伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「赤紙」! 奇想ではなく 

2007年08月30日 | エッセー
 本年5月11日付本ブログ「『お言葉』を拝して」で、裁判員制度に異を唱えた。欠片の主張 その5。 〓裁判員制度は中止しよう! 裁判のコンピューター化に本格的に取り組もう〓 と。コンピューター化はさて置き、繰り返しになるがその要点を列記してみる。

◆明らかに一周も二周も遅れている。下手をすれば、時代錯誤、とんでもない先祖返りかもしれない。
◆本質的には市民化がなぜ必要なのかということだ。
◆裁判員制度には、刑法の原則から考えて疑義がある。司法の独立を認め、職業裁判官に特化して付与した権能だからこそレギュレーションを掛けているのだ。その権能に不特定の市民が介在することは、刑法の対象が拡散する結果にならないか。本来、特権と制約はセットの筈だ。裁判員の登場は両者のバランスに齟齬をきたさないか。
◆法の整合性に疑問が湧く。
◆「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式の責任の希釈化なのか。
◆刑事裁判での99%という異常な有罪率への目眩ましか。
◆ひとつ穿って考えれば、憲法改正への陽動作戦かもしれぬ。
◆疑わしきは罰せずの伝で、疑わしきは進まずの慎重さが必要だ。市民感覚なる漠たるものの代償に、法秩序をはじめ失うものが余りにも多すぎはしないか。
◆複雑系の社会だからこそ、エキスパートが挨たれる。必要なのは市民感覚ではなく、専門知識であり、厳正なジャッジメントだ。「1000人の罪人を逃がすとも、1人の無辜を刑するなかれ」と、格言は戒める。
◆裁判員制度は「裁判員法」に準拠する。なぜ刑法に裁判員制度を追記しないのか。刑法を変えずに、刑事裁判のあり方を変える。これも腑に落ちない。
◆性悪の前提に立つがゆえに、法は人的要素を極限まで削ぎ落とそうとする。徳治など欠片も残すまいとする。それが法治の在り方だ。そのベクトルに裁判員制度は明白に逆行する。人民裁判や陶片追放へのバイアスは寸毫も許してはならない。

 さて、我が意を得たりどころか、我が意を全うしてくれる書籍が出た。講談社現代新書「裁判員制度の正体」である。今月20日初版のホヤホヤだ。著者は西野 喜一氏。東大法学部卒、元判事で現在新潟大学教授。専門誌に掲載した論文が好評で、ぜひ一般向けにとの要望に応えた。なるほど、解りやすい。かつ丁寧で親切だ。この制度の愚昧、狡猾、なにより怖さが判然と了解できる。曰く『現代の赤紙』なのだ。一握りの人々を除いて、この場合男女を問わずほとんどの国民が『召集』される可能性がある。軽挙妄動はいけない。先ずは何よりその『正体』をしっかと掴んでおかねばなるまい。ご一読を薦めたい。さらに『徴兵を免れたい』と願う人には必読の一書でもある。(最終章に、赤紙逃れが伝授されている)
 本書への誘(イザナ)いとして、ポイントを抄録してみる。長くなるが、緊要な問題ゆえどうか精読願いたい。

     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇    
1.【無用な制度 ―― 誰も求めていないのに】裁判員制度は、これを実施しなければならない必然性がない無用な制度だということです。
 一定以上の重大犯罪に関する刑事裁判の一審について裁判員が加わる。他方、軽い刑事事件のほか、民事事件、行政事件、少年事件、家事事件などにはこの制度は適用されません。まず、対象範囲を普通の庶民にはもっとも縁が遠いような事件に限定した意味が問題となるでしょう。これからすると、政府は、いままでこういう重大刑事事件の裁判では「健全な社会常識」が反映されなかったと、言っていることになりそうですが、はたしてそうでしょうか。
 政府や最高裁は、裁判官だけの高裁の審理がその後にちゃんと控えているのだから、裁判員が入った一審でおかしな判決が出ても心配することはない、と考えている可能性も十分にあります。結局、裁判員制度の理念といっても所詮その程度のものなのだということかもしれません。そして、もし仮にそうであるなら、どうしても裁判員制度を導入しなければならないという必然性はもうないも同然なのです。
 裁判にとって国民参加が必要なものであるとか、望ましいものであるというその前提がまず誤っているわけです。わが国では、抽選で集めただけの素人に被告人の運命を委ねるという素朴な段階を脱し、証拠にもとづいて専門家に担当させるという合理的な方策を採用しているので、むしろわが国のやり方こそ進んだ訴訟方式であるという見方も十分できるのです。医療にたとえれば、呪術や民間療法に頼る時代を抜け出し、専門家に任せる段階になっているということなのです。陪審制を採用している諸国でも、陪審に判断を委ねる事項はだんだん減らされ、専門家のみが判断する傾向が強まっていることはその表われといえるでしょう。
2.【違法な制度 ―― 憲法軽視の恐怖】この制度は、わが国の骨格を定めた日本国憲法に違反する違法な制度だということです。
 憲法第三十二条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と定めています。どんな人でも憲法第六章で定めているような裁判所での裁判を受ける権利を奪われることはない、ということでしょう。そして、裁判官についてのみ規定があって、参審(や陪審)に関する規定はまったくないだけでなく、裁判官は独立であって、憲法と法律にのみ拘束されると書いててあるのです。裁判官のほかに裁判員も加わって一緒になって被告人の運命を決めるという制度がこの憲法に反することは明らかです。
 裁判官グループと裁判員グループとで意見を異にした場合には、被告人は無罪となります。裁判官全員が有罪を確信している場合でも、裁判員が皆反対であるという理由で、無罪判決を書いてそれを言い渡さなければならないということになるわけです。こういう事態になってもかまわないと言っているこの制度が、裁判官は独立で、憲法および法律に「のみ」拘束される、とするこの条項に反することは明白でしょう。
3.【粗雑な制度 ―― 粗雑司法の発想】この制度は、手抜き審理が横行する可能性がある粗雑な制度だということです。
 およそ世のなかでくじで決めてよいのは、結果がどちらに転んでもかまわないというものだけです。たとえば会社でも役所でも個人の営業でも、人を雇用するのに応募者のなかからくじで決めようなどということは、いったいどんな人が選ばれることになるのか、恐しくて誰もできないでしょう。
 裁判員の負担を考慮した審理の手抜き。いままで五回、十回かかっていた公判を、裁判員でも堪えられるよう無理にでも「数回以内」に抑えようというのがこの裁判員制度なのです。重大事件の被告人は、裁判員制度のために、そうでない軽い事件の被告人より審理が粗雑になるという危険性が本当にあるのです。
4.【不安な制度 ―― 真相究明は不可能に】この制度は、事案の真相の追求が図られなくなる恐れがある、不安な制度だということです。
 直接的な証拠は何もなく、状況証拠を積み重ねて細かい事実(間接事実)を一つ一つ立証してゆき、その間接事実から合理的な推理を展開して、犯罪事実の有無を証明しなければならないという事件もたくさんあるのです。こういう推理、判断の技術は、合理的な思考のほか、訓練と経験によって身についてゆくものです。裁判官に高給を払っているのは、医師やその他の専門家に対する高額の報酬同様、その思考、訓練、経験のためだといってもよいでしょう。しかし、裁判員は、特別の資格、要件なしで、そして当該事件限りで集められた人たちですから、合理的な思考能力はその人次第とはいえ、訓練や経験とはまったく縁がないのです。そして何よりも、刑事裁判で問題となっているのは、犯罪というきわめて非日常的で、特殊な現象であることを忘れてはなりません。それでもなお彼らの証拠評価や推理に信頼が置けると考えるのはよほど楽観的な人としか思えません。「餅は餅屋」ということわざがあるとおり、専門的なことは専門家に任せるのが当たり前のことです。病気を治そうとする場合には誰でも専門の医師に任せるわけです。今日から素人も加わって判断する、と言われたら、病人も(無実の)被告人も震え上がるでしょう。
5.【過酷な制度 ―― 犯罪被害者へのダブルパンチ】この制度は、公判のあり方自体において、被告人にも、犯罪被害者にも辛く苦しい思いをさせる過酷な制度だということです。
6.【迷惑な制度 ―― 裁判員になるとこんな目に遭う!】この制度は、費用がかかり過ぎる浪費の制度だということです。
 この秘密維持の義務(違反すると「六月以下の懲役又は、五十万円以下の罰金」)はいつまでも終わらず、死ぬまで続きます。立法段階で、これでは裁判員をつとめた者は晩酌もできないと言われ、こんな刑罰で威嚇しなければならないほど国民が信用できないのなら、裁判員制度など止めてしまえという議論になりました。
 自白事件で平均四回、否認事件で平均十回ということになりますから、仮に公判を連続開廷としても、四回ということは一週間の平日がほとんど全部潰れるということであり、同様に十回ということは丸々二週間かかるということになります。いずれにしても職業を持っている国民にとってはたいへんな負担であることに変わりはありません。
 労働者の場合には、裁判員であったことを理由に不利益を課してはならないという条文(だけ)はあるが、自営業者の場合にはもちろんそのような規定はありません。これでは零細自営業者は裁判員をやって勝手に倒産しろと言っているようなものです。
 仮に有罪であることが明々白々な事件であっても、そしてあなたが死刑廃止論者でないとしても、一人の人を死刑台に送ったということは、普通の人であれば、その後もずっと大きな精神的負担、心の傷として残るのではないでしょうか。
 裁判員はその候補者時代から、義務教育終了の有無、前科前歴、心身の故障の有無・程度、当該犯罪や被告人との関係、合理的な思考能力の有無・程度、犯罪やこれに対抗する国家権力に対する思考・思想など、場合によっては行動形態や趣味嗜好にいたるまで、徹底的に調べられると思わなければなりません。また、裁判員を逃れるために、本当は隠しておきたかった自分の事情や家庭の状況を自分で説明しなければならなくなることもありえるでしょう。
7.【この「現代の赤紙」から逃れるには】この制度は、裁判員に動員される国民の負担があまりにも大きい迷惑な制度だということです。この制度は、国民動員につながる思想をはらんだ危険な制度だということです。
 陪審にせよ、参審にせよ、刑事司法に国民を参加させる制度を有している国の大部分は、徴兵制を有しています。これらの諸国はいずれも、国民に対し、国のため、おまえたちの生命・生活を投げ出せ、と言える体制、思想を持っています。そういうシステムの一環として、それぞれの生活、仕事を放擲して裁判所に来て、刑事裁判に協力せよと言っているわけなのです。裁判員制度を実行しようという発想の根拠には、国民はもっと国のために奉仕すべきだという思想があることは当然です。そうでなければ、これほど国民に迷惑をかける制度を実行できるはずがありません。この裁判員制度に徴兵制へいたる道を心配する意見もあるということは知っておいてもらう意味があると思われます。仮に裁判員制度を強行すれば、いずれ政府が国民に対し、もっと国家のために働け、個人の利害より国家の利害の方が重要だ、と言うことはいまよりずっと容易になるでしょうし、国民の側でもそれを受け入れる土壌がいまよりずっと成長するでしょう。
     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇    

 ことの起こりは、平成十一年に始まった司法制度改革審議会であった。戦後半世紀を経て、司法を抜本的に見直そうということだ。意気込みはよしとするが、法律専門家を半数以下にした構成にまず問題ありきだった。対象分野は極めて専門的、技術的である。かつ死活に関わる。八百屋を集めて肉の詮議をするようなものだ。案の定、ファナティックな『陪審論者』に鼻っ面を引き回された。出てきた結論が上記のごとき『薮蛇』である。
 なお、「判断」での多数決の採り方や罰則規定については煩雑なので割愛した。本書に当たっていただきたい。ただ一点、罰金は前科になることだけは忘れてはならない。裁判員が増えて前科者が巷に溢れる。ウソのような話が、すぐそこだ。
 繰り返そう ―― 欠片の主張 その5。 〓裁判員制度は中止しよう!〓 □


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FOREVER! 『LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS』

2007年08月24日 | エッセー
〓LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS〓
◇     ◇     ◇     ◇
ボートに乗って河にいる自分を想像してごらん
タンジール蜜柑の樹にマーマレードの空があり
誰かがあなたを呼ぶ
あなたはゆっくりとこたえる
万華鏡の目の女の子だ

黄色とグリーンのセロハンの花
あなたの頭上にそびえていて
目に陽をうけている女の子をさがしてごらん
彼女はいなくなってしまっている

ルーシーはダイヤモンドを持って空にいる
ルーシーはダイヤモンドを持って空にいる
ルーシーはダイヤモンドを持って空にいる

泉のそばの橋まで彼女を追っていってごらん
揺り馬の人たちがマシュマロ・パイを食べている
信じられないほどに高く生えている花のそばをゆっくりとただよっていくと
誰もがみんな微笑する

新聞のタクシーが岸にあらわれ
あなたを連れていこうと待っている
頭を雲のなかに入れて後ろの席に乗れば
あなたはいなくなってしまっている

ルーシーはダイヤモンドを持って空にいる
ルーシーはダイヤモンドを持って空にいる
ルーシーはダイヤモンドを持って空にいる

駅の汽車に乗っている自分を想像してごらん
鏡のタイをしめた細工用粘土のポーターたちがいて
いきなり誰かが回転木戸のところにいる
万華鏡の目の女の子だ

ルーシーはダイヤモンドを持って空にいる
ルーシーはダイヤモンドを持って空にいる
ルーシーはダイヤモンドを持って空にいる
◇     ◇     ◇     ◇

 言わずと知れた『SGT.PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND』中の一曲である。一度聴いたら耳朶から離れないメロディー、揺蕩(タユト)うような、気怠いようなジョンの唄いっぷり。さらに、取り留めもない歌詞。この日本語訳を一読して、情景の浮かぶ人がいるだろうか。
 実はこれには訳がある。「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」 ―― 『敦盛』を引き合いに出すとすれば、明らかに「下天」に属す。かつ、おクスリによる夢幻(ムゲン)の境地だ。
 おクスリをお嚥(ノ)みになる方は多い。特に音楽界では例に事欠かない。しかし、おクスリを詠っておしまいになる方はそうはいない。
 過去を含めおクスリ『な』方を挙げると、まずはプレスリー。この英雄は死ぬほど嚥んだ。レイ・チャールズ、その地獄と脱獄はもはや伝説だ。国内ではY.I、T.N、H.Mなどなど。ロック、ジャズのジャンルでは特に多い。ただし、おクスリを逆手にとってそのまま作品にまで昇華した者はまずいない。なおかつビッグ・ヒットはこれをおいて外に知らない。おクスリでラリるのは極めて生物学的反応であり、いかな才人とて趣は同じであろう。しかし芸術的反応はそこいらの才人に真似のできることではない。ジーニアスにしてはじめてなせる業(ワザ)ではないか。

 先日、一作も読んでいない作家を論ずるという暴挙に出た(7月11日付本ブログ「『らも教』について」)。しかも故人に対してであった。甚だしく礼を欠く所業である。そこで反省しつつ代表作を読ませていただくことにした。
 「今夜、すべてのバーで」 ―― 1992年、吉川英治文学新人賞をとった作品だ。アル中作家の闘病記である。つまりは自伝に属する。作中から印象的な部分を引用する。

  ~~薬理作用のあるものをドラッグと呼ぶならば、エチルアルコールは完璧にドラッグだ。それもメンタルな要素に関わらず、一定以上の量を服用すれば誰でも確実に“効く”かなり強烈なドラッグなのだ。
 いわゆるケミカルドラッグの場合、まず身体依存性ということを考えなければならない。マリファナには身体依存はないが、ヘロインの系統は、あっという間に中毒になる。アルコールは十年以上かかって身体依存が出てくる(情神依存は特定できないが、これよりはるかに早いだろう)。
 次に、耐性と致死量の問題がある。薬というものは結局は毒であり、異物だから摂取するに従って、どんどん体の方が耐性、抵抗力をつけていく。量を増やしていかないと効かなくなるのだ。(略)
 人間が確実に死ぬ致死量がそれぞれの毒物にはある。耐性が増していくにつれて使用量を増やしていく。ある時点でこの漸増する服用量の線と致死量の線が交叉する。効く量が致死量をオーバーしてしまうのだ。多くのヘロイン死やコカイン死はこのようにして訪れる。プレスリーのように多種の薬の総量が致死量を越えることもある。(略)
 ドラッグとしてのアルコールは、十年単位のスケールで見ると、むしろヘロインより壊滅的かもしれないが、短いタイムスパンに限ると、他のドラッグよりは比較的安全ではあるのだ。
 とにもかくにも、おれは酩酊の手段としてアルコールを選んだ。日本に生まれて、それが一番法的に安全で廉価なドラッグだったからだ。もしインドに生まれていれば、酒を恐れて、ガンジャ(大麻)を楽しんでいただろう。半世紀前の中国に生まれていればまちがいなく阿片窟に入りびたっていただろうし、南米に生を受けたならコカの葉を噛んでいたろう。インディアンならぺヨーテ、サンペドロ(幻覚サボテン)を食べ、マヤの民ならキノコやヤへー(イエージ・幻覚性の蔓植物)、中東人ならカートの葉をしがんでいたろう。
 要はそういうことなのだ。腐ったお上に捕まるのなぞまっぴらごめんだ。~~

 後にその「腐ったお上」から縄目の恥辱を受けることになるのだが、それはともかくこの問題提起は深刻だ。無理矢理のアル中『擁護』論のようだが、嘘から出た実(マコト)ということだってある。薬物という観点から見た場合、合法、非合法の境目は霞んでしまうのだ。「酒は百薬の長」というが、「酒は百害の長」ともいう。どちらが真実か。人類永遠のアポリアだ。
 さらに……
  
  ~~「学者はどんなにアプローチを変えてもアル中の本態にまでは近づけないですよ。それを幼児体験だの、わかったような分析をされるとおれは頭にくるんですよ。アル中のことがわかるときってのは、ほかの中毒のすべてがわかるときですよ。薬物中毒はもちろんのこと、ワーカホリックまで含めて、人間の“依存”ってことの本質がわからないと、アル中はわからない。わかるのは付随的なことばかりでしょう。“依存”ってのはね、つまりは人間そのもののことでもあるんだ。何かに依存していない人間がいるとしたら、それは死者だけですよ。いや、幽霊が出るとこを見たら、死者だって何かに依存しているのかもしれない。この世にあるものはすべて人間の依存の対象でしょう。アルコールに依存している人間なんてかわいいもんだ。血と金と権力の中毒になった人間が、国家に依存して人殺しをやってるじゃないですか。連中も依存症なんですよ。たちのわるいね。依存のことを考えるのなら、根っこは“人間がこの世に生まれてくる”、そのことにまでかかっているんだ。心理学者だけの手におえるようなもんじゃないでしょう」~~

 ……これはもう立派な「返し刀」ではないか。逆照射の人間観とでも言おうか。『らも教』の核心はこの辺りにあるのではないか。                                                   
 「ジョン」と「らも」。片やおクスリ、片や般若湯。どちらも最高級の作品に化かしてしまった。
 今宵、ジーニアスの業に敬服しつつ、おクスリ代わりに天の美禄でも傾けますか。□


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しもた屋の風景

2007年08月18日 | エッセー
 駅から延びるいちばん繁華な通りに最初の仕舞た屋ができた時、いやな予感がした。老舗の電器屋が商いを仕舞い、ごく普通の民家に態(ナリ)を替えた。活計(タズキ)を変えたのか、それとも別人の建てたものかよくは知らない。平成に入って間もなくだった。
 店頭にはいつも最先端の電気製品が並んでいた。急速に電化していく田舎町のパイオニアだった。その店の名を聞いただけで、文明の照射を受けたように少年の胸は高鳴った。やがてカラーテレビが当たり前になった頃ありきたりの店になり、過当競争に精根を使い果たし、舞台から去ったのだろう。世の盛衰が凝縮されているようだ。

 いやな予感は的中した。その後、食堂が続いた。さらに八百屋、魚屋と後を追い、時計屋、酒屋、家具屋が消え、映画館も出ていった。駅の目交(マナカイ)にあった旅館まで更地に戻った。モータリゼーションの波とともに郊外型の大型店が生まれ、テナントの種類だけ駅前の通りに仕舞た屋が並んだ。夜はまばらに酔客が行き交い、赤提灯や客寄せのネオンだけが細々と街の灯を継いでいる。まことに平成は仕舞た屋を量産した時代だ。このまますすめば、街自体が居抜きになってしまう。つまりはゴーストタウンだ。

 おそらくは駅とともに産声を上げた繁華街だったのだろう。その昔は閑散とした畑か、あるいはほどよく砂地を交えた海に続く松林であったろうか。いまは残映すらない。
 高度成長期には繁盛を極めた。朝まだきの仕入れに始まり、街灯だけを残して町並が夜の漆黒に溶け込むまで、人の通りが絶えたことはない。列車が着くたびに駅からは人の群れが吐き出され、次の列車に合わせてまた人波が吸い込まれていく。駅前の通りに居並んだ店々では絶え間なく人が出入りし、トラックが鷹揚に通りを抜け、自転車が忙しなく走り回る。それらの雑多な生活の音が綯い交ぜになり、街の喧噪をつくっていた。

 明治の世に鉄路が全国を覆い、駅を軸に人びとの集散がはじまった。駅の前には通りが敷かれ繁華街ができた。駅を起点として生活が営まれ、町が廻った。太古の宿場を駅が襲った。
 昭和の後半に車の時代が訪(オトナ)う。意外なことに、地方ほど急速だった。鉄路に替わり道路が時代の主役となった。車社会の大波が人びとのくらしと町の態を変えていった。国鉄はJRになった。駅から次第に人影が失せ、車を操れない者、つまりは学生や年寄りだけの離合となった。駅が斜陽した。平成にはさらに加速される。バブルが弾け、少子高齢化が追い打ちをかけた。駅の無人化も相次いだ。駅前の通りからは賑わいが退(ヒ)き、仕舞た屋が増えた。それぞれに歴史を背負い、商いの攻防があり、浮沈が繰り返され、なにより家族の来し方と息遣いがあったはずだ。それらはいま、朝になっても開けられることのないシャッターによって封印されている。

 世の移ろいは時として人心などには無頓着だ。街の有り様(ヨウ)などは、容赦なく挿(ス)げ替えてしまう。非情だ。しかし仕舞た屋になったとて、人の行く末までおいそれと仕舞うわけにはいかぬ。どこかで地を這う営みを始めているにちがいない。そう信じたい。

 その通りを愛車で過ぎる束の間、がんばれ、と声をかけてみた。□


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天意ということ

2007年08月11日 | エッセー
 8月7日、臨時国会が開かれた。新しい勢力図で、跛行の国政が始まる。参院選から十日余り、混濁した水槽の塵芥(チリアクタ)がやっと沈潜し中が見通せるようになってきた。もうそろそろ括りにかかってもよさそうだ。

 与党、直接の敗因は失言と年金とカネの三重苦だった。2000万人のロスジェネがオブジェクションに動いた。高齢者もそっぽを向いた。オオイズミ君の時代に揺さぶられたクライアントも腰を引いた。自民党の集票構造に変化が起きた。オオイズミ君の十八番でいえば、選挙の「構造改革」である。まさに「改革なくして成長なし」である。
 それにしても、アンバイ君の運のなさよ。オオイズミ君の『強運』に引き比べ、どこかの『憑神(ツキガミ)』にでも狙われたのか、同情を禁じ得ない。将たる者に運が切れるとどれほど惨めか。敗因の根源はそこにある。余談に属するが、あのS官房長官の「貧相」、貧困なる相貌。印象に残らない声音。抑揚のない話しぶり。まことに薄運の象徴ではないか。

 四捨五入した話をする。オオイズミ君の改革路線、これは間違ってはいない。頓挫したモトハシ君からの継承だった。パイはもう大きくはならない。出(イズ)るを制するしかない。入(イ)るを量れない以上、当然だ。21世紀のとば口で拱手していたら、早晩日本はデフォルトの野壷にはまっていた。それは確実だ。
 本来、アンバイ君はオオイズミ路線を継承したばずだ。ところが、よせばいいのに、色気を出してしまった。教育と憲法である。大きなスパンで考える時、いまはそんなことに拘(カカズラ)っている暇(イトマ)はない。教育はいかにも拙速だったし、憲法はルビコンを渡った。改革を継続しつつ、セーフティ・ネットをいかに張っていくか。それこそがファースト・プライオリティーだったはずだ。そこを「生活が第一」などと、取ってつけたキャッチコピーでコワザ君にまんまと付け入られたのだ。
 歴史に「もし」はない。だが、そう問いかけることで何かが見えてくる場合もある。
 『もし、与党が過半数を維持していたらどうだろう?』 おそらくアンアバイ君は調子コクだろう。おじいさまの亡霊に突き動かされて改憲に猪突するだろう。まずはイエスマンだけを寄せ集めた懇談会を錦の御旗に、集団的自衛権の解禁が視野に入る。裏打ちしてくるのは教育だ。生煮えのものを喰らうと腹を下す。憲法と教育、両者に通底するのは限りなく戦前に近い価値観だ。たしかに戦後半世紀を越え、あらゆるところが綻びはじめた。だからといって、戦前へ、では能がなさすぎる。第三の道を、なぜ考えない、探さない。それこそが進歩ではないか。括っていうと、『もし』の答えは「この国のかたち」の後退である。昭和20年、敗戦は日本が永劫に戦を終えた「終戦」であり、ふたたびの肇国だった。これが、これこそが「原点」である。ここが忽(ユルガセ)になっては断じてならない。

 誤解を恐れずにいうと、次元を違えるようだが今回の与党大敗は民意ではなく天意である。前述した三重苦は敗因ではあるが、真因ではない。トリガーでしかなかった。民意がトリガーを引いた。飛び出した弾は「原点」からの逸脱への警鐘、もしくは回帰への覚醒だ。これはもう天意というほかはない。どの政党のマニフェストにも載っていない。人為を超え、民意を超える、なにものかが動いた。だから、天意だ。 ―― そう捉えたい。
 平成元年、参院選の直後、おたかさんは「山が動いた」と嘯いた。前年のリクルート事件、直前の消費税導入へのオブジェクションだった。動いたのは「山」という民意だった。民意の掬い方、つまりは選挙制度の問題もある。(本年、2月1日付け「誰だ、それは?」や7月14日付け「祭りだ、祭りだー!」で取り上げた)マスコミのミスリードもなかったといえば嘘になる。しかしそれらを突き抜けてなにかが動いた。「山」をも凌ぐ「天」の差配ではないか。18年前と同じく、国政のダッチロールは覚悟の上で突きつけられた天意。それは「原点」ルネサンスだ。 ―― そう括りたい。
 
 中国の戦国時代、思想家・楊朱(ヨウシュ)の隣家が羊を逃がした。近所が駆り出されて、総出で羊を探す。たかが羊一匹に、なぜ。分かれ道が多くとても追い切れない、と言う。楊朱は思案する。大きな道には枝道も多い。だから羊を見失う。学者も区々たる専門分野にのめり込んで彷徨っている。だが学問の根本はひとつだ。そこに立ち返るべきではないか。「多岐亡羊」の謂れである。
 赤絨毯のセンセイ方よ、「先憂後楽」を旨とせよ。天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみには後れて楽しむ。これが原義である。選挙前には憂いが募るが当選すれば後は楽しみ、などという能天気を教えているのではない。

 62年目の「夏」。日本には原点の「夏」がある。□


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2007年7月の出来事から

2007年08月06日 | エッセー
 これで3回目になる。毎月初旬に朝日新聞に掲載される「(先)月の出来事」のうち、分野ごとにいくつかを取り上げる。見出しとまとめはそのまま引用する。

<政治>
◆久間防衛相が辞任  広島、長崎への原爆投下を「しょうがない」と発言し批判を浴びた。後任は小池百合子氏が就任。(3日)
  ―― 参院選を挟んだせいか、はるか昔のような気がする。今またヒロシマ・ナガサキを迎え、批判が再燃している。決して擁護するわけではないが、このような発言は久間氏に限ったことではない。これは氷山の一角だ。大臣ひとりの首を挿(ス)げ替えたとて、きれいに片付く問題ではない。むしろ問題の根深さを教えてくれる警鐘でさえある。惨禍に泣いた国がいまだに原爆の本質が解らない、度し難い勢力がいまだに跋扈している、と。何度でも言おう。原爆は、絶対の悪だ。
 2点だけ明確にしておきたい。まず「原爆神話」についてである。「原爆が戦争を早期に終了させ、米兵100万人の命が助かった。そして、日本人のそれ以上の犠牲も食い止めた」との米側の主張である。ソ連が原爆を保持するに至り、公式見解となりヒロシマとナガサキを正当化した。裏には、戦争は日本が仕掛けた、原爆は真珠湾の報復だとの意識がある。アメリカも相当に度し難い。
 「米兵100万人」はプロパガンダゆえの誇張であり、腰だめの数字だ。米国内にもそれを認める意見がある。「戦争を早期に終了させ」や「日本人のそれ以上の犠牲も食い止めた」については、米政府の戦略爆撃調査団の報告に「原爆やソ連の参戦がなくても45年末までに日本は降伏していた」との分析がある。辻褄が合わない。「原爆神話」は神代の話でしかない。現代人が真に受けるお話ではない。
 関連するが、2点目に原爆がソ連の参戦を阻止したとの説だ。為にするものも含め、かなり根強い。ソ連の北海道占領説につながる。これは明かに歴史的事実に違(タガ)う。ソ連の参戦は8月9日ナガサキの日であり、ヒロシマの後だ。だから、戦争終結の決め手は原爆ではなくソ連の参戦だったとの見方もある。日本の軍部には日露戦争以来、隔世遺伝された潜在的北方恐怖があった。納得のいく捉え方だ。
 また、敗戦直後にスターリンが北海道の北半分を占領したいと申し出た時トルーマンに一蹴され、ソ連は引き下がったという経緯がある。はじめはソ連に参戦を促していた米国も、東欧の戦後処理でソ連と角逐し警戒感を抱くようになる。対日戦はほとんど米国が主導した。したがって、極東の戦後処理で主導権を握るのは勿論のこと、日本は米単独で占領する、これが米国の譲れないストラテジーであった。だから、もともとソ連による占領はありえない状況にあったといえる。
 実は、日本側にも弱みがある。アメリカの核の傘に入りながら、真っ正面からの非難ができないというねじれだ。でも、『しょうがない』とは言うまい。ことは人類の存亡に関わる人類的課題である。市民に徹すれば、国家は超えられる。ねじれや矛盾を炙(アブ)り出すことも前進の一つだ。

<経済>
◆三越と伊勢丹が提携交渉  経営統合を視野に資本提携構想を始めたことが明らかに。統合が実現すれば売上高で業界首位に。(26日)
  ―― 「三井家」と「越後屋」から「三越」の商号が生まれた。明治36年のこと、日本初の百貨店であった。103年前だ。「越後屋」の淵源を辿れば、驚くなかれ延宝元年、334年前だ。家祖の三井高利が江戸本町に開いた呉服屋だ。当時の商習慣の逆を取り「店先売り」と「現銀(金)掛値なし」で繁盛した。
 伊勢丹は明治19年、小菅丹治が神田に開いた伊勢屋丹治呉服店に始まる。120前である。
 双方100年を超える企業が一体化しようとしている。まさに歴史的事業だ。社風や客層の違うもの同士、成功を危ぶむ声もある。しかし、同じものが一緒になっても足し算でしかない。異質のシンクロナイズには掛け算の妙がある。そこに注目したい。

<国際>
◆北朝鮮、核施設を停止  北朝鮮が寧辺の原子炉などの稼働停止を発表。(15日)
  ―― やっと、というべきだろう。「タフ・ネゴシエーター」という言葉があるが、この場合『タフ・ゴネシエーター』だ。いつものことながら、ゴネ得狙いだ。ヒル国務次官補が北の代表に言ったらしい。BDAに凍結された資金が二十数億、松坂の契約金の半分だ、と。どういう意味だったのだろうか。
 いかに有望とはいえ野球選手一人分の契約金、その半分ぐらいでゴネるのか、と揶揄したのか。それとも、国家の存亡をかけた資産、国家予算のおよそ十分の一が、わが国では野球チームのそれも一選手の契約金の半分にしか過ぎない、と威圧したのか。はたまた、ゴネまくる相手に野球好きのヒル氏が、得意のネタで難交渉に当たるわが身の不遇を託(カコ)ってみせたのか。いずれにせよ、まだまだ茨の道は続く。

<社会>
◆イチローが球宴MVP  大リーグのオールスター戦78回の歴史で初のランニング本塁打を打って。(10日)
  ―― 打つ、投げる、走るが野球の基本。ランニング・ホームランは打つと走るが合体しないと成立しない。いかにもイチローらしい。ただのホームランではない。至難の業だ。だから78回目にして初めての偉業となった。燻し銀のMVPである。
 後日交わされたマリナーズとの更新契約。5年間の総額が約110億円。詳細は省くが、5年後に引退したとすると、彼が58歳になるまでの20年間、毎年1億5千万円ずつ再契約金の支払いを受けることになる。まさに『アメリカンドリーム』だ。この言葉、決して色褪せてはいなかった。イチローもすごいが、アメリカもすごい!

◆琴光喜が大関昇進  31歳3ヶ月は年6場所制が定着した58年以降に初土俵を踏んだ力士では最年長。(25日)
  ―― なんとも遅咲きだ。将来を嘱望されながら、鳴かず飛ばず。ひょっとすると雌伏したままで終わるのでは、と心配したものだ。それが突然、鳴きも鳴いたり、飛びも飛びたり。一気に大関を決めた。
 どんな世界でも「遅咲き」には羨望が射掛けられることはまずない。注がれる眼差しは優しい。「大器晩成」という。大器だから晩成するのではない。原義は、大きな器は安易に完成しないということだ。終世の精進を諭している。「力戦奮闘」を見守りたい。

<哀悼>
◆宮本賢治さん(元日本共産党議長)98歳 (18日)
◆河合隼雄さん(元文化庁長官、臨床心理学者)79歳 (19日)
◆小田実さん(作家、元ベ平連代表)75歳 (30日)
  ―― いずれも、一時代も二時代も創った人たちだ。宮本氏は昭和4年、『改造』の懸賞評論で芥川龍之介を論じ、あの小林秀雄と争い小林を二席に退け一席を受賞した。学生時代、それを知った時、共産党のドンとの余りにも大きな落差に驚いた。
 河合氏は職業柄か、『聞き上手』の名人と謳われた。河合氏と知らないタクシーの運転手が話し込んで、目的地をはるか通り過ぎたことも再三再四だったという。
 小田氏は肩書に官職が付かない。いかにも氏らしい。ギョロリと目をむき、関西訛りで舌鋒鋭く迫る。存在感と迫力のある人物だった。紛れもなく70年代を代表する一人だった。
 できれば来月、この欄は書かないで済ませたい。□


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「純情」 ―― レクイエムではなく

2007年08月02日 | エッセー
 売り上げは6.000万枚を超える。日本人の大人がみんな、一枚は買った勘定になる。宜なる哉、限りなくワイドレンジだった。一例を挙げてみよう。
  ―― 石川さゆり「津軽海峡冬景色」/五木ひろし&木の実ナナ「居酒屋」/伊藤咲子「ひまわり娘」/井上順「昨日・今日・明日」/岩崎宏美「ロマンス」/「宇宙戦艦ヤマト」/尾崎紀世彦「また逢う日まで」/郷ひろみ&樹木希林「林檎殺人事件」/小林旭「熱き心に」/堺正章「街の灯り」/桜田淳子「私の青い鳥」/沢田研二「勝手にしやがれ」/ズー・ニー・ヴー「白いサンゴ礁」/スパイダース「モンキー・ダンス」/Char「気絶するほど悩ましい」/長渕剛「青春は手品師」/夏木マリ「絹の靴下」/新沼謙治「嫁に来ないか」/西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」/ピンクレディー「ペッパー警部」/「ピンポンパン体操」/フィンガー5「個人授業」/藤圭子「京都から博多まで」/ペドロ&カプリシャス「ジョニーへの伝言」/都はるみ「北の宿から」/森田健作「さらば涙と言おう」/森田公一とトップギャラン「青春時代」/森山加代子「白い蝶のサンバ」/八代亜紀「舟唄」/山本リンダ「どうにもとまらない」/和田アキ子「笑って許して」 ―― (五十音順)
 演歌からアイドル、フォーク、はてはアニメまで実に多彩、絢爛にして豪華。特に団塊の世代にとっては、そっくり青春譜だ。わたしなど上記の曲名を目で追うだけで、その時々の情景が過(ヨギ)り、せつなく、狂おしい。
 名前は「悪友」から採った。ステロタイプに飽いた流行(ハヤリ)歌の世界に風穴を開けた。それも特大の穴だった。悪友どころか、多くの人にとって縁(エニシ)深き良友であった。享年70歳。昨日、生者の列を離れた氏に、わたしなりの弔意を捧げたい。

 吉田拓郎との接点はあったのか、どうか。寡聞にして知らない。ただひとつだけ、氏の名前がクレジットされた曲がある。1993年に加藤和彦とのデュエットでリリースされた「純情」である。テレビ東京12時間ドラマ「織田信長」の主題歌として作られた。歌詞は以下の通りだ。

「純情」  作詞:阿久 悠  作曲:加藤 和彦
永遠の たずねびと
それは きみだろ
追いかけて 追いかけて
心 ぶつける
つれないそぶりに 一から出直し

この胸に 眠らない
ガキが 住んでて
いつの日も いつの日も
きみを 求める
とどかぬ想いも 明日のたのしみ

おれたちの とんだ失敗は
純情だけ
Only you ずっと Only you
不器用だね 不細工だね
Only you もっと Only you
真実には 流行はない
ただひとりを想う

澄んだ瞳で 生きたのは
きみが いたから
変わりなく 変わりなく
恋を 伝える
未練と情熱 表と裏でも

おとなしく いい子では
死んだ 気になる
かき立てて かき立てて
熱く 迫って
ここまで来たなら 一生しごとさ

おれたちの とんだ失敗は
純情だけ
Only you やはり Only you
もういいだろ もういいだろ
Only you さらに Only you
まだ足りない まだ足りない
まだ心が軽い
Only you Only you
Only you Only you

 作曲は加藤になっている。しかし、おそらく共作であろう。あるいは、拓郎がトレビュートしたか。病み明けのコンサートから、今度はソロで再び歌い始めた。オーラスではないが終盤に組まれていた。いつも熱唱であった。死線からの「生還」と「純情」の心根が響き合い、わたしのこころをとりこした。おそらく一二年の間、優に1000回は聴いた。
 いわゆる恋唄ともとれる。しかし、男は「きみ」にだけ恋するものだろうか。「この胸に 眠らない ガキが 住んで」いるのが、男だ。さすれば、この曲はなにかのメタファーではないか。男の「一途」を恋唄に仮託した、としたらどうだろう。
 「おれたちの とんだ失敗は 純情だけ」。さわりのところだ。「純情」は男の属性である。あるいは、性(サガ)か。「とんだ失敗」と笑い飛ばしながらも、「ここまで来たなら 一生しごとさ」と腹を括る。「ガキ」のままで熟成するのが男だ。男冥加とはこのことだ。この辺りの機微は、往年の名曲「男の純情」に通底する。佐藤惣之助 作詞、古賀政男 作曲。昭和10年代、まさに一世を風靡した。学生時代、なぜかわたしはよく仲間と唱った。蛮カラを気取っていたのかもしれない。

  男いのちの 純情は 
  燃えてかがやく 金の星 
  夜の都の 大空に 
  曇る涙を 誰が知ろ

 信長の世にも、戦前にも、そして今も男の胸には「ガキが 住んで」いる。とすると、この曲は現代版「男の純情」といったところか。さらに、作者の自画像が裏打ちされているのかもしれない。
 「もういいだろ」の問いかけに返す。「まだ足りない まだ足りない まだ心が軽い」。ここが、いい。なぜ「まだ足りない」のか。「まだ心が軽い」からだと……。歌意を貶めることを懼れるが、邪推を逞しくしてみる。
 男の目方は何で計るのだろう。「心の軽さ」で決まるのだ。「不器用」でも、「不細工」でもいい。「おとなしく いい子では 死んだ 気になる」のが男だ。「心が軽い」うちは、まだ行ける。まだまだ行ける。「まだ『生き』足りない」のだ。

  氏はその時、「もういいだろう」と言ったのだろうか。断じて、言わなかったはずだ。心は軽いまま、旅立ったにちがいない。
 7月30日、小田 実氏が逝った。中一日を置いて、阿久 悠氏が踵を接することになった。分野は違うものの、両者には市井の目線がしっかりと据えられていた。これで、昭和はさらに後景に退く。  平成19年8月2日 合掌 □


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