者を含め「たしかな血脈」を識り得る世代は次第に細る。『終わらざる夏』を上梓した際にも、同様の感慨を記していた。「健忘」は手強い。「外国人のように考えて」よかろうはずはない。作者十八番のゴーストが登場。巧みなプロットだ。

 2作目「鉄の沈黙」は戦場に放り込まれた技術屋の物語だ。
¶ 佐々木伍長は砲座から降りようともせず、白目の勝った目を瞠(ミヒラ)いていた。
「きょうは何日だ」
「九月十七日であります」
「悪かねえな」
 何が悪くはないのだろうと清田は思った。悪くはない人生だったのか、悪くはない戦をしたのか、まさか命日に日和のよしあしはあるまい。
 それはともかく、昭和十八年九月十七日という正確な命日が、内地の父親に伝えられるだろうか。¶
 310万に及ぶ「日和のよしあしはあるまい」命日が雲集し、敗戦に至った。遺された「たしかな血脈」を忘れていいわけはない。

 「夜の遊園地」は3作目だ。敗戦直後の苦学生がアルバイトで戦争のトラウマに偶会する。
¶ 考えるまでもなく勝男は理解した。
 この人は南溟(ナンメイ)の玉砕の島から生還したのだ。弾丸も尽き果て、口にする食料の一粒とてない地獄から。
 勝男は男の前に膝を揃えて詫びた。
「とんでもないことをしました。申しわけありませんでした」¶
 「とんでもないこと」とは、はたしてなにか。敗戦の余燼に引き込む巧みなストーリーだ。

 掉尾の「無言歌」には、3作目と同年配の大卒促成士官が登場する。
¶ ご心配をおかけしました。
 分不相応でした。
 何事もお国のためです。
 必ず生きて帰ります。
 立派に死んで見せます。
 どうか忘れて下さい。
 胸にうかんだ言葉のひとつひとつは、すべてが虚偽で、汚泥にまみれていた。
 軍刀や銃や、大砲や戦闘機や軍艦をずらりと並べて、さあこれが文明だと言うのとどこも変わりがなかった。¶
 太平洋の只中に沈められていく潜水艦。夢と現(ウツツ)が交錯し、永訣の歌はジャズ。この無言歌こそ命の際で奏でた反戦歌ではなかったか。

¶「あんたに頼みがある」
「あんた、じゃないってば」
 綾子は男の手をきつく握りしめた。しかし、男は名を呼ぶかわりに、思いがけぬことを言った。
「俺と一緒に、生きてくれないか」
 聞きちがいではないと思ったとたん、男は神様みたいに強い力で、綾子の体を抱きしめてくれた。¶
 1作目の「帰郷」はこんな遣り取りで幕となる。「生きてくれないか」、このひと言に浅田文学のすべてが凝る。

 5作目に「金鵄のもとに」がある。6作中、難解を窮める。しかし、印象は最も深い。心に焼き付く。ヒリヒリと。
¶ なあ、染井さんよ。
 俺ァ、いま俺のやっていることが、悪いことだとはどうしても思えねえんだ。
 この冬には一千万人が飢えて死ぬんだぜ。飢餓地獄から生きて帰った俺たちが、なぜ日本に戻って死なにゃならねえんだ。ましてや俺もおめえも、てめえひとりの体じゃなかろう。何人もの兵隊を腹におさめて帰ってきた俺たちは、もうお国の勝手で飢え死んじゃならねえんだ。何としてでも生き抜かにゃならねえんだよ。¶
 「俺のやっていること」と、「何人もの兵隊を腹におさめて帰ってきた」こととどう繋がるのか。単にカニバリズムの是非を論(アゲツラ)っているのではない。「もうお国の勝手で飢え死んじゃならねえ」という反戦の咆哮とのし掛かる「生き抜かにゃならねえ」現実。禁忌は赦されるのか。
 「南溟の玉砕の島」で見た金鵄とは何だったのか。神武東征に立ちはだかった長髄彦(ナガスネヒコ)とは。日本書紀の神話を巧みに使った作品名と込められた寓意。この短編こそ、今小説集随一ではないか。
 全6作、あり得ない奇怪な話の連続だ。もちろん創作だ。だにしても、読者は易易としてその特異を受け入れてしまう。理由は明らかだろう。戦争が人知と隔絶した特異だからだ。元より人性も隔絶される。「反戦小説」が緊要とされる所以だ。
 付言しておこう。
 表紙の写真が決まっている。書名にピタリだ。敬礼する雑嚢を背負った帰還兵と謹直に辞儀をして迎える無縁の(きっと)母娘(おそらく)。貴重な瞬間を捕らえている。提供が米国国立公文書館であるというところに、哀しみが増すが。 □


後味の悪い“Brexit”

2016年06月24日 | エッセー

 現地のニュース映像で時々見かけた“Brexit”(ブレキジット)とは何だろう、と気になっていた。Britain と exit を繋いだ造語らしい。remain をくっつけた“Bremain”もあったが、こちらは浸透しなかったそうだ。それもあってか、“Brexit”に軍配は上がった。
 EUについては何度も触れてきた。別けても、
<人類史に誕生していまだ2世紀余とはいえ、この先も国民国家のままでいいとはいえまい。現にグローバリゼーションとのアンビヴァレンツは解き難い。「暴力の独占」という抜き難い与件にも容易に解はなさそうだ。そうした冷厳な現実がある。だが、そのアポリアの克服にこそ人類の進歩が懸かっているともいえる。呻吟しているとはいえ、「EUは世紀のトライアルだ」と信じたい。A・トインビーに倣えば、「挑戦と応戦」にしか未来はないからだ。>(「ちゃぶ台返しか?」11年11月)
 とのスタンスは些かも揺るがない。目指すのは経済統合の先、政治統合だ。国民国家を超える新しい人類のありようである。だから損得は抜きにして、これに反するベクトルは歓迎できない。しかし今稿では、それは措く。措いても残る後味の悪さについて呵してみたい。
 2つあるが、1つは「国民投票」という手法だ。一見民主的だが、危険な方法だ。特に今回のように二分されるマターが僅差で決せられた場合、否決された意思を民意の名の下に切り捨てていいのか。ネグられる約半分の意思も紛れもない大きな民意のはずだ。さらには、exit と remain の間にはモラトリアムや条件闘争などの中間的対応もあるはずだ。そういうさまざまな選択肢や民意を二者択一に押し込んで、国内の亀裂を顧みず遮二無二結論を出す。乱暴に過ぎる。「議会主義の国」でこんな禁じ手紛いの荒技が繰り出されることに、寒々しいものを感じる。
 実は、ナチは国民投票をよく使った。1933年「国際連盟脱退の可否を問う国民投票」、翌年にはヒトラーを国家元首にする「国家元首に関する法律の措置に対する民族投票」、38年にはオーストリア合併の可否を問うオーストリアでの国民投票。いずれもナチスの巧みな世論誘導で圧倒的賛意を獲るのだが、「民主的」選択の根拠にされた。だから、危ないのだ。
 アンバイ君の手法もこれに近い。消費税を上げるか、下げるか。なんとかミクスをふかすか、デフレに戻るか。本音を隠したシングル・イシューで二者択一を迫る。コイスミ君が元祖といえばそうだが、少なくとも憲法改悪の本音を隠すことはなかった。熟議といえば死語に近いが、擦った揉んだが民主主義の真骨頂ではないか。勘違いしてはいけない。簡単に決めないのが民主主義だ。「決められる政治」などとはほとんど自己撞着だ。アンバイ君の常套句「最後は私が決めます」など勘違いも甚だしい。いつから大統領にでもなったつもりなのだろうか。
 以下は内田 樹氏の言である。
◇採択された政策が適切であったかどうかはかなり時間が経たないとわからないが、法律が採決されるまでの時間は今ここで数値的に計測可能である。だから、人々は未来における国益の達成を待つよりも、今ここで可視化された「決断の速さ」の方に高い政治的価値を置くようになったのである。「決められる政治」とか「スピード感」とか「効率化」という、政策の内容と無関係の語が政治過程でのメリットとして語られるようになったのは私の知る限りこの数年のことである。そして、今回の参院選の結果は、このような有権者の時間意識の変化をはっきりと映し出している。◇
 前回13年の参院選後の朝日新聞への寄稿である。「『決められる政治』とか『スピード感』とか『効率化』という、政策の内容と無関係の語」とは頂門の一針である。心したい。
 2つ目は、離脱による経済の乱調を手前勝手に断章取義することだ。別けても消費増税延期のエビデンスにするなどとは火事場泥棒ともいえる。サミットで言った「世界経済はリーマン同様に危機的だ」が現実化したなどと、先見の明にするのはもっての外だ。イギリスにもEU諸国に対しても失礼であるし、針小棒大、堅白異同だ。ところが、アンバイ君ならやりかねないから気鬱なのだ。杞憂であれとひたすら願う。
 繰り返すが、問題は経済ではない。グローバリズム故の空騒ぎはやがて収まる。そうではなく、「世紀のトライアル」に蹉跌をきたすことが難題なのだ。とりわけ痛手を蒙るのはドイツだ。佐藤 優氏は今月発刊の『使える地政学』(朝日新書)でこう述べる。
◇ヨーロッパ大陸のEU加盟国は、ドイツの経済力に膝を屈しているだけで、心服しているわけではない。だからドイツにとっては、大陸ヨーロッパに対して「光栄ある孤立」を続けてきたイギリスを、「半加盟」状態であってもEUに残留させ続けることが、自らの力を示すことかでき、国益にかなうのだ。◇
 さらに同書ではスコットランド独立に触れ、
◇独立を宣言したスコットランド共和国は、EUへの加盟申請を行うだろう。なぜなら、スコットランドが独立する場合、決定的に重要なのが通貨問題だからだ。英国がEUに残っていればスコットランドの加盟申請を拒否できる。しかし、英国がEUから離脱すれば、スコットランドのEU加盟を阻止する手段がなくなってしまう。スコットランドの独立を避けるためにも英国はEUに残らなければならないのだ。◇
 スコットランドの独立志向を国民国家の液状化と捉えるのが、姜 尚中氏である。内田 樹氏との対談集『世界“最終”戦争論』(集英社新書、今月刊)で、次のような遣り取りがある。
◇内田:グローバル化は必ずローカル化を引き起こします。
姜:その一つのあらわれは例えばセパラティズムというか、分離独立主義で、例えばスコットランドとかバスクとか、日本でいえば沖縄ももしかして独立路線もあるかもしれない……。逆に言えば、そういう分離独立運動が国民国家を液状化させるモーメントになりますよね。
内田:スコットランドも、カタルーニャも、バスクも、どこも国民国家が液状化しているせいで独立の動きが出て来ている。国民国家の統合力が十分に強くて、中央政府のガバナンスが効いていれば、沖縄独立なんていう話は出て来ないですから。◇(抜粋)
 これは大きな絵だ。同じ文脈でイギリスの離脱も考えられよう。グローバルEUからのローカル化だ。アンバイ君も他人事ではない。増税延期や経済危機で浮かれている場合ではない。アンバイ君には無い物ねだりになるが、政権の要路にはグローバリゼーションへのカウンター・トレンドが生まれつつあるとの予見は必須となろう。
 なんにせよ、“Brexit”は後味が悪い。 □


わしらのなつメロ

2016年06月21日 | エッセー

  〽命はひとつ 人生は一回
   だから命を すてないようにネ
   あわてると つい フラフラと
   御国のためなのと 言われるとネ
   青くなって しりごみなさい 
   にげなさい かくれなさい〽

 1曲目が加川 良の『教訓Ⅰ』である。おー、懐かしい。まんまのフォークの、あのメロディーだ。
 
拓郎つながりの友人がこんなのいかがと、CDを貸してくれた。
 『’
71 All Japan Folk Jamboree Live No.1』である。All Japan Folk Jamboreeは1969~1971年にかけて毎夏3回、岐阜県中津川市で行われたビッグイベントである。
 「お国のため」と言われたら「しりごみなさい にげなさい かくれなさい」とは、紛れもなく“スチューデントパワー”の余燼が燻っている。「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている」と嘯いた東大男子はアンシャンレジームに正面から対峙したが、この頃になると反転して、背中を向けたエスケープだって立派なプロテストになりつつあった。そんな余燼だ。
 加川 良といえば、吉田拓郎の名曲『加川良の手紙』の作詞者 加川 良だ。
  〽昨日、インスタント・コーヒーを一ビン買いました
   家での飲むコーヒーってなぜまずいんでしょう
    ・ ・ ・
   隣の田中さんが、カラーテレビなので
   深夜劇場まで見せてもらっています
    ・ ・ ・
   田中さんの奥さんがとってもいい人で
   今朝もベーコン・エッグをごちそうになりました〽
 “あの頃”田舎から出てきたボンビー学生の日常が彷彿とする。東京のアパートで、お隣の学生さんと交誼があった。どこにでもあった普通の話だが、今や絶えて久しい。まさに懐かしの唄だ。
 続いて、00年に彼方者(アッチモノ)となった岩井 宏の『かみしばい』。「かみしばいやの あのおやじはもういない」と切ないフレーズに涙がチョチョ切れる。

  〽自転車にのって ベルをならし
   あそこの原っぱまで 野球のつづきを
    ・ ・ ・
   自転車にのって
   ちょいとそこまで 歩きたいから〽
 
 『自転車にのって』 高田 渡。一世を風靡した「吉祥寺フォーク」の第一人者である。11年前に50代で故人となったが、終生自ら拓いた音楽の道を歩んだ。「野球」は“あの頃”の男の子の定番。「原っぱ」はいくつもあった。今は「少年野球」という厳かなグレードとなりリトルリーグ化し、原っぱも管理され人工化した。高田が奏でる牧歌のようなメロディーに隔世の感が際立つ。
 バックに拓郎がいて、ヤジる。MCで高田が、
「吉田拓郎、本当に殺してやろうか。あの野郎」
 寸時の間を措いて、
「みんな、いい人です」
 これには笑ってしまう。伝統的にフォークの連中はトークが巧い。即妙の遣り取りに海に漕ぎ出す「新しい水夫たち」の絆も垣間見られる。“あの頃”はこんなふうにして団子になってやっていたんだ、そんな懐古も過ぎる。
 拓郎は『人間なんて』を熱唱する。CDは途中までだが、やがてあの生音1曲2時間のレジェンドとなる。また、はっぴいえんどがさすがのサウンドを聴かせる。やはり傑出した存在だ。彼らは『12月の雨の日』を披露。大瀧詠一が偲ばれる。
 他は略すが全12曲、『わしらのなつメロ』だ。カラオケの定着で敢えて言わなくなったのか、かつて“懐メロブーム”があった。当時の老頭児たちが昔を懐かしんで大いに熱唱しものだ。『青い山脈』『影を慕いて』『憧れのハワイ航路』などなど。こちらは大いに顰蹙を“売った”ものだが、時移りお鉢が回ってきたのか。
 今まで何度か引いた論攷だが、また徴したい。
◇大瀧詠一さんが前に言ったことですけれど、一九六〇年代のはじめにリアルタイムでビートルズを聴いていた中学生なんかほとんどいなかった。にもかかわらず、ぼくたちの世代は「世代的記憶」として「ラジオから流れるビートルズのヒット曲に心ときめかせた日々」を共有しています。これはある種の「模造記憶」ですね。でも、ぼくはそういう「模造記憶」を懐かしむ同世代の人たちに向かって「嘘つけ、お前が聴いてたのは橋幸夫や三田明じゃないか」なんて、言うつもりはないんです。記憶というのは事後的に選択されるものであり、そこで選択される記憶の中には「私自身は実際には経験していないけれど、同時代の一部の人々が経験していたこと」も含まれると思うのです。含まれていいと思うのです。「潮来笠」と「抱きしめたい」では、後者の与えた世代的感動の総量が大であったために、結果的にぼくたちの世代全体の「感動」はそこに固着した、ということで「いい」のではないかと思うのです。自分が身を以て経験していないことであっても、同世代に強い感動を残した経験であれば、それをあたかも自分の記憶のように回想することができる。その「共同記憶」の能力が人間の「共同主観的存立構造」を支えているのではないかと思うのです。◇(内田 樹「東京ファイティングキッズ・リターン」から)
 「模造記憶」による「共同記憶」が「共同主観的存立構造」を支える。唸るほどの洞見だ。逆に辿ると、よく見える。世代的連帯感は記憶を共有することで生まれる。その記憶は後付けの模造された記憶でも構わない。より大きな世代的連帯感を生むのであれば。
 「当時の老頭児たち」が戦争への「共同主観的存立構造」に支えられていたように、団塊の世代も“スチューデントパワー”への「共同主観的存立構造」に生きることができる。世代的連帯感を共有できる。つまりは、そういうことではないか。だからであろうか、「御国のためなのと 言われるとネ」が刻下のありようにダブって聞こえるのは
 今稿のタイトルは拓郎の『わしらのフォーク村』を捩った。この曲も1971年のリリースだった。 

  〽初恋の人に出会った
   時のような
   そんなさわやかな
   そんななつかしい
   胸があつくなるそんな気持ちに 

   なるわきゃないじゃろが
   わしらのフォーク村〽 

 垢抜けたメロディーに荒らかな広島弁。このミスマッチがいい。
  〽わしら~の な~つメロ
 とでも読んでいただければ平仄が合って、幸甚幸甚。 □


都(ミヤコ)はお祭り騒ぎ

2016年06月17日 | エッセー

 先月の拙稿「気分は民主主義」で以下のように記した。
<5月13、20の両日に行われた桝添知事の会見を巡るマスコミの昂ぶりは“気分は民主主義”を主導しているようでならない。
 今般の昂揚には眉に唾を付けざるを得ない。事によれば首を挿げ替えることだってできるという“気分”は確かに民主主義を背負ってはいるが、あくまでも気分にすぎないのではないか。大仰だがつい、「歴史は繰り返される。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として」とのマルクスの箴言を引きたくもなる。
 沖縄でまた事件が起こった。一国の民主主義と熾烈に対峙しているのが沖縄の民主主義だ。先般彼らはトップを替えた。それでも国は動かない。どちらが民主主義なのか。深刻なアポリアと向き合う沖縄の民主主義。命がけだ。とても“気分”などではない。>(抄録) 
 「民主主義を背負ってはいる」とは、民草が「事によれば首を挿げ替えることだってできる」という民主主義システムが実行されるとの謂であった。しかし、その「今般の昂揚」は「あくまでも気分にすぎないのではないか」と疑問符を付けた。「気分」とは実現の可否ではなく、後段に述べる沖縄の現実に比してのお気楽振りをそう呼んだ。さらに「二度目はみじめな笑劇として」とは、選んだ側の蒙昧を揶揄したものだ。トーマス・カーライルの名言「この国民にしてこの政府あり」を持ち出すなら、マスコミや都民の見識に疑問符を付けた格好だ。
 あれから4週目にして衆知の結末となり、「昂揚」は次のステージへと向かい始めた。さて、昨日の朝日新聞に江川紹子氏の談話が載っていた。抄録すると、
<「祭り」騒ぎ、報道は反省を
 クビをとることが目的になって「早く辞めよ。この道しかない」と走り始めると止まらない。「祭り」状態です。正義漢ぶって一斉にたたきまくる。芸能人の不倫報道と同じレベル。
 公私混同は批判されて当然です。でも一刻も早く辞めさせなければならない問題なら、なぜ週刊誌が伝える前に大きく報道できなかったんですか。都庁のなかには記者クラブがあって大手メディアが常駐しています。情報にアクセスできるチャンスを最大限いかして取材ができるのです。
 それに、舛添さんは知事になる前は国会議員でした。知事にふさわしいのか、その時点から調べることもできたのに、ほとんどノーマークでした。もう一つ、都議会はこれまで何をしていたんですか。与党は問題がここまでこじれる前に、「これはまずい」ときちんと知事に申し入れるべきだった。野党は、この問題を掘り起こして追及できなかった。この点も批判されるべきです。
 こういう時だからこそ、舛添都政を冷静に点検し、辞職のメリット、デメリットを解説するようなメディアはないのでしょうか。>
 命がけでオウムを糾弾した女史にして、このコメント。さすがである。また、大いに我が意を得たりでもある。おそらく東京都民であるマスコミの面々、ニュースキャスターやワイドショーのアンカーたち、彼らのうち1人でも「私は(あるいは私たちは)、なんてバカだったんでしょう!」と反省を口にした人物を知らない。自分だけ他県民人か外国人のように平気な顔をして、分別ありげに能書きだけを垂れている。騙した方だけじゃない、騙された方も悪い、バカだ、とは至極平明な理屈ではないか。
 今月発刊された橋本 治氏の最新作「福沢諭吉の『学問のすゝめ』」(幻冬舎)、これが滅法おもしろい。『学問のすゝめ』は当時300万部を売り上げた。3000万人が当時の人口。その1割である。凄まじい超ベストセラーであった。その解説本である。
 実は橋本氏がこのオファーを受けたのは約20年も前、仕事の余裕もなく沙汰止みになっていたそうだ。それを、なぜ今。答えは「はじめに」に記されている。
◇手っ取り早く言ってしまえば、『学問のすゝめ』の中で、福沢諭吉は「自分を確立しろ。そして政治と向き合え」と言っているのです。・・・・どうやら『学問のすゝめ』は、日本人が新しい政治を必要とするその時に読まれるもののようです。◇(上掲書より、以下同様)
 過去2度大いに読まれた時期があった。1つは明治初頭、もう1つは昭和の戦後。「新しい政治を必要とするその時」であった。ならば、平成の今も「その時」なのか。先述の沙汰止み20年は「その時」を俟った年月ではなかったか。バブル後期の20年前は明らかに「その時」ではなかったといえる。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
 明治5年、いまだ“江戸気分”の日本である。どう「蒙」を「啓(ヒラ)」くか。身も蓋もなくパラフレーズすれば、バカを賢くするか。まずは「天」はどこから引っ張ってきたのかに始まって、「学問」とはなにか、「すゝめ」た実学と虚学のちがい、初耳だった「自由や平等」をどう理解させるか、アントニオ猪木ばりの「学問をすればなんでも出来る!」とのハッパ、諭吉が戦った敵とは誰かと続き、肝は、
◇「民主主義はバカばっかり」を漢字四文字で表すと「衆愚政治」です。人間の多数派がバカである以上、民主主義が「バカばっかり」になってしまうのは仕方がないことですが、一体その状態はどうすれば打開出来るのでしょうか? 問題は「バカばっかり」というところにあって、そのことははっきりしているのだから、打開策は簡単に見つかります。多数派のバカが「バカ」から抜け出せばいいのです。つまり、バカから抜け出すための啓蒙をすればいいのです。江戸時代が終わったばかりの明治の初めはみんな「蒙(バカ)」です。なにに関して「蒙」なのかと言えば、「近代という新しい時代に生きる人間のあり方に関して蒙」なのです。だから『学問のすゝめ』は、「近代に生きるってどういうことなんだ?」という疑問が生まれた時に注目されます。◇
 と絞られていく。「近代という新しい時代に生きる人間のあり方に関して蒙」とくると、3.11をターニングポイントとした「新しい時代」へと想が繋がる。「新しい時代」とはパラダイムシフトが不可避となった今ではないのか。なのに「いまだ“江戸気分”」とは、戦後の昇り龍だったころの「いまだ“昭和気分”」か。ならば今般のお祭り騒ぎは、「民主主義が『バカばっかり』になってしまう」一典型か。だから、やっぱり「学問のすゝめ」だ。そんな氏の呟きが聞こえる。
 群を抜く該博な知識と追随を許さぬ筆力。眼光紙背に徹する洞察。“治”ワールド全開だ。ただ、いつものようにクドくはある。まぁ、これも親切なるゆえか。ともあれ読み応え充分、繙読に値する好著である。
 結びの一文を引いて、稿を閉じたい。
◇政府は「国民の代理」なのです。それを忘れて「政府の私事」に走ったら、もうおしまいです。もうおしまいだということを、今から百四十年以上も昔に、福沢諭吉は言っているのです。そう思ってしまったら、『学問のすゝめ』は、相変わらず現在進行形で私達の前にあって、「蒙(バカ)じゃいけねェな」ということを言い続けているのです。◇
 「百四十年以上も」経っているのに「相変わらず現在進行形で」、「蒙じゃいけねェな」と反省頻りである。 □


ゲリラ豪雨

2016年06月13日 | エッセー

 おとつい、出かける時は雨の気配はなかった。先妣の十三回忌、車で2時間を要する遠方に墓所はある。着いて車を降り墓に歩み寄ると、大粒の雨が堰を切ったように降り始めた。派手な雷鳴とともに稲光が2、3回、雨に煙って視界も利かない。おかげかどうか墓石を洗う手間は省けたが、ずぶ濡れだ。這々の体で車に逃げ帰った。と、途端に止んだから大笑いだ。仕掛けたような、ありきたりのコントのような顚末である。
 「おばあちゃんが降らせたにちがいない」と家人は言う。12年振りに姑に意地悪をされたとでもいいたげだ。かつての“戦い”を懐かしんでか。ならば、甲斐甲斐しい倅にはえらく酷い迎え方ではないか。ともあれ、夕方のローカルニュースは昼に県内の一部でゲリラ豪雨があったと伝えた。“一部”とはまちがいなくあそこだ。驟雨もそう。偶然も重なれば勝手なメタファーがくっつく。
 亡母は急に具合が悪くなって、検査入院した2日後亡くなった。ほぼPPK「ピンピンコロリ」ともいえる。惚けるもなにもその前、認知症とは縁なしだった。ために、介護を知らない。しかし振り返れば「K」はともかく「PP」、つまり健康観には注意が向く。折も折、読んでいた本が精神科医である齊藤 環氏の近著『人間にとって健康とは何か』(PHP新書、本年5月刊)であった。
 単に戦争がない状態を平和とはいわない。そういう近年の「積極的平和」と同等に、氏は病因を除去する「疾病生成論」から健康の要因を強化する「健康生成論」を提唱する。病気と対峙しマイナスからゼロへ引き戻す医学から、より高いプラスを指向する。「健康を静的な『状態』ではなく多様な『過程』と捉え直す」(同書より、以下同様)ポジティブな健康観へのパラダイムシフトを呼びかけている。
 「レジリエンス」がキーコンセプトだ。ストレスを撥ね返し、時には成長の糧にするような抵抗力、復元力をいう。同書ではヒトラーを凄まじく健康度の高かった人物だとし、「なぜこれほどまでに挫折に負けないタフな精神を維持できたのか」をレジリエンスの観点から分析している。これは一興だ。
 加えてもう一つのキーコンセプト「SOC」にも言及している。“センス・オブ・コヒーレンス”、「首尾一貫感覚」と訳され、ホロコーストを生き残った人たちを研究する中で生まれた概念である。3つの要素からなる。本分を引こう。
◇「把握可能感」とは、自分の置かれている状況を一貫性のあるものとして理解し、説明や予測が可能であると見なす感覚のこと。
 「処理可能感」とは、困難な状況に陥っても、それを解決し、先に進める能力が自分には備わっている、という感覚のこと。
 「有意味感」とは、いま行なっていることが、自分の人生にとって意味のあることであり、時間や労力など、一定の犠牲を払うに値するという感覚を意味している。
 注意すべきは、いずれの感覚も厳密には「無根拠」であることだ。だからこそ「~感」という主観性を強調した言葉になっている。◇
 パラフレーズすると、自らが置かれた危機状況を理解し、解決し、意義づけるセンスである。「首尾一貫」とは偶然ではなく人生の必然(あらかじめ決められたシナリオ)として捉えることであり、そのセンス(能力)は根拠なしの「感覚」である、ということか。並以上にストレスに強い人はストレッサーを「健康を高める素材」に転換してしまう。それがSOCだという。「その意味でSOCとは、通常の健康度の上位概念、いわば『メタ健康度』のようなものである」とし、「人生の早期に形成され、だいたい三十歳くらいまでに後天的に強化される学習性の感覚とされている。ただし、その後も発達する場合があり、生涯にわたってその発展は続くと考えられている」と語る。
 根拠なしのセンスといっても、身に付く根拠はある。
◇第一に、一貫性のある人生経験である。たとえば価値観の共有や、ルールや習慣に基づく経験などがこれに当たる。第二に、適度な負荷のかかる人生経験、言い換えるなら程よいストレスである。第三に、よい成果が得られた場合、そこに自分自身も参加し、影響を及ぼしたという経験である。◇
 「PP」にとって『メタ健康度』であるSOCは欠くべからざる能力といえる。はたして愚母はどうであったか。決して弱かったとはいえぬが、その愚息が強いストレッサーであったとはいえる。それだけでもSOCはずいぶん高まったろう。ひょっとしたら、あのゲリラ豪雨は12年目の“意趣返し”だったかもしれぬ。 (先妣の十三回忌に捧ぐ) □


ヤメ検 逆ギレのわけ

2016年06月09日 | エッセー

 6日に行われた舛添知事+ヤメ検2人の記者会見は予想通りの退屈な出来レースであった。だが1ヶ所、ぐっと引き込まれかつ腑に落ちない遣り取りがあった。
 木更津市の龍宮城スパホテル三日月への支出が会議費として処理された件について、ヤメ検は「家族と宿泊中に出版会社社長を客室に招き、1~数時間面談したとのことだが、全体でみれば家族旅行と理解するほかない」とし「違法とは言えないが、不適切」、また飲食費も「家族との私的な食事」であり「不適切」と判断した。それに関連しての遣り取りだ。

 ──(不適切とされた支出があった)飲食店については、直接お店の店員さんであったり関係者にヒヤリングをしたんですか。
 「あのね、そういうヒアリングを行うことによってどういう意味があるんですか。例えばあなたがそういう人びとを一人ひとりにつきましてそういう質問をしたとして、どういう答えが返ってきますかねー」
 ──実際にその
 (質問途中で遮り)
 「この中(報告書)でも不適切としているのは、ヒヤリングしたとしても不適切だと我々は思っているんですね」
 ──どれだけ時間をかけて、より詳しく情報を具体的に信憑性があるかないかを
 (質問途中で遮り)
 「いや、あのー、あなたは事実認定という言葉をご存じないからそういうことをいいますけども、すべてヒヤリングをしなければいけないというものじゃあないんですよ。例えば舛添知事が『毛沢東大躍進記録』というものを、そういうものをお買い求めになりましたかと舛添さんに聞いても、手元に証拠があるんですよ、実際にそういうものは。しかも買ったという領収書もあれば、それを買ったと認定するのが当然ですよ」
 
 ヒヤリングの有無について訊かれ、なぜキレたのか。凡愚にはそこが解らない。随分考え倦ねた末に達した答えはこうだ。
 ザル法である政治資金規正法に照らし、ヒヤリングするまでもなく違法性がないのは明らかだ。それは判っているのだが、今回は依頼主(=都知事)にとってダメージとなる「不適切」を付言せざるを得なかった。 
 「ヒヤリングしたとしても不適切だと我々は思っている」とは、ヒヤリングしたところで「不適切」を免れないという悔しさではないか。「はい、リーガルでした」で仕事は終わりなのに、ぎりぎりイリーガル直前の言辞を使わねばならない。これだけ多くの常識外の疑惑を前にして、違法性なしだけで終われば総スカンを食う。弁護士としての能力、資質を疑われる。スパッと問題なしで納めたいところだが、泣く泣く違法のとば口まで踏み込んだ。その敏腕ヤメ検として内心忸怩たる心情を、「我々は思っている」はよく表しているのではないか。出来レースだとしても、辣腕ヤメ検らしからぬ大きな譲歩をし、わざわざ「不適切」を羅列した。そのまことにつまらない己惚れがヒヤリングの有無を糺されたことで裏返った。それが逆ギレだ。
 ヒヤリング“もせずに”白旗を上げたのに、なぜヒヤリング“さえも”しなかったのかとねじ込まれた。おかしなロジックだが、そういう逆転した自尊心を措定しないと逆ギレのわけは解らない。
 “マムシの善三”というらしい。間違っても友達にはしたくない面容だ。貧相で、まさにマムシの顔、毒蛇の目だ。
 さて、「事実認定という言葉をご存じない」には要注意だ。この人を見下した高飛車な物言いは語るに落ちたひと言だ。
 彼は事実認定とは「すべてヒヤリングをしなければいけないというものじゃあない」と言っている。法律用語として正確に使うならば、事実認定をするのは裁判官(裁判員も含む場合がある)である。彼はまさか裁判官にでもなったつもりなのだろうか。正しくは事実“の”認定だろう。コンテクストでは証拠、挙証のことではないか。昔取った杵柄の、立件に必要な証拠はこれだけあればいけるなどという習い性が口を衝いて出たのではないか。逆ギレの渦中で、タームを繰り出して遣り込めようとしたのだろう。ところが図らずも地金を晒す羽目になった。
 “マムシ委員会”の報告は、約めれば「役得でした」となる。見えるのは役得を羨むのは貧乏人の僻み、弱者のやっかみという構図だ。「気分は民主主義」(5月の拙稿)よろしく昂揚に任せて責め立てるほどこの構図に嵌まる。外野席からはそう見える。なにせリーガルなのだから。ご当人は何はともあれひたすら平身低頭、下げた頭の上を矢はビュンビュン飛び去っていく。すげぇータクティクスだ。
 三権分立を唱えたシャルル・ド・モンテスキューは、主著『法の精神』に毒のある箴言を残している。
「各人はそれぞれみずからの個人的利益に向かっていると信じながら、公共の善に向かっているといったことが生ずる。たしかに……国家のあらゆる部分を導くものは、いつわりの名誉ではある。しかし、このいつわりの名誉が公共にとっては有益なのだ」
 ひょっとしたら、これもありかもしれない。先方のタクティクスを逆手に取る荒技だ。「気分は民主主義」の熱狂よりもよほど賢いといえなくもない。
 『字統』によれば、
「舛」は偏が<右足>で旁が<左足>を意味する会意文字で、各々が別の方向に進み不安定であるさまを表す。「セン・そむ-く・あやま-る・いりま-じる」と読み、「背く。たがう」「誤る。間違う」の意味をもつ。なんだか首都の騒動を体現しているようでおもしろい。 □


傍証として

2016年06月07日 | エッセー

 先日の拙稿「決定!! “2016流行語大賞”」で内田 樹氏の論攷を引いて、こう書いた。
<「政治家は誰も興味を示さない」のは、「猿たちは一斉に即答」するからだ。本邦挙げての「未来を軽んじる時間意識のありよう」に根因がある。今度ばかりは「私たち」が“朝四暮三”に「即答」する「猿たち」程度に見くびられていると気づいた方がいい。>
 直後に行われた世論(セロン)調査は各社ほとんど同じ結果であった。
<消費増税の再延期「評価する」54%、JNN世論調査
 調査は6月4日・5日に行いました。
 安倍総理が来年4月に予定されている消費税率10%への引き上げを2年半再延期することを表明したことについて「評価する」と答えた人は54%で、「評価しない」と答えた人は34%でした。
 安倍内閣の支持率は前の月の調査より0.6ポイント上がって55.2%。不支持率は前の月の調査より0.5ポイント下がって42.9%でした。>
 “朝四暮三”に「即答」する「猿たち」程度に見くびられている──ありさまをまたしても晒すことになった。
  今注目のチェコの経済学者トーマス・セドラチェクは1年前の著作『善と悪の経済学』(東洋経済新報社)で次のように述べている。
◇現代はお金と借金の時代であり、後世にはたぶん「債務時代」として記憶されることになりそうだ。だがはるか昔はそうではなかった。古代の貨幣は倫理規範、信仰、象徴主義、信用と結びついていた。最初の貨幣には、借金の額を記載した粘土板の形をとって、メソポタミア期に出現した。この債務は移転可能だったから、やがて債務が貨幣の役割を果たすようになる。英語のcreditの語源が、ラテン語で『私は信じる』という意味のcredoなのは偶然ではない。◇(抄録)
 貨幣ははじめ借金の証文であったとは至極おもしろい。国債も国による借金の証文である。国は今それを打ち出の小槌のごとく振り回して「貨幣」を生み出している。一種の先祖返りといえなくもない。
 同氏は先月、朝日新聞のインタビューで「債務時代」を即妙な譬喩で語っている。
<――世界の経済や経済学は今、二日酔いに苦しんでいると。
 「借金とお酒は似ています。金曜の夜にバーに行く。お酒がおいしい。お酒からエネルギーをいっぱいもらえる」
 「でもそれは誤解です。お酒からエネルギーをもらっているのではなく、翌日の土曜の朝のエネルギーを金曜の夜に移動させているだけ」
 「借金も同じ。金がなくなると銀行や友人から借りたり、最悪の場合は姑から借りたりします。しかし、実際には、私の未来から現在に金を移しただけです」
 「ただ二日酔いからの回復を目指すだけでは本当の解決になりません」
――なぜこれほどまで多くの人や社会は借金に頼ろうとするのでしょうか。
 「豊かであればあるほど借金に傾く。世界中で見られる現象です。飢えたから金を借りるというより、食べ過ぎたからもっとほしくなる」
――結局、成長へのこだわりが、病的だということですか。
 「この病気は人間や社会の生体そのものを破壊するかもしれません。豊かな国の問題は借金を作りすぎて崩壊するということです。成長しないからではないのです」>(抜粋)
 さあ、「猿たち」の“花金”が盛り上がるのか。
 ひと言付け加えると、もしも「新しい判断」が今年の流行語大賞の選に漏れるとしたら、残念ではあるがそれは「新しい判断」というほかあるまい。

 6日付朝日の記事から。
<「優しいから許すよ」 大和君、再会の父に 点滴外れ、食事も完食
 3日に再会した貴之さんが病室で謝ると、大和君は「許すよ。お父さんが優しいから許す」と話したという。貴之さんは「申し訳ない気持ちになった」と声をつまらせた。>
 前稿「ヤマト君の“旅”」の終段はこうだった。
<親を地球に置き去りにした“旅”の目的は親への躾であった。カレラは目的の成就を見届けてヤマト君を連れ帰った。>
 「許すよ。お父さんが優しいから許す」とは、7歳の子供のことばとは信じ難い。カレラに教え込まれたスクリプトにちがいない。「親への躾」という「目的の成就を見届け」たので、“帰ったら”このように言いなさいと刷り込まれた。それが「貴之さんが病室で謝ると、・・・・」の件(クダリ)だ。それにしても「優しい」といい「許す」といい、なんと巧みな。繰り返すが、子供のことばではない。いつも上にいるカレラの物言いが期せずして滲んだのではないか。謝ったから許すのではない。優しいという本性が確かめられたから赦すという。こんな清濁併せ呑む大人のロジックはやはりカレラでしかありえない。
 以上、2つの愚稿について無理やりな傍証を挙げてみた。詰まるところ、愚案に「新しい判断」を差し挟む余地はない。 □


ヤマト君の“旅”

2016年06月03日 | エッセー

 かつて読み終えて、閉じることを忘れ呆然とした小説はこれ以外にない。 
 三島由紀夫 『美しい星』である。
 長編の大団円で、円盤とともに浮遊するような感覚に見舞われた。溜息が漏れた。ややあって息が整い、この物語が実はSFではないことに気づいた。再び感動がうねり、己心が藻屑のように海中に呑み込まれた。……40年を越える往時のことながら、今も鮮烈だ。

 マスコミは立て続けにブレイキング・ニュースを流した。(以下asahi.comから)
 2016年6月3日10時33分 「行方不明の小2見つかる 北海道・陸自演習場で」
 2016年6月3日10時46分 「大和君『水分しかとっていない』 自衛隊員からおにぎり」
 2016年6月3日11時02分 「大和君、両手足にすり傷 両親と対面、笑顔で喜ぶ」

 詳細の発表はこれからだ。しかし、ヤマト君は“本当の”ことは言わないだろう。UFOに乗って6日間、銀河のお散歩に行っていたなんて──。もしかしたら、記憶を消されているかもしれない。それはカレラの常套手段だ。楽しかった“旅”の思い出もいっしょになくなるのは淋しいが、延期して待っていてくれた小学校の運動会が特別なメモリアルとして彼の一生を彩るにちがいない。
 付言しておこう。
 この物語のモチーフは『美しい星』で語られた人類の滅亡といった深刻なものではない。親を地球に置き去りにした“旅”の目的は親への躾であったのだから。カレラは目的の成就を見届けてヤマト君を連れ帰った。だが世代の継承には人類の存続が掛かっている以上、テーマは小振りでも重さは同等ともいえる。(2016年6月3日14時07分) □


決定!! “2016流行語大賞”

2016年06月02日 | エッセー

 東京新聞のコラム『筆洗』は辛辣に皮肉った。
<昨日の夕方に「自分が悪い場合でも謝らなくても済む方法」というテレビ番組の放送があると聞いて、首を長くしてその時間を待った▼絶対にやると言っていた約束を一方的に破る場合の対応である。▼講師によると、まずは絶対に「約束を破った」と認めてはならないという。新しい判断とか、異なる判断をすると言い換える。なるほど間違いを認めなければ、謝る必要もない▼もし約束を守れば、世界の破滅が待っていると恐怖を煽るのも効果があるそうだ。世界のリーダーや立派な学者も自分を支持していると加えることもお忘れなく。決めぜりふは「どっちが正しいか、町の意見を聞いてみよう」。これで、そもそも約束を破ったという事実を完全にけむに巻ける。>(16/06/02 抜粋)
 朝日の見出しはこうだ。<首相の説明、変転 「増税再延期ない」→「新しい判断」強調>
 社会面では以下の記事が目を引いた。
<「新しい判断」 流行るかも
 これまでの約束とは異なる新しい判断──。増税先送りの説明に、安倍首相はこんな言葉を使った。「そんな表現があるんだな」。社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」で安倍首相を演じる福本ヒデさんは、テレビで会見を見てうなったという。「公約違反との批判を見越し、『間違っていた』とか『実行できなかった』とかマイナスの言葉は使わない。『新しい判断』で何でも逃げられそうだから、はやるかも」>(16/06/02 抜粋)
 よく誤用されるのが「君子豹変」である。優れた人物は過ちがあれば即改め、鮮やかに面目一新を図るとの謂で本来ダーティーなニュアンスはない。その鮮やかさが豹皮の斑模様のように鮮明であるからという。「再延期」を行政上のフレキシビリティだと歓迎する向きもあるが、だからといってこのイディオムは当たらない。『新しい判断』は鮮明ではあろうが、「『間違っていた』とか『実行できなかった』とかマイナスの言葉は使わない」のだから「過ちがあれば即改め」に符合しない。したがって、君子豹変と誉められた代物ではない。やはり「朝三暮四」がしっくりくる。
 宋の狙公がトチの実を猿に朝三つ暮に四つ与えたところ猿たちは少ないと怒った。そこで朝四つ暮に三つにしたら大いに喜んだという故事である。広辞苑によると、「目前の違いにばかりこだわって、同じ結果となるのに気がつかないこと。口先でうまく人をだますこと」とある。
 食言、つまりウソは今に始まったことではない。古くは5000万の消えた年金──「一件残らず解明する」はどこにいった! いまだ2200万件は未解明だ。「フクシマはアンダーコントロール」は世界が大向うだった。炉の中も覗けず、デブリのありさまさえ掴めず、地下水の対処さえできないのに一体どこがコントロール下にあるというのか! 極めつけが消費増税。これで2度目だ! 2度あることは3度あるという……。
 具眼の士・内田 樹氏は13年の参院選後朝日に論攷を寄せて、政治過程の時間感覚が短期化しつつあると指摘した。
◇短期的には持ち出しだが100年後にその成果を孫子が享受できるというような政策には今政治家は誰も興味を示さない。原発の放射性廃棄物の処理コストがどれくらいかかるか試算は不能だが、それを支払うのは「孫子の代」なので、それについては考えない。年金制度は遠からず破綻するが、それで困るのは「孫子の代」なので、それについては考えない。TPPで農業が壊滅すると食糧調達と食文化の維持は困難になるが、それで苦しむのは「孫子の代」なので、それについては考えない。目先の金がなにより大事なのだ。平たく言えば「未来の豊かさより、今の金」ということである。今ここで干上がったら、未来もくそもないというやぶれかぶれの本音である。
 古人はこのような未来を軽んじる時間意識のありようを「朝三暮四」と呼んだ。私たちは忘れてはならないのは、「朝三暮四」の決定に際して、猿たちは一斉に即答した、ということである。政策決定プロセスがスピーディーで一枚岩であることは、それが正しい解を導くことと論理的につながりがないということを荘子は教えている。◇
 3年前と寸分違(タガ)わないことに怖気を震う。「政治家は誰も興味を示さない」のは、「猿たちは一斉に即答」するからだ。本邦挙げての「未来を軽んじる時間意識のありよう」に根因がある。今度ばかりは「私たち」が“朝四暮三”に「即答」する「猿たち」程度に見くびられていると気づいた方がいい。
 だから自戒を込めて、魔法の言葉=『新しい判断』を “2016流行語大賞”に強く推したい。これが、稿者の新しい判断である。 □