伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

闇営業と闇社会

2019年06月29日 | エッセー

 どうも「闇」に混用があるようだ。「闇」営業とは所属する事務所を通さないで仕事をすることだ。「闇」社会、「闇」組織、反社会的勢力から仕事を請け負うことではない。メディアは「反社会的勢力」という言い回しを使っているが、「闇営業」に引き摺られて両者が頭の中で入り交じっているのかもしれない。この問題は二つに切り分けねばなるまい。
 闇営業であれば吉本と芸人との関係であって、オーディエンスには関係ない話だ。当方には知ったこっちゃない事情で贔屓が画面や舞台から消されるのはむしろ迷惑な話である。なぜ、そんなとばっちりを蒙らねばならない? 理不尽ではないか。
 いや吉本との契約があるとのご意見もあろうが、それこそ知ったこっちゃない。不可逆で圧倒的な力関係の中で結ばれる契約の適否こそ問われるべきではないか。生殺与奪の権を握られてまともな取り決めができるだろうか。寡占状態にある巨大プロモーターの収奪構造こそイシューとして浮上させるべきだ。吉本がさかんに「反社会的勢力」を言挙げするのは批判の矢を避けようとする底意があるように見えてしょうがない。
 「働き方改革」の時代である。ソフトバンク、ヤフーなど、今や大手企業でさえ副業解禁の流れにある。タレント6千人を擁する吉本もここは一番、太っ腹を見せてほしいものだ。「いや、解禁すればすぐに闇の餌食になる」との声もあろうが、だから「太っ腹」と言っている。
 二つ目、闇社会との繋がり。これは「芸人に倫理感を過剰に期待すべきではない」の一言に尽きる。このフレーズは小稿で何度も繰り返してきた。今度も同じだ。引用する洞見も同じである。
 〈芸能者の発生した基盤は、わが国では、支配王権に征服され、妥協し、契約した異族の悲哀と、不安定な土着の遊行芸人のなかにあった。また、帰化人種の的な<芸>の奉仕者の悲哀に発していることもあった。しかし、いま、この連中には、じぶんが遊治郎にすぎぬという自覚も、あぶくのような河原乞食にすぎぬという自覚も、いつ主人から捨てられるかもしれぬという的な不安もみうけられないようにおもわれる。あるのは大衆に支持されている自己が、じつはテレビの<映像>や、舞台のうえの<虚像>の自己であるのに、<現実>の社会のなかで生活している実像の自己であると錯覚している姿だけである。〉(吉本隆明『情況』から)
 “彼ら”に「遊治郎」や「河原乞食にすぎぬという自覚」は皆無であろう。それどころか、斯界の花形かのようなとんでもない誤解の内にあるように見える。中にはTVメディアのオピニオンリーダーを気取る遊治郎風情もいる。もちろん職業に貴賤はない。ないが、立ち位置はあるはずだ。弁え、だ。人気を上昇気流にしてそこいら中を飛び回られては困る本物の鳥さんたちがいることを忘れてはならない。なにせ毎日が『新春スター隠し芸大会』であり、来る日も来る日も芸人による『ニュース解説』では早晩見向きもされなくなる。芸人が平然と余芸で荒稼ぎする。これは紛れもない倒錯であろう。
 河原とは社会の埒外の謂だ。だから河原を出自とする芸人と闇社会との親和性は元来高いはずだ。社会史的にも長きに亘って互いがステークホルダーであった。この度吉本興業がコンプライアンスを強く「決意」するのは多としたいが、べからず集だけではアプリオリな親和性は超えがたいだろう。
 もう一点。会場に入った瞬間、いな誘いが掛かった瞬間、「おかしい」と気づかなくてはならない。本物の芸人ならそれくらいの職業的勘働きがあって当然だ。客席の微細な変化に即応しつつお笑い芸はなされる。金子に目が眩んだとはいわぬが、芸人としての資質が著しく劣化している事実は目を覆うばかりだ。
  かつてムーディ勝山くんは「右から来たものを左へ受け流す・・・」と歌って一世(正確には一瞬を)を風靡した(07年5月 『なぜ、おもしろいんだ!?』で取り上げた)。久しぶりに報道でその名を目にし、懐かしくなった。あれから12年、まだいたんだ! 今度は「左から来たものを右へ受け流す」つもりだろうか。 □


再び、「捕まって」??

2019年06月24日 | エッセー

 〈一目散に逃げる泥棒に「こら、待て!」と呼ばわっても、待つはずはない。待てない事情があるからだ。無理な注文はほかにもある。
 犯人、逃亡中。マイクを向けられた近隣住民が、一様に「早く捕まってほしい」「早く捕まってくれないと不安」などと応える。
 これもおかしくないか。「早く捕まえてほしい」「早く捕まえてくれないと不安」と言うなら解る。犯人は捕まりたくない已むに已まれぬ事情があるから逃げている。なのに「捕まってください」とお願いして、どうする。自首を勧めているととれなくもないが、コンテクスト上無理がある。冒頭の「こら、待て!」のほうが、まだ理に適う。「待つ」のが誰だか明確だ。ところが、「捕まって」は不得要領だ。犯人が「捕まる」が転じて「捕まって」となったものか。「捕まえられてほしい」が真意だろうが、約め方がぞんざいで受け身表現に聞こえる。だが主客はこの上なく明確だ。捕方と咎人、その二つきりだ。犯人の親かなにかが「捕まってくれ」と懇願するのならまだしも、「捕まってください」はないだろう、という話だ。〉
 上記は14年3月の拙稿「『捕まって』??」を再録した(一部変更)。この度の神奈川逃走事件も同様であった。いや、一層「捕まりたくない已むに已まれぬ事情」が最後の場面にも露わであった。「捕まって」なぞ毫も通じる相手ではなかった。ところがどっこい、先々月三重で例外が起こっていた。
 〈万引き犯に並走「店に戻った方が」 サッカー選手が説得  スーパーで食料品を万引きして逃走した男(42)を追いかけ、チームプレーで逮捕に協力――。サッカーの鈴鹿アンリミテッドFCの選手3人が12日、津署で感謝状を手渡された。
 5月5日夕方、津市のスーパーで万引きした男に気づいた店長が、駐車場内で呼び止めると、男は店に戻るそぶりを見せたが、店長の胸を殴り、倒れた隙を見て逃げた。
 「泥棒!」。近くで店長の叫び声を聞いた一人の選手が、まず猛ダッシュで男を追いかける。続いてサンダルで駆けだした選手は、走りながら110番通報。男から「手出すぞ」と言われたが動じなかった。3人で並走しながら「余計なことしないで早く店に戻った方がいいよ」と、声をかけて説得を試みた。
 約500メートル走ったところで男は諦めて立ち止まった。道を引き返し、現場にやって来た警察官が逮捕。「人生はやり直せるよ」。3人は男にこう声をかけたという。〉(6月13日付朝日から抄録)
 大ワルとコソ泥の違いはあろうが、なんとも対照的だ。タックルも捻伏せもせず、指一本触れずに併走したのは賢明であった。店長以外は誰も傷つかなかった。それに引き返したのだから、自首といえなくもない。「人生はやり直せるよ」はこの罪状にしては少し大袈裟だが、躓きの石はより小振りにはなったにちがいない。
 神奈川と三重のケース、一緒にはできない。事の軽重がまるっきり異なる。しかし頭の働かせ方はまるっきり異なる。捕方が咎人に振り回されて、どうする。
 今回の神奈川逃走事件では捕方の失態が曝け出された恰好だが、最大の問題点は現行制度が「性善説」に立っていることだ。だから、明確な収容方法の指針は定められていない。咎人は保釈されていても実刑が確定すれば当然出頭する筈だとの「性善説」を前提にしている。要するに、検察は「捕まってほしい」と「お願い」しているに等しい。それとも「親かなにか」になったつもりだろうか。検察は今年2月の実刑判決確定後、書面や電話で複数回出頭を要請したものの4カ月間断られ続けてきたという。袖にされっぱなして1年の3分の1。「捕まってほしい」そのものではないか。いやはや能天気なことである。 □


正論じいさん

2019年06月20日 | エッセー

 以下、デイリー新潮から抄録。
 〈松阪市商店街を悩ます「正論おじさん」の正義感、精神科医が解説する“傾向と対策”  6月11日に「羽鳥慎一モーニングショー」で紹介されるや、立て続けに取り上げられた、三重県松阪市の商店街に出没する、自称89歳の爺ちゃんである。  商店街の舗道にある障害物を、1人で取り締まる爺ちゃん。駅前の商店街にやってきては、法の正義の下、舗道にはみ出た看板や幟、自転車などを注意するばかりか、勝手に移動、時には破壊まで……。
 ACジャパンが今年2月に掲載した、「その危険見えてますか」キャンペーンの、“視覚障害者の約2人に1人が歩行者との接触事故に巻き込まれています”というメッセージが書かれた新聞広告だったという。この広告を見て義憤に駆られた爺ちゃんはまず、点字ブロック上にモノが置かれているのを警察に通報。これについては、警察が応じた。だが、看板が舗道にはみ出ているといったことに、警察は商店主たちに特段の指示を出すことはなかったという。そこで立ち上がった爺ちゃんは、以後およそ4カ月、ほとんど毎日欠かすことなく商店街の見回りを実施。敷地から数センチでもはみ出た看板があれば押し戻し、幟が舗道に立っていれば「片付けろ!」と店主を怒鳴りつけ、自転車のタイヤが舗道上に飛び出していれば強制的に店内に入れてくる。たまたま店内に居合わせた客にまでコンコンと説教をするまでにエスカレート。
 「要するにね、ここは天下の公道なの。(店の外を指して)あそこに旗が立ってる、イスがある、飾り物が、棚みたいなのがある。法律によって、置いてはいけないと法規に書いてある。だから置いちゃいけないの。だから私は注意しに来た」商店も反論がしにくいため、看板を敷地内に収めることに。お陰で舗道は障害もなくスッキリしたものの、商店街としての賑わいは失せた。中には売上が激減し、店を閉めたところまで ……というのが大まかな内容である。
 頑固な爺ちゃんと一般市民はどう向き合うべきなのか、専門家に聞いてみた。「他人を攻撃せずにはいられない人」(PHP新書)などの著書もある精神科医の片田珠美氏に話を聞いた。「原因は2つ。強い支配欲求と孤独によるものです。特に支配欲求は、校長、官僚、大企業の部長職といったような肩書きのある人が定年後に起こりやすいのです」。爺ちゃんには妻がおり、かつては「法務省で勤務経験」あり、「元国家公務員」と報じた番組もあった。〉
 89ならおじさんではなく、じいさんだろう。「頑固」について、中野信子氏は近著(小学館新書『キレる!』)で深い洞察を加えている。
 前頭葉は理性を司る。自らを抑え、相手を理解して自分の振るまいを決める。この前頭葉が老化によって萎縮するというのだ。“暴走老人”の因って来るところである。だから、メンタル以前にフィジカルな要因が関わっている。さらに狷介だから“ブレない”、同調圧力に屈しないともいえるが、社会的認知を司る眼窩前頭皮質や前頭葉内側が老化により萎縮していることから起こりうる症状だともいう。同調圧力に不感になると我を押し通し人の話は耳に入らなくなる。
 さらに厄介な事態が待ち受ける。
 〈最も恐ろしいのは「自分には怒る正当な理由がある」と判断した場合です。なぜなら怒りがどんどん加速してしまうからです。実は、こうしたキレ方のほうがより激しく、恐ろしいのです。なぜなら、正義感による制裁行動は、ノルアドレナリン、アドレナリン以外にもう一つの脳内物質が関係するため、より過激になり、止めることが困難になるからです。正義感から制裁行動が発動するとき、脳内にはドーパミンが放出され、快感を覚えることがわかっています。ドーパミンは“快楽物質”とも呼ばれ、脳内に快感をもたらします。快楽からその行動がやめられなくなります。〉(上掲書より抄録)
 “正論じいさん”の正体見たりである。といってフィジカルである以上特殊なケースではない。万人が老いるからだ。発現が特徴的だったに過ぎない。明日はわが身だ(ひょっとして今日すでにか)。つまりは、そのようなメタ認知をもっておくことが緊要である。したがって、“正論じいさん”には同情はしても反感も共感もしない。
 老化をある種の退嬰化だとすると、内田 樹氏の以下の潜考は核心を突いている。
 〈度量衡は世界標準一つに統一した方が便利だという話と、すべての社会集団には固有の度量衡を持つ権利があるということは、レベルの違う話である。どちらかに片付けないと気分が悪いと言われても、おいそれとは従えない。それは「子どもの言い分」である。複雑なものは複雑なまま扱うのが大人の作法である。「ナカとって」というような無原則な言葉づかいをメディアも知識人も嫌うので、なかなかこの「常識的な落としどころ」に落ち着かないのが厄介である。〉(『潮』今月号から)
 黒白つけたがるのは「子どもの言い分」。「ナカと」るのが「大人の作法」。“正論じいさん”は「子どもの言い分」ということになる。
 さらに膝を打つ達識を引く。
 〈ナショナリストはしばしば「自分が知っていること」は「すべての日本人が知らなければならないこと」であるという不当前提を採用する。だから、論争においてほとんど無敵である。彼らの論争術上のきわだった特徴は、あまり知る人のない数値や固有名詞を無文脈的に出してくることである(「ノモンハンにおける兵力損耗率をお前は知っているか」とか一九五〇年代における日教組の組織率をお前は知っているか」「北朝鮮の政治犯収容所の収容者数を知っているか」とか)。それに、「さあ、知らないな」と応じると、「そんなことも知らない人間に××問題について語る資格はない」という結論にいきなり導かれるのである。これはきわめて知的負荷の少ない「論争」術であるが、合意形成や多数派形成のためには何の役にも立たない。〉(『武道的思考』から抄録)
 ナショナリストをある種の正義漢(屈折はしているが)だとすると、マニアックともいえる「あまり知る人のない数値や固有名詞」を振り回す「論争」術はこの正論じいさんも骨法とするところだ。じいさんは「法律によって」とは道交法276条の3だと言挙げしたそうだ。「『そんなことも知らない人間に“はみ出し看板”問題について語る資格はない』という結論にいきなり導かれるのである」。なんともピタリではないか。ただ根拠法は道交法276条の3<前照灯の灯光の色は、白色であること>ではなく、76条の3<何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに道路に置いてはならない>である。前掲書で中野氏は「脳の老化というと、記憶力の低下というイメージがありますが、老化によって記憶を司る“海馬”よりも先に、前頭前野が萎縮することがわかっています」と語っている。どうやら前頭前野のシュリンクに海馬のそれが追いついてきたようだ。
 以上、本稿は自戒を込めて綴りました。とほほ、です。 □


不屈の人

2019年06月17日 | エッセー

「二十一歳のときに医師たちから余命五年と宣告され、二〇一八年に七十六歳になった人間として、私はまた別の、もっとずっと個人的な意味で、時間のスペシャリストだ。私はあまりうれしくない意味で時の流れをひしひしと感じているし、私に許された時間は、世に言う『借りもの』だと思いながら人生の大半を過ごしてきた」
 さらりと語ってはいるが、50年の延命である。筆舌に尽くせぬ苦闘の連続であったことは想像に難くない。いな、死と隣り合わせの半世紀だったといえよう。常人なら体以前に心がとっくに折れている。最優秀の医師団やインテルのハイテクに支えられていたとはいえ、この50年は勇気なくしてはなし得なかったにちがいない。かつて小稿で「勇気とは認知革命によって得た人類の特権的能力であり、グレート・ジャーニーも勇気ゆえになし得た。個人も人類も壁を切り拓くのは勇気だ」と呵した(17年3月『勇気について』)。その剛勇が現代のグレート・ジャーニーを可能にしたといえる。
 愛嬢はこう振り返る。
「父はけっしてあきらめず、闘いに背を向けなかった。七十五歳になって麻痺が進み、動かせるのは顔のいくつかの筋肉だけになっても、父は毎日ベッドを出て、スーツを着て仕事に出かけた。父にはやらなければならないことがあり、些細なことがらに行く手を阻まれるのを拒否した」
 意志に応じぬ無情な身体を「些細なことがら」と切って捨てるのは勇気以外のなにものでもないだろう。
「私はこの惑星上で、普通ではない生き方をしてきたけれど、頭と物理法則を使って、宇宙をまたにかける旅もした。銀河系の果てまで行ったこともあるし、ブラックホールの内部に入ったことも、時間の始まりにまで遡ったこともある」
 とも述べる。「普通ではない生き方」とは不治の病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)と対峙しつつ前人未到の業績を残した「車椅子の物理学者」の謂だ。
 昨年3月の葬儀には2万7千人の応募者から千人が選ばれて列席した。障がいを抱える子どもや学生も多くいた。彼らにとって博士は自らを奮い立たせるロールモデルであったに相違ない。
 スティーヴン・ホーキング。イギリスの理論物理学者。「インフレーション宇宙論」、「特異点定理」、「量子重力論」、「時間順序保護仮説」など、過激でセンセーショナルな数々の学説を打ち立てた。かつ、最高度の理論を平易に語り社会に開いた。『ホーキング、宇宙を語る』はその代表作である。他にも講演会、海外はもとより4分間の無重力体験と、とてもアグレッシブであった。さらに社会問題への直言、さまざまな先駆的研究機関との連携も推進してきた。決して象牙の塔に安住する人ではなかった。
「ウェストミンスター寺院では、科学のふたりの英雄、アイザック・ニュートンとチャールズ・ダーウィンと並んで葬られることになったと教えてあげたいし、埋葬に合わせて、父の声が電波望遠鏡でブラックホールに向けて送信される予定だと教えてあげたい」
 と、ルーシー・ホーキング(前記の息女)は真情を綴る。
 日本も加わった国際チームがブラックホールの撮影に成功したのが今年の4月。ブラックホールはあらゆるものを吸い込んで逃がさない蟻地獄ではなく脱出可能だとした「ホーキング放射」が実証された歴史的快挙である。亡くなったほぼ1年後だ。怖ろしいほどの執念と因縁を感じずにはいられない。「父の声」は過たずにブラックホールに突き刺さることだろう。 「私が愛する人たち、私を愛してくれる人たちがいなかったなら、宇宙はうつろな世界だっただろう。その人たちがいなかったら、私にとって宇宙の不思議は失われていたにちがいない」  そう博士は謝意を口にする。しかし、頭を垂れるべきはわれわれの方だ。学説以上に驚かせ、インスパイアしてくれたこと。それは障がいを越えて進む勇気であり、不治の病をも追い風にする飽くなき挑戦だ。『どんなことがあってもへこたれない人、負けない人』と同時代を共にできた僥倖だ。『奇跡の人』ヘレン・ケラーに準えるなら、博士は『不屈の人』である。ロールモデルとしての不屈の人だ。不屈の人を前にしてどんな病も言い訳にはならぬ。愚癡や文句は赤面の至りであろう。
 博士はこう呼びかける。
「顔を上げて星に目を向け、足元に目を落とさないようにしよう。それを忘れないでほしい。見たことを理解しようとしてほしい。そして、宇宙に存在するものに興味を持ってほしい。知りたがり屋になろう。人生がどれほど困難なものに思えても、あなたにできること、そしてうまくやれることはきっとある。大切なのはあきらめないことだ。想像力を解き放とう。より良い未来を作っていこう」
 辞世の句と捉えたい。
 以上は、最後の書き下ろしとされる「ビッグ・クエスチョン── 〈人類の疑問〉に答えよう」(NHK出版、本年3月刊)に感銘を受けその一端を記した。引用もすべて同著からである。
 「ビッグ・クエスチョン」とは次の10問である。
 1 神は存在するのか?
 2 宇宙はどのように始まったのか?
 3 宇宙には人間のほかにも知的生命が存在するのか?
 4 未来を予言することはできるのか?
 5 ブラックホールの内部には何があるのか?
 6 タイムトラベルは可能なのか?
 7 人間は地球で生きていくべきなのか?
 8 宇宙に植民地を建設するべきなのか?
 9 人工知能(AI)は人間より賢くなるのか?
 10  より良い未来のために何ができるのか?
 なるほど、いずれもビッグだ。
 友人の理論物理学者キップ・ステファン・ソーン氏は頌徳の字にこう留めた。
「ニュートンはわれわれに答えを与えた。ホーキングはわれわれに問いを与えた。そしてホーキングの問いそのものが、数十年先にも問いを与えつづけ、ブレイクスルーを生みつづけるだろう。」
 難問、難関こそはブレイクスルーのとば口だ。 □


火中の栗を拾う

2019年06月15日 | エッセー

 猫が猿におだてられて火の中の栗を拾い、大火傷を負う。「火中の栗を拾う」だ。17世紀フランスの詩人ラ=フォンテーヌがフランスの諺から採った寓話である。「他人の利益のために危険を冒して馬鹿な目に遭うこと」と字引にはある(大辞林)。「猿におだてられて」がこの場合、なんとも言い得て妙ではないか。トランプお猿さんに持ち上げられて遥かイランまで火中の栗を拾いに行ったアンバイお猫ちゃん。名誉の栗にはありつけず、それどころか本邦タンカーが爆弾を喰らって火傷するというお土産まで持たせられた。まことに間抜け、馬鹿な目に遭ったものだ。今月8日の稿に「にわかにイランとの橋渡しを買って出たが恥の上塗りをなさらぬよう願いたい」と書いたばかりだ。だから言わないこっちゃない。これじゃあ、上塗りに赤っ恥だ。
 たしかにロハニ大統領は「我々は米国との戦争を望んでいない」と公言した。しかしそれは常識以上でも以下でもない。社交辞令、いや外交辞令の類いだ。NKのボスだってそれぐらいは言う。税金を使ってわざわざイランくんだりまで行って、社交辞令を聞いて帰ったってことか。
 ハメネイ師は「安倍首相の善意に疑いは抱いていないが、トランプ氏は意見交換に適した人物ではなく、答えることもない」と率直に語った。本音であろう。さらにツイッターで「米国との交渉でイランは発展に向かう」というトランプ氏から預かった伝言に、「交渉しなくても、制裁にさらされても、イランは発展する」と返した。お猿さんの威光を背負ったお猫ちゃんの俄な大物ぶりでは象さんには歯が立たなかったってことか。師のアメリカへの強い非難には足元を見せまいとする牽制や国内の保守強硬派への配慮がないともいえない。どっちにせよ、お猫ちゃんは象さんの鼻で軽く去なされたってことだ。
 タンカー攻撃にしてもイランは関与を否定している。日本に向けペルシャ湾からホルムズ海峡を抜けオマーン湾に入ったイランの外で攻撃は起きている。いつものアメリカの早とちりかもしれない。イランとアメリカを引き裂こうとする勢力による策謀かもしれない。真相は不明だが、小事を大事を引き起こすトリガーにするのは大国の常套手段だ。変な巻き込まれ方をすると、元も子もなくなる。日本が輸入する原油の8割はホルムズ海峡を通る。「エネルギー政策上の生命線」といわれる由縁だ。生命線、急所の攻防は生死を分かつ。軽いノリで済む話ではない。君子危うきに近寄らず、である。拱手傍観、洞ヶ峠も高等戦術たり得る。
 海外はどう見ているか。イラン核合意の当事国政府は静観姿勢だが、メディアは並べて訪問成果に懐疑的だ。本当の狙いは参院選での点数稼ぎだとする見方。「外交政策では選挙には勝てないが、安倍氏を実体以上に重要に見せることの助けにはなる」との歯に衣着せぬ指摘。「仲介役としての試みに失敗した。少なくとも米国が経済制裁を維持する限り、緊張は終わらない」という辛辣な見解もある。
 ともあれ熾烈な外交戦。猫の子を貰うようには事は進まない。おだてられて背伸びしては大怪我をする。猫は猫らしく猫の皮を被っていたほうがいい。 □


必読の一書

2019年06月13日 | エッセー

 是が非でも紹介したい一書がある。著者は<はじめに>でこう語る。
 〈今、もし書店にいらっしゃるなら、店内を見回してみてください。売り場の一番目立つところに、こんなタイトルの本が並んでいないでしょうか。「中国・韓国の反日攻勢」「南京虐殺の嘘」「慰安婦問題のデタラメ」「あの戦争は日本の侵略ではなかった」「自虐史観の洗脳からの脱却」・・・。こうした本がどうも胡散臭いと感じても、具体的にどこがどう間違っているのか、何がどう問題なのかを、自分の言葉でうまく説明できない人も多いのではないでしょうか。本書は、そんなモヤモヤした違和感を、「事実」と「論理」のふたつの角度から検証し、ひとつづつ丁寧に解消していく試みです。〉
 「試み」は見事に成功している。近現代史理解のリテラシーとも現実社会への正視眼ともいえる好著である。 
    歴史戦と思想戦 ――歴史問題の読み解き方 (集英社新書、昨月刊)                                                  
 著者は山崎雅弘氏。戦史・紛争史研究家であり、地図職人、グラフィックデザイナー、シミュレーションゲームデザイナーと多彩である。16年、『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)で、日本会議の実態を明らかにし、注目を浴びる。他に、『「天皇機関説」事件』(集英社新書) 『1937年の日本人』(朝日新聞出版)など多数。
 帯には内田 樹氏の推薦がある。
「『歴史戦』と称する企てがいかに日本人の知的・倫理的威信を損ない、国益に反するものであるかを実証的に論じています。山崎さん、ほんとはものすごく怒っているのだけれど、冷静さを保っているのが偉いです。僕にはとても真似できない」
 以下、梗概を「BOOKデータベース」から引用する。
 〈今、出版界と言論界で一つの「戦い」が繰り広げられている。南京虐殺や慰安婦問題など、歴史問題に起因する中国や韓国からの批判を「不当な日本攻撃」と解釈し、日本人は積極的にそうした「侵略」に反撃すべきだという歴史問題を戦場とする戦い、すなわち「歴史戦」である。近年、そうしたスタンスの書籍が次々と刊行されている。実は戦中にも、それと酷似するプロパガンダ政策が存在した。だが、政府主導の「思想戦」は、国民の現実認識を歪ませ、日本を破滅的な敗戦へと導く一翼を担った。同じ轍を踏まないために、歴史問題にまつわる欺瞞とトリックをどう見抜くか。豊富な具体例を挙げて読み解く!〉
 肝は首相十八番の「美しい国日本」をはじめとする「日本」とはなにかを問うたことだ。つまり、「日本」と「大日本帝国」と「日本国」の意味するところの違いを闡明にした。これは出色の視点である。氏はこう述べる。
 〈「大日本帝国」は、1890年(憲法施行)から1947年までの57年間にわたってこの国を統治した、大日本帝国憲法に基づく政治体制。「日本国」は、1947年の日本国憲法に基づく政治体制。どちらも「日本」という時代を超越した包括的な国家の概念においては、ごく一部でしかありません。しかし、これらの言葉は、人の思考を特定の方向に導くためのトリックとして使われる場合もあります。例えば、日常的に使う「日本」という言葉、それは「大日本帝国のことですか?」と問われれば、答えは多くの場合「ノー」です。しかし「大日本帝国は日本ですか?」との問いであれば、答えは「イエス」となります。なぜなら、「大日本帝国」は「日本」という国の、長い歴史の一部だからです。つまり、問いかけの仕方、光の当て方によって、言葉の定義が及ぶ範囲が変化します。例えば、中国や韓国の政府や国民が、「大日本帝国」時代の侵略や植民地支配を厳しく批判する態度をとった時、「大日本帝国」を擁護する意図で、これを「中国と韓国が『日本』を不当に攻撃している」と単純化してアピールすればどうなるか。それを聞いた人は、現在の自国が攻撃されていると感じ、不安や危機感を覚えます。自分が生きている「日本国」と昔の「大日本帝国」は同じ国ではないと認識していなければ、両方とも同じ「日本」だという思考に、それと気付かないまま誘導されます。そして、歴史問題をめぐる議論を「中国対日本」「韓国対日本」という単純な図式の「戦い」のように捉えて、日本人であれば「日本=大日本帝国」の側に味方するのが当然だという「結論」を示されれば、それに抗うことは難しくなります。なぜなら、日本人なのにそうしない人間がいれば、その者は「日本の利益に反する者=反日あるいは売国奴」ということになるからです。〉(上掲書より抄録)
 これを軸に以下のイシューが捌かれていく。
  「『歴史戦』と称する企てがいかに日本人の知的・倫理的威信を損ない、国益に反するものであるかを実証的に論じています」と、内田氏が頌する圧巻の展開である。
▼産経新聞が始めた「歴史戦」
▼慰安婦問題
▼南京虐殺
▼「自虐史観」
▼思想戦の武器
▼「歴史戦」の論客の頭の中で生き続ける「コミンテルン」
▼「GHQのWGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)に洗脳された」というストーリー
▼ケント・ギルバートのカラクリ
 などなど、痒いところに手が届くコンテンツである。  「群盲象を評す」という。足に触れば柱、腹は壁、鼻は木の枝、耳は扇、牙はパイプだと答えた。一部、一面のみを以てすべてを評する愚を誡める寓話である。歴史戦の論客たちは群盲を嗤えまい。反知性主義と同じピットホールに搦め捕られているからだ。
 さらに氏は歴史戦のメンタルな基底には韓国人や中国人に対する「蔑視」や「差別的感情」があると抉る。言い方を替えると、嫉妬である。それもエンビー型嫉妬だ。脳科学者中野信子先生はこう語る。
 〈嫉妬は、自分が持っているものを失うかもしれないことを察知した「不安」と「怒り」に根ざした反応なのです。生物としては、何とか、自身のリソースを奪われる危機を回避しなければならないという根源的な要請があります。この危機感が動機となり、自分のリソースを奪いにやって来るかもしれない誰かを、何とかして排除したいという感情が生じます。これが、嫉妬の正体です。〉(『正しい恨みの晴らし方』から抄録)
 蔑視や差別はいずこより来たるか。いやはや脳科学に掛かってはお見通しである。山崎氏は「他国を蔑視する差別や偏見の思想は、健全な『誇り』とは異質な、夜郎自大や唯我独尊を土台とする『自国優越思想』の裏返しでもあります」と続ける。歴史戦の論客たちにとっての「日本」とは、神武肇国(だとして)から2700年に及ぶ長遠な歴史のたった2%、あっと言う間の57年間でしかない。戦さの勝負はとっくに付いている。 □


狼ジジイのパラドクス

2019年06月12日 | エッセー

 イソップ寓話の中から。「狼が来た!」と嘘をついては大人たちの鼻面を引き回していた少年がいた。やがて本当に狼が現れる。だが大人たちは誰も助けに来ない。挙句、村の羊は全部喰われてしまった。くり返し嘘をついていると信頼されなくなる。それを「オオカミ少年効果」という。災害予測のアポリアでもある。もう一つ、「狼少年のパラドクス」と呼ばれるものがある。これはどうも内田 樹氏の造語らしい。深い洞察だ。『街場の戦争論』で、氏はこう語る。
 〈村人はみんな少年の警告にだんだん飽きてきて、警戒心を失い、ついに少年を「嘘つき」と罵るようになる。そうなったとき少年が「狼がほんとうに来て、村人を貪り食えばいいのに」と思うことは誰にも止められません。そのときこそ少年の危機意識の正しさは異論の余地なく証明されるわけですから。国防の備えの喫緊であることを説く人々はしだいに「狼少年」に似てきます。人間とはそういうことを無意識にやる生き物なのです。それを「止めろ」と言ってもしかたがない。でも、「自分はそういう生き物である」という「病識」は持っていたほうがいい。〉
 知的威信を高めるため、凶事の予言でも次第にその現実化を願うようになる。それが「狼少年のパラドクス」だ。「オオカミ少年効果」と「狼少年のパラドクス」は踵を接する。
 前稿『解散権は専権事項???』を引く。
 〈昨年12月6日の拙稿『外れてほしいシナリオ』──参院選はWで来る。でなければ、最終目的地の改憲が見えてこない。万博で維新も取り込み、五輪の浮かれモードの内に国民投票への道筋を開く。それが外れてほしいシナリオである。浅学寡聞ゆえまことに粗雑な推論ではあるが、御容赦願いたい。なにせ、この政権与党はダブルスタンダードがお好きである。ならば選挙もダブルで。……ブラフであってほしいシナリオである。──〉
 「外れてほしい」とは言ったものの、どうも「狼少年のパラドクス」に嵌まっていたようだ(正確には「狼ジジイ」だが)。なにしろ前稿は「狼」出現への希求があちこちに滲んでいる。ところがどっこい、自民党の独自調査で参院選だけで勝てると見込んだためWは取り止めになったらしい。まあ、端っから小稿の予測なぞ誰も目も呉れないであろうが。
 だがお立ち会い。過去には「死んだふり解散」てのもあった。一寸先は闇、油断はならない。バレーのクイックスパイク張りに短期間の間(マ)を置いてで参・衆と打つ“時間差選”なんてのも考えられなくはない。なんせ「嘘つきは総理のはじまり」である。 □


解散権は専権事項???

2019年06月08日 | エッセー

 先月、政府は6年ぶりに国内景気の基調判断を「悪化」と発表した。「後退」ではないといまだに強弁するが、景気動向指数は明らかに後退局面を示している。6年とは第2次安倍内閣の丸々6年間である。アベノミクスは一体どこへ飛んでいったのだろう。三本の矢、下手な鉄砲のように繰り出すなんとか改革・革命というゴミの山。空振り三振の法人税減税。この6年で国債は350兆円の増加。税収の2倍だ。大向こう受けする財政拡大路線は将来世代への借金の山で賄われている。ところがMMT(4月の小稿『MMT』で触れた)のお手本のように持ち上げられて、まんざらでもなさそうな首相、財務相。能天気もいいところだ。
 経済ふん詰まり、では外交はどうか。北方領土交渉は手玉に取られて2島に値切りしても進展なし。拉致問題は埒が明かず(失礼!)、隣国韓国とは冷え切ったまま。中国ともギクシャクは続いたまま。まことにお寒い限りである。ただ一つ、今や自己目的化した対米追随だけはほっかほかでトランプ大親分の太鼓持ちだけは全うしている。ポチといわれるのが気に障るのか、にわかにイランとの橋渡しを買って出たが恥の上塗りをなさらぬよう願いたい。
 改元の大騒動も下火を迎え、八方塞がりは依然続く。このまま消費増税を迎えたら、あわよくば総裁4選どころかレームダックの憂き目が待つのみ。ならば3度目の増税延期と起死回生を狙って衆参ダブルか。昨年12月6日の拙稿『外れてほしいシナリオ』から引く。
 〈参院選はWで来る。でなければ、最終目的地の改憲が見えてこない。万博で維新も取り込み、五輪の浮かれモードの内に国民投票への道筋を開く。それが外れてほしいシナリオである。浅学寡聞ゆえまことに粗雑な推論ではあるが、御容赦願いたい。なにせ、この政権与党はダブルスタンダードがお好きである。ならば選挙もダブルで。……ブラフであってほしいシナリオである。〉
 そこで、問題は解散権についてだ。69条解散は措く。7条解散は果たして合憲なのか。
 現行憲法下での最初の7条解散は1952年(昭和27年)8月28日の吉田茂首相による通称「抜き打ち解散」であった。突如馘首となった衆院議員苫米地義三が任期満了までの職の確認と歳費支給を訴えて訴訟を起こした。「苫米地事件」と呼ばれる。8年後、最高裁は統治行為論をもって判断を回避。以後、大手を振るって7条解散が多用されてきた。衆院の解散は25回。任期満了は1度切り(これを除けば24回)。不信任を受けた69条解散は4回。都合、20回は7条解散だった。第2次安倍政権によるものが14年の「アベノミクス解散」と17年「国難突破解散」の2回。いずれも7条解散であった。
〈第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。 
 1. 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
 2. 国会を召集すること。
 3. 衆議院を解散すること。 
 4. 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
 5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
 6. 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
 7. 栄典を授与すること。
 8. 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
 9. 外国の大使及び公使を接受すること。
 10.儀式を行ふこと。〉
 この3. を根拠とする解散を7条解散という。これに疑義がある。
 憲法第4条には
〈天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。〉
 とある。「憲法が定める行為のみを行ひ」得るのであるから、この10項はこれ以外はできないという限定列挙である。その他もあり得るという例示列挙ではない。
 1. では、憲法の規定に基づいて国会が議決した法律等を天皇が『後から』公布するということだ。以下も同等である。3. も、憲法上の明文規定に基づいて『先に』決定された衆院の解散を『後から』天皇が宣するのである。『先に』に法的根拠がある。この先後は絶対に逆転できない。3. の『先に』基づくべき根拠が69条の規定だ。69条で決定された解散を『後から』宣布する。極めて明解な筋道ではないか。であるのに、7条を盾に取るのは宣布の方法と中身の決定を逆順にするものだ。水害が起こりそうな時は防災無線で連絡しますといっておいて、「起こりそうな時」は私が直感で決めますというようなものだ。規定もなしに「レベル4」だの「5」だのと言われた日にはとんでもないことになってしまう。そんなあべ(安倍)こべ、おバカが7条解散である。
 敬愛する憲法学者木村草太氏は7条解散には憲法上の疑義があるとする。要点は以下の通り。
▼憲法7条は、どのような場合に解散できるのかについては何も規定していない。そして、解散が行われる場合を規定した憲法条文は、69条のみである。
▼69条非限定説は、解散権行使を内閣の好き勝手な判断に委ねる見解ではない。
▼そもそも、解散権のみならず、行政権や外交権などの内閣の権限は、公共の利益を実現するために、主権者国民から負託された権限だ。与党の党利党略や政府のスキャンダル隠しのために使ってよいものではない。憲法7条を改めて読み直すと、天皇の国事行為は、政府や与党の都合ではなく、「国民のために」行うものだと規定されている。
 「69条非限定説」が肝だ。7条の「国民のために」重要で喫緊の政治課題を問うためだとする見解。また69条は信任・不信任に対する政府の対応を定めただけで、解散権そのものを縛るものではないとする見解もある。しかし次数を上げて考えると、憲法はリヴァイアサンを閉じ込める檻であるとの根源的な原理を忘れるわけにはいかない。立憲主義の成り立ちである。リヴァイアサンに檻の合鍵を渡す間抜けがいるわけはない。
 巨大な海の怪獣、口から炎を吐き鼻から煙を噴く。鋭い歯、全身は鎧のような固い鱗で覆われあらゆる武器を撥ね返す。凶暴で冷酷無情──。そう『ヨブ記』には記されている。だが、トマス・ホッブスは逆に「人間に平和と防衛を保障する『地上の神』と言うべきだろう」と述べている。これは、ホッブスが神なき世界での社会契約を構想したがゆえに「地上」に舞台を替えることでその本性をカムフラージュしたと愚案する。ともあれ、大義は「69条限定説」にある。専権事項だの伝家の宝刀だのとは、世迷い言と断ずべきだ。
 同じ議院内閣制のイギリスでは、2011年に「議会任期固定法」を成立させ首相の解散権に制限を掛けている。フランスでは解散後1年以内は解散ができない。ドイツでは首相選挙で3回目までに決着が付かなかった場合に大統領が判断する仕組み。そのように諸外国では解散権に制限を掛ける趨勢にある。日本だけが1周も2周も遅れている。いまだにチョンマゲ姿で刀を振り回し、伝家の宝刀だと胸を張っている。戯画に等しい。1990年代までは「経済一流、政治二流」と評された本邦だが、今では「経済三流、政治も三流」に成り下がったようだ。 □


「わ」は “ I ”

2019年06月04日 | エッセー

 「今日行くわ」、「今日は行かないわ」。ともに上品な言葉づかいだ。終助詞「わ」が効いている。文の終わりに措き、軽い詠嘆や軽い決意、主張を表す。終助詞は「わ」以外に古語では「か」「かし」「な」「そ」「なむ」「ばや」などがあり、現代語では「か」「かしら」「な」「の」「や」などがある。
 現代語では、といったが今や消えゆく趨勢にある。乙に澄ましているようで、代わりに「ゎ」などをSNSで散見するようになった。これは促音便でも拗音でもなく、「捨て仮名」(送り仮名、添え仮名)でもない。英語流の『小文字』であろう。SNSでは「ぃ」、「ぅ」、「は」の代用としての「ゎ」などが多用される。「ギャル文字」というそうだ。団塊の世代にはむず痒い限りである。
 さて、「わ」である。柳田國男によれば、
「口語では文句の終りに『我は』を附けるのが、むしろ全国を通じた法則だった」(角川『毎日の言葉』から)
  のであり、「わ」は「我は」、すなわち一人称代名詞であるとする。大学者の高説に意表を突かれる。関西弁の「わ」、九州の「ばい」や「たい」、ぜんぶ一人称代名詞である。近ごろは関西弁が東京を席捲し、「めちゃ」「めっちゃ」「むかつく」と同様に青年男子(この言い方が古い!)も使う。「オレ、先に行ってるわ」などと。
 上掲書から続きを引用する。
 〈終わりに「ワ」をつける文句はたいてい敬語でした。「アリマスワ」・「アリマセンワ」さらに「ヨ」をつけるのは二重の敬語(丁寧語)でくどいかもしれません。「アルワヨ」・「ナイワヨ」は新しい文句です。女学生がこれを採用したようです。
 日本語は代名詞の不要な言語と言われますが、「知らない」を「知らないわ」というと、知らないのは私だということを明言することです。村の児童は「オラシラネ」といいますが、「シラネオラ」が先でした。娘が「知らないわ」というのは「知らないわわたし」と同じ意味です。〉(抄録)
 「わ」は“ I ”とはその謂である。「上品な言葉づかい」が古法を引き継ぐ土着性の強いものだったとは、チコちゃんなら「ボーっと使ってんじゃねーよ!」と一喝するところであろう。
 かつて“ I ”について奇説を呈したことがある。
 〈“I”は一人称。なぜか。相手はひとりしかいないからだ。
 そのひとりとは神である。唯一の絶対者である神と向き合う形で全ては始まっているからだ。“God”と対するなら“I”のトポスは不変だ。いかなる高位者であろうとも“Godに向き合うI”に比するなら、神の僕(シモベ)以上の意味はもたない。常に“Godに向き合うI”からの発語なのだ。〉(16年11月の小稿『“I” と “You”』から抄録)
  ついでに“You”にまで口が滑り、二人称に複数形がないのはなぜかと愚考した。
 〈“You”とは神だからだ。唯一の絶対者であるのだから、当然複数形はあり得ない。これがプリミティヴな成り立ちだ。複数を兼ねるのは派生の一形態だろう。
 実は「“You”一つ限り」ではなく、“Thou”があった。「あった」というのは文字通り過去形だ。聖書の初期英訳やシェイクスピア作品には頻出し、近代初期までの文学作品に隠顕され、今ごく一部の英国方言に残る。死語に近い。古語ゆえに「汝」や「そなた」と邦訳される。親しく、なれなれしく、時には無礼を含意した。ともあれ上位者から下位者に向けられる言葉だ。これには複数形“thous”、“ye”がある(あった)。〉
 蛇足ながら後半部分を変更したい。英語がアメリカなどに渡って二人称に数の区別がないことに不便が生じ、造語された。アメリカ西部の“you guys”、南部、黒人英語で“you all”を短縮した“y'all”、スコットランド、アイルランドの“youse”などだ。後、“you guys”は男女兼用となり、他に“you boys” “you girls” “you folks”などが生まれた。やはりあちらでも人称は厄介らしい。 □


満目、緑

2019年06月02日 | エッセー

 当地でも水の張られた田圃に苗が櫛比する季節を迎えた。夏の炎熱を潜(クグ)りあと半年、撓に実った稲穂が陸(オカ)のすべてを覆い尽くし山々を染める錦秋の書割となる。 
 大雨や台風、害虫、今年も試練は容赦なく襲うだろう。それらをすべて裸身で受け、身を躱し、堪えていかねばならない。古来、耕起から脱穀まで八十八の手順を踏んで米は作られるとされた。だから、「八十八」を重ねて「米」とした。
 狭い平地(ヒラチ)を寸土も残さぬように覆い尽くす田面(タヅラ)。微かに青臭い水田(ミズタ)の薫りを風が運ぶ。豊饒への歩みが、もうはじまっている。
 満目、緑一色だ。だが、山口素堂は「目には青葉」と詠んだ。古(イニシエ)には黒から白への間(アワイ)はすべて青、「あを」と呼んだ、という。ずいぶん広い言葉だ。緑はいきなり呑み込まれたにちがいない。今時の人だって、緑なのに青信号と言い習わしている。なんだか頼りなげなことばだ。
 糸に彔。彔は剥、草木の皮を剥ぎ取って煮詰め汁を点々と滴らせて染料を作る様。または、それに染めた糸をいうとも。なににせよ剥ぎ取るとは意外にも烈しい生い立ちだ。けれど反面、痛々しさは新生の瑞々しさにも通じる。緑児といい、緑茶とも、緑の黒髪ともいうのはその謂だ。
 青に囲われた身の哀しさ。青田に青梅、青物に、青竹、青菜。みんな緑なのに青に横取りされている。素堂が使った「青葉」もその同類で、夏の季語に据えられた、元みどりだ。だからちゃんと瑞々しい。
 あと半年、稲田は黄金色に変わる。見事なメタモルフォーゼ。一方、山膚は褪色を始め満目は不揃いになる。踵を接して訪う錦秋の主役は山々が担う。稲穂は須臾の間(マ)書割を務め、黄金はすぐさま隙間なく刈り取られる。そして稲株とともに大地がグロテスクな色をむき出しにする。つづく脱穀、籾すり。八十八の手順が仕上がり、ドラマは畢る。
 しばしの骨休みを終えると身構える冬が舞い来たり、白銀一色の衣を纏う冬田面(フユタノモ)へと変化(ヘンゲ)する。雪解けから春へ、さらにその次へ。四季の輪廻を追いかけるように、人はまた大地との格闘をはじめる。満目の緑は新たな豊饒への旅立ちだ。 □