伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

『悪ズバッ!』

2013年10月29日 | エッセー

〓不二家が騒動を起こした。この勘違い男、朝の「ズバッ!」だか「スカ!」だか知らないがTBSのニュースショーで、何を血迷ったかこんなことを宣うた。
 「もうはっきり言って廃業してもらいたい。こんなバカなことをやってる不二家がね、そのまま社長が交代したからといってね、メーカーとして存続できること自体がおかしい。消費者をナメるんじゃない! こういうメーカーがのうのうとしていること自体がおかしいんですよ。みなさん」
 前日、今度はチョコレートの再利用疑惑が報じられた。この頓馬、これに噛みついたのだ。しかしどうもこれはガセネタらしい。どころか、捏造の疑い濃厚なのだ。事実確認もせず、うわさの類いに飛びつく。熱血漢よろしく吠える。「廃業」が企業にとってどれほどのものか、分かっているのか。いわば死刑宣告だ。この頓馬にそんなことを宣告する資格があるのか。口が滑った、では済まされない。繰り返す。これは立ち話の類いではない。人間なら名誉棄損、人権侵害。図に乗るにもほどがある。これはもう言論の暴力以外の何ものでもない。謝罪放送などでよしとせず、不二家は提訴すべきだ。断固、弾劾すべきだ。この程度の男がニュース番組のアンカーマンとはちゃんちゃらおかしい。
  口軽男に告ぐ。「廃業」すべきはお前の方だ。
 一知半解な知識を振り回し、「庶民の味方」を気取って毒づく。失言にはダンマリ。仕事のオファーにはニンマリ。
 テレビのウソについては何度も取り上げた。騙されてはならない。真贋を鋭く見抜かねばならない。特に、威勢のいい一刀両断には要注意だ。眉に唾すべきだ。複雑系の世の中で、簡単に割り切れるほど事は容易ではない。『ズバリ』などという言葉を冠した番組は、一利もない百害と見てほぼ間違いはない。〓
 07年6月の拙稿「今時、蓑は着ないでしょう」である。「不二家」を「阪急阪神ホテルズ」に、「メーカー」を「ホテル」に置き換えればそっくりそのまま使える。ただ違うのは、「捏造」ではなさそうなこと。それに、この口軽男が件(クダン)の番組を降板していることだ。さらに大きな違いは降板はしても、「廃業」はしていないことだ。ついに自らが「謝罪」の業果に堕ちていながら、実にしぶとい。いや、往生際が悪いというべきか。振り返れば、今までの言いたい放題の悪態こそマスコミを騙る『マスコミ偽装』ではなかったのか。
 もう一つ。同年の拙稿「2007年10月の出来事から」。
〓「赤福」餅、消費期限偽る
 今年は不二家に始まり、白い恋人、ミートホープ、赤福餅、比内地鶏、御福餅、船場吉兆、はてはミスタードーナツに至るまでさまざまな食品偽装が明るみに出た。
 だれも言わないから、『欠片』が言おう。 ―― これらはすべて内部告発で発覚した。消費者の『舌』が暴いたものは一つとしてない。つまりはその程度のことである。誤魔化すヤツも悪いが、誤魔化される者も間が抜けている。
 腹痛に見舞われた人が出たわけでもない。ましてや落命など一件もない。身体的実害もないのに連中はこぞって国賊なみに叩かれた。自分の『舌』は棚に上げて、非難の大合唱だ。考えてみれば、奇妙ではないか。「全然気がつきませんでした。私は味音痴だったんですね」などという声を聞いたことがない。消費者は王様というなら、「裸の王様」だ。ノせられた王様も相当な能天気である。
 「能書き」ではなく、まずは己の『舌』だ。ホンモノを堪能して作り上げる「味利き」だ。などと嘯いてはみたものの、そのような能力にも環境にも恵まれなかった『欠片』としては、期限切れなど歯牙にもかけず、モドキ食品に舌鼓を打つ今日この頃である。〓
 これもそっくり転用可能だ(「内部告発」は内部調査らしいが)。付け加えるなら、今度の場合は高級感だけは確実に提供されかつ堪能したのだから、食材の差額はそのコストだったといえなくもない。鬼の首を取ったように騒ぎ立てるテレビメディアが、相も変わらずグルメ番組を垂れ流し続けている。能なしレポーターにノンシャランなゲスト。テレビ桟敷には「裸の王様」。飽食ニッポンのまことに珍妙なトライアングルといえよう。
 少し永いが、止めを刺しておこう。内田 樹氏の「街場のメディア論」から引く(抄録)。 

◇「こんなことが許されていいんでしょうか」という言い方には「こんなこと」に自分はまったくコミットしていませんよ、という暗黙のメッセージが含まれています。「こんなこと、私はまったく知りませんでした。世の中ではこんなにひどいことが行われているなんて」という、その技巧されたイノセンスに僕はどうも耐えられないんです。あちらに「バッドガイ」がいて、こちらに「グッドガイ」がいる。この「こんなことが許されて……」という技巧された無垢、演劇的な驚愕は「グッドガイ」の記号として使われている。
 「これだけ信頼がありながら、適切な推論ができるだけの知性を備えておりながら、それにもかかわらず、この事態を予見できなかったこと」を報道という知的な責務を負託されている者として、まず謝罪するところから話は始まるべきでしょう。別に、儀礼的な謝罪だって構いません。
 僕はメディアが「庶民の代表」みたいな顔つき、言葉づかいをしてみせるのはおかしいだろうと思うのです。現に、そうじゃないんだから。
 (メディアの・引用者註)社会的責務を基礎づけるロジックをメディア自身がきちんと把握していない。そこが問題なのです。なぜ、メディアはとりあえず弱者の味方をしなければいけないのか。メディアはその問いをたぶん自分に向けたことがない。そうするのが当たり前だと思っていて、惰性でそうしている。そういう種類の思考停止のことを僕は「知的な劣化」と呼んだのです。
 (過った報道を撤回することで・引用者註)メディアの威信が低下すると思っている。でも、話は逆なんです。事実によって反証されたら「推定」をただちに撤回することがむしろ、メディアの中立的で冷静な判断力を保証するのです。「なぜ、自分は判断を誤ったのか」を簡潔かつロジカルに言える知性がもっとも良質な知性だと僕は思っています。少なくとも自然科学の世界ではそうです。
 メディアでは、個人は責任を取らない。責任を取ることができない。これはおかしくないでしょうか。「最終的にその責任を引き受ける個人を持たない」ような言葉はそもそも発せられる必要があるのか。僕は率直に言って、「ない」と思います。言葉の重みや深みというのは、それを書いた個人が、その生き方そのものを通じて「債務保証」するものです。僕はそう思っています。すべての言葉は、それを語った人間の、骨肉を備えた個人の、その生きてきた時間の厚みによって説得力を持ったり、持たなかったりする。正しかったり、正しくなかったりする。
 少しでも価値判断を含むものは、政治記事にしても、経済記事にしても、そのコンテンツの重みや深みは、固有名を持った個人が担保する他ないと僕は思うのです。◇

 多言を要すまい。これほどまでに深く鋭くメディアを抉る論攷は寡聞にして知らない。例の『マスコミ偽装』男の本性も、メディアによる『鬼の首狙い』の性癖も、無責任も、きっちりと断罪されている。以て頂門の一針とすべきであろう。
 さて、聞き捨てならぬ記事を目にした。以下である。
〓菅元首相、みのもんた降板も自分の退陣も「原子力ムラの陰謀」
 民主党の菅直人元首相は、26日付の自らのブログで、次男が窃盗容疑などで逮捕(処分保留で釈放)されたタレント、みのもんた氏が報道番組のキャスターを降板したことについて「原子力ムラ」の陰謀説があると紹介、自分も原子力ムラの被害者だとする内容を展開した。
 ブログでは、原子力ムラはマスコミに対して広告料を通じて「自分に批判的な報道に圧力をかけてきたことは知っている」と明記、「みの氏は原発問題で東京電力と安倍晋三首相を厳しく批判していた」ことから陰謀の可能性を指摘した。
 平成23年の福島第1原発事故で「菅氏が1号機への海水注入の中止を指示した」と報道されたことも、退陣に追い込むための原子力ムラが流したウソの情報と断じた。〓(10月29日付産経ネットニュース)
 偉人の言に 「悪人は結託する」とある。なぜ悪人かは、本ブログで何度も挙証した。結託しても何ほどはなかろうが、なんとも怖ろしいくらい「ズバッ!」と波長は合っている。一字違いだが、まさに『悪ズバッ!』ではないか。ああ、つるかめつるかめ。 □


山桜

2013年10月27日 | エッセー

 中学に上がるまで、わが家には曾祖母がいた。祖母もいたので、「大きいおばあちゃん」「小さいおばあちゃん」と呼び分けていた。曾祖母は近在では知られた遣り手だったらしい。商家だった。そこに嫁に来た祖母は、さぞ辛かったであろう。若いころは人目を引く美人だったらしいが、生憎往時の写真はなく証の立てようがない。
 男尊女卑の遺風の中で祖父の自儘に向き合い、曾祖母の威圧に耐えながら商いの裏方に徹するのは忍従の日々であったにちがいない。孫の身でも、折々にそうと勘付く場面はいくつもあった。
 物心つくようになって、祖母の右手中指が変形していることに気がついた。細く伸びたまま硬く曲がらなくなっていた。重いもので指を挟んだと聞いた。当時の医療レベルもあるが、大騒ぎして専門の病院に駆けつける余裕がなかったのかもしれない。金銭以上に、失策についての負い目を振り切る余裕だ。そのうち治ると強弁を繰り返したのだろうが、終世その形のままだった。だから、祖母の印象はあの中指と離れがたくある。顔形や立居振舞の記憶にもまして、あの中指が前景する。しかも全身に比して異様に大きく。
 祖母方の親戚は、一人も知らない。事情は判らぬが、嫁入り前の半生とは永訣して当地にやって来たものか。あるいは多子の口減らしゆえ、なるべくして疎遠になったか。
 ただ幼いころ一度だけ、連れられて祖母の実家を訪った覚えがある。路線バスを何度も乗り換えて山間を縫い、やっと辿り着いた。道中何度も戻した。珍しい農家の造りと歓待以上に、悪夢のような車酔いが永く忘じ難い。今はどうなったか、杳として知れない。
 小学校の参観日に、母の代わりに祖母が来たことがあった。ほんの一二度だ。教室の後ろが嫌に気になって落ち着かなかった。もちろん和服をびしっと決めていた。祖母の洋服姿はほとんど思い出せない。始終、着物を着て下駄を履いていた。明治女の一徹、とするのは言い過ぎか。いまや遙か彼方に退いた遠景の一点描である。
 曾祖母の可愛がり方に比べると、祖母のそれは控え目であった。気を遣いつつ情愛を按配していたのかもしれぬ。しかし、夜更けて潜るのはいつも祖母の布団だった。そこでしばし温まってから、わが寝床に向かう。明け方はふたたび祖母の布団へ。小学校の中頃まではそのようであった。あれこれに渉る祖母の寝物語が心地よかった。一つ屋根の下に人間関係の重層があり、かつバッファが用意されている。モノはなくても、豊かな人の生活があった。今にして振り返れば、羨ましくもある。
 味噌汁はお袋の味であろうが、意外にも祖母の味であった。なぜか必ず、賽の目切りした蒲鉾が具に交じっていた。来宅した大阪の親戚が舌鼓を打って以来密かな自慢となり、そして確定的に味覚の基準となった。今に至るまでそれを超える味噌汁を啜った例しがない。
 高校入試に合格したらギターを買ってくれる約束をした。学校の近所にあった赤電話から息せき切って朗報を伝えると、えらく喜んでくれた。もともとが習い事には無精ゆえ、「荒城の月」あたりで畢ってしまった。なぜ、ギターだったのか。当時がエレキ・ブームやフォークの前夜だったことと無縁ではなかったろう。
 飛躍するようだが、内田樹氏は自著『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川文庫)の中で「みんなが忘れている」こととして、こう語る。
「戦後の奇跡的復興の事業をまず担った世代は、日清日露戦争と二つの世界大戦を生き延び、大恐慌と辛亥革命とロシア革命を経験し、ほとんど江戸時代と地続きの幼年時代からスタートして高度成長の時代まで生きたのです。」
 戦後民主主義教育の洗礼を受けた団塊の世代には、戦前と戦後がきっぱりと截然たる時代区分として刷り込まれている。だからこの指摘には意表を突かれる。全く以て然り、時は止まったわけでもリスタートしたわけでもない。続いたからからこそ今がある。
 「貧困や、苦痛や、人間の尊厳の崩壊や、生き死にの極限を生き抜き、さまざまな価値観や体制の崩壊という経験をしてきた人たち」、「そういう波瀾万丈の世代」の「根っからのリアリスト」たちが「あえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根づかせようとした『幻想』、それが、『戦後民主主義』だ」という。これは万鈞の訓戒だ。とまれ、「明治二十年代から大正にかけて生まれたその世代、端的に言って、リアリストの世代が社会の第一線からほぼ消えたのが七〇年代です」と追記する。
 祖母にこれといった事績や劇的なエピソードがあるわけではない。ひっそりと市井に生きた民草である。だが、明治、大正、昭和という日本史上未曽有の「波瀾万丈」を生き抜いた世代であった。小説になるような人生ではなかったが、その時代は小説では到底描ききれない波瀾万丈の劇に汪溢していた。端役などでもなくエキストラの一人であったとしても、祖母は紛れもなくその劇に出演していた。それは誇っていいのではないか。
 祖母がそのひっそりとした人生に幕を閉じたのは、奇しくも「七〇年代」の初年であった。突然であった。変調も告げず、入院もせず、苦痛も訴えず、静かに天寿に委ねたのだろう。
 祖母の名は「八重」と言った。『八重の桜』のようにエキセントリックでもドラマティックでもなかったが、せめて山桜の趣は醸していたと追想したい。
(七百回目のこの稿を、亡き祖母に捧ぐ) □


再度の熟考

2013年10月25日 | エッセー

 07年の参院選後「ねじれ国会」や「決められない政治」が喧しく報じられたころ、本ブログで「哲人政治」を指向しその現代版としての「臨調方式」を提起したことがあった。『大連立』騒動の前後であった。あれから6年、はたと膝を打つ話をうかがった。カエザルにぞっこん惚れ込んで、挙げ句イタリア生活半世紀に及ぶという塩野七生おばさんである(おばあさんか、失礼)。今月発刊された「『日本人へ』危機からの脱出篇」(文春新書)で、こう語る。
◇古代ローマの共和政時代には、期限を決めての独裁官制度があった。共和政時代のローマの首相は執政官だったが、その執政官は常に二人いて、しかも互いに「拒否権」を行使できる。それで、ときにはニッチもサッチも行かなくなってしまうことがあり、そのたびに一人だけの「独裁官」を任命することで危機を脱してきたのである。任期は六カ月。しかもその間、誰であろうと拒否権は行使できない。つまり、独裁官が提出する政策に、それが何であろうと支持を与えることが義務づけられていたのである。ちなみに、執政官はローマ市民権所有者によって選出されていたが、独裁官は選挙の洗礼は受けていない。現代ならば首相にあたる執政官は選挙で選ばれるが、目前の危機からの脱出だけが任務の独裁官は、二人いるのが常の執政官の一人が任命するだけでよかったのだ。任期修了後の国政の担い手は、選挙で選ばれる執政官にもどることになっていた。◇
 「決められない政治」は国政担当者が民意を尊重しすぎるからではないか。民意を逃げ口上にし、マスコミ受けを狙う。有権者も自分たちの意見に耳を傾ける姿勢を民主的な政治家だと信じるからではないか。──海外からの目であろうが、なんとも鋭い舌鋒だ。背景には、「民の声は常に神の声であったのか」という疑念がある。象徴的史実として十字軍の遠征を挙げる。それは、聖地奪還を命じる「神の声」を聞いたと言い募るキリスト教徒の「民意」から始まった。時として、盲信も神の声になる。「民の声は常に神の声」ではないのだ。だから古代ギリシャを引き合いに、
◇衆愚政とは、有権者(アテネの場合はアテネ市民権所有者)の一人一人が以前よりは愚かになったがゆえに生じた現象ではなく、かえって有権者の一人一人が以前よりは声を高くあげ始めた結果ではなかったか。それに加えて、これら多種多様になること必定の民意を整理し、このうちのどれが最優先事項かを見きわめ、何ゆえにこれが最優先かを有権者たちに説得した後に実行するという、冷徹で勇気ある指導者を欠いていたのではないか。◇
 と続き、古代ローマの「独裁官制度」の秀抜さにオマージュを惜しまない。ローマへの身贔屓を割り引いても、深い教訓に富むお話ではないだろうか。
 再三の引用で恐縮だが、佐伯啓思京大教授の論もまた傾聴に値する。
◇日本人は、民意がストレートに政治に反映すればするほどいい民主主義だと思ってきた。その理解そのものが間違っていたんじゃないか。古代ギリシャの時代から、民主主義は放っておけば衆愚政治に行き着く、その危険をいかに防ぐか、というのが政治の中心的なテーマでした。だから近代の民主政治は、民意を直接反映させない仕組みを組み込んできた。政党がさまざまな利害をすくい上げ、練り上げてから内閣に持っていくことで、民意は直接反映しないのです。二院制もそうで、下院は比較的民意を反映させるが、上院はそうではないことが多い。実際の行政を、選挙で選ばれるのではない官僚が中心になって行うのも、その時の民意に左右されず、行政の継続性、一貫性を担保するためです。そういう非民主的な仕組みを入れ込むことによって、実は民主政治は成り立っていました。その仕組みが働かなくなってきたのも事実ですが、日本では公務員バッシングといった薄っぺらいかたちで官僚システムを攻撃してきた。政治が民意に極端に左右されないようにする仕組みが失われ、平板な民主主義ができあがってしまった。◇(11年、朝日新聞「民主主義と独裁」と題するインタビューから)
 「政党がさまざまな利害をすくい上げ、練り上げてから内閣に持っていくことで、民意は直接反映しない」「非民主的な仕組みを入れ込むことによって、実は民主政治は成り立っていました」──これは意表を突く。だが、単に裏面的事実だと聞き捨ててはならない。背中を持たない人はいないが、直に見た人はいない。鏡や他人の眼ではじめて知る。後ろに回らねば解らないことは山ほどある。
 さらに鋭く斬り込んだ識見を引きたい。内田 樹氏の論攷である。今夏の参院選後に朝日新聞に寄稿したものだ。以下、抄録。
◇(寄稿 2013参院選)「複雑な解釈」──百年の計より目先の得 非効率という知恵疎んじ 一枚岩の政党選んだ
 議会制民主主義というのは、さまざまな政党政治勢力がそれぞれ異なる主義主張を訴え合い、それをすり合わせて、「落としどころ」に収めるという調整システムのことである。「落としどころ」というのは、言い換えると、全員が同じように不満であるソリューションのことである。誰も満足しない解を得るためにながながと議論する政体、それが民主制である。
 そのような非効率的な政体が歴史の風雪を経て、さしあたり「よりましなもの」とされるにはそれなりの理由がある。近代の歴史は「単一政党の政策を100%実現した政権」よりも「さまざまな政党がいずれも不満顔であるような妥協案を採択してきた政権」の方が大きな災厄をもたらさなかったと教えているからである。知られる限りの粛清や強制収容所はすべて「ある政党の綱領が100%実現された」場合に現実化した。
 チャーチルの「民主制は最悪の政治形態である。これまでに試みられてきた他のあらゆる政治形態を除けば」という皮肉な言明を私は「民主制は国を滅ぼす場合でも効率が悪い(それゆえ、効率よく国を滅ぼすことができる他の政体より望ましい)」と控えめに解釈する。政治システムは「よいこと」をてきぱきと進めるためにではなく、むしろ「悪いこと」が手際よく行われないように設計されるべきだという先人の知恵を私は重んじる。
 現に、今回の参院選では「ねじれの解消」という言葉がメディアで執拗に繰り返された。それは「ねじれ」が異常事態であり、それはただちに「解消されるべきである」という予断なしでは成り立たない言葉である。だが、そもそもなぜ衆参二院が存在するかと言えば、それは一度の選挙で「風に乗って」多数派を形成した政党の「暴走」を抑制するためなのである。選挙制度の違う二院が併存し、それぞれが法律の適否について下す判断に「ずれ」があるようにわざわざ仕立てたのは、一党の一時的な決定で国のかたちが大きく変わらないようにするための備えである。言うならば、「ねじれ」は二院制の本質であり、ものごとが簡単に決まらないことこそが二院制の「手柄」なのである。
 採択された政策が適切であったかどうかはかなり時間が経たないとわからないが、法律が採決されるまでの時間は今ここで数値的に計測可能である。だから、人々は未来における国益の達成を待つよりも、今ここで可視化された「決断の速さ」の方に高い政治的価値を置くようになったのである。「決められる政治」とか「スピード感」とか「効率化」という、政策の内容と無関係の語が政治過程でのメリットとして語られるようになったのは私の知る限りこの数年のことである。そして、今回の参院選の結果は、このような有権者の時間意識の変化をはっきりと映し出している。
 私はこの時間意識の変化を経済のグローバル化が政治過程に浸入してきたことの必然的帰結だと考えている。政治過程に企業経営と同じ感覚が持ち込まれたのである。
 国民国家はおよそ孫子までの3代、「寿命百年」の生物を基準としておのれのふるまいの適否を判断する。「国家百年の計」とはそのことである。一方、株式会社の平均寿命ははるかに短い。企業活動は今期赤字を出せば、株価が下がって、資金繰りに窮して、倒産のリスクに直面するという持ち時間制限のきびしいゲームである。「100年後には大きな利益をもたらす可能性があるが、それまでは持ち出し」というプロジェクトに投資するビジネスマンはどこにもいない。
 原発の放射性廃棄物の処理コストがどれくらいかかるか試算は不能だが、それを支払うのは「孫子の代」なので、それについては考えない。年金制度は遠からず破綻(はたん)するが、それで困るのは「孫子の代」なので、それについては考えない。TPPで農業が壊滅すると食糧調達と食文化の維持は困難になるが、それで苦しむのは「孫子の代」なので、それについては考えない。目先の金がなにより大事なのだ。「経済最優先」と参院選では候補者たちは誰もがそう言い立てたが、それは平たく言えば「未来の豊かさより、今の金」ということである。今ここで干上がったら、未来もくそもないというやぶれかぶれの本音である。
 だが、日本人が未来の見通しについてここまでシニカルになったのは歴史上はじめてのことである。それがグローバル化して、過剰に流動的になった世界がその住人に求める適応の形態である以上、日本人だけが未来に対してシニカルになっているわけではないにしても、その「病識」があまりに足りないことに私は懸念を抱くのである。 ◇
 前記の佐伯氏と同様、込み入ったネガティブトークだとするのはあまりにも短慮だ。内田氏はこの論述を「簡単な解釈」(これまで起きたことが今度もまた起きた)に対して、「複雑な解釈」(前代未聞のことが起きた)だとしている。なぜなら、「日本人が未来の見通しについてここまでシニカルになったのは歴史上はじめてのこと」、つまり前代未聞であるからだ。しかもその「病識」さえ希薄だ。「懸念」を抱かざるを得まい。
──民主制とは、「全員が同じように不満であるソリューション。誰も満足しない解を得るためにながながと議論する政体」である。
 歴史は「単一政党の政策を100%実現した政権」よりも「さまざまな政党がいずれも不満顔であるような妥協案を採択してきた政権」の方が大きな災厄をもたらさなかったと教えている。
 政治システムは、「悪いこと」が手際よく行われないように設計されるべきだという先人の知恵。
 ものごとが簡単に決まらないことこそが二院制の「手柄」。
 「国家百年の計」とは、孫子まで3代を基準としておのれのふるまいの適否を判断すること。
 「決められる政治」とか「スピード感」とか「効率化」という政策の内容と無関係の語が政治過程でのメリットとして語られる」ようになった「時間意識の変化」は、経済のグローバル化が政治過程に浸入してきたことの必然的帰結だ。──
 蓋し、いずれも民主主義政治の抜き差しならぬ正鵠である。だから「非効率」は人類の知恵であり、政治的遺産といわねばならない。そうとなれば「独裁官」と聞いて膝を打った手をわが凡庸なる脳天に当て、しばし再度の熟考だ。 □


立つんだ ジョ-!!

2013年10月21日 | エッセー

「原稿は読んでないが、団塊世代の自分史らしいじゃないか。あの世代でそういうのを書く男というのは自意識過剰で自己顕示欲が非常に強いんだ。自分は本当はすごいんだ。本当の自分をみんなに教えてやりたい、という気持ちがやたらと強い。だから、そのあたりを満足させてやれば、契約などは簡単なものだ」


 必殺のカウンターパンチだった。
 リングに頽れ、よろよろと立ち上がり蹌踉いながら、薄れゆく視界にいる牛河原(主人公・発話者)に、ヒットするはずもない弱々しい反撃を試みる。
 『契約』とは、自費出版のそれだ。百田尚樹著『夢を売る男』(太田出版)が描く阿漕で、滑稽なほど事実で、悲しいくらい真実の世界だ。正確にいうと、ジョイント・プレス。出版社と著者が費用を出し合い、出版社の正規のルートに乗せる。
 “ゼロ”があって、“パイレーツ”がきて、今度はそうきたか。まったく意表を突く素材だ。この作家、やはり只者ではない。業界の刺客に御用心あれ、だ。


「すると、本を出してありがたがるのは日本人だけですかね」
「いや、日本人は特にありがたがるが、実はどこの国にも似たようなものがある。アメリカではこういうのを『バニティ・プレス』と呼ぶんだ」
「虚栄出版──ですか。そのものズバリですね」


 詐欺紛いだが、違法ではない。“バニティ”にイリーガルすれすれで報いる。ただし儲けは折り込む。やはり、阿漕ではある。
 まずは、助太刀だ。
◇「世代」というものはけっこう重要な概念だとぼくは思っています。世代論なんて何の意味もないよ、と言う人がいますが、それは短見というものです。確かに世代そのものにはたいした意味はありません。どんな世代にも優秀な人、愚劣な人、卓越した人、凡庸な人がいます。その比率はどの世代も変わりません。でも、自分がある世代に属しているという「幻想」を抱いたときから、「世代」はリアリティをもって同世代集団を縛り上げてゆきます。自分一人の経験の意味を、横並びの「同世代」的経験の中に位置づけて解釈するということが起こるからです。◇(内田 樹「疲れすぎて眠れぬ夜のために」から)
 「同世代集団を縛り上げ」ると同時に、他世代集団をも縛るのではないか。主人公は「横並びの『同世代』的経験の中に位置づけて解釈」してはいないか。「自意識過剰で自己顕示欲が非常に強い」人は、「比率はどの世代も変わりません」というのが実情であろう。ただ分母は圧倒的に多いが。
 「世代論」は同世代に対してあらぬ効能を示すが、他世代には誤解を生む。かといって、稿者が「あの世代でそういうのを書く男」の埒外にいると強弁するつもりはないのだが……。

 無情にも、牛河原が止めの一発を放った。


 牛河原が会議室を見渡して、にやりと笑った。
「毎日、ブログを更新するような人間は、表現したい、訴えたい、自分を理解してほしい、という強烈な欲望の持ち主なんだ。こういう奴は最高のカモになる。なんで今までこれに気づかなかったのか──俺は間抜けだったよ」
 何人かが笑った。
「でも部長」と編集部に来て三年日の湯川譲二が言った。「有名ブログの書籍化はすでに大手がやっていますが」
「アクセスが何十万もあるようなブログは、書籍化してもある程度の売り上げは見込めるから、大手出版社が触手を伸ばすのは当然だ。うちが狙うのは、大手が見向きもしないようなブログだ。アクセス数は関係ない。大事なのは更新数だ。誰も見ていないブログをせっせと更新するような奴は必ず食いついてくる」
「本を書くモチベーションとブログを書くモチベーションは同じでしょうか」と湯川が言った。
「同じだ」牛河原は即座に言い放った。「共通しているのは強烈な自己顕示欲だ。根底にあるのは、自分という存在を知ってもらいたい! という抑えがたい欲望だ」


 絶え入るばかりの息の下から牛河原君に言うが、稿者は「アクセス数」には満足している。こんな駄文に三桁もあれば上上とすべきであろう。「せっせと更新する」のは「抑えがたい欲望」と断ぜられては、二の句が継げない。継げないが、験しに接着剤を塗ってみる。                                            
◇私はゲームもすれば、読書もします。ただし、あくまでも読書は自分で考える材料にすぎないと考えています。つまり本は結論を書いているものではなく、自分で結論に辿り着くための道具です。私自身は本について、「本屋さんとは、精神科の待合室みたいなものだ。大勢の人(著者たち)が訴えを抱えて並んでいる」と思っています。◇(養老孟司「養老訓」から) 
 「バニティ・プレス」をもっと高みから鳥瞰すればこうなる。「精神科の待合室」とはなんとも豪気な。稿者、その「待合室」に入りきれず行列をなしているひとりといえなくもない。ただしワイシャツはプレスしても、ブログのプレスなぞ毛筋ばかりも思念したことはない。ひたすら浮世のプレスに抗って、「せっせと更新」しているだけである。
 
 ダメージは重いが、ゴングが鳴って這々の体でコーナーに戻った。それにしても、牛河原は強い。ノックアウトされる前に、“段平”から一声ほしい。
「立て 立て 立つんだ ジョ-!!」
 “ジョー”は言い過ぎか。 

*ゴシック部分は、『夢を売る男』より引用 □                                       


遡ってみると

2013年10月19日 | エッセー

 やっと徳俵に足が掛かって,アメリカはデフォルトを回避した。本邦の十八番に準えて「決められない政治」と揶揄する向きもあるが、実はもっと根深い。というか、本質に関わる理念の対立が横たわっている。だから、「譲れない政治」というべきかもしれない。
 共和党にとって、“オバマケア”は「譲れない」一線である。「個人の権利」を重視する同党には、オバマケアは個人への権力による過剰介入以外のなにものでもない。すなわち、建国の精神に反するのだ。だから政争とみるのは皮相的だ。政論、もしくは正論の攻防であろう。どこかの国の茶番とはレベルもラベルもちがう。
 150余年を遡る「奴隷解放」はまちがいなくアメリカ史の劃期である。人類史の金字塔でもある。しかし意外なことに、主導した第16代大統領エイブラハム・リンカーンは共和党であった。建国の精神つまり「独立宣言」に基づき、「全ての者は平等に生まれついており、生命、自由および幸福の追求を含む権利について平等である」と唱えた。だから、共和党=保守は短見といえる。保守というよりも、原理主義的性向が強いというべきであろう。
 それもそのはずで、前身の「民主党」を率いるアンドリュー・ジャクソンの強権政治に抗して、同党からの分派や進歩的知識層を中心に結党されたのが共和党であった。民主党の地盤であった北・南部以外の北東・中西部を支持基盤とした。率いたのはリンカーンであった。名前に眩まされるが、四捨五入すると民主党が分裂して共和党が生まれたのだ。その逆ではなかった。その後二大政党制の流れの中で、キリスト教右派を取り込んだことなどから保守色を強めていく。ついには民主党との政治的スタンスが逆転するに至った。したがってアメリカ史のもう一つの劃期である「公民権法」の成立は、ケネディー率いる民主党が担った。
 となると、今般の共和党の抵抗は先祖返りといえなくもない。遡って、「国のかたち」という琴線に触れるイシューであったといえる。にわかにサンデル先生の「白熱教室」が浮かぶ。やはりアメリカは若々しい国というべきか。

 先日、高校の同級生数人と雑談をした折のことだ。いつものように話は次第にレベルを落とし、下ネタに及んだ。○○○を何と呼ぶか。実にこれがおもしろい。同じ市なのに、川を越え山一つ隔てると呼び名が変わるのだ。かつてそう呼んだ名前を繰り返しては、隣町の奴らはケラケラ笑う。当方はきょとんとしている。その逆もある。驚きの連続であった。60数年生きてきて、初めての発見であった。まことに充実した一時であった。目から鱗である。
 帰宅して反芻するうち、ある愚考が浮かんだ。妄想ともいえる。
 『昆虫』と同じではないか、と。以下、養老孟司氏の言を引く。「養老孟司の大言論 Ⅰ」(新潮社)からである(抄録)。
◇北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州、沖縄──。これは近くの県をまとめたものではなく、自然区分である。一千万年以上さかのぼると、日本列島がほぼこれだけの数の島からできていたことがわかっている。
 高槻のJT生命誌研究館でオサムシ研究をしていた、大澤省三氏らのグループが明らかにした結果は、それをみごとに裏付けている。オサムシはほとんどの種が飛ばない。地面を歩くだけである。したがって大きな移動をすることは、おそらくあまりない。そのオサムシの分布を見ると、大きな地方区分(北海道、東北、関東、中部、中国、四国、九州、沖縄)がそのまま出現する。とくに日本特産種であるマイマイカブリでは、まことにみごとに「道州制」が出現する。中部と関東は違うし、また近畿とも違う。それがみごとに出るのは滋賀県である。中部、近畿、中国というつの島かつながったとき、あいだの海が残ったものが琵琶湖である。したがって滋賀県はその三つに区分されることになる。ミトコンドリアのDNAを調べると、滋賀県のマイマイカブリは三つの系統に区別される。それは中部、近畿、中国という区分に一致している。◇
 下ネタのスラングはまさに隠語だ。「オサムシ」と同じく、「飛ばない。地面を歩くだけ」である。カバリッジがごく限られる。だから「道州制」とまではいかなくても、遡れば古のテリトリーが仄見えてくるのではないか。ひょっとしたら散在する「滋賀県」に似た衢地(クチ)は、スラングのスクランブル交差点(失礼!)かもしれない。養老先生にははなはだ失礼だが、そんな愚昧な想念が湧いた。実証性にははなはだ乏しいのだが。

 わが朋友のために付け加えておこう。いっぱしの話も出るには出た。農家を継いだ同級生が今年の作況を嘆く中で、「歩(ブ」)だの「反」だのと言い出した。はて、それはどのような経緯で、そのように定められたのか。侃侃諤諤となった。ノンシャランの集まりだ。結論はうやむやのままお開きとなった。帰宅して読みかけの小説を開いて、吃驚した。なんと、符節を合わするが如しとはこのことだ。
◇「戸田(代官所の新米役人・引用者註)は、一反で、人ひとりが一年に食う米が穫れることは知っているか」
「たしか一反でおよそ一石と聞いております」
「その通りだ。一反は三百歩、つまり三百坪だが、その昔は三百六十歩だった。かつては一石の米を穫るのには、それだけの土地が必要だったのだな」
「すると、昔は一坪の土地で、一日分の米が収穫できたということですね」
「そういうことだな。これは偶然ではなかろう。おそらく人が一日に食べる米が穫れる土地の大きさを一坪と定めたのではないかな。そしてほぼ一年にあたる三百六十日分の米が穫れる土地を一反としたのだろう。つまり坪とか反とかいうのは、実はすべて米作りからできた尺度だったのだな」
 勘一は思わず感嘆の声を上げた。自分たちが日頃使っている尺度は米がもとになっているとは思ってもみなかったことだった。あらためて米作りがいかに大切なものであるかということを教えられた思いだった。◇(百田尚樹著「影法師」から)
 これで、氷解した。遡れば、人ひとり、1日の米の量だ。1坪約9000万円もする銀座、丸の内の超一等地も、元を辿れば秋風に揺れる撓わな稲穂に行き着く。1合3千万の米の飯だ。なんとも豪儀な図ではないか。
 遡ってみると、存外な掘り出し物に出会す。 □


特別に今回限り!

2013年10月15日 | エッセー

 10月14日、「特別警報、範囲広すぎ 初発令3府県の首長7割、改善要望 朝日新聞社調査」と題する記事が載った。以下、抜粋。
〓9月の台風18号で大雨の特別警報が全国で初めて発令された京都、滋賀、福井3府県の全62市町村長のうち7割を超える首長が、都道府県単位とした現在の発令対象の見直しを求めていることが朝日新聞の調査でわかった。特別警報は「数十年に一度の災害」を想定しているが、3府県では大きな被害が出なかった自治体もあった。
 「空振り」が続けば住民の防災意識に影響が出かねない、とする首長たちの懸念が浮き彫りになった。
 気象庁は注意報や警報を市町村単位で出すが、特別警報については当面は都道府県単位で発令することにしている。発令された都道府県では、その時点で警報が出ている市町村が特別警報に格上げされる。注意報や警報が出ていない市町村は除外される。
 特別警報時に気象庁が求める「命を守る行動」に対しては、大津市の越直美市長が「市民から『どうすべきか分からなかった』との声が上がった。具体的な対処方法を示すことを検討してほしい」と求めた。〓
 あまり被害が出なかった地域では、「特別警報でもこの程度。発令がなければ被害はない」と受け取られかねないとの危惧の声があった。『オオカミ少年』にならないためにも、精度を挙げ、地域を限定してほしいとの要望。また、速やかに対応するため特別警報の前に『準備情報』がほしいとの声もあったそうだ。
 同紙によれば、「特別警報」とは「大雨、暴風、高潮、波浪、暴風雪、大雪、地震、津波、噴火で数十年に一度しかないような災害が予想され、『ただちに命を守る行動が必要』と気象庁が判断した時に出す。特別警報を受けた都道府県は市町村へ通知し、市町村は住民への周知が気象業務法で義務づけられている」そうだ。
 中身に不得要領な点がいくつかある。まずは、メタ・メッセージの欠落だ。先月の本ブログ「買って頂戴よ。どう?」で、『ジャパネットたかた』に絡めてこう述べた。
〓「みなさん!」と、決めどこで何度も呼びかける。先般は「命を守る行動を」と『特別警報』を出しても効き目がなかったと、報道は伝える。寄り添っていないからだ。難しく言えば、メタメッセージがない。“社長”の「みなさん!」は、明らかにメタメッセージである。いつも、「こんないい商品を伝えないわけにはいかない」という情熱に溢れている。〓
 メッセージの上位にある、または先だって発せられるメッセージがメタ・メッセージである。“社長”の「みなさん!」は、ある商品の値段、性能などの重要なメッセージを伝えるためのメタ・メッセージである。「よーい・・・・スタート!」の「よーい」だ。これがない。
 ふだん馴染みのない気象庁のおっさんが突如テレビに出てきて、事務的に特別警報を発令しても衆人の心には届かない。ならば、首長か首相に替わるか。認知度は高いが、野党や不支持の者もいる。時の政治情勢もある。逆効果になる可能性が高い。まあ、そのおっさんでもいいとして、身振り手振りを交えて情熱的に呼ばわればいいのか。間違いなく、みんな引いてしまう。要望にある『準備情報』とは次元がちがう。段取りの話ではない。情報の伝達そのものについての問題だ。つまりは、そういうメッセージ自体に潜む困難が不問に付されている。それが不得要領の第一だ。
 次には、「命を守る行動」に対して「具体的な対処方法を示すこと」を求めている点。それは無い物ねだりではないか。千差万別の状況に「具体的な対処方法を示す」ためには、少なくとも「千差」を把握せねばならない。はたして「万別」の指示ができるか。神にもできない相談だ。この要望を寄せた首長は、一昨年、昨年のいじめ自殺問題で陣頭指揮を執った人だ。あの時のリーダーシップはどこへ行ったのか。いやに指示待ちモードではないか。「具体的な対処」は、千差万別の『具体』に即してなす以外にはない。思考を停止してお上に預ける話ではない。種々の要求に、お上意識が依然底流しているような気がしてならない。
 「精度を挙げ、地域を限定」との声も同類であろう。技術の向上は可能であろうが、いつまで経っても無い物ねだりに変わりはない。拡げれば、科学技術と人類の相克になる。論ずるには手に余るが、ベクトルは確実にそうだ。報じられる限りでは、そういう問題意識はない。
 むしろ向けるべきイシューは人的な対応能力ではないか。3・11の時石巻で、幼児を乗せた送迎バスが海沿いに向かった悲劇。動物的な危機察知センサーはどうして鈍化したのか。進歩、文明化の裏に何が起こっているのか。紙面にはそれこそ無い物ねだりであろうが、最も根の深い問題意識である。それこそが本質的な「対処」ではないか。
 などと愚考を巡らすうち、はたと気がついた。「数十年に一度の災害」は、「数十年に一度」発すればいい。『特別警報』とはこれこれこうでありますと、前説する必要はないのではないか。気象庁の内規で定めるのならいいとしても、世に知らしめるには及ばない。百害あって一利なしだ。ネーミングそのものがまず要らない。『その時』になって、特別『に』発令すればいいのだ。要するに、本邦挙げて『特別警報』という名の警報が常態化する愚に嵌まろうとしているのではないか。万一「数十年」を越えて『特別警報』そのものを忘れる幸運が続いたら、それこそ「空振り」だ。しかし今は、気象庁『オオカミ少年化』といえなくもない。大阪に、『店仕舞い大特価セール』を一年中看板に掲げている店があるそうだ。シャレの一種であるが、災害ではそうはいかぬ。
 『特別警報』は玩物喪志に限りなく近い。『特別に』今回限りで止めにしよう。 □


勝ちに不思議あり

2013年10月11日 | エッセー

 中村(旧姓・河西)昌枝氏が生者の列を離れた。『東洋の魔女』中の“魔女”だった。20年のオリンピックで聖火台への点火に登場願う企画もあったやに聞く。惜しい。だが稿者には視聴率最高85%に達したファイナルマッチより、『鬼の大松』が速射砲のように打ちつける回転レシーブの練習を撮った映像の方が頻りに蘇る。
 体躯のハンディを克服して守備範囲を拡げ、かつ刹那に体勢を回復するために考案された。オリンピックの3年前、練習は秘密裡に始まった。レシーブして床に飛び込む。素速く起き上がれないと、“鬼”のアタックが顔面にヒットする。たちまち痣だらけ、傷だらけ、1人が日に300回も繰り返す。「できないことをやるのが練習だ」と、 “鬼”の檄が飛ぶ。まことに壮絶を極めた。
 訃報に寄せて言い辛いのだが、おそらく本邦スポーツ界に浸潤する勝利至上主義と根性至上主義は“魔女”たちの金字塔に淵源を発するといえなくもない。あるいは、またとない完結の絶頂に達したといえよう。この国におけるあらゆるスポーツ成功譚の原型となり、勝利の方程式が打ち立てられたモニュメントであった。
 明治より基幹産業であり続けた繊維産業。現場は数多くの若い女性が担った。『女工哀史』である。国内外の批判を受け、戦前から待遇改善が進んだ。労働時間が短縮され健康増進のためレクレーションが取り入れられた。その一つがバレーボールだった。戦後の復興も繊維が主導した。50年代、労働運動が隆盛を極めた。繊維業界は左傾防止も狙って一段とバレーに注力した。繊維界のバレー熱は高まり、競争は激化した。しかし工場単位では実力がばらつき、抜きん出ることができない。そこで、大日本紡績では貝塚工場に全社の選手を集約した。統一チームの誕生である。監督に据えたのが同工場勤務でバレー経験のあった大松博文だった。後、「日紡貝塚」の快進撃が始まる。
 59年に「東京オリンピック」が決まる。併せて、女子バレーボールが正式競技に採用された。五輪史上初の女子団体種目である。俄然、日紡貝塚に衆目が集まる。あと4年。「待ったなし」となった。 “鬼”のシゴキ、鉄拳制裁、熱血指導はそのようにして拍車が掛かった。「おれについてこい」だ。
 振り返れば、東京五輪での金字塔は、3時代を主導した繊維産業が放った大団円への陸離たる光彩だったのかもしれない。次世代の女子バレーは日立武蔵が主役を務めた。電気業界が花形に躍り出た産業界の舞台回しに踵を接していたといえなくもない。
 さて、件(クダン)の「モニュメント」についてだ。
 爾後「成功譚の原型」「勝利の方程式」は深い省察を加えられることなく、祖型のままで連綿と主流をなした。勝利至上主義はあらゆる手段と理不尽を正当化する。根性至上主義は強固な精神力ではなく、誰かの真似ではないが「アンダー・コントロール」された強固な従属性を生む。かてて加えて、汗と涙と友情、悲壮と師弟の絆をふんだんに織り交ぜたメディアによるドラマツルギー。『アタックNo.1』はそのままだったし、『巨人の星』はその頂点にあった。なによりスポーツ報道までが「祖型」の価値観で語られるようになった。
 挙句が「体罰問題」である。以下抄録する内田 樹氏の卓説ほど優れた透察を知らない。本年2月、朝日新聞の「紙面批評」欄に載った。

◇(政治学者で音楽評論家の片山杜秀氏の寄稿によると・引用者註)体罰による身体能力操作の悪習は日露戦争に淵源を持つ。「持たざる国」日本は火砲に乏しく、「大和魂」に駆動された歩兵の絶望的な突撃と悲劇的な損耗によって薄氷の勝利を収めた。このとき火力の不足は精神力をもって補いうるのだと軍人たちは信じ、その結果、大正末期から一般学校にも軍事教練が課された。以来「しごき」によって戦闘能力は短期間のうちに向上させられるという信憑は広く日本社会に根づいた。今日の学校体育やスポーツ界に蔓延する暴力はその伝統を受け継いでいると見る片山氏の指摘は正鵠を射ていると私は思う。
 「速成」が要請されるのはいつでも同じ理由からである。「ゆっくり育てている時間がない」というのだ。短期で精兵を仕上げるためには、青少年の心身の自然な成長を待つ暇がない。「負けてもいいのか」という血走った一言がすべてを合理化する。
 私はひそかにこれを「待ったなし主義」と名づけている。スポーツにおける体罰を正当化する指導者たちもまた例外なく「待ったなし主義者」である。「次のインターハイまで」、「次の選考会まで」、「次の五輪まで」という時間的リミットから逆算する思考習慣をもつ人にとって、つねに時間は絶対的に足りない。だから、アスリートの心身に長期的には致命的なダメージを与えかねない危険な「速成プログラム」が合理化される。
 その一方で、「待ったなし」主義はアスリート自身にも不条理な指導を受け入れるための心理的根拠を提供する。というのは、「あそこまで我慢すれば、この苦しみも終わる」という「苦しみの期限」があらかじめ開示されているからである。
 体罰と暴力によって身体能力は一時的に向上する。これは経験的にはたしかなことである。恫喝をかければ、人間は死ぬ気になる。けれども、それは一生かかって大切に使い伸ばすべき身体資源を「先食い」することで得られたみかけの利得に過ぎない。そんな背景も押さえながら、今後、この問題を報じていってもらいたい。「待つたなしだ」という脅し文句で、手をつけてはいけない資源を「先食い」する。気鬱なことだが、この風儀は今やスポーツ界だけでなく日本全体を覆っている。◇

 「金字塔」が体罰を生んだ、などというリニアな理路を語ろうとしているのではない。往々にして勝利は次の敗因を内包する。類稀な勝ちであれば、なおさらだ。負けは誰にとっても身に覚えがあるが、勝ちは身に覚えを残さない。剣術書は、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と訓える。野村克也氏の十八番だが、むしろ前句が肝要ではないか。「不思議」を解かねば、負けを招くからだ。
 史学博士の磯田道史氏がおもしろい話をしている。
◇一九世紀の日本人の強みは「世の中は変わる。人智と機械は進歩する」と信じ「過去にとらわれず自らを変える」のに躊躇しなかったことである。当時、これを「変通」といった。変化に通ずるという意味である。秋山真之などは変通の典型。日露戦争前に海軍で戦術を講義したが、教壇にたつやこういった。「ナポレオンは一戦術の有効期限を一〇年とした。海軍戦術の有効期限は一年を超えない。飛行機と潜水艦が発達。これから海軍は無用の古物になり空軍万能の時代がくる。巡洋艦が空中を飛行し、戦闘艦が水中を潜航する戦場は平面的でなく立体的だ。いまから教える平面戦術は役に立たなくなる」。この教えを昭和の軍人が守っていたら歴史は違ったであろう。◇(中公新書「歴史の愉しみ方」から)  
 なぜ、魔女と呼ばれたのか。急速に強くなったからだ。海外でネーミングされた。国外勢は魔女狩りに躍起となり、国内では魔女の「成功譚」に「変通」をすっかり忘れてしまった。永い低迷は今もつづく。
 元魔女に哀悼。 □


柔よく剛を容れる

2013年10月07日 | エッセー

 非常に示唆に富むインタビュー記事が、先日の朝日新聞に出ていた。応えたのは、地球上の水の循環を研究する東京大学教授・沖大幹氏である。要旨は以下の通り。
〓豪雨の日本記録は82年の長崎豪雨で、1時間に187ミリの雨が観測されましたが、今年はそこまでは降っていません。 今世紀末を想定した推計によると、1年間に降る雨の総量はほぼ変わらないか、やや増える程度です。 短時間豪雨が年々増えているという長期的傾向はあるけれど、その中でも多い年と少ない年がある。
 技術的には、インフラを維持・拡充して対処することはできるでしょうが、何十年に一度、起きるかどうかわからない災害のために、高い堤防やダムを造る財政的な余裕はもはやないかもしれません。
 江戸時代までは、自分たちの村は自分たちで守るという『地先治水』が主体でした。明治政府が強固な中央集権国家をつくる過程で、国が水の災害から守ってあげます、水も供給しますとなった。やがてそれが当たり前になり、「国がなんとかしてくれる」と思うようになってしまった。しかし、近年の財政的な制約に加えて、洪水災害の激化が想定され、施設の整備だけで「国が水の災害を絶対に防ぐ」というのは見果てぬ夢になってしまいました。
 昨年ハリケーン“サンディ”が米東海岸に上陸したとき、ニューヨーク市は上陸前から地下鉄や電車、バスをすべて止め、証券取引所も2日間休場にしました。被害額の半分は、経済活動の中止による機会損失だといわれるほどですが、めったにない規模の災害を封じ込めるためにコストをかけるよりは、1日か2日、経済を止めてしまったほうが安上がりだという判断が社会的にあるのでしょう。
 日本は、どんな台風が来ようと、大雨が降ろうと、普段どおりの生活ができるような国土整備を目指してきました。でも、どんな大雨でも学校や会社に行けて、仕事ができるようにインフラを整備する財政的な余裕は残念ながらもうありません。次善の策として、普段の暮らしをいったん止め、コストをかけずに被害を抑えるしかないでしょう。施設ではなく、社会的なバッファー、余裕で自然災害に対処するのです。 台風が来るとわかっていたら、遠出はやめる。大雨でも会社に行こうとするのをやめる。災害休日にしてしまえばいいんです。本当に深刻な被害は100回に1回でしょうから、経済活動をストップさせるのはもったいないように思えるかもしれませんが、いたしかたありません。
 もちろん、水のリスクを忘れてはいけませんし、可能な範囲でインフラ整備も進めるべきです。日本は自然災害のリスクが高い国です。地震やさまざまな事故のリスクも減らさねばなりませんし、道路や橋など老朽化したインフラの更新、貧困対策や教育の充実にも投資が必要です。安全で豊かな生活を維持するためには、何を、何から、どれくらい守るべきか、総合的に考えていくべきだと思います。〓
 肝は、「施設ではなく、社会的なバッファー、余裕で自然災害に対処する」である。ダムは要らない、インフラのメンテは余計だといっているのではない。「何十年に一度、起きるかどうかわからない災害のために、高い堤防やダムを造る」のではなく、「社会的なバッファー」を対応の主軸に据える。──ここに、目から鱗が落ちた。
 3・11以降、国を挙げて「高い堤防」に目が向いてはいなかったか。ギネスブックにも登録された世界一の釜石湾スーパー堤防が無惨にも破壊された姿を見て、より頑丈でより「高い堤防」を指向してはこなかっただろうか。その類いのオーバー・リアクションに痛撃が見舞われたようで、溜飲が下がった。原発の地震対策とは話が違う。混同しないでほしいが、自然の猛威とイタチごっこをするようなノンシャランに世の大勢が陥っていたのではないか。それは、超弩級堤防を張り巡らして日本列島を要塞化しようとする珍奇な妄想と踵を接する。そんなことで捩じ伏せられるほど、ガイアは柔ではない。それこそ、3・11が突きつけた凄絶な教訓ではなかったか。
 災害休日をはじめ例示されているもの以外に、さまざまな「社会的なバッファー」が考えられる。要は情報、トラフィック、ロジステック、行政的キャプテンシー、地域的連携、自助努力などソフト面での社会的な対応能力を高めることである。全財産を擲ってわが家を耐火建築に建て替えるか、日々火の元を確かめ消火用具を備え相応な火災保険に加入するかの選択だ。柔よく剛を制す、あるいは柔よく剛を容れる、だ。
 養老孟司氏は、かつてこう述べた。
◇もともと日本人は世界でもっとも災害に対して強い人たちだったはずです。なぜならば、歴史上記録にあるマグニチュード六以上の地震の一割が日本で起こっていて、噴火の二割が日本で起こっているのです。その日本の陸地面積は世界の四百分の一にすぎません。○・二五パーセントしかない陸地の上で世界的な大災害の一割、二割が起こっているということは、かなりひどい災害国家なのです。そこでずっと生きてきたわけですから、本来災害に対する耐性は世界一だった。◇(「超バカの壁」から)
 「耐性」とは辛抱強いことではない。おそらくは智慧の謂であろう。インフラが未熟な中を先人たちはあらん限りの人的リソースを注いで生き延びて来てくれた。史上最大の災害国家は人類未踏の地を征くパイオニアでもある。賢明に舵を取っていきたい。 □


錦秋の訪い

2013年10月02日 | エッセー

 

 錦秋の到来である。

  秋きぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる

 古今和歌集にある名歌である。なりかけ、移り際に雅趣を捉える感性こそ本邦の売りだ。ひょっとしたら、「辺境国家」に住まう人びとの心性であろうか。
  内田 樹氏は「時間の先後、遅速という二項図式そのものを揚棄する時間のとらえ方」が「機」だとし、辺境人が中華に抗する「後即先、受動即能動」のスキームだったという(新潮新書『日本辺境論』)。つまりは、後・受・遅を宿命的に背負う辺境人が採用した起死回生のソリューションが「機」であった。二項を「揚棄」しようするメンタリティは、否応なくあわいに向かうはずだ。際(キワ)にフォーカスされる。だから、「おどろく」とはサプライズではあるまい。知的な覚醒、もしくは「時間の先後を揚棄」した「機」の表出ではないか。
 10月はじめとはそのような際(キワ)かもしれない。

 “オクト”とは、ラテン語で「8」を表す。オクトパス、然りだ。オクトーバーはどうか。
 古代ローマでは春3月に国王によって新年が宣せられた。農作業の開始号令であったろう。10ヶ月だけ勘定して、12月で終わり。あとは農閑期か。そして、また春に。だから、ローマ暦には十月(トツキ)分の呼称しかなかった。まことに大らかなものだ。のちカエサルがユリウス暦をつくる時、年(ネン)の初めを1月とし1年は12ヶ月とした。となると、ふた月分の名前が不足する。なぜそこなのか、誕生月だったのだろう、ローマ暦の5番目と6番目(ユリウス暦では年初が2ヶ月繰り上がっているので7・8月)がユリウスとアウグストゥスの名に改称された。それで数字でナンバリングされていた7・8月が、ふた月分押し下げられた。“セプテン”はラテン語で「7」の謂である。ややこしい話だが、『8番めの月』が「10月」になった経緯はシーザー絡みであった。歴史的巨人は名の残し方も鮮やかだ。
 
 錦秋はその通りだが、なぜ白秋なのか。素秋ともいう。「素」も白の謂がある。「しるし」に通じる白は、はっきりとした様子を表す。五行説では白は西方の色とされるから、夕映えが連想されなくもない。しかし、その色ではあるまい。四神の中で最高齢が西方を守護する白虎だ。四元を人生の四季に配する時、最後に来る。こじつければ、長寿の白がイメージされる。ともあれ、味わいは深い。

 “オクトパス”と言っておきながら、この歌を素通りするわけにはいくまい。

 Octopus's Garden
   〽I'd like to be under the sea
    In an octopus' garden in the shade
    He'd let us in, knows where we've been
    In his octopus' garden in the shade
        ・・・・
    I'd ask my friends to come and see
    An octopus' garden with me
        ・・・・
    We would be warm below the storm
    In our little hideaway beneath the waves
    Resting our head on the sea bed
    In an octopus' garden near a cave

    We would sing and dance around
    because we know we can't be found
    ・・・・
    We would be so happy you and me
    No one there to tell us what to do〽

 リンゴの作詞作曲である。洒脱で飄然とした滋味は、彼以外には出せない。甲斐甲斐しいバックのコーラスも、また泣ける。なにせオーラスのアルバムである。
「海の底、岩陰のタコさん家(チ)のお庭がお薦めだよ。ぼくと一緒に行こう。みんな、お出でよ。時化だって浪の下なら平気。誰にも見つからない。歌って、踊ってハッピーだ」
 解散含みの推移の中で、リンゴなりの進退を暗示したのかとも勘ぐれる。それにしても、オクトパスとはおもしろい。生態域の関係でゲルマン系は喰わない(今では口にするそうだが)。ユダヤ教では禁忌だ。「悪魔の使い」と呼ばれたこともある。たしかに怪異ではある。その嫌われ者が安住の居場所を供してくれる。この逆説に容易ならぬ可笑味がある。

 やっと訪った錦秋。たまには丁寧に愛でたいものだ。 □