伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ダルビッシュゆう

2018年10月30日 | エッセー

 今月26日、朝日は次のように伝えた。
 〈ダル、安田さんへの自己責任論に反論「ルワンダ勉強を」
 内戦下のシリアで拘束され、3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリスト安田純平さん(44)に「自己責任論」が出ていることに対し、大リーグのカブスに所属するダルビッシュ有投手(32)が自身のツイッターで反対意見を述べた。
 ダルビッシュ投手は80万人以上が犠牲になったとされる1994年のルワンダ大虐殺の例をひき、「危険な地域に行って拘束されたなら自業自得だ!と言っている人たちにはルワンダで起きたことを勉強してみてください。誰も来ないとどうなるかということがよくわかります」などとつづり、安田さんの解放に「一人の命が助かったのだから、自分は本当に良かった」とした。
 投稿に賛否両論が相次ぐなか、サッカーの日本代表で活躍した本田圭佑選手(32)も反応。「色々と議論がなされてるみたいやけどとにかく助かって良かったね」とつぶやいた。〉
 なぜダルビッシュ? という向きが多かったのではないか。稿者もその1人だ。プロアスリート、別けても野球選手としては異例のコメントである。しかし出自を当たってすぐに氷解した。彼はイラン人の事業家を父にもち、母親が日本人のハーフである。だから中東には無縁ではない。もちろん親戚、縁故もあるだろう。イランはシリア・アサド政権の支援国だ。中東情勢に関心が高かろうことは容易に察しがつく。ダルには中東に“土地勘”があるということだ。
 かつて国際化とは隣に外国人が住む時代をいうのではなく、親戚に外国人ができることをいうのだと聞いたことがある。当然人的ネットワークも地球規模に拡がる。伴って視野も拡大する。ダルビッシュ有がダルビッシュ“言(ユ)う”となる道理だ。
 さて、安田純平氏についてである。こういう案件には決まって「自己責任」が囂しく飛び交う。フリージャーナリストの個人的活動、取材である。身代金を始め救出に公金や労力を使うのは筋違いではないかと。迷惑である、と。
 しかし本当にそうか。先ずなにより邦人保護は国家として当然の義務である。国外追放者でない限り、理由の如何に関わらず自国民を擁護できずになんの国家か。また、メディア大手は危険地域への取材にはフリージャーナリストを使う。ほとんどが雇用契約ではなく個々の取材情報を買い取る形であろうが、アウトソーシングに違いはない。だからあながち「個人的」と断ずる訳にはいかない、ともいえる。広く社会的使命を担っているともいい得る。「君子危うきに近寄らず」を“義士”が肩代わりしているともいえよう。SNSが普及しているとはいえ、それにさえ無縁の人々がいる。外から入っていかなければ実情が掴めない危険地帯は数多い。“戦場”の実態は彼ら義勇の士によって世界に発信されているのだ。命を賭しての国際貢献である。現に、16年は156人で過去10年間で最悪。シリア内戦では12年から5年間で110人以上の記者が命を落としている。人間が尊厳を踏みにじられ存在までも抹消される紛争地や圧政の社会。その現場をリポートすることは現代社会における『人権の斥候兵』であり、大いに称讃されるべき人たちではないだろうか。斥候がいなければ本隊は進路が取れない。
 危殆のど真ん中に身を投じるジャーナリストたちは職務責任というよりも公的責任、さらには人類史的責任を背負っているといっても過言ではなかろう。未だにカニバリズムの悪弊を抜け切らないのは類としての恥辱ではないか。
 そもそも、メディアとは何か。生物学者福岡伸一氏の洞見を徴したい。
 〈メディアといえば新聞やテレビのことを意味するが、生物学の世界では、メディア(単数形はメディウム)とは、シャーレの中で育つ培養細胞を浸す栄養液のことを指す。細胞たちはおそらく自分たちを取り囲む、この媒体の存在を自覚してはいない。ちょうど水の中に棲む魚が水という媒体の存在を知らないように。あるいは、私たちが空気や重力や温度といった媒体の存在を気にしないように。しかし、メディアは、生命と常に接し、生命活動を支えている。メディアとの接点を通じて、物質とエネルギーと情報の交換が絶えず行われる。それが化学反応を引き起こし、生命という平衡を保つ。つまりメディアとは、何かをためこんだアーカイブではなく、動的な流れとしてある。〉(「動的平衡2」より抄録)
 「シャーレの栄養液」つまり「媒体」がメディアである。魚にとっての水だ。無自覚ではあるが、不可欠である。mediaはラテン語Mediumから派生した。「中間」「介在」を意味する。しかも福岡氏は「アーカイブではなく、動的な流れ」だという。社会に置き換えれば、まさにメディア(情報媒体)ではないか。今の世界に向き合う。人類の進むべき道を過たないために。『人権の斥候』に栄光あれ、だ。 □


断髪式にて

2018年10月28日 | エッセー

 〈昨年九州場所後に引退した大相撲の元横綱・日馬富士関(34)=伊勢ケ浜=の引退相撲断髪式が30日、両国国技館で行われた。断髪式では横綱・白鵬(宮城野)ら400人以上がはさみを入れた。昨年11月に幕内・貴ノ岩(貴乃花)への暴行問題が発覚。責任をとる形で土俵を去ったが、恨み言は一切なし。最後は土俵に感謝のキスをして、2001年初場所の初土俵から刻んだ17年間の相撲人生に別れを告げた。〉(今月1日、スポーツ報知ネット版)
 偶然、テレビで見ていた。プロスポーツにはそれぞれに引退セレモニーがあるだろうが、大相撲の断髪式は格別に感慨深い。角力取の看板ともいうべき大銀杏に関係者が鋏を入れる。力士によっては数百人に及ぶ場合もある。最後に師匠が止め鋏を入れて締め括る。遺風を去って今風に戻る瞬間だ。人生の新しいステージが始まる。
 モンゴル出身者は鋏を入れたあと一様に頬に口づけをしていた。朝青龍のそれには日馬富士は相好を崩した。だが、白鵬の時には両の拳を固く握り前方を見据えニコリともしなかった。むしろ感情を噛み殺すように表情を強張らせた。と、見えた。
 明らかなその違いについて報じるメディアはなかった(多分)。邪推だが、事の発端をつくった人物への複雑な心情があったのではないか。これからはオレたちの時代だという貴ノ岩の豪語を耳に挟んだ白鵬の小言から騒動は引き起こされた。大横綱の話を謹聴せよとの鉄拳指導であったという。
 目にも留まらぬ張り差しや動物的な身のこなしを身上とする“大”横綱が、振り上げた日馬富士の腕をサッと制せなかったはずはなかろう。物を持ってはいけませんなどと悠長に言っている場合ではない。いかなる時でも場の動きを読み先手を打ててこその大横綱であろうに。すべてを胸に納め、黙して去る横綱。片や、肝心要を忘失したかのように能天気な大横綱。お前の所為(セイ)でこうなった、と稿者ならひと言浴びせただろうに。などと、下衆の勘ぐりをしてみた。
 本稿では何度も白鵬の「過剰適応」を指摘してきた。「横綱らしくあろうとする余りダーティな勝利至上主義に流れてしまった。挙句、慢心のゆえか、見当違いの訓戒を垂れるほどに嵩じている」と、昨年11月の小稿『そっくりそのまま』には記した。さらに揣摩憶測を逞しくすれば、鳥取事件はその成れの果てといえなくはない。
 遊牧民族は家族より部族を優先するそうだ。また、子弟の自立を図るため体罰も厭わぬ厳しい躾をすると聞く。どちらも茫漠たる苛酷な自然の中で生き残る術であったろう。モンゴル出身者の連帯には遊牧民族のDNAが微かに蠢いていたのかもしれない。
 花は散り際。大横綱が掴み損ねた本邦文化の粋を、遊牧の象徴と当国随一の秀峰の名を併せ持つ後輩横綱が鮮やかに体現したと見たい。 □


「あんな子ども」

2018年10月22日 | エッセー

 今月17日、旧民主党政権時代に官房長官などを務めた元衆院議員、仙谷由人氏が亡くなった。
 仙谷氏というと、「あんな子ども」がすぐ浮かぶ。小稿で何度か取り上げた。14年、第2次改造安倍内閣がスタートした時、こう記した。
 〈第一次内閣を放り投げた時、民主党の仙谷由人氏が「あんな子どもに総理大臣なんかやらせるからだ!」と言い放った。またもや、「あんな子どもに、二度も総理大臣なんかやらせるからだ!」とならないとも限らない。〉(「焼酎の水割り」から抄録)
 その「またもや」が現実になって久しい。「子ども」とは何か。内田 樹氏の卓見を徴する。
 〈衰退の特徴は何よりも「以前より単純になる」ということにある。成長するものは変化する。そして以前より複雑になる。考え方も感じ方もふるまい方も、より複雑で、重層的で、こまやかで、厚みのあるものになる。それが「成長」ということである。今の日本人が全く逆の行程を歩んでいることは疑うべくもない。日ごとに人々の語る言葉は定型化し、思考は硬直化し、反応は常同化している。総理大臣が国会答弁を「ロボットに代わってほしい」と言ったのは、これを象徴している(16年度予算算案の衆院通過を受け、衆院予算委員長や与党理事らを首相公邸で慰労した際、安倍氏は「ロボット答弁者っていいな」と発言)。複雑な思考も複雑な修辞も複雑な感情も制御できない人たち(それを日本では「子ども」と呼んできた)が、今この国の舵取りをしているのである。これを「衰退」の兆し以外の何と見立てればよいのか。〉(16年3月「AERA」から抄録)
 「複雑な思考も複雑な修辞も複雑な感情も制御できない人たち」が「子ども」の定義である。アホノミクスのチープなシンプルさ、常套句「丁寧に説明」の空語化、「あんな人たち」の露骨な感情不制御、挙げれば切りがない。その退嬰化を「あんな子ども」と仙谷氏が剔抉した。慧眼の士だったと呼ぶべきだろう。付言すれば、オーディエンスが少ないとケツを捲った某歌唄いなぞも「複雑な感情も制御できない」「あんな子ども」の一典型であろう。さらに、「複雑な思考」ができない「あんな子ども」の実例を挙げよう。内田氏はこう斬り込んだ。
 〈「腹心の友」(加計理事長)が親友(安倍首相)が許認可権を持つ事業の認可申請を出していながら、その事実を親友に伝えず、ゴルフや会食で首相を接待していたという。これは事実上、「親友に汚職の嫌疑を与え、野党とメディアに追及の手がかりを与え、支持率を急落させ、失墜させるための周到な罠」を仕掛けていたに等しい。自分の政治的キャリアを終わらせかねないリスクを伴う行為を仕掛けていた人物を友としてこれからも信じ続けるのは首相の自由だ。しかしこの人物が例外的に邪悪な人物であるか、あるいは例外的に粗忽な人物であるか、あるいはその双方であることは間違いない。そのような人物が学校教育の事業主体にふさわしいという判断に与する人はいないであろう。〉(17年8月「AERA」から抄録)
 「その事実を親友に伝え」ていれば、親友は瓜田に履を納れなかったものを。「伝えず」こそ「周到な罠」だ。申請中に接待を受ければ「汚職」、少なくとも大臣規範に反する。だから、聞かなかったという証明至難の嫌疑が真綿で親友の首を絞め続ける。悪魔の証明という蟻地獄に親友を引きずり込む。悪意があったにせよなかったにせよ、この「周到な罠」は「複雑な思考」ができなかった帰結だ。森友も似たり寄ったり。「周到な罠」に変貌しかねない持ち上げを開けて通したのは、これもまた紛れもない「複雑な思考」ができない好個の実例である。
 退嬰化する永田町の「あんな子ども」を尻目に、瞠目すべき「あんな子ども」がいる。9月17日放送の「NHKプロフェッショナル」に登場した。以下、番組紹介サイトから抄録、加筆。
 〈『プロフェッショナル 子ども大学』、第1回のテーマは「ものづくりの『ヒットメーカー』になろう」。“伝説のヒットメーカー” 佐藤 章さん(スナックメーカー湖池屋社長。キリンビールマーケティング部長からキリンビバレッジ社長を歴任)を講師に迎え、60名の子どもたちは「商品開発」について学ぶ。子どもたちが考案した「新しいポテトチップス」。さて、どのようなポテトチップスが誕生するのか…?
 参加者は小学5、6年生を対象に募集した60人。佐藤さんは授業の中で「商品開発の中で大切にしてきたのは自分にウソをつかない事」だと話す。授業を受け、子どもたちは企画や開発に動き出した。後、その中から8人が選抜される。
 悠真は鳥について詳しかったが、学習塾を辞めて自分に自信を持てなくなってしまっていた。佐藤さんは、「自分にウソをつかない」という言葉に「まだその意味はわかっていないと思うので自分の中で問いかけてほしい」と話す。ハンバーグ味にした悠真は「自分は買うかどうか」と聞かれると気持ちが揺らいでいた。颯人は同級生の案を元に梅に合う食材を探し、試作の味に嘘はないと感じていた。梅チップスの颯人は佐藤さんによると、流儀の本質が届いてないと感じ、再考を促す。佐藤さんは改めて「自分にウソをつかない」という言葉を小学生達に提示し、「自分の経験の中に好きがある」と教えた。作り手は自分の熱量を相手に伝える仕事だと佐藤さんは子どもたちに訴えた。
 7歳までアメリカで育った桜子は、ココナッツを使って今までにない味を作り出していた。佐藤さんから褒められてからは、親が共働きで少し寂しいといった経験までもアイデアに取り入れて成長を始めた。
 颯人は佐藤さんに「考え直したほうがいい」と言われて悩んでいた。泣き虫颯人は涙を流しながら考え続けた。ダメ出しをされたのは生まれて初めての経験。母親もどう声をかけていいか悩んでいると明かした。ぜんそく持ちで入退院を繰り返してきた颯人。彼が好きだと語ったお味噌汁は母親が「病弱な息子にどうしても野菜を食べてほしい」と願い、試行錯誤したものだった。颯人がたどり着いた結論は、母が作る味噌汁に込められたぬくもりと元気の素だった。
 お菓子会社でプレゼンする日がやって来た。ツカミや返し、どの子も実に上手い。考研は十勝こがねというじゃがいもにこだわったポテトチップスをプレゼン。社員のつっこみにも的確に答え、「よく研究しているね」と褒められた。鳥が好きな悠真は「サクッとやきとり」という商品を自信をもってプレゼンし、会議を盛り上げた。桜子はココナッツペッパー味を自信を持ってプレゼンし、社員のツッコミにも熱意で返した。颯人は家族のことを思い出すトン汁味のポテトチップスを考案し、母の味噌汁がなぜ好きなのかを語った。
 プレゼンを聞いた社員からは「颯人くんのプレゼンに心を動かされた」「桜子ちゃんに世紀の大発見といわれたら食べてみたい」「焼き鳥味はつまみコーナーにも並びそう」と意見が出た。選ばれたのは颯人と桜子の作品。佐藤さんは選ばれなかった子どもたちに向けて「悔しい思いをしながら自分の強みは何なんだろうって本当に自分と向き合えていくかどうかです」と語りかけた。
 選に漏れた6人は颯人・桜子の2チームに分かれ、それぞれをバックアップしていく。桜子の案は専門家によってブラッシュアップされ順調に完成へと進む。ところが颯人案は主婦層のモニタリングで「ポテトチップスにお袋の味は求めない」「物産展みたい」と酷評され、大幅な軌道修正を迫られる。そこで元気志向かぬくもり路線かを巡り、チームで検討が続いた。颯人はぬくもりを捨てる選択をし、専門家により『ファイとん』と命名された試作品ができる。それでもなおぬくもりに惹かれる颯人。そこで仲間からぬくもりをテーマに4コマ漫画にして袋の裏に描いてはとの提案があり、やっと完成へ。〉
 葛藤の中で人間は成長する。いや、それ以外に成長の場はない。シンプルな解は成長を阻害する。佐藤氏の狙いは明らかに颯人にあったとみるべきであろう。氏には片々たる商品開発の流儀を子どもたちに伝える気など端っから毫もなかったにちがいない。葛藤の中へ誘(イザナ)う。「成長するものはより複雑に変化する」という内田氏の洞見を借りるなら、その恰好のサンプルに佐藤氏の職業的直感が颯人を選んだ。そう捉えるべきではないか。
 オーラスで、8人各自が感想をワンフレーズに記した。颯人は「心を開け、今が次につながる」とボードに書いた。オープンマインドこそ創造の源。佐藤氏のメッセージは見事に伝わっている。
 「あんな子ども」にも「こんな子ども」がいる。未来への確かな曙光と言祝ぎたい。 □


スリル

2018年10月17日 | エッセー

 先月の小稿「子どものための大人の本」で紹介した上野耕平。CDを元プロのサキソフォン・プレイヤーに聴かせてみた。ジャズ畑を歩んできた彼は高度な技術に脱帽しつつも、「スリルがない」とひと言。値千金の一句である。おそらくそれはインタープレイによるケミカルの妙を「スリル」と言ったのではないか。
 脳科学者の茂木健一郎氏は、音楽を聴くことは太古夜の森で気配を聴き取った行為を始原とするという。だから「音楽は、他の芸術とは一線を画するように感じられる。最も生命原理に近い、生命哲学の根幹にかかわる」(『すべては音楽から生まれる』、以下同様)とする。なるほど胎児の五感は聴覚から始まる。胎教の所以だ。麻酔や失神から最初に回復するのも聴覚である。対極にある死の間際まで働いているのも聴覚だそうだ。だから“music”の語源から、音楽を奏で聴くことは生の本質と考えられていたと語る。耳の形は胎児を象っているという説もある。脳科学でも音楽の喜びを感じる回路と食欲が充たされて感じる本能的な喜びの回路は共通だと明かす。空気の振動に過ぎない音楽を「受け止めることは抽象的な感覚」であり、同時に「それが、生物として非常に基本的な喜びにもなる」意外さに着目している。
 物理的な音を抽象的に受け止め、かつそれは本能に直結する。「ダ、ダ、ダ、ダーン」を運命が扉を叩く音だと料簡しカタルシスを覚えるのは人類のみだ。サルはおそらく跳び上がるだけだろう。
 クラシックとジャズは基本、インストゥルメンタルである。物理的な音だけで成り立つ。しかし抽象性は圧倒的にクラッシックが高い。比するに、ジャズは即物性が高い。アドリブやインタープレイは即物性に拠るともいえる。
 ここから飛躍する。
 武人にとって最も重要な資質は臨機応変であったとするのは内田 樹氏だ。
 〈軍は上意下達の組織ですけれど、実際の戦場では「こんなことが起こると思ってもいなかったこと」が起きる。そのときに「指示待ち」でフリーズしていたら、みんな死んでしまう。その場合には、上位者からの指示を待たずに、現場判断で最適解をためらわずに選択する能力が必要になります。武道は本来そのような能力、いつも僕が使う言葉遣いでいえば「どうしていいか分からない時に、どうしていいか分かる」能力の開発のためのプログラムです。〉(「変調『日本の古典』講義」から)
 “物理的な音を抽象的に受け止め”ていては臨機応変は適わない。抽象を素っ飛ばして即物的に応変せねばならぬのがジャズだ。「上位者からの指示を待たずに、現場判断で最適解をためらわずに選択する能力」が求められるのは武道と同等ではないか。その鬩ぎ合いは「スリル」に満ちている。
 ジャズはアメリカの地で生まれた。アフロアメリカンの音楽をヨーロッパ系の軍楽隊形式に乗せたのが発端である。このアマルガムが祖型である。となれば、端っから「ケミカルの妙」を具していたことになる。今年の「ケミカルの妙」はなんといってもノーベル賞受賞者本庶 佑先生だ。発見は偶然だった。細胞死に関わる遺伝子を追ううち、「何だこいつは」に出会した。大発見は往々にしてそうだが、それがケミカルの世界で起こった。まさに化けたのである。
 8月の拙稿「美意識」で触れたように、アルバート・アインシュタインを筆頭に理系の碩学にはクラシック愛好家が多い。本庶先生も同類で、京大時代には大学交響楽団に属していてフルートを吹いていたそうだ。サキソフォンとは同類である。同オーケストラは今でもトップ3に入る実力を誇り、メンバーの3分の2が理系。弦楽器はほとんどが理系の学生だという。凡愚には理由が掴めない。
 さらに同オーケストラの演奏会すべてを取り仕切る責任者も担っていた。交渉、予算、大所帯の意思統一。それを一手に引き受けた。その中で培われたマネジメント能力が、ほとんどの製薬会社が背を向ける中で小野薬品との共同開発に道を付けたとも評される。一徹な学者魂と製薬会社の捨て身の挑戦がアマルガムとなり、オプジーボを世に送り出した。これもまた「ケミカルの妙」といえなくもない。
 世はスリルに溢れている。人がスリルを好むのは、たぶん生き残りの過程で獲得した属性にちがいない。 □


安倍嫌い

2018年10月13日 | エッセー

 ヒグチ君がどう逃げたかにマスコミの関心はあったようだが、むしろポリスはなぜ捕らえられなかったかこそ問われるべきだろう。毎日3千人を超える動員をしながら、結局は道の駅「ソレーネ周南」(山口)の警備員によって御用となった。「ソレーネ」とは、あの辺りでは「その通り」という意味だから、見事なネーミングというほかない。見事でないのがポリスたちで、彼らが職業的勘働きを集団的に失いつつある象徴ではないか。そんなふうに拙稿を記そうかとも思案はしたのだが、毎度のことゆえうっちゃっておいた。ところが、猛者がいた。格段の膂力を誇る才媛である。朝日新聞論説委員高橋純子氏だ。なにかと剛球、変化球を世に放り込んできた女史であるが、この度の論考はまことに秀抜、ただ頭を垂れるほかない。なんとヒグチ君とアンバイ君、二人を符節を合わするが如く論じてみせたのである。
 先日8日付朝日の『政治断簡』に、「逃走中なのか、挑戦中なのか」と題する小論を載せた。逃走と日本一周への挑戦が一体化していたのではないかという。
 〈 逃げているのか。
  挑んでいるのか。 
 その境目は実はさほど明確なわけではなく、何かから逃げている人は、何かに挑んでいる人として在ることも可能だということなのだろう。逃げるには挑むしかない――。〉(前掲記事より)
 なるほど、木偏と之繞を入れ替えれば意味するベクトルは逆向きになる。返す刀はこうだ。
 〈説明責任を果たすことから逃げ、政治的責任を取ることから逃げ、不信の目からいまだ逃れられずにいるお友達を集めてみせる(組閣で・引用者註)。 ・ ・ ・ ・ それにしてもなぜ、悪路であえてエンジンを吹かすのか? おそらくそうすれば、険しい道をあえて行く挑戦者として振る舞うことが可能になるからだろう。首相は自らを挑戦者のごとく演出するのがうまい。〉(抄録)
 逃亡者と挑戦者のハイブリッド。快刀の切れ味に「ソレーネ」と膝を打ってしまう。
 “安倍嫌い”の識者に共通するのは、「自らを挑戦者のごとく演出するのがうまい」あざとさが透けて見えるからではないか。識者としての「職業的勘働き」が過たずにその本性を感知しているからではないか。「あんな男」と一刀両断にした内田 樹氏。アホノミクスの名付け親浜 矩子氏。反知性主義の典型と断ずる佐藤 優氏。小4レベルの成功の「成」の字がまともに書けなかったエピソードを紹介し、「成長戦略」に疑問符を付けた中野信子氏(寄せ書きに書いた「成長力」の成の払いと点が抜けていたと13年4月毎日新聞が報じた。アッソー君の「みぞうゆう」よりもっとヒドい)。などなど挙げれば切りがない。ついでにいえば、アンバイ君はまともに箸が使えない。いわゆる握り箸だ。「美しい日本」と言う割には所作は全然美しくない。
 例えば池田清彦氏。『ホンマでっか!?TV』のレギュラー解答者、大の昆虫採集家にして「構造主義科学論」を唱える生物学のオーソリティ。温顔で好々爺然とした風貌なのだが、ひとたび安倍批判となると、火を吐くように舌鋒鋭い。最新刊『いい加減くらいが丁度いい』(角川新書、本年9月刊)では、実に十カ所に亘って安倍へのオブジェクションを突き付けている。草加市の桜並木がカミキリムシの食害に遭っている。殺虫剤では死なないから足で踏み潰せという看板を市が掛けた。それについて、
 〈殺虫剤で死なない虫はいないよね。役所が見え透いた嘘をつくのは安倍政権の真似をしているのかしら。それにねえ。サクラが多少枯れても人が死ぬわけでもないし、安倍の悪政の方がはるかに問題だろう。〉
 と、無茶ぶりの悪態を吐いている。論争相手に「お前は顔が悪い」と捨て台詞を浴びせた吉本隆明のようで、稿者はこういうのが大好きだ。
 顔といえば、公家顔に触れねばなるまい。茹で卵を剥いてちょこちょこっと目鼻を書き込む。体調ゆえか悪行のゆえか今は黒ずんだ膨れっ面になってはいるが、アンバイ君はもともとは公家顔だ。公家といえば藤原氏。1300年、3000家、日本史上最大にして最長の氏族である。『平清盛のすべてがわかる本』(NHK出版)などの著作がある中丸 満氏は近著『ここがすごい! 藤原氏』(洋泉社)で、その秘密を解きほどいている。曰く、4点。
  ① 天皇家と身内関係を築いた
  ② 謀略を駆使して政敵を追い詰める
  ③ 律令の官位制を最大限に利用した
  ④ 学問芸術の力で権威を保つ
 ① は政略結婚を駆使したことだ。戦後の保守政治家を相関図にすると十重二十重の姻戚関係が見えてくる。別けても岸、吉田は筆頭であろう。岸信介の遺志はまちがいなく隔世遺伝されている。② は謀略、詐略だ。改めて語る必要はあるまい。③ は世襲制である。政治家2世、3世は当たり前になって、ある種のエスタブリッシュメントを形成している。④ は武士の世となってからの生き残りであるが、これはアンバイ君には無縁だ。ともあれ① ~③ の3点はアンバイ君にそのまま符合する。といって、アンバイ君の出自が貴族であるといっているのではない。相貌からの連想である。公家顔には気をつけようという話だ。
 余談ながら、藤原氏の始祖中臣鎌足。中丸氏は乙巳の乱での鎌足の様子をこう綴る。
 〈中大兄が「やあ!」と声をかけて斬りこみ、佐伯子麻呂(さえきのこまろ)とともに入鹿を討ち取った。入鹿暗殺が実行された時、鎌足は何をしていたのだろうか。実は史料を見る限り、鎌足は何ら具体的なアクションは起こしていない。自ら手を汚さず、高貴な皇子を暗殺の実行犯にした。〉(上掲書より)
 なぜか「森友加計」が、「忖度」が想起されてならぬ。「ソレーネ」だ。 □


「白村江、再びか?」再び

2018年10月11日 | エッセー

 14年4月に小稿『白村江、再びか?』を呵した。この国が初めて集団的自衛権を行使したとされる白村江の戦い(663年)について以下のように述べた(朝日新聞に一部が転載された)。
 〈結果は惨敗に終わる。当然、唐による本邦侵攻の危機が予見される。4年後即位した中大兄皇子・天智天皇は関係改善のため遣唐使を送り出す。併せて北部九州や瀬戸内、西日本の防衛強化、さらに海浜部から内陸部への遷都。実に素早く適確な対応であった。目が覚めたというべきであろう。素朴な侵略、拡張の時代に粗略な戦略が国家存亡の危殆を招いた。アナクロニズムと嗤うなかれ。大国の覇権、彼我の戦力、辺境という立ち位置、地政学的な諸元はなにも変わってはいない。〉
 浅学浅慮というべきか、先日、再考を促す学知に偶会した。「目が覚めた」「粗略な戦略」のところである。実はとっくに目は覚めていたのであり、緻密な戦略が練られていたのだ。
 歴史学者で日本古代政治史が専門の倉本一宏氏が『戦争の日本古代史』(講談社現代新書)に「目が覚め」る論攷を詳述している。大括りにすると、白村江の戦いは律令体制という中央集権国家をつくる歴史的画期になった、ということだ。
 倉本氏はこう推断する。
 〈対唐・新羅戦争というのは、勝敗を度外視した、戦争を起こすこと自体が目的だったのであり、それによって倭国内の支配者層を結集させ、中央集権国家の完成を、より効果的におこなうことを期したという側面があった。あるいは、もっと深刻な可能性として、倭国の敗北が国内で周知の事実となってしまった場合でもなお、中大兄は自らの国内改革の好機ととらえていたのではないか。あたかもこれから、唐・新羅連合軍が倭国に来襲してくるという危機感を国内に煽り、これから両国が倭国に攻めてくるぞ、我らが祖国を守るためには、このままの体制ではいけない、国内の権力を集中して軍事国家を作り、国防に専念しなければいけない、国内の全権力を自分に与えろ、と主張しようとしていたのではないか。じつはこのパターンが、もっとも強力な軍事国家を作ることができるのであり、中大兄にとっては、この戦争は、まさに「渡りに舟」のチャンスと認識していたことになる。〉(上掲書より抄録、以下同様)
 敗戦は織り込み済みであった。国家的危機を逆手に取って国内の全権掌握を図り、「強力な軍事国家」をつくる。となれば、「粗略な戦略」どころの話ではなくなる。権謀術数、極まれりだ。
 私地私民の既得権益を持つ豪族層を弱体化させ公地公民を実現させねば律令制は立ち行かない。倭国政権は総力戦の名の下に豪族を挙って白村江に投入した。結果、無残にも豪族は勢力を削減された。図星は外れなかった。証拠に、9年後の壬申の乱には豪族の名がほとんど消えている。地方にまで中央の権力が浸透していたことが窺える。中大兄と鎌足の遠謀は成ったというべきだろう。40年弱の後、両者の後継によって大宝律令が制定され、構想は実現した。
 そこで、「白村江、再びか?」である。「再び」なのだ。国家の危急存亡を煽って国内を統べる。この極めて古典的な、というか、抜き難き病的DNAに取り憑かれた政権が刻下のアンバイ政権なのである。「対唐・新羅」はほぼそのまま当て嵌まるし、「豪族層」を反戦勢力・野党と置換すれば一連の安全保障政策の無理強いは「強力な軍事国家」への里程そのものである。「大宝律令」は憲法改正の悲願達成か。旧稿を引くならば、「アナクロニズムと嗤うなかれ。大国の覇権、彼我の戦力、辺境という立ち位置、地政学的な諸元はなにも変わってはいない」となる。問題は「なにも変わってはいない」核心は何か、である。
 倉本氏はこう続ける。
 〈何故に近代日本は「明治維新」後に突然、朝鮮に目を向け、侵略に踏み切ったのであろうか。その淵源は、古代の倭国や日本にあり、そして長い歴史を通じて醸成され、蓄積された小帝国志向、それに対朝鮮観と敵国視が、幾度にもわたって記憶の呼び戻しと再生産をもたらし、近代日本人のDNAに植えつけられてしまっていたことにあるのではないかと考える。そのキーワードは「東夷の小帝国」ある。つまり、倭国は中華帝国よりは下位だが、朝鮮諸国よりは上位に位置し、蕃国を支配する小帝国であると主張するものである。その願望が、古くから倭国の支配者には存在し、中大兄と鎌足もそれにのっとった。〉
 “辺境”はやたら中央にキャッチアップしようとするあまり、そのマネをしたがる。それもオリジナリティーのない模倣、擬い物だ。「東夷の小帝国」とはまさにそれで、現代に至ってもなお引き摺る宿痾であろう。今や自己目的化した対米従属路線と反省のないアジア蔑視は「東夷の小帝国」志向となんら変わりはない。ただし、「東夷」は大洋を挟んだ超大国の『西戎』とパラフレーズすれば、だ。 □


It

2018年10月07日 | エッセー

It’s a girl.
 It という代名詞が引っかかった。突き放した語感が冷ややかだ。
  girl か boy かは染色体によって決まる。はるか12年前の小稿『ぞろ目にはかなわない!』(06年7月)で、養老孟司先生の御高説を徴した。女はXX、男はXYである。おもしろいのは、はじめはすべてXXからスタートすることだ。受精後7~8周目でY染色体上のSRY遺伝子が働いてXYになる。養老先生は、
 〈本来は女のままで十分やっていけるところにY染色体を投じて邪魔をしている。乱暴な言い方をすると、無理をしている。だから、男のほうが「出来損ない」が多いのです。〉( 「超バカの壁」)
 と言い放つ。だから、XYはXXの「ぞろ目にはかなわない」のである。
 もう一つ、おもしろい話がある。母性遺伝であるミトコンドリアDNAの分析によると、ホモサピエンスのゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が数%組み込まれていることだ。60万年前にホモ属から分岐したネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布していた。30万年前に後発したサピエンスよりも体格は大きく、脳も大きかった。なにより寒さに強かった。この耐寒性をサピエンスが受け継いだことが氷河期を生き延びる上で奏効した。
 結局はユヴァル・ノア・ハラリがいうところの「認知革命」によって集団力を獲得したサピエンスにネアンデルタール人は絶滅させられてしまう。「認知革命」については、昨年1月の拙稿『サピエンス全史』ほか幾度も触れてきた。個体レベルでは優れていても、衆寡敵せず、それも組織立った衆には脆くも敗れ去った。3万数年前に起こったこの攻防戦により、今やホモ属はサピエンスしかいない。
 いいとこ取りされて捨てられて、ネアンデルタール人はまことに憐れだが、いいとこ取りをなし得たのはサピエンス女の果敢なる挑戦であったといえる。結果、現代人類はサピエンスの女とネアンデルタール人の男のハイブリッドなのである。逆のパターン、サピエンスの男とネアンデルタール人の女とのハイブリッドは絶滅している。万物の霊長たる高みはサピエンス女によってもたらされたといえよう。だからやっぱり、ここでも「ぞろ目にはかなわない」のだ。girl とは紛れもないそのぞろ目である。
 さて、It だ。むしろ、この場合 This ではないか。あるいは、The baby is a girl. と、定冠詞を使う方が収まりがいい。なんにしても、It では冷ややかであろう。それになにもわざわざ英語でなくてもと、あれこれ考えるうち得心に至った。きっとこれは照れだ。ずいぶん待たせた親へ、娘からの吉報はちょっと曲球になったようだ。 □


エンペラーズ エグザイル

2018年10月03日 | エッセー

 実は日本人の〈変身願望の総和が、満洲国そのものなのではあるまいか。〉
 司馬遼太郎は「歴史上の人物は、その時代の条件で見てやらねばならない」と語っている(『街道をゆく』)。紛れもない侵略ではあっても、「時代の条件」として「変身願望」があったことを「見てやらねばならない」。それは“あの”時代にどっぷりと浸らねば叶わぬ。学知を超えた文学にしかなし得ぬ秘技だ。してみれば、満州国をこのように捉える斬新さは、この作家の炯眼と慈眼に拠るにちがいない。
   浅田次郎著 天子蒙塵 四 (講談社)  *〈 〉部分は同著よりの引用
 だから、
〈みながみな、芝居を打っている。家出少年も、駆け落ちの男女も、関東軍の軍人たちも、銀行も商社も。むろん彼らを飯の種にしている新聞記者とて例外ではない。〉
 と続く。この一節は本作のこれ以上ない簡潔な梗概ともなっている。「芝居」は「変身願望」が生み出(イダ)す。絶頂は廃帝溥儀の皇帝復位だ。   
 〈私は三跪九叩頭の礼を尽くしたあと、跪いたまま天に誓った。
「愛新覚羅博儀、天を奉じて皇位に就きまする。翼(コイネガワ)くは天地神霊のご加護、あまねくわれに垂れ給わんことを」〉
 虚像といえなくもない。いや、幻想にちがいない。茶番と断じることもできよう。しかし、主人公も日本人と同様、否それ以上、狂い死にするほどに「変身願望」に焦がれていたのだ。
 もう一人の主人公、張学良。物語はパラレルに進む。こんな場面もある。
 〈「本名を知りたい。生かすも殺すも、誰だかわからぬのでは後生が悪い」
 翔宇は私に向き合い、右手を背広の胸に当てて名乗った。
「中華ソヴィエト共和国臨時政府の、周恩来と申します」〉
 この長遠な『蒼穹の昴』シリーズは、もうここまで来ている。これで第五部は完結するが、おそらくシリーズは第六部に引き継がれ、1949年まで往くのではないか。その先は文学を離れる。
 大団円で、媼となったヒロインが語る。
 〈没法子(メイフアーヅ)とさえ言わなければ、人間は存外まともに生きてゆけるものです。(略)万物の霊長たる人間が、「どうしようもない」などと言うのは贅沢な話です。
 嘆く間があるのなら、どうにかするのですよ。〉
 蓋し、箴言といえよう。
 “Emperer’s exile” 溥儀と張学良。二人の天子が追放され、放浪の旅へ。そして今、軋む歴史の間(アワイ)に “comeback” を果たす。はたして舞台は現(ウツツ)か幻か。稀代のストーリテラーが時空を跨ぎ、縦横に紡ぐ。 □