伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

相手は協会だ!

2014年09月30日 | エッセー

 アルタンホヤグ・イチンノロブの“イチ”から“逸”としたそうだ。もちろん安逸、逸機ではなく、秀逸、逸材の“逸”だ。外の部屋にとっては大変な逸材を逸機したといえようが。
 秋場所の奔逸な快挙は贅言を要すまい。稿者としては十三日目の鶴竜との一戦が特に印象深い。大関稀勢の里戦と同じくモンスターが横綱を相手に、なんと変わり身を見せた。しかも悪びれもせず、「勝てる気がしなかったから、(立ち合いの変化は)最初から決めていました」と言い放った。
 「横綱、大関への初挑戦で飛ぶようなケチ臭い根性で張れるほど、綱は軽いものではない」、あるいは「役止まり(大関、関脇、小結)がせいぜい」と酷評した元横綱もいた。しかし、この当たり前すぎるコメントに事の実相が隠されているのではないか。
 「綱は軽いものではない」というが、近年の綱は相当軽くなっているのではないか。髷を掴んで反則負けになる横綱や、三場所経っても優勝できない横綱。綱のチャンスのたびに腰砕けになる大関や、優勝に絡めないどころか幾度も格下げの危機をさまよう大関。規程ギリギリで促成された横綱、大関のなんと多いことか。それらしいのは白鵬だけではないかと、日本相撲協会の粗製濫造に憤りを覚える。一連の不祥事とそれに踵を接した人気低落に打開策を打ったつもりであろうが、裏目に出ているとしかいえない。確かに今場所は一日を除き、満員御礼に沸いた。だがそれは遠藤と逸ノ城に拠るもので、上位陣はお世辞にも褒められたものではない。協会にとっては逸ノ城様々である。それを「役止まりがせいぜい」などと、おそらく協会の役員であろう元横綱がどの面ぶら下げて言えるのか。経営感覚もなければ、メンターとしての資質も疑わしい。
 彼は首都を去ること遙けき大草原で育った。最大の財産である家畜をオオカミから守るため、番犬の咆哮に即応し馬を自在に乗り回して育った。獣の気配を感じ、息遣いを聞き、足音を捉え、身動きを察しつつ対峙してきたのだ。そのような容赦のない敵との攻防を身体化した若者に、異国の紳士協定を説いても始まるまい。「初挑戦で」飛んだのではなく、「初挑戦で」あるからこそ、飛んだのだ。適わない敵に遭遇した時、どう対するのか。本物の野獣と日常的に対決してきた若者が“飛ぶ”のは至極当然の応戦ではないか。「綱は軽いものではない」と見抜いたからこそ、“軽々と”心身を翻した。その野人の身体知を解ってやらねば、角を矯めて牛を殺す。
 知己が彼を評して、「蒙古襲来」といった。巧い物言いだが、実はそれはとっくに畢っている。今や大内裏に闖入し、摂政関白を懲貶する事態に立ち至った。つまりは、逸ノ城が相撲を取った相手は誰あろう、相撲協会だったのではなかろうか。ある時はひらりと身を躱し、ある時は寄り、またある時は豪快に投げ飛ばして土俵に叩き付けた当の相手とは、大相撲の位階秩序をオーソライズしてきた協会のインフルエンスそのものだったといえば壮語に過ぎるか。割を壊した意味はそれだ。
 一時代前なら新入幕と大関横綱で割を組むことはなかった。だから、とっくに優勝である。それを無理筋の勝負をさせて、逆に一敗地に塗れたのが協会ではないか。よって、「横綱、大関への初挑戦で」とは片腹痛い。百年ぶりの歴史的な優勝は逸したものの、協会との取り組みは見事な右四つ・寄り切りの勝ちであった。

 片や、気の利いた四股名でも考えてやればいいのにと気を揉むのが遠藤だ。彼については本年五月に、「負けっぷりがいい」と題して拙稿で取り上げた。
 今場所も、徹して負けた。肩を落とし、頭(コウベ)を垂れて花道を引き揚げる姿が連日続いた。入れ替わり立ち替わり、対戦相手は大枚の懸賞を鷲掴みにした。高い授業料を払い続けたともいえるし、さらに負けっぷりに磨きが掛かったともいえる。
 彼の場合、実力が伴わない人気先行だと評される場合がある。しかし、それは管見というものだろう。彼ほど定石通りに実力に応じて駆け上り、実力に応じて壁に直面し、跳ね返され、呻吟し苦悶する力士は当今稀ではないか。人気と力が相反しつつ拮抗していく。あたかも若者が世の荒海を漕ぎ進む物語のようでもある。一時(イットキ)の人気に右顧左眄することなく、十年一剣を磨く。そのようなあり様(ヨウ)である。そこを、それこそを辛抱強く待ち、見つづける。それがこの力士との対し方といえば大袈裟だが、応援の仕方だと愚慮している。だからむしろ観られているのは、桟敷の観察眼かもしれない。稿者はブレークスルーが必ず訪れると確信する。懸賞に出す金はないが大声だけは出して、来場所もテレビ桟敷から応援したい。
 秋場所の明暗を分かつ二人のようだが、片や相撲協会の、片や桟敷席の眼が問われた場所であった。 □

※○○と畳は新しい方が良いといいます。○○を新調したいのですが、これは困難、至難、“死なん”の業。代わりにPCを新調しました。カスタマイズがなかなか進みませんが、旬の内の投稿には漕ぎ着けました。引き続きご愛顧を。


2つの驚き

2014年09月26日 | エッセー

 9月21日(日)午後9時から1時間半、WOWOWで「吉田拓郎LIVE2014」が放映された。カメラを通した映像には臨場にない新たな発見もある。いや、見落としていたというべきか。
 極々初期は別にして、拓郎はほとんどステージでパフォーマンスを見せないミュージシャンだ。そのことに改めて感じ入った。客席をインスパイアする桑田や自らビッグだと言い募る某歌唄いとは隔絶した特徴だ。ライティングを除けば、まるで録音スタジオである。MC以外は客席に一瞥を投げることもなく、ただひたすらにギターを奏しつつ歌う。だが、決してオーディエンスをネグっているわけではない。そのことについては後述する。このようなステージ・スタイルのミュージシャンを、稿者は寡聞にして知らない。シャイなのは百も承知だが、それにしても異質で特異だ。このことには、もっと驚いていい。大病を患ってからは特にそうだ。
 「『生きた伝説』ひたむきに」
 これは、音楽評論家の田家秀樹氏が新聞に寄せた感想のタイトルである。このコンサートに氏は若者の音楽シーンを拓いた「最大の功労者」が、つまりは今を生きるレジェンドがなおも音楽と向き合うひたむきさを見取ったという。そうなのだ。あのスタイルにはひたむきさが凝っている。再三のツアー挫折は彼にはトラウマとなったにちがいない。切迫した状況は非情にも心の平衡を奪ったかもしれない。ともあれライヴを打ち上げる。その心組みが舞台からパフォーマンスを追い遣ったのだろうか。

   〽ずっと遠い昔から
    足音が聞こえる
 
    この道が 大好きだから
    この道を 行けばいい
    この道が 大好きだから
    この道を 行くんだよ〽

 “LIVE2014”で歌った『僕の道』だ。「足音」は、『伝説』のそれであろうか。「この道を行く」のは、『僕の道』だからだ。なんともひたむきな曲ではないか。

◇ポッポヤはどんなときだってなみだのかわりに笛を吹き、げんこのかわりに旗を振り、大声でわめくかわりに、喚呼の裏声を絞らねばならないのだった。ポッポヤの苦労とはそういうものだった。◇

 これは浅田次郎著「鉄道員(ポッポヤ)」の一節だ(「喚呼の裏声を絞」るとは、汽笛を鳴らすこと)。悲哀を超え、鉄道員一筋に生きたローカル線の駅長。勤続四十五年の最後の日、ホームの雪だまりにしっかり手旗をにぎり、口に警笛をくわえたまま倒れていた。
 なぜか、老駅長を演じた健さんの、背筋をしゃんと伸ばした立ち姿が浮かぶ。
 「直向き」と書く。まっすぐに、一途に向かう。そこにいるだけでパフォーマンスを超えるのは、ひたむきであるからにちがいない。あのステージ・スタイルはきっとそうだ。

 アンコール、オーラスでの1分にも及ぶ長いお辞儀。しかも左右、中央と三度も。すべてのMCとかなりの曲をカットしたにもかかわらず、放映ではここは見逃していなかった。大したものだ。2時間半立ちっぱなしである。体力は限界に達していたに相違ない。身体を90度に折り曲げ、膝上に置いた両手で支える。随分以前からの独特の慣わしなのだが、これこそ唯一のパフォーマンスではないか。これにも、もっと驚いていい。
 辞儀は挨拶であり謝意、敬意を託した身体表現である。形は異なるものの、世界のどこにでもある。
 興味深いのは、イスラームではこれを忌み嫌うことだ。ムスリム同士はもとより、対人全般に法度だ。辞儀は神に対してのみ行うものとされる。まことにリゴリスティックである。拓郎はムスリムではないので(絶対に)、この縛りは受けない。だがややこしくいえば、禁を犯すことで人間の平等をパフォームしているといえなくもない。
 考えてみれば、捌け際としてはカッコよくはない。並のミュージシャンならやらない。ど派手に捌ける。まるで演歌歌手のような作法だ。それにしても、あれほど長くはない。見ようによっては過剰でもあろう。でも彼は頑なに繰り返す。やはり辞儀の本旨に帰り、オーディエンスとの同等をパフォームしているといえば贔屓目の壮語であろうか。
 
 今回は2年振りだった。彼は「1年に1本ずつ増やしていけば、80歳くらいで全国ツアーになるかも」と、田家氏に冗談を飛ばしたそうだ。勘定は明らかに合わない。でも、平仄を超えて彼は生きてきた。これからも、それは変わるまい。 □

※わが老PCがいよいよ余命幾ばくもないようで、前稿から間を置いてしまいました。少しこんなことが続くかもしれません。でも持ち主の余命はまだありそうですので、お見捨て置きなきように願います。


スコットランドと沖縄

2014年09月17日 | エッセー

 スコットランド独立の是非を問う住民投票が直前に迫った。それにつけても、沖縄だ。突飛なようだが、沖縄“独立”だ。
 反乱の末に、スコットランド王国がイングランド王国に併合されたのが1707年。それまでは同じ君主を戴くとはいえ、独立した王国であった。グレートブリテン王国の成立である。とはいえスコットランドの法・教育・裁判制度は他の3つのカントリーとは独立しており、議会も別に設置され権限も委譲されている。ただ、国際法上はグレートブリテンでひとつの法域である。
 片や、薩摩による琉球征服は関ヶ原の9年後1609年のことであった。スコットランド併合の100年前だ。以後琉球王国は明からの冊封も継続しつつ薩摩の支配も受ける日中両属となる。琉球処分が維新後4年の1872年から79年。琉球王国が廃絶され、台湾出兵によって清朝の抗議を振り切り日本の独占的支配権が確立されるに至る。爾後、沖縄県が置かれた。これだと、スコットランド併合の172年後である。ともあれ粗っぽく丸めると、ユーラシア大陸の両端でほぼ同時代に併合ないしは吸収が行われたといえなくもない。
 アダム・スミス(経済学)、コナン・ドイル(シャーロック・ホームズ)、ロバート・ルイス・スティーヴンソン(ジキルとハイド)、グレアム・ベル(電話)、アレクサンダー・フレミング(ペニシリン)、ジェームズ・ワット(蒸気機関)、アレクサンダー・ベイン(ファックス)、ジョン・ロジー・ベアード(テレビ)、ジョン・ボイド・ダンロップ(空気入りタイヤ)などなど、これらのスコットランド人を除いて近現代文明はあり得ない。産業革命のエネルギー源となった石炭もスコットランドが供給し続けた。独立にYESを表明するショーン・コネリーも同国人だ。その名を冠するスコッチ・ウイスキーは不動の玉座に鎮座する。
 しかしスコットランドには歴史的貢献の割に冷遇され差別を受けてきたことで、イングランドへの対抗意識が根強くある。しかも1960年代の北海油田開発、80年代からのIT産業の振興が自立の背景にある。ただかつての宗主国からの独立や冷戦後のさまざまな分離・独立に比すると、いかにも唐突で違和感さえ覚える。側聞する限りでは、ごく小規模とはいえ芽生えつつある『沖縄独立』運動も彼の国に劣らず突飛ではある。
 佐藤 優氏が自著の「サバイバル宗教論」(文春新書)で、このことに触れている。
 琉球王国が1854年に琉米、翌55年に琉仏、59年には琉蘭と、「修好条約」という国際条約を締結している事実を挙げ(琉球処分の際、東京へ条約原本を持ち帰った)、琉球は国際法の主体だったとする。
◇これから起りうる深刻な問題は、沖縄の独立運動が新たに起きるということではなく、「よく考えてみたら我々はもともと独立国だった、国際社会もそれを承認していた、三つの国際条約も結んでいた。それなのになぜその国際条約文書が東京にあるんだ」というようになることです。こうなると、三年ぐらいで分離独立が現実になってしまいます。◇(上掲書より)
 「独立国だった」という自覚は、刻下のスコットランドと通底してないか。140万の人口では独立は無理だとの議論に対しては、それ以下の人口で国連に加盟している国が40カ国以上もあると去なしている。
 さらに「私たちをコケにする人たちと一緒にいたっていいことはないと沖縄は思い始めています。これはまずいことです」(上掲書より、以下同様)と警鐘を鳴らし、アメリカが「日本よりも中国との関係を重視した場合には、沖縄を緩衝地帯とし、アメリカの基地を維持できるとすれば、日本から切り離すというシナリオも十分あると思います」と畳み込んでいる。なぜなら、「普天間問題の本質は、沖縄に対する差別の問題です。沖縄の運命にかかわる問題であるにもかかわらず、東京の中央政府とアメリカが勝手に決めてそれを押しつけるという構造になっています」と論じている。これも彼の国と響き合うものがありはしないか。なにより、やまとんちゅには頂門の一針だ。
 歴史学者の与那覇 潤氏が「日本人はなぜ存在するか」(集英社)で、ウルトラマン生みの親である金城哲夫について興味深い考究を綴っている。金城は沖縄に生まれ沖縄戦を体験し、アメリカ統治下で育った。
 「仮面ライダーがおおむね人前でも平気で変身するのに対して、ウルトラマンは自分の正体を隊員どうしのあいだでも隠し、人目につかないところで、ひとりひっそりと変身する」(同書より、以下同様)のはどうしてか。それは「宇宙人(特殊能力者)としてのウルトラマンと、地球人=防衛隊員としてのふたつのアイデンティティを抱えた主人公」の悩みの故だという。
◇本来、ウルトラマンには「沖縄」という、アイデンティティのはざまで悩むマイノリティの姿が仮託されていました。しかしそのような作品が、どうして最高視聴率40パーセント台という、熱狂的な支持を内地の「マジョリティ」のあいだでも得たのでしょうか。佐藤健志氏(作家、評論家・引用者註)の『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』が、以下のように論じています。──博愛主義的な善意の宇宙人が地球を守ってくれるという『ウルトラマン』の世界は、沖縄と日本との関係についての金城自身の切実な願望を反映したものだった……[そして、その]沖縄と日本の関係にたいする金城の願望は、アメリカと日本との関係にたいする多くの日本人の願望とみごとに相似形をなしていたのだ。──◇(上掲書より)
 この入れ子構造が「日本人の願望とみごとに相似形をなしていた」時代は終わろうとしている。今イングランドがスコットランドにどう向き合うのか問われているように、真に突きつけられているのは、やまとんちゅのうちなんちゅへの正対だ。
 再び、佐藤 優氏の達識に戻ろう。上掲書でこう述べる。
◇沖縄は天皇神話に包摂されない日本なんです。別の観点から見ますと、沖縄があるから日本は帝国なんです。天皇神話のもとで均質な文化で一様になっているのであれば、これはネーション・ステート(国民国家)です。しかし沖縄を抱える日本は、異質な領域を包摂しているから、ネーション・ステートではなく帝国なんです。◇
 意表を突く指摘だ。成り立ちから刻下に至るまで、それと気付かず帝国的統治を続けていたことになる。帝国は過去の遺物ではない。ただ、歴史はそれが永続しないことは教えている。 □


朝日、謝罪不用

2014年09月12日 | エッセー

 昨日朝日新聞の社長が記者会見を開いて、吉田調書の「命令違反」報道を取り消し謝罪した。取り消しはしても、謝罪は不用だ。さらに、慰安婦の強制連行証言についても虚偽判断と記事取り消しが遅きに失したと謝罪した。こちらも謝罪は不用だ。
 碩学の論攷を徴したい。内田 樹氏は医療事故の報道を引き合いに、『街場のメディア論』(光文社新書)でこう述べる。
◇メディアは患者サイドからの「告発」を選択的に報道し、病院側の「言い訳」についてはあらわに不信を示すというのが報道の「定型」になっている。この偏った報道姿勢には、実は理があるのです。僕もそれは認めなければいけないと思います。「とりあえず『弱者』の味方」をする、というのはメディアの態度としては正しいからです。◇(抄録)
 慰安婦は言わずもがな、吉田昌郎所長(当時)はフクシマにおいて明らかに「弱者」であった。全知のジャーナリストが存在しない以上、何方(イズカタ)にかバイアスは掛かる。それを先ずは弱者側に向けるのが、「メディアの態度としては正しい」といえる。
◇裁判では「推定無罪」という法理があります。同じように、メディアは弱者と強者の利害対立に際しては、弱者に「推定正義」を適用する。これがメディアのルールです。「同じ負荷をかけた場合に先に壊れるほう」を、ことの理非が決するまでは、優先的に保護する。◇(同上)
 時のぼんくら宰相は見当違いの圧力を所長にかけ続けた。「同じ負荷をかけた場合に先に壊れるほう」はどちらか明々白々だ。慰安婦然りだ。
 ただ「偏った報道姿勢」は、時としてニュースソースに「偏った」解釈を誘発する。偏りが誤りに道を譲る場合がある。全能のジャーナリストはいないからだ。では、どうするか。
◇「推定無罪」が無罪そのものではないように、「推定正義」も正義そのものではありません。弱者に「推定正義」を認めるのは、あくまで「とりあえず」という限定を付けての話です。
  検証の過程で「正義ではなかった」ということが起きる可能性はつねにある。「よく調べたら、この『弱者』の言い分には無理があります」と後になって認めたにしても、それは少しもメディアの公正さや洞察力を傷つけるものではないと僕は思います。ぜんぜん構わない。「推定正義」を適用して、とりあえず弱者に肩入れするのはメディアの本務の一部なんですから。でも、メディアは「つねに正しいことだけを選択的に報道している」というありえない夢を追います。この態度は病的だと僕は思います。(報道を撤回することで・引用者註)メディアの威信が低下すると思っている。でも、話は逆なんです。事実によって反証されたら「推定」をただちに撤回することがむしろ、メディアの中立的で冷静な判断力を保証するのです。「なぜ、自分は判断を誤ったのか」を簡潔かつロジカルに言える知性がもっとも良質な知性だと僕は思っています。少なくとも自然科学の世界ではそうです。◇(同上)
 付言の必要はあるまい。朝日の対応は、「『なぜ、自分は判断を誤ったのか』を簡潔かつロジカルに言える知性がもっとも良質な知性」との洞見にも適う。対応は極めてリーズナブルといえる。否、過剰でもある。
 過剰の訳は、吉田調書については改竄ではなく(調書の文面に恣意的に手を加えたのではなく)解釈の問題であった点だ。現に稿者は第一報を読んだ時に、これだけで「命令違反で撤退」と断定できるのか違和感を覚えた。しかし、如上のごとく「メディアの態度としては正しい」。敢えて言うなら、勇み足だ。つまり、寄り切ってはいる。相撲で勝って,勝負に負けたといえなくもない。なぜなら朝日のスクープがなければ、吉田調書が果たして日の目を見たかどうか。失念できない功績だ。
 慰安婦誤報問題については、慶応大教授の小熊英二氏が8月6日の朝日に寄せた考察を引きたい。
◇大きな変化を念頭にこの問題をみると、20年前の新聞記事に誤報があったかどうかは、枝葉末節に過ぎない。とはいえ、今や日韓の外交摩擦の象徴的テーマとなったこの問題について、新聞が自らの報道を点検したのは意義がある。また90年代以降の日韓の交渉経緯を一望し、読者が流れをつかむことを助けてくれる。
 この問題に関する日本の議論はおよそガラパゴス的だ。日本の保守派には、軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にし、それがなければ日本には責任がないと主張する人がいる。だが、そんな論点は、日本以外では問題にされていない。そうした主張が見苦しい言い訳にしか映らないことは、「原発事故は電力会社が起こしたことだから政府は責任がない」とか「(政治家の事件で)秘書がやったことだから私は知らない」といった弁明を考えればわかるだろう。
 慰安婦問題の解決には、まずガラパゴス的な弁明はあきらめ、前述した変化を踏まえることだ。秘密で外交を進め、国民の了解を軽視するという方法は、少なくとも国民感情をここまで巻き込んでしまった問題では通用しない。◇(抄録)
 これはもう胸がすく一刀両断だ。「ガラパゴス的な弁明」とは、木を見て森を見ざる、角を矯めて牛を殺す、である。この問題は、戦争における国家的未必の故意による人道的犯罪である。国家的規模による未必の故意、ガラパゴスを離島すれば明晰に見えてくる視点だ。
 きのう、民放ラジオで安倍首相はこう述べた。
「例えば慰安婦問題の誤報によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実と言ってもいい。一般論として言えば、報道は国内外に大きな影響を与えるし、時として我が国の名誉を傷つけることがある。正確で信用性の高い報道が常に求められている」
 まったく噴飯物だ。もし「誤報によって多くの人が苦し」んだとしても(どう考えても、それはどのような人びとなのか想像が及ばないけれど)、慰安婦の苦しみと傷ついた名誉に比してどれほどのことがあろう。「慰安婦問題の誤報によって」の「誤報」には要注意だ。ジャーナリズムへの牽制とも取れるし、枝一本で森全体を断じるトリックともいえる。桑原、桑原。誑かされてはなるまい。
 ともあれ戦後朝日以外に、記者がその職務ゆえに殺された新聞社があっただろうか。寡聞にしてその名を知らない。
 内田 樹氏は『日本霊性論』(NHK出版新書)で、反共の冤罪で長く獄にあった韓国のある知識人を例に以下のように語る。(抄録)
◇日本のメディアでも、政治的に過激なことを揚言する人がいくらもいますが、この中に獄中に十三年投じられても、その政治的意見を揺るがせないでいられる人間が何人いるだろうかと思ってしまうんです。何人かはいるでしょうけれど、九五パーセントくらいは警察に一喝されたら、あっというまに腰砕けになってしまうでしょう。「警察の拷問に耐えられる人間なんかいるはずがない。暴力で脅かされたら、誰もがあっというまに自分の意見なんかひっこめる」と思っている人間たちばかりで日本の論壇は形成されている。「身体を張ってものを言う」ということについて歴史的な検証に耐えた人というのを、僕らはもう見てないんです。◇
 「身体を張ってものを言う」。その一点において、朝日は空前のアドバンテージを掴んでいる。勇み足なぞ九牛の一毛、謝罪不用だ。 □


『餃子の王○』

2014年09月09日 | エッセー

 「また来たな」と郵便受けからDMを取り出して、荊妻と苦笑を交わした。今年の冬以来、何度も来る。『餃子の王○』からだ。
 『餃子の王将』の社長射殺事件が起きたのが昨年12月。いまだに未解決だ。社内外から慕われた人だったらしく、「追悼餃子」なるものが大いに売れたとニュースが伝えた。だから2月、新聞の広告に「餃子の王○ 通信販売」とあるのを見てすぐに注文した。電話の先は九州。へー、遠くに工場があるんだねと妻は語り、生産が間に合わないからだろうと私は応じた。
 1週間後に届いた品物を、お隣さんにお裾分け。送賃を安くするため両家とあと数軒でまとめて、これも九州の餃子の名店からよく取り寄せる。事の次第を説明して、これはいつものよりもっとおいしいよと付け加えた。実は『餃子の王将』は食したことがない。だが、これがそうなんだと納得する味ではあった。しかし、義理堅いお隣さんからは反応がない。美味かったという声が聞こえてこない。
 2週間も経ったころか、お隣に回覧板を届けに行った愚妻が笑いながら帰ってきた。言おうか言うまいか、お隣は困ったらしい。『餃子の王将』ではなく、『餃子の王○』だったという。一字違いだ。包みはとっくに捨てている。お隣にもない。確かめようはないが、そう言えばさして美味くはなかったなと、本物を知らないくせに無駄な弁明をした。真相が判明したのは、1ヶ月後。新製品を紹介するDMが届いたからだ。やっぱり『王○』である。『将』ではない。
 これは例の食品偽装ではない。偽称でもない。ましてや詐称では毛頭ない。誤読、『偽読』(そんな言葉はないが)だ。当方、確かに目は悪い。それ以上にアタマが悪かった。刷り込まれた「追悼餃子」にしてやられた。考えてみれば、それは現地販売であるし九州で作るはずもない。こちらが勝手に同情し、辻褄を合わせたに過ぎない。まことに先入主は怖ろしい。
 ある思念や見解が固定化すると、自由に思考ができなくなる。不都合な事実は固定観念によってネグられるか、無理遣り合理化される。プロクルステスの寝台だ。先入見のピットホールである。このピットホール、政治の世界にはそこらじゅうにあるから要注意だ。かつ、手強いのは意図的に穴を掘る手合がいることだ。
 4日、朝日新聞が「長期政権へ続く関門 待ち受ける政策課題」と題した記事を載せていた。主要課題が5つ。
  ① 改善の兆し、生かせるか 日中・日韓
  ② 年金運用、期待とリスク 株価対策
  ③ 景気に陰り、難しい判断 消費増税
  ④ 地方を重視、膨らむ予算 人口減少
  ⑤ 再稼働、世論の強い反発 原発政策
 本ブログでさんざん取り上げてきたイシューである。一々の詳論は省く。本稿では『餃子の王○』風にザッピングしてみたい。
 ① は「改善の兆し」もなにも、事の発端はバカ殿知事の軽挙であった。棚上げという極めて高度なソリューションを卓袱台返しにして、あたかも太古よりのボトルネックのように刷り込む。日韓も同じ文脈だ。
 底流には、内田 樹氏が剔抉する「ナショナリズムはグローバル化、世界のフラット化に対する『対抗現象』ではなく、むしろその補完物であり、結果的にグローバル化を亢進させている」(「憲法の『空語』を充たすために」から)というムーブメントがある。
 マッチ・ポンプはマッチが先だ。はなはだ簡明な事の次第を間違えてはいけない。
 ② は、年金積立金管理運用独立行政法人が抱える130兆円の積立金の運用を国債から株式にシフトしようという企てである。
 だが、ちょっと待て、だ。高齢化で年金は破綻するとさんざん刷り込まれて、本旨を失念してはいないか。積立金でなぜ、稼がねばならない。積立金は減殺しないことこそファーストプライオリティだ。取り崩すことを前提に積み立てられた金である。リスクを冒してまでも儲けを狙う原資ではない。行政のビジネスマインド化。これも内田 樹氏が弾劾する通りだ。
 ③ は、大きな問題、巨大な刷り込みが控える。本年5月の拙稿「我が解を得たり」を再読願えれば幸いである。この先「経済的成長」は果たして可能なのかどうか。経済成長がすべてを解決するとの「成長神話」は本当に正しいのか。むしろ、それは至大な先入主ではないのか。そういう疑義である。
 アベノミクスに限っても、人為的な見掛けだけのハリボテのような景気浮揚策でしかない。現に、4~6月期のGDPの実質成長率は1・8%減で年率換算では7・1%減になると総理府は発表した。東日本大震災があった11年1~3月期(年率6・9%減)を下回る低率だ。パブリシティーの巧みさだけは『餃子の王○』も顔負け、化けの皮が剥がれつつある。
 ④ は、少子化による危機説が強固な先入見としてある。③ とも関連するが、人口減少は問題ではなく結果であり解答である。
 ⑤ は二重だ。3・11までの「安全神話」という根拠なき先入観が崩れて後、エネルギーコストによる経済危機説が声高に刷り込まれつつある。比するに、神話の憑物が落ちて俄にスタンスを変えた二人の老宰相をあながちカリカチュアと去なしては酷だろう。過たば即ち改むるに憚る勿かれ、である。
 加えてもう一点。塚本哲也著「エリザベート」(第24回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品、文春文庫)の解説に寄せた山崎正和氏の発言である。
「ポピュリズムの特色というのは、政治における形式や手続きの否定にあります。形式化した制度を破壊して、指導者が直接に民衆に訴えて行動を起こすということです。」
 この指摘は見事だ。現政権の有り様にぴたりと符合する。先の憲法解釈を想起すれば、怖気立つ。
 ポピュリズムとは、つまりは褒め殺しであろう。褒められている時にいち早く気付かねばならぬ。「美しい日本」と持ち上げ刷り込んでおいて、「日本を取り戻す」と呼ばわる。美醜はコインの裏表であり、日本はどこに消えたというのか。それは『守旧派の日本』と、『利権を取り戻す』をパラフレーズしただけではないのか。
 『餃子の王○』なら笑い話で済む。だが、政治の王道が『政治の邪道』では取り返しが付かぬ。とても喰えた代物ではない。 □


草むしり

2014年09月03日 | エッセー

 「滅びゆく草原ではない。開けゆく開拓地だ!」と呼ばわってきたが、ついにフロンティアも射程に入ってきた頃だった。およそ10年くらい前か、もう用はないと馴染みの床屋にきっぱりと三行半を叩き付けて縁を切った。爾来、「切る」「刈る」「抜く(ける)」の三語は忌言葉として日常語から放逐している。使うに已むを得ざる場合には、例えば「切る」は「離す」、「刈る」は「払う」、「抜く」は「取る」などと言い換えるように努めている。なお已むを得ざる事態に至っては、小さな声で呟く。
 したがって、草刈りは「草取り」となる。いつも盆前に拙宅の周辺を済ませるのだが、なんだかクソ暑いので1日延ばしにして、ついに「むしり」損なった。友人が見兼ねて、「雑草ぐらい刈れよ、オレがやってやろうか」と、小さな親切、大きなお世話に及ぼうとした。
 「いや、あれは雑草を生やしているんじゃないんだ。雑草を育てているんだ」と言い募って呆れさせ、煙に巻いた。ともあれせっかく生えているものを「抜く」などとは、なんとも罰当たりでもったいない所行だ。わが身に鑑みて、「開拓地」より「草原」がいいに決まっている。
 ところが盆も終わろうとする段になって、荊妻と帰郷していた妹が突如一念発起した。ふと外を見遣ると、一区画だけを残してきれいにむしり取られているではないか。あれほど丹念に渾身の愛情をもって育ててきた撓わなる草々が姿を消して、無残にもゴミ袋に投げ込まれている。なんと哀れな。かれらには命を慈しむこころがないのであろうかと、フライドチキンを頬張りながら独りごちた。
 それにしても、なぜ一区画だけ手を付けないのか。時間がなかったと言うが、暗い企みがあるにちがいない。自らは冷房の効いた部屋にいて、いっかな手伝おうとしない者への無言の意趣返しに他なるまい。無傷の草々はわが自室の前である。こんな当てつけは当主の尊厳へのあからさまな叛逆以外のなにものでもない。いきり立つのは大人げない。努めてにこやかに、かつ怒りを手に込めて残る雑草を根ごとむしり取った。跡は土がぼこぼこになっている。儘よ、これこそ後は野となれ山となれだ。山となりはしないから、再び雑草が生い茂る野となるに決まっている。今度こそ、立派に育ててやりたい。
 とはいうものの見てくれだけではなく、草取りは害虫駆除のためでもある。特に蚊は嫌だ。できるだけ蚊帳の外にいてほしいのだがその蚊帳の外で、代々木公園のヤブ蚊が悪さをしたらしい。パンデミックとまではいかないまでも、デング熱の感染が日増しに広がっている。
 代々木から隔たること遠い遠い彼方。片田舎のこととて、まさに蚊帳の外。はじめのころ「デング熱に罹ると、でんぐり返しがうまくなるんだって」などと悪態を吐いていたが、存外外れてもいないようだ。デングとはスペイン語の「気取った人」から来ているそうだ。背中の激痛に堪えかねて反り返って歩く。だから、気取って見える。そういうことらしい。
 しからばいっそでんぐり返って愚慮を廻らすに、果たして蚊帳の外といえるのか。
 本邦においても、世界でも急速な拡大は第二次世界大戦以降である。日本での敗戦直後の大流行は、明らかに軍民の引き揚げに因る。史上はじめて、ヒトとモノが世界規模でシャッフルされたからともいえる。今や国内外で、トラフィックとロジスティックスは幾何級数的に密度と速度を増した。いわば、地球規模で蚊帳が掛かっているといえなくもない。ましてや国内は、ほとんど蚊帳の中だ。片田舎だなどとのんびり構えているのは闇穴かも知れぬ。つまりは、ヤブ蚊も蚊帳の中を飛び回っているのだ。現に代々木から350キロを隔てる新潟にまで広がっている。蚊は50メートルしか飛べない。蚊が移動しているのではなく、蚊帳が極端なまでに縮小しているともいえる。自然と世間との間尺が違いすぎている。核廃棄物の半減期数万年を想起すれば、平仄が合わないことは明々白々だ。
 話が大きくなった。風呂敷をたたもう。
 どうも「開拓地」よりも、伸びっぱなしの「草原」は分が悪そうだ。やはり、床屋との絶縁は人生の好事であったと嘉するべきか。屁理屈を捏ねてサボタージュばかりしてはいられない。それにしても刈っても刈っても伸びる雑草が、ああ恨めしい。 □