伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

あのラストシーン

2010年01月30日 | エッセー

 およそ2年ぶりに訪れた。岬の周縁を巻いている道路を抜けきったところで、弓なりに湾曲する白砂青松の海辺が一望できる。とっておきのビスタが俟つポイントである。
  ―― まるで、「猿の惑星」だ! 
 映画史に残るあのラストシーンが甦った。砂浜に沿って十基に及ぶ発電用の風車が林立している。羽根の半径を計算すれば櫛比というにちかい。ドン・キホーテが立ち向かった牧歌風のそれではなく、支柱もプロペラも白ずくめの無気質な巨体だ。プロペラ飛行機が尾翼から砂に引きずり込まれ抗っているさまに見えなくもない。白砂青松の絶勝は切り刻まれ、台なしになっている。なんとも異形(イギョウ)の景観だ。
 二度目の引用になるが、司馬遼太郎の慧眼がせつなく、かなしく光る。
〓〓私どもはさまざまな点で奇民族だが、景観美についても、倭小な精神をもっている。すぐれた景観の自然のなかに村があっても、家々に塀があって、塀の囲いの中にちまちまとした庭をつくり、その小庭のほうをながめてよろこぶ通癖をもっている。「そとはすばらしい自然じゃないか」と、私の知人のイギリス人が私に理由の説明をもとめたことがあるが、私には説明ができなかった。ひょっとすると、自然や都市美を共有する精神がないのではないか。それにしても自分の小庭の植物は観賞に堪えうるが都市空間の植物についてはその私有植物の延長とも見ないというのはおもしろい。〓〓(「街道をゆく」第14巻より)

  このところあちこちで、国の肝入りがあってか風力発電の建設ラッシュだ。山の尾根づたいに並んでいるところもある。『山の上の扇風機』と呼んだ子どもがいるそうだ。だが、幼児の柔軟な発想を愛でている場合ではない。この扇風機、実はかなりの問題を抱えている。
 まず、風任せであること。オランダなどとは自然環境が違う。いつも一定の風力が得られる訳ではない。発電量にばらつきがある。風力発電の年間利用率は、全国で25%に過ぎない。機械としては極めて低い稼働率だ。ほかの製造業ではまずこんな機械は使わない。付け加えると、風が強い時は自壊を防ぐためにプロペラを止める。なんともコストパフォーマンスの低劣な発電機なのである。
 電力業界では、風力からの電気をごみ同然に嫌う。そのままでは安定供給できる代物ではないからだ。同じ鉄とはいっても、製品としての鉄板と鉄屑ほどの違いがあるそうだ。官民でスマート・グリッドの開発を急いでいるが、そのこと自体がかなりのコストアップ要因であり、技術的にもさほどスマートにはいかないらしい。
 さらに、現政権が進めようとしている強制的買い取り制度。電力会社の首を締めれば、早晩つけはコンシューマーが背負(ショ)わされる。イシューを絞った政策的誘導はもちろん必要だが、次世代電力はこれしかないかのごときゴリ押しは歪みを拡げるばかりだ。水力もある、深夜電力の活用もある。モーダルシフトという手もある。もっと総合的に知恵を絞り折り合いを付けるべきだ。
 また、各地で騒音や低周波によるものと見られるさまざまな健康被害が起こっている。昨年から国は調査に乗り出した。環境にはやさしいが、近隣住民にはこわい存在になりかねない。やさしいとはいっても、建設段階での厖大な化石燃料の費消、森林伐採、肉眼では見えないが鳥たちの往来に横槍を入れているかもしれない。
 遙かにプロペラの簇生を見遣ると、エントロピーの増大に油を注ぐ結果にならないか心許なくなってくる。
 
 ともあれ、すべてのオブジェクションを踏み拉(シダ)いて一瀉千里するこの国の行く末ははなはだ不気味である。枝葉には長けていても、肝心の要を忘れたのでは猿知恵になる。なれの果ては、砂に埋まり傾いだ風車に吃驚するラストシーンになりかねない。とんだ「猿の惑星」は御免だ。 □


夜郎自大のおそ松くんたち

2010年01月27日 | エッセー

 昨年、「9月の出来事から」で以下のように述べた。(抄録)
〓〓朝日新聞の声の蘭から
 ―― 戦争連想する「国家戦略局」
 民主党の重要ポスト「国家戦略局」の名前の響きと文字から受ける感触は、戦争経験のある私たち世代にとって震えが来そうなほど嫌悪感がある。
 政権交代の第一歩から、こんな名前を思いつく無神経さには驚かされる。
 平和国家であることを第一に、「たかが局名ひとつ」と思わず、大切に考えてもらいたい。 ――
 「震えが来そうなほど嫌悪感がある」は、決して誇張ではないだろう。このようなネーミングひとつに、この政党の持つなにものかが表れてはいないか。
 事々然様にこの政権、党名の割には権力指向芬々だ。市『民』が『主』役が由来らしいが、自己撞着が心配だ。市『民』の『主(アルジ)』とも読めるぞー。〓〓
 この稿で指摘した「権力指向」が、ここのところいよいよ露わになってきた。権力を指向するするというよりも、権力からの指向、ないし思考である。小沢幹事長の政治資金問題に絡んでだ。
 幹事長の検察との対決宣言を受けてか、石川議員の逮捕を不当だとする議員の会が結成された。次いで、検察からの情報リークを検証するグループもつくられた。ほかに、女性議員だけによる小沢支援の動きもあるそうだ。さんざテレビに出たお陰で知名度を上げ大臣の椅子までたどり着いた原口総務相さえ、取材源に託(カコツ)けた見え見えのマスコミ批判を始めた。とんだ背信だ。放送局の許認可権をもつ大臣にしては、あまりに率爾だ。綸言汗の如しである。睨んだ通り、やはり尻軽の口軽男か。また可視化法案の取り上げ方もあまりに急拵え過ぎる。菅谷さんは出汁に使われ、さぞ傍迷惑であろう。さらに千葉法相は指揮権発動について明確に否定はしていない。誤解を招きかねない優柔さだ。
 自民党の谷川参議院幹事長は、小沢幹事長を「公人であり、政権与党の幹事長なのだから、検察が話を聞きたいと言えば率先して行くべきだ。『何様だと思っているんだ』という気持ちだ」と憤った。さらに前記の検証グループについては「呆れている。本来は『検証する会』ではなく、『反省する会』を作るべきだ。このままでは『隠蔽する会』になる。大政翼賛会のようだ」と斬った。いつもながら、このジイさん、なかなか言う。
 たしかにかつての自民党でさえ、ここまであからさまな検察批判はしたことがない。ある自民党の有力議員は「権力のなんたるかが判っているのか?」とコメントしていた。君に言ってほしくないという気もするが、的を外れてはいない。鈴木宗男氏がエールを送るのは納得するにしても、首相の「戦ってください」発言は悲しいくらいお粗末だ。どう言い繕っても、あのコンテクストでは戦う相手が検察であるのは子どもでも解る。直後の番組で、たけしが「おかしいよ。首相は検察の親分だろ。親分が自分の子分と戦ってくれっていうのは」と語っていた。さすがに、たけしだ。よく見ている。
 今回の検察の動きを、霞ヶ関の総意を受けた脱官僚路線への意趣返しだとの穿った見方もある。笑ってしまうほど穿ち過ぎだが、逆は言えそうだ。つまり、近くは昨年3月の代表辞任に至った西松建設献金事件、遠くはロッキード、佐川急便事件での領袖たちの無惨。そのルサンチマンに引火しなかったはずはなかろう。取り巻きの手前勝手な強権的言動は、「生みの親」を離れれば生きてはいけない俗な事情による追従にちがいない。半年前に吹き荒れたヌエのような『世論』の威を借る夜郎自大な『おそ松くん』たちと呼んで、さして附会ではあるまい。オブジェクションらしきものといえば、歯切れは悪いが仙谷大臣ただひとり。あとは異形(イギョウ)の一枚岩。「民主集中制」が十八番(オハコ)の共産党さえ顔色を失うほどだ。

 政治資金規正法は政治家個人から資金管理団体への献金は、上限年1000万円と定めている。たとえ本人の資産であろうとも、その形成に企業や団体が関わっていれば政治に歪みを生じさせる恐れがあるからだ。今のところ貸し付けは対象から外れているが、抜け穴になる可能性がありこれにも制限を設けようとする意見がある。この法は事件、疑惑のたびに網を広げ目を細かくし、いたちごっこの末に清水に魚棲まずにまで至った感がある。人間の暗い性(サガ)と向き合うようで、なんとも切ない法律だ。
 ともあれ、「その形成に企業や団体が関わって」いたかどうかに検察のイシューはある。つまり企業との癒着構造、延いては贈収賄の事件性をも視野に入れているであろう。奇しくも渡辺嘉美・みんなの党代表が言った「極めて古典的なスキャンダル」である。以前にも述べたが、庇を貸したつもりが母屋を取られてしまったのがこの政党の顛末だ。しかも新しい家主が苔むすような古株で、「古典的」な流儀を引きずって来ていた。なんとも皮肉なことだ。
 また後藤田正純衆院議員は、自民党の「小沢問題追及チーム」として小沢氏の個人事務所など十一カ所の不動産を視察しこう語った。
「なんで一等地にこんなたくさんの土地やマンションを買えるのか。政治資金を使っているなら政治家失格だ」「土地建物を政治資金で買うというのは、今までの政治家の発想にはなかった。なぜ不動産屋みたいなことをやる公党の幹事長が許されるのか」
 さすがにカミソリの跡継ぎだ。切れ味がいい。なるほど「不動産屋」の勘が働くところは角栄ばりというか、師弟の命脈は健在のようだ。

 評論家・西部 邁(ススム)氏の論を引こう。17年前、氏はこう述べた。
〓〓政治を世論のうちに深々と沈ませること、それが民主化の徹底であり、世論と政治を直結させるという意味での「民主化の過剰」もしくはウルトラ・デモクラシー 、これこそが日本のみでなく先進各国の政治を根腐れにしているのだ。
 どだい、議会制民主主義あるいは代議制は政治にたいする世論の直接的影響を断ち切るための制度である、という簡明な真実が忘れ去られているのはいったいどうしたことか。世論にそのまま添って動くのが直接民抗制なのであって、代議制という形をとる間接民主制は世論から一定の距離をとる、または世論の及ぶ範囲を限定するものである。
 あっさりいえば次のようなことだ。選挙民は、平均としては、個別の政策について、ましてや諸政策の連関について、分析したり判断したりする能力に不足している。しかし、代表者の人格や識見や経験についておおまかな審判を下すくらいの能力は選挙民にも備わっている。このように考えた上で、政策の決定を議会に委ね、選挙民の世論を政策決定においては単なる参考材料の位置にとどめておくのが代議制である。
 ついでにいっておくと、代表者つまり代議士にとりわけ必要な資質は、議会が「討論の府」であることからして当たり前のことだが、討論についてのそれである。たとえば、選挙民にたいしてなした自分の公約をも、議会における討論の結果として誤りであると判明すれば、拒否してみせるのがあるべき代議士の姿だといってよい。
 民主制は世論にたいする信念と疑念のあいだのあやうい均衡の上に成り立つ。それ以上のものでもそれ以下のものでもありはしない。的確な代表者を選ぶくらいの能力は持っているだろうと予想する点では、民主制は世論に信をおいている。しかし、政策についての分析・判断にかんしては民主制は世論に疑を差し向けている。世論にたいする信の過剰は衆愚政治を招来し、それにたいする疑の過剰は独裁政治を帰結する。このようにみなすのが民主制の正しいあり方ではないだろうか。〓〓(「27人のすごい議論」文春新書から抄録)
 激越だが、本質を語っている。「議会制民主主義あるいは代議制は政治にたいする世論の直接的影響を断ち切るための制度である」とは、瘴気はあるものの正鵠を失してはいない。だから、「自分の公約をも、議会における討論の結果として誤りであると判明すれば、拒否してみせるのがあるべき代議士の姿だ」となる。現政権の迷走はこの理解が欠落したところから発している。マニュフェストなるものに強圧され、自家撞着を起こしている。かつ唯一の政治的スローガンであった『交代』の実(ジツ)を挙げねばならない。大向に見せねばならぬ。加えて率直さや、根回しをはじめとする慣習から距離を置いた政治を「売り」にしている。みなさん、初の大役でもある。蹣跚(マンサク)たる歩みは至極当然だ。いうならば『民主主義ファンダメンタリズム』、しかも誤解のそれだ。「普天間」はティピカルである。

 かつて安倍総理が辞任した時、仙谷由人氏(現 特命担当大臣)は、「あんな子どもに総理大臣なんかやらせるからだ!」と切って捨てた。蓋し、名言である。その伝でいけば、あの夜郎自大のおそ松くんたちには「あんな子どもに政権与党なんかやらせるからだ!」とでもなろうか。 □


瑣末ながら

2010年01月22日 | エッセー

 まことに瑣末な話柄だが、郵便受けの蓋についてだ。陋屋の玄関扉の中程を刳(ク)り貫いて嵌め込まれている。郵便受けとはいっても、内側に受け留める器はない。差し込み口のようなものだ。この蓋のバネが切れてはや十数年になる。バネが効かないから、大きな郵便物や新聞を口に咥えたままでいられない。床に落ちてしまう。プライバシーには好都合だが、ばんたび腰を屈めて拾わねばならない。身体が堅い寝起きなど、腰痛持ちには辛い。風が強い日はカタカタと無用な音を立てる。透き間風も入る。不都合ではある。だが、さりとて喫緊の不具合ではない。ついつい打遣(ウッチャ)って、こんにちに至った。ずぼらなはなしだ。
 松の内が過ぎて間もなく、ついに蓋そのものが外れてしまった。これではいかにも按配がわるい。要するに、扉に横長の孔が、覗き窓あるいは覗かれ窓のように開いてしまっている。事ここにいたり、ついに重い腰を上げて業者に委ねる次第となった。いまは番外品とて取り寄せになった。なんともこれが高額である。吝嗇を割り引いても、予想の三倍はした。いっそ扉ごと変えた方がよかったかと、心中独り言ちながら作業を見守った。
 郵便受けはやっと遥かな旧に復した。永年取り付いていた顔の染みがとれたようなものだ。しかし荊妻は気づかない。言挙げしても薙刀応答(アシライ)である。亭主が清水の舞台から飛び降りて、骨折はせぬもののしたたかに打撲を負ったというのに見舞いもない。治療代を出す気なぞさらさらない。犬の首輪を取り替えた程度にしか事態が飲み込めぬらしい。晴れて十年来の荷を下ろしたというのに、呑気なものだ。

 なべて男どもは瑣末に拘る。無益であろうとも、時としてことごとしい意を注ぐ。だから、有用性を超絶したコレクターが出現する。孫にも触らせぬブリキ玩具の蒐集に血道を上げる。片や女人は有益性に片寄った関心を抱く。一円の安価を求めて、交通費は計算の外に置く。種の保存という至上命題の然らしむるところか。バーゲンでの壮絶なバトルは生存競争のなんたるかを厳粛に再現してみせる。かつ中庸を旨とし、安易に両極に振れない。その辺りの事情については、染色体に絡めてかつて触れた。(06年7月4日付本ブログ「ぞろ目にはかなわない!」)この伝でいけば、愚妻は生物学的属性に忠実に生きているようだ。扉に穿たれた孔は郵便物の通過点にしか見えないらしい。閉じていようがいまいが、通ればいい。極めて簡明で、二の句が告げぬほどに断乎としている。やはり適うわけはないのか。

 例に漏れず、荊扉の郵便受けも新聞受けを兼ねる。報道によれば、米国では新聞が生死の境で喘いでいるらしい。廃刊が続出している。ピューリッツアー賞の常連であるニューヨーク・タイムズまでが危ない。収益の七割が広告に依るため、ネットの拡大と不況の影響をもろに被った。経営構造上の要因とメディアそのものの変容がある。新聞メディアの退潮で権力監視に不都合が生まれるのではないかと危惧されている。
 宅配網の完備した日本では収益の七割が販売で、広告収入は比率が低い。しかしメディア・シフトの潮流は容赦なく襲っている。第一、青年層は新聞を読まなくなった。「社会の窓」はいまや携帯のディスプレイが担う。ここにきて、各社とも生き残りを賭けた改善策を打ち始めた。産声を上げて一世紀半、メディアの主座を明け渡す時が来るのか。時代の流れは容赦ない。

 新装なった郵便受け。孔ではあるが、情報の窓でもある。そこに今朝も、「社会の窓」が入れ籠(コ)のように納まっていた。物理的な大きさからいえば確かにそうだが、中身では逆の入れ籠だ。新聞は世界を包む。 …… 家常茶飯の寸景に妙に感じ入った。 □


日本一の山

2010年01月19日 | エッセー

  〽あたまを雲の 上に出し
   四方の山を 見おろして
   かみなりさまを 下に聞く
   富士は日本一の山

   青空高く そびえ立ち
   からだに雪の 着物着て
   霞のすそを 遠く曳く
   富士は日本一の山〽
   (「ふじの山」作詞 巌谷小波/作曲 不詳)

 遥かな昔日、東名の日本坂トンネルを抜けて朝ぼらけの大きな空間にその山が屹立する様を見た時、わたしはおののきのような叫声を発した。まぎれもなく「日本一の山」であった。だれにとっても初見の感嘆は鮮明であろう。

 「奇蹟の人」(10年1月5日付本ブログ)に続いてなにやら番組の宣伝めくが、またもNHK、それもNHK教育である。
 ネットの番組紹介から抄録。
〓〓美の壺 「富士山」 
 放送日時  1月15日(金) 22:00~22:25  NHK教育「美の壺」
“日本一の山”とうたわれた富士山。高さが日本一というだけでなく、末広型に冠雪の姿が古代から日本人の心をつかんできた。朝焼けや夕焼けで真っ赤に染まった「赤富士」や、「逆さ富士」など、季節や時刻により、さまざまな姿を見せる。多くの芸術家が絵に描き、ときに畏敬の対象として独自の信仰を生み出してきた。富士山の奥深い魅力を鑑賞するツボを、とっておきの美景や知られざるエピソードとともにお伝えする。〓〓
 この番組、進行役の草刈正雄が三枚目がかった剽軽な味を出している。内容もさることながら、これも一興である。
 さらに、「紅富士」「逆さ富士」と来て ――
〓〓壱のツボ 自分だけの富嶽一景(ふがくいっけい)を探す
 富士山展望研究家の田代 博さんは都会から見える姿など富士山のおもしろい見え方を探求しています。橋脚富士 ―― ちょうど橋脚の間から富士山が見えています。そして田代さんが夢中になっているという「ダイヤモンド富士」に案内してもらいました。 朝日や夕日が山頂にかかったとき、逆光で輝く現象。これをダイヤモンド富士といいます。日本一の山、富士山と雄大な太陽が織り成す、まさに瞬間の芸術です。
 弐のツボ 画家の心で富士山を見る
 富士山を情熱的に描き続けている洋画家の絹谷幸二さん。「富士山という私以上のものがつくった造形物と自分が描く造形物を対じさせたい」画家の心がこもった富士の絵姿。じっと見れば何かを語りかけてくれるはずです。
 参のツボ 富士山は遠くにありて思うもの
 富士塚(ふじづか) ―― 富士山を真似、土や岩を積み上げ作ったものです。こうした富士塚は関東一円に300個以上もあるそうです。
 富士講 ―― 江戸時代以降、富士山に登り、身を清める“富士講(ふじこう)”という信仰が庶民の間に広まりました。しかし実際の富士山の土を踏めたのは限られた人たちだけ。実際に行くことはできないけれどなんとか富士山に登りたい。そうした思いが生み出したものが富士塚だったのです。
 銭湯の壁に描かれた富士山 ―― かなたにある霊峰富士の清水に活力をもらいたい。銭湯の富士山にはそんな思いがこめられているのです。
 最後にこんなエピソードを。アメリカ・ワシントン州にある富士山に良く似た山、レーニヤ山。明治時代日本人移民たちが「タコマ富士」と親しみ、心の支えとしていました。どんなに遠くに離れていても、常に人々の心にあった富士山。やはり日本一の山です。〓〓
 看板に違(タガ)わず好番組であった。この手のものはテレビの独壇場であろう。

 「不二山」とも書く。「竹取物語」に由来する。かぐや姫から授かった不老不死の霊薬を、帝が命じて駿河国にある日本で一番高い山の頂で焼かせた。最高峰は最も月に近い。姫への思恋のゆえか。その場面から『ふしの山』と呼ぶようになった。あるいは並ぶもの二つとない高嶺の謂から「不二」。武士が富むゆえに「富士」との説もある。「富嶽」の異称もある。葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は世界に名を馳せる。「芙蓉峰」は蓮華からの雅称とされる。「フジヤマ・ゲイシャ」は手垢に塗れたフレーズだが、外国人が「さん(山)」を転訛させて「ヤマ」にしたものか。あるいは日本人が売り込みのためにそうしたものか。後者だと、自虐の匂いがして快くはない。
 全国どこにでも銀座を冠した街衢があるように、見えもしないところでも富士を戴く地名がある。「富士見」はその典型だ。事々然様に日本人は富士が好きだ。家康は生涯、富士山が見通せる場所にしか築城しなかった。いつも富士を遠望し、徳川の安泰を希ったのであろうか。
 前回の噴火は1707年の「宝永噴火」であった。富士火山史上でも群を抜く大きな規模であったらしい。わずか300年前、地球的時間では寸前といえる。
 余談だが、最近は「死火山」「休火山」とは呼ばないそうだ。太古の昔であっても活動歴があれば、「活火山」と呼ぶ。時間を地球史的規模に合わせれば、死んでいるのか休んでいるのか判別は人類の間尺を超える。誤解を避けるためらしい。
 だから、富士山は現役バリバリの活火山である。恐ろしい予測だが、マグニチュード8クラスとされる東海地震と相前後しても不思議はないのだ。
 
 「美の壺」から推し量っても、日本人はなべてこの山に人格を投影してきた。人品を仮託し、ありうべき人間像を投影してきた。背景には山岳信仰があるのだろう。俗な話をすれば、8合目以上は浅間大社の私有地であるそうだ。所有権を巡って最高裁まで争い、67年に大社側が勝訴した。ただ、いまだに静岡、山梨の県境が確定していないため、土地登記ができずにいるという。
 人格化の極みは、吉川英治の「宮本武蔵」 ―― 。
「あれになろう、これになろうと焦るより、富士のように黙って自分を動かないものに作り上げろ。世間に媚びず、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値打ちは世の人が決めてくれる」
 世に高名な一節だ。このように山を書き綴る例は世界に類を見ないのではなかろうか。筆者にもあった …… 。
 決意の上り新幹線。夕陽に焼けた赤富士が敢闘の炎を送ってくれた。そして、失意の下り新幹線。窓越しに冠雪の富士が捲土重来を諭してくれた。わが人生の切所に何度か登場した富士。まことに一個の人格的投影であった。

 さらに一点。国の代名詞にも擬せられるこの山が世界遺産には未登録であることだ。環境悪化がその理由らしい。国は申請すらしていない。対策は望まれるが、たとえユネスコの選定が得られなくとも、「日本一の山」は一切のオーソライズを超えて「青空高く そびえ立」つ。そこがまた小気味よい。あの「霞のすそを 遠く曳く」麗姿に生半な説明など不要だ。まずは壮大なパノラマに撃たれてみればいい。感に堪えねば、事ははじまらない。 □


2009年12月の出来事から

2010年01月12日 | エッセー

<政 治>
●成長戦略の基本方針発表
 「年平均2%」を2020年度までの新目標に(30日)
 ⇒ 届かなかったが事業仕分け3%削減にせよ、夢のような温室効果ガス25%削減にしても、少しオーバーしてしまった国債発行44兆円未満にしても、端(ハナ)っからやたら数字を飛ばすのがお好きな政権らしい。
 腰だめの数字が得意だったかつての細川政権を彷彿させる。数字で煙(ケム)に巻くのが上手だった田中角栄も浮かんでくる。数字を出せば具体的だといわんばかりだ。それでは一種の愚民政治であり、大衆操作でもあろう。大事なのはそれに至る過程であり、それを生むに至るグランドデザインではないか。
 この基本方針には具体性も「大きな物語」もない。話はそこからだ。

<経 済>
●郵政株式売却凍結法が成立
 日本郵政とゆうちょ銀行・かんぽ生命保険が対象(4日)
 ⇒ そもそも民営化は、郵便事業の第二の国鉄化を防ぐのが目的であったはずだ。小泉改革の中心的課題であり、その意味で圧倒的な支持を得た。ところが、あまりに政争の波に揉まれてしまった。この辺りは小泉改革の手法に問題があった。不幸といわざるを得ない。今以て政争の具でありつづけている。
 凍結法の成立は早い話、国営化への第一歩である。新政権の抱えた異分子が癌化する前に処置をせねばなるまい。迷ったら原点、ではないか。

●10年度政府予算案決定
 一般会計は92.3兆円で過去最大に(25日)
 ⇒ 剛腕幹事長の「党ではなく、国民の声だ」との要望が助け船になって、やっと寄港できたというところか。それにしても茶番である。展開丸見え、どさ廻りのコテコテ三文芝居だ。この猿芝居、二つの意味で茶番であった。
 本人も語ったように、「悪役」の登場。主役が善玉になるためには、だれかが敵役を演じねばならない。見え透いた芝居であり、茶番だ。あるいは見え透かせることで、「勧進帳」は「安宅の関」を演じてみせたのかもしれない。さしずめ義経を棍棒でぶっ叩く弁慶か。もちろん、株を上げるのは弁慶だ。
 二つ目には、ごまかし、すり替えだ。政権党に寄せられた意見は、はたして国民の声であろうか。本ブログで何度も取り上げたように、民意を最も捨象する選挙制度が小選挙区制である。陳情をすべて党に一元化し、密室の談合で剛腕幹事長のお眼鏡に適ったものだけがなぜ国民の声になるのか。そのようにいけしゃあしゃあと公言できる錯覚ないし厚顔こそが怖い。数多の与党議員とて、あれほど公開、公開と揚言し事業仕分けとやらでそれらしいポーズはとったものの、肝心要でダンマリを決めこむ。一見すれば、わいわいガヤガヤ、オレがオレがの旧政権党の方がよほど民主的に見える。いまごろ、渡部『黄門様』が苦言を呈しても遅い。遅いどころか、掲げる『印籠』がないのがなんとも情けない限りだ。

<国 際>
●米旅客機でナイジェリア人が爆破テロ未遂
 アルカイダ系組織が関与か(25日)
 ⇒ オバマ大統領の物言いがブッシュと似てきた。このような事件が起こった時、一国の大統領として発言が烈しくなるのは判る。しかし、国民も世界もブッシュとは違う解を彼に期待したはずだ。その輿望は忘れてほしくない。いかに至難でも。

<社 会>
●流行語大賞に「政権交代」
 2009ユーキャン新語・流行語大賞で(1日)
 ⇒ これは政治スローガンであって、少なくとも流行語ではないだろう。選考のセンスが疑わしい。
 一方、止めたはずの「今年の漢字」がいつの間にやら復活し「変」を選んだ。こちらはいいかもしれない。 …… 変な年の「変」だが。

●石川遼史上最年少の賞金王
 18歳ながら男子ゴルフツアーで1億8352万円余獲得(6日)
 ⇒ 先日のテレビ番組から。(ネットに載った番組紹介を引用)
〓〓日本TV新春スペシャル番組「天才じゃなくても夢をつかめる10の法則」
放送日時 2010年1月10日(日)21:00~22:54
 子供達は限りない未来と夢を持っています!長く脳科学の分野で、子供達を研究してきた人間性脳科学研究所の澤口俊之所長は、『どんな子供にも才能があり、それを見つけ出すのが、親の役割だ!』と言います。でも、どうやって子供の才能を見つけ出し、夢にむかって育てて行けば良いのでしょう?
 そこで、この番組では、我が子の才能を見つけ出すことに成功した子育て・教育に注目しました。
 番組では、今 世界に羽ばたく日本の若き才能、プロゴルファー・石川 遼、世界的なピアニスト・辻井伸行について、その育てられ方を調べると共に、過去の偉人たちが子供時代にどのように育てられたかも徹底リサーチ。
 すると夢をつかんだ子供の育て方には、あの法則があることがわかって来たのです!
 天才じゃなくても夢はつかめる!番組では今回、独自に編み出した夢をつかめる10個の法則を発表!
ここには、あなたの人生を劇的に変えるヒントや子育ての知恵が詰まっています!〓〓
 筆者、しばし笑いが止まらなかった。将来の日本は明るい。この伝でいけば、雲霞の如く俊才が輩出するであろう。それにしても、すぐになんでもハウツーものに仕立てるテレビの商魂は凄まじい。憐れにも、養老孟司氏の「少子化ではなくて『少親化』が問題だ」との指摘ともすれ違っている。

<哀 悼>
●平山郁夫さん(日本画壇の第一人者で文化勲章受章者。シルクロードなど描く)79歳。(2日)
 ⇒ シルクロード ―― 大きな絵を描く、大きな画家だった。広島での被爆という大きなモチベーションがいつもあった。名実ともに大画家であった。

<番外編>
 大晦日、観たのではなく、見えてしまった(というより、何度かテレビの前を通り過ぎた折に目に入った)『白黒』歌合戦 ―― 有吉弘行クン風に寸評を加えておきたい。
 出口だかなんだかよく判らない名前の『歌のうまいチンピラ』たち。あれは意外性で売っているのであろうか。
 『小囃し』某と思(オボ)しき歌付きの大道具が今年も登場した。決して衣裳ではない。実態は、あくまでも『歌う大道具』である。
 さらに、司会慣れしてひとっつも感動を呼ばないナカイ某君。有吉クンでもあだ名が浮かばないほど『歌の下手なマンネリ司会者』だった。
 1年の終わりが某国営放送の『一日民放』とは、ノースコリアの国威発揚一大イベントを見せられるようで胸が悪くなった。 

※朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事から」のうち、いくつかを取り上げた。すでに触れたもの、興味のないものは除いた。見出しとまとめはそのまま引用。 ⇒ 以下は、欠片筆。 □


繰り言

2010年01月08日 | エッセー

 ―― おしなべて巨匠は題名が巧みだ。「竜馬がゆく」とくれば、作品に触れずして風雲児が躍り出る。幕末維新の激動を奔(ハシ)り抜いていくさまが浮かぶ。明治国家の苦難と希望は「坂の上の雲」に象嵌されている。まさしく、一句万了だ。(06年9月26日付「高唱について」から) ――
 その「坂の上の雲」が、ついに昨年極月から放送開始となった。間歇しつつ来年まで続く。
 NHKの海老沢勝二先々代会長が関係者を口説き落としたらしい。とんだ置き土産だ。天下の公共放送ゆえ、著作権ならびに著作隣接権にイリーガルな手落ちはなかろう。しかし、読者の一人としてはとても割り切れない。ために、筆者の遺言を固く護り一度たりとて放送を観てはいない。それが愚昧な読者にできる唯一の恩返しだと信じている。

 そもそも、筆者が映像化を禁じたのはなぜだろう。
 一つには、映像の持つ圧倒的な膂力ゆえではないか。
 日清、日露を通じて戦闘場面は物語の竜骨をなす。だが、映像は苦もなく想像を踏みしだく。一刻の猶予も寸毫の隙も与えはしない。数々の戦いは厖大な史料を渉猟し、丹念な取材を重ね、精緻に構築され、前人未踏の筆力で描かれていく。その蘊蓄は並な学者なぞ足元にも及ばぬ。その巨大な知的営為があっと言う間に映像に掠め取られる。なんとも無慚で傷ましい。挙げ句、視聴者に好戦的な印象を残すとなれば悲劇でもある。
 野口悠紀雄氏は「超『超』整理法」(講談社)で、情報の受容にはプッシュとプルの二つの型があると解く。
 ―― テレビは、受動的手段の典型である。画面から流れてくる情報をただ受け入れるだけのことだ。地上波ではごく少数のチャネルしか設定できないから、放送される内容は、誰もが理解できるレベルのことだけになる。だから、地上波だけみていては、「皆と同じ」にしかなれない。そして操作され、搾取される。皆がプッシュをただ受け入れるだけでは、付和雷同現象が起こり、社会はある方向に暴走する。第二次世界大戦かそうだったし、バブルもそうだ。 ――
 プルは問題意識を持っての読書やネット検索などの積極的手段であるとして論は続くのだが、プッシュは映像化の負の側面であろう。作り手のバイアスも不可避に掛かる。それが作者の意図と乖離する危険もある。この点は後述したい。

 二つ目には、映像化は鬼子(オニゴ)を産みやすいことだ。
 小説とはメディアとしての原理的な違いがある。忠実な映像化は元々不可能である。タイトルも変え原作ではなく、原案のリソースとしてなら納得はいく。そう断っての別物ならいいが、「映像化」を売ってはいけない。ましてや作者が生前に禁じた作品である。読者として鬼子を認知する訳にはいかぬ。さらにフィクサーが山気(ヤマキ)の強い人物であったことを思慮に入れると、素直には受け入れがたい。

 三つ目には、作品そのものに因る。
 日露戦争から100年目に当たる04年元旦、朝日は「節目の年明けに――「軍隊」を欲する愚を思う」と題する社説を掲げた。以下、抄録。
 ―― 小説『坂の上の雲』で、日露戦争を勝利に導いた明治の群像に光を当てた司馬遼太郎さんも、この勝利がその後の日本を誤らせたことを深く嘆いて亡くなった。
 おびただしい戦死者を出し、何とか勝つには勝ったが、余力を残すロシアとはもはや続けられぬ戦いだった。だが次第に冷静な分析を失って自らの力を過信し、軍の支配と対外膨張の道を歩む。韓国併合、シベリア出兵、満州事変、日中戦争、太平洋戦争……。坂の上から転げ落ちるようなものだった。 ――
 これは「坂の上の雲」、および司馬史観についての一般的捉え方だ。まちがいではない。04年は自衛隊を初めて海外に送った年だ。明らかなエッポクメークに朝日はこの作品を援用して警鐘を鳴らしたのだ。それ以後も、日本は大波に揉まれつづけている。今年、GDPは第二位から滑落する。吐き気を伴う船酔いのなかで、処方としてこの作品を持ち出したのならまったくのお門違いだ。「坂の上の雲」が健気で初々しいばかりの国家としての青年期および思春期を描いているのは事実だ。だからもう一度麓に立って坂の上を見上げてみようでは、短絡に過ぎる。
 故人となった青木 彰氏(元産経新聞編集局長、筑波大名誉教授)は「司馬遼太郎と三つの戦争」(朝日選書)に次のように綴った。(抄録)
〓〓司馬さんは、日本・日本人の素晴らしさは、「公」という得目を大切にする、「公」のために「私」を抑制する国であり、民族であると見ていたのではないのか。
 たとえば、司馬さんは明治維新を成就させた革命の志士たちの「公」のほとんどが、その所属する「藩」にあった中で、坂本竜馬だけが「ニッポン」であり「ニッポン人」であったと見て、『竜馬がゆく』という作品に結晶させました。日露戦争で満州の野に果てた日本兵士の「公」が近代国家としての「日本」であったことを司馬さんは『坂の上の雲』の中で繰り返し語っています。
 「公」が「私」に優先する、「私」よりも重く見る人々は、いつの時代にもきわめて少数ながら存在する。そういう考えに立って司馬さんは、日本の国の「公」を小説の中でも、それ以外の著作の中でも、咀嚼し続けた、追い求めたといえます。人間と人生にかかわる、多様化した「公」を認め、その「公」のために「私」を抑制する行動原理に日本の美しさ、日本人の誇りを発見し、それを全作品を通して強調したのです。〓〓
 優れた芸術はいつも重層を成す。十重二十重(トエハタエ)に纏った意匠が裸身を鎧う。一筋縄ではいかない。謦咳に接することの多かった氏ならではの視点である。続けて氏は明かす。長い引用だが、ここが要だ。玩味願いたい。
〓〓さて、司馬さんの屈折です。日本人は、太平洋戦争の敗戦によって、個人としての「私」を重視しました。戦時中の「天皇制」「国家」ではなく、「公」を「家族」や「会社」や「地域」といった小さな人間集団に求めました。それが日本復興の原動力にもなった。司馬さんはその「公」意識の変化は認めていたと思います。しかし、昭和四十年代後半になって、その日本人の「私」がどんどん増殖し、一方で「公」がますます薄められていくことに疑問を持ち始めました。(中略)
 晩年の司馬さんの鬱屈は、深刻なものだったと思います。昭和前期の日本が日本歴史の中で突然変異の時代だとして、本来は素晴らしい民族なんだと見たことが、間違いだったのではないかという思いです。間違いとまではいわなくても、日本人を持ち上げすぎたのではないか、やはり歴史は連続的なもので断絶などはないのだろうか。陸軍、海軍を問わず軍が支配した昭和初期と、銀行や大蔵省の一連の不祥事が頻発した昭和後期から平成の時代と、どこが違うのかという思いです。
 晩年のインタビューの中で、金融財政をなすすべもなく崩壊させた大蔵省の役人と、石油もないのに版図を広げ続けた海軍軍人を並べて痛烈に批判しています。どこに「公」があるのか。昭和前期は「異胎」の時代ではなく、やはりいまの時代にもつながる時代だったのかという思いです。この屈折というか絶望感は、彼が世を去る直前まで続きました。「太平洋戦争を起こし、負けて降伏したあの事態よりももっと深刻なのではないか、日本は再び敗戦を迎えたのではないか」
 彼は人気作家でした。同時に、日本人が敗戦によって捨てた、国家・天皇という「公」に代わる新しい「公」について提示した人でもあった。彼が到達した新しい「公」は、「自他の人権を守ることであり、また、ヒトや他の生物が生命を託しているこの地球を守ろうという意識のことである」現代人の思い上がった自己中心主義がここで完全に否定されています。国家や民族といった小さな単位の「公」を地球規模の「公」に拡大したものですね。もう少し整理すれば、その特徴は、①自己中心主義(私人権のみの主権)への戒め、②人間中心主義のおごりへの戒め、③国家・民族にとらわれない地球主義、といえます。
 にもかかわらず、それが多くの人々から見落とされてはいないでしょうか。司馬さんについて、「英雄史観」「愛国史観」といった見方をする人はもちろんです。さらにファンと称する政治家、官僚、財界人といった人々が、「公」を忘れて著作を愛読するといった皮肉が、晩年の彼の屈折になった、と私は思います。裏切られた気持ちと、いささかの後ろめたさも、あるいはあったのではないか。
 晩年に「公」の話を彼から聞くたびに、私は彼の苛立ち、失望を感じました。彼の「なんのために書いてきたのか」という思いを感じたのは、私だけではないと思います。晩年の屈折は、司馬さんにとっても、私のような古くからの友人にとっても、残念なことでした。
 あなたが書いてくれたことはとても大きなことだったんだよ、とあらためて私にはいいたい思いがあります。私たちが司馬遼太郎という偉大な作家の知の遺産を正しく受け継ぐということは、彼の新しい公意識を踏まえて、日本・日本人の誇りを取り戻すことだと私は思います。〓〓
  この述懐の重みに映像は堪えられるだろうか。語弊を承知でいえば、たかがテレビドラマごときには荷が重すぎる。車体が押し潰されるか、荷を捨てるしかあるまい。よろぼい運んだものが誤解の山ではあまりに哀しい。

 さらに四点目に、作品の帰属について。
 第一義的には作者のものであろう。鬼籍に入れば遺族に属すのであろうが、それは法的なトポスだ。それにしても死人に口なしと言わんばかりの強引な事の進め方は荒っぽすぎる。朝日の「声」欄に、断じて作者の遺志を尊重すべきだと反対の意見を寄せた七十歳代の男性もいた。
 とつこうと考えを巡らせば、やはり作品は読者のものではないか。だからアンケート調査でもして事の是非を糺せなどという稚拙な言を弄するつもりはない。生者の列を離れた作者の意は読者が継承するほかはないという覚悟を述べているのだ。感銘を受けたと公言するなら、歴とした読者だ。作者を足蹴にする読者などいない。いるとすれば、字面を追っただけの識字者でしかない。

 乱世を描いた司馬作品は、当然のごとく戦闘、戦争が舞台となる。しかし、国対国のそれははこの作品が唯一だ。他はすべて内戦を描く。この意味もまた重い。「司馬遼太郎と三つの戦争」とは、戊辰の役、日露戦争、そして太平洋戦争である。三番目は見果てぬ夢に終わった。特にノモンハンに絞って書き残す企図は永劫に去った。生涯のテーマを成し終えるまでに命数の尽きるを識(シ)った作者の、その胸中を酌む少しばかりの想像力さえあれば映像化に手を染めはしなかったであろう。NHKにも放送人としての矜持がほしかった。まことにやるせない。
 本稿は蒙昧な一読者の、詮ない繰り言として記した。 □


奇蹟の人

2010年01月05日 | エッセー

 玉石混淆とはいうが、玉は極めて稀である。年間押しなべてそうではあるが、正月は特にそうだ。テレビ番組のことである。ほとんどがお笑い芸人の学芸会や与太話である。電波という公共財の無駄遣いだ。その中に、眩しいほどに輝く珠玉があった。以下、サイトに載った番組紹介である。

〓〓「ふしぎがり」
~まど・みちお 百歳の詩~ 
2010年1月3日(日) 午後9時30分~10時19分
総合テレビ
 “最後の本物の詩人”と評されるまど・みちおさんが、平成21年11月16日、100歳の誕生日を迎えた。まどさんは、「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」「一ねんせいになったら」など戦後を代表する童謡の作詞をする一方で“誰でもわかることばで、誰もが見過ごしているいのちの不思議”を詩に表現し続け、1994年には児童文学のノーベル賞と言われる国際アンデルセン賞・作家賞を日本人として初めて受賞した。日々の小さな発見から哲学的な思索までを平易に語る独特の詩は、高齢になってもますます冴え渡っている。
 90歳を過ぎた頃から増えてきたのが、自らの「老い」を見つめたユーモラスな詩だ。妻の認知症が年々進み、それを苦にして自分も一時うつ病になった。今年は次男にガンで先立たれるなど、様々な“老いの哀しみ”と対峙しながら、まどさんは老いゆく日々を明るく綴り続けている。
 今回ご本人と家族、病院の了解が得られ、初めてまどさんの日常に密着することが可能になった。子どもを楽しませ、大人をふと立ち止まらせてくれる独創的な詩はどのように生まれるのか。老いや死、そしていのちの尊さを、いまどのように受け止めているのか。まどさんの詩作の日々を見つめながら、いのちを詠いつづけてきた100歳の大詩人から生きるヒントをもらう。〓〓

 不覚にも、いまだ御存命であることを知らなかった。
 車椅子での散歩の途次、池を食い入るように見詰める。さまざまな波。いろいろな形。「なぜ、楕円の波が?」
 「小さな発見」は、「ふしぎがり」を呼び覚ます。白寿にして、なんという感性。「ふしぎ」が解ければ、驚きに変わる。氏は「世の中は、はてなマーク(?)と、感嘆符(!)の二つでできている」と病室で語る。慢心の鼻先をぴしゃりとやられた。わが不明を恥じ入るほかはない。汗顔の至りだ。

 だれでも知っている名曲は「ぞうさん」であろう。昭和23年、氏39歳の作である。5年後に團 伊玖磨作曲で放送された。


  〽ぞうさん
   ぞうさん
   おはなが ながいのね
   そうよ
   かあさんも ながいのよ

   ぞうさん
   ぞうさん
   だあれが すきなの
   あのね
   かあさんが すきなのよ〽


 たしかに童謡ではあるが、歌意に込められたものは決して幼くはない。 ―― 長い鼻を揶揄された子象は、消沈も反発もしない。むしろ、地球で一番鼻の長い動物に生まれ出でた誇りに胸を張る。違いにこそいのちの豊かさがある。だから睦み合わねば。 ―― そのように、氏は語る。

 ペンネームの「まど」は心の「窓」にちがいない。齢(ヨワイ)とともにどんどん大きくなる窓。一片の曇りとてない。内外(ウチソト)を遮るカーテンは不要だ。陽光が射込(イコ)もうとも構いはしない。生命(イノチ)のみなもとではないか。
 窓辺には、今日もいのちを「ふしぎがり」、ことばを編む詩人が佇む。少年の心のままに老いた百歳の翁がたましいの言の葉を紡ぐ。
 翁をなんと呼ぼう …… 。そうだ、「奇蹟の人」だ。外ではない。奇蹟は、こころに起きるものだから。 □


大きな物語

2010年01月02日 | エッセー

 朝日は元旦号で「激動世界の中で―より大きな日米の物語を」と題する社説を掲げた。
〓〓日本が米国と調整しつつ取り組むべき地球的な課題も山積だ。アフガニスタン、イラクなどでの平和構築。「核のない世界」への連携。気候変動が生む紛争や貧困への対処。日米の同盟という土台があってこそ日本のソフトパワーが生きる領域は広い。
 むろん、同盟の土台は安全保障にある。世界の戦略環境をどう認識し、必要な最低限の抑止力、そのための負担のありかたについて、日米両政府の指導層が緊密に意思疎通できる態勢づくりを急がなければならない。
 日米の歴史的なきずなは強く、土台は分厚い。同盟を維持する難しさはあっても、もたらされる利益は大きい。「対米追随」か「日米対等」かの言葉のぶつけ合いは意味がない。同盟を鍛えながらアジア、世界にどう生かすか。日本の政治家にはそういう大きな物語をぜひ語ってもらいたい。〓〓
 昨年の数え日に読んだ 「日本辺境論」(内田 樹<タツル>著 新潮新書 09年11月刊)にも同じ言葉が使われていた。次元の違いはあるが、同書の論旨に照らすと朝日の主張は至難だ。以下、抄録。
〓〓司馬遼太郎さんは物語の冒頭で、自分はどうしてこの「スケール」を採用して物語を書くことにしたのか、その理由をきちんと書いています。これは歴史学の専門家にはまず見られないタイプの断り書きです。例えば、『この国のかたち』の中には、こんな気分のゆったりした記述がありました。「私は子供のころから、アジアという歴史地理的空間に身を置いているという感じが好きでしたし、宮崎滔天のような生涯を送れればどんなにいいかという子供っぽい夢を持っていました。いまでも自分の可視範囲は、西はパミール高原か安南山脈までで、そこを西へ越えるとダメだと思っています。」「可視範囲」という言葉が印象的です。その範囲内なら、どんな対象にも焦点を合わせることができる。アジア人が思考したこと、感じたことについては、想像力を駆使すれば実感として追体験できる、司馬さんはそう感じていたわけです。逆に言えば、イスラム教徒やキリスト教徒の内面については、資料を整えても想像力を届かせることがむずかしいだろうと考えていた。こういうおおらかな感懐は「大きな物語」を書くことを召命としていた人にしか口にしえないものでしょう。
 私は別に「大きな物語」がよくて、専門研究がダメだと言っているのではありません。そうではなくて、「大きな物語」を書くタイプの知識人が近年あまりに少数になってしまったことをいささか心寂しく思っているのです。〓〓
 「大きな物語」を語れないのは ――
〓〓私たちがふらふらして、きょろきょろして、自分が自分であることにまったく自信が持てず、つねに新しいものにキャッチアップしようと浮き足立つのは、そういうことをするのが日本人であるというふうにナショナル・アイデンティティを規定したからです。世界のどんな国民よりもふらふらきょろきょろして、最新流行の世界標準に雪崩を打って飛びついて、弊履を棄つるが如く伝統や古人の知恵を捨て、いっときも同一的であろうとしないというほとんど病的な落ち着きのなさのうちに私たちは日本人としてのナショナル・アイデンティティを見出したのです。
 他国との比較を通じてしか自国のめざす国家像を描けない。国家戦略を語れない。そのような種類の主題について考えようとすると自動的に思考停止に陥ってしまう。これが日本人のきわだった国民性格です。
 日本という国は建国の理念があって国が作られているのではありません。まずよその国がある。よその国との関係で自国の相対的地位がさだまる。よその国が示す国家ヴィジョンを参照して、自分のヴィジョンを考える。〓〓
 その因って来たるところを、著者は日本の「辺境性」に求める。大きな視野だ。新書ではあるが、この纂述自体が「大きな物語」である。
〓〓私たちはどういう固有の文化をもち、どのような思考や行動上の「民族誌的奇習」をもち、それが私たちの眼に映じる世界像にどのようなバイアスをかけているか。それを確認する仕事に「もう、これで十分」ということはありません。手間もかかるし、報われることも少ない仕事ですけれど、きちんとやっておかないと、壁のすきまからどろどろとしたものが浸入してきて、だんだん住む場所が汚れてくる。
 「辺境」は「中華」の対概念です。「辺境」は華夷秩序のコスモロジーの中に置いてはじめて意味を持つ概念です。世界の中心に「中華皇帝」が存在する。そこから「王化」の光があまねく四方に広がる。近いところは王化の恩沢に豊かに浴して「王土」と呼ばれ、遠く離れて王化の光が十分に及ばない辺境には中華皇帝に朝貢する蕃国がある。これが「東夷」、「西戎」、「南蛮」、「北狄」と呼ばれます。そのさらに外には、もう王化の光も届かぬ「化外」の暗闇が拡がっている。中心から周縁に遠ざかるにつれて、だんだん文明的に「暗く」なり、住民たちも禽獣に近づいてゆく。そういう同心円的なコスモロジーで世界が整序されている。〓〓
  「民族誌的奇習」の一つに、「日本文化論」と「国民文学」への偏愛を挙げる。
〓〓日本を代表する国民作家である司馬遼太郎の作品の中で現在外国語で読めるものは三点しかありません(『最後の将軍』と『韃靼疾風録』と『空海の風景』)。『竜馬がゆく』も『坂の上の雲』も『燃えよ剣』も外国語では読めないのです。驚くべきことに、この国民文学を訳そうと思う外国の文学者がいないのです。市場の要請がない。不思議だと思いませんか。思想家において事態はさらに深刻です。日本の戦後思想はほとんどまったく海外では知られていません。例えば、吉本隆明は戦後の日本知識人たちがどういう枠組みの中で思想的な深化を遂げてきたのかを知る上では必読の文献ですが、外国語訳はひとつも存在しません。おそらく論理や叙情があまりに日本人の琴線に触れるせいで、あまりに特殊な語法で語られているせいで、それを明晰判明な外国語に移すことが困難なのでしょう。
 私たちは自分たちがどんな国民なんだかよく知らない。日本人にとって、「われわれはこういう国だ」という名乗りは、そこからすべてが始まる始点でなく、むしろ知的努力の到達点なのです。だから「日本人とは何ものなのか」というタイトルの本が本屋には山のように積んである。「日本とは何なのか、日本人とは何ものなのか」を知ることこそは私たちの「見果てぬ夢」なのです。「日本人とはしかじかのものである」ということについての国民的合意がない。だから、それを求めて人々は例えば司馬遼太郎を読むことになります。〓〓 
 辺境人ゆえのデメリットを、著者は次のように指摘する。
〓〓「辺境人であること」は日本人全員が共通している前提であって、これを否定することは私たちにはできません。というのは、このコスモロジーを否定するためには、それと同程度のスケールを持つ別のコスモロジーを対置するしかなく、現に日本人は東アジア全域を収めるような自前の宇宙論を持っていないからです。過去も現在も日本人は一度として自前の宇宙論を持ったことがない。
 私たちは国際社会のために何ができるのか。現代に至るまで、日本人がたぶん一度も真剣に自分に向けたことのない問いです。このような問いを自らに向け、国民的合意を形成し、かつ十分に国際共通性を持つ言葉で命題を語るための知的訓練を日本人は自分に課したことがない。なくて当然です。というのは、「とにかく生き延びること」が最優先の国家目標であったからです。
 「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」、それが辺境の限界です。ですから、知識人のマジョリティは「日本の悪口」しか言わないようになる。政治がダメで、官僚がダメで、財界がダメで、メディアがダメで、教育がダメで……要するに日本の制度文物はすべて、世界標準とは比べものにならないと彼らは力説する。そして、「だから、世界標準にキャッチアップ」というおなじみの結論に帰着してしまう。
 指南力のあるメッセージを発信するというのは、「そんなことを言う人は今のところ私の他に誰もいないけれど、私はそう思う」という態度のことです。自分の発信するメッセージの正しさや有用性を保証する「外部」「上位審級」は存在しない。そのようなものに、「正しさ」を保証してもらわなくても、私はこれが正しいと思うと言いうる、ということです。どうして言いうるかと言えば、その「正しさ」は今ある現実のうちにではなく、これから構築される未来のうちに保証人を求めるからです。私の正しさは未来において、それが現実になることによって実証されるであろう。それが世界標準を作り出す人間の考える「正しさ」です。
 今、ここがあなたの霊的成熟の現場である。導き手はどこからも来ない。誰もあなたに進むべき道を指示しない。あなたの霊的成熟は誰の手も借りずあなた自身がななし遂げなければならない。「ここがロドスだ。ここで跳べ」。そういう切迫が辺境人には乏しい。日本人はどんな技術でも「道」にしてしまうと言われます。柔道、剣道、華道、茶道、香道……なんにでも「道」が付きます。このような社会は日本の他にはあまり存在しません。この「道」の繁昌は実は「切迫していない」という日本人の辺境的宗教性と深いつながりがあると私は思っています。「道」という概念は実は「成就」という概念とうまく整合しないのです。私たちはパフォーマンスを上げようとするとき、遠い彼方にわれわれの度量衡では推し量ることのできない卓絶した境位がある、それをめざすという構えをとります。自分の「遅れ」を痛感するときに、私たちはすぐれた仕事をなし、自分が何かを達成したと思い上がるとたちまち不調になる。この特性を勘定に入れて、さまざまな人間的資質の開発プログラムを本邦では「道」として体系化している。「道」はまことにすぐれたプログラミングではあるのです。けれども、それは(誰も見たことのない)「目的地」を絶対化するあまり、おのれの未熟・未完成を正当化している。
 私たちはつねに「呼びかけられるもの」として世界に出現し、「呼びかけるもの」として、「場を主宰する主体」として、私は何をするのかという問いが意識に前景化することは決してありません。すでになされた事実にどう対応するか、それだけが問題であって、自分が事実を創出する側に立って考えるということができない。この問いそのものがきわだって辺境的であるということに私たちは気づきません。〓〓
 いずれもが日本人の宿命的アポリアのようだ。ソリューションはあるか?
〓〓私の書いていることは「日本人の悪口」ではありません。この欠点を何とかしろと言っているわけではありません。私が「他国との比較」をしているのは、「よそはこうだが、日本は違う。だから日本をよそに合わせて標準化しよう」という話をするためではありません。私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです。なにしろ、こんな国は歴史上、他に類例を見ないのです。それが歴史に登場し、今まで生き延びてきている以上、そこには何か固有の召命があると考えることは可能です。日本を「ふつうの国」にしようと空しく努力するより(どうせ無理なんですから)、こんな変わった国の人間にしかできないことがあるとしたら、それは何かを考える方がいい。その方が私たちだって楽しいし、諸国民にとっても有意義でしょう。〓〓

 一読し、「バカの壁」以来のカルチャーショックに襲われた。以下のコピーはウソではなかった。
〓〓日本人とは辺境人である ―― 「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。〓〓
 すでに14万部に達したそうだ。さもあらん。特に、<9条と自衛隊の矛盾> <水戸黄門のドラマツルギー> <日本の政治風土での言語> <文体と一人称>などはまさに快刀乱麻を断つ切れ味だ。痛打され、軽い、そして心地よい目眩を覚えつつ読み進んだ。 「辺境論」の『樹』立かもしれない。 □