10年、大統領就任時の個人資産は1987年製の愛車WVビートル1台のみ、22万円。以後5年間、大統領時代は官邸には住まず、首都郊外にある妻所有の小さな農場で暮らす。「そんなのがいたら、夜中にパンツ一丁でトイレにも行けない」とバトラーもメイドも措かない。自らハンドルを握り、大統領専用車はほとんど使わない。飛行機は民間航空のエコノミークラスで、国際会議の復路では他国の専用機に便乗することもあった。「ネクタイなんて、首を圧迫する無用なボロ切れ」、「ネクタイは政治家が嘘を吐き出さないためにするものだから必要ない」と頑なにノーネクタイを通した。ご存知、超ボンビー・プレジデント、第40代ウルグアイ大統領=ホセ・ムヒカ氏である。
大統領給与131万円のうち9割を慈善事業と所属政党に寄附し、残りはすべて将来貧しい子供たちを受け入れる農業学校設立資金のために貯金。ちなみにウルグアイの平均年収は60万円、大統領はその2倍ちょっと。日本の平均年収は414万、総理大臣の年収は約5千万。10倍を優に超える。面積は日本の約半分、人口340万で35分の1。だからといってこの差は穏当とはいえまい。しかし小なりとはいえ生活水準は南米第2、社会的自由度では南米第1を誇る。任期中に同性婚と大麻を合法化している。ただ経済面では市場原理主義を批判し、反自由主義政策を採った。
「香港のトップが二流のビジネスホテルに泊まりますか。恥ずかしいでしょう、そういうことであれば。ですから、少し冷静に考えていただいて、無駄なものはもちろん排します。しかし、必要なことは必要です」
超一流ホテルのスィートルームについてのホセ・マスゾ氏の釈明である。大東京のトップたる矜持がある。なるほど、そうだ。しかし
◇私は貧乏ではない。質素なだけです。
貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。◇
という矜持に比して、なんとみすぼらしいことか。(◇部分は双葉社、佐藤美由紀著『世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉』より引用、以下同様)
◇我々の前に立つ巨大な危機問題は、環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を通り過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているにもかかわらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターになっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば“不況のお化け”がみんなの前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、本当なら10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない……。私たちは、そんな社会にいるのです! 長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけない。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
悪循環の中にいることにお気づきでしょうか。これは、紛れもなく政治問題です。石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。◇
12年6月、リオ・デ・ジャネイロで国連の「持続可能な開発会議」が開かれた。188カ国、3万人が参加した大規模なものだった。各国首脳のスピーチが続く中、世界の耳目を鷲掴みにした演説がこれだ(引用は一部)。世界が抱える問題群を、小国の超ボンビー・プレジデントがわずか8分で一刀両断に斬り捌いてみせた。こんな痛快事はない。後発国の不満をぶちまけたわけでも、先進国の粗探しをしたわけでもない。単なるアンチテーゼを突き付けたのでもない。アポリアの核心を見事に射貫いて、病因と病根、その処方箋までを高々と指し示したのだ。
報道によると、「世界の富裕層がタックスヘイブンに持つ未申告の金融資産は、2014年時点で24兆ドル(約2570兆円)~35兆ドル(約3750兆円)にのぼる。米国と日本の14年の国内総生産(GDP)の合計約22兆ドルを上回る規模だ。その額は、21兆~32兆ドルと試算した10年時点より増えている。」(5月10日付朝日)という。表現は平易だが、「マーケットをまたコントロールしなければならない」とはトマ・ピケティを始めとする世界最先端の学説とも軌を一にする洞見だ。
傘寿を超えるこのプレジデントが紡ぐ言の葉はすでにして警句、名言を超え、格言、さらに金言、箴言の高みにある。それらはさまざまな書籍で紹介されている通りなのだが、その中で1つおもしろい遣り取りがあった。
◇アメリカの記者が、ムヒカのことを“ラテンアメリカのネルソン・マンデラ”と呼ぶと、彼はクスクス笑ってから言った。「いえ、いえ。彼は刑務所の中で28年も過ごしたんですよ。でも、私はたったの14年。マンデラは別のリーグでプレイしている人です。(中略)私はぺぺ。マンデラではありません。私はバリオっ子(スペイン語を話す地域の子供)です」ユーモアに満ちたムヒカの言葉に、会場には笑いと拍手が鳴り止まなかった。◇
「ペペ」は田舎者というほどの自嘲を込めたのか。「たったの14年」とは反政府極左武装組織に属し、殺し殺されるゲリラ活動の中で4度の逮捕、2度の脱獄、さらに10数年の獄中14年である。修羅場の渦中14年は「28年」に一向遜色はない。超ボンビーは筋金入りの超ファイターでもある。
さて、先月5日に超ボンビー・プレジデントが来日した。各地で講演会がもたれたが、政府関係者と接触したとは寡聞にして知らない。試みにホセ・ムヒカ氏が帰国した12日までの本邦ホセ・シンゾ氏の動静を調べると──
6日 来日したウクライナのポロシェンコ大統領と会談、歓迎
7日 「日本の美」総合プロジェクト懇談会。メンバーの俳優・津川雅彦氏らと夕食会
8日 来日したエストニアのロイバス首相と会談、歓迎
9日 首相主催の「桜を見る会」 アイドルグループ「ももいろクローバーZ」のメンバーやレスリング女子の吉田沙保里選手らと写真撮影
10日 自宅静養
11日 官僚・党幹部らと会談
──となっていた。ホセ・ムヒカ氏ではなく、津川雅彦やももいろクローバーZに本邦宰相としては政治的プライオリティがあるらしい。原発のトップ・セールスマンにとっては超ボンビーなぞまったく視野の外なのか。“不況のお化け”に戦き、「ハイパー消費を続けるために」ハイパーインフレを誘発しかねない“アホノミクス”に精を出す。「悪循環の中にいることにお気づきでしょうか」とは、他でもないホセ・シンゾ氏に向かう1本の矢(3本も要りません)ではないでしょうか。聞く耳は持たないであろうが、締め括りにホセ・シンゾ氏にホセ・ムヒカ前大統領の言葉を贈りたい。
◇私たちが「世界にお金が足りない」などというのは、お金を出して解決できる人に要求ができず、その人のポケットに手を突っ込むこともできない、また、そうさせることもできない政治的意気地なしだからです。だから私は政治にいるのです! だから政治の世界で闘うのです!◇
大統領退任後も、氏は一国会議員に戻って「政治の世界で闘」っている。 □