伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

自販機の前で

2012年11月30日 | エッセー


 自動販売機と向き合って喰っているようであった。板前の姿はまったく見えない。流れてはいるが、別に注文があればディスプレイをタッチする。すると、新幹線を模った皿が別のベルトを走り、目の前でピタリと停まる。回転寿司業界に現れた新しいタイプである。新しいといっても筆者が知らなかっただけ、この片田舎への進出が遅れただけであろうが。
 対面するものは機械。板がないから、板さんとの遣り取りもない。味気がないこと、この上ない。だから自販機の前でひたすら寿司を摘まんでいるような格好になる。これではまるで養鶏場の鶏だ。もう二度と来ないと決めて、店を出た。
 それに引き比べて、以下のようなエッセーに接すると溜飲が下がる。


 祖父とソバ屋に入ったとき、ほんのわずかの時間如(ウ)で上がったソバが調理場の窓に置いてあったという理由で、スッと席を立ってしまった。ひからびたソバなんざ食えるか、というわけだ。
 また、祖母と寿司屋に行ったとき、注文したとたんにチラシが出た。祖母はムッとして、腹をすかせた孫たちに、これァ食っちゃあいけないよ、お茶を飲んだら出よう、と言った。わけもわからず、言われた通りにした。後で聞いたのだが、そのチラシはあらかじめ作ってあったか、もしくはネタが切ってあったにちがいないと言うわけだ。(略)
 伊豆栄に鰻を食いに行ったとき、なかなか出てこないので「遅いね」と言ったら、両方からゲンコをもらった。蒲焼は旨いものほど手間をかけて焼くので、督促はご法度、というわけである。もちろんその逆に、早い鰻の場合は二人ともケッと笑ってたちまち席を立った。
 しかし食わずに店を出るときは、祖父も祖母も必ず勘定を払い、釣銭は受け取らなかった。(浅田次郎著「君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい」文藝春秋)


 実は筆者には秘めた野望がある。それは三つ星級のレストランに入って喰い終わった後、大きな声で「不味い!」と言ってやろうという馬鹿げた謀である。世評が当てにならないことを自らが確かめ、権威を笑ってやりたいのだ。もしもその言葉を飲み込むほどに美味であれば、大仰に「美味しかったー!」と誉めそやしつつ店を辞するのみだ。ただし、地団駄を踏みつつ。
 大人気ない仕儀であり、かなり屈折した心理であると咎められれば首肯せざるを得ない。ただ、この企みは今日まで果たせないでいる。なにせこの近辺、星は夜空にごまんと輝いているが、三つ星レストランなどというものはただの一軒もないからだ。
 決して食通ではないが、「美味い」は年に三度しか言わないと決めている。生憎、今年はいままで一度もない。自分の味覚レベルを常に高次に保つことが贅沢だと心得ている。高級品を食するのが贅沢ではない。田舎料理であっても、唸るほどの絶品に偶会できれば相当な贅沢ではないか。
 人が感じる美味い、不味いの境界線は「お袋の味」にあるそうだ。今では子どもたちの「お袋の味」がコンビニ弁当になりつつあるという悲喜劇を聞いたのは、随分前だったような気がする。日本の食文化は、この先果たして大丈夫であろうか。
 立ち止まって見渡すに、浅田氏が語る祖父母のような存在が絶えて久しい。『イクジー』などという好々爺ばかりになった。美味いものとの体面の仕方が伝承されなくなってきている。一つの大きな文化的欠損である。だから孫の手を引いて新型回転寿司に入るイクジーは、余程のイクジーなしと断ずるほかない。 □


奥深い日本の食

2012年11月27日 | エッセー

 どうも畏まって飯を喰らうのはいけない。特にフレンチだのイタリアンだのと取り澄まされちまうと、気遣いが多くて肩が凝る。音を立てるな、ぺちゃくちゃするな、ナイフがどうだ、フォークがこうだと教化的情熱に溢れた指導を受けると、もういけない。遂には、ええい、箸をもって来てくれと毒づきたくなる。
 ところが、こないだ大いに勇気づけられる本に出会った。
「お辞儀、胴上げ、柏手…の民族学──日本人はなぜそうしてしまうのか」(新谷尚紀著、青春新書、本年10月刊)である。
 やはり学者は偉いものだ。たとえば、次の一節。
◇欧米での食事作法の確立、テーブルマナーの整備は、じつは驚くほど遅いのです。西洋諸国で現在のようなテーブルマナーが整えられてくるのは、フランス革命のあと、宮廷料理人たちが、市中に高級レストランを開業していく、19世紀以降のことでした。◇(同書より引用、以下同様)
 日本での食事作法の確立は室町時代だから、4世紀もの隔たりがある。欧米流はずっと歴史が浅いのだ。いわば人類の食事マナーにおける新参者にすぎない。
 後述するが、ヨーロッパでナイフやフォークが使われ始めたのは16世紀。それ以前は王侯貴族といえども手掴みで食っていたそうだから、随分野蛮なのものだ。『欧米か!』は、つい最近の成り上がりともいえる。紙ナプキンが付いてはいるが、おそらくケンタ(KFC)は手掴み時代の名残であろう。肉の塊を鷲掴みにして、口をカッと開けて喰らいつく。あの刹那にバイキングのDNAが起動するにちがいない。(今稿はいやにナショナリスティックな物言いになっている……飲み食いという本能に近接した話題になるとどうしても“民族の血”が騒ぐためであろう)
 箸にしたって、遣隋使が持ち帰った当時最先端の食器具であった。西欧とは優に900年の差がある。
◇1553年にイタリアのフィレンツェの大富豪メディチ家のカテリーナ・デ・メディチが、後のフランス国王アンリ二世と結婚したときに、その荷物の中にフォークも入っていて、それまで手で食べていたフランス王宮に、イタリアからの食卓と味覚の大きな変革をもたらしたというのが伝説となっています。しかし、なかなかナイフとフォークの食事は普及せず、あの大食漢のルイ14世がその生涯を通じて手で食べていたのは有名な話です。ベルサイユ宮殿では肉をつかんでかじり、骨髄をしゃぶり、スープの大皿に手を突っ込む王や王妃をはじめ、宮廷の貴婦人たちの姿が毎日見られたのでした。◇
 いかがであろう、『欧米か!』とはこんなものであった。ついでに、もう一つ。
◇音を立てながら食べるというのには、日本の場合には、どうやらおいしそうな食べ方という意味が加わっているらしいのです。たくあんを、ポリポリとおいしそうに食べ、せんべいをパリパリとおいしそうに食べる。それはまわりの人たちにも、ほどよい食欲をそそるものであり、食べる喜びとおいしさとを音であらわし、みんなとそれを共有するような意味があります。お酒をキューッと飲むのも、そのかすかな音でおいしさを伝えています。そこには、さあ、みんなでおいしく食べましょう、飲みましょう、というメッセージが含まれています。◇
 なんとも奥深いではないか。これがわがニッポンである。伊達や酔狂で“ずるずる”と音を立てながら蕎麦を食しているわけではない。「食欲をそそ」り、「食べる喜びとおいしさ」を「みんなと」「共有」するためである。単に食欲を満たすためだけではない。食による連帯だ。世界に誇る気高き食文化である。「肉をつかんでかじり、骨髄をしゃぶり、スープの大皿に手を突っ込む」あちら様とは大違いではないか。

 あー、これですっきりした。先月のこと、都会の豪華なレストランで、まあー親戚連中のうるさいこと、煩いこと。財布はあちらゆえ、文句は言えない。かつ案に相違して、これが美味ときた。だから、悔しい。悔し紛れに犬の遠吠えだ。 □


男国会どこへ行く

2012年11月26日 | エッセー


 「CM天気図」は、天野祐吉氏の筆による朝日の名物コラムだ。先週の水曜日には『党名診断』と題する作品が載っていた。以下、引用(◇部分)。

◇①志士気取り型。言わずと知れた「日本維新の会」。国を憂える悲壮感や使命感が売り。決起の意気込みが党名にモロに出ている。勢いはいいが、男の「生きざま」なんて言葉が出てきそうなところが、ぼくは苦手。
 ②消費者は王様型。「国民の生活が第一」や「国民新党」など、「国民」がいちばんエライんだと.いう主張が前面に。昔「消費者は王様」という広告があったが、消費者は結局「裸の王様」だった例もあるから油断は禁物。
 ③お友だち気分型。「みんなの党」とか「みどりの風」とか。「国民」を「みんな」、「自然」を「みどり」と言ったところに、工夫の跡が。ただし、しゃれた分だけインパクトは弱い。
 ④新製品強調型。「新党大地・真民主」「新党日本」「新党改革」など。新党が一つならいいが、こうも並ぶと新しさの安売りみたいに見えてしまう。で、違いはあまりわからないという結果に。
 ⑤ヤケッパチ型。「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」。わけのわからない党名たちへの批評にはなっているかも。◇

 ①はえらい勘違いだ。本物の維新は中央集権国家の樹立が眼目であった。ところが、こちらの維新は地方分権が旗印だ。中身はまったく逆ではないか。だから売りの「国を憂える悲壮感や使命感」、「決起の意気込み」だけで名を借りたことになる。木に竹を接いだ似て非なるもの、『似非維新』ではないか。本物の志士たちに失礼であろう。草葉の陰から憤怒の呻きが聞こえてきそうだ。
 なんだか庇を貸して母屋を取られる展開だが、庇を借りた元知事は「太陽の党」と名乗った。『たいようのとう』と聞けば、われわれ団塊の世代にとっては「太陽の塔」以外ない。こちらも品の悪い駄洒落といえる。本物の『たいようのとう』は、千里万博公園で苦虫を噛み潰しているにちがいない。
 蛇足ながら、元知事がかつて「青嵐会」なる政治集団を自民党内に立ち上げた時、三島由紀夫は次のように諭した。
「昔の武士は、藩に不平があれば諫死しました。さもなければ黙って耐えました。何ものかに属する、とはそういうことです。もともと自由な人間が、何ものかに属して、美しくなるか醜くなるかの境目は、この危ない一点にしかありません。」(石原慎太郎氏への公開状)
 三島の美意識とは雲泥の懸隔を持しながら、傘寿を越えてなお美しくはない道行のようだ。
 ②での天野氏の指摘は鋭い。かつての「ほめ殺し」が蘇ってくる。加うるに、語感が古くはないか。それをリファインしたのが③か。天野氏の分析はさすがだ。しかし、「みどり」も相当に古い。苔むしつつある。
 ④は万一大望を遂げて(失礼!)長命を得ても、なお「新」を戴くのであろうか。それとも、短命を承知の上での名乗りなのであろうか。おそらく後者だろう。
 ⑤は単にスローガンを並べているだけだ。「わけのわからない党名たちへの批評」かもしれぬという天野氏の懐は深いが、筆者には思考停止にしか見えない。「そんなものはどうでもいいだろう」というこだわりのなさが薄気味悪くもある。

 前回の総選挙が行われた09年8月、ゴミ屋敷の住人を描いた新作『巡礼』の発表に際して橋本治氏が朝日新聞のインタビューに応えた。
──さらに総選挙については、「政権交代してもうまく行くわけがない」とみる。「次に選挙をしたら逆の交代が起きるかも知れないし、与党がバラバラになって小党の乱立状態になるかもしれない。政権交代すれば何とかなるという考え方自体が自民党的なんです。抜本的に変えるなら、新しいシステムを構築するために自分がどう動くか考えないといけないけど、その考えを持てる人はどれだけいるだろうか」──
 政権交代しても不首尾、次は逆の交代、与党分裂、小党の乱立。なんともそのものズバリだ。炯眼に恐れ入る。恐れ入りついでに、橋本氏にあやかって一句。

   止めてくれるなおっかさん 
      胸のバッジが泣いている 
         男国会どこへ行く

 お粗末。 □


をかし

2012年11月23日 | エッセー

 小春日和と時雨が交互にやって来て、やがて冬がでんと居座る。いつも季節の端境は行きつ戻りつだ。
 その揺蕩うさまが、このごろ、愛おしい。
 青年を抜けるまで天候は日々の関心事であっても、気候に意を用いたことはなかった。ちかごろは二つが逆になりつつある。気候に敏に、天候には鈍に。
 万朶の桜は学校のはじまりにあったはずだが、少年の記憶にはない。華やかな事どもの書き割りとして、振り返って描き足されるにすぎない。明らかに、時の巡りが緩慢になった。その分、気候に向き合えるのかもしれない。

 暖かい陽が差して、木漏れ日が揺れる。季節が目眩ましを呉れているようだ。小春日。時ならぬ日和を一足飛びの春と勘違いしてみせた先達の名付けは、小粋な滋味を醸す。
 強い風が吹いて、一頻り降っては過ぎる。冬の呼び水か、木枯らしの先駆けか。時ならぬのか、頃合いなのか。どっちつかずのままを時雨と洒落た古人の風雅。なんとも心憎い。
 そうして、ひたひたと玄冬へ移ろう。
 
   春は、あけぼの。
   夏は、夜。
   秋は、夕暮。
   冬は、つとめて。

 「をかし」には距離感がある。四季の極みを約め、乾いた言の葉を潔く措いてゆく。「あはれ」にはない醍醐味だ。平安の女流文豪、双璧を比するにいとをかしだ。
 
 自然。
 じねんと読めば、山河草木、われらを囲繞する天然をいう。
 しぜんと読めば、人知の及ばぬ不測の事態を指した。
 二つの様には大きな径庭がある。片や恵みであり、片や災いである。しかし先人は同じ文字を用いた。奥深いところでは同根であると視たか、一つを二面から捉えたか。前賢の叡智だ。
 今は後項は退き、前項のみの謂となった。だから如上は読みを外して、じねんに纏わるありさまを記したことになる。

 案に落ちて、今年も小春日和と時雨が入れ違いつつやって来た。晩秋から初冬への揺らぎ。人事は師走へと忙しなく流れるものの、じねんのあはれに浸りつつ、をかしを玩味するのも一興だ。 □


どーぜうもなかった

2012年11月16日 | エッセー

 窮鼠猫を噛む。だが、14日の党首討論は窮鼠鼠を噛むではなかったか。どちらも、猫のなり損ないである。ならば、“どぜう”か。これがさっぱり“どーぜう”(どうしよう・筆者余計な註)もなかった挙げ句、幕引となった。
  逆襲のつもりだろうが、語気を荒げて解散条件を迫る。三下り半を突き付けられた中年女のヒステリックな逆ギレだ。議員定数の削減、せめて議員歳費の削減。身を切る覚悟を、と言い募る。鼠を悪く言うつもりはないが、鼠程度の駄弁に愕然とした。消えて久しいが、なんだか妙に『鼠先輩』が懐かしい。
 身を切る覚悟と定数や歳費の削減がどう繋がるのか、理路が見えない。なぜこんな陳腐な言説が平然と飛び交うのか、耳を疑う。
 定数を削れば、民意は薄れる。当たり前だ。どうしてそういう発想になるのか。消費税増税をお願いするのだから議員もせめて歳費を減額しようとは、国民を喰った話だ。12兆余の増税の形(カタ)に30数億を差し出す。僅か0.025%だ。前回のオリンピックだったか柔道選手の迷言、屁の突っ張りにもならぬ。しかし問題は額面ではない。なんでもかんでも金の話に落とし込む下卑た根性がいただけないのだ。
 「お蔭様で高禄を食ませてもらっております。少なくとも歳費の分だけはしっかり仕事しますから、どうぞお任せください」と、なぜ言えぬ! 立派な政治なら、金に糸目を付けるものか。いくらでも取り給え。世の中、金だけじゃない。額に汗する市井の民を見くびってもらっちゃあ困る。金の使い道は、ちゃんと心得てる(多くはないが。というより、ないが……)。まあ、一人として如上の公言を聞かない。なんとも情けない限りだ。
 じゃあ、全額辞退でどうだって。とんでもない! そんなことをした日には、汚職が蔓延し権力が濫用されるに決まっている。今のところ、権力の自制装置が金であるという悲しい現実を忘れないほうがいい。金を持たない権力は剥き出しの行使に走る。当面本邦では、高給と権力はセットにしておかねばならない。なにせかつての武士道のように、両者を分離する哲学がないからだ。

 もう一つ。この政党、特に今の首班に顕著なのがばか丁寧な言葉遣いだ。かつて本ブログで触れた、度を超えた丁寧化である。
「国民の皆さまにご負担をお願いします」
 なんだ? それは。「ご」や「お」が付けばいいってものではない。お前はどこかのセールスマンか、と言いたくなる。
「皆さまに、お訴えしたいのです」
 この先、1ケ月はこの連呼だ。「お訴え」とは、尊敬語か謙譲語か。訳の分からない言葉遣いは止めてほしいと、政治家諸兄に「お訴えしたいのです」えへん。
 一番耳障りなのが、「・・・させていただきます」だ。慇懃無礼の典型だ。屋上屋を架した、知能程度の低い物言いだ。使うとすれば余程の強い意志を表す場合、例えば古女房が古亭主を置き去りにして家を出る時の捨てぜりふ「実家に帰らさせていただきます」はありなのだが。
 さらに、
「お訴えさせていただきます」
 なんてのは、目眩がするほど最悪だ。もうあっさり英語でやってくれ、だ。要するに、言葉で勝負する政治家が言葉を使い切れていない。世に阿ってオブラートで何重にも言葉を包んで寄越してくる。相手の胸の内に踏み込もうとはしていないのだ。
 結びに、内田、高橋両氏の言を引いておく。永田町を目指して徒競走をおっぱじめた諸氏よ。肝に銘じ給え。

内田 まず目の前の「ひとり」をぐいっと味方に付けるというのが政治の基本だと思うんだけどな。
高橋 田中角栄の演説の根本スタイルは、ひとりに向かって、だものね。ひとりでひとりひとりに会え、ひとりに100回会うと100人になる、っていう発想だから。
内田 一般論的に正しい命題を語っていれば、多くの人が支持してくれるっていうものじゃないんだよ。「いいから、俺の話を聞いてくれ」って襟首つかんで、ひとりずつ聞き手を増やす以外に、自分の意見を一般化していく道ってないと思う。
(「どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?」 内田 樹 高橋源一郎 (株)ロッキング・オン刊) □


絆と絆し

2012年11月13日 | エッセー

 今年6月の本ブログ「清流」に、こう綴った。

 古い言葉に光を当てて、人びとは歩み始めている。
 絆
 それは糸を分かつのではなく、断ちがたいと訓む。その最初の結び目は家族だ。「あなたの家族」だ。断ちがたいその一員であったことを、彼はただ誇りたい。
 80年のことだ。“My family my family!”と聴衆に向かい、彼は憑かれたように叫んだ。別ち難き糸。それこそ、「あなた」だ。父という名のあなただ。

 拓郎の新譜を評する件(クダリ)である。「絆(キズナ)」の字源を辿ると、「絆(ホダ)し」に行き当たる。旁は生け贄のため両断された牛、偏の糸が双方を緊縛する。つまり手枷、足枷だ。だから、そう明るい出自ではない。
 先人の明察であろうか。ここにきて、この言葉の隠された出自が露になりつつある。ここにきてとは、3.11以降ここにきて、との謂だ。

 「絆ストレス」
 
 書肆の平台から、書名が目に飛び込んできた。相反する言葉の併置が意外だったのだ。精神科医・香山リカ氏の近著である(青春新書、先月刊)。
 詳しくは同書に当たってもらうとして、被災地では非常時の連帯心理である「吊り橋効果」が強烈に働く。さらに「ストックホルム症候群」という犯人にさえ共感する人質の特異な心理状態が惹起され、非日常的な信頼関係が生まれていく。そのような心情の総和として「絆」が掲げられた。
 ところが、被災地では絆がストレスになっているという。人間同士の距離感が突如として激変した。賞讃される「絆」が、個々の事情を等し並みに跨いで重圧に転ずる。言いたいことが言えない。自分をごまかして忍従するストレスより、ストレスのない孤立を選ぶ被災者がつづく。
 驚くのは、被災者以外にも「共感疲労」と呼ばれる病症があることだ。(◇部分は同書から引用、以下同様)
◇被災地に思いを寄せ、同情、共感しすぎるために、知らないあいだに心のエネルギーを使い尽くして起きる「共感疲労」と呼ばれる心身のすり減り状態。それがさらにひどくなった「燃え尽き(バーン・アウト)状態」に近い人もいた。これもある意味で、強く絆を感じている人々を襲う、「絆ストレス」である。◇
 だから筆者は呼びかける。
◇大震災と原発事故は、その後の社会を生きる人たちの心を大きく揺さぶり、新たなストレスを経験する、という二次的被害をもたらしている。いまこそ、私たちは「これまでとは違う新しいしなやかな生き方」への転換を求められているといってもよいだろう。◇
 大震災が顕在化し増幅したとはいえ、以前から伏流していた難題である。たとえば、「墓守娘」という言葉がある。
◇信田さよ子氏は、カウンセリングの経験から「母に苦しめられ続ける娘」の多さに驚き、彼女たちに「墓守娘」というネーミングを与えた。娘といっても、その人たちは40代、50代だ。その母親たちは、わが娘の進学、就職、結婚、自分の介護から死後の問題まで、人生の節目節目で口出しする。殺し文句は、「あなたのためを思って言っているのよ」「私以上にあなたのことを知っている人はいない」だ。◇
 試行と熟慮の果てに娘は母親を介護施設に入所させ、終の住処とする。すると今度は、「母を捨てた、裏切ってしまった」という罪悪感に苛まれることになる。ストレスの連鎖だ。
◇地域や親戚の“濃いつき合い”は、それ自体大きなストレスになることがある。実際に昔も今も、いまだに強い結びつきが残る地域に住む人が、祭りや盆踊りなどでの役割分担が負担となったり、あらぬうわさを流されたりしてうつ病になることは決して少なくない。◇
 宜なる哉だが、次の言及は興味深い。
◇統合失調症に関しては、80年代以降、その軽症化、さらには発症数の減少がさかんに報告されている。人間関係の希薄化が私たちにとってストレスになるのなら、この逆の現象が起きてもおかしくはないのに、現実はそうではないのだ。ある論文では、軽症化の原因を「都市型の生活で人とのつき合いが減ったことが、素因を有した人にとってはその発症を防ぐ効果をもたらしているのではないか」と分析されていた。◇  
 怪我の功名ともいえるが、どこか寂しくもある。
◇絆がなくて悲しい。逆に絆が強すぎて苦しくて、悲しい。あってもなくても、私たちを苦しめる絆。だとすると、いちばんよいのは「ほどほどの絆」ということになる。◇ 
 さて、どうするか。次の紹介は極めて示唆的だ。
◇経済学者の松原隆一郎氏や文学者の内田樹氏は、奇しくも「ゆるやかな絆」の可能性のひとつとして、自分が所属していたり主宰したりしている武道の道場をあげている。たしかに、そういった道場では、お互いが社会的地位だとか年齢だとかにはあまり関係なく、仲間意識を持ち合い、困ったときには“武士の情け”で手を貸してくれそうだ。とはいえ、すべての人が武道を習いに出かけるわけにもいかない。では、ほかにどういう可能性があるだろうか。となると、いまのところ、信用できるのはとりあえず、「顔が見え、一応の素性もわかる関係」ということになるのか。繰り返すようだが、それは松原氏らの言う「武道の道場」以外にあるとしたら、いったいどこになるのだろう、というのがこれからの日本の社会の大きな問題になりそうだ。◇
 当の内田氏はこう語っている。
「僕はね、去年(11年)の11月に道場つくったでしょ。ただ武道の稽古が存分にできる場所が欲しかっただけなんだけど、震災から8カ月で何が変わったかっていうと、そこを『アジール』にできないかなって思ったこと。『逃れの町』みたいなものを作ってね。震災が起きたときに避難所になるような場所。道場の設計のときにもそれは考えてたの。75畳あるから、100人ぐらいは入れるでしょ。あと、ここに、若い世代の人たちが次々に来て、出たり入ったりするような学びの場として確保しようと。」(「どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?」ロッキング・オン刊)
 「武道の」である以上、価値観は共有される。当然絆も生まれるが、それは副次的なものだ。「ゆるやか」であり、「困ったときには」働く程度だ。「道場」では武道以外の位階秩序は意味をなさないし、道場以外のストレスのアジール、さらには物理的場としてのアジールともなり得る。ただ、香山氏が言う「すべての人が武道を習いに出かけるわけにもいかない」という壁をどう越えるか。「すべての人が」「習い」を要するテーマは、果たしてあるのか。……熟考を要する。

◇「講」の時代、「村八分」の時代から、「絆ゼロ」の時代へ。わずか数十年で起きたその変化のスピードに、私たちは本当の意味でついて行けずにいたのだ。
 その純粋さ、誠実さばかりに目がいって、「絆? うん、いいものだよね。これぞ人間の美しさの象徴だ」とそこで思考停止になってしまうからこそ、これまで私たちは過剰でも不足でもない「ほどよい絆」を結ぶことができないまま、極端から極端を行ったり来たりしてきたのではないだろうか。◇
 と、著者は語りかける。“My family my family!”は「『絆ゼロ』の時代」への熾烈な問いかけであり、「絆ストレス」は「思考停止」の報いであろうか。
 古諺に「薪を抱きて火を救う」という。絆と絆し。表と裏、いや裏と表か。難題への挑戦だ。 □


スケーリング・クエスチョン

2012年11月08日 | エッセー

「痛みはいかがですか? 少しよくなりました? 一番痛かった時を0点として、全然痛くないのを10点としたら、きょうは何点でしょう?」
 4年前、入院していた時だ。看護師からこう聞かれた。おもしろい問いかけだなと感心しつつ、底意地の悪いボクは「んー、ルート2」と応じた。
 彼女は苦笑しつつ処置し、足早に出て行った。以後、同じ質問は二度と繰り返されなかった。ことさら邪慳にされはしなかったが、天使のような看護も受けはしなかった。ところが、最近読んだ雑誌で目が覚めた。
  “スケーリング・クエスチョン”というのだそうだ。
 臨床心理学のスキルで、「点数化」を意味する。問題の状況を客観視し、解決に焦点を合わせる技法である。たとえば、次のように使う。
「あなたが今どのくらい落ち込んでいるのかを、点数にしてもらえますか。今までに感じた最悪の状態を0点、最高の状態を10点として考えてください」
 と、問いかける。
 1、2点良かった時は、コンプリメントする(これも技の一つで、誉めて勇気づけること)。
 そして、それはどのような時だったか、例外探しをする(落ち込んでいないのはどんな時かを探り、解決の糸口をつかむ)。
 さらに1、2点改善したとしたら何が起きるか、などの質問を続ける(結果を予測することでモチベーションを上げる)。そのように解決に焦点を合わせた思考や具体的行動課題に誘導していく手法である。
 これだったのだ。件の看護師には大変無礼を働いたことになる。ゴメンなさい。(もう遅いか) 
 数字に具体化し、インタラクティヴにソリューションを探っていく。押し付けでないところがミソだ。教育、営業などさまざまな分野に応用されているようだ。
 この際だ。適用範囲をうんと広げて(最悪を0点、最高を10点として)、「人生の今は何点?」なんてのはいかがであろうか。この場合、√2 はなしとする。ありでもいいが、死ぬまでに計算が終わらない(どころか、死んでも終わらない)。
 わが家でも、わが町でも、日本の政治でも、世界経済でもよい。毎日のようにスケーリング・クエスチョンして、“コンマ0001”でも上向いたら我が世の春とばかりコンプリメントしまくる。ミクロ、いやナノ・レベルの「例外探し」をしつこく繰り返し、結果予測はLEDなどは夢のまた夢、せめて蛍の尻程度の光度なら大満足とする。あとは行動あるのみ。……てなことでもしないと、お先は真っ暗だべ。 □


縄文か弥生か?

2012年11月07日 | エッセー

「〇〇さんですよね。老けられてるんで分かりませんでした」
 先日、喫茶店でのこと。六つかそこいら年下の、かつて同じ町内に住んでいた後輩に声をかけられた(そいつだって相当馬齢を重ねて、くたびれた顔をしているのに)。世が世なら蹴りの一発でも見舞うところだが、体力勝負は4年前に沙汰止みにしたので苦汁の微笑を返しておいた。
 んったく、失礼な。還暦も越えて、老けるもなんもないだろう。なことは当たり前田のクラッカー(古い!)、老けないのがおかしいんだ。老けなかったら、お化けだ。差し当たり日本では、吉永小百合がひとりだけいるけど。
 小百合といえば、彼女の顔は典型的な「縄文顔」なのだそうだ。凹凸があって立体的、眉が太く二重瞼で唇が厚い。夏目漱石もそうらしい。文字通り縄文時代1万年の主人公であり、原日本人ともいえる。インドネシア、フィリピンなどに繋がる南方アジア系民族である(と、通途には聞く)。
 片や「弥生顔」というと、凹凸が少なく平坦で、眉は細く瞼は一重、唇は薄い。シベリアからモンゴルを発地とする北方アジア系だ。坂本龍馬と沢 穂希がその代表らしい。この北方系が2300年前に、米を携えて大挙九州北部へ乗り込んで来た。弥生時代の幕開けだ。この渡来民がまたたく間に日本列島を席巻した。ために、縄文人としてはアイヌだけが残った。
 現代日本人はほとんどが両系統の混血。そのうち北方弥生系が7、8割、南方縄文系が2、3割だそうだ。小百合型は少なく、穂希型が大多数というわけだ。
 福岡伸一氏の「できそこないの男たち」(光文社新書)によると、遺伝的にもそういえる。

◇O3型(アジアに展開した男性のY染色体O型のうち、朝鮮半島に極めて高い頻度で分布するO2b型によく似た型・引用者註)に分類されるY染色体は、漢民族、チベット、満州、モンゴル、朝鮮半島などに多く見られる。特に漢民族では3分の1を占める。
 日本におけるO3型は、10数%から20%の率で全般に見られる。しかしアイヌの中にはO2b、O3ともにO系のY染色体は全く見出されていない。
 O2b型が分岐したのは3300年前、移動を開始したのが2800年前頃と推定されている。O2b型の人々こそが弥生時代、稲作と金属器を持って日本列島に人ってきた渡来系弥生人であると考えられている。◇(上掲書から、以下同様)

 しかし「アイヌの中には・・・O系のY染色体は全く見出されていない」となると、前述の縄文人が「インドネシア、フィリピンなどに繋がる南方アジア系民族である」とする説明と食い違ってくる。だから「(と、通途には聞く)」と書いた。さらに福岡氏の論究を引く。

◇大まかにいってC3型が旧石器人、D2型が縄文人、O2b型が弥生人、O3型が大陸人といえる。そして各地域で頻度の差がある。アイヌにはD2型が、八重山諸島にはO2b型が多い。東京はすべての型の混成だ。意外なことにアイヌの中にも多型性が混在している。日本列島こそが“人種”のるつぼなのだ。◇

 日本列島がるつぼなのは解ったが、頭の中もるつぼになりそうだ。やれ、やれ。
 意地悪くいうと、日本列島に上陸し、ネイティヴ日本人であるアイヌを北海道に押し込めたのが現日本人の祖先だったことになる。だとすると、ボクたちは侵略者の末裔か? アメリカと同じだ! ……んな、バカな話はない。ないが、“民族主義”のばかばかしさも同じくらいバカな話になるのではないか。たかが2千数百年のあわいで起こった出来事だ。ピュアな日本人は、一体どこにいる? 第一、どう定義するんだろう。
 今や本邦のハーフもどんどん増えている(ニューハーフではない! こちらも増えてはいるが)。少子化とグローバリゼーションを勘定に入れると、数世紀で日本人の顔も今とは大きく変わるだろう。親戚に外国人がいるのが普通になる。そうなりゃ、縄文顔も弥生顔もへったくれもない。
 老けたから顔が分からない、だと……。笑わせるない! そのうち日本人だかなんだか、顔じゃ見境が付かなくなるんだから。 □


名作に学ぶ

2012年11月02日 | エッセー

 ラ・マンチャに一人の貧しい郷士が住んでいた。大好きな騎士道小説に耽るうち、ついに自らを伝説の騎士と信じ込んでしまう。「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と上位の貴族を僭称し、騎士と高言して世直しの旅に出る。
 騎士物語通りに騎士には美しい片思いの姫が必要だと考え、ある醜女の田舎娘に「ドゥルシネーア」という貴婦人名をつけて幻想の恋慕を始める。
 宿屋を城に亭主を城主に幻視し、騎士の叙任を願い出る。ドタバタの偽りの叙任式が終わり、路銀と従者を用意するためいったん村へ。途次、悶着を起こし打ちのめされる。
 こんな事になったのは件の小説のせいだと回りの者たちがことごとく焚書し、彼には魔法使いの仕業だと告げる。納得し、再び旅へ。お供は少し足りない農夫のサンチョ。手柄を立てて島を手に入れ、そこの領主にしてやるとの約束を交わす。
 そして風車の群れに遭遇。ドン・キホーテには巨人に見える。さあ、対決だ。全速で突撃はしたものの、哀れ、吹き飛ばされてしまう。諌めるサンチョに、我を妬む魔法使いが手柄を取らせぬため巨人を風車に変えたのだ、と譲らない。
 旅から戻ったドン・キホーテの前にカラスコという学士が現れる。ドン・キホーテを狂気から戻そうとする人物である。
  三度目の旅。出発にドゥルシネーアの祝福を受けたいと、彼女を呼んで来るようサンチョに命ずる。サンチョは困惑する。なにせドゥルシネーアは幻想、モデルの田舎娘も杳として知れない。一計を案じて、田舎娘を三人連れて来る。一人がドゥルシネーア、二人がその侍女だ、と。ドン・キホーテは偽物だと見抜いたものの、魔法使いによってドゥルシネーアが田舎娘に見えるようにされてしまったに違いないと嘆く。
 「鏡の騎士」との邂逅と、決闘。勝って兜を剥がすと、なんと学士カラスコではないか。ドン・キホーテを打ちのめして目を覚まさせようとしたのだ。しかしドン・キホーテは、カラコスは魔法使いの化身だと言い張る。
 ライオンとの決闘。何度挑発してもライオンは寝転んだまま、まったく相手にしない。ドン・キホーテは不戦勝だとして、「ライオンの騎士」と名乗る。
 公爵夫人との出会い。居城へ招待され、大層な歓待を受ける。実は夫人がドン・キホーテ主従を揶揄する企みだったのだが、逆に彼は自らが正真正銘の遍歴の騎士であると確信する。
 さらなる果たし合い。敗北。病。……死。

 聖書に次ぐ出版部数を誇る超弩級ベスト“&”ロングセラーだ。滑稽な物語りに込められた批判精神。数々のメタファー。老いてなお夢と正義に生きる感動の勇姿。時代によって評価はさまざまだが、ドストエフスキーの絶賛はつとに有名である。
 さて、なにを学ぶか。名作、大作ほど数多くの切口をもっている。上記の梗概は、わたしにとって印象深いシーンを軸にした。
   貴族を僭称し騎士と高言。
   世直しの旅。
   田舎娘への幻想の恋慕。
   焚書は魔法使いの仕業と納得。
    偽りの叙任式。
    魔法使いが巨人を風車に変じたと強弁。
   魔法使いがドゥルシネーアを変身させたと慨嘆。
   カラコスは魔法使いの化身と盲信。
    ライオンのネグレクションを不戦勝と牽強附会。
   揶揄の歓待を正当への賞讃と確信。
 サイコロジーでは興味が尽きぬところだが、それにも筆者は不案内であるため詳らかにはできない。ただ頑迷な先入主が自らを相対化する妨げになるどころか、現実の「意味」を変えてしまうことだけは解る。「プロクルステスの寝台」である。美醜の倒錯。正邪の逆転。善悪の転倒。幻想、幻視。カエサルの箴言「人は見たいものしか見ない」の「見たいもの」が病的に高じた挙げ句の悲劇、もしくは喜劇であろうか。

 I元知事の一連の報道に触れて、名作が浮かんで来てならない。如上との個別の対応は記さない。洒落の解説同様、艶消しになる。お読みいただく方の御高察にお任せしたい(一興にはなる)。
 だが名作は勿体なかろう、それほどのものでもあるまいともいえる。しかし世に言う「年寄りの冷や水」もしくは「年寄りの木登り」と括ってしまっては、余りに身も蓋も無いような……。 □