伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

電話もできるケータイ?! 

2008年07月30日 | エッセー
 今のケータイが3年になる。そろそろ買い替えようかと、カタログを取り寄せた。あるわ、あるわ、機能のオンパレードだ。
 まず、現在利用できる機能を列挙してみる。

◆通話 …… 携帯電話である以上、当然である。
◆メール …… 調査によると、通話以上に使用頻度が高い。中身も ―― 文字のみ / 顔文字・絵文字を使う / 写真を添付 / デコレーション機能を使う / 動画を添付 / これらの合わせ技 / さらに応用編として、地域情報のメール配信など、多彩である。
◆カメラ …… デジカメと比して遜色はない。あとは手振れ防止が付くかどうか。
◆ムービー …… 録画だけではなく、メールで送ることもできる。
◆アラーム …… 目覚ましだけではない。用件を表示し、電話までかけるものもある。
◆アドレス帳 …… アドレスだけではない。電話番号、メルアド、勤務先その他、写真まで。巨大なデータベースを持ち歩いていることになる。
◆電卓 …… 「卓」は卓上。それが掌上になった。
◆スケジュール帳 …… もちろんアラームとの合わせ技もできる。
◆ゲーム …… 多様なアイテムが用意されている。病院の待ち時間などにはもってこいだ。
◆ワンセグ …… テレビの持ち歩きである。しかもデジタル。
◆メモ帳 …… 入力は面倒だが、メモ帳自体を忘れることはまずない。音声メモなら最速の備忘録になる。
◆インターネット …… これは実に多機能だ。ネットでできることはほとんど可能。ショッピング、オークション、オンライントレードもできる。特に、財布替わりの決済機能 / モバイルバンキング / 乗り換え案内 / GPS機能などはケータイの独壇場だ。さらにケータイ小説 / 楽曲のダウンロード / ウォークマン機能、さらには映画のダウンロードと視聴も可能だ。(現段階では、PCにダウンロードしたものを取り込んで使う)
◆PCソフトの閲覧 …… いまのところMSのワード、エクセル。そのうち入力も可能になるかもしれない。
  この他にもあるだろうし、この先増えるにちがいない。望みたいのは、高齢化に対応した音声入力、読み上げ機能とディスプレイの飛躍的発展だ。

 「すべての道はローマに通ず」を誤用すると、『すべての情報はケータイに通ず』である。もはや「携帯電話」から、「ケータイ」という名の情報末端となりつつある。これほどメタモルした機械はざらにない。冷蔵庫に冷凍庫が付いたのとはわけがちがう。電子レンジも炊飯器も、掃除機、洗濯機、おまけにエアコンまで、白物家電をひとまとめにしたようなものだ。いや、それでも言い足りない。なんでもござれのお手伝いロボットに変身したといってもいい。そのうち、「へぇー、ケータイって電話もできるんだ!」となるかもしれない。
 5年前、「ケータイを持ったサル」(正高信男著 中公新書)が話題になった。ケータイに視点を当てて現代に生きる人たちを斬ったのだが、今では『竹光』に等しい。このマシン、機能の進化はもとより、「衣食住」の衣のレベルに等しいほど生活に食い込んでいる。着る着ないの問題は疾うに通過している。TPOによってなにを着るか、どう着こなすかを論ずる段階だ。
 さきごろ、ケータイ人口は1億人を突破した。幼児以外一人に一台、プライベイト・フォンの時代である。今やケータイを持たない人は「ケッタイ」(ケータイの駄洒落、失礼!)な人といわれる。いや、世の動きに「懈怠(ケタイ)」(これも駄洒落、また失礼!)を決め込む人か。それとも、「形態」(またもや駄洒落、重ねて失礼!)にこだわらず我が道を征く人か。
 
 カタログを閉じて、ふと浮かんだ。「電話もできるケータイ!」 うん、なかなかいいコピーだ。「ケータイ(携帯)できる電話」から長足の進歩。 …… ところで、買い替えはどうする。もうひとつピンとくる品物がない。やはり、「下手の道具調べ」か。 □


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食、二話

2008年07月26日 | エッセー

 おととい、年に一度の鰻重をやっと三分の一食した。これで一年間は喰わずに済む。 …… 無理してなぜと問われれば、雷同不和、大勢に順ずるが生まれついての質(タチ)とでも答えようか。世間が挙げて興ずるものを指を銜えて見ているわけにはいかない。
 幼少のころ、「土曜」日でもないのに牛ではなく鰻を食べる理由(ワケ)を訊いて周囲の嗤いを誘ったことがある。大地の気が働いて新しい季節が始まる。その四つの「土用」のうちでも夏に備えようと始まった風習である。肉食(ニクジキ)は御法度。そこで鰻と相成った。ウナギさんには受難の時季だ。
 さて、その鰻。またもや偽装騒ぎが起こった。今度は産地を偽った。昨今流行(ハヤリ)の食品偽装は、ほとんどが内部告発によって明るみに出ている。今回の通報もそんなとこでは。消費者、分けても食通の舌が選り分けたものではない。先日、丁髷(チョンマゲ)姿のお笑い芸人が、「どうして中尾彬が見抜けなかったのか?」とネタにしていた。その通りともいえようが、はたしてどうか。中尾クンにしたところが至難の業であろう。
 つまりは、その程度のことなのだ。こいつはどうも中国の臭いがすると騒いだ者はいない。中国産の例に漏れず大腸菌や農薬が出てきたそうだ。三日に空けず喰えば話は別だが、ひとりとして腹痛を起こした者はいない。実害もなく、違いも判別できないものを産地で仕分けることに何の意味があるだろう、といえば乱暴に過ぎるか。ましてや鰻は回遊魚である。産卵は赤道からフィリピン東方沖。孵化して海流に運ばれ、アジア各地の川を遡上する。もちろん、水や餌、育つ風土の影響はあろうが、出自に違いはない。養殖とて事情は大同小異。中国の養殖場で育つ稚魚は欧州産だ。アメリカ産もあれば、台湾の養殖鰻もある。もはやトレーサヴィリティーの外である。
 断っておくが、騙していいといっているのではない。商いの基にも人倫にも背くこのような非道が許されてよい筈はない。だからといって、規矩準縄の網を張れば事は収まるのか。JAS(日本農林規格)法の網目を細かくすれば捕獲できるのか。ウナギだけにヌルヌルと容易には掴ませまい。この先どうなるか、ウナギに訊いてくれでは落語の下げだ。いっかな埒は明かない。ウナギならぬ、モグラ叩きが繰り返されるばかりだ。ウナギに罪はない。罪作りはヒトだ。やはり、人為の網ではなく天網に任せるべきか。「恢々疎にして漏らさず」こそが、『セーフティーネット』であろうか。
 
 もうひとつ、埒の明かないことがある。食糧自給の問題だ。07年11月4日付本ブログ「2007年10月の出来事から ―― 「赤福」餅、消費期限偽る」でこう書いた。
 〓〓分けても賞味期限。賞味期限切れで廃棄される食品は年間2千万トン以上に及ぶ。2001年に「食品リサイクル法」が施行されたが、賞味期限がある限り廃棄の現実に変わりはない。食糧自給率40パーセントの国が、この体たらく。ここにこそ目を向けるべきではないか。飽食ニッポンのマンガのような転倒の姿。〓〓
 「貿易立国」日本は農地を工場に替え、製品を輸出して食糧を輸入する道を歩んできた。否、疾走してきた。とどのつまりが「40%」である。人数にすると、自給可能が7700万人、5000万人が輸入食糧で生き延びている計算だ。ただ、この日本の路線に翳りが見えはじめた。中印を中心にしたパラダイムシフト。原油・食品の高騰はその表徴だ。これについては稿を改めたい。
 ここで愚考を巡らす。
 「衣食住」とはいうが、本当のところは「食住衣」であろう。食がファーストプライオリティーだ。生命に直結する。日本はここを海外に委ねている、更には生殺の権を握られている。だが、俟て。視点を変えれば、アプリオリに「平和国家」の与件を負うことではないか。一国では喰うに喰えない。「食」が立ち行かないとは、つまり国際の友好、平和がなにより形而下で希求されているということだ。絵空事の論議ではない。平和憲法に実質を与えているのは、自衛隊は軍事力ではないという詭弁や、非核三原則などの漠たる能書きではない。一国の「食」と国際平和が分かち難く繋がっている事実こそが、平和憲法の最大にして最強の担保だ。食と平和との緊縛こそ、9条の実態的意味ではないか。
 先日のテレビニュースで、輸入が途絶えたらスーパーからどれだけ品物がなくなるかを試していた。棚はほとんどすっからかんになる。家畜の肥料でさえ海外から入る。油がなければ魚も獲れない。日本列島は絶海の孤島なのだ。この地理的条件は動かない。それに、「食」のレベルも簡単には変わらない。自給率の本格的回復も途方もない時間と産業構造の激変を伴う。はたしてできるか。できっこない。
 できもしないことに憂き身を窶すより、「塞翁が馬」を決めるのが賢明ではないか。連れ帰る駿馬は国際信用であるかもしれず、落馬によって紛争の当事者たることを免れるかもしれない。
 喰うための戦争から、喰うための平和へ。これは、人類史的挑戦ではないか。 □


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先割れスプーンで猫飯を喰いますか?

2008年07月19日 | エッセー
 遙かむかしのような気がする。本ブログの2作目、「ヘンなことば」の中で、『みたい語』を取り上げた。06年3月27日のことだ。その部分は ――
 『みたい語』…「○○したみたい」「これに決めた、みたいな」と使う。明言せずに、「みたい」でもって動作や状況をやんわりとくるんでしまう。
  ―― である。
 その他、「ワタシ的には」「キミ的には」などの『的語(テキゴ)』。『とか弁』の連発。「方言」ではなく、「ご注文の方は」など、「○○の方(ホウ)」を多用する『の方言』。『じゃないですか話法』を槍玉に挙げた。
 しかし、やはり犬の遠吠え、暖簾に腕押し、馬耳東風。世の大勢には抗い難い。いまやNHKのアナウンサーでさえ平気で使う。そこで、「問題な日本語」第1巻(大修館書店 2004年12月刊)を援用して、再度豆腐に鎹を打っておきたい。

〓〓 みたいな
【質問】
 「…、みたいな。」などの「みたいな」の用法が気になります。間違いではないのでしょうか。
【答え】
 最近、「一緒にやろうよ、みたいな話だった」とか、「お前は帰れ、みたいな態度、むかつく。」というように、会話の内容を「みたいな」で受ける言い方がみられます。
 学校文法では、「みたいだ」は、名詞や活用語の終止形に付くとされますが、この用法は、終助詞「よ」や命令形に接続するので、例外となりそうです。
 この「みたいだ」と同じように、前の語句を受けて、概略を示したり例として示したりするものに「ようだ」があります。両者は前の語句との接続に違いがあります。まず、名詞と接続する場合、「ようだ」は、「彼のような学生」とか「馬とか牛といったような家畜」のように「の」や「という(といった)」を中に入れますが、「みたいだ」は、「彼みたいな学生」とか「馬や牛みたいな家畜」のように、直接名詞につけます。
 また、「ようだ」は名詞以外のものでも、「君がするような仕事ではない」のように動詞に直接つけることができますが、これに対し「みたいだ」は、動詞に直接つけて、「君がするみたいな仕事ではない」というと不自然な言い方になってしまいます(「彼は帰るみたいだ」のような言い方は出来ますが、これは、「たぶん、~だろう」という推量を表すのであって、「いわば、~といった」とか「たとえば~」といった概略や例示の用法ではありません)。
 それでは、冒頭の例のような、引用部分を受ける場合はどうでしょうか。「ようだ」の場合、「『一緒にやろうよ』というような話だった」や「『お前は帰れ』のような態度」という形、つまり、先の名詞の場合と同じように、「という」や「の」を中に入れる形になります。引用部分は、名詞とよく似た性質があるのです。
 一方、「みたいだ」のほうはというと、名詞には「の」を添えず直接つけますので、引用句を名詞と同様に扱うと、「一緒にやろうよ、みたいな話だった」のような言い方ができあがります。このように、「一緒にやろうよ、みたいな話だった」「お前は帰れ、みたいな態度、むかつく。」などの言い方は、引用部分を名詞と同様に扱うという、それなりの文法的な手続きを踏んで作り出されたものです。しかし、現時点では、友達同士の使用ならともかく、改まった場面では好ましい表現ではありません。
 会話を直接引用するのであれば、不必要にぼかさないで、はっきり「~という」で示す方が良いでしょうし、例示の意味を含めるなら、「~というような」や「といった」、「(さも)~と言わんばかりの」といった表現を使うようにしたいものです。
【まとめ】
 「一緒にやろうよ、みたいな …」のような言い方は引用部分を名詞のように扱うことで生み出されたのですが、まだ一般的な用法とは言えません。改まった場面では、「~という」や「というような」、「~と言わんばかりの」のような言い方をするのが望ましいでしょう。〓〓

 糠に釘打つ徒労は覚悟の前だ。生まれることば、廃ることば。新しい語法、古くなる話法。もちろんことばは生き物である。さらに言葉の経済化は常に起こっている。短縮化もある。時代の風も吹く。外来の言葉は増加の一途。世代間の相違もある。糅てて加えて、日本語の言語としての深さ。ことばは文化であると同時に、歴史でもある。フランスが英米語の蚕食を嫌うのもその辺りの事情を現している。
 特に俎上に載せたいのは、多義語と『無理矢理話法』の類だ。多義語の典型は「思う」。06年11月30日付の本ブログ『おかずを思う』か?」で難じた。そして『無理矢理話法』の嚆矢となりつつあるのがこの『みたい語』ではないか。

 「思う」には辞書に収録されているだけでも以下の通り、10意ある。
①心に感ずる
②判断する。思慮する。
③目論む。願う。
④予想する。想像する。
⑤心に定める。決心する。
⑥心にかける。心配する。
⑦慕う。大切にする。
⑧思い出す。回想する。
⑩表情をする。
 派生、関連を入れればもっとあるだろう。まことに重宝、有り体にいえば模糊として掴みがたい。
 なんでもかんでも特定の一つのことばで済ましてしまう、多義語の濫用。これはいわば「先割れスプーン」ではないか。スプーンにもなれば、フォークにもなる。真偽は定かではないが、進駐軍が持ち込んだという話だ。簡便で手間いらず、これで喰えないものはない。箸の使えない幼児にはもってこい。ひところは学校の給食で大いに使われた。しかしこればかりでは箸が使えない。不器用を育てる間(アイ)の子食器だと、いまでは姿を消しつつある。

 また『みたい語』のように、少し込み入った言い方は一つにまとめてしまう『無理矢理話法。こちらは猫飯(マンマ)である。味わいなぞ思慮の外、腹の中では同じだろうとばかり乱暴この上もない。何かをつづめたつもりが、大事なものが抜けている。立ち止まると、やはり繋がっていない。前述の「問題な日本語」全3巻から二つばかり拾ってみると ―― 。
◆なります …… 「こちら、珈琲になります」  
 これはすでに定着した感がある。同書の見解によると、物自体の変化ではなく事態の推移をこのように表現しているのだそうだ。『ひょっとして期待にそえないかも知れませんが、これがお客様の注文を受けて当店が作りました珈琲でございます。どうぞご賞味ください』まことに一句万了である。
◆かたち …… 「ご負担いただくようなかたちになっております」
 丁寧に逃げを打つ場合など、これは特に接客業で最近目立つ。「当社としましては、アフターケアを徹底させるというかたちでサポートさせていただいております」など。高尚さと客観性をを少しばかり装いながら使われる。

 先割れスプーンで猫飯を喰らう言語状況はこの先も続くであろう。いずれにせよ、表現のふくらみ、多様性は薄れていく。たおやかでふくよかな日本語がシュリンクしていく。それが気にかかる。ことばの貧困は精神の卑小と踵を接する。 □


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壱万円が泣いてらー

2008年07月15日 | エッセー
 公務員は『現代の貴族』だそうだ。ただかつての貴族と違い、世襲がない。しかし継がせたい。ならばと、袖の下を使うこととあいなった。まことにわかりやすい。手口は巧妙でも、動機は単純だ。動機の判りづらい事件が相次ぐなか、呆れるほどに明快だ。
 30歳代前半の女性教員で約40万、50歳代の校長が60万円台といったところが平均月給である。それに夏休み中も給与は出る。民間企業では考えられない。尤も「自主研修」が『認められ』、単なる休みではないそうだが …… 。
 この月、大分県教委を舞台にした贈収賄事件が発覚した。
 この類の事柄は何度か取り上げた。ことし4月26日付本ブログ「『四権』?国家」では「官僚主権」の視点から光源氏にまで淵源を遡った。今回は貪吏(タンリ)にフォーカスする。
 ある国際機関が「公務員の清潔度」について180ヶ国を対象に調査した。堂々の第1位は北欧の福祉国家デンマーク。最下位は軍政が続くミャンマー。日本は意外にも17位と健闘している。1年間に賄賂を受け取った公務員が世界の平均で13%、日本は1%。これも悪くない。額面も日本ではせいぜい数百万から数千万程度だが、中国では2年間で27億円を使い込んだ強者(ツワモノ)がいた。桁がちがう。やはり中国で、146人の愛人を公費で養っていた事件もあった。こちらの方もやることがでかい。
 中国といえば、科挙だ。役人貴族への登竜門であった。カンニングが横行し、賄賂が授受され、替え玉受験が跳梁した。清の時代には流罪に処される者が続出した。ことは科挙に限らない。「袖の下」はアジアに伝来する抜きがたき社会的慣習である。したがって、特に江戸・明治期の日本官吏のクリーンさは世界史的快挙といってよい。
 司馬遼太郎は「『昭和』という国家」で、次のように語った。

 〓〓陳舜臣さんがよく「清官で三代」と言いますね。清らかな官で三代飯が食えるほど懐に入るものだと。清朝のとき、清官は迷惑がられたのですね。いろいろ便宜を図ってもらうために、少々賄賂を取ってくれたほうが、その地域の人民にはいいのです。地方長官が賄賂を取ってくれて、なんとなくうまくいく、そういう汚職が機能する社会になっていました。むしろ貪官汚吏(タンカンオリ)といいますか、そのほうがみなさん気楽でいい。それがアジアであります。
 そういうものは江戸時代の役人道にはありませんね。田沼意次がどうこういっても、それは些細なことを誇大に書いているだけです。江戸期の侍は、ちょうど足軽ぐらいまで入れて、国民がだいたい三千万のうちの一割、三百万人ほどです。非常に清らかでした。
 吉田松陰が少年のときに叔父さんの玉木文之進に死ぬほど殴られてしまうのですが、殴られた動機は、本を読んでいたときに虫がたかって、顔がかゆかったためにかいたからです。かゆいということは私情であります。吉田松陰の実家は杉家といって、石高は三十石もなかったと思います。玉木文之進は考えたのでしょう。玉木は郡奉行をつとめたことがあります。聖賢の本を読むのは「公」であり、顔をかくのは「私」である。いま公私を混同して顔をかくようでは、大きくなって汚職をしてしまうかも知れない。しかし、お母さんはそれを見て、あまりのせっかんのひどさに、「寅次郎、お死に、お死に。もう死んでしまいなさい」そのぐらいに思ったそうであります。
 つまりそういう異様なまでの清らかな官吏、清らかな政治家へのきちんとした思考というか、スタンダードがあったために江戸期もうまくいった。よくテレビや映画の時代劇を見ていますと、悪代官が出てきます。藩の代官にはいろいろな人がいましたから、これは話が別ですが、幕府領の責任者の代官というのは選び抜かれた人でした。人格も行動も選び抜かれた人が勘定所からピックアップされて、大和なら大和、五條なら五條の代官所へ行く。五條の代官所は、だいたい中ぐらいの大名程度の領地を代官以下十人ほどで治めていました。非常に効率のいい、非常に軽い政府であります。代打所は軽い行政体なのですね。汚職などまずなく、悪い人もまずいなかった。そういう江戸期に確立された役人道が、明治に引き継がれているわけです。〓〓

 江戸の「清官」を生んだ「スタンダード」とは何であろうか。ある識者はそれを、上から下まで儒教を中心にして練り上げた「倫理社会」だという。たとえば四民の最下層にある商人に求められたのは、利よりも先ずは信用であった。信用を失えば商いの継続はもちろんのこと、家が立ち行かなくなる。一家の存続こそ、四民を通じてのファースト・プライオリティーであった。さらに、武士階級の得る俸禄とは家禄であった。つまりは個人にではなく、家に対して与えられた。それは子々孫々に継承される。その生来の特権を一時(イットキ)の小金で藻屑に帰すはずはなかろう。
 だがいまや「家」は、結婚式場の看板に記されることぐらいにしか残滓を留めない。替わって「個」が声高に語られる。「倫理」はすでに失われて久しい。戦後60星霜、いまだ現代の「スタンダード」はその片鱗さえも見えない。制度や規矩準縄に事を預けてはならぬ。内なる「スタンダード」が不動となるまで、「土竜叩き」はつづく。

 さて、大分と裏表(ウラウエ)の位置に佐賀がある。江戸時代は地方の藩ほど教育に力を入れた。『教育立国』である。別けても佐賀は格別であった。というより、ファナティックであった。エリート教育である。定められた年齢に至ると試験がある。合格できないと家禄を減殺される。300諸侯のなかで、これほどに苛烈を極めた藩はない。教育ママどころの騒ぎではない。家名を掛けての猛勉強である。当然、賂(マイナイ)など寸毫も入り込む余地はない。
 維新後、大蔵卿として殖産興業を推進した大隈重信。司法卿として近代司法制度を確立した江藤新平。どちらも佐賀の常軌を逸した誅求の教育が生んだ逸材である。歴史の奇観でもある。
 片や、大分といえば中津藩。福澤諭吉である。この明治の巨人も教育で身を起こした。肖像はいま万札を飾る。
 今度の事件で渡されたという現金。まさか「樋口一葉」ではあるまい。ましてや「野口英世」のはずがない。嵩張ってしまい、大金の受け渡しに適すまい。「福澤」先生が大挙してお出ましになったはずだ。「『學問』は『スヽメ』ても、こんなことを『スヽメ』た覚えはない!」と号泣しつつ、袖の下をくぐられたに相違ない。 □


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2008年6月の出来事から

2008年07月06日 | エッセー
■ 男子バレーボール北京五輪へ
 世界最終予選兼アジア大陸予選でアジア1位が確定、16年ぶりの五輪出場が決まった(7日)

  ―― 喜びの表現にもいろいろある。ふつうは、跳び上がる。しかし、これには参った。決まったその瞬間、上田監督は東京体育館のコートに背広姿の巨体を俯した。人類の奇態を初めて観た。「天にも昇る心地」というが、「地にも臥す心地」というのもあるのだ。もちろん本人は考えてのことではない。とっさの反応であろう。並なガッツポーズより、よほどに気が利いている。
 五大会目の五輪。ぜひ、北京理工大学体育館のコートでもうっぷしてほしい。

■ 東京・秋葉原で無差別殺傷、7人死亡
 歩行者天国で25歳の男がトラックで通行人をはねた後、周りの人をナイフで次々と刺した(8日)

  ―― 介抱していた通行人が刺され、刺されなかった通行人がその模様をケータイで撮っている。まことに奇っ怪な図である。おそらく写メールで『配信』されたにちがいない。
 写真家で作家の藤原真也氏は朝日新聞のインタビューで次のように語った。

 〓映像が凶器の無理心中
 今回の通り魔事件が過去のそれと異なるのは、犯行が即時にネット配信され、映像がテレビやインターネットに流れたことだ。
 ネットやケータイが日常化し、私たちは映像が凶器となり、そして無差別なプロパガンダになる時代を生きている。
 アキバのホコ天は当時「ハレ晴レユカイ」踊りやその他のパフォーマンスで騒乱のピークに達し、ケータイやカメラやビデオを持った若者がそれに群がるという構図があった。彼はそれらの映像機器が事件に群がることを期待していたはずだ。そのことは犯行時の異常行動に表れている。
 彼は人をはね、わずか数十㍍で止まり、車から降りて、小走りに引き返している。大量殺人が目的なら、800㍍はある歩行者天国を車で突っ切っていけばいい話だ。だが、彼は人垣ができて、ケータイやカメラが群がり始めた群衆の中に、捕まるリスクを冒して突っ込んでいる。映像機器の目にさらされることを意識した行動だと思う。
 事件をテロとみる人もいるが、僕は「心中」の色合いを感じてしまう。いわゆるネットつながりで、同類他者が集まって練炭や硫化水素で心中するのと同じように、加藤容疑者は自分と同類の人々がいると思い込む秋葉原に行って無理心中しようとした、と。〓 
 
 さらにその背景として、「派遣」の問題を取り上げる。
 〓終身雇用、年功序列という日本型の企業形態がアメリカ型の成果主義に変わり、正社員でさえ就労環境が非常に冷たいものになってきている。
 同じくそのアメリカが日本に企業進出する際に、若者の労働を「資源」と見なし、圧力をかけ、派遣社員制度制定の端緒をつくったわけだ。人をモノのように扱う戦前の「人買い」のような制度がのうのうとこの民主主義の時代に闊歩している不思議を、僕は何年も前から言及してきた。秋葉原で多くの犠牲者が出て、はじめて見直し論が出るというのは「剣はペンより強し」という逆転であり、忸怩たるものがある。
 若者の犠牲と不幸の上に立って国内総生産を維持する国というのは一体何か。アメリカモデルからの脱却という根本的な指針を、行政にあずかる者はそろそろ持つべき時代に来ている。(6月30日)〓
 鋭い洞察である。このような事件が起きた場合、原因を個人に特化して事足りてはいけない。たとえ微細であろうとも自らも背景の一角を占めていることを忘れるわけにはいかない。同日、同紙の「ポリティカにっぽん」は綴った。

 〓彼の鬱屈は自己責任なのか社会構造の問題なのか、若者はかつかつの暮らしで恋人もできない、高齢者は裕福、いまの日本社会は「おかね」の配分が不公平なのではないか、いやいや、貧しくやっと生きている高齢者もいるよ、それにしても生きていくうえの「尊厳」が奪われているのではないか、アキバととげぬき地蔵(東京・巣鴨、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる)とは「世代間闘争」の関係にあるのかどうか、いったい希望はどこにあるのか。連帯か、革命か、それとも戦争か? そんな議論に引き込まれて、私は茫然とする。高齢者は「ワラビ衆の寂しさ」(棄老)にさいなまされ、若者は「閉ざされた蟹工船」のなかでもがきつづける。平和と平等をめざした繁栄日本が行き着いたのは、マルクスが予言した、人間が人間らしく生きられない「人間疎外」の現実だったのか。〓

 ただ「疎外」の要因はマルクスの考察とは外れたが、蟹工船と姥捨て山は形を変えて現代に復活したのかもしれない。
 彼が働いていたトヨタ自動車系の自動車生産会社、関東自動車工業の東富士工場(静岡県裾野市)では、6月29日、人員削減が始まった。世界の車生産トップのトヨタ。その傘下企業でも減産に追い込まれている。国内はもちろん、米国市場でさえもシュリンクしてきている。今後は、日本の十八番である小型車の生産も海外に移るであろう。産業構造も大きなターニングポイントを迎えようとしている。その大きなうねりの中に彼もいた。
 事件の翌日、東京の娘から電話があった。弔いに現場に行くという。ああいうことは連鎖反応を呼ぶ。ほんとに行くのなら兜を被り鎧を着込んで行け、と返事した。1時間ほどして、いま戻ったとの知らせがあった。

■ アイルランドが欧州連合(EU)新基本条約否決
 EUの政治統合を進める「リスボン条約」の批准を国民投票で否決(13日)

  ―― EUは人類史を画す壮大な挑戦である。一区切りついた経済統合から政治統合へ踏み込もうとした矢先の蹉跌である。
 意思決定を迅速・簡素化し、大統領職を置き、外務大臣ポストを設ける。その他、行政機構のスリム化を図って機構を改革する。そのような目論見は一端潰えた。EU5億の人口のうち、1%にも満たない小国のオブジェクションであった。
 国家を超える枠組みでどう民意を汲み上げるか。「民主主義の赤字」の端的な表出であろう。ともあれ、産みの苦しみだ。陰ながら、そのどちらにもエールを送りたい。

■ 岩手・宮城内陸地震が発生
 岩手県南部を震源とする地震で、宮城県栗原市や岩手県奥州市で震度6強。土砂崩れなどで死傷者が出た(14日)

  ―― 養老孟司氏の言。  
 〓「自然」という言葉がそれを一番よく表しています。「自然食品」とか「自然保護」とか、いい意味で使われるでしょう。でも、今回の中国の地震も、まさに自然。自然はいいもの、と決めつけるのはおかしいんです。都市化が行き過ぎたので、それを戻そうという気持ちが「自然回帰」に表れているのでしょうが、どちらにしろ、人間の都合で物事を考えていることに変わりはない。いまの人は、中立的な自然というものを観察しようという気がなくなっています。〓
 「中立的な自然」に関していえば、岩手・宮城地震を取り上げたNHKクローズアップ現代の国谷祐子女史が「自然の猛威から身を守る」という言い方をしていた。別におかしくはないのだが、「猛威」が気にかかる。自然には自然の生理があって、それの儘に動く。プレートが鬩(セメ)ぎ合いエネルギーが飽和すれば、やがて羨溢する。間尺が違いすぎて人知が及ばないだけだ。「人間の都合」など通用する相手ではない。端(ハナ)っから対決は不能なのだ。人間は『間借り人』の分を超えてはいけない。
 今回の震源付近には北上低地西縁断層帯という活断層があることが判っていた。国の地震調査委員会は最大でM7・8の地震を起こす可能性があると予見。ただし、向こう30年以内の発生はほぼ0%としていた。阪神大震災でも30年以内の発生確率は0・4~0.8%の予測であったという。ことはそれほどに難しい。
 幸い亡くなった人はいなかったものの重傷者を出したマイクロバス。崩れた土砂に押されて沢を滑落、30㍍ほどのところで木に引っ掛かって転落を免れた。自然保護団体「胆沢ダム水資源のブナ原生林を守る会」のバスだった。なんとも皮肉な話ではないか。自然を守るつもりが逆に襲われ、助けてくれたのも天然、自然の木だったとは。
 次に、評論家の加藤周一氏の言。
 〓「地震、かみなり、火事、おやじ」。
 この俚言は単なる列挙ではない。前半は「地震」と「かみなり」、人間の何らかの影響力が全くない二項目。後半は「火事」を媒介としてある程度まで人間の介入が可能な火、そこからまったく人間社会の現象である「おやじ」に飛躍する。わずか四項目の列挙とみえて、実はその背景に鋭い社会批判と巧妙な諧謔の味を隠す。(中略)
 「自然災害」というもの、誰も責任をとる必要のない災害というものが、しばしばあるだろうか。信州の浅間山は活火山で、ある条件の下で時々爆発する。そのために登山者が一人、噴き出した岩に打たれて死んだとする(そういうことは今でもある)。爆発そのものはもちろん自然現象である。しかし登山者の死は、少なくともある程度まで、自然現象に対して人間側が(個人または社会が)とった態度と関係していたはずである。火山の測候所は爆発の予想を誤ったのかもしれない。登山者は測候所の適切な警告を無視していたのかもしれない。多くの場合が考えられるが、それに応じて多くの責任が考えられるだろう。一火山の登山者の比較的単純な場合でさえ然り。いわんや阪神・淡路の震災のように複雑な場合において、誰の、どの組織の、どういう責任がどこへ行ったのか? そもそも「自然災害」という言葉は、災害の裏に責任のある人間が担ぎ出す神話にすぎないとさえ思われる。(6月21日付、朝日新聞「夕陽妄語」から)〓
 要路の人びとには肝に銘じてほしい重い言葉だ。

■ 拉致問題再調査で日朝合意
 北朝鮮が再調査を約束し、よど号事件関係者の引き渡しに向け調整することで合意したと日本政府が発表。日本は経済制裁の一部緩和へ(13日)

  ―― 6者、特に米国とのプライオリティー・ギャップを押さえておく必要がある。ファースト・プライオリティーは核だ。かつターゲットは日本以外ない。さらに『王朝』はそう容易くは崩れない。

■ 居酒屋タクシー問題で政府が公務員33人を懲戒処分
 17省庁・機関の1402人が金券やビールなどの提供を受けていたと発表(25日)

  ―― 本年4月26日付本ブログ「『四権』?国家」を参照されたい。もはや語るに足る話柄ではない。

■ 電気料金が来年大幅値上げへ
 東京電力は、燃料費の上昇が従来以上に料金に反映されるよう計算の仕組みを改定すると発表(26日)。関西電力なども追随(27日)

  ―― 東京電力をはじめ電力各社は、今年はいったん値下げする。これは「裏技」だそうだ。値下げは公聴会も国の認可も不要だ。値上げには双方とも必要となる。揉め事は回避したい。料金制度では、1.5倍までは燃料費の高騰分を自動的に料金に上乗せできる。そこで、まず設備費や経費を削ってコストを減らして値下げしておくと、料金に転嫁できる金額の上限を高くできるという訳だ。
 そんな知恵があるのなら、ホンモノの値下げに使ってほしい。法律の裏はかけても、庶民の裏はかけぬと知り給え。 
(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げました。見出しとまとめはそのまま引用しました。 ―― 以下は欠片 筆)□


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雨、粗描

2008年07月03日 | エッセー
 幼いころ、梅雨入りか梅雨明けに何度か大雨に見舞われた。宅(ウチ)の前に幅一メートル半くらいの大振りの溝があった。それが雨とともに見る間に嵩を増した。その様子を、時ならぬ緊迫感を抱(イダ)きながら見詰めていた。羨溢すれば、もちろん家は浸水を免れない。身丈を越える深さはあるものの、いつもは踝にも満たない水流である。それが不時の雨で、落ちれば一溜りもない恐怖の濁流と化し、音を立てて猛る。
 自然の変わり身に息を呑んだ。

 往時の建物は外界(ゲカイ)との切れ目が模糊としていた。当然のことながら、素材は木と土と紙。鎧うのではない、自然の中に慎ましく間借りする体(テイ)である。雨が直(ジカ)に滴る文字通りの濡縁があった。結構は風の通りが考えられていて、戸や窓は外界を遮断するためではなく、それを取り込むとば口であった。

 欧州は石造りが基本だ。熱暑の地に興った古代の文明は自然に対し極めて挑戦的たらざるを得ず、居住の空間を石で鎧った。余程の天変がないかぎり、石は残る。対するに、木造は人災でさえ跡形もなくなる。そのような自然への処し方のちがいが、文化のかたちや人びとの心のあり様をつくってきたといえなくもない。

 少年だったころ、雨は気分を高揚させた。小雨にもこころが躍った。舗装のされていない道がほとんどで、俄な水溜りにゴム長で歩み込むのは快感だった。どこからともなく移ってきた水黽(アメンボ)が黄濁した水面を滑る様子を飽かず眺めていた。
 寒暑は体質よりも体力によって感じるものらしい。梅雨の湿気が耐え難いものになるのはずっと後年になってからだ。記憶の濃淡ではないような気がする。だから少年にとって、梅雨は変化に富んだ心地よい季節だった。

 青年になって黒澤映画を観た時、別種の雨に出会った。記憶する限り、小糠雨はない。降れば、いつも篠突く雨だ。「七人の侍」が典型である。あれは天然の雨ではない。単なる効果でもないだろう。情念の一表徴としての雨ではないか。また巨匠は、雨をして重要な役柄を託したともいえる。雨中のシーンは銀幕に頻出するが、あれほど印象深いものはほかにあるまい。

 二十数年前、豪雨が襲った。残像としてはピンポン玉ほどもある雨粒が降り注いだ。少年の時とはちがい、恐怖が走った。陸上の交通網は深いダメージを受け、船が救援物資を運んだ。多くの犠牲者が出た。梅雨明け直後の災害だった。

 自然を御するとは一種の倨傲ではないか。人工の堤防なぞ、その膂力の前には段ボールほどの厚みもない。だが、ひとはこの地球以外に住まうことは叶わぬ。ならばやはり、人知と人為の限りを尽くし続けるほかにはなかろう。

 「石の文明」が極まった天地、アメリカ。彼(カ)の国では既設のダムを取り除きつつある。代わりに植林で保水力を高め、川は溢れるという前提に立って下流に溜め池を造る。氾濫予測地域からの移住も厭わない。これが最先端の河川工学だという。つまりは、自然にしなやかに寄り添おうというのだ。新たな文明のかたちを模索しはじめたのであろうか。

 薄れてはいるものの、いまだに雨は気分を高揚させる。日常が不規則にずれる場面といおうか、雨宿りなど、軒下にドラマが潜む気配がある。
 記憶の遥か彼方、急な雨に迎えに来てくれた先妣は、いま、童謡のなかに生き続ける。 □


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