伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

暖簾分け

2015年07月31日 | エッセー

 7月末日の「天声人語」に目を引かれたところがあった。
──「アベ政治を許さない」。各地で一斉に掲げられた文字は、俳人の金子兜太(とうた)さん(95)が書いた。首相と米国の関係を哀れむ。「でっち小僧が旦那になだめられたり引っぱたかれたり、時々菓子をもらったりして、いいようにされている姿を想像してしまう」──
 あの骨太で野獣の雄叫びのような文字にはインパクトがある。さらに、さすがは俳人だ。「でっち小僧が旦那に」の件(クダリ)の鮮やかさはどうだろう。日米関係を丁稚と旦那に準える感性のただならぬ鋭さに畏れ入る。丁稚が臥薪嘗胆を厭わぬ抱懐とは何か。それは艱難辛苦の先にある暖簾分けの「夢」にちがいない。
 再度、内田 樹氏の洞見を引きたい。
◇日本の戦後の対米戦略は「対米従属を通じての対米自立」といういささかこみいったものでした。僕はこれを個人的には「暖簾分け」戦略と呼んでいます。丁稚から手代、番頭、大番頭と出世して、忠義を尽くした店員が暖簾分けを受ける。
 アメリカが日本への支配力を弱めたら、そのときには憲法を自主的に改定し、軍備を固め、もう一度主権国家として立つという「夢」を持っていました。◇(『街場の戦争論』から抄録)
 この卓説以外に、首相を筆頭に集団憑依した現政権の執着を合理的に解明する言説を知らない。つまりは、「従属を通じての自立」というアクロバティックな戦略だ。となれば同意はできぬが、動機は大いに腑に落ちる。
 10年の『邪悪なものの鎮め方』には次のようにある。 
◇安倍内閣が主導した改憲運動の狙いは、九条二項を廃することだが、その直接の目的はアメリカの海外派兵に自衛隊を差し出すことである。戦後六〇年間、これほどアメリカに尽くしてきたのにまだ「自立」を認められないのは、「アメリカのために日本人が死んで見せないからだ」と思い込んだ政治家たちの結論である。私はこの思いをある意味で「可憐」だと思う。
 世界中から理解されないまま、それでも日本人はこれからもアメリカに尽くし続けるだろう。そして最後には「ここまで尽くしてもなお信じてくれないなら、こうなったら日本はアメリカのために滅びてみせましょう」というシアトリカルなエンディングを迎えることになるのだろう。日本人は「こういうの」がたいへん好きだから。改憲運動に伏流する情緒は「心中立て」である。
 日本人が心の底から欲望しているのは一度は「アメリカに心中立て」して死んでみせ、そのあと亡霊となって蘇り、アメリカを呪い殺すことだからである。これはほんとうである。◇
 アメリカと心中する「シアトリカルなエンディング」は異説でも空論でもない。「“暖簾分け”戦略」の理路を延伸すれば、巧まずして行き着くコロラリーだ。だから、「これはほんとうである」。如上の達識を下敷きにすると、代表的マターである「違憲」も「リスク」も「法的安定性」も、さらには「徴兵制」までもが闡明になってくる。まことに炯眼は世の亀鑑である。
 一つ付言したい。
 この安保法制論議の中でほとんど俎上に載らないマターがある。「空」の問題だ。空自に係わる事柄についてである。国会論議でもほとんどが海と陸、空は出てこない(空中給油は少し取り上げられたようだが)。なにより与党協議で挙げられた15事例の中には空は一例もない。まるで空中戦はあり得ないかの如きだ。なぜか。ここが一番危険だからだ。陸海空では空の迅速性は抜きん出ている。それが売りでもあり、現代戦は空爆から始まるのが通例だ。平時でもスクランブルは茶飯事であるし、相互の主張する空域の際で接触する可能性は極めて高い。空自は常に一触即発の状況に身を置いているといってよい。しかも、トリガーを引くかどうかは隊員の一瞬の判断だ。お伺いを立てている暇(イトマ)はない。ひょっとしたら、集団的自衛権行使の新3要件を導出する場合があるかもしれない。3要件が揃ったから行使するのではなく、逆に行使に先だって3要件を揃えてしまう可能性があるのではないか。と、そのような“現実的”想定を論議すると際限なく危なくなる。もちろん成立も危なくなる。だからスルーしようとしているのではないか。真面目な論議とはいい難い。
 元自衛官であった浅田次郎氏は04年のイラク派遣に際し、こう綴った。
「今さら軍隊だなどと、簡単に言ってほしくはない。外国人の采配に従うほど安くもない。自衛隊は名誉ある不戦の軍隊である。」(「かわいい自分には旅をさせよ」から)
 国の面子を保つために安請け合いなどしないでくれ。「名誉ある不戦の軍隊」たる矜恃を「今さら」捨てるわけにはいかない……。重い言葉だ。 □


第3惑星

2015年07月26日 | エッセー

 皮肉なことに“ニューホライズンズ”が打ち上げられて7ヶ月後、冥王星は惑星から「準惑星」にランクダウンされた。軌道周囲から他の天体を一掃しているという惑星の基準に悖るため、国際天文連合がそう断を下した。しかし健気なもので、9年と半年ひたすら48億キロを飛びつづけてついに彼の星を捕らえた。富士山級の氷の山や日食の写真を始め、今後16ヶ月をかけて膨大なデータを地球に送ってくる。
 これも皮肉なことだが、これから“ニューホライズンズ”はさらに太陽系の外縁へ向かい、ゆくゆくは太陽系外へと飛び出していく。冥王星でホライズンは終わりではないのだ。いつまで経ってもニューホライズンは尽きない。お役御免とはいかない。だから名が複数形になっているのかもしれぬが、ご苦労なことだ。旅の無事を祈りたい。
 PLANETとは、ギリシャ語の“プラネテス”を語源とする。放浪者の意だ。古代ギリシャ・ローマ以来の西欧天文学は1世紀にエジプトのクラウディオス・プトレマイオスが集大成し、16世紀に「コペルニクス的転回」を遂げるまで約3千年の歴史があった。
 今でこそ嗤うが、天動説は常人の常識に適う科学であった。大地に立って天空を見上げれば、日輪を始め星々こそが移ろうと映ずるはむしろ尋常であったろう。天動説はその俗識の上に緻密な数理的理屈で複雑に構築された。神が造り給うた宇宙は完全無欠である。表徴すればそれは円だ。円運動である。確かに太陽と地球の関係はこれで過不足なく訳合がつく。問題は水星、火星、外の天体である。円運動をしていない。時として逆戻りすら見せる。自儘に移ろうが如くであり、まさに「惑う」である。上手い訳語である。
 プトレマイオスの“打開策”はこうだ。地球のまわりに円周がある。その円周上に小さな円があり、その円を惑星が廻る、と。説明はつくが、雑駁だ。惑うような動きを正確に補足できない。そこに登場したのがコペルニクスであった。円周の軸を地球に替えた。コペルニクス的転回である。
 興味深いのは、神学者であったコペルニクスは円運動の呪縛から抜け出せなかったことだ。神の御手(ミテ)に成らざる楕円という発想に至ることはなかった。あくまでも円である。それで楕円運動を記述しようとするから、勢い粗くなる。なお辻褄を合わせようとするから、ど壺のような複雑さに落ち込む。惑星の位置に関する彼の計算は精度に欠けるものだったらしい。後ケプラーが楕円軌道に辿り着き一気に挽回するのだが、この時点では3千年の蓄積を誇る天動説が抜きん出ていたそうだ。だからコペルニクス的転回は目を瞠るほどの大技ではあったが、決してきれいに決まったわけではなかった。世に先入主はそれほどに拭い難いということか。
 さらに興味深いのは、コペルニクスを排斥したローマ教会が内部で密かに地動説を研究していたことだ。改暦に際して正確を期すためだったらしい。逆にルターもカルヴァンもプロテスタントはコペルニクス理論を一笑に付し、一顧だにしなかった。改革派が見せたこの頑冥は、世上の権威を否定するために天上に直結するファンダメンタリズムに還らざるを得ないということか。人間を動かす力学はまことに一筋縄ではいかない。怪奇に満ちているというべきか。
 翻ってわが太陽系第3惑星を省みれば、軌道といわず住人たちの行く末が定まらない。“惑”える星を地で行くようだ。幾度殺し合をしても懲りない面々で満ち溢れている。“ニューホライズンズ”が報せてくれたように、少なくとも太陽系内にはヒトの暮らせる星はないというのに。 □


『産経な意見』でいいのか?

2015年07月22日 | エッセー

 強行採決の明くる日、7月16日に産経新聞は<【安保法案・検証116時間】安倍首相、危機直視「国民守る」 支持率下落も覚悟し信念貫く>と題する記事を載せた。
 政府広報紙と見紛う論旨に怒りを覚える。権力との間合いをどうきるかがジャーナリズムの骨法であろうが、切りすぎると舌鋒は空を切る。だが、ここまで詰めると権力への牽制は無きに等しい。
 要点を挙げ、オブジェクションを呈したい。
〓内閣支持率の下落も覚悟して衆院特別委員会での採決に踏み切ったのはなぜか。答えは、首相が特別委で語った次の言葉にある。「国民の声に耳を傾けながら、同時に国民の生命と幸せな生活を守り抜いていく責任を負っている。私たちの使命は何かを黙考しながら進めていく」〓
 国会議員は「国民の声」を代表する。「早く質問しろよ」は、「国民の声に耳を傾けながら」にふさわしい言辞であろうか。辻元議員の術中に嵌まったといえなくもないが、これでは“永田町のヤンキー”と言われても仕方ない。コンテクスト上「幸せな生活」とは“今の”国民生活を指していることになるが、一体どこの国民の話なのだろう。

〓首相は9日の講演では、祖父の岸信介元首相が昭和35年、安保関連法案よりはるかに大きな反対と緊張状態の中で日米安保条約改定を成立させた経緯に言及し、こう述べていた。「祖父は50年たてば理解されると言っていたが、25年、30年後には多数の支持を得られるようになった」確かに、世論調査で支持が高い政策にばかり取り組んでいれば国民受けはいいかもしれないが、それだけでは日本の安全は守ることなどできはしない。たとえ、その時点ではまだ「国民の十分な理解を得られていない」(首相)としても、政治家は「今そこにある危機」から目をそらしてはいけないというのが首相の信念なのだろう。〓
 「50年」経って「理解される」に至った事実を挙げてほしい。「25年、30年後には多数の支持を得られるようになった」という明確なエビデンスをお示し願いたい。「多数の」忘却があったことや既成事実化に慣れたことは認めよう。だが“55”年経っても「多数の“不”支持」や「理解され“ない”」現実に直面しているのは、他ならない元首相の孫たる現首相本人ではないのか。「国民の十分な理解を得られていない」と言ったのは誰なのか。集団的自衛権とは岸の狙った日米安保の双務性に起因する、もしくはその延長(十全なる完成を目指す)にあるマターだ。今問題が吹き出しているのは、紛れもなく60年の安保改定が「理解される」に至っていない何よりの証左ではないか。
 また「大きな反対と緊張状態」を惹起しのは、改定の中身というより広範な反対運動によって潰えはしたものの「警察官職務執行法」改定を企てた強権的手法による。そういう事の経緯を見落としてはならない。公家顔に似合わぬ強権的手法は隔世遺伝ともいえるほど酷似している。

〓現に中国は、国際的な非難をものともせずに南シナ海で7つの人工島をつくり、東シナ海でも日中中間線に沿って海洋プラットホーム建設を進めている。一方で米国のオバマ大統領は2013年9月、「米国は世界の警察官ではない」と述べ、それまで米国が世界で担ってきた安全保障上の役割を後退させる考えを表明している。厳しさを増す国際環境にあって、「もはや一国のみでどの国も自国の安全を守ることができない」(首相)。北朝鮮は核・ミサイル開発を継続する一方で、国内情勢は混沌としている。日本としては、米国をはじめとする友好国との連携を深め、共同でさまざまな事態に対処するしかないのは自明のことだ。一連の審議をめぐっては、野党やメディアの一部からの「拙速」との批判も少なくなかった。ただ、それは彼らの方に決定的に問題意識と危機意識が足りないだけではないのか。〓
 首相も高村副総裁も多用する「木を見て森を見ない論議」というお得意のフレーズを借りるなら、中国は大国化しているのではなく大国に戻りつつあるといえよう。それが、木を見ず森も遙かに森林系を見るということだ。
 毛沢東の朝鮮出兵は、久方ぶりに中国統一を果たした隋の文帝が高句麗討伐によって中華秩序を再建し自らの天命の正統性を証明しようとした歴史に類似するという識者がいる。同じく、小平による改革・開放路線は成立間もない前漢王朝が対外拡張を封じて国内経済の回復に専念した「文景の治」に近似するという。ならば、武帝の世となって蓄積された圧倒的な国力を背景に周辺諸国への侵略を始めた史実は刻下の習近平時代といえようか。加えて、小平の特異さは中国にとって初となる海洋戦略を構築したことだ。大陸に併せ海洋にも覇権の樹立をめざした点にある。
 世界には大国・中級国・小国がある。自ら秩序をつくる大国、つくれはしないが秩序を維持する中級国、両方適わぬ小国の三つである。米ソ両大国の時代から、すでに世界は米中二大国時代に移った。日本は依然として中級国のままだ。だから、「もはや一国のみでどの国も自国の安全を守ることができない」との認識はまことに正しい。問題はどこと組もうとも軍事的リレーションが優先される現政権や産経の古典的思考と発想の貧困にある。
 グローバリゼーションは世界をまるごと市場主義経済に呑み込んでしまった。つまりは、イデオロギーから経済の時代を招来した。冷戦時代には鮮明に存在した分水嶺が無化しつつある。「同盟の相対化」、軍事的同盟の絶対性が後退しつつあると指摘する識者もいる。巨大なステークホルダーである米中の関わりと冷戦時代の米ソの関わりは構造的にまるでちがう。「米国は世界の警察官ではない」とは財政上の事情だけではない。パックスアメリカーナはとっくにベルエポックとなりつつある。そこには世界の構造変化がある。にもかかわらず、未だに冷戦時代の思考に呪縛されているとしたら悲しいほどに発想が貧困だといわざるをえない。「血の同盟」が好きなどこかの首相のなんと大時代なことか。
 抑止力についても、相手の殲滅を狙う報復的抑止から次元を変えつつある。他国に対する武力による破壊は相互に依存する自国の経済をも破壊せざるを得ない(戦争ではないが、タイの水害や東日本大震災で受けたダメージが瞬く間に世界の経済を麻痺させた事例を想起されたい)。崩壊した他国に入ってインフラから整備し直すという非合理な選択を誰が採るだろうか。同盟は相対化し、むしろ同盟を超えて相互依存関係をシステマナイズしていく時代を迎えている。これらは現代に常識化しつつある知見の一端である。
 「国内情勢は混沌としている。日本としては、米国をはじめとする友好国との連携を深め、共同でさまざまな事態に対処するしかないのは自明のことだ」とは、周回遅れの世界認識ではないか。
 今さら世界の大国はもとよりアジアの大国さえ望むべくもない。鮮やかな戦後復興と80年代の一瞬の栄光が「失われた20年」で相殺され、鬱屈の末に鎌首を擡げ始めたのが戦前的価値観というゾンビではないのか。戦後70年の歴程をどのように捉えるのか、先ずはドラスティックな問いかけが肝要だ。
 産経が北朝鮮について「共同でさまざまな事態に対処するしかない」というのは、どのような「事態」を想定しているのだろう。「事態に対処」では、問題の立て方がちがう。「事態を防ぐ」ではないのか。この国の統治形態からいって、最悪の「事態」は暴発である。軍事的対応はまったくの逆効果だ。事態が発生したらもう手遅れなのだ。海の只中で裸身を晒す日本列島の物理的特性からいって防禦は至難だ、いや不可能だ(稿者は、だからこそ“フルスペック”の「平和国家」への要件を満たしていると捉えたいのだが)。「彼らの方に決定的に問題意識と危機意識が足りないだけではないのか」と大見得を切るためには、稚拙な軍事的対応しか導出できない「問題意識と危機意識」の不足を補う必要がある。20世紀にもなって主権国家の国民が人攫いに会う。それほど本邦の国土は脆い。それを痛いほど見詰める視線は産経の大見得には酌み取れない。果たして「足りないだけ」なのは、どちらの「意識」だろうか。
 括りに、見出しの「信念貫く」はそんなに大層なものではなく、単なるパラノイアに過ぎないことを付記しておきたい。

 安保法制が必要と考える国民の約4割の平均値は『産経な意見』に集約できるのではないかと邪推し、愚案を綴った。 □


換骨奪胎

2015年07月17日 | エッセー

 よく見知っている人が変装擬きの格好をして雑踏を歩んでいる。すれ違って数歩、「ん!」と見返る。後ろ姿は紛れもなく“その人”だ。でも、遅い。気づいた時には、もう人混みが彼を呑み込んでいる。
 そんな塩梅だった。
   〽みついすみとも びざかーど らら らーらー
 斎藤工の「大学生・通学篇」。彼が吊革に掴まりながら、突如歌い始める。と、なんと同じ車両に乗り合わせた皆さんも声を揃えて大合唱。隣の大学新入生が「あの、やっぱり持ってたほうがいいですか?」と訊く。ホームでの別れ際、「これからの君の生き方次第だな」と斎藤くんが言い残して会社へ。行き摺りの歌、そして一会(イチエ)の言葉。なんともカッコいい。
 お判りであろう。『人間なんて』である。替え歌というには忍びない。ミュージックシーンに高々と聳えるこの金字塔に、それでは礼を欠く。ここは「換骨奪胎」と呼びたい。
 よく「焼き直し」の意で誤用されるが、本来は独創性を讃えたものだ。俗人の骨と胎すなわち身体を取り替えてありがたき仙人になるとの原義から、古人の詩文を基に創意を加え独自の作品と成すをいう。してみれば、44年前の作品がクレジットカードなる今風の創意を得て見事に独自の世界を謳っているといえよう。立派な換骨奪胎である。
 吹石一恵による「新入社員・初出社篇」もある。部長(たぶん)も交えて広いオフィスが、社員食堂が、合唱の渦に包まれる。なんとも壮大である。
 1971年8月8日、岐阜県椛の湖畔で開催された第3回「全日本フォークジャンボリー」でレジェンドは生まれた。突然、サブステージの音響がトラブった。演奏中だった拓郎は構わず生音だけで『人間なんて』を歌い始める。メインステージからも人が押し寄せ、拓郎が煽りオーディエンスが応える。トリップのように延々と同じフレーズが繰り返される。なんと2時間。ついに世紀の金字塔が屹立した。
 斎藤くんも一恵ちゃんも81、82年生まれ。知る由もなかろう。作詞・作曲:吉田拓郎。原詩はこうだ。

   〽なにかがほしいおいら
    それがなんだかわからない
    だけど何かがたりないよ
    いまの自分もおかしいよ

    そらにうかぶ雲は
    いつかどこかへとんでゆく
    そこになにかがあるんだろうか
    それは誰にもわからない

 ひらがなにインパクトがある。当たり前の問い掛けなのに正答がない。そのような事情にピッタリだ。挟み込まれ、リフレインされるのが
「人間なんて ラララー ラララ ラーラー」
 のフレーズである。“ラララー ラララ ラーラー” これは青春の懊悩、そのオノマトペに違いない。今それがクレジットカードの謳い文句。しかも「これからの君の生き方次第だな」とか、「それは自分で決めればいいんじゃない」などと人生論の片鱗まで被せてくる。メロディーは耳朶に焼き付いて離れないジングルのよう。憎い作りだ。
 88年、一世を風靡したコピーがあった。
「ほしいものが、ほしいわ。」
 糸井重里による西武百貨店のCMだ。
──ほしいものはいつでも
  あるんだけれどない
  ほしいものはいつでも
  ないんだけれどある
  ほんとうにほしいものがあると
  それだけでうれしい
  それだけはほしいとおもう
  ほしいものが、ほしいわ。──
 これもひらがなが効いている。言っていることはひどく理屈っぽいのだが、かなの字面が中和している。
 頃はバブル期の走りであった。社会のありようを鋭く抉った大傑作コピーである。内田 樹氏が『街場の憂国論』(晶文社)で、このコピーに触れている。
◇(自家用ジェットは何機もっていても一機にしか乗れない)かように身体が欲望の基本であるときには、「身体という限界」がある。ある程度以上の商品を「享受する」ことを身体が許してくれない。そのとき経済成長が鈍化する。そうなると、人間は「身体という限界」を超える商品に対する欲望を解発しようとする。八〇年代に「ほしいものが、ほしいわ。」という画期的なコピーがあった。これは身体的な欲望がほぼ膨満状態に達し、経済成長が鈍化せざるを得ない現実を活写した名コピーだったと思う。そのあと、市場は消費者たちの「満たされない欲望」に焦点化して商品展開を試みた。それが「象徴価値」を価値の主成分とする商品群である。その商品を購入することが、そのひとの「社会的な立場」を記号的に示し、他者との差別化機能を果たすような商品群(いわゆるブランド品)である。アイデンティティ指示商品といってもいい。欲望の対象を記号に特化したことによって、商品は身体という限界を乗り越えた。資本主義は最終的に人々を「金を持っているが、使い道がない」という、ニルヴァーナ状態へと差し向けることになったのである。◇(抄録)
 明察、ここに極まれりである。後、事態は更に亢進し「使い道がない」金で「使い道がない」金を買うマネーゲームへと狂奔。ニルヴァーナから再び餓鬼、畜生道へと舞い戻った。なれの果てがリーマンショック。ざっと、そんなところか。ところが刻下“アホノミクス”と称して、性懲りもなくまたもや人為的にバブルを引き起こそうとしている某国の政権がある。だから、やっぱり
   〽人間なんて ラララ ラララララ
 ここは換骨奪胎なしで、みんなで大合唱しよう。もちろん永田町に向かって。 □


新国立競技場は現行案通りに!

2015年07月15日 | エッセー

 デザイン通りに建たない。だから“アンビルトの女王“と呼ばれるそうだ。確かに目を瞠るデザインだった。キールが2本に開閉式屋根。まるで大型帆船を俯せて、船底から海底を覗くように空が広がる。アニメでもこうまで絵は描けまい。案の定、当初の1300億円ではとても無理だと判明。昨年、大幅に規模を縮めた。1625億円に減額はしたが、なんだか亀の甲のようになった。それでもつい最近2520億円は下らないことが分明となり、大きな物議を醸すに至っている。
 だが、ここは熟考が必要だ。確かに各種世論調査では8割が反対だという。しかしこの期に及んで建てられませんでは、世界に顔向けができない。デザインを決めたのはノツボ政権の時代だったとはいえ、五輪招致のプレゼンで“ニュー・スタジアム”を切り札の1つとして大いに持ち上げたのはアンバイ君である。フクシマは“アンダー・コントロール”なんていう大嘘は言い逃れができるとしても、いかな亀の甲でも建物は現物である。万人の目に晒されるものだ。書割でも張りぼてでもない。建たないとなれば、アンバイ君の面目丸つぶれだ。なにはともあれ、一国の首相の顔に泥を塗るわけにはいかない。ここは万難を排し、あらん限りの知恵を絞って現行案のまま建設を推進すべきだ。安ければいいというものではない。いくら掛かろうと、大事なのは信義だ。ましてや世界に切った啖呵だ。ここで退いてはならないと、声を大にしていいたい。
 事後に延期する回転式屋根を含めると3000億を超えるであろう。大層な費用だ。過去4、5回の五輪メインスタジアムの建設費総計を上回る金額だ。後々の維持費も年数十億円単位である。だから、国民のほとんどは負の遺産を残してはならないと危惧している。建物ではない。そんな金があるなら、選手強化などソフトに使うべきだという。
 然りだ。もっともである。しかし13年9月ブエノスアイレスで、
「世界有数の安全な都市、東京で大会を開けますならば、それは私どもにとってこのうえない名誉となるでありましょう」
 こうアンバイ君は高らかに宣した。安全都市 TOKYO。開催はこのうえない名誉。安全のためなら、名誉に浴せるなら金に糸目は付けられぬ。家財どころか女房子供だって質においても構わない。世界から五輪を託されたのだ。ここで値切ったら男が廃る。
 さらに
「私ども日本人こそは、オリンピック運動を、真に信奉する者たちだということであります」
 と、根拠の薄い正統性を言挙げした。また
「いまも、こうして目を瞑りますと、1964年東京大会開会式の情景が、まざまざと蘇ります」
 と情感たっぷりにベルエポックを回想し、
「スポーツこそは、世界をつなぐ」
 と決めた。決まった。大向うは唸った。だから“TOKYO2020”と相成ったのである。この経緯を踏まえるなら、ツイン・キールの“ニュー・スタジアム”以外選択肢はない。ならば孟子の教え通り、「千万人と雖も吾往かん」。アンバイ君にエールを送るものである。
 ……と、ここまで来ればメタファーが透けてくるであろうか。何を何にとは、野暮になるから言わない。実はメタファーどころか、アナロジーとさえいえよう。ほとんど揆を一にしている。しかも最終盤になって俄に騒がれるとは……。
 で、ここからが本題である。
 稿者が予想するには、アンバイ君はきっと“ニュー・スタジアム”の全面見直しに打って出る。国民の声に耳を傾ける。前件は傾けなかったから、今度はしかと傾ける。失点回復、失地奪還の奇策である。前件に比すれば、政治的信念、信条の問題はない。むしろ、事ここに至っての決断は鮮やかなリーダーシップと映るだろう。M党政権の尻拭いだと、逆手に取ることだってできる。金も使わないで済む。一石二鳥どころか、一石三鳥にもなる。
 であるから、ここは何としてもアンバイ君に計画続行で走ってもらわねばならない。負の遺産は残るかもしれぬが、前件の負の遺産は文字通り命の遣り取りだ。平和の遺産が失われ、殺し殺される惨禍を考えるなら、3000億円など安いものだ。
 つまりは本日の永田町の成り行きを見るに、もはや身銭を切って暴走を食い止めるしかない。支持率を奈落の底に突き落とすしか、当面有効な手立てはない。どうか、新国立競技場は現行案通りに! と切に願う次第である。 □


ふたつの顔(カンバセ)

2015年07月10日 | エッセー

 試合が終わったバンクーバーのピッチでも、戻ってきた成田でも晴れやかな顔(カンバセ)をした選手が一人いた。澤 穂希である。
 ソチ五輪のキスアンドクライで銀メダルが告げられた刹那に見せた金妍児の涼やかな表情と重なった。両人とも引退を表明して臨んだ最後の舞台だった。荷を降ろした人間が醸す開放感は、これほどひとを和ませるものか。二人が背負ってきた荷は過剰に蝶蝶しい“物語”だったのではないか。自らが紡ぐ以前に他人が勝手に作り上げた物語。その物語を生きねばならない息苦しさ。今やっと自らの人生が自らの手元に戻ってきた、その開放感だったであろう。
 だが今なお一人の氷上のアスリートが囂しい“物語”に呻吟している。ソチで見せたフィニッシュの涙の顔(カンバセ)が、ひどく愛おしく頻りに甦った。
 12年8月の拙稿を引きたい。

 澤 穂希の顔について考えている。
 33歳にしては老け顔である。かつ、33歳にしては当今の同年配女性にはない顔立ちである。ピッチではノーメークだから(おそらく)、素のままの顔である。地顔がコンテンポラリーではなく、ノスタルジックなのだ。
 昭和初期の女性の顔だ。美醜の問題ではない。団塊の世代に引き寄せていえば、「三丁目の夕日」の顔である。生きるために鎬を削っていた市井の女たち。低い位階に耐えつつ家を、社会を支え続けた母たち。拙文を引けば、「『坂の上の雲』をめざして登攀している時が、一番清々しいともいえる」時代の一典型だ。それがハングリーでマイナーであった頃の女子サッカーの事況にオーバーラップする。
 邦人アスリートの中で際立つ澤の面貌に、団塊の世代は一種の郷愁を覚えるのではないか。“あの頃”街中を忙しなく行き交っていた、甲斐甲斐しく働くおばさんたちの顔だ。その一事をとっても、“希”なる人材といわねばなるまい。(「ロンドン雑感<承前>」から)

 ともあれ、味のある顔がピッチから消える。淋しくもあるが、次の人生のフェーズへの門出を祝いたい。
 残るのは、バトンを受けたキャプテン宮間あやだ。彼女も昭和の生まれで、コンテンポラリーな面相とは言い難い。ノスタルジックとどう区別するのかと問われても明答はできない。失礼だが、如上の「おばさんたちの顔」への近似というほかにない。誤解しないでほしい。決して揶揄ではない。「団塊の世代」にとってより強く郷愁を誘うお母さんの容貌だ。しかし、こちらの表情は無念に満ちていた。女子サッカーをブームから文化にしたいといい、バンクーバーでの優勝がそのスタートだと熱く語っていた。志半ばの結果はピッチで次のフェーズを迎える。
 「文化」とは、なでしこリーグの隆盛だけではなかろう。ファン層の厚み、女子サッカー人口の増加。裾野の拡大、社会的認知と支援の充実。自立できる環境の整備。それらの総和としての「文化」であろう。宮間のコメントには並の選手には言えない使命感が伝わる。健全な上昇志向がある。その意味でも「昭和」だといえなくもない(異論はあろうが、戦後の歩みを大甘に視て)
 バンクーバーと成田。新旧の『昭和の顔』は好対照を見せた。その鮮やかな違いゆえ、ワールドカップの余録として敢えて記した。 □


なぜ新幹線?

2015年07月09日 | エッセー

 最新号の“週刊朝日”は、『下流老人の復讐』と題してトップに取り上げた。この焼身自殺は「一種の“自殺テロ”」だという。「35年間も真面目に年金を納めたにもかかわらず、生活保護以下の」「下流老人」であった。彼は「犯行前には周囲に、繰り返し年金の受給額の少なさと保険料や税金の高さへの憤りをぶつけていた」そうだ。負担が重すぎると、区役所で首を吊ると言って毒づいたこともあるらしい。「年金生活で鬱になっていた」という姉の証言もある。
 「下流老人」は、生活困窮支援NPOの代表を務める藤田孝典氏による造語である。「現役時代の収入が多くなく、貯蓄も底をつき、生活の助けを求めることのできる家族や友人関係もない。そういった人たちが、いざ年金だけで生活する年齢になると、突然貧困層に落ちる。試算では、高齢者の9割が下流老人になる可能性があります」と氏は言う。9割とは衝撃的数字だ。
 問題はそれだけではない。同誌によると、高齢者の犯罪は今や社会問題。暴行や傷害といった「キレる」粗暴犯が急増している。23年間で、暴行犯は約71倍、傷害罪は14倍、殺人も3.4倍に達している。しかし高齢者人口の伸びは約2倍でしかないから、その激増ぶりが解る。(以上、「 」部分は同誌からの引用)
 動機は見えてきた。だが、なぜ新幹線なのか。街頭、駅、デパート、役場や国会、やはり役場が適地か。考え倦ねていたところに、12年10月から1年強にわたった「黒子のバスケ脅迫事件」がふと過ぎった。
 “少年ジャンプ”に連載された人気マンガ『黒子のバスケ』の作者である藤巻忠俊氏や作品の関係各所が標的にされた、一連の脅迫事件である。公判で被告は罪状を認め、こう言い放った。
「私は厳罰を科されるべきだと考えている。(作者と)人生があまりに違いすぎることから、事件を『人生格差犯罪』と命名していた。日本社会は無敵の人(人間関係も社会的な地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間)にどう向き合うべきかを真剣に考えるべきだ。こんなクソみたいな人生、やってられないから、とっとと死なせろっ」(抜粋)
 噴飯物の八つ当たり、極めつけの短絡思考である。だが、『無敵の人』には怖気立つ。なんと「下流老人」こそは『無敵の人』ではないか。被告は「とっとと死なせろっ」と叫んだ割には、4年半の臭い飯を喰らう“憂き目”に会うことになった。片や、林崎春生は激しいメッセージこそ残さなかったものの、「とっとと死」んでしまった。それも赤の他人を巻き添えにして。
 「黒子のバスケ脅迫事件」は成功したマンガ家、もしくは人気の連載マンガをターゲットにした。犯人にとっては、格差の対極にある高位の象徴がそれであったのだろう。時代の寵児を『無敵の人』が狙った。そこで、奇想を廻らす。
 上掲誌を引くと、林崎容疑者の生い立ちは戦後日本人の典型だという。岩手で生まれ、兄弟は10人以上。下から3番目。中学を卒業後、集団就職で上京した。昭和30年代半ば、高度成長期で都市圏の労働者が不足していた。農村部の中卒者が「金の卵」として重宝された時代であった──。
 『三丁目の夕日』を地で行くようだが、彼が上野駅に降り立ったころは東京タワーの竣工直後であった。スカイツリーどころではない熱狂が首都に渦巻いていたにちがいない。その東京タワーは今、ベルエポックの表徴でしかない。「復讐」の場としては不似合いだ。ならば、スカイツリーはどうか。物理的には確かに高いが、杉並区が長い林崎にとっては視野に入っていなかったのかもしれない。
 1964年、昭和39年。林崎が上京して5年目、二十歳で迎えたのが東海道新幹線の開業であった。東京オリンピック直前、日本の、東京の絶頂期である。着工は1959年、奇しくも彼が上京した年だ。
 彼が鉄道マニアだったかどうかは知らない。おそらく、そうではなかったであろう。マニアなら避けるはずだ。心中するより穢したくないという心情が先立つ。「黒バス脅迫事件」の犯人が高位の象徴として無理筋の時代の寵児を選んだように、今なお南北に、東西に延び続けるいつも変わらぬ時代の寵児としての新幹線に照準を合わせたとしたら……。いつもの“エコー”ではなく、最後に買った煙草が“ラーク”。末期の一服が170円増しの贅沢だった「下流老人」。近づく再びの東京オリンピックへの狂騒と普通の乗り物になった新幹線。そのどちらとも遠く隔たった自らの境遇。「復讐」のルサンチマンは半世紀前の青春の軌跡を呼び起こし、しかもネガティヴに準った……。そして、立ち現れた射程内の高位の象徴が新幹線だったとしたら……。
 推理しているのではない。もちろん妄想に過ぎない。牽強付会の奇想である。だが、単にセキュリティーの穴を狙ったと片付けるのは淡泊に過ぎないか。彼は「下流老人」のなれの果てを犯罪的にプレビューした。地上を走る最速の機械を、何かを置き去りにして憑かれたように疾駆する社会に見立てて……。
 焼死体のポケットには掛川行きのキップが焼けずに残っていた。“のぞみ”は掛川には停まらない。事を起こした新横浜・小田原間より5駅も先だ。ひょっとしたら、なけなしの有り金を叩(ハタ)いた最遠点が掛川だったのか。周到な用意と躊躇いもない実行に比して寡黙な犯行であった。「黒バス事件」犯人の饒舌に較するに無言ともいえる。年代の差でもあろうか。閉ざされた闇は、より不気味である。 □


首を振らないハト??

2015年07月06日 | エッセー

 ついぞ凡人が考えもしないことを大まじめに考えるのが学者というものであろう。「赤ん坊はなぜかわいいのか?」を探究したのがアメリカの言語学者ノーム・チョムスキーであった(もっとも赤ん坊の時から小憎いほどの面相であれば、すでに救いがたいのだが)。13年4月の本ブログ「知の逆転」で触れた。御同類が日本にもいる。藤田祐樹氏、41歳、東大出身の理学博士である。専攻は人類学だが、なぜかハトの歩行を研究している。鳩は名が人に最も近いといい(ハトとヒトで1字違い)、好きな言葉は「首振りと世界平和」だそうだ。なんだかよくわからないが、ともかくそういう学者である。
 近著『ハトはなぜ首を振って歩くのか』(岩波科学ライブラリー、本年4月刊)が興味深い。特に科学音痴のわたしなどはそうだが、大方は予想外の答えに驚くにちがいない。詳しくは本書に当たっていただくとして、要するに視覚のためだ。世に、常時二足歩行するのはヒトと鳥だけ。ヒトは目玉(メンタマ)を動かすが、鳥は異様にデカい目玉を動かせない。だから首を振る。かつ、首を振るのは頭を静止させるためだ。──いわば「知の逆転」である。「たかが首振り」(同書で)だが、瑣末な問題も多面的に研究を重ねれば新たな発見があり豊かな世界が広がると、藤田先生はいう。
 たかがや当たり前で、捨て置いたり見過ごしている問題はないか。ついこないだも、たかが学者と鼻で笑った某政党の副総裁がいた。環境の変化を何度もアナウンスして、当たり前だと刷り込もうとする某政権もある。誑かされてはならない。船長といえども海図を無視して操舵はできない。海図を睨むのは航海士の役割だ。国の進路を過たないため、憲法という海図を睨むのが航海士たる学者の任だ。鼻で笑って、お高く構えて済む問題ではない。
 環境の変化とは、何がどう変化したというのか。冷戦時代でさえ持ち出さなかった論議を、今なぜ慌てて俎上に載せるのか。中国がかつてのソ連に取って代わったのか。今や、米国でさえ中国は最重要のステークホルダーである。アジアは火を噴かない程度で適度に揉めていてくれるのが米国にとっては最適の環境である。なぜなら、それが米国のプレゼンスが最も高まるからだ。大国のありようとはそのようなものだと見切る眼力が、環境の変化を疾呼する前にあるのかどうか。スクランブルが何倍に増えたかをヒステリックに呼ばわるだけでは、とても腰が据わっているとは言い難い。本当に腰が据わっているなら、虎の威を借りてタフネゴシエーターに徹しきれるはずだ。つまりは外交だ。環境の変化と軍事的対応が直結するのは、所詮思考停止にほかならない。第一、環境の変化とやらを導出したのは稚拙な歴史観を振り回すこちら側にも応分の責任はある。なにせポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」オツムで、何を知っているというのだろう。その程度の知的レベルで、環境の変化を過たずに捉えられるのであろうか。
 増税の延期を問えば当然、是と応える。しかも最低の投票率。それで得た絶対多数を盾に、頼みもしない進路変更をしようとする。ペテンのようなものだ。なんのことはない。環境の変化とは永田町内の環境変化なのではないか。同時に、米国からの『暖簾分け』戦略の顕著な推進を図るものではないのか(『暖簾分け』については、昨年6月の本ブログ「<承前>アメリカの呪い」で取り上げた)。喜んで肩代わりを申し出てくれて、嬉しくないはずはない。だから米議会は日本の首相に、初めての上下両院合同議会での演説という御褒美の飴玉をしゃぶらせてくれたのだ。調子に乗った某首相は宗主国への属国よろしく、宗主国の言葉で得意然とスピーチをコいた(国を愛するなら、「美しい国」の言葉をなぜ使わなかったのだろう?)。
 蟻の一穴という。水圧が上がれば、やがて破れる。分度器ではたかが一度。それも延伸するほどにエラい開きになる。もう、「たかが」では収まらない。そんな当たり前過ぎる常識が置き去りにされようとしている。
 誤りのない視覚を確保するために首を振るハト。ところが永田町のボスハトは首を振らない。だから視覚に異常を来しているようだ。こんなハトは亜種、いや異種にちがいない。平和の象徴とは対極にいる。おかげで、こちらのハトたちは豆鉄砲を食ったかのよう……。
 なるほど。先生の意図は知らぬが、これで「首振りと世界平和」が繋がった。 □


即刻、筆を折るべし

2015年07月01日 | エッセー

 百田尚樹のトンデモ発言を糾弾する声が相次いでいる。普天間基地についての無知、レイプ犯罪についての不見識、それに議員の言論弾圧を呼びかける暴言への幇間のような追従。一々に明確なエビデンスを挙げての論駁が、マスコミや地元沖縄で燎原の火の如く広がった。それは措く。悲しくなるのは、まずは松井一郎・大阪府知事のコメントだ。
「自民党をたたくのはいいが、講師として行った百田さんにも表現と言論の自由はある。ここぞとばかりに復讐する朝日と毎日は、百田さんの表現と言論の自由を奪っているのではないか」
 見当違いも甚だしい。産経以外の主要紙は百田発言を批判している。だが発言の中身を論難しているのであって、発言を封じよと主張しているわけではない。新聞を「潰せ」と呼ばわるのとはわけがちがう。批判と封殺。この知事は意図的に混同しているのか、それとも知恵が回らず理解できないのか。まことに残念で、悲しい。
 さらに悲しいのは、百田自身の反論だ。
──「百田尚樹の発言は言論弾圧だ!」と叫ぶが、私が同じ懇話会で、「マスコミに圧力をかけるのはダメ」と発言したことは、まったく報道しない。
  議員が「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」と言った時、僕はその場で「それやったらダメです」とはっきり言いました。
 潰せ、というのは人気がなくなって欲しいということ。決して物理的な力や公権力をもって潰す意味ではなく、それは絶対にやってはいけない。──
 百田作品については本ブログで、煮え湯を飲まされた経緯を何度か取り上げた。根は放送作家だ。大向うの涙腺構造だけは知悉しているらしい。“なんとかのゼロ”なぞは要するに、泣き落として安っぽいナショナリズムに引きずり込もうという算段だ。惑わされてはいけない。この泣き言めいた言い訳自体がいつもの筋書きではないか。なにより、特定の状況での発言は同定のバイアスが掛かって伝えられるのは世の常人の常だ。付帯的言辞がバイアスによって容易に捨象されることぐらい、言葉に生きる人間なら弁えて当然だ。それを今さら託言を労するとは、なんとも情けない。
 昭和44年、司馬作品を基にした映画『人斬り』が話題になった。劇中、三島由紀夫扮する薩摩藩士・田中新兵衛が壮絶な切腹をして果てる。暗殺現場に残されていた刀が新兵衛の愛刀であったことから嫌疑が掛けられた。その吟味の最中(サナカ)、突きつけられた証拠の愛刀で突如無言のまま自刃に及ぶ。際立って鮮烈なシーンだった。三島自身の自決が翌年であったことからも、特に印象に残っている。
 武士の命を逸失し、それを事件の捏造証拠に使われた。真偽以前の武士の名折れであり、申し開きはできない。それが動機であったろう。
 刀は武士の命、言葉は作家の命だ。舌禍は作家の名折れではないか。とはいっても、なにも百田に腹を切れといっているのではない。すぐにおめおめと言い繕いをするような男にそんな意地は毛頭あるまいし、第一小汚い亡骸なぞ想像したくもない。ならば、どうするか。だからせめて筆を折れというのだ。嫌だというなら、千歩、万歩譲って休筆でもいい。そうだな、期間は50年でどうだ。これ以上は負けられない。かつての一瞬間ファン(慚愧に堪えないが)からのせめてもの忠告である。
 翻って、一昨月、自民党の若手ハト派議員らによる勉強会「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」というやたら長い名前の会合がもたれた。講師は日本ペンクラブ会長の浅田次郎氏であった。浅田氏は、7月の首相談話について「『過去において侵略した』という言葉は使った方がいい。子や孫やその後まで問題の申し送りをして恨みを残してはならない。『侵略』という言葉を入れるべきだ。中国が待っているのはこの言葉だ。それでお互い大人になれる」と語った。
 代表作『蒼穹の昴』をはじめ、中国の近現代史に取り組んできた作家である。その該博はつとに有名だ。実に勘所を押さえた見事な提言である。何度か引用した内田 樹氏の卓説が浮かぶ。
◇もし一方が(できれば双方が)、自分の権利請求には多少無理があるかもしれないという「節度の感覚」を持つことである。エンドレスの争いを止めたいと思うなら「とりつく島」は権利請求者の心に兆す、このわずかな自制の念しかない。私は自制することが「正しい」と言っているのではない(「正しい主張」を自制することは論理的にはむろん「正しくない」)。けれども、それによって争いの無限連鎖がとりあえず停止するなら、それだけでもかなりの達成ではないかと思っているのである。 「いいから、少し頭を冷やせ」というメッセージが政治的にもっとも適切である場面が存在する。そのような「大人の常識」を私たちはもう失って久しいようである。◇(「昭和のエートス」から抄録)
 百田を難ずるに会長を引き合いに出すのは勿体ないが、比するに百田のなんと卑小なことか。小知恵はあっても大知恵がない。お涙頂戴は書けてもなお生きる人間の真実は描けない。作文と小説の違い、ここに極まれりだ。繰り返そう。
 即刻、筆を折りたまえ。 □