ことしは桜を見そびれた。だが、晩春の菜の花には間に合った。
可憐とはいえない。無骨でさえある。楚々ともいえず、群棲に息を呑む。艶やかな桜木の後を受け、野を黄(キ)の絨毯が敷きみつ。主役にはならずとも、春の書割には重用される。
菜の花や月は東に日は西に
蕪村は、夕間暮れの天空に行き交う二筋の火先(ホサキ)を菜の書割に鮮やかに写し取った。桜ではおのれが立ち過ぎてできぬ芸当だ。
〽菜の花畠に、入日薄れ、
見わたす山の端、霞ふかし。
なぜか琴線を掠るこの唄は『朧月夜』と題する。菜の絨毯はまたしても脇役だ。
菜は、爪と木を会意し木の実をもぎ取る「采」を字源とする。食に出自をもち、今なお膳に供される。だから色香からは遠いのかもしれぬ。
蝦夷地の干鰯(ホシカ)と瀬戸内の綿畑。菜の花が群れ咲く淡路島の沖を奔る北前廻船。金肥を求めて高田屋嘉兵衛の船が征く。やがて物語はロシアへと舞台を拡げる宏壮な展開をみせる。司馬遼太郎の大作『菜の花の沖』だ。
氏の命日を「菜の花忌」と呼び、東大阪市の「司馬遼太郎記念館」や周辺が菜の花で飾られる。作品名に来由するとともに、野に咲く黄色い花を愛でた文豪を偲ぶ慣わしだ。一昨年この記念館を訪った晩冬、その名残を目にした。胸奥に納めた忘れ得ぬ一葉となった。
今月二十三日、「天声人語」は熊本地震のある被災者の声を伝えていた。
被災後、身近な鳥の姿に目がいくようになった。昼間に鳴くウグイス、巣作りに励むカラス、夜に飛ぶフクロウ。「今まで時間に追われて気にさえしてこなかった自然の営みが、震災後はいとおしく感じるようになりました」
災害だけではあるまい。たとえば病。己(オノ)が命と正対せざるを得ない時、人は「自然の営みが、」「いとおしく感じるように」なるのではないか。
〽春風そよふく、空を見れば、
夕月かかりて、にほひ淡し。
凜と張り詰めた琴線は野の花にも誘(イザナ)われ、黄昏の淡いにほひをも逃さない。いのちと自然はそれほどに踵を接している。そう気づかされた暮春の菜の花であった。 □