伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

合気道にありと見付けたり

2013年02月26日 | エッセー

 もともとが偏屈なので、小学校の高学年だったころ空手の流行に抗って合気道に憧れたことがあった。「小よく大を制する」澱みない流れるような体の動きに魅せられた。片田舎とて道場一つなく心得のある人も見つからず夢は散ったが、環境さえあればのめり込んでいたはずだ。
 合気道は武道家・植芝盛平が大正末期に創始した近代武道である。柔術・剣術などを総合した武術で、体格や体力に依らない合理的な体の運用で相手を制する。先方の力に逆らわない。むしろ逆用すべく体を捌く。だから、「小よく大を制する」。心身の錬成と自然との調和をめざし、争いなき平穏を志向する。従って、「強弱勝敗を論じない」を旨とし、ほとんどの流派は形稽古中心で試合をしない。目の前の相手に打ち勝つことではなく、敵をつくらない、敵を無力化することを目的に掲げる。
 
 先日車を洗っていて、ふと涌いた想念がある。アルキメデスは風呂で巨大な着想を得たが、筆者にはまずそれはありえない。砂粒にも満たない凡愚に加え、何度も触れたように風呂が嫌いだ。我が身の替わりに、車の洗浄中に極小規模のひらめきを得たという次第である。
 ──内田 樹氏の発想源は合気道ではないか。
 「鶏と卵」で、どちらが先というのではない。引かれるものがあり、気脈を通じる。やがて気脈は深まり、血脈となる。合気道七段、「凱風館」道場主と思想家・内田 樹は同一人物である。
 例を挙げよう。

◇私は宮台真司という人の書いたものを読んで共感したことが一度もない。どうしてなのかしらないけれど、どこかで必ず違和感のあるフレーズに出くわすのである。その理由が少し分かった。
 宮台は「分かっている人」なのである。それが彼に共感できなかった理由だったのである。宮台は「私には全部分かっている」という実に頼もしい断定をしてくれる。「事態がこうなることは私には前から分かっていたのです。いまごろ騒いでいるのは頭の悪いやつだけですよ」。冷戦の終結も、バブルの崩壊も、性道徳の変化も、家庭の機能不全も、教育システムの荒廃も……宮台にとってはすべて読み込み済みの出来事なのである。それを見て、秩序の崩壊だアノミーだ末世だとあわて騒ぐのは時計の針を逆に回そうとしている愚物だけなのである。実に明快だ。宮台は「知っている」ということで自らの知的威信を基礎づけている。「知っている」ということが知的人間の基本的な語り口であるとたぶん思っている。
 ところが、私はそういうふうに考えることができない。「私には分からない」というのが、知性の基本的な構えであると私は思っているからである。「私には分からない」「だから分かりたい」「だから調べる、考える」「なんだか分かったような気になった」「でも、なんだかますます分からなくなってきたような気もする……」と螺旋状態にぐるぐる回っているばかりで、どうにもあまりぱっとしないというのが知性のいちばん誠実な様態ではないかと私は思っているのである。◇(「「ためらいの倫理学」 」から)
 よく氏は柔らかな知性と評される。宜なる哉。しかしわたしに言わせれば、頭のいい人だ。「私には分からない」という「知性の基本的な構え」と「螺旋状態」で「あまりぱっとしない」という「知性のいちばん誠実な様態」を備えている人は、「デルフォイの神託」を持ち出すまでもなく最高度の知性の人だ。硬軟という知性の肌理以前の次元に拘わる。
 こういう構えはどこからくるのか。全知に対する嫌悪は、人知と人為を超える武道の世界の構えでありメンタリティーではないか。更に挙例する。

◇そもそも西部邁という人の書いたものを読まないのでよく知らない。昔、西部の本を買って、読み終わってそのままゴミ箱に投げ捨てたことがある。読み終わってそのまま本を捨てたことはこれまでに二回しかなくて、そのうちの一回であるから私は西部とは相性が悪いのかもしれない。ともあれ、「こわいもの見たさ」というか、「まずいもの食いたさ」というか、そういうネガティヴな好奇心のなせるままに、宮崎哲弥の本を買ってこわごわ読んでみた。読んでみると、文章は達者であるし、若いのに博識であるし、論理も明快であり、悪口の言い方も堂に入っているし、嫌いなもの──上野千鶴子とか──も私といっしょである。しかし、それにもかかわらず面白くない。なぜ面白くないのか? そしたらすぐに分かった。
 宮崎には「とほほ」がないのである。「とほほ」とは何か? それは要するに「従犯感覚」である。たとえば日本の政治システムを批判するとき、私たちはつい弱腰になる。それは批判している当の本人が久しく政治にかかわる言論の自由・集会結社の自由を保証され、選挙権や被選挙権を行使してきた結果、いまの政治システムを作りあげてきた一人だということを、骨身にしみて知っているからである。私たちの努力も怠慢も参加も無関心も全部込みで、その総和としていまの政治体制がある以上、「だいたい日本の政治システムは」みたいなことを、外国人のようなスタンスで言うことは許されない。いや、許されているのかも知れないけれど、するのが恥ずかしい。日本の政治システムや官僚制度がろくでもないものであるということはよく分かっている。分かっているけれど、「ろくでもない」と言うときは、「そのろくでもない制度の片棒担いでいるわけだけど……」という内心の痛みと恥が、私たちの言葉尻を濁らせてしまう。
 この「罪責感」と「自己免責」のないまぜになった「腰の決まらなさ」こそ、私が「とほほ」感覚と呼ぶものなのである。日本の中年の男性でこの「とほほ」感覚から完全に自由な人間はいないだろう。夏目漱石以来、この「とほほ的」脆弱性が別の意味では日本のおじさんたちの「自我の鎧」となっていることを私は知らないではない。すぐにへこへこ謝る奴が一番反省していないということを私は知らないではない(現に私がそうだ)。宮崎哲弥に欠けているのは、この「とほほ」の感覚である。彼が日本の状況という関数式に算入するのは、「おのれの無垢」(あるいは「無力」)というデータである。「無垢にして無力」なものとして自らを提示するのは、「自分が含まれている社会」の諸制度を審問する上できわめて有利な戦略である。◇(同上)
 途方に暮れて情けない。「とほほ」感覚、「とほほ的」脆弱性である。如上の「どうにもあまりぱっとしない」と同類だ。「私には全部分かっている」の真向いにあるスタンスだ。「知性のいちばん誠実な様態」をこのようにあからさまに表明できるのは、武道の間合いであり体捌きではないか。
 内田氏は、形稽古の狙いは理想的で本然的な身体運用法則の発見にあるという。自然な身体運用と信じられているものの過半は歴史的、地域的に限定された「民族誌的奇習」に類するものであり、人間という類の生物学的に自然な身体運用を考究することが目的であると論じる。
 そのような錬成を日常とする人は、知性の運用においても同等ではあるまいか。「従犯感覚」や「とほほ」感覚とは、──彼が日本の状況という関数式に算入するのは、「おのれの無垢」(あるいは「無力」)というデータである。「無垢にして無力」なものとして自らを提示するのは、「自分が含まれている社会」の諸制度を審問する上できわめて有利な戦略である。──の対極にある感性だ。合気道の、相手の動きにしなやかに応ずる舞うがごとき身の捌きが彷彿するではないか。
 
 テクニカルな例を挙げよう。
◇「結婚は損か得か?」という問いに対して、「どうしてあなたは『損得』という価値基準がすべての人間的事象に適用できると信じていられるのか?」という答え方。
 手の内を明かすと、「問いに応じるに問いを以てする」というユダヤ人が得意とするところの「必殺技」である。問題の「次数を一つ繰り上げる」ことによって、当面している問題をまったく別のパースペクティヴから眺めることを可能にする、たいへんすぐれた知的装置である。(ただし、欠点が一つある。相手はいらついて、「ばかにするな!」となる。ユダヤ人が憎まれるのはこのせいだ。)◇(「街場の現代思想」から)
 これなどはそのまま知的関節技といえよう。内田氏の論攷の切れ味と爽快感はここにあると視たい。
 次は止(トド)めだ。
◇私は論争ということをしない。自分に対する批判には一切反論しないことにしているから、論争にならないのである。どうして反論しないかというと、私に対する批判はつねに「正しい」か「間違っている」かいずれかだからである。
 批判が「正しい」ならむろん私には反論できないし、すべきでもない。私が無知であるとか、態度が悪いとか、非人情であるとかいうご批判はすべて事実であるので、私に反論の余地はない。粛々とご叱正の前に頭を垂れるばかりである。
 また、批判が「間違っている」なら、この場合はさらに反論を要さない。私のような「わかりやすい」論を立てている人間の書き物への批判が誤っている場合、それはその人の知性がかなり不調だということの証左である。そのような不具合な知性を相手にして人の道、ことの理を説いて聴かせるのは純粋な消耗である。
 というわけで私はどなたからどのような批判を寄せられても反論しないことを党是としている。それに、私の知る限り、論争において、ほんとうに読む価値のあるテクストは「問題のテクスト」と「それへの批判」の二つだけである。それ以後に書かれたものは反批判も再批判もひっくるめて、クオリティにおいて、最初の二つを超えることがない(だんだんヒステリックになって、書けば書くほど品下るだけである)。◇(「街場の読書論」から)
 すでに免許皆伝の域ではなかろうか。「敵をつくらない、敵を無力化する」極意が象嵌されているといえば大袈裟か。
 文武両道といえばまことに素っ気ないが、その体現者であることに疑いはない。内田思想の源は合気道にありと見つけたり、だ。 □


「アベノミクス」考

2013年02月24日 | エッセー

 やはり案の内、浜 矩子先生はアベノミクスに反対だ。舌鋒は相変わらず鋭い。論旨は以下の通りである。

◇そもそもアベノミクスという言葉が非常に気に食わない、なんとかのミクスとかいう偉そうな名前を付けるに値するものではない。
──「悪徳商法」
 日銀に圧力をかけて金融を緩和し、積極的な財政支出をすればカネ余り状態に陥り実体経済には効果がない。
 株、不動産など投機的商品は上がり、資産インフレはどんどん進行する。ところが、実物の世界は引き続きグローバルな競争にさらされるので、火がつくことは考えられない。資産インフレと実物デフレが進行する最もタチが悪い状況となる。 
 自国の通貨安を誇るのは異様だ。輸入物価が上がり、資材、燃料の高騰から企業にとってもコスト高要因となる。コスト削減のため賃金が一段と抑え込まれ消費も伸びなくなる。
 さらに、日本が通貨安競争の引き金を引く懸念があり、米国、欧州、中国などは円安政策に不満を抱いている。日本は世界有数の債権国家であり、今の円安局面は長続きしない。
──「浦島太郎の経済学」
 アベノミクスではインフレターゲットなどの金融政策が前面に出てきているが、その実態はばらまき型公共事業や円安による輸出企業の救済であり、これは50~60年前の「浦島太郎」の経済戦略だ。
 非常に古典的というか。若い経済ならこういう格好で喝を入れるというのはありかもしれないが、成熟度が高くなった日本経済に対してこういう処方箋を当てはめるというのは、時代錯誤も甚だしい。
──目指すべきは「成熟戦略」
 既に成熟している日本経済に今必要なのは、インフレターゲットでも成長戦略でもなく成熟戦略である。今日本は既に積み上げた国富を国民全体でどう分かち合っていくのか考えなければならない段階にある。◇

 お説ごもっとも、異論の挟みようはない。内田 樹先生も同様である。ツイッターでの発言要旨は以下の通り。

◇さきの大戦での帝国戦争指導部はAnything that can go well will go well. 「これがうまくいって、これもうまくいったら、あれもうまくゆく」という希望的観測を針の穴を通すように積み重ねて歴史的大敗を喫しました。アベノミクスにも同じ匂いを感じます。
 (1)借金をして(2)土木工事をすると(3)企業の収益が増えて(4)株価が上がって(5)賃金が上がって(6)消費が増えて(7)イノベーションが起きるというシナリオだが、(4)のところで「折れて」(5)につながらないような気がします。
 現に、収益を上げても「国際競争に勝ち抜くためにはたえざる研究開発と市場開拓が必要で賃上げなんかしている余裕はない」と言って企業は労働者への「トリクルダウン」を拒んでいます。アメリカでも中国でも、経営者たちは個人資産を増やすことには熱心でしたが、分配には熱意を示しませんでした。
 同じことが日本でだけは起こらないという保証は誰がどういう論拠でしてくれるんでしょう。「薄氷」の経済政策の隙間を縫って成功した人はリスク感度が高いがゆえに、大盤振る舞いするよりは「これから何が起きても自分だけは生き延びられるように」個人資産を退蔵することになると思いますけど。
 アベノミクスは論理的に考えれば「富の偏在と階層二極化」を結果すると思います。でも、国民のみなさんが「それがいい」と思って選んだ政権ならしかたがありません。僕にできるのは、とりあえず市井のかたすみで「富の分配と階層の平準化」のために何ができるか工夫するだけです。◇

 こちらの御高説も肯んじざるをえない。ただそれにしても次のような言述に接すると、ひどく戸惑い、考え込んでしまう。
〓『官僚の反逆』などの著書がある評論家の中野剛志さんは「国の最も大事な役割は雇用対策。労働とは生きる糧を得るためだけでなく、『自分も世の中に存在していい』と確認できる承認の問題だから。そして雇用確保のためには、絶対にデフレからは脱しなければだめだ。成長うんぬんとは別問題」という。
 その前提のうえで、低成長論者が陥りやすい落とし穴を指摘する。一般に「経済成長こそ貧困をなくす」といった反論があるが、中野さんはさらに広く、世代問題の視座も提供する。「『世の中にはモノがあふれている、無理に需要を喚起するのは地球環境にもよくない』と低成長論者は主張するが、需要には現在の消費だけではなく、将来世代のための投資も含まれる。自分たちは先行世代の投資のおかげを被ってきたのに、年金や医療が心配だから、子供世代のための公共事業まで削れという低成長論者は、私に言わせれば不道徳。ふしだらだ」長い歴史のスパンで見ても、人類の経済規模が拡大していく「成長の時代」は、ここ250年の出来事に過ぎないとも話す。「成長の時代の前は、戦争と飢餓の時代。そこに戻っていいのでしょうか」〓(2月18日付朝日新聞から)
 「国の最も大事な役割は雇用対策。労働とは生きる糧を得るためだけでなく、『自分も世の中に存在していい』と確認できる承認の問題だから」であり、「雇用確保のためには、絶対にデフレからは脱しなければだめだ」は、通途の脱デフレ論に比してより深い視点だ。内田先生の
◇憲法には国民は「勤労の権利を有し、義務を負う」と定めている。おそらくそれが憲法に規定してあるというのは、労働は私事ではないからである。労働は共同体の存立の根幹にかかわる公共的な行為なのである。◇(「下流志向」から)
 との論攷を重ね合わせると、雇用が失われていくことは「共同体の存立の根幹」が根腐れしていくことだ。デフレは不倶戴天の敵といえよう。
 次の「世代問題」については、中野氏はインフラが今一斉にメンテの時期を迎えていることを特に指摘している。確かにどんどん老朽化しているインフラを等閑視することは、「不道徳。ふしだら」の譏りを免れまい。笹子トンネルの事故は象徴的で警告に満ちている。

 だからアベノミクスなのか。イシューはそこだ。

 「なんとかのミクスとかいう偉そうな名前を付けるに値するものではない」と、浜先生は斬って捨てる。「資産インフレと実物デフレが進行する最もタチが悪い状況」を危惧されているが、内田先生の「富の偏在と階層二極化」という結果予測と軌を一にする高見だ。別けても「トリクルダウン」の不首尾についての指摘は的を射るどころか、的そのものがぶっ壊れるほどの洞察力だ。現に中国の改革開放はその急峻な坂に喘いでいる。
 内田先生の嗅覚はアベノミクスに、「帝国戦争指導部」の「希望的観測を針の穴を通すように積み重ね」た知的退嬰と「同じ匂い」を捕らえている。「これがうまくいって、これもうまくいったら、あれもうまくゆく」は、明らかな戦略論的サボタージュであろう。否定形でシミュレートしてみるのは最低限の戦略的リテラシーではないか。「彼を知りて己を知らば、百戦して殆(アヤ)ふからず、彼を知らずして己を知らば一たび勝ち一たび負く、彼を知らず己を知らざれば、戦ふ毎に必ず敗る」孫子のいう「彼」も「己」も、アベノミクスで論述された節はない。
 内田先生は、
◇「日本には成長戦略がないのが問題」ということに対して、わたしはこう言いたいと思う。問題なのは成長戦略がないことではない、成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだと。◇
 との平川克美氏の言を受け、
◇日本における歴史上始まって以来の総人口減少という事態は、なにか直接的な原因があってそうなったというよりは、それまでの日本人の歴史そのものが、まったく新たなフェーズに入ったと考える方が自然なことに思える。◇(「街場の読書論」から)
 と応じた。紛れもなく、先生には「彼」が闡明に見えている。 □


2つの判決から

2013年02月22日 | エッセー


 社会面トップに、2日連続して「遺族の無念」を伝える報道が載るのは希ではないか。
 2月20日の朝日新聞。(◇部分は抜粋、以下同様)
◇亀岡暴走、懲役5~8年 無免許少年に判決 京都地裁
 「とても納得できない」。無免許運転の厳罰化を求めて活動を続けた遺族らは、悔しさをにじませた。京都府亀岡市で集団登校中の児童ら10人が死傷した事故の判決。京都地裁は19日、無免許運転の少年(19)に求刑を下回る懲役5~8年の不定期刑を言い渡した。悲劇を防ぐ手立てはないのか。
 濃紺のスーツに丸刈り頭で公判に臨んだ少年は、前を見つめ、表情を変えずに判決を聞いた。遺族らは時折、少年の方をのぞき込み、険しい表情を浮かべた。
 閉廷後、京都市内で会見した遺族らは判決に無念の思いをにじませた。亡くなった横山奈緒さん(当時8)の父博史さん(38)は「どうすれば上限の10年になったのか。法律とは何なのか」と声を震わせた。亡くなった松村幸姫(ゆきひ)さん(当時26)の父中江美則(よしのり)さん(49)は「検察の威信にかけて、控訴を望む」と訴えた。
 遺族らは、適用された罪への不満も述べた。横山さんは「危険運転致死傷罪が適用されれば、裁判員裁判になっていた。一般の人の視点で裁いて欲しかった」。中江さんも「危険運転で裁かれたら、何年の判決が出ていたのだろうと考えてしまう」と話した。
 この日の判決前、少年は裁判長から改めて意見を問われたが「前回と同じです」とだけ答えた。亡くなった小谷真緒(おだにまお)さん(当時7)の父真樹(まさき)さん(30)は「僕らは事故後、すごく苦しい中で生きてきた。一言付け加えてくれることがあったのでは」と憤った。◇

 明くる21日の朝日。
◇強制起訴の元副署長、時効成立で免訴 明石歩道橋事故
 下村さんは記者会見で、「『無実ではない』という意味だと受け止めた。榊被告は責任を感じてほしい」と話し、控訴を求める考えを示した。会見後は現場の歩道橋を訪れ、慰霊碑「想の像」に手を合わせた。「亡くなった11人には謝り続けることしかできない。私たちにとって時効はない。皆で力を合わせてがんばりたい」と語った。次女の優衣菜さん(当時8)を失った兵庫県姫路市の三木清さん(44)は会見で、「悔しい気持ちでいっぱいだ。娘には『良い結果が出なかった』と報告するしかない」と述べた。検察官役の指定弁護士も会見。裁判官出身の安原浩弁護士(69)は「客観証拠を無視した予想外の判決で驚いている。非常に残念だ」と判決を批判した。中川勘太弁護士(40)は「控訴しないという選択肢は考えがたい」と述べ、22日に遺族と協議したうえで、控訴する考えを示した。◇

 次のコメントには強い戸惑いを感じた。
 亀岡暴走事故──「どうすれば上限の10年になったのか。法律とは何なのか」「危険運転致死傷罪が適用されれば、裁判員裁判になっていた。一般の人の視点で裁いて欲しかった」
 明石歩道橋事故──「私たちにとって時効はない」「娘には『良い結果が出なかった』と報告するしかない」
 亀岡事故については少年法や厳罰化というイシューが、明石事故については検察審査会による強制起訴というイシューがある。しかしそれらのイシューが霞むほどの違和感が残った。食べ物に、例えば蛤に一つだけ砂粒が残っていた時のような気落ちとでもいおうか。
 遺族の目的は何なのか。
 「と声を震わせた」はストックフレーズだとしても、「法律とは何なのか」とは法に何を求めての発言だろうか。「私たちにとって時効はない」は新聞の見出しにも使われているフレーズだ。インパクトはあるが、アナーキーな物言いといえなくもない。

 唐突だが、過去の拙稿を引きたい。08年5月、「光は射したか」から抜粋する。冗長な駄文を御容赦願いたい。
〓山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で、広島高裁が「反省とはほど遠い」として元少年の新供述を退け、元少年に死刑判決を言い渡した。
 二つの点について語りたい。
 まず一点目は、厳罰化の流れである。かつそれが少年犯罪にまで及んできていることだ。たしかに犯行時、被告は少しではあっても18歳を超えていた。死刑の適用は違法ではない。しかし、これには二つの問題点がある。ひとつには、「永山基準」を逸脱していることである。
 「永山基準」とは、83年に永山則夫連続射殺事件の審議に際し最高裁が明示した死刑適用の指標である。①犯行の性質 ②犯行の態様(残虐性など) ③結果の重大性、特に被害者の数 ④遺族の被害感情 ⑤犯行時の年齢、など9項目を総合的に勘案して決める。有り体にいえば、2回以上で計4人以上を殺した場合に死刑となるということだ。この基準が出て以来、確定した少年の死刑判決は19歳のみであり被害者は4人であった。
 したがって、この判決は明らかに異様である。順当に考えれば、量刑は無期懲役だ。永山基準は拡大どころか、ネグられたというべきだろう。先例をつくったり、先例を破ると、際限がなくなる。死刑の量産などまっぴらだ。死刑に抑止効果などありはしない。世界の大勢も死刑は廃止だ。日本の流れは逆行している。
  問題点のもうひとつは、少年法の精神に悖ることだ。少年法は冒頭で次のように謳う。
──(この法律の目的)第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。──
 つまりは処罰のためではなく更生のために、この法はある。先般の改定で家裁の判断で逆送し刑事裁判にすることもできるようになったが、その場合にも不定期刑や量刑の緩和など種々の配慮が規定されている。立法の精神を等閑すれば、法治国家は足元から崩れる。
 厳罰化が必要だというなら、法を変えるしかない。ただしその場合は一国の基本法である憲法との整合性が求められる。事はさほどに容易くはない。違憲立法審査権も最後の砦となる。
 二点目は、世論誘導の疑いである。
 「最高裁が『死刑ありき』で差し戻し、それに迎合しただけの判決。被害者の声が無期懲役も死刑にできるという事例を作った」との学識者の指摘がある。一点目に述べた判決の異様さが世論の圧力によるものだとすれば、司法の独立に重大な疑義が生まれる。
 木村氏は判決後の記者会見で、「被害者としての報復感情は満たされた」と述べた。続けて、「被告と妻と娘の3人の命が奪われることになった。これは社会にとって不利益なこと。これで終わるのではなく、どうすれば加害者も被害者も出ない平和で安全な社会を作れるのかということを考える契機になれば」と語った。この撞着する発言は理解しがたい。綯い交ぜになった私怨と公憤。死刑の主張と「社会にとって不利益」「平和で安全な社会を考える契機に」との乖離にはたじろいでしまう。どうもこの人物にはある種の胡乱が拭えない。同情は売りものではない。ましてや憐憫を使嗾の具にしてはならない。集団リンチを脱皮したところに司法制度は成ったはずだ。〓
 量刑は逆なのだが、如上の2件と同類だ。「被害者としての報復感情は満たされた」は、特に印象的だ。「報復感情」が人類史的アポリアであることは事実だが、「集団リンチを脱皮したところに司法制度は成った」のも事実だ。
 亀岡暴走判決を伝える記事の末尾に、朝日は次のように付け加えていた。
◇厳罰化に抑止効果はあるのか。
 警察庁によると2001年以降、交通事故の死者数は減り続けている。一方、12年版の犯罪白書によると、02年に322件だった危険運転致死傷罪での検挙件数は、11年は333件と減っていない。今回の少年も被告人質問で「無免許運転は悪いことだと分かっていたが、運転をやめる気はなかった」と供述した。
 交通犯罪の受刑者に、刑務所で交通安全を講義している龍谷大法科大学院の石塚伸一教授(刑事政策)は、安易な厳罰化は場当たり的な「飛びつき立法」で、再発防止につながるかは疑問だと主張。事故を防ぐには、悪質運転をさせないための交通教育▽ガードレールの設置▽車が速度を出しにくい路面の整備など、交通政策の抜本的な見直しが必要だと指摘する。◇
 いたちごっこは決して生産的ではない。ルサンチマンもそれだけではなにも生まない。 □


オノマトペの化身

2013年02月19日 | エッセー

 一昨年の読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した鷲田清一氏の──「ぐずぐず」の理由──(角川選書、11年8月刊)は、オノマトペについての静謐で卓抜した論攷である。まことに僭越ではあるが、同書を便(ヨスガ)とししつつ拙稿を振り返ってみたい。
 今月2日の本ブログ「受け取り拒否の『ゆうびん』」から。
〓かつて長嶋が原に打撃指導をした折の逸話がある。身振りを交えて“バーン”“キューン”“バシッ”と、オノマトペの連続だったそうだ。それでも十分伝わり、立派な教えになった。なにせ原は、自らのノートにそれらオノマトペを忠実に録していたそうだ。アスリートに学びのモチベーションが起動し、メンターがオノマトペに極意を載せて届ける。絶類のコミュニケーションではないか。オノマトペは知的低位を徴するのではなく、むしろ知的極まりが導出したものだ。日本語は世界で最多のオノマトペを誇る。〓

 鷲田氏はオノマトペを次のように捉える。(◇部分は上掲書より引用、以下同様)
◇視覚情報をはじめとするさまざまな感覚情報を削ぎ落とし、限られた一語へと、その存在を約(ツヅ)めとるのである。そしてそれが〈概念〉や〈意味〉ではなく、それ自体が音という感覚的な素材であるところに、オノマトペの特性がある。オノマトペには、概念によるのでない「感覚による抽象」という操作が含まれている。◇
 「感覚による抽象」とは、なんとも言い得て妙ではないか。胃に激しい痛みを感じるのではなく、胃がキリキリ痛い。「激しい」という概念によって痛みを伝えるのではなく、「キリキリ」という音が感覚を「約めとる」。問診において最も有効な表現であることを想起すれば、その優位は判然とする。
 愚説の「知的低位を徴するのではなく、むしろ知的極まりが導出したもの」とはいかにも拙い物言いだが、一脈いやその半分ぐらいは通じているのではないか。

◇オノマトペにおける音の重ねも、音の肌理にたよった稚拙な表現なのではない。「よちよち」「ぼろぼろ」「ねちねち」「ぎらぎら」「ぶよぶよ」といった聴覚にまといついてくる音の反復も、「うんざり」「うっとり」「げんなり」「ほっこり」「じっくり」「しっとり」といったひとの状態の、音を活かした切り取りも、「再現」ではなく「抽象」を孕んでいる。いってみれば、そこには身体による抽象とでもいうべき操作がはたらきだしている。◇
 「稚拙な表現なのではない」、「『再現』ではなく『抽象』を孕んでいる」、「身体による抽象」とは深甚だ。
 「よちよち」歩くと聞けば、目に浮かぶ。しかし「よちよち」自体は嬰児の動きを再現しているわけではない。再現するには、万言を要する。では、なぜ目に浮かぶのか。それは歩行の動態が「さまざまな感覚情報を削ぎ落とし」て、抽象されているからだ。「うんざり」も再現するには万言を要する輻湊する心象を大きく捨象し、音が「限られた一語」へと抽象しているからだ。
 「身体による抽象」とは、先述の「感覚による抽象」と同意ではないか。長嶋と原、メンターがアスリートに伝えようとするものはまさに「身体」「感覚」そのものである。「再現」などできる代物ではない。身体・感覚による抽象以外に術はない。オノマトペに極まるわけである。

 さらに、次の論述には唸る。
◇オノマトペにみられるのは〈描写〉という特性である。それは、ふるまいをある隔たりのなかで見る一種の観察表現なのであって、気配の、停まいの、姿かたちの客観描写を企てるものである。しかしこの描写は「曰く言い難い」ものについての描写であるがゆえに、他者への問い質しという契機を潜在的に含みもつ。感動詞のようにみずからを勢いづけるというより、物のあいだを動きまわりそこに身を浸す、その感触を他者に述べ伝える実況報告、つまりは感覚のルポルタージュとしてつぶやかれるのである。このルポルタージュは確定的なものではありえないからこそ、つねに他者にもたれかかりつつ、あるいは他者をうかがいつつなされる。「さっぱりでんな」「ぼちぼち行きまひょか」「がっくりですわあ」といったぐあいに。他者への問い質しはこのように、事態の把握において複眼をもとうという当事者離れ、もしくは自己疎隔化の契機を含みもつが、他方ではしかし、うながしやおもねりというかたちで他者になびく、あるいは他者を引き込むという磁力をも併せもつ。◇
 「感覚のルポルタージュ」とは、震えるほどに核心を突くフレーズだ。長嶋サンが、否応なく浮かぶ。同じトポスにある「一種の観察表現」「当事者離れ、もしくは自己疎隔化」とは、上掲書の随所で触れられている点だ。表裏をなすのが、「他者を引き込むという磁力」である。ここでも長嶋サンが、否応なく浮かぶ。あの「磁力」は人間の業を遥かに超えている。してみれば、長嶋サンこそはオノマトペの化身ではないか。

 本題とは離れるが、10年8月本ブログに「私的演歌考」なる拙文を載せた。
〓―― 歌を演ずる。
 それが演歌ではないか。
 歌うのではない。演ずるのだ。歌をドラマ化する。感情移入では、まだ浅い。歌中の人となる。それでこそプロだ。憑依すれば、すでに天才だ。巧いかどうか、美声か否か。それは前提でもあり、埒外でもある。歌唱能力は演技力の一部でしかない。アマを隔つ壁はそこに屹立する。〓
 理路も雑然たる「ぼろぼろ」の愚考だが、上掲書の次の一節に至った際、にわかな興奮を覚えた。

◇坂部恵はその著『かたり』のなかで、藤井貞和が「ウタ(歌)は、ウタガヒ(疑)、ウタタ(転)のウタと同根」とする『岩波古語辞典』の説を引きながら述べた次の叙述に注目している。
「〔ウタ〕とは集団的にであろうと、個人的にであろうと、ふと何かにとり憑かれ、われがわれであらぬような非理性的な気持になる状態に冠せられる。……〔歌〕〔唄〕は、明らかにこのような〔うた状態〕に起源を持つ語ではないか、と言いたい」(『物語文学成立史』)。◇
 「ふと何かにとり憑かれ、われがわれであらぬような非理性的な気持になる状態」、つまりは〔うた状態〕が歌の起源だという。軌を一にする論旨だ。市井の一ディレッタントには法外な歓びである。そう、「うきうき」だ。 □


凱旋

2013年02月18日 | エッセー

 耳を疑う事故が起こったのは三年前の夏であった。友人が近所で御呼ばれし、したたかに酩酊した。蹌踉うように帰ってきたのが深夜。自家は高手にあり、急な石段を登る。柵はない。悲劇は玄関の直前で起こった。不揃いなきざはしを踏み外し、頭から溝に落ちた。今どきのことゆえ、エアコンのために窓は閉め切っている。音は届かない。家人は気づかなかった。発見されたのは朝まだきであった。頭蓋骨陥没、それでも命はあった。数日して意識が戻った。首より下が動かない。爾来、懸命なリハビリが続く。
 運命の悪戯にしては、過ぎた悪ふざけであろう。不注意というには事が重すぎる。それにしても、一夜にして奈落に墜ちた現実を彼はどのように受け容れたのであろう。激痛が走り、記憶が切れ、死の淵を彷徨った苦悶のあわいに、あるいは次第に確かになっていく意識の揺蕩いにうつそみと向き合う準備をしたのであろうか。いや、そうではあるまい。
 彼は事態を受け容れてなどいない。唐突なにべもない現実の豹変を従容として甘受したなら、あのリハビリへの執念が湧くはずはなかろう。傷が癒えた数カ月後、まず声を奪い返すことから戦いは始まった。緑児の体験をなぞるように、遅々とした飽くなき繰り返しだ。動かない下半身はみるみる細る。支えられて上半身を起こすと、急激に血圧が下がる。病窓に切り取られたビルの一角と駐車場の一画。遠い山並み、狭い空。季節感の薄い外界さえ、目にするのは容易ではない。獄舎に繋がれた囚人の方が、まだ自由にちがいない。蓐瘡も襲う。再びメスが入る。それでも彼は挑戦の歩みを止めない。
 一年前、遠方にあるリハビリ専門の病院へ移った。声が戻ってからは、随分明るくなった。腕も少しづつ動き始めた。半月ほど前だ。ある程度の時間、車椅子に身を措けるようになったと聞いた。だが、下肢は感覚さえ戻らない。

 「キューブラー・ロスモデル」がある。死病を宣告された患者が、それをどう受け入れいくのか。スイスの精神科医が臨床経験に基づき提示した「死の五段階」説である。
 第一段階が否認。宣告を嘘ではないかと疑う段階である。第二段階が怒り。なぜ自分が死なねばならぬのか、周囲に怒りをぶつける段階だ。第三段階が取り引き。なんとか死なずに済むよう取引を試みる段階だ。何かに必死にすがる。神頼みである。そして第四段階が抑鬱。塞ぎ込み、なにもできなくなる。最終、第五段階が受容。遂に自らが死にゆくことを受け入れる。
 軽重はあるが、肉親にも当てはまるだろう。さらに、一生に亙る障害を負った場合にも適用できるかもしれない。ただこの場合、死は棚上げされている。ここだ。
 「キューブラー・ロスモデル」をどう裏切るか。「棚上げ」は気まぐれなプレゼントでも、執行の猶予でもあるまい。自らが幕を開ける以外に始まらぬ、再びのステージだ。だから、第一、いな第二段階で踏み止まらねばならない。第五段階「受容」は無縁だ。

 もう見舞いには行くまい。そうではなく、不治の障害を断じて肯んじず、怒りもて復讐戦を繰り返すその執念の返り血を浴びに行くのだ。彼が車椅子で晴れ晴れと地元に凱旋するその日を念じ待とう。手強い魔軍との攻防戦に勝ち抜いた、満身創痍、誇らかな傷兵の凱旋だ。 □


神! 

2013年02月14日 | エッセー

 「カミ かわいい」「カミ おもしろい」「カミ やばい」「カミ おいしい」と言うものだから、「カミ」さんという人物の話かと聞いていたら、どうも違う。なんと「神」、つまり“GOD”のことだ。「超」の上、「超」では表現し切れないほどの格別さを「神」というらしい。
 神を副詞として使う。『神懸かったほどの可愛らしさ』『神業といえるほど美味しい』とでも翻訳すればいいのか。“Oh,My God!”の亜流、もしくは勘違いともいえようか。
 「チョー 気持ちいい」はつとに有名。「超特急」があるから「チョー おもしろい」という副詞風の使い方もありかと納得していたら(気づいたら、自分でも結構使っていた)、今度は新手のお出ましだ。いくらなんでも「神特急」はなかろう、とても副詞になぞ降臨されるはずのない厳かな名詞がいかな御時世とはいえお労しい、副詞となって下々にお仕えになる。ああ、世も末。鶴亀鶴亀(古いか!)……。
 先日のこと、若い女の子たちがぞろぞろ出てくるテレビ番組で耳にした。「カミ」といえば「神、上、髪」、どれも高みにある尊きものだ。中でも神は最上位であろう(筆者にとっては「髪」だが)。「超」の上位が「神」だと、その次は「天」か。さらに高位は「宙」か。他人事ながら、先行きを心配してしまう。かつ造語というよりは言葉のブリコラージュの才に『神 おもしろい』と、恐れ入谷の鬼子母神だ(これも古いか!)。「変態」から「H」。その昔から、ハイティーンの女の子はブリコラージュの天才だ。
  ついでにいうと、「なります」言葉。「こちら、コーヒーになります」のあれだ。モノの本によると、「ございます」が「なります」に“なった”のだそうだ。「ございます」が上等すぎるのか、上品すぎるのか、日常からは消えている。ために、ファーストフード店当たりで置き換えを始めたのではないか。「コーヒーです」ではぞんざい。かといって「コーヒーでございます」は、使い慣れてないから面映ゆい、舌を噛みそう。それで、「なります」に“なった”か。
 ということはいかに洒落たレストランであろうとも、「なります」と言って料理を持って来たのでは接客レベルは低いと見ていいのではないか。状態が変化していく様を「なります」と表現する。だから理屈をつければ、ご注文をお受けしていろいろな過程を経てこのような品物に変化しておりますとの謂だといえなくもない。とはいうもののコーヒーになる前は何だったのかと、真っ正直な筆者などに余計な思案を強要するようでは、言葉のセンスは決して高くない。だから、「なります」言葉の有無は星三つのうちの一つにはちがいない。筆者などは、「はい、お待ち!」の方がよほど心地いいのだが……。

 突然だが、神 おかしい! のがレスリングをオリンピックから外そうかという詮議だ。紀元前の古代オリンピックの時代からレスリングは正式種目であった。BC9世紀よりAD4世紀、徒競走やボクシング、戦車競争と並んで由緒あるオリンピック競技である。まさか戦車競争を復活せよとはいわぬが、レスリングを止めるとはどういうことか。IOCは気が触れたのではあるまいか。神 変だ!  
 肥大化を防ぐためなら、テニスやサッカーのようにほかに伝統と権威ある国際大会がある種目こそ除くべきだ(本ブログで再三触れた)。理由に挙げる競技人口の少なさ、ルールの分かりにくさなどは、オリンピックの歴史を考えれば取ってつけた言い訳に過ぎぬ。欧米にメダルが少ないことや、テレビ視聴率が低いことこそ本当の理由かもしれない。だとすれば、神 バカな話だ。
 太古、オリンピックは神々を崇めるための宗教行事として始まった。サマランチ以来、市場原理がそこに風穴を開けてきた。延命と脱皮には奏功したが、常に古層との軋轢が生じてきた。その端的な例が今回のレスリング騒動ではないか。蓋し、レスリングは古層の象徴である。
 3000年も前から神々に捧げられてきた伝統を捨てて、はたして神々は嘉せらるるであろうか。神に弓引く所業であると、お怒りになるやもしれぬ。そうなると本当に、神 ヤバい! □


2月6日の事ども

2013年02月08日 | エッセー

 2月6日に起きた気象関連の話題を二つ。
 一つは津波。ソロモン諸島沖に発生したマグニチュード8.0の地震で、気象庁は北海道から九州にかけての太平洋側と沖縄に津波注意報を発表した。直後から、NHKの画面右下に小さな地図が表示された。日本列島が描かれ、太平洋岸を黄色い線が覆い点滅する。解除されるまで続いた(のはずだ。確かめてはないが)。
 で、ふと気づいた。あれ、地図に北方4島はあるのに、尖閣諸島がない。おかしくはないか? 
 北は択捉島までしっかり入っているのに、南は八重山諸島・与那国島までだ。全島でわずか6㎢ほどであるとはいえ、わが領土だと主張するなら当然入れるべきではないか。石垣島から150㎞離れてるとはいえ、別枠で入れる手がある。東京から1000㎞も遠方の小笠原でさえ、ちゃんとそうしてある。確かに尖閣に人は住んでいない。しかし、北方4島にも日本人はいない。漁はどちらでも行われている。尖閣が実行支配下にあるのに描き込まれず、北方4島は他国の支配下にあるのに記入されている。これはおかしい。
 NHKの放送であろうとも、ネタは気象庁であろう。気象庁は国土交通省の外局、立派な国の機関だ。本邦は総身に知恵が回りかねるほどの大男ではあるまい。重箱の隅をつつかれぬよう気配りが必要ではあるまいか。

 二つ目は大雪予報の大外れ。「浅い川も深く渡れ」とはいうが、「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」でもある。
 1月14日には予測に反して大雪となった。気象庁は羹に懲りて膾を吹いた。10センチの積雪予測に首都圏は厳戒態勢を取った。JR東日本は始発から東海道線や山手線など首都圏23路線で「間引き運転」を実施した。午後3時までに全線で通常運転に戻したものの、新宿などターミナル駅は通勤・通学の乗客で溢れた。
 大雪に備えて数時間も前に出勤した人も多かった。タイヤチェーン、長靴、スコップ、融雪剤などの「雪対策グッズ」が飛ぶように売れ、品薄や売り切れ、メーカーでの在庫不足も起きた。猪瀬都知事も切れた。再び予想が外れた場合は、気象庁の「責任を追及します。狼少年は許さない」とツイッターに書き込んだ。
 去年あったイタリアでの地震裁判のようだ。09年に大地震を予測して小規模地震が起き、これ以上は来ないと安全宣言した数日後に大地震が起こった。ために、過失致死罪で科学者など7人が4年の禁錮刑に処せられた裁判だ。ガリレオをはじめ、イタリアは科学者に特に冷たいお国柄らしい。
 平成になってからか、NHKは「天気予報」とは言わなくなった。「気象情報」と言う。確かに他局よりは説明が懇切丁寧だ。しかし勘ぐれば、情報を提供しているのであって予報はしていません、との逃げを打っているのかも知れない。
 ともあれ、予報ひとつでソルドアウトが起こるほどモノが売れる。ヒトが動き、カネが回る。なんだかアベノミクスの小規模実験を見ているようで、落ち着かない一日であった。 □


ウィー!!

2013年02月07日 | エッセー


 体罰問題について、先日朝日がインタビューを載せていた。以下、一部を紹介する。

 ──指導はどうすべきですか。
 「スポーツの世界で技術的にも精神的にも未熟な高校生や大学生の選手たちには、体罰ではなく言葉でやる気を起こさせたり、その気にさせたりしないといけない。例えば、ミスしたときには、しっかりと相手の目を見て、何が間違っていたのか、何が良かったかなどを伝えることが大事だと思う」
 ──選手がミスや失敗をしたときに、コーチはどう対応すればいいのですか。
 「もちろん殴ったりしてはいけません。言葉で伝えるべきですが、その際に気をつけないといけないのは、言い回しです」
 ──例えば、どのような。
 「言い方には『ただの批判』と『建設的な批判』の二つがあると思っています。ミスについても、ただ批判するのではなく、なぜそうなったのか、またミスの中でも、いい側面を見いだして伝えることです。ただ批判しても選手は(コーチヘの)怒りを増幅させるだけでしょう。選手は自分のミスについて、『ああ、やってしまった』と、誰よりも分かっている。そこで批判しても、(選手側に)残るのは怒りの感情だけでしょう」
 ──いいコーチの条件とは。
 「言葉でいい方向性に導いてくれる人でしょう。近所の子どもたちのバスケットと野球のコーチもしたけど、そこでコーチの仕事を学びました。技術はもちろん選手たちの動機付け、そして目前の事実を感情に流されずにしっかりと見極めることが重要だと感じました。例えば、野球で9回裏2死満塁で三振を喫したとします。子どもには、まず、次のゲームで頑張ればいいと言うし、次のシーズンもあると言う。失敗から何を得るのか。技術面も踏まえて考えればいい。コーチだって、起用法などで失敗するんだから。お互い様でしょう。(体罰という)恐怖で支配することなんて、今の時代に出来ないし、子どもたちが、学生時代を振り返ったとき、嫌だなと思うよりも、いい時間を過ごしたとか、失敗もあったけど、ちよっとした成功もしたなとか、そういう風に思い出せるように出来ればいいですね」

 インタビューの相手は、驚くなかれあのスタン・ハンセンである。団塊の世代にとっては忘れ難いプロレスラーだ。彼自身もベビーブーマーの一人である。リングインや試合後の「ウィー!!」という雄叫びとともに、一撃必殺のウエスタン・ラリアットは、今もありありと目に浮かぶ。敵をロープに投げ、跳ね返ってくる相手の首めがけ左腕をマサカリのように見舞う。この技で首を骨折したチャンピオンもいたと喧伝された。「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」と古舘伊知郎は呼んだ。巨人アンドレ・ザ・ジャイアントを抑え、アントニオ猪木を破ってチャンピオンを奪ったこともあった。そのハンセンでさえ、こう語る。余りの落差に驚きの「ウィー!!」だ。
 「体罰ではなく言葉で」「気をつけないといけないのは、言い回し」「言葉でいい方向性に導いてくれる人」とは、なんとも核心を突く指摘ではないか。全柔連も他人事ではない。要路にある面々には、ハンセン氏の爪の垢でも煎じて飲んでほしい。
 前々稿で「知的錬磨と日本語による会話力の向上に期待したい」と述べた。まったく軌を一にする発言である。ちなみにタイトルは「体罰にラリアット」。巧い! ただ、柔道では反則になるのが憎い! □


おじさん健在なり!

2013年02月05日 | エッセー

 約3年ぶり、昨年10~11月に開催された「吉田拓郎 LIVE 2012」がDVD+CD化されて、先月末にリリースされた(11/6のNHKホールでの最終公演)。DVDになくてCDにある曲、その逆も含め全22曲が収録されている。ただ、映像があるとないではインパクトが大いに違う。本来ならCDの方が音質がいいはずなのに、何度聴いてもDVDが上だ。映像の魔力というべきか。それとも、耳が悪いのか。
 MCはかつての稿で紹介した(12年10月「よしださ~ん」)。DVDでは1カ所だけ入っている(CDにはない)。このDVDはカメラワーク、構成、編集いずれも極上の仕上がりだ。
 なにより驚いたのは、バックのメンバーが総入れ替えされていること。かつての“ラブラブ オールスターズ”のメンバーが3人、コーラスも含め6人が新たに加わった。いつものことながら、当代随一のプレイヤーたちである。コーラスの1人(?)を除き、明らかにおじさんたちだ。ところがこの“おじさんバンド”が作りだす音が凄い。ギンギンのガンガンで、ノリノリなのだ。(前稿の流れで、オノマトペを援用した)
 “ビッグ・バンド”ではなく、さりとてアコギ一つでという変に枯れたスタイルでもなく、かつての全国ツアー時代の編成である。“つま恋2006”でいえば、第1部のスタイルである。原点回帰か。なににせよ、演奏の完成度が格段に高い。……などといえば、弾けるものといっては時々ビッコをひくぐらいで、叩けるのは陰口、減らず口、吹くのは結構得意で大法螺をふく。そんな筆者が随分な“何様”発言ではあるが、ファンとしての長い年季に免じてお聞き流し願いたい。 
 ゲティスバーグ演説を借りると、『おじさんの おじさんによる おじさん・おばさんのためのライブ』となろうか。

 突拍子もない話をすると、
“government of the people, by the people, for the people”
 アタマの“Of”が引っ掛かる。独裁や寡頭による支配を否定する所有格だとすれば、“By”がそれを十全に表現している。“Of”は余計だ。却って文意が霞みはしないか。単に調子を取っただけとも考えられぬ。では、なにか。
 誤訳説をはじめ、幾つかの論がある。筆者はこれら3つのフレーズは次元が違うのではないかと愚考する。“government”のありようについて、「神の導きに従って」という条件の基で“of the people”と規定する。誰のものかがまず明言される。その上で、それを受ける形で、その具体的遂行と目的を象徴的に叙したものが“Byと“For”ではないか。つまり、“Of”と外の2つはトポスが違うのだ。それを並列に論じるから「引っ掛かる」。そういうことではないか。
 さらに“people”だ。南北戦争による国家分断の危機があった。だから、あえて“citizen”を避けて普遍的な“people”を使った。ジョン・レノンの“Power To The People”に通底するともいえよう。
 となると、「おじさん・おばさんのための」は再考を要する。“Of”も“By”も、その通りだが、“For”を限定する訳にはいかない。あのド迫力は若者達をも圧倒するに違いなく、おじさん・おばさんたちには『希望』を贈って余りある。懐旧なぞまったく無縁だ。今も現役、バリバリ。ならば、「みんなのための」というべきか。
 プレスリーかなにかの真似をして派手にハケる歌うたいもいるが、今度の場合などはラストでの長い長いお辞儀が2度もあった。こんな心掛けの良いミュージシャンは寡聞にして知らない。
 加えて、触れねばならないのがジャケット・カバーの写真だ。小雨の中(のように見える)を書類袋かなにかで頭を覆って建物に駆け込んで来る拓郎。入り口からのアングルだ。顔は見えない。唸るほど巧い。拓郎の性格、今の状況……、なかなか含蓄のある一葉だ。おそらく拓郎を撮り続けているタムジンの作であろう。紛れもなく田村仁氏もおじさんである。
 ともあれ団塊の世代のトップランナー、健在なり。おじさん健在なり! のLive DVD+CDである。なにもNHKホールを埋めた3600人だけに冥加を独り占めされる道理はない。チケット料とほぼ同じ金子で、いつでも11月6日のNHKホールにタイムスリップしワープできる。これも現代ならではの冥加ではないか。といって、筆者は飯田久彦氏と何のつながりもなければAVEXの回し者でもない。 □                


受け取り拒否の「ゆうびん」

2013年02月02日 | エッセー

 記者会見で、監督はこう語った。

──いつから平手打ちや、はりを始めたのか。
 力があっても、練習で超えられない壁を自分自身でつくっている部分があって、そこをどうにかしたいと会話でコミュニケーションをとってきた。だが時間が経過するにつれ、焦る部分が私にあった。急いで強化しなきゃいけないというのがあった。それがたたくという行為になったと思う。 (朝日新聞から)

 「会話でコミュニケーション」とは何だろう。会話によらないそれは、手話、筆談、身振り、表情によるほかない。インタラクティヴであってこそコミュニケーションは成立するのだから、『手足』を使えば途端にインタラクティヴではなくなる。一方通行ではコミュニケーションではないからだ。それでもなおインタラクティヴであろうとすれば、殴り『合う』ことになる。それは通常、ケンカと呼ばれる。かつて何度か触れた「やぎさんゆうびん」を持ち出すまでもなく、行き来がなければコミュニケションは発動しない。
 彼は会話以外の手段として、手話、筆談を想定していたのだろうか。そうではなく「『手足で』コミュニケーション」を、明らかな形容矛盾とも気づかず想定していたにちがいない。
 こんな「さあ、突っ込んでください」風な発話は余程の胆力の持ち主か、知的練度が低いか、文字通りコミュニケーションの極めて貧困な環境に身を置いて来たか、それぐらいしか理由が浮かばない。
 会見全体を通して「部分」「中で」の多用が目立った。コンテクストがたちまち霞んだ。語彙は僅少で、言葉遣いも遣り取りも稚拙で不得要領であった。つまりはコミュニケーション能力がかなり低い。自らの思念をきちんと言葉に載せて相手に届ける技量が欠落している。だからフィジカルな意思の伝達をするのだろうな、と会見を聞きながら推し量った。知的未熟が問題の核心的原因ではないか。四の五のいう前にまずはそれだろう。随分な「何様」発言だと咎められそうだが、事は選手ではなく指導者だ。世界を相手にするには、メンターも世界標準であってほしいと願うからだ。
 かつて長嶋が原に打撃指導をした折の逸話がある。身振りを交えて“バーン”“キューン”“バシッ”と、オノマトペの連続だったそうだ。それでも十分伝わり、立派な教えになった。なにせ原は、自らのノートにそれらオノマトペを忠実に録していたそうだ。アスリートに学びのモチベーションが起動し、メンターがオノマトペに極意を載せて届ける。絶類のコミュニケーションではないか。オノマトペは知的低位を徴するのではなく、むしろ知的極まりが導出したものだ。日本語は世界で最多のオノマトペを誇る。
 監督に『長嶋語』を学べとはいわない。ほかの指導者も含め遅きに失するかもしれぬが、知的錬磨と日本語による会話力の向上を期待したい。ともあれ、受け取り拒否の「ゆうびん」では“歌”にならない。 □


「田中角栄」

2013年02月01日 | エッセー

 20年前の平成5年12月16日午後2時すぎ、田中角栄が息を引き取った。
◇角栄邸で、角栄の亡骸に対面した政治家は、細川護熙首相、河野洋平自民党総裁、そして土井たか子衆院議長の三人だった。土井は角栄の顔をのぞいて、「とてもいいお顔をしているわね」と言った。さまざまな苦労を抜け出て、ほんとにいい顔をしていると思った。そばで娘眞紀子が「お父さん、土井さんが来てくださったのよ。起きて」と泣いていた。◇(◇部分は下記書籍より引用、以下同様)
 ここに至った時、図らずも目が潤んだ。なぜ、おたかさんなのか。国権の長としての弔問ではあるが、政敵である。かつ巨魁である。だがその死に人間として向き合う、儀礼を超えた誠実が琴線に触れた。
 格別におもしろい本だ。元記者である。ベタな筆致であるだけに、余計真に迫る。数々の『角栄本』の中でも出色だ。

    田中角栄 
    ──戦後日本の悲しき自画像

 著者は早野 透氏(元朝日新聞政治部次長・編集委員、「ポリティカにっぽん」執筆、桜美林大学教授)、昨年12月中公新書より発刊された。帯にはこうある。
──戦後日本政治の体現者 戦後民主主義の中から生まれ、民衆の情を揺さぶり続けた男の栄光と蹉跌。上京、出世、栄光、そして転落──
 4年前の朝日新聞調査によると、昭和を代表する人物第1位は昭和天皇、2位は以下を大きく引き離して田中角栄だった。
 大正7年から平成5年。75年間の生涯のうち、就学初年に昭和が始まり、青年期に戦争と立志、戦後の「出世、栄光、そして転落」、末年に自らの派閥が解体した。だから、その人生の波瀾万丈は昭和の一部始終とともにある。まさに昭和を代表するにふさわしい人物だ。平成元年に引退を表明しているから、なお際立って昭和の人だ。だから同書は、そのまま昭和政治史でもある。
 個人的偏向はあるが、印象に残ったところをいくつかを抜き書きしたい。立ち位置に拘わらず、昭和を生きた者としてこの人物は看過できない。ならば、同書は打って付けだ。御一読をお薦めしたい。なお、今がよく見えてくる余禄にも与かれること請け合いだ。

◇田中角栄に対するもっとも鋭い批判者となる立花隆は「抽象思考ゼロの経験主義者」と断じた。実感的、経験的、そして人生訓的であることは、角栄の生涯の思考形式である。それを角栄の「非」とするのも酷である。往時、「村に大学出などひとりもいなかった」のである。ひたすら「具体」に生きたことは、政治家田中角栄の強みともなり、弱みともなる。のちに角栄が肩肘張った国家意識を持たなかったことは、「具体」の生き方の強みだった。また逆に、角栄が出世するのにカネの威力に依存しすぎたことは、やはり「抽象」の価値を持たなかったことの弊であった。◇
 この一段は鮮やかな核心である。画竜点睛である。戦後日本の軌跡とも重なる。グランドデザインを引いた吉田茂との因縁を考え併せると、角栄こそがその忠実な後継者といえる。

 「日本列島改造」は「具体」の極みであり、戦後が終わった後に新たに描き加えようとしたグランドデザインでもあった。
◇「明治維新からの折り返し点」──日本列島改造に角栄がこめていた思想は、明治維新以来から今日まで続く都市への人口流動現象を逆転させることだった。◇
 角栄の代名詞ともいえるこの構想は、後に論として発刊される。47年、総理に就く直前だった。
◇何をするにせよ、土地買収が必要になる。すると地価が上がる。土地の騰貴対策が決定的に欠落していた。
 角栄の夢はわかる。しかし、これは霞ヶ関官僚が上から目線で描いた青写真ではないか。それに業者が蟻のように群がる図である。◇
 「夢」の一例がある。
◇角栄は、原発設置にあわせて電源三法をつくって、設置自治体に国の交付金が落ちるようにした。角栄にとって、新潟、そして福島に林立した原発もまた「日本列島改造論」の実践だったのである。だが 東日本大震災で、福島第一原子力発電所が爆発を起こした。「日本列島改造論」は、大きく頓挫した。◇
 「改造論」が導出した悪「夢」のひとつだ。

 「今太閤」は成り上がりにだけではなく、説得の才気と人誑しにも来由する。
◇(全逓との角逐で大量処分を実行・引用者註)角栄は「処分しないでは大臣の務めは果たせない」と突っぱねる一方で「香典は出そう」と退職に際しての手当、いわばクビ切り料を三億円出すことを提示した。交渉のその場で大蔵省局長に電話、「郵政省は貯金や簡保で自分で金を集めているのだからいいだろう」と納得させた。全逓幹部が「三億といわず五億出してください」とねだると、角栄は「香典の額に注文をつける者はいない」とやり返した。◇
 診療報酬の引き上げを要求して日本医師会が保険医総辞退を企むという悶着があった。事態は膠着し、角栄の出番となる。
◇角栄は、武見(「ケンカ太郎」と呼ばれた当時の医師会会長・引用者註)に一通の手紙を贈った。武見が開けると、ほとんど白紙で末尾のところに「右により総辞退は行わない」と書かれてある。白紙は、武見の思うとおりにそこに妥協の条件を書き入れろ、それを全部受け入れるという意味と竹見は察し、医師会はかえって譲歩して決着した。◇
 この手の話は枚挙に暇がない。筆者はこう視る。
◇後年、ロッキード事件でマスコミの激しい攻撃にさらされると、「一〇人も兄弟がいれば、一人ぐらいは共産党もいるさ。記者には記者の仕事があるんだ。それでめしを食っているんだからそれでいいよ。日本というのは同族社会さ」というせりふをよく口にした。「説得の才気」は単に駆け引き上手というだけではない。ある種の共同体思想がそこに存在していた。◇
 同族、共同体意識が伏流していた。宜なる哉だ。ただし、水量は常人をはるかに越えるものだったにちがいない。
 ビートルズ来日騒動の折、曲を聴いて「ふん、なかなかいいじゃないか」と好感を寄せたこと、小唄の名取であったこと、自著の「私の履歴書」を小林秀雄が「達意の文章」だと褒めたこと。この手の逸話も事欠かない。極め付きは58年の総選挙でのエピソード。ロッキード事件からの生き残りを賭けた大勝負であった。野坂昭如が刺客よろしく新潟三区で立候補した。
◇野坂は演説して回っても、よそ者だから道順がわからない。立ち往生するたびに警察や消防の世話になった。これを聞いた角栄が「風邪をひくぞ。あったかい肌着を届けてやれ」。早坂(秘書・引用者註)が深夜、ホテルの部屋を訪ねて渡した。野坂は「角サンが、これを俺に……」。落選してから一ヵ月後、お礼の電話がきた。◇
 人誑しの面目躍如だ。
 資源外交や日中国交回復交渉、アメリカとの軋轢など重要なイシューもある。本書でじっくりと吟味願いたい。最後に一点だけ取り上げる。
 なぜ、ウソとわかっている金の受け取りを否認し続けたのか、という疑問だ。角栄、最大の謎だ。
◇それにしても、なぜ角栄はロッキードのカネをもらっていないと言い続けたのだろう。あれだけの証言が揃ってどだい無理な話である。おれはもらった、すまなかったと詫びて、越後に戻っていればよかったろうに。しかし、それまでに注いだ力と汗、投じた膨大なカネ、そして築いた「田中角栄」という存在、それは捨てるに捨てられぬ、自ら抛つことがついにできなかったということか。それが「上り列車」の終着駅だったのである。◇
 上りの終着駅で再び乗車すれば、それは下り列車以外にない。今太閤に、凱旋よりほかの下り列車はない。それは自死になるからだ。
 昭和を顧みて、これほどの主役を張れるアクターを知らない。蓋し、好著である。 □