伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

東大のディープな・・・

2015年10月31日 | エッセー

 ここ2、3年『東大のディープな日本史』に嵌まっている。12年にKADOKAWA 中経出版からリリースされた。著者は東進ハイスクール講師の相澤 理氏。同僚に林 修氏がいるが、こちらはギャグもトリビアもなく、ひたすら東大の入学試験攻略に余念がない真っ当な先生だ。ほかにもちがう執筆者による『東大のディープな』世界史・英語・数学・古文漢文があるが、『3』まで出しているのは日本史だけだ。タイトルに「歴史が面白くなる」と冠されているように唸るほど深く鬱するほど難しくはあるが、決して落とさんがために重箱の隅をつついた奇問、珍問の類いではない。さすがは東大、悔しいが東大。「歴史が面白くなる」問いかけに満ちている。
 今年8月の『3』に、以下のような極めて興味深い問題が取り上げられている。

 植木枝盛は、人権の無制限での保障・政府に対する抵抗権などを盛り込んだ民主的な私擬憲法「東洋大日本国国憲按」の起草者として知られる自由民権運動家です。その枝盛が大日本帝国憲法を歓迎したという事実は、「日本国憲法は〈民主的〉、その裏返しで大日本帝国憲法は〈非民主的〉」というステレオタイプな見方を、真正面から撃ち抜きます。
 次の文章を読んで、設問A・Bに答えなさい。
 一八八九年、大日本帝国憲法が発布された。これを受けて、民権派の植木枝盛らが執筆した『土陽新聞』の論説は、憲法の章立てを紹介し、「ああ憲法よ、汝すでに生れたり。吾これを祝す。すでに汝の生れたるを祝すれば、随ってまた、汝の成長するを祈らざるべからず」と述べた。さらに、7月の同紙論説は、新聞紙条例、出版条例、集会条例を改正し、保安条例を廃止すべきであると主張した。
設問
A 大日本帝国憲法は、その内容に関して公開の場で議論することのない欽定憲法という形式で制定された。それにもかかわらず民権派が憲法の発布を祝ったのはなぜか。3行以内で説明しなさい。
B 7月の論説のような主張は、どのような根拠にもとづいてなされたと考えられるか。2行以内で述べなさい。(14年度東大入試問題から)

 相澤氏は「なぜ大日本帝国憲法は民権派に歓迎されたのか?」と題し章を立て解説している。要約してみる。
1. 大日本帝国憲法には、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とあり、天皇の統治権の行使は憲法に制限されるという立憲主義の原理が埋め込まれた。
2. 法律は議会で制定するもの、それが立憲主義の大原則である。ならば「第七十六条 法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス」との条文は画期的だった。これで憲法に条例の改正・廃止の「根拠」を求めることができる。
3. 枝盛が改正、廃止を求める新聞紙条例、出版条例、集会条例、保安条例は政府が独自に発した条例であり、議会の審議を経ていない。しかも、それらは2. の「法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」にも反し無効となる。
4. 日本国憲法では「侵すことのできない永久の権利」とする基本的人権を、「法律ノ範囲内ニ於テ」と制約しているようだが、法律によって具体的な取り決めがなされ初めて実質的に保障される。
5. 自由や権利を政府の恣意的な「命令」によって侵害することは許されない、だから法律で守る。それが「法律ノ範囲内ニ於テ」という文言の(本来の)意味である。
6. ところが後年戦争へと向かって行く中、治安維持法などが制定され「法律ノ範囲内ニ於テ」が権利を制約するものとして運用されていった。
 これらをまとめると、<解答例>は──
A 民権派が求めてきた公選による議会の開設が翌年に約束されるとともに、予算・法律に対する議会の協賛も憲法に明記されており、憲法による国家権力の抑制という立憲主義の原理が貫かれたから。
B 憲法では法律の範囲内における言論・集会・結社の自由が認められており、また、議会の審議を経ていない弾圧法令は無効である。──となる。
 アンシャンレジームの象徴である帝国憲法をプログレッシブの象徴である植木枝盛が絶賛する。確かに「歴史が面白くなる」論点だ。圧倒的なマイナスからゼロに近いマイナスへの一気の上昇が枝盛を高揚、歓喜させたなどと事を矮小化してはなるまい。解説にある分析こそが学びの面白味であろう。
 ギリギリまで括ると、
 「自由や権利」は
  ① 憲法以前、政府に都合よく制約されていた
  ② 憲法で保障され、「法の範囲内」で認証された
  ③ 後、「法の範囲内」が制約に逆用された
 となろうか。これをなりふり構わず牽強付会なステロタイプに押し込めて、
 「集団的自衛権」は
  ① 『憲法解釈』以前、政府に都合『悪く』制約されていた
  ② 『憲法解釈』で保障され、「法の範囲内」で認証された
  ③ 後、「法の範囲内」が『拡張』に逆用された
 とするといかがであろうか。最大の難点は③ である。これまでこのイシューについては右顧左眄してきたが、とどのつまりは③ に行き着く。「逆用された」と過去形で書きはしたが、これからの話だ。だからこそ、難しい。ためらいは続く。
 今年の4月「ウロボロス撃退法」と題する拙稿を上げ、次のように語った。
〓ギリシャだけでなく、アステカ、古代中国、ネイティブ・アメリカンにも同様のものがあるという。ヘビは太古の昔から地球全域に生息してきたのだから、案外正解かもしれない。つまり、ヘビにテメーの尾っぽを噛ませることで自死に至らしめるという奇策である。最低限、周りに危害は加えなくなる。ワナも毒も要らない。刃物もハジキも使わない。極めて人道的、というか“蛇道”的撃退法ではないか。
 「存立危機事態」は限りなく「個別的自衛権」に近似してないか。いや、個別的自衛権そのものである。「集団的自衛権」という毒ヘビに「存立危機事態」というテメーの尾っぽを噛ませることだ。ぐるぐる回っているうちに力尽き、やがてヘビは自死に至る。自縄自縛の高等戦術といえなくもない。〓(抜粋)
 本来「ウロボロス」は単に円環形のエンブレムをいい、転じて無限であるさまをいう。如上の愚慮はそのイメージを膨らませた奇想である。しかし廃案にする以外、この撃退法しか③ を回避するよすがはあるまい。東大のディープな難問からそれ以上にディープな土壺に行き着いてしまった。こちら、ひとっつも面白くない。 □


Jennifer On My Mind

2015年10月28日 | エッセー

 タモリの「四ヶ国語麻雀」は優れものだが、もっとスゴいのが「ハナモゲラ語」であった。ものまねの次元が違う。「四ヶ国語麻雀」は外国語のカリカチュアライズだが、「ハナモゲラ」は外国人の耳に聞こえる日本語を日本人がデフォルメしつつ再生したものだ。70年代演芸の至宝ともいえよう。
 キャッチコピーには
──浅田次郎が描く、米国人青年の日本珍道中!
 とある。文学版「ハナモゲラ」ではないか。米国人の目に映る日本を「日本人がデフォルメしつつ再生」する。展開はまさにそうだ。しかしそこは稀代のストーリーテラー、並のデフォルメではない。ずしりと重く深い滋味が織り込まれている。
 氏は記事下広告にこう寄せている(抜粋)。

 旅は見聞を広める。同時に自分を再発見する。
 つまり、旅は知の獲得であり修養でもあるから、昔の人は「かわいい子には旅をさせよ」と言い、あるいは武者修業や吟行の旅に出た。
 「わが心のジェニファー」のひとつのテーマは、私たち現代人が利器を捨てて旅立ったとき、はたして故人と同様に「知の獲得」や「修養」が可能であるかどうかという、想像と実験である。
 一方、もうひとつのテーマには、私たちが運命的に背負っている日米関係を据えた。歴史的な日米関係はあまりに壮大すぎて、もはや客観的な分析は不可能である。
 小説は娯楽に過ぎないけれど、娯楽ゆえに不可逆的な科学の進歩に反抗することも、分析不可能な歴史的事実を解析することもできる。そして、何よりも娯楽なのだから、面白くなくてはならない。

 また、このように諭したこともあった。
「人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人にとっての好もしいかたちになったと言える。この福音に甘んじぬ手はあるまい。『かわいい自分には旅をさせよ』である。金だの時間だの手間だのと、旅に出かけぬ理由を思いつくのは簡単だが、よく考えてみれば金は貯めるものではなく使うものであり、時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむは怠惰の異名に過ぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実は何もないのである。」(「かわいい自分には旅をさせよ」)
 amazonの紹介文を借りてラフスケッチしておこう。

   わが心のジェニファー
   Jennifer On My Mind 
──日本びいきの恋人、ジェニファーから、結婚を承諾する条件として日本へのひとり旅を命じられたアメリカ人青年のラリー。ニューヨーク育ちの彼は、米海軍大将の祖父に厳しく育てられた。太平洋戦争を闘った祖父の口癖は「日本人は油断のならない奴ら」。
 日本に着いたとたん、成田空港で温水洗浄便座の洗礼を受け、初めて泊まったカプセルのようなホテルに困惑する。……。慣れない日本で、独特の行動様式に戸惑いながら旅を続けるラリー。様々な出会いと別れのドラマに遭遇し、成長していく。東京、京都、大阪、九州、そして北海道と旅を続ける中、自分の秘密を知ることとなる……。
 圧倒的な読み応えと爆笑と感動。浅田次郎文学の新たな金字塔! (小学館、今月26日刊)──

 読み始めて数頁で気づくことがある。タッチがいつもの「浅田次郎文学」のそれではない。外国人が書いた小説の翻訳のよう。ストーリーだけではなく、失礼ながら「ハナモゲラ」の芸が細やかだ。長い物語ゆえ、途中馴染みに戻ることはままあるが、基調はそうだ。かつて名うての『言葉使い』とこの作家を評したが、その意味でも「新たな金字塔」だ。極みはさらに極まった。
 Jennifer On My Mind
 “on my mind”を「わが心の」と翻(ヒルガエ)したのは、蓋し名訳であろう。となれば、とりわけ団塊の世代には" Georgia on my mind " 「わが心のジョージア」が懐かしい。60年代、レイ・チャールズがカバーしたこの曲ををレコードが擦り切れるほど聴いた。96年アトランタ五輪の開会式ではレイ自身が熱唱した。缶コーヒー“ジョージア”のCMでも随分流れた。
 ビートルズは“Back In The USSR”の歌詞にこのフレーズを紛れ込ませた。
〽That Georgia's always on my mind.
 “Georgia”とは「グルジア」を「ジョージア」州に引っ掛けた痛烈な皮肉である。さすがの凄腕に今さら唸る。とまれ名題に“on my mind”という絶妙なイディオムを持ってくるとは、まことに憎い。司馬遼太郎に負けず劣らずタイトリングの名手だ。
 記事下広告にある「運命的に背負っている日米関係」は、「何よりも娯楽なのだから、面白く」描かれている。大団円は特にそうだ。“Jennifer On My Mind ”とは、つまりは“Japan On My Mind”だった。カットアウトに余韻が十全に籠もり、しばし涙を堪えた。
「時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむは怠惰の異名に過ぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実は何もないのである」
 優れた文学作品で行く旅もまたそうではないか。 □


カルテットの妙

2015年10月24日 | エッセー

 今年のノーベル平和賞は「チュニジア国民対話カルテット」に決まった。「アラブの春」に先鞭をつけた「ジャスミン革命」後の深刻な国内対立を収め民主化を推進した功績を讃えるものだ。
 “Arab Spring”はアフリカ大陸北辺に待ち望んでいた恵風を送ったかにみえたが、またたく間に容赦ない砂嵐に掻き消されてしまった。エジプトでは軍事政権に逆戻りし、カダフィを退治したリビアでは蟻地獄のような内乱に嵌まり込んでいる。イエメンは中東の覇権争い、代理戦争が危惧される深刻な事態だ。一旦は芽吹いたシリアは途轍もない混沌、いな瓦解に直面している。大規模デモという一陣の風が吹き渡ったものの芽吹きで事切れた国は、アルジェリア、モロッコ、サウジアラビア、ヨルダン、レバノン、イラク、クウェート、バーレーン、オマーンと多数に及ぶ。
 その中で、唯一開花を迎えたのがチュニジアである。原理的なイスラム勢力と政教分離の世俗勢力とに折り合いをつけたことが、「カルテット」のなによりの殊勲であった。以て与野党を仲介し、制憲議会を復活させて男女平等、人権尊重、報道の自由を謳う憲法の制定に漕ぎ着けた。加えて、昨年末に自由選挙が行われ大統領が選出された。いまだテロは散発するものの、民主化への流れは根づいたとみていい。
 注目すべきは「カルテット」だ。四者による重唱、重奏である。13年国内対立が先鋭化した時、四者は手を組んだ。最大労組のチュニジア労働総連盟、経営者団体である産業商業手工業連合、それに人権擁護連盟、全国弁護士会の四者である。工業連合を除く3者は革命側にいた。対立の危機に、若者を中心に大きな動員力を持つ総連盟は大集会を打ち抗議の声を上げた。人権連盟と弁護士会は知識層を代表した。先行政権の遺産か、チュニジアは教育水準が高い。同国の弁護士、医師には女性が多い。加えて、すでに一夫多妻制が禁止され女性の意識も低くはない。労働、産業、人権、司法によるカルテットは市民社会を網羅した。特筆すべきは、革命後賢明にもどの団体も政治と距離を置いた点だ。これが幸いし、対立勢力のどちらにもしがらみなく仲介ができた。
 アルフレッド・ノーベルは「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」を平和賞の授与要件に挙げている。稿者が最も注目するのは「最大・最善の貢献をした」主体者、当事者ではなく、仲介者が選ばれたことだ。調べたところ、過去100に余る個人・団体の受賞者に1人しかいない。国連特使としてコソボ問題やインドネシア・アチェ和平合意など数々の紛争解決に功績のあったマルッティ・アハティサーリ=フィンランド元大統領だけだ。08年に受章している。他には寡聞にして名を挙げ得ない(漏れがあれば、陳謝)。
 平和賞は過去幾度も物議を醸してきた。今となっては、佐藤某氏などは下手なブラックジョークでしかない。プレジデント・オバマへの『期待』は尻つぼみで終わりそうな雲行きだ。ただ、今回はちと違う。スタンドアローンなタフネゴシエーターではなく、外周にいる複数が協働して橋渡しに当たる。その仲裁・仲介というソフトパワーに焦点を絞ったところが特異であり、これからの平和構築への方向性とメッセージを含意しているのではないだろうか。手打ちをしたご両人ではなく、お膳立てをした黒衣を労り誉めそやす。偉いのは寄り合った黒衣たちだ。そういう成り行きではないか。
 内田 樹氏は、人間の集団で「最初にできたのは、メンバーたちの間で起きた利害対立の調停のための『裁きの制度』だった」(NHK出版新書「日本霊性論」)という。対立のストレスとリスクを軽減し生き延びるための「プラグマティックな判断」は、「新しい状況下でどう行動するかを考え、指示すること」を神に「丸投げ」することだったと述べる。(「」◇部分は上掲書より引用)
◇集団成員がてんで勝手に自己利益を追求した結果「とんでもないことになった」事例と、集団の公共的な利益を優先させたために「みんなが助かった」事例についての「訓戒的・教訓的な経験」の蓄積、それが「神々の声」の発生源となります。もちろん、「神々の声」を聴き取る感受性にはかなりの個人差があったはずです。「神々の声」がはっきり聴き取れる人、その身体を通じて「一般意志」が湧き出てくるように見える個体が長老や預言者や族長に擬され、彼らが裁き人に任ぜられた。裁き人に求められた資質は属人的な知性の鋭さというよりはむしろ「公共我」に憑依されやすい体質だった。◇
 「神々の声」を聴き取り「一般意志」を代弁する「長老や預言者や族長」を「カルテット」に擬すると、パワーとしての労働総連盟と産業商業手工業連合は「族長」に、高次の価値基準を体現する謂で人権擁護連盟は「長老」に、そして現代の「神々の声」たる法に与る全国弁護士会は「預言者」となろうか。「利害対立の調停のための『裁きの制度』」を「仲介」とパラフレーズすれば、対立の解決は原初的で根源的な手法に戻りつつあるといえなくもない。「カルテット」は「『公共我』に憑依されやすい体質」を表徴するなんとも巧みな仕掛けだった。カルテットの妙に脱帽の他ない。
 以下、余話として。
 今年のノーベル文学賞に叙されたベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏がインタビュに応えて、「(チェルノブイリ原発事故に続く)2回目の原子力の教訓が、技術が発展した国で今起きています。これは日本だけでなく、人類全体にとっての悲劇です」と語った。もちろん福島第一原発事故を指す。続けて、「原発事故が描かれた黒澤明監督の『夢』はまさに予言でした」とも述べた。深く印象に残る言葉だった。06年4月の拙稿「死に神の名刺」が蘇る。
〓だれにでも、忘れられない言葉がある。通奏低音のように脳裏を流れる言葉の群れがある。
  黒澤明監督『夢』の一場面 ―― 原子力発電所が爆発し、逃げまどう人々。種別に着色された放射能の霧が迫る中、原発技師が叫ぶ。
「人間はアホだ。放射能の着色技術を開発したって、知らずに殺されるか、知って殺されるか、それだけだ。死に神に名刺をもらったってしょうがない!」
  今月の26日、「チェルノブイリ」から20年が過ぎる。『夢』は事故の4年後の作品である。だから、監督は事故に触発されて撮ったに違いない。
  チェルノブイリの炉を覆う石棺はもう保たなくなりはじめた。2、3年後にはその上からさらに石棺をかぶせる。第二の石棺の耐用年数は100年。閉じこめられた放射能が1000分の1になるまでには、あと300年を要する。恐怖の引き算だ。〓(抜粋)
 アレクシエービッチ氏は『夢』を観ていたのだ。改めて文化の伝播力に感じ入った。しかし、余沢に与っていないのは当の発信元ではないのか。
 今月、川内原発が再稼働した。チェルノブイリの石棺に比してもなお日本人のなんと脆いことか。「死に神の名刺」をまた受け取ろうとしている。 □


分かりにくい言い訳

2015年10月21日 | エッセー

〓「怪しうこそ物狂ほし」とは知的練達と呻吟のアンビヴァレンツを述懐したものだと、解(ホド)いてくれたのは小林秀雄であった。
「物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さ」
 小林秀雄著『徒然草』のこの一節に至った時、「二十代」であった稿者の背筋を稲妻が奔った。〓
 これは昨年6月の拙稿『爺 再考』の一部である。ほかにも「背筋を稲妻が奔った」センテンスは幾つかあった。
「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」(モオツァルト)
 これぞダンディズムの極み。今に至るまでこれほどカッコイイ章句に出逢ったことがない。
「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない。」(当麻)
 文意を貶めるのを覚悟で超々ぶっちゃければ、洒落や落ちを説明したのではおもしろくもなんともないとパラフレーズできるかもしれない。
「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」(無常といふ事)
 「解釈を拒絶」されているほど訳が分からないのに、妙にフレーズが「美しい」と痺れた。
 分かりやすく書きなさいと教え込まれてきたのに、一文字ずつは理解できても併置されるとまったく理解が飛んでいく。今なら「なんて日だ!」と言ったにちがいない。しかし「背筋を稲妻が奔った」のは確かだ。なぜだろう。
 かつては難解さから入試問題に多用された。丸谷才一は生前、「飛躍が多く、語の指し示す概念は曖昧で、論理の進行はしばしば乱れがち。入試問題の出典となるには最も不適当」と扱き下ろした。ある時、小林秀雄の娘が国語の試験問題を見せて「何だかちっともわからない」と嘆いた。彼が「こんな悪文、わかりませんとこたえておけばいい」とうっちゃったところ、「でも、これお父さんの本からとったんだって」と逆襲された。御本人が書いたエピソードである。
 小林の難解さについて国学院大学教授の高橋昌一郎氏は、「逆説。二分法。飛躍。反権威主義。楽観主義」の五つの特徴があるという(13年10月朝日新聞)。詳説は措くとして、氏は「自分の感動をいかに伝えるか、読者の胸を打つにはどうすればいいかを考え抜いた結果の文体」だという。文末を「だ」にするか、「である」にするかで一日呻吟したという話もある。
 さらに氏は跳び上がるほど驚きの比喩を使う。深い敬愛を込めて『酔っ払いのおじさん』、と。世故長けたおじさんが酔っ払うと、話が逆さまになったり、変に決めつけたり、ぽーんと筋が飛んだり、妙に意固地なくせに、決して暗くはない。素面のおじさんは理屈っぽくていけない。ほろ酔いで捲し立ててくれるのがいい。そんなところか。
 自身も紛れもなくその一類である内田 樹氏が難解な文章について熟思を記している。以下、要約。
◇分かりにくく書く人には二種類ある。
1. 「むずかしいことを言う」ことが知的威信の一部だと思っている人々である。この人たちの書くものは、おのれの強記博覧を開陳するばかりで、「私は賢い」という以外には読者に向かってとくに伝えたいメッセージがあるわけではない。こういうものはさらっと読み流しておけばよろしい。
2. 彼らの側に「言いたいことがある」というよりはむしろ、読者に「何かをさせる」ためである。彼らは次のような読者からの問いかけを励起するために、わざと分かりにくく書いている。「あなたは『何が言いたいのか分からないような文体で書く』ことによって、私に何を言いたいのか?」 テクストの語義を追う読みから、書き手の欲望を追う読みへのシフト。語られている当のこととは別の、もっと深い欲望にかかわることに誘うためだ。◇(「他者と死者」から)
 「別の、もっと深い欲望」とは、例えば哲学的探究への誘いなどであろうか。そのブレークスルーとして『何が言いたいのか分からないような文体』があるのだろう。「背筋を奔った」「稲妻」の正体はそれだったといえなくもない。
 さて本ブログの佶屈聱牙は1. を事由とする以外、高橋、内田両氏の洞見には寸毫も該当しない。むしろそれら卓説のエピゴーネンたろうとすることに因る。これが本稿の分かりにくい言い訳である。
 以上、辺境に住まう一ディレッタントのペダンティックな微意を御領諾の上、今後ともどうか「さらっと読み流し」のほど、平にお願いいたします。 □


元祖エッセイストに学ぶ

2015年10月17日 | エッセー

 本ブログはサブタイトルに記しておりますように雑感を書きなぐったもので、とてもエッセーなどと呼べる代物ではありません。ただ、そうあれかしと願わないわけでもありません。そこで、元祖エッセイスト“少納言”大姐御の爪の垢でも煎じて飲んでみようかと考えました(言わでものことですが、姓が清/名が少納言。ペンネームです)。ご存じ、『枕草子』です。
 日本語学の泰斗である埼玉大学名誉教授の山口仲美先生のご本に訓(オシエ)を乞います。昨月発刊のNHK出版『清少納言 枕草子』です。
 ついでながら、「まくらのそうし」ではなく、元々は「まくらそうし」と「の」の字を入れずに呼んだそうです。『とぎそうし』……つまらない共通点を見つけて糠喜びするのは下衆の極み、溺れる者は藁をも掴む、ですね。
 山口先生は「韻文を書く力と散文を書く力は別のもの」であり、清少納言は「感情をそのまま表出する韻文型の人間ではなく、ものごとを客観的に見る散文型の人間だった」とおっしゃいます。「それまで自然の美しさは歌で詠むものであり、散文のテーマになるとは誰も思っていませんでした。そんな中で、清少納言がはじめて風景描写を散文に持ち込み、見事に文学として成立させた」のだそうです。
 しかも、その「持ち込み」方が天才的に斬新! 超有名な第一段から。

 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
 夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。
 秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。

 先生曰く、「その季節における最も情趣のある事柄を『時間』という観点から切り取っている」。ベタな風景ではなく、自然を時間で切り取る。春は“桜”じゃなくて、夜明け。夏は“海”じゃなく「夜」、そして「月」が満ちる際(キワ)。秋は“紅葉”じゃなく陽が移ろう夕間暮れ。冬は“雪”じゃなくて「朝」。なるほど、これはスゴい! 同じ切り取りでも、コピペばかりのわたくしなぞ穴があったら入りとうございます。大姐御の一世どころか、永世を風靡する天稟とはこのようなものかと畏れ入るばかりです。
 エッセイストに必要な資質として、先生は次の五点を挙げています。
(一)散文を書く力があること。
(二)文章にテーマを設定するのがうまいこと。
(三)人と違ったものの見方ができること。
(四)観察力・批判力に優れていること。
(五)興味関心の幅が広いこと。
 一々は申しません。詳しくは同書をお読みいただくとして、何点か掻い摘まんで申し上げます。(五)に関連して大姐御が大衆に支持される大きな理由の一つに、
「彼女の立ち位置が、とてもミーハー的なこと。気になる人がいれば覗き見し、気になる気配がすれば耳をそばだてる。このようなミーハー的な立ち位置から書いているので、多くの人の共感を得ることができるのです。
 多くの人に共通するミーハー的なことにも、人一倍の興味関心を持っていました。男や女、老人から赤ん坊まで、人間に対して貪欲な好奇心を持って観察していました。また、祭見物や行列見物が大好きで、矢も楯もたまらず見に行っています。」
 と先生は指摘しています。わたくしも、ことミーハーでは人後に落ちません。レベルもラベルも雲泥万里ではありますが、大姐御の爪の垢と幾分かは同種かと感じ入っております。
 さらに、「清少納言は、当時の女性には珍しいほど興味関心のありどころが広い。たとえば、言語。普通の女性は、言語にあまり興味を示しません。現代でも、文学を研究する女性は多いのに、言語を研究する女性は少ないことからも証拠立てられます。清少納言は、普通の女性が興味を持たない語源解釈や言葉のシャレに興味津々。言葉の語源に興味を持ち、その言葉の由来を聞いてみる」ことに熱心であったともおっしゃっています。
 これは勇気百倍。ほとんど病的なわたくしの性行をオーソライズしていただいているようで、感激に耐えません。日頃、親父ギャグと白眼視する連中にも教えてやりたい。清少納言だってオバさんギャグ(失礼!)を連発していたんだぞ、『枕草子』を読んだことがないのかい、と。
 (四)について。
「清少納言は、どんな言葉遣いを下品と考えていたのでしょうか? 田舎びた言い方、発音の省略、訛っている発音、など。また、敬語の使い方がいい加減な人のことを批判しています。
 でも、すごいところは、下品な言葉、悪い言葉遣いでも、本人が意識的に使っている時は認めていることです。そういう言葉の効果も心得ていることです。『相手や場面や効果を考えて、言葉というものは使うものです』。これが、清少納言の主張。」
 都鄙、華夷意識が前段だとすると、知的パフォーマンスは後段の捻りにあり、でしょうか。いや、前人未踏、“後人難踏”の境位でありましょう。
 おおーと大姐御の御前(ミマエ)に額ずきたくなったのは以下の分析です。
「類聚的章段の発想。同じ傾向を持つさまざまのジャンルのものを集めて列挙してみるという方法。瓜、雀、赤ん坊、雛遊びの道具、蓮の葉・葵の葉。それぞれ、全く異なるジャンルの事物を並べ、そこに共通点を見出すという発想に新鮮な驚きを覚えたのです。引用の最後に『小さきものは、みなうつくし』と書いてあって、ハッとさせられます。そういえば、日本人は小さいものを愛する。ずっと昔から流れ続ける日本人の感性なのだと気づかされる。」
 苦節、屈折877回を振り返って、奇想天外、牽強付会のなんと多いことか。「類聚的発想」などという高邁なものではありませんが、ジャンル違いに無理やりアナロジカルなこじつけを押し込むというのは本ブログの常套手段です。猿の真似でも、真似は真似。中身は下衆の極みでも、カッコだけは付いてるか、などとほくそ笑んでおります。
 終わりに、これは真似ではないなという山口先生の御高説を。
「清少納言はとてもじれったがり屋です。何でも、予定通りにいかないと、いらいらじりじりしています。けれど、面白いことに、こと、恋愛になると、清少納言は乙女のように、どきどきわくわくはらはらしてしまう人なのです。」
 これは頷ける。わたくし、「予定通りにいかないと」すぐ狂います。近ごろでは「なんて日だ!」と咆えます。因みに、拓郎さんも一緒です。彼はアドリブが嫌いです。それにカムアウトしまと、「けれど、」なにのことになると「乙女のように、どきどきわくわくはらはら」なんです。いや、なんでした。本当です。大姐御に誓って嘘ではありません。
 と、なんだか自画自賛になってきました。もう一回例の煎じ茶を飲んで、勉強し直します。はい。 □


ラグビー異見

2015年10月16日 | エッセー

 ラグビーが大いに盛り上がっている。決して水を差すつもりはない。せいぜい年寄りの冷水と、お聞き流し願いたい。快挙は嘉したいが、勝利至上主義のあらぬ暴走を怖れるからだ。
 ラグビーは元来ノーサイドを前提にしている。内田 樹氏の達識を徴したい。以下、著名なラガーである平尾 剛氏との対談『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)から引く(◇部分)。
◇ラグビーもサッカーも、イギリス生まれのスポーツって、引き分けが前提にされているんですよね。すごくそれがおもしろい。とくにラグビーは「ノーサイド」で試合終了になりますよね。試合が終わったあとに両チーム入り交じって、懇親会みたいなパーティーがあるんですよね。◇
 ノーサイドが前提になるのはボールゲームの始原に由来する。
◇なんで、いまから何万年も前に人類の祖先たちがボールゲームを始めたかといったら、それはコミュニケーション能力を発達させていって全員がひとつの身体のようになることを目指したからでしょう。理由は生き延びるためですよ。◇
 自然の猛威との対峙もあるが、時代が下るとサバイバルが人為的に否応なく突き付けられる局面、つまり戦争で「全員がひとつの身体のようになる」能力が要求されてくる。別けても七つの海を支配した大英帝国にとって、「ひとつの身体」のごとき自在な戦闘集団は必須の要件であった。
◇帝国主義者のゲームだから、グラウンドでの試合なんかでいちいち勝った負けたと騒ぐなよ、ということだと思うんです。彼らにとって喫緊の問題は、「世界をどう支配するか」ということなんですから、そのための基礎的な能力をラグビーやサッカーを通じて訓練しているわけです。◇
 とどのつまり「基礎的な能力」とはチームプレーの謂であろう。敵陣に斬り込み自陣を拡大する。陣取り合戦という一点に向け、個のブラッシュアップとともに適材の配置、彼を知り己を知る戦略と戦術、流れを読み臨機応変な対応、阿吽の呼吸、淀みない連携、瞬時の知略と攻守の備え、雄叫びと覇気、厭わぬ犠牲、果敢な進撃と戦略的後退などなど、「支配」に課される「基礎的な能力」はすべて織り込まれている。英国でトップエリートを養成するパブリックスクール。その中の“ラグビー校”で生まれたこのスポーツ、「帝国主義者のゲーム」とは言い得て妙だ。
 余談ながら、片や戦国を潜り抜けた本邦では「基礎的な能力」を将軍学、兵学として伝承はしても、競技として訓練し発展させることはなかった。マスではなく属人的な武士道に舵が切られた。江戸300年の太平は「帝国主義者のゲーム」とは隔絶していた。必死にキャッチアップを始めるのは維新後のことだ。
 さて、内田氏の前言を受けて平尾氏は、
◇ノーサイドのもともと持っている意味というのは、勝敗をはっきりさせることよりも、試合をひとまず終わらせるという意味だった。◇
 と括っている。勝負ではなく、まず「訓練」としてラグビーがあったということだ。勝ち負けは二次的副産物であった。ここで内田氏は深甚の論攷を語る。
◇スポーツを勝敗だけで論じるのって、たとえば、人間の人生の勝ち負けを何歳まで生きたかで測るのと同じでしょ。問題は生きた年数じゃなくて、生きた時間のなかでどこまで高い質の時間を過ごしたか、与えられた命のなかでどこまで輝いたかということでしょう。そこしか見ないし、そこしか記憶されない。優勝とか勝率とかで騒ぐのって、それに近いと思うんですよ。
 たしかに勝負というのは、短期的なスパンで見た場合には、モチベーションが一気に上がりますね。「よし、勝つぞ」って。その闘争心がきっかけになって、ある種のブレークスルーを経験して、「ああ、自分にはこんなこともできるのか」という自己発見があったりする。だから、ブレークスルーを経験させるために、あえて勝負とか試合とかいう期間限定、条件限定の局面に追い込んでみるという「方便」はあってもいいと思うんです。でも、それがあくまでも「方便」であって、そのこと自体が目的じゃないということは繰り返しアナウンスする必要があると思いますね。◇
 繰り返すが、水を差すつもりはない。いかな偉丈夫とはいえ世の動向には一溜まりもない。コマーシャリズムに揉みくちゃにされたり、変な日の丸を背負わされることは避けたい。だから、冷水に及んだ。
 ラグビーと聞けば、そのルールの煩雑さに難渋する。ルールブックはラグビーが一番厚いともいう。微に入り細を穿つ規矩準縄が羅列する。なぜか? 「基礎的な能力」を錬磨するために、あらゆる事態を想定するからではないか。戦場は常に千変万化する。ある入力が恒常的にある帰結を呼ぶとは限らない。正負ともに一つの入力が多くの結果を導出する。その多様性を骨身に染み込ませるために、敢えてルールを複雑にした。競技である前に「帝国主義者のゲーム」、躯体を使ったケーススタディともいえる。そういう事情ではなかろうか。ラグビーに限って審判が小五月蠅いのはそのためだろう。判定を下すというより、ルールを駆使してゲームを作っていく。レフリーのトポロジーが他の競技とは違う。一々にスタディのため教え諭しているといえなくもない。
 ともあれ、この競技の怪異は「帝国主義者のゲーム」に来由する。裏返せば、それが得も言えぬ魅力でもあろう。なによりオリンピック種目にないのがいい。並のスポーツではないのだから、孤高を持するのは当然だ。次のワールドカップは2019。五輪に先駆けるのがなんとも痛快だ。屈強な丈良夫たちの、『世界標準』にキャッチアップしたゲームが観たいものだ。 □


パクって、ディスって、なんて談話だ! 

2015年10月13日 | エッセー

 安倍談話なるものが発表された8月14日の夜、「究極の選択」と題する拙稿でこれを取り上げた。一部を引く。
〓今夕、「戦後70年談話」なるものが恭しく発表された。なんのことはない。中学生レベルの歴史知識と高校生の弁論大会レベルのお話であった。というのは正確ではない。とても中高生にはできない極めて狡知に長けた“お話”であった。
──わが国は先の大戦における行いについて、繰り返し痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンをはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後もゆるぎないものであります。──
 ここだ。「歴代内閣の立場」は「ゆるぎないもの」なら、なぜ当代の首相として「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」しないのか。コンテクストを注視すれば判る。「わが国は」の一節は鉤括弧で括ってある。言わば伝聞である。自らは単なるパッサーでしかない。「反省」し「お詫び」しているのは歴代内閣であって、第97代内閣総理大臣安倍晋三の肉声はない。
 これはズルい。悪知恵だ。トリッキーで、狡猾、老獪この上ない。そこまでしてこの言葉を避けるトラウマとはなにか。父祖伝来の価値観、歴史観か。とまれ前提を欠損した未来志向なぞ戯言に過ぎぬ。この程度の人物に「究極の選択」を、断じて預けたくはない。〓
 約二ヶ月後、朝日新聞が「安倍談話の歴史観」と題して俎上に載せた。その中に、日本女子大教授で近現代日本史を専攻する成田龍一氏が寄稿している。以下、要約。

◇司馬史観、一側面だけ利用
 西洋諸国の植民地支配の中で、日本が近代化を進め、独立を守り抜いたという出発点や、日露戦争が近代化の達成点だということ。やがて日本が第1次世界大戦後につくられた新しい国際秩序に対する挑戦者になり、失敗したという見方もよく似ています。
 司馬史観の特徴は、国民国家という枠組みや価値観を肯定していることです。ただ、そこには弱点もありました。司馬は、日本の近代化と国民国家化は成功だったが、その先で間違えたという二段階で考える。だが、近代化の過程で欧米とそっくりな国にしたために、日本は軍事的にも領土的にも拡大路線をとらざるをえなかった。司馬が成功と見なしたことが、実は失敗に直結していた。安倍談話も同じく二段階で捉えているから、司馬史観の弱点を引き継いでいるといえます。
 もう一つの弱点は、植民地の問題に視線が及んでいないことです。「坂の上の雲」には台湾や朝鮮の植民地化がほとんど出てこない。安倍談話も「植民地支配からの訣別」は強調しても、誰が植民地化したのかには触れない。日本が加害者だという視点が希薄な点でも共通しています。
 しかし司馬は単純に国民国家を肯定していただけの人ではなく、グローバル化の波の中で、国民国家の枠組みを超えていくことも考えていました。しかし、安倍談話はそうしたものは一切、採り入れていない。「坂の上の雲」の司馬しか見ず、司馬史観の一つの側面だけを安易に利用しているように見えます。
 東日本大震災の後、経済的繁栄とは違う新たな目標を誰もが求めた。60年代の司馬的な理念(国民国家にもとづく経済的繁栄こそが日本の進むべき道)はそこで終わったはずですが、安倍談話は国民国家を立て直し、経済的繁栄を取り戻すという、司馬自身も80年代に捨てた夢を追っている。そこが決定的な問題だと思います。◇

 安倍談話の該当部分を挙げる。
〓百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
 そして七十年前。日本は、敗戦しました。〓(原文)
 拙稿で「中学生レベルの歴史知識」と評したのは、口気から受ける印象ゆえだった。中学校の教科書を音読しているような感触が耳に障ったのだ。「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」が十八番の首相が手の平を返し、やに大上段に振りかぶり教壇にでも立っているかのようで嫌悪感が募った。
 感情が先走ると碌な事はない。これが司馬史観の『パクリ』だったことを看過してしまった。慚愧に堪えない。成田氏がいう通りだ。ただ氏の「坂の上の雲」の位置づけが若干ステロタイプに過ぎる嫌いはあるが、「司馬史観の一つの側面だけを安易に利用している」のは隠しようもない。安倍談話のなんと盗人猛々しいことか。だから、「とても中高生にはできない極めて狡知に長けた“お話”であった」は強ち的を外れてはいない。
 成田氏寄稿の「もう一つの弱点」については、拙稿のイシューと通底している。
 後段の「安倍談話は国民国家を立て直し、経済的繁栄を取り戻すという、司馬自身も80年代に捨てた夢を追っている。そこが決定的な問題だ」は、さすがに鋭い。80年代以降、「土地本位制」を断罪し国民の堕落を嘆いた司馬の憂国を貶めるものだ。完全に『ディス』っている。アベノミクスも「1億総活躍」も「司馬自身も80年代に捨てた夢」の焼き直しではないか。偉大な史家への侮蔑であり誹謗以外のなにものでもない。まことに憤慨に堪えない。怒りを込めて小峠くん流に締め括りたい。
 パクって、ディスって……なんて談話だ! □


未から申へ

2015年10月08日 | エッセー

 「流行語大賞」は12月1日、「今年の漢字」は12月12日だからいかにも早いが、年賀状の関係で今年の干支を締め括っておきたい。
 “バイきんぐ”の小峠くん流に言うなら、『なんて年だ!』となる。『なんて干支だ!』でもいい。さらに、『羊の皮を着た狼』年ともいえよう。
 逸ノ城。大いに期待を込めて年賀状にフィーチャーした。少年時代の遊牧生活。狼と戦いながら“羊”を飼う日々。彼は今、土俵でライバルと戦いながら高みを目指す、と。
 まだ一場所あるが、期待通りにはいかなかったようだ。『狼の皮を着た羊』年であろうか。いや、それは早計だ。研究され、覚えられ、奈落に突き落とされてからが勝負である。前々回で述べた『異風』が時に擦過することはあるが、先場所からは『非辺境』より持ち来たったポテンシャルが本格的に開花する兆しも見て取れる。1年遅れで、来年は『羊の皮を着た狼』への挑戦だ。

 確かにギョッとした。遂に彼のアタマは壊れたのかと、疑りもした。今月1日、「天声人語」も書いた。

▼「1億総活躍」社会と聞いて直ちに感じたのは、まさに違和感だった。安倍首相が新たに掲げた目標だ。一人ひとりが職場や地域でもっと活躍できる社会を目指すという。▼類似の言い方を思い出す人は多いだろう。敗戦直後の「1億総懺悔」、近いところでは「1億総中流化」。こうした表現ぶりは、大げさで大雑把だが、耳には入りやすい▼だが、活躍できない人、活躍したいと思わない人も社会にはいる。「総」の中に入れない人、入りたくない人には息苦しく感じられる標語ではないか▼「総」は「個」の対極にある。総活躍は、個々の国民を一くくりにして上から号令をかけているかのようにも聞こえる。「総動員」の語は連想したくないけれど。(以上、抄録)

 公家顔の貴公子が爺さんの時代にタイムスリップした。消費税延期で信を問い、奪い取った多数で公約の片隅に小文字で書いた安保法制をごり押しする。挙句、今度は失策隠しの“新三本の矢”。おまけに、「国民を一くくりにして上から号令を」掛ける。大きな親切、大きなお世話。「『総』の中に入れない人、入りたくない人」だっているのだ。

   〽でも
    がんばらなくてもいいでしょう
    私なりって事でいいでしょう
    がんばらなくてもいいでしょう
        私なりのペースでもいいでしょう
    心が歩くままでいいでしょう
        そうでない私でもいいでしょう
        がんばれないけどいいでしょう
    私なりって事でいいでしょう〽

 吉田拓郎作詞・作曲『ガンバラナイけどいいでしょう』だ。贅言は要すまい。陳腐な「目標」への最強のアンチテーゼとして、この名曲を挙げておく。
 ともあれ公家顔宰相こそまさに『羊の皮を着た狼』、小峠くんでなくとも、『なんて年だ!』と叫ばずにはいられない。しかし後生の笑いものになるのはこの狼宰相ではなく、むしろ選んだ刻下の羊国民ではないか。新約聖書の訓に嘘はなかったというべきか。
 さて、迎えるは申年である。サルとくれば、秀吉だ。司馬遼太郎は『新史太閤記』に、「この秀吉という人間の傑作ともいうべき人物」と書いた。一句を以て万言を帯する。「人間の傑作」とは、脳髄が痺れる。
 かといって英雄待望論に与するものではない、絶対に。橋下某はサルなぞではなくザルであろうし、公家顔くんはとっとと“去る”べきだ。なにより司馬が英雄と評せず、「傑作」と呼んだ点に留意せねばなるまい。懇親の籠もった言葉だ。仰ぎ見てはいない。彼我は同じトポロジーにいる。司馬史観が他を圧倒する骨法である。
 要は、「刻下の羊国民」が猿を過たず見抜くことであろう。猪口才な小童猿に騙されてはならない。
 確かに干支が人や1年のありようを規定するわけはない。人世の千変万化の光を掴み倦ね、無理やりプリズムに通したか。人知を越えた人や時の移ろいを知的なバイアスで括ろうとした人為が干支だ。その逆ではない。だから託ける。
 未から申へ。『なんて年だ!』は今年限りにしたい。『羊の皮を着た狼』年よ、さらばだ。
 毎年、干支に因んだ年賀状を出す。悩ましいが密かな愉しみでもある。ところが12年前は、申年について鄙見を巡らしてはいない。愚母が逝(イ)った年で、年賀状自体を出さなかったのだ。ならば来年は十三回忌、年忌もこれで一応の区切りだろう。
 因みに、フランス由来のダースも12。だが、こちらは同種のモノの12ケの集合をいう。十二支と基数詞は同じでも謂が違う。バラエティーが売りだ。文字通り、この12年間も実に目まぐるしい一巡だった。さて次は。間違いなく1ダースではない。ああ、目眩がする。 □


栗と団栗

2015年10月04日 | エッセー

 山間(ヤマアイ)の親戚から一抱えもある栗が届いた。荊妻が毬栗と格闘する後ろ姿が縄文人に重なって見え、ひとり、笑いを堪えた。太古、彼らも皮剥きには難儀したにちがいない。それとも石器を巧みに操ったのか。1万5千年といえども遠からず。人類が料理と向き合う姿に変わりはないと、合点が行った。
 同じく秋といえば、団栗だ。名は似ているが、別物である。すぐに『どんぐりころころ』が口を衝いて出てくる。今は教科書から消えているそうだが、かつては定番であった。大正時代に作られた唱歌ではあるが、日の目を見たのは戦後間もなくだった。教科書を刷新する中で、欧米の曲に併せて戦前には未登場だった多くの童謡も採用された。その内の一曲である。47年、小学校2年生の音楽教科書に載った。

『団栗ころころ』 作詞 青木存義 /作曲 梁田貞
   〽どんぐりころころ      ドンブリコ
    お池にはまって      さあ大変
    どじょうが出て来て     今日は
    坊ちゃん一緒に     遊びましょう

    どんぐりころころ       よろこんで
    しばらく一緒に        遊んだが
    やっぱりお山が      恋しいと
    泣いてはどじょうを     困らせた〽

 ノスタルジックではあるが、ミステリアスでもある。「団栗と泥鰌」の結びつき。加えて、なぜ「池」なのか。「お嬢ちゃん」ではいけないのか。
 人生幸朗(すげぇー古い!)張りのツッコミを入れるわけではないが、よくもまあこんな不可解な歌を唄っていたものだ。
 実は、長らく隅に置かれていたには背景があった。作詞家青木存義の時代、童謡に新しい風が吹いていた。子供たちに与える歌にもっと空想や情緒を入れ、芸術性を高めるべきだとする思潮である。──当時文部官僚でもあった青木もそのような潮目を掬したのではないか。突飛な組み合わせで空想に誘(イザナ)い、「お山」への帰還という叶わないドラマで情緒を掻き立てようとした。だが、旧套墨守の官衙はこれを受け入れなかった──そんな揣摩をしてみた。
 調べると、青木は東北の大地主の息子。「坊ちゃん」である。大屋敷には宏壮な庭があり、「池」が穿たれ、池畔には楢の木があった。もちろん秋には団栗が実る。
 さてここの坊ちゃん、大の寝坊助。朝、起きない。手を焼いた母親が屋敷の庭に泥鰌を放った。ペットで生活習慣を変えようと算段したのだろう。そんな実話が創作の元手だった。だから大半の童謡とは違い、「お嬢ちゃん」ではないのか。
 と、「不可解」を無理やり解いてみた。世はなかなかプログレッシブに追いつけない一例である。
 栗と団栗、ともに縄文人の採集食物の代表格であった。さらに双方、殻斗に覆われる堅果である。わざわざ堅いものを、との心配はご無用。縄文人には、司馬遼太郎曰く「第二の胃袋」があった。縄文式土器である。煮炊きと保存に大いに供した。
「縄文時代とは、豊かな気候条件と生態条件に恵まれた時代。縄文人とは、生活の知恵と知識を高度に磨いた日本列島ならではのユニークな人々。縄文文化とは、ことに土器文化や漁撈文化などを見事に開花させた生活の総体。日本人の基底にあるメンタリティや心象風景が息づいた時代なのだ。こうした時代を有していたことを、もっと日本人は誇りにしてよいのではなかろうか。」
 と語るのは骨考古学の泰斗、片山一道氏だ。本年5月刊のちくま新書「骨が語る日本人の歴史」から引いた。多数の人骨に突如殺傷痕が顕れる弥生時代の前、本邦には1万年もの長遠な期間、豊かな環境に恵まれ「生活の知恵と知識を高度に磨いた」「ユニークな人々」がいた。わたしたちの遠き御先祖様たちである(縄文人と弥生人の断絶は本書で明確に否定されている)。繰り返すが、1万年である。「日本人の基底にあるメンタリティや心象風景が息づいた」道理ではないか。
 愚妻が毬栗を前にした時の並々ならぬ闘志、孤軍を厭わぬ奮闘。あのハイテンションは個人的資質に帰するというより、古層的本質に由来するのではないか。炊きあがった栗ご飯の湯気の向こうに、どや顔の縄文人がいた。 □ 


異風はどこから

2015年10月02日 | エッセー

 秋場所14日目結びの一番、鶴竜が行司待ったが掛かった立ち会いと、仕切り直しで左右に2度注文をつけた。相手の稀勢の里応援団からはヤジが飛んだ。大相撲ではめずらしい一幕だった。
 かつて触れた大相撲の“裏取り組み”ともいうべきNHK解説者同士“北の富士VS舞の海”の取り組みが、翌日千秋楽でやはり火花を散らした。横綱らしからぬと、北の富士は言う。舞の海はこれも勝負だと言う。鬼の居ぬ間のなんとかで、横綱での初優勝が目の前にあった。後日、当人が語ったように肩を痛めてもいた(そのカムアウト自体にも納得はいかぬが)。賛否は分かれた。朝日は「綱が泣く」と報じ、藤島審判長は意表を突いた心理戦だと庇った。ともあれ、晴れやかとは言い難い。
 喧嘩擬きの張り手、荒っぽいぶちかまし、理不尽な変化、鬱憤晴らしのようなだめ押しなど、近年土俵上に『異風』が吹き始めたようだ。特に外国人力士、別けても朝青龍あたりからか。“ジャパニーズドリーム”をめざしての勝負への執着ともいえるが、むしろ文化的フリクションといえるのではないか。
 そこで、立場を変えてみたい。イチローの場合はどうか。かつての拙稿「私的イチロー考」(12年3月)を要約、引用したい。(詳しくは当ブログを参照願いたい)
〓はたしてイチローとは何者なのか。いつものように奇想を逞しくして愚慮を巡らしてみた。奇想の呼び水は内田樹氏の「日本辺境論」(新潮新書)である。
 「日本辺境論」のキールだけを取り出すと、
  ①日本は辺境にある
   ②ゆえに「道」が提起され
   ③ソリューションとして「機」が案出された
 となるであろうか。ところが、イチローはこれら3つからは無縁である。いわば『非辺境人』だ。そこにイチローのイチローたる所以があるのではないか。
 まず①について。
 イチローは「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」という辺境の限界を超えて、「世界標準を新たに設定」した。
 ②はどうか。
 日本ではどんな技術でも「道」にして、「遠い彼方にわれわれの度量衡では推し量ることのできない卓絶した境位」を措く。辺境人として遅れを痛感し、慢心を諫める優れたプログラミングではあるのだが、未熟・未完成を正当化することに繋がる。だから、「道」と「成就」は整合しづらい。しかし、「おのれの未熟・未完成を正当化」できる辺境に、イチローはすでにいない。
 そして③、ソリューションとしての「機」である。
 つねに「起源に遅れる」という辺境の宿命を超えるにはどうするか。本邦の先達たちは心身の原始性を極限まで活性化するというアクロバシーを採用した。それが後即先、受動即能動、祖述即創造。この「学ぶが遅れない」「受け容れるが後手に回らない」というソリューションとしての「機」であった。だが、イチローは対極に立つ。「身体技術の開発にリソースが集中」されて、「機」とは縁遠いように望見される。〓(「 」部分は上掲書よりの引用)
 大相撲は上記①とは様相を異にする。本邦を席巻するほどの大勢であるモンゴルにはブフがある。ブフが祖型といえるかどうかは別にして、大相撲を世界標準に措定すると「世界標準に準拠してふるまうことはできる」。容易い。同類である以上、フテチの同族に“辺境から中心へ”のベクトルは生まれ難い。「世界標準を新たに設定する」発想とも無縁である。ここまではイチローと外形的に同等、『非辺境人』といえよう。
 問題は②だ。ここがボトルネックではないか。氏より育ち。アプリオリな文化的背景がまるで違う。『非辺境』から乗っ込んだ外国人力士は、ここでは圧倒的に辺境に押し遣られてしまう。本ブログで何度か指摘した白鵬に散見されるぎこちない過剰適応は文化的フリクションの一典型ではないか。もっとも、適応どころか早々と店を畳んだ朝青龍はすんでのところでフリクションをスルーしたともいえる。となれば、白鵬は生真面目が過ぎたといえなくもない。
 そして③だ。ブフを同類とすると、フテチの縁者たちは「起源に遅れる」という宿命からはすでに解き放たれている。「機」は不要だ。「身体技術の開発にリソースが集中」されていく。「後の先」などという相撲版「機」からは遠くなる。勢い、荒技の「『異風』が吹き始め」る。
 さらに一点。アメリカ発祥の野球は多民族国家ゆえに生まれた。学校にはさまざまなコミュニティから集ってくるが、それぞれのコミュニティには伝統の得意スポーツがある。教育現場で得手、不得手がぶつかってはまずい。無用の反目を生むことになる。そこで、だれもが未経験の新しいスポーツを発明することになった。だから、多民族向けスポーツたる野球自体の出自がイチローにアドバンテージを与えているともいえる。
 括ると、①と③についてはフテチ一族はイチローと同じトポロジー、双方『非辺境人』といえなくもない。ただし②では途端に辺境人に変位する。ややこしいいい方をすると、イチローが辺境人から『非辺境人』にメタモルしたのに対して、彼らは『非辺境人』であるために辺境人に転位した。これが「文化的フリクション」の事訳ではないか。
 大袈裟にいえば、事は構造的だ。かつて白鵬には華がないと扱き下ろしたが、あながち彼ばかりを責めるのは可哀相でもある。しかし、そう感じるこちらも同じく文化的フリクションを起こしているともいえる。ヒト・モノ・カネが自由に行き交う時代の不可避の難事に、辺境性を強く引き摺る大相撲が先駆けて直面しているのか。何とも悩ましい。

 先場所後に引退した若の里が花道で役員として立っている姿を中継画面で何度か目にした。23年を越える古参力士だ。かつては三賞を総なめにし大関候補筆頭と呼び声が高かった時期もある。しかし怪我に泣いた。昨年から十両へ。それでも土俵態度は誠実で闘志は衰えなかった。「勝って喜ばず、負けて悔しがらず」を貫いた。手術が9回、満身創痍。ついに先場所の大敗で引退を決意した。39歳、立派な力士人生だ。
 先妣が贔屓にしていた。テレビ桟敷に陣取って声を上げては悔しがり、手を叩いては大喜びしていた姿が浮かぶ。伝統的なあんこ型で、愛くるしい面立ちをしていた。そういえば、勝っても負けても華があった。秋風にふっと一輪散ったようで、寂しい。 □