伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

村田松蔵 箴言録

2014年01月31日 | エッセー

Ⅰ 人生
◇「いいか、喧嘩てえのは力じゃあねえぞ、男意気だ。やれ御法だの世間の目だのに気を遣って、爺イの小便みてえにちまちまと小出しにするぐれえなら、ドンと一発花火を上げて恨みつらみを煙(ケム)にするほうが後生もよかろう。」
◇「今にして思や、さほどのべっぴんだったとも思えねえ。だが、男はみんなすれちがいざまに惚れた。女はもっと惚れた。あれア、姿形じゃあねえんだ。心意気がおめかしをして歩っているようなもんだった」
 心意気という言葉はよくわからないけれど、そういう人は今でもいると思う。それほど美人じゃないのに、思い出してみるととてもきれいな人。すれちがいざまに、ハッと心を奪われるような人。
「ひとことで言やア、垢抜けてて格好がよかった」
◇「のう、若え衆(シ)。俺ア何もおめえに、四の五のと説教垂れているわけじゃあねんだぜ。やくざに生きるも堅気に暮らすも、俺に言わせりゃあ、大(テエ)したちげえはねえ。一等ばかばかししのは、肚が括れずに生きているか死んでいるかもよくわからねえ人生だ。もっとも、世の中あらかたはその手合いだがの」
◇安吉一家の身内は、みなそれぞれに目細(メボソ)の安の心意気を受け継いでいる。ことの大小はてんから頭になく、よしあしばかりを考える。だから人の命と名もなき少女の悲しみは、秤にかからない。なのだ。こうと決めたら銭勘定も星勘定もせず、たったひとりでも世界中を相手にする意地が、安吉親分の侠気だった。


 「喧嘩」は、一生には三度あるという乾坤一擲の切所と解してもよかろう。戦力の小出しはタクティクスとしても下の下だ。
  「男意気」と「心意気」は同根であろう。男意気は「肚」を括るし、「すれちがいざまに惚れ」させる「べっぴん」は心意気がつくる。ともあれ、「あらかたはその手合い」には勘定されたくはないものだ。
 「救いがたい人々のこぼす一滴の涙は、いつだって地球と同じ重さ」だからこそ、「たったひとりでも世界中を相手にする意地」が「男意気」だ。言葉遣いはいたって乱暴、べらんめえだが、人生の奥義を語って余りある。

Ⅱ 非戦
◇寅兄ィは膝に両手を据えたまま、松蔵にもうめにも背を向けてしまった。そして西山の茜雲に坊主頭を晒して、誰に言うでもなくたったひとこと、「すまねえ」と眩いた。
 けつして他人に頭を下げぬ寅兄ィは、きっと天皇陛下や乃木将軍になりかわって、田中一等卒に詫びたのだろうと松蔵は思った。
◇「こんな悪い戦はさっさとやめにゃあ嘘だぜ。
 田中一等卒はいい兵隊だった。死んだやつらはみな同じだ。勝ち負けもなく、生き死にもなく、損得もなかった。ただ、てめえの力でばかばかしい戦の始末をつけようとした。
◇女房子供のために死んだか。そうじゃねえ。男の命はそれほど安かねえぞ。そんじゃ、お国のためか。けっ、ばかくせえ。人の命はお国に召し上げられるほど安かあるめえ。
 いい兵隊は、いい人間だ。田中一等卒はたったひとりで、戦争を終わらせようとした。勝ち負けも生き死にも、損得もなかったんだ。
◇もし空耳でなければ、男の人は千代子の耳元で、はっきりと言ってくれた。
「ごめんな」
 いいことなどひとつもなかったけれど、この一言だけで生きて行けると千代子は思った。お国が何をしてくれなくても、お国にかわって詫びてくれる人がいるうちは、胸を張って生きなければいけない。


  寅兄ィは日露戦争の二百三高地で戦死した部下の家を巡礼し、線香を立て、たいそうな香奠を届ける。二十数年間、繰り返してきた。「戦争を終わらせ」るために捧げた「安かねえ」男の命に、「天皇陛下や乃木将軍になりかわって」頭を下げた。
 この戦争観を再帰的言説と捉える向きもあろう。しかし「女房子供のために死んだか。そうじゃねえ。男の命はそれほど安かねえぞ。」とは、愛に眩んだ薄っぺらなそれを見事に一蹴する卓見ではないか。「ばかくせえ。人の命はお国に召し上げられるほど安かあるめえ」とは、まことに痛快な反戦の一撃であろう。
 内田 樹氏は「街場の読書論」で、「世代的な義務」に言及している。
──私たちは父の世代から「私が決して知ることのできない記憶」、言葉にすることのできない戦争経験を遺贈された。その「遺産受取人」という歴史的条件が私たちの世代のものの考え方やふるまい方を深いところで規定している。「父のまわりにわだかまっていた死の存在」が依然として私たちの記憶にとどまっていて、私たちはその「死の存在」の輪郭を指でかたどり、それに名を付け、できれば「弔う」世代的な義務を負っているように感じている。そんなことを感じる必要はないとか、オレは感じないよとか言う人がいるのはわかっている。でも、私は感じるし、村上春樹は感じているし、浅田次郎も感じているし、たぶん関川夏央も感じている。外にも同じ事を感じている人はたくさんいるはずである。──
 寅兄ィの巡礼は、「浅田次郎も感じている」世代的な義務から導出されているのではないか。蓋し、深い非戦論である。

Ⅲ 芸人
◇「テレビジョンが薄っぺたになったと思や、ちかごろ中味まで薄っぺらだの。芸のねえ芸人どもが昼ひなかから夜おそくまで、わいわいがやがやとてめえ勝手にしゃべってるだけじゃあねえか」
「まったく、芸がねえなあ。笑ってるお客の気が知れね。下不タに楽屋オチてえ、昔の芸人ならしちゃならねえことばっかし並べやがって。ああ、つまらねえ ──消せや」
「このごろの芸人にゃ芸がねえ。あんな芸で笑わにゃならねえお客さんは、よしんばお義理にせえ哀れなもんだ。これから俺の出会った本物の芸人の話を聞かせてやる。」


 拙稿でも何度も述べた。簡潔にして適確。深々と刺さる頂門の一針である。だから、
「──消せや」
 となる。

Ⅳ チャップリン
 前項の「本物の芸人の話」として、チャップリンが登場する。
◇舞台は終わった。少女の手を引いて、チャップリンは客席の通路を歩いてきた。常兄ィと握手をかわすチャップリンの顔が、悲しげに見えるのは化粧のせいだろう。
 二言三言、英語で立ち話をしたあと、チャップリンは観客席から出て行った。
 常兄ィはチャップリンの言葉を声にした。
「どうやらご本人は、今しがたの芸には満足しなかったようです。こんなことをおっしゃってましたぜ──私は素人です。一生素人です。たぶん、素人のまんま終わるんでしょう、と」
◇みごとな演出をしたにちがいない本物のコーノが、松蔵に囁きかけた。
「おやじが納得していないのは、本当ですよ。僕は舞台の袖から見ていたんですがね。あの子、それほど嬉しそうじゃなかった。おそらくあの子が会いたいのは、チャーリーじゃないんでしょう。どんなに人を笑わせたって、いっときの娯楽でしかない。悩み苦しみまでは手が届かないから、自分を素人だと言い続けるんです。本音なんですよ、あれは」


 「どんなに人を笑わせたって、いっときの娯楽でしかない。悩み苦しみまでは手が届かないから」。この冷厳な真理に自覚的である者を「素人」だと、彼は呼んだ。彼の天才はそこに発した。

 以上、 浅田次郎著
   「天切り松 闇がたり」 第五巻 ライムライト(集英社、本年一月三十日発刊)
より抜粋した。村田松蔵は、天切り松の本名である。このシリーズ、九年ぶりの最新刊である。もう、読ませる。読ませる。別けても、「あの子が会いたいの」が明かされる最終から七行目の台詞。泪が一時に吹き上げた。小説はこうでなくちゃ! □


ハニートラップ??

2014年01月28日 | エッセー

――慰安婦を巡る問題については。
 戦時中だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、この問題はどこの国にもあったこと。
――戦争していた国すべてに、慰安婦がいたということか。
 韓国だけにあったと思っているのか。戦争地域にはどこでもあったと思っている。ドイツやフランスにはなかったと言えるのか。ヨーロッパはどこでもあった。なぜオランダには今も飾り窓があるのか。
――証拠があっての発言か。
 慰安婦そのものは、今のモラルでは悪い。だが、従軍慰安婦はそのときの現実としてあったこと。会長の職はさておき、韓国は日本だけが強制連行をしたみたいなことを言うからややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜ蒸し返すのか。おかしい。(以上、朝日新聞から)
 籾井勝人NHK新会長の就任記者会見での遣り取りである。早速2日後にはエールが寄せられた。
〓日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は27日、NHKの籾井勝人会長の発言について「まさに正論だ。反論できる人はいない。僕が言い続けてきたことと全く一緒だ」と評価した。大阪市役所で記者団に語った。橋下氏は「似たり寄ったりのことは世界どの国もやっていた。戦争と性の問題はどの国も抱えてきた不幸な歴史だ」と持論を展開。「NHK会長でそれなりの経歴のある人が言われた。日本国民はしっかり考えないといけない」と語った。また、発言を批判する民主党に「もっと歴史を勉強すべきだ」と矛先を向け、返す刀で「自民党から批判が出るなんていうのは非常に残念だ」と釘を刺した。〓(朝日新聞から)
 誤用に近いが、打てば響く、である。07年にも、「打った」人がいた。第一次内閣の時である。
「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」
「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」
「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」
 国会での安倍首相(当時)の答弁である。
 前二者は、子供の言い訳に過ぎない。「どこの国にもあった」り、「似たり寄ったり」だからといって免責はされないと、考えるのが大人である。論より証拠に、反則切符を切ろうとするお巡りさんに同じ話法を使ってみるといい。洟も引っ掛けられない。さらに、胸がすく啖呵で内輪の快哉を狙うのはチンピラの常法だ。発言の波及について斟酌できる者を大人という。だから、彼らには知的退嬰が診て取れるといえなくもない。「日本国民はしっかり考えないといけない」とは、なんという言い種だろう。“大人”らしく「しっかり考えないといけない」のはキミの方だ。
 三者目はどうだろう。
 歴史絡みのイシューには当然ながら、ポリティックスとヒストリーの二つの視座がある。それぞれは原理的に別々だ。混同しては塩梅が悪くなる。ポリティカルな判断と歴史学的探求が整合するとは限らない。手を打つ世界と手を抜かないそれとの違いだ。ポリティクスがヒストリーで攻め寄る場面があるし、逃げを打つ場合もある。あるいは、棚上げにして文字通りヒストリーにしてしまおうという高等戦術もある。三者目は逃げを打つつもりであろうが、「強制性」とはいかにもちんちくりんな理屈だ。敢えて木を見て森を見ず。角を矯めて牛を殺す、か。河野談話の無化を企てているとしたら、ポリティカルな得失が冷徹に考慮されているとは言い難い。手を打つところを寸止めにするようなものだ。短慮に過ぎる。つまりは、前二者とおっつかっつだ。
 してみると会長は適格性を疑われ、市長は人気を落とし海外からも叩かれ、首相は国益を損ずる。まことに脳天気な面々といわざるを得ない。あるいはひょっとしてこれは世紀を跨ぐハニートラップではないか、などと穿てば穏当を欠くであろうか。もちろん彼の国による深謀遠慮の仕掛けだなんという破天荒な夢想ではなく、いまだに過去の清算ができない政治的未熟を表しての揶揄だ。だって、「どこの国にもあった」トラップにいまだにとっ捕まっている国はそうざらにはあるまい。これでは、鳩舎のトラップで閉じ込められたぽっぽたちを嗤えまい。哀れにも「どこの国にもあった」トラップに引っ掛かって、自らの首を絞めているのは件のお三方に他ならないのだから。 □


なぜ衝立?

2014年01月23日 | エッセー

 先日の朝日から拾ってみる。
〓オウム真理教元幹部平田信(まこと)被告(48)の裁判員裁判の第4回公判が21日、東京地裁であり、元教団幹部の中川智正(ともまさ)死刑囚(51)が検察側の証人として出廷した。
 公開の法廷での死刑囚の尋問は記録に残る限り2例目で、極めて異例。
 死刑執行を待つ間の心情の安定を図るため、死刑囚が収容先の拘置所の外に出ることはほとんどない。だが憲法は裁判を公開の法廷で開くことを大原則としている。今回は市民が参加する裁判員裁判のため、地裁はより原則を重視したとみられる。傍聴席と証言台の間にはついたてと、透明な防弾板が置かれ、傍聴席から死刑囚の姿は遮られた。〓
 法廷画を見ても傍聴席を執拗に遮断する様子が窺えた。異様に多い警備員が配され、衝立と防弾板が結界のごとく証言台を囲繞する。当然傍聴人は厳重なチェックを受けて入廷しているはずだ。それなのに防弾板まで必要なのか。証人が入出廷する時さえも見えないようにしたという。いくらなんでもやり過ぎではないか。これでは公開の名に値しないともいえる。
 朝日は社説で「死刑囚はついたてで囲われ、傍聴席からは見えなかった。地裁は、証人への配慮というが、今回証言する3死刑囚は全員、それは不要と言っている。そもそも法廷証言は重いものだが、これほどの事件であればなおさら意味が大きい。性犯罪などで証言の負担が明らかなケースでない限り、法廷の公開の原則は尊重されるべきだ。」と、苦言を呈している。
 事の諾否は措く。ひょっとしたら、あの衝立は「世間」と「非世間」とを切り分けるために設えられたものではないか。「証人への配慮」などではなく、「世間」への配慮ではなかったか。あるいは、「非世間」と「世間」との無理やりな辻褄合わせではなかったか。そんな愚案が涌いた。
 養老孟司先生の御高説を徴したい。講演の中で「世間」について、氏はこう語っている。
◇日本人にとって唯一の実在というのは世間ではないかと考えています。子どものときから「世間の目」とか「世間様に」などと言われていますから、世間だけは間違いなく実在していると思っているのではないでしょうか。
 共同体という言葉は、皆さんは普段、あまり使われないと思います、日本ではこれを「世間」と言う。「共同体」というのは学者の言葉で、間違いなく翻訳語です。社会という言葉も同じです。
 共同体というのはいったん加入すると、今度は出るのが非常にややこしいところなんです。◇(養老孟司特別講演 「手入れという思想」から、以下同様)
 村八分といっても、葬式と火事の二分は例外的に関わった。それほど世間は「出るのが非常にややこしい」。しかし当人は世間から確実に離脱できる。死は脱「世間」の切り札といえなくもない。
 死んだら、どうなるか。
◇私は日本の共同体は義理がたくて、非常に温かい面を持っていると同時に、裏がありまして、死んだらもう利害関係がないんだから、つまり我々の利益をじゃまするわけじゃないんだから、今さら悪口を言うなと。極めてドライな考え方とも見えます。死んでしまった以上は、あいつは外れたんだからと。死ぬということは日本ではホトケになる、すなわち共同体から離脱することを意味します。
 我々は言葉によって世界を切り分けていきます。「生きる」「死ぬ」の場合も同様で、その間に論理的な境はないのですが、言葉のうえでははっきりした仕切りができます。塩をまくくらいですから、非常にはっきりとした切り目を作るわけです。我々の文化は昔から、そういう「切り目」をもっていたのです。その典型が、障子とか襖とかです。障子や襖は、物理的に出入りをさえぎるための「ドア」ではありません。目に見えないものをそこで切っているのです。そういう切り方を我々は、けじめとか呼んで、自然に身につけていたわけです。◇
 稿者の小見は、もうお判りであろう。
 死刑囚はすでに世間を脱し、非世間にある(脱獄や恩赦は考えに入れない)。世間にあらざるものが世間に顔を出しては実に「ややこしい」のだ。幽霊が昼日中に公衆の面前に現れてはなんとも「けじめ」がつかないようなものである。「物理的に出入りをさえぎるための『ドア』」ではない障子や襖が「目に見えないものをそこで切っている」事況と、件の衝立と防弾板は同じではないか。異様な過剰警備はそこにわけがある。世間にある司法という公権力が、世間の都合で非世間に歩み込む。先述した、「非世間」と「世間」との無理やりな辻褄合わせ、とはそのことだ。東京地裁は憲法が定める公開の原則より、日本文化に伏流するけじめを優先させたと視るべきであろう。 □


ぼくは右翼だ!

2014年01月18日 | エッセー

 右翼と左翼は革命時のフランス議会に来由する。王権への親疎により、議場の右側に王党派、左側に共和派が陣取った。起立で採決する際の利便を考えたらしい。爾来、保守を右翼と、革新を左翼と呼ぶ。
 この規矩を「食」に持ち込むと、どうなるか。おもしろい視点だ。

   「フード左翼とフード右翼」──食で分断される日本人(朝日新書、昨年12月刊)

 著者は速水健朗氏。メディア論、都市論から音楽、文学、格闘技まで幅広い分野で健筆を振るうライターである。
 同書によると、
──オーガニック・自然派で健康志向、生産者から直接購入できるファーマーズマーケットで買い物をし、都市富裕層・クリエイティブ階級に属し、個人農家と契約したベジレストランで食事をすれば、立派な「フード左翼」である。
 片や、化学肥料・農薬全然OK、ジャンク志向で、買い物は近所のスーパー、地方・都市の中間層で、ファミレス・ファーストフード大好きであれば、正銘の「フード右翼」にカテゴライズされる。──
 同書からの孫引きだが、ウィンストン・チャーチルは「20歳までに左翼にかぶれない者は情熱が足りないが、20歳を過ぎてもまだ左翼に傾倒している者は知能が足りない」と語ったそうだ。蓋し、名言である。稿者の場合いまだに「知能が足りない」部類にいるが、食に関しては紛れもない右翼でありつづけている。先日触れた蕎麦打ちの高橋名人への追っかけは「自然派で健康志向」からではなく、テレビに踊らされた単なるミーハー的情動による。なにより「都市富裕層・クリエイティブ階級」などでは毛頭なく、「地方・都市の中間層」の内でもその最下層に属する身である。フード左翼であろうはずがない。筋金入りの右翼である。
 特にファミレス・ファーストフードはこれなくしては夜も日も明けない。行列のできるラーメン屋が一軒残らず消えたとしても、カップヌードルさえあればノープロブレムだ。生でも喰える新鮮な野菜を囓るより、マヨネーズいっぱいのコールスローが垂涎だ。ローフードより練り製品、それも全く原型を留めない加工食品、中でも“もどき”食品には目がない。ところが友人に、稿者の嗜好にことごとく難癖をつける奇特者がいる。ゴリゴリのフード左翼である。うるさくて堪らない。気が弱いから正面切っては反論ができないので、この場を借りてこっそり憤懣を吐いておく。
 思想家・内田 樹氏の高見にこうある。
◇よく知られた事実に「健康法の唱道者は早死にする」というものがある。食べ物や体操のようなフィジカルな営みに特化した健康法はしばしばメンタルストレスを増大させるからである。そうなのである。経験的に言って、健康法を律儀に実践している人間は必ずしも機嫌のよい人ではない。というか非常にしばしば彼らは不機嫌な人である。理由は簡単。「世間の人々が自分と同じように健康によいとわかっている生き方を採用しないこと」がどうしてもうまく受け容れられないからである。どうして、「あいつら」は平気で命を縮めるような生き方をしていられるのか。その理由として、彼らは「世間のおおかたの人間は途方もなく愚鈍であるから」という説明しか思いつかない(それが彼らの教化的情熱にエネルギーを備給している)。これはたしかに一面では真実を言い当てている。だが、「世間のおおかたの人間は途方もなく愚鈍であり、私は例外的に賢明な少数のうちのひとりである」というマインドセットは人間をあまり社交的にはしない。周囲の人間の生活習慣の乱れに対する辛辣な批判と、おのれの実践している健康法に対する原理主義的確信は、彼らをしだいに社会的孤立へ追いやる。◇(文春新書「ひとりでは生きられないのも芸のうち」から)
 友人をして「教化的情熱にエネルギーを備給」しつづける稿者は「途方もなく愚鈍」であるにちがいない。本当にそうだから仕方ない。だからしばらくは、当方の「メンタルストレス」と友人の「不機嫌」を天秤に掛けつつ薄氷を踏んでいくしかあるまい。
 閑話休題。
 冒頭で速水氏は「食の好みをマッピングして、日本人の食にまつわる政治意識をあぶり出すこと」と、モチーフを明かす。前述の左右パターンを例証するに止まらず、「政治意識をあぶり出す」論攷は画期的で興味深い。たとえば、「ヨガ、菜食主義、瞑想、環境保護、そしてジョギングなどは、すべて(60年代の・引用者註)ヒッピー、カウンターカルチャーから生まれたものである」として、経済発展から決別した「スローフード運動」、さらにはそのインターナショナル化によるグローバリズムへの対抗を辿っていく。
 また近代農業を否定して有機農業をかかげる各地の「農業コミューン」を、「農業を通した1960年代に敗れた政治闘争の二回戦」として捉え、五・一五などの政治テロに連なった農本主義との親和性にも言及している。ルポを交えたこの論述は読ませる。実は稿者の近隣にもニューレフトの残党が始めた農業コミューンがあり、有機農法の産品が好評を博している(今は会社組織にして、“世俗化”しているようだ)。
 さらに有機農法自体へのオブジェクションを提示している論究も見逃せない。
◇科学ジャーナリストのマット・リドレーは、ベストセラーとなった著書『繁栄』の中で、化学肥料を使った農業の方が、有機農業よりも自然環境保護の側面において正しいのだと述べている。世界が20世紀の人口増に対処できたのは、化学肥料の使用による収穫量の増大によるものであるという。この人口増に化学肥料を使わないで、つまり同じ収穫量のままで対処していたら、広大な新たな農地の開墾が必要になっていた。現在残されている多くの自然環境は開墾されて農地に転換されていただろう。さらに食料の生産量を増やさなくてはいけないという時代に、農業を有機栽培に切り替えていくことは、世界の単位で見れば悪質なほどの自然破壊を促すことを意味している。実は有機農業は、まったくサステナブルではないのである。◇(上掲書より抄録、以下同様)
 この有機農法が抱えるアポリアを救う方策として遺伝子組み換え作物を挙げ、「オーガニック野菜を得ながら、同時に世界の飢饉も救う可能性のある組み合わせなのだ」と未来像を描いている。
 団円に論及するセントラルキッチン方式と高齢者の未来食を論じた章も重い課題である。
◇東京のような大都市に限定されるとはいえ、僕らはオーガニックな野菜も、高カロリーだがぜいたくなフランス料理も、高いもの安いもの何でも自由に選ぶことができる、食のユートピアのような環境を手に入れた。しかし、自分自身の高齢化という現実の未来に待ち受けるのは、それを享受する自分ではなく、セントラルキッチンから生産される、集団化した大量生産のフードということになるかもしれない。◇
 これは大量生産方式に異を唱えるフード左翼には受け入れ難かろうが、他に解はあるか。食が生と直結するマターであるだけに悩ましい。
 括りに筆者は、
◇左翼から右翼への転向は多いが、その逆はないというのはよく言われる話だ。日本でもっとも有名な右翼のひとりである赤尾敏も、かつては社会主義者から民族主義へと転向している。現代では西部邁も小林よしのりも転向組。読売新聞グループの渡邉恒雄だって元々は共産党員だった。それはいいとして「フード左翼」と「フード右翼」に関しては、逆かもしれない。「フード左翼」から「フード右翼」への転向はまず考えられないように思う。◇
 と記し、自らの右翼からの左翼への転向をカミングアウトしている。さて君は、と問われて「ぼくは中道」なんて言った日には論議はちゃぶ台返しだ。身も蓋もない。そういう手合は豆腐の角に頭をぶつけて立派に死ねるにちがいない。稿者、断言する。ぼくは右翼だ。フード右翼だ。誓って、惨めな転向はしない。 □


“永遠の”アンパンマン

2014年01月14日 | エッセー

 昨年12月小学館から発刊された『ぼくは戦争は大きらい』はインタビューをまとめたものだが、やなせたかし氏の遺稿であり、遺戒でもある。
 よく知られた話だが、アンパンマンが餡パンである自分の顔をちぎって施す名場面は自らの戦争体験から生まれた。同書でも、
◇あのとき(上海での籠城・引用者註)にぼくが骨身にしみて感じたのは、食べる物がないことがどんなに辛くて情けないか、でした。いろいろ辛いことはあっても、空腹ほど辛いことはありません。アンパンマンが自分の顔を食べさせてあげるのは、このときのぼくの体験があったからです。◇
 と語っている。言葉は平易だが、重い体験が深い教誡を紡いでいる。
◇戦争を語る人がいなくなることで、日本が戦争をしたという記憶が、だんだん忘れ去られようとしています。人間は、過去を忘れてしまうと同じ失敗を繰り返す生き物です。◇
 「過去を忘れてしまうと同じ失敗を繰り返す」とは、なんと鋭い警句であろう。
 日本に住まう者として忘れてはならない節目がある。“8.15”と“3.11”である。大掴みにいえば前者は戦争との永訣であり、後者は成長からの転換であったはずだ。「はずだ」というのは、今二つながら「忘れてしまう」趨向にあるからだ。待ち受けるものは、「同じ失敗」以外にはあるまい。
 やなせ氏が、自らの余命をちぎって後継に施してくれた箴言ではないか。つづけて、こうも述べる。
◇ぼくは人を殺す戦争はきらいです。憎くもなんともない人を殺すのは嫌なのです。死ぬのも嫌だったけど、もう94歳になると、そっちのほうはどうでもよくなりました。
 戦争はしないほうがいい。
 一度戦争をしたら、みんな戦争がきらいになりますよ。本当の戦争を知らないから「戦争をしろ」とか、「戦争をしたい」と考えるのです。
 戦争映画などを見るとカッコイイと思うのかもしれませんが、本当は全然格好よくないのです。◇
 「カッコイイ」戦争などない。考えてみれば、「愛」に溢れた戦争もありはしない。血塗られた残酷と悲惨があるばかりだ。それに糸毫も暈かしを入れてはならない。作家を名乗るなら、自らの作品がどのような波を、何方(イズカタ)の風を起こすか、呼び込むか、しかと見定めなくてはならぬ。果物ナイフだって凶器になる。相手構わず渡す訳にはいかぬのは道理だろう。ありがちな物語をありもしない書割で演じる。観る眼は演技にフォーカスされて、不自然な書割はそれと気づかれずに刷り込まれていく。そのようなトラップは御免だ。
◇ぼくは、戦争の原因は「飢え」と「欲」ではないか、と考えています。腹が減ったから隣の国からとってこようとか、領土でも資源でもちゃんとあるのにもっと欲しいとか、そういうものが戦争につながるのです。
 これは、生き物の生存本能だから困ります。狭い地面に別々の植物を植えておくと、いつの間にか、片方が勢力を伸ばして、片方が枯れているということがよくあります。ちょっとでも肥えた地面をたくさん手に入れようする植物同士の戦争があって、片方が負けたのです。
 動物でも人間でも同じことですよ。
 ただ、人間は頭のいい生き物だから、なんとかできるのではないか、と思うのです。
 ぼくが『アンパンマン』の中で描こうとしたのは、分け与えることで飢えはなくせるということと、嫌な相手とでも一緒に暮らすことはできるということです。「マンガだからできることだ」「現実にはムリだ」なんて言わずに、若い人たちが真剣に考えてくれればうれしいです。◇
 これほど平明に語られた戦争論、平和論があるだろうか。
 「人間は頭のいい生き物だから、なんとかできるのではないか」に響き合う一文を引いて、本稿を閉じたい。昨年6月の『CM天気図』である。こちらも天野祐吉氏最晩年の遺稿である。
◇自民党のスローガン「強い国」に対抗できるのは「賢い国」しかない。
 「強い国」になるには、最先端の武器をそろえるお金がいる。それには強引な経済成長が必要である。それには原発の再稼働が欠かせないというのが、強い国の宰相の考えなんだろう。
 それにくらべたら「賢い国」になるためには、とくにお金はいらない。知恵と品性があればいい。◇(「『強い国』か『賢い国』か」より抄録)
 これもまた、この上なく簡明に問題を鷲掴みにしている。
 この国は空腹を超え飽食にまで至った。ところが、おつむは空になりつつあるのではないか。今度はアンパンマンに餡パンではなく、知恵をちぎって分けてもらわねば立ち行かなくなる。なにせこのところ“ドキンちゃん”が大暴れ。得意の変装で作家に化けているらしく、書いた本が大売れで、みんなの胸をドキンドキンさせているらしい。「感涙必至! 劇場は賞賛の嵐!」だとか。おお、怖い、恐い。 □


流涕を慙づ (その2・・・ああ「東京ブルース」)

2014年01月09日 | エッセー

 昨年末、『永遠の0』が映画化された。新聞広告は次の通り。

   驚異の満足度 97%
   感涙必至! 劇場は賞賛の嵐!
   不朽の名作、ここに誕生!!

 なんだか大時代なコピーだ。これではいきなり『三丁目の夕日』にタイムスリップしそうだ。とりわけ、「感涙必至!」には参った。顔厚忸怩、感涙どころか悔し涙を必死に堪えた。
 ここからは、弁疏である。破れかぶれの照れ隠しである。
 昨年7月、拙稿でこの作品を取り上げた。「一つの違和感」と題して、「愛」の頻出にオブジェクションを呈した。御親切にもcocoaさんが調べてくださり、第三章から71回登場することが判った。1章平均6回という計算になる。これは多い。愚案を再録してみる。
〓「愛」は作品の裏面的テーマである。いや、竜骨かもしれない。しかしこの言葉は曲者だ。当然、際疾くなる。
 戦時中、それは「敵性言語」に近かったのではないか。欧米的価値観を代弁する言葉ではなかったか。字源は「いとおしく、守りたい」との「愛し=かなし」である。キリスト教で説く神への愛とは似て非なるものだ。近代に至り、“LOVE”にこれを当てた。
 どのように、似て非なのか。それだけで一大テーマとなる。なぜなら、戦後は「愛」で溢れ返っているからだ。
 敢えて蟷螂の斧を振るうとすれば、あのころ「愛する妻のために」とは言わなかったろう。おそらく冠する字句は不要ではなかったか。「妻のため」「娘のため」で、過不足なかったはずだ。そういう土壌を共有していた。せいぜい「愛しい妻のために」、「かわいい娘のために」か。
 重箱の隅をつついているのではない。使われなかった言葉に新来の意味を付託できるのか、疑念が拭えないからだ。投網では一網打尽だが、捕り逃がす魚がないとはいえない。網の目を摺抜ける獲物は意外と多いのではないか。溢れ返って擦り切れた「愛」で、当時の真情が十全に掬えるであろうか。一網で打尽したつもりが、実は無理に追い込んだところに網を投げただけではないのか。
 内田 樹氏は養老孟司氏との対談で、次のように語る。
◇すべての言葉は一義的には定義できないですよね。辞書を引いたって語義が一つしかない語なんて存在しないじゃないですか。一義的に定義しない言葉は気持ちが悪くて使えないという人は、知性のあり方があまり人間的じゃないということじゃないかな。用例が一つ増えるごとに言葉の意味が変わるって当然なんです。定義に終わりがないから辞書が頻繁に改訂されるわけで、言葉の意味が一義的だったら、ぼくたちは今でも平安時代の辞書で不自由ないはずです。◇(「逆立ち日本論」から) 
 逆ならどうだろう。つまり、「頻繁に改訂」された「辞書」で「平安時代の辞書」をリファレンスしてはいないか。すべての世代に、とりわけ若い世代に伝えようとするあまり、曲者の言葉に足をすくわれかけてはいないか。「頻繁に改訂」された「辞書」で「改訂」のはるか前を「一義的に定義」しているのではないだろうか。〓(抄録)
 疑念が当たったというべきであろう。「愛」なる曲者、癖球に当てられたというべきか。「感涙必至!」を解(ホド)けば、溢れる涙が干戈それ自体を霞ませてはいないか、ということだ。となれば、まことにあざとい。「愛」をふんだんに塗(マブ)しつつ零式戦闘機の栄光は永遠だと語ることで、戦前的「栄光」へ誘(イザナ)ってはいないか。「愛」のリフレーションで兵革への親和を回復させようとしているといえば、過言であろうか。その手法はアベノミクス(通貨の膨張による景気の回復)に似ているといえなくもない。
 安倍首相との強いシンパシーは如上の事情によるものであろう。一昨年の自民党総裁選では「安倍首相を求める民間人有志による緊急声明」に発起人として名を連ね、支持を鮮明にしている。「再び日本は立ち上がるだろう。安倍晋三はそのために戻ってきたエースである」とも語っている。片や安倍首相は昨秋、百田氏をNHK経営委員に選んでいる。なんとも、つうと言えばかあだ。
 この小説を挟むように05~09年に亘って連載された作品に、浅田次郎氏による「終わらざる夏」がある。10年7月に拙稿「炎陽の一書」で取り上げた。一部を抜き書きしてみる。
〓時を遣り過ごせば、あの戦争が「歴史」になってしまう。赤紙に翻弄された群像が父であり母であり、祖父母であったうちに、つまりは戦争と血の繋がりがあるうちに書き留めておかねばならぬ。起こる筈のなかった終戦後の戦争を不問のまま「終わらせてはならない」のだ。
 お得意のゴーストも装いを新たに登場する。これも見物(ミモノ)だ。なにより軍隊・軍事についてはマエストロである。筆は軽やかに奔(ハシ)る。ただ、不可欠である戦闘場面を通途の方法を避けて予想外の描き方をしている。これにも『してやられた』。カタルシスだった。
「私は、人間を書くのが小説だと思っています。だから今回も、戦争を書いたのではなく、戦争に参加した人間たちを書いたのです」
 と、著者は語る。作中民草とともに身悶えながら、生半な反戦論を凌駕する一つの「史書」が綴られたといえる。
 ―― 戦争とは、命と死との、ありうべからざる親和だった。ただ生きるか死ぬかではなく、本来は死と対峙しなければならぬ生が、あろうことか握手を交わしてしまう異常な事態が戦争というものだった。 ―― (第三章 より)〓 
 同じく「戦争に参加した人間たちを」描いても、「感涙必至!」となるか「一つの『史書』」となるか。素材にも依るであろうが、作家が内に秘めるものによってそれは一義的に決まる。
 先の「特定秘密保護法案」問題では、浅田次郎氏は日本ペンクラブ会長として反対の先陣を切った。百田氏がその陣列に加わったという報は寡聞にして知らない。作家として言論の自由に先んじる価値がなにかあるのであろうか。

 赤っ恥をひとつ。拙稿「一つの違和感」を、こう締め括った。
〓それにしても還暦ちょっと前のおじさんに、還暦ちょっと後のおじさんがいいように泣かされちまった(不覚にも3回)。悔しいが、至福の一時だった。心から、ありがとう、と言いたい。〓
 「心から、ありがとう」だとー。おー、恥ずかしい。穴があったら入りたい。でも、ないから入れない。もうこうなると、わが心情を託すにはあの歌しかあるまい。水木かおる作詞、藤原秀行作曲、西田佐知子が唄った往年(東京オリンピック開催の64年)の名曲「東京ブルース」。この歌を滂沱の涙とともに口ずさみながら、本稿を閉じたい。よろしければ、皆さまもご一緒に……。

  〽泣いた女が バカなのか
   だました男が 悪いのか
   褪せたルージュの くちびる噛んで
   夜霧の街で むせび哭く
   恋の未練の 東京ブルース〽

 稿者、あちらの気はありません。まったく。念のため。 □


流涕を慙づ (その1)

2014年01月06日 | エッセー

 新年早々赤面の至ったりきたり、慙愧に堪えない。カミングアウトすると、昨年末、以下の記事を見つけたのだ。
〓百田尚樹さん、参拝を進言 「国民の代表として当然」
 零戦パイロットの足跡をたどったベストセラー小説「永遠の0(ゼロ)」の著者で、12月27日付で安倍首相との対談本を出版する作家の百田尚樹さんは、安倍首相と今年会った際、靖国神社に参拝するよう進言したと打ち明ける。安倍首相は「第1次安倍内閣で参拝できなかったのは痛恨の極みだ」と答え、参拝に前向きな姿勢を示したという。
 百田さんは26日の参拝について「ずっと参拝するという思いを安倍さんは持っており、それがたまたま今日だっただけだ。国のために亡くなった英霊に手を合わせ、感謝の念を捧げるのは、国民の代表として当然だ」と指摘。そのうえで、「中国や韓国が批判することは内政干渉にあたる」と述べた。〓(朝日新聞)
 愕然と頽れた。まるで辻斬り、裏切りである。「英霊」「国民の代表として当然」とは、なんと低い知見であろう。靖国神社とはいかなるものか、お解りなのであろうか。なんとも悲しいくらいの短見である。先ずは昨年4月の拙稿「音痴」を引き、再度このイシューについて確かめておきたい。
〓内田 樹氏の次の言、まさに虚を突かれる卓見である。
◇なぜ中国や韓国の政府は強く抗議しているのに、アメリカは放置しているのか? それは靖国参拝がアメリカの国益にかなっているからという以外に理由を見いだすことはむずかしい。「日中韓の接近を阻止する」というのがアメリカの極東戦略の要諦である。日本が中国や韓国と接近して、東アジア・ブロックを形成すること、アメリカがもっとも恐れているシナリオはそれである。そのとき、十九世紀末アメリカ=スペイン戦争以来のアメリカの極東における「権益」は消失し、アメリカは東アジアの政治にコミットする機会を失う。◇(「街場のアメリカ論」から)
 ここで、「靖国問題」を整理しておきたい。今や古典的名著ともいえる高橋哲哉氏による「靖国問題」(ちくま新書05年刊)に依拠したい。 
 問題の本質は、
──「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設
    であること。それは、
──彼らに続く兵士たちを調達するため
  である。そこに、
──「感情の錬金術」
  としての靖国がある。その参拝の延長は、
──サンフランシスコ講和条約という日本国家を国際的に承認させた条件そのものをひっくり返すことになってしまう
──「平和の礎」(沖縄)でさえ、「靖国化」の可能性と無縁ではありえない。国家の政治に取り込まれ、「靖国化」することがつねにありうる
  どのような施設も政治意志で塗り替えられる。施設論議の不毛と政治への問いかけ。
 詳しくは同書に当たっていただくしかないが、蓋し高説である。
 私見を加えたい。
 件の面々の「哀悼の誠」にウソはないはずだ(多分)。ならば、その哀悼はどこから誘(イザナ)われるのか。何度か引いたが、丸谷才一は「忠臣蔵とは何か」で次のように断じた。
「日本人は古来、死者、殊に政治的敗者の霊にどういふ態度で臨んできたか。浮びあがつて来るものは、呪術的=宗教的祭祀としての吉良邸討入りで、それ以外の何かではない。この御霊信仰こそは忠臣藏の本質であつた。
 その呪術的=宗教的祭祀を、従来われわれは何となく倫理的行為としてあつかつてきた。讃美する側もさういふ論法で賞揚し、否定する側もその枠組のなかで非難してきた。しかしこれは、鯨を魚に入れるやうな、あるいは蝙蝠を鳥と見るやうな、誤りである。あれは道徳の問題ではなかつた。」(「忠臣蔵とは何か」より)
 鎮魂の祭祀としての討ち入り。その古層に御霊信仰があった。祟られるのは怖い。だから、浮かばれない魂を鎮める。「道徳の問題」ではなく、『祟りの問題』だった。つまりは、そういうことだ。同じ古層が「哀悼の誠」に潜んでいるといえば大袈裟だろうか。
 梅原猛氏の名著「隠された十字架―法隆寺論」も、軌を一にする論攷であった。氏は祟りは非業に斃れた政治的敗者が引き起こす、だから法隆寺はその怨霊鎮魂のために建てられたとした。今も鮮やかに記憶に残る卓説だ。
 してみれば、古層に引き摺られ政治的センスを鈍麻させてしまった先生方のなんと多いことか。見事、甲斐甲斐しくも「アメリカの極東戦略の要諦」に資するバッジ連の卑小さよ。音痴は、音が外れている自覚がない。〓(抄録)
 自覚のないまま調子っぱずれ、音っぱずれはいよいよ膏肓に入るか。いまや世界中に不協和音が響動めいている。それにつけても不快この上もない異音に、なぜハモるのだろう。昨年末の愚考「ヘーワ」でも触れたが、「当今のナショナリスティックな趨向」が気障りでならぬ。
 慧眼の士はどう捉えるか。さらに内田氏の洞見を徴したい。昨年5月、朝日新聞に寄せた論攷である。日本の未来予測に関して、「悪いニュース」から伝えたいと述べて始まる(ついに「よいニュース」は語られなかった)。以下、抄録。
◇(寄稿 政治を話そう)壊れゆく日本という国 
 グローバル企業は、実体は無国籍化しているにもかかわらず、「日本の企業」という名乗りを手放さない。なぜか。それは「われわれが収益を最大化することが、すなわち日本の国益の増大なのだ」というロジックがコスト外部化を支える唯一の論拠だからである。
 だから、グローバル企業とその支持者たちは「どうすれば日本は勝てるのか?」という問いを執拗に立てる。あたかもグローバル企業の収益増や株価の高騰がそのまま日本人の価値と連動していることは論ずるまでもなく自明のことであるかのように。そして、この問いはただちに「われわれが収益を確保するために、あなたがた国民はどこまで『外部化されたコスト』を負担する気があるのか?」という実利的な問いに矮小化される。
 この「企業利益の増大=国益の増大」という等式はその本質的な虚偽性を糊塗するために、過剰な「国民的一体感」を必要とするということである。グローバル化と排外主義的なナショナリズムの亢進は矛盾しているように見えるが、実際には、これは「同じコインの裏表」である。
 国際競争力のあるグローバル企業は「日本経済の旗艦」である。だから一億心を合わせて企業活動を支援せねばならない。そういう話になっている。そのために国民は低賃金を受け容れ、地域経済の崩壊を受け容れ、英語の社内公用語化を受け容れ、サービス残業を受け容れ、消費増税を受け容れ、TPPによる農林水産業の壊滅を受け容れ、原発再稼働を受け容れるべきだ、と。この本質的に反国民的な要求を国民に「のませる」ためには「そうしなければ、日本は勝てないのだ」という情緒的な煽がどうしても必要である。これは「戦争」に類するものだという物語を国民にのみ込んでもらわなければならない。中国や韓国とのシェア争いが「戦争」なら、それぞれの国民は「私たちはどんな犠牲を払ってもいい。とにかく、この戦争に勝って欲しい」と目を血走らせるようになるだろう。
 国民をこういう上ずった状態に持ち込むためには、排外主義的なナショナリズムの亢進は不可欠である。だから、安倍自民党は中国韓国を外交的に挑発することにきわめて勤勉なのである。外交的には大きな損失だが、その代償として日本国民が「犠牲を払うことを厭わない」というマインドになってくれれば、国民国家の国富をグローバル企業の収益に付け替えることに対する心理的抵抗が消失するからである。私たちの国で今行われていることは、つづめて言えば「日本の国富を各国(特に米国)の超富裕層の個人資産へ移し替えるプロセス」なのである。◇
 これほど鮮やかに事の核心を剔抉した達識を知らない。
「グローバル化と排外主義的なナショナリズムの亢進は矛盾しているように見えるが、実際には、これは『同じコインの裏表』である。」
「外交的には大きな損失だが、その代償として日本国民が『犠牲を払うことを厭わない』というマインドになってくれれば、国民国家の国富をグローバル企業の収益に付け替えることに対する心理的抵抗が消失するからである。」
 蓋し、頂門の一針ではなかろうか。安倍首相の意図せざる(おそらく)意図を見抜かなくてはならない。無作為の作為、善意の(これも多分)ピットフォールに嵌まってはならない。「グローバル化」は決して錦の御旗ではない。思考停止の『印籠』にしてしまっては、千載に悔いを残す。「とにかく、この戦争に勝って欲しい」の「戦争」がいつ干戈に変わるか、ブラックスワンではない。つい70数年前を想起すれば想像に難くない。
 冗長になった。一旦閉じて、次稿で続けたい。 □


泉谷 快挙!

2014年01月01日 | エッセー

 大晦日は井岡一翔の防衛戦をハラハラしながら観て、早々に布団に潜った。その直後だったらしい。年が明けて事の顛末を聞き、なぜ起こさなかったのかと家人に吠えた。ニュースサイトから引こう。
 12月30日、朝日。
〓泉谷大暴れ「テレ東だと思え」/紅白リハ
 初出場の泉谷しげる(65)は、ステージ上でバックバンドの演奏ミスに激怒するなど、早くも大暴れを始めた。
 泉谷はステージに登場するや、「やるか、しょうがないから」と毒舌を吐き、「春夏秋冬2014」を歌い始めた。そして、事件は起こった。
 「コラー、コラー。やるんじゃねえ、バカ」
 鬼の形相でドラム担当者に詰め寄った。何が起こったか分からない会場は騒然。理由は、泉谷がアカペラで歌うつもりだったサビの部分を、ドラムが演奏してしまったからだ。
 泉谷は再び歌い始め、音合わせが終了すると「やめた」と言ってステージを後にした。10分後、カメラリハーサルで再登場すると、「面倒くせえな」とひと言。今度は演奏もうまくいったが、スタッフにギターを投げ渡すなどして怒りをあらわにした。
 一方で、その後の会見では、穏やかな表情で泉谷節を展開。ドラム奏者のミスについて「バカですよね。楽器をいかに減らすかを考えていたので。余計な合唱も迷惑、手拍子もじゃまくさいし」。奏者が、生のステージに慣れないレコーディング用のバンドだったことも明かし、「気合が入っちゃってんだよ。NHKだから。『ここはテレ東だと思え』と言いたい。あがっちゃったんだね」。気遣いも込めた指摘だったが、ドラム奏者はしょんぼりNHKホールを後にした。
 泉谷は歌手歴42年目にしての初出場。これまで紅白に「何の興味もねえ」と語っていたが、昨年の紅白で歌った美輪明宏の存在と、「自分の歌で、弱い立場の年配者が喜んでくれるなら」と出場を了解した。年寄りが格好良くあってほしいというのが願いで、この日も「テレビの向こう側に1人寂しくしている人もいる。会場の人には歌わない。拒否。被災地で寒い思いをしている人にがんを飛ばす。こんなやかましいオヤジを出していいのかとなったらいい。違和感を出したい」と宣言した。〓
 ついで、31日産経。
〓泉谷しげる熱唱も「もう二度と出ねえよ」
 初出場の泉谷しげるさんは、黒いタオルを頭に巻き、黒い革ジャン姿で「春夏秋冬2014」を熱唱した。泉谷さんがフォークギターをかき鳴らしつつ、「おい! 手拍子してんじゃねえ、誰が頼んだ!」と客席に向かって“キレる”一幕もあった。
 曲の終盤、泉谷さんは「テレビの向こうで一人で紅白を見ているお前ら、ラジオを聞いているお前ら」と語りかけ、「今年はいろいろあったろう。忘れたいことも忘れたくないことも。今日ですべてが終わる。今日ですべてが変わる。自分だけの今日に向かえ!」と歌に乗せて視聴者にエールを送った。
 泉谷さんは演奏後、報道陣に「ちょっと間違えてしまいました。すみませんでした」と素直に謝り、「とにかく、もう二度と出ねえよ」と言い捨てた。〓
 これを快挙といわずして、なんとしよう。見事に、「こんなやかましいオヤジを出していいのかとなったらいい。違和感を出したい」との所期の目的は十全に達せられたとみたい。
 稿者はもう40数年、「紅白」なるものを見ていない。過去の拙稿を徴したい。
 07年11月、タモリの名言「お前ら、白面でテレビなんか見るな!!」を援用しつつ次のように御託を並べた。
「バラエティーだけではない。『白面はいけない』状況は、いまやテレビメディア全体を覆う。問題は抱えるものの、ようやっと白面に耐えられるのはNHKだけかもしれない。だからわたしは紅白何とかを決して観ないのだ。なぜあの日だけ民放に成り下がるのか、まったく思慮の外だ。」(「千慮に一得」から)
 さらに、喃々と続く。
「大晦日には、例年のごとく「紅白」は見ない。死ぬほど暇でも、断じて見ない。死んだ祖父(ジイ)さんの代からの堅い家訓である。破るわけにはいかない。第一、鼠先輩も小室のてっちゃんも出ない紅白なんて、『屁のつっぱりにもならない』。これはJUDOのゴールドメダリスト、イシイくんの名言(迷言?)だった。『紅白』の裏で、『白黒』つけるらしい(註・裏番組で、柔道の金メダリスト石井 慧の総合格闘技戦が放映された)。こっちのほうが、断然『つっぱり』になる。」(08年12月「欠片が選ぶ 2008年の名言・迷言」から)
 唯一「ようやっと白面に耐えられる」NHKが、一年納めのギリギリになってなぜか「あの日だけ民放に成り下がる」のが堪忍ならぬのだ。大枚の聴視料をぶんどっておきながら、国民放送の矜恃をかなぐり捨てた惨めな体たらくが料簡ならないのだ。だから泉谷がリハ後に「『ここはテレ東だと思え』と言いたい」と語ったひと言は、まさに図星であり事の真相を抉っている。
 きっと泉谷はリハでも本番でも、本気でキレたはずだ。言動は本音から出たものにちがいない。今やたけしも韜晦しているので、リニアであるのは泉谷しかいない。彼は意図せず『テレ東』的なるものの体現者としてNHKのステージに立った。おそらく「紅白」は白け、彼は随分浮いたに相違ない。だが実は、浮いたのは泉谷ではなくNHKではなかったか。そこに現れた比高はそのままNHKの『民放度』といえるのではないか。「所期の目的は十全に達せられた」とはそのことだ。
 内田 樹氏は『街場のメディア論』の中でテレビ的手法について、やらせを「知ってるくせに知らないふりをして、イノセントに驚愕してみせる」ところにあると指摘している。いつもながら鋭い。してみると民放的造りを重々「知ってるくせに知らないふりをして、イノセントに」騒いでみせるという「テレビ的手法」の常道をゆくのが「紅白」だといえなくもない。だとすれば泉谷は、NHKにも伏在する「テレビ的手法」の阿漕さを引っ剥がして見せてくれたのかもしれない。天晴れ!泉谷だ。
 「二度と出ねえよ」の捨て台詞は、まちがいなく叶う。「紅白」に限らず二度とオファーは掛からない。シンガー、またはアクターの余命を賭けて挑んだ快挙に満腔の快哉を叫びたい。
 今夜は名曲「春夏秋冬」でも聴いて、耳を癒やすとするか。 □