伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

アポロ捏造説を諭す

2014年03月29日 | エッセー

 鬼の首でも取ったようだが、どっこい掴んだのは鬼の目刺しやもしれぬ。鬼が住むか蛇が住むか、まことに心中は計りがたい。
 先日BSNHKで、アポロ11号捏造説(広く6回のミッションすべてに対しても)の検証をしたらしい。今まで十指に余る疑惑に対して、一々に回答がなされてきた。それらをまたしても蒸し返したのであろう。水掛け論を超えて、なにやら神学論争じみてきた。稿者は都市伝説の一種であろうと去なしてきたが、友人に因業な伝説の語り部がいて難儀をしている。この際だから蒙を啓きたいのだが、あの石頭には歯が立たぬかもしれない。徒労を覚悟で一席……。
 ああ言えばこう言う、の場合はトポスを変える(科学・技術的論点から離れる)に如くはない。先ずは疑惑の出所だ。
 72年に17号がミッションを果たしてアポロ計画が終焉した2年後、捏造説が自費出版された。出したのはキリスト教の原理主義団体である「平面地球協会」であった。名前の通り、地球は球体ではなく平面であるという。聖書を解釈すると、そうなるそうだ。天動説も真っ青だ。
 如上の宗教的確信(パラノイア?)、世界観から導出されたという出自を参酌すべきだ。先ほど水掛け論だといったが、正確には言い掛かりであった。後は、人は見たいようにしか見ないの伝である。「プロクルステスの寝台」のように、寝台に合わせて旅人の身体が伸縮されるだけだ。
 アポロ計画は冷戦下、宇宙開発競争でソ連の後塵を拝したアメリカが打ち出した巨大プロジェクトであった。61年にアメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、60年代中に人間を月に送り込むと大逆転を宣し、69年に実現させたものだ。だから疑義を呈するとしたら、最大のライバルであったソ連のはずだ。鵜の目鷹の目でサーベイランスを繰り返していたにちがいない。しかし彼の国からのオブジェクションは寡聞にして知らない。要するに、ない。これは一体何を意味するか。最強の敵は沈黙することで敗北を、すなわち相手方の勝利と『成功』を認めたのだ。もっともアメリカ・ソ連共謀説、共同捏造説を唱える向きもある。これは、もはや病膏肓に入るである。プロクルステスも真っ青だ。
 次に入費である。総額は約20兆円といわれる。関空20個分の建造費に相当する。どれだけハリウッドのスタッフがアリゾナに繰り出して撮影しても使い切れない額だ。ハリウッド映画史上最高額といわれる『ウォー・オブ・ザ・ワールズ』(2005年公開)でさえ、製作費は2200億円である。桁違いの鳥目とはいえ、アポロに比すれば目腐れ金だ。もし20兆円のほとんどが執行されず、あるいは流用されたとしたら、絶大な権限をもつアメリカ会計検査院が黙っているはずがない。アポロじゃなくて、大統領の首が飛ぶ。子供にだって解る理屈だ。
 上記2点で鬼の目刺しは充分知れるだろうが、実は返し技を喰らう恐れもある。寝台と旅人は入れ替え可能だし、予算だってその気になれば国係りで辻褄合わせはできる。だが鬼が住むか蛇が住むか、その心中に絡もうという寝技だけは返しを喰らう心配はない。だから、寝技だ。
 あからさまにいうと、疑って掛かるのは生産的ではないということだ。斜に構えられて、モチベーションが上がるはずはない。つまりはそういうことだ。誰だって心中、鬼も住めば蛇も住む。だからといってみんな鬼にしてしまっては身も蓋もなかろう。
 内田 樹氏の洞見を援引したい。
◇例えば、クラスに、級友がどんなにちゃんとした行為をしても、立派なことを言っても、「どうせ利己的で卑しい動機で、そういうことしてるんだろう」と斜めに構えて皮肉なことばかり言う人がいたとしますね。そういう人はたぶん自分は人間の「行為」ではなく、「本質」を見ているのだと思っているのでしょう。でも、世の中が「そういう人」ばかりだったら、どうなると思いますか。たしかに、どのような立派な行為の背後にも卑劣な動機があり、どのような正論の底にも邪悪な意図があるということになれば、世の中すっきりはするでしょう。「人間なんて、ろくなもんじゃない」というのは、たしかに真理の一面を衝いてはいますから。でも、それによって世の中が住み易くなるということは起こりません。絶対。だって、何しても「どうせお前の一見すると善行めいた行動も、実は卑しい利己的動機からなされているんだろう」といちいち耳元で厭らしく言われたら、そのうちに「善行めいた行動」なんか誰もしなくなってしまうからです。もう、誰もおばあさんに席を譲らないし、道ばたの空き缶を拾わないし、「いじめられっ子」をかばうこともしなくなる。誰も「いいこと」をしなくなる社会が住みよい社会だとぼくは思いません。全然。それよりは少数でも、ささやかでも、「いいこと」をする人がいる社会の方が、ぼくはいいです。その「いいことをする人」が「本質的には邪悪な人間」であっても、とりあえずぼくは気にしません。◇(「若者よ、マルクスを読もう」から)
 万が一、件の捏造が証明されたとして人類史的向上にどれほどの貢献が刻まれるであろうか。「世の中すっきりはするでしょう」が(その向きの論者には)、「人間(=アメリカ)なんて、ろくなもんじゃない」という「真理の一面」は明らかになっても、「それによって世の中(=世界)が住み易くなるということは起こりません。絶対。」だから、「とりあえずぼくは気にしません」でいいのではないか。なにせ、アポロが月に行っていなかったとして、脳梗塞、心臓発作、または発狂、倒産などの実害を被る人は地球上には一人もいないはずである(おそらく)。ならば、アメリカが威風堂々と人類の先駆けに『気持ちよく』任じてくれる方がどれほど世界的受益が大きいか。前稿に書いた通り、アメリカ第三のフロンティアを徒や疎かにしてはなるまい。四つの内、唯一世界と共有できるフロンティアなのだ。
 くどいが、万が一、である。そう仮定したのは、「寝技」である以上倒れ込まねば始まらないからだ。稿者自身は捏造説に組みするつもりは寸毫もない。
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」
 この周到に用意されたニール・アームストロング船長の一声(イッセイ)は、今も耳朶を離れない。青春に極まり高鳴った夢と人類の「偉大な飛躍」が鮮やかにシンクロナイズした刹那だった。嘘のはずがない。だって一生騙されても悔いのない嘘が、嘘のはずがない。 □


『四つのフロンティア』

2014年03月24日 | エッセー

 身の程知らずの愚案を呈したい。アメリカについてである。その国家的モチベーションとは何か、“フロンティア・スピリット”から素描してみたい。
 かつてある識者(名前は失念した)が、アメリカの国家的命題は「広さの克服」にあった、と語った。アメリカで大成した鉄道も、自動車も、飛行機も、電信もすべては「広さの克服」から導出された、と。ならば、フロンティア・スピリットこそはアメリカの主旋律ではないか。かつ、これこそが他に類例を見ないこの国の属性であろう。
 まずなにより、この国自体がヨーロッパにとってのフロンティアであった。ピルグリムファーザーズはその象徴である。端っからフロンティアとして肇国された歴程に、件の属性は起源する。以下、『四つのフロンティア』に分かってみる。
 次いでこの国自身のフロンティアが「西部開拓」として現前する。これが最初のフロンティアである。ガンマンが活躍するこの国家的事業はネイティヴとの血塗られた裏面史も刻印した。そして西漸を続けたフロンティア・ラインが遂に西海岸に到達したのが一八九〇年であった。この年、国勢調査報告書に「フロンティアの消滅」と記載された。
 三年後、フレデリック・ターナーが「フロンティア学説」を発表する。「フロンティアの消滅」こそはアメリカの画期であると明言。西部開拓によって培われた逞しく快活な精神、自由の気風が民主主義を鞠育したと賞賛し、東部偏重のアメリカ史に修正を加えた。
 国土のフロンティア・ラインが消えた後、二番目に登場したフロンティアが「海外」であった。一九世紀末葉のハワイ併合に始まる二世紀に亘る太平洋戦略が中核である。これは、今なお継続中である。最高の成功事例は本邦であり、最悪の失敗事例は七五年に終結したベトナム戦争であった。この期間のフロンティア・ラインは冷戦の「鉄のカーテン」であり、「ベルリンの壁」はその抜き差しならない具象であった。
 「世界の警察官」は、この期のフロンティア・スピリットに与えられた最強の痛罵であり最上の皮肉である。二〇〇一年のアフガン紛争に際し、アメリカは「パキスタンが自由主義のフロンティア」だと呼ばわった。パクスアメリカーナを志向して止まないこの荷厄介なスピリットは、はたして如上の“ガンマン”のそれにどのように通底するものか。興味は尽きぬが、稿者の力が及ぶところではない。
 時期は重なるものの、三番目のフロンティアとして颯爽と登場したのが、「宇宙」であった。アポロ計画はその白眉であった。今はISSが主力だ。火星探索もあるにはあるが、物理的な限界が近づいていることは否めない。このフロンティアにかつての輝きは薄れた。
 西部、海外、宇宙とつづき、四番手に登場したフロンティアが「グローバリゼーション」である。インターナショナリズムとは違い、地球規模の交流、通商を指す。といえばもっともらしいのだが、実態はアメリカン・グローバリズムである。一番手にはガンマンが、二番手には原爆を頂点とする軍事技術が、三番手には圧倒的な宇宙技術が決め手となった。今度はITである。その発祥と主導が何方(イズカタ)であるかを想起すれば、すぐに判る。終焉、挫折、衰退する前三者に代替するパクスアメリカーナの切り札である。これは今も未完成だ。そこで、極めて示唆に富む洞察を紹介したい。内田 樹氏はこう述べる。
◇経済のグローバル化が完成するためには、世界市場が単一の言語、単一の通貨、単一の度量衡、単一の商習慣によって統合されていることが必要です。世界中の人々が英語を話し、ドルで売り買いし、同一の商品に欲望を抱き、「金があるやつがいちばん偉い」という価値観を共有する時に初めて経済のグローバル化は完成する。でも、それはまだ完成していない。と言うのも、それを阻む巨大な障壁が存在するから。それが、イスラーム圏なのです。西はモロッコから東はインドネシアにわたる人口十六億の巨大なイスラーム圏が存在するわけです。そこでは、同一の宗教儀礼が守られ、同一の儀礼の言語が語られ、同一のコスモロジー、同一の人間観が共有されている。アメリカン・グローバリズムが提案する人間と社会のありようとまったく異質な人間と社会のありようを掲げる十六億の集団が今地上に存在するんです。それも極めて同質性の高い集団が。これは正直、グローバリストにとっては大いなる脅威だと思います。本気でグローバル化を完成させ、本気で世界をフラット化しようと思ったら、イスラーム圏は潰すしかない。イスラーム圏を無力化しない限り、グローバル化、つまり「パックス・アメリカーナの半永久化」は実現できないことがなんとなくわかっている。だから、どうしてもイスラーム圏は解体しなければならない。そういう意識が働いているのではないかと思います。◇(内田 樹&中田 考「一神教と国家」集英社新書、先月刊)
 グローバリゼーションに立ちはだかる分厚い壁がイスラム圏である。これは意表を突く達識である。アメリカ自身がその脅威を「なんとなくわかっている」からこそイスラーム圏への介入を繰り返すのではないか。その存在は世界の単一化に対するダイバーシティからのアンチテーゼともいえる。パクスロマーナほど、パクスアメリカーナは容易くはない。
 二〇世紀がアメリカの世紀であったことは論を俟たない。幾度となく眼前するフロンティアがモチベーションを駆動した。長遠な人類史にくっきりと刻まれた足跡だ。はたして五番目のフロンティアはあるのか、ないのか。もはや外在的なものでないことだけは確かだ。 □


なぜ、青か

2014年03月19日 | エッセー

 還暦とは巧く言ったのものだ。干支の一廻りを人生一回分としたのであろうか。だとすれば今よりうんと寿命の短かった時代に生まれた言葉であるから、括りの単位というより目標として掲げたのかもしれない。だが本邦に限っても、はや軽く突破してしまった。すでに二廻り目は至極当たり前になった。
 かかる事情を奇貨とするなら是非に居くべきであろう。なにせ一周目は駆け過ぎるに必死で、道すがらの景色はもとより行く手の数多異事(コトゴト)にかかずらう暇(イトマ)はなく、そのほとんどを見過ごしてきたからだ。だから近頃やっと、ああ、そうだったのかと膝を打つこと頻りなのである。今稿では、そのうちの一つを紹介したい。
 生物学者である福岡伸一氏の近著「動的平衡<ダイアローグ>」(木楽舎、先月刊)が実におもしろい。対談相手の一人、日本画家で京都造形芸術大学教授の千住 博氏が「青色」(申告ではない)についてこう語っている。
◇青は他の色とは異なる、特別な色だと思います。レオナルド・ダ・ヴィンチは、「すべての遠景は青に近づく」といいました。ダ・ヴィンチは大気を通して見るとすべてのものは青く見えると考え、自分が絵を描くとき、遠くにあるものほど青い絵の具を混ぜて描いた。それによって、空間に果てしない奥行きを生み出したわけです。
 人間にとって最も身近な青は何かというと、空の青や森の緑ですよね。人がなぜそれらを美しく感じるのかといえば、曇り空ばかりの長い氷河期に青い空の下や緑の森のなかに行けば生き延びることができるから。つまり、美を感じる心とは、生き延びるための知恵、もっといえば生きる本能そのものだと思うんです。しかもこれは人間に限らない。
 私は、生物の行動規範とは美ではないかと思うんです。クジャクのオスが羽を精一杯広げて見せるのは、メスに対して「こんなに健康で、生命力にあふれた俺の卵を産んでくれ」といっているわけですよね。これは生きるための切実なメッセージです。メスもそこに美を感じるから、この求愛を受け入れる。昆虫が美しい花に引き寄せられるのも同じで、生物は、皆、美しいほう、美しいほうへと動いていきます。そう考えれば、美的感覚はすべての生命体に備わった感性、生存を支える本能だと思える。青という色には、こうした生物の秘密が端的に表れているのではないでしょうか。◇
 受けて、福岡氏が青、赤、緑の光の三原色へと引き継ぐ。
◇血液が赤いのはヘモグロビンのなかのヘムという色素のせいであり、植物が緑色に見えるのは葉に含まれた葉緑素(クロロフィル)という色素によります。ヘムには鉄が、クロロフィルには銅が含まれているために色が異なって見えますが、この、二つの分子構造は瓜二つ。ヘモグロビンは動物の血液のなかで酸素を運び、クロロフィルは植物の光合成をつかさどる。どちらも生存と深く関わる物質で、生物はそうした外的刺激を色として認識することで生き延びてきました。
 ですから、生物が生きる術として色を感じてきたという千住さんのご意見に、私は一〇〇パーセント同意します。◇
 「人がなぜそれらを美しく感じるのか」、それは「生きる本能そのもの」であるからだ。美意識とサバイバルの一体不二、さらに三原色と生物の生存との深い関わり。これは凄い。「長い氷河期に」人類は生き残りを賭けて、必死で青を探した。だから、青は美しい。
 してみると、ウインドウズのデザインが青を基調としているのも如上の機微をうまく掴んでいるといえなくもない。知のサバイバルはここにありと……。

 かつての拙稿を引きたい。
〓意外にも、四季は春からではなく冬から始まる。東洋の古(イニシエ)の智慧は人生に準(ナゾラ)え、そう教える。 ―― 少年時代が冬。芽吹きの前、亀の如く地を這い力を蓄える時、玄冬だ。20歳から40歳までが春。青龍が雲を得て天翔(アマガケ)る、青春である。続く60歳までは夏。朱雀が群れ躍動する朱夏、盛りの時だ。そして、秋。一季の稔りを悠然と楽しむ白虎、白秋を迎える。〓(06年9月、「秋、祭りのあと」から) 
 とりわけ「青春」である。次代の主役を呼ぶに、やはり「青」を冠した。氷河期を生きた先達と同じく、「青」年にこそ一国の、世界のサバイバルが掛かっているとの遠望だ。
 さて、わが家の青年たちはいかに。二廻り目も、気を抜けそうにない。 □


えぇ! ちがう?!

2014年03月13日 | エッセー

 朝廷の役人は四階級に分けられていた。四部官と称し、上位から長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)と呼んだ。文字通りの長官と次官、そして局長、課長以下とでもなろうか。当てる漢字は官職ごとに違った。軍事部門では「将・佐・尉・曹」と表記し、明治の軍隊に引き継がれた。地方の行政は「守・介・掾・目」で、「守」は国司を意味した。国名を冠して「薩摩守」のように使う。ただ今様には別種の意味があって、「薩摩守平忠度」の『たいらのただのり』から只乗りのジャーゴンとして使われる。キセルもその内だ。
 ともあれ、任国のトップである。細々とした日常業務に携わることはない。構想を練り、デザインし、大枠を示すだけだ。よしんば設計図は引いても、大工仕事などするはずはない。理想の具現化ために、下官をいかに差配するか。さらに、高邁なる理念を提示しうるか否か。そこにリーダーのレゾンデートルがある。したがって実務を下官が担ったとしても、長官の業績はいささかも減殺されるものではない。それを現業の有無をもって長官の存否を問詰するなどとは不遜極まりない言い掛かりではないか。

 大阪東部の南北に長い地帯を河内という。河内国(かわちのくに)は、かつて令制国の一つであった。ここを終の棲家とした司馬遼太郎は「街道をゆく」でこう綴った。(抄録)
◇中世の日本の社会は、土地所有の矛盾の激化で幾度も動乱がおこり、幾度もその矛盾を解決しようとする政権ができ、できては土地の現実にあわず、在郷の期待から外れてしまい、無力化した。
 「武士」には土地私有権がなかった。「武士」は自分が開墾した農場の管理人としてしか存在できず、所有がきわめて不安定であった。その安定を希求して公家と対立し、源頼朝をかついで成立するのが、鎌倉幕府である。親方たちは、頼朝の「御家人」になることによって、その所領の所有権を安定させることができた。
 ところが、その後もなお開墾が進み、あらたな親方が成立してゆくのだが、これらは京都体制(公家の律令制)のなかにも入らず、あらたな体制である鎌倉の御家人帳にも名が載らず、どの権威からも庇護されなかった。鎌倉・室町のことばでいう「悪党」などというのは、この種の新興地主が多くふくまれる。鎌倉末期から室町期という慢性動乱期を通じてこれらがむらがり出て、かつての鎌倉の土地革命の主役であった守護・地頭(鎌倉の御家人)と対立するのである。
 (鎌倉幕府は旧開墾地主の保護に偏り、新興地主の・引用者註)連中をすくいあげず、むしろこれを「悪党」として差別し、その利益の保護をしてやろうとはしなかった。頼朝の死後、北条氏が執権するがやがて全国的な不満をおさえかねるようになる。
 その潜在的動乱につけ入ったのが、後醍醐天皇を中心とする武家以前の古い律令勢力であったというのは、歴史がときに見せる奇妙な力学現象である。かれらは尊王、正閏論、攘夷という政治論をふくむ宋学という、およそ日本的実情にあわないイデオロギーを正義とし、公家権力の一挙回復をはかってクーデターを試みようとし、事前に北条方に発覚して京都から逃げる。外来のイデオロギーで武装したこの古代的勢力は、もっともあたらしい悪党新興地主たち(河内の楠木正成がその代表であろう)と結び、鎌倉という、成立早々に古くなってしまった武家体制とあらそう。それが、元弘ノ変とよばれる事変だったといっていい。◇
 新興地主たちが鎌倉方から「悪党」と呼ばれ、差別された。結句「歴史がときに見せる奇妙な力学現象」として、「古代的勢力は、もっともあたらしい悪党新興地主たちと結び、鎌倉という、成立早々に古くなってしまった武家体制とあらそう」。こういう鳥瞰的語り口こそ司馬史観の真骨頂であろう。興趣が溢れ、ぞくぞくするところだ。
 括弧書きの「河内の楠木正成がその代表であろう」に注目したい。徳川が南朝を認めるわけはなく、大楠公は五百数十年の長きに亘って悪党であった。維新を迎えて、やっと名誉回復となった。世評などというものがどのように作り出されるか。盲目であってはならない。ともあれ反骨の異端が根城とした河内の地。そこに居を構えた司馬遼太郎。通底するものが窺えるようで、微苦笑を誘う。
 南朝の関連で、作家・佐藤 優氏の達識を引きたい。
◇プロテスタンティズムの考え方、その救済の考え方というのは、過去において、イエス・キリストがあらわれたあの二〇〇〇年前において、そのすべてが凝縮されていると考えます。ですから、常に復古維新の考え方なんです。宗教改革というのは、イコール復古維新なんです。プロテスタンティズムの力というのは、過去に帰ることができる力ということになります。原点に帰ることができるということです。それは、日本の思想で言えば、南北朝時代の南朝精神に近い。復古維新によって日本を変えていくという、南北朝時代の北畠親房などが考えたことと、プロテスタンティズムは、非常に物の考え方が似ていると思います。日本が、東日本大震災後の危機から抜け出すために必要なのは、復古維新的な考え方です。◇(先月刊、文春新書「サバイバル宗教論」から)
 異端がオーソドキシーを原初に求める。洋の東西で同類の軌跡を辿っている。洞見という他ない。
 もう一つ。河内音頭を忘れてはならない。江戸期からの土着の民謡、浄瑠璃、祭文などの庶民芸能と仏教の声明が長期間に亘って混合したものだ。特に大正中期に初音家太三郎が出て大胆にアレンジを加え、今日の隆盛に繋がった。今や関ジャニのレパートリーにも入っている。
 異端と現代にも通ずる音楽性。まことに河内はオモロイ。

 08年6月の拙稿「一口では言えない」を一部再録する。
〓日本人ならだれでも姓名を持つ。その姓(カバネ)である。なんと日本には苗字が30万姓ある。トップ3は、佐藤、鈴木、高橋。お隣の韓国では250姓。金、李、朴がトップ3。漢字の家元・中国でも3500。トップ3は李、王、張。30万はダントツである。ヨーロッパではすべて合わせても5万だから、まちがいなく日本は姓・世界最多の国である。
 この30万姓は、名字帯刀を許された維新後に大量発生したものではない。千数百年前から続く氏(ウジ)に来由する。
 名田(ミョウデン)を管理したのが名主。名田の地名を氏として名乗った。足利庄だから足利氏というように。その後、歴史の推移の中で始祖の土地から分散していく。したがって、氏は土地ではなく血筋の同一を表すようになる。血筋、すなわち苗(びょう)である。やがて転訛して苗字(ミョウジ)となる。名字ともいう。同義である。
 蛇足ながら、漢字の「姓」は「女が」「生む」と分解できる。母系文化や血統という生(ナマ)な印象が強い。片や、大和言葉の「氏」(うじ)には内部、内側の意がある。「うじ」が「うち」に転訛したかどうかは措くとして、生理的繋がりを超えた所有や所属の意識が濃厚だ。いまでは会社の同僚を「ウチの人」などという。さらに亭主を「ウチの人」という奥方は、姓と氏の違いを見事に踏まえているといえる。もとより夫婦に血の繋がりはない。山の神に『所有』される山人という哀れな関係があるだけだ。〓
 「さむら」と読む佐村姓は全国で5769位だそうだ。30万の0.01パーセント。僅少である。宮崎県宮崎市山崎町佐牟田の佐牟田が語源らしい。「さむた」が「さむら」に転訛したのであろう。名田の名が残ったのか。興味をそそる。「女が」「生む」からすれば、生(ナマ)な伝承ともいえる。それにしても稀少な名字の、不可思議な継承である。


 ……えぇ! ちがう?! 『さむら かわち の かみ』じゃないの。まさか。せっかく調べたのに、それはないだろ。
 お前の読み違いだって。気の利いたペンネームだと感心したんだよ。あの感銘と官名(守)。難聴と南朝。超レアなキャラと名字。ピッタシだね。どーよ、佐村河内守クン。 □


妻はクロマニヨン人?

2014年03月10日 | エッセー

 わが家の物置はジャンクの収納庫である。油断をすると、いつの間にか不要不急(正確には、無期限で無用無益)、意味不明な品々が屋内を不当占拠する。ために、見つけ次第強制排除してきた結果である。その度、荊妻との熾烈な攻防があった。鉄砲玉は飛ばないまでも罵声が飛び交い、血は流れないまでも凍てついた時間が流れた。近ごろはいきなりの物置直行が増えた。紛争回避の知恵ではあろうが、今度は物置のくせに物の置けない事態となっている。昨年末の大掃除は、その余りの惨状に気圧されて翌年回しにした。
 得体の知れないガラス器。しげしげと見詰めてもまるで用途が浮かばない。金だか銀だかのメッキをしたスプーンセット。すでに売りに行くほどあるのに、スプーン曲げにでも使うのであろうか。救い(掬い?)がたい。現在使用中の物を含めて3台目のコーヒーメーカー。この2台が日の目を見るころにはきっと型が古くなっている。ビニールの傘。何年も差さないままの何本もの傘。本当に嵩(傘?)張る。土鍋、鉄鍋。重くて壊れそうで扱いに困る。こんなにあれば、相撲部屋でもやれそうだ。小物を載せる飾り棚。木製でいかにもとってつけたような棚。ところが、これを取って付けるから参る。災害避難でも間に合うほどあるのに、まだ要るのかと頭を抱えるアウトドア用品。バーベキューセットはついに5セットに達した。折りたたみ椅子、テーブルは向こう三軒両隣が使っても余る。ミキサーだかジューサーだか釈然としないメイドイン○○の怪しげな電化製品。なにせ調達した本人が一度もスイッチを入れたことがない。頭の中がぐちゃぐちゃに引っかき回されているにちがいない。ちまちまとしたフィギュアの類い。シンプル・イズ・ベストを旨とする稿者にとっては敵以外のなにものでもない。わが精神の安定をかき乱す不心得者は発見のたびに個別撃破する。番度に生け捕り、もしくは成敗した亡骸が増える。いちいち挙げれば切りがない。かくて而してタンスの肥やしを引き受け続けた挙句、今や物置は身動き取れないジャンク・タンスと化したのである。
 ほとんどがバザーなるものより荊妻が求めたものである。稿者は密かに『バザー・アディクション』と呼んでいる。これに数年前から通販が加わった。名前は言えないが、長崎訛りの社長が直々にセールスするあれだ。昨年本ブログ(9月「買って頂戴よ。どう?」)でも触れたように、稿者は嫌いではない。好きだ。しかし、買いはしない。ところが傍らの御仁は「お急ぎください」の台詞が終わらないうちに電話を始めている。決断が速いのか、思考停止が早いのか。おそらく後者であろう。時として身に覚えのない製品が届けられる。宛名は家主だが記憶も記録も、ましてや思い出もない。意地悪いことに、決まって代引きだ。家にいながらの追い剥ぎである。またも、と連絡を取ると案の定だ。なぜ都合の悪いことは都合よく忘れられるのか。こっちの都合も考えてほしいものだ。こないだなどは、宅急便に再訪を頼んで銀行へ走った。まったく偶然にも残高があったから事なきを得たが、普段なら赤っ恥をかくところだった。
 さすがに下取りもあって通販が物置を侵略することは、今のところない。しかしこれとて安心はできない。『バザー・アディクション』に『通販・アディクション』が昂じると物の置き所どころか、身の置き所がなくなる恐れがある。家財的事由によって、である。ただ浪費癖というわけではない。ここだけの話だが、実はケチだ。ただしバザーやフリマーと通販だけは箍が外れる。なぜなのか。考え倦ねていたところに、恰好の示唆に巡り会った。フジテレビ『ホンマでっか!?TV』に時々出演する脳科学者・中野信子女史の近著『脳内麻薬』(幻冬舎新書、本年1月刊)である。快楽物質であるドーパミンを中心に脳のメカニズムを論じている。冒頭、こう述べる。
◇幸福感に包まれるとき、私たちの脳の中では、快楽をもたらす物質「ドーパミン」が大量に分泌されています。この物質は食事やセックス、そのほかの生物的な快楽を脳が感じるときに分泌されている物質と、ギャンブルやゲームに我を忘れているときに分泌されている物質とまったく同じなのです。これは一体どういうことなのでしょう。ヒトという種は、遠い将来のことを見据えて作物を育てたり、家を建てたり、さらには村や国を作り、ついには何の役に立つのかわからない、科学や芸術といったことに懸命に力を注ぐような生物です。そういった、一見役に立つかどうかわからなそうな物事に大脳新皮質を駆使することで結果的に自然の脅威を克服し、進化してきた動物がヒトであるともいえるでしょう。◇
 詳しくは同書に当たってもらうしかないが、生物的快感と知的快感が脳内の同一部分で同一物質によって引き起こされる、これには耳目を欹てざるを得ない。「一見役に立つかどうかわからなそうな物事に大脳新皮質を駆使することで結果的に自然の脅威を克服、進化してきた動物がヒトである」、ここだ。ひょっとして荊妻は大きく先祖返りして、人類の進化を準っているのではないか。病気でないとしたら、そうとでも解さないと滅入る。そこでさらに蘇ってきたのが、今や古典的名著となった内田 樹氏による『先生はえらい』(ちくまプリマー新書、05年刊)である。「沈黙交易」を語ったところだ。以下、抄録。
◇例えば、双方の部族のどちらにも属さない中間地帯のようなところに、岩とか木の切り株とか、そういう目立つ場所があるとしますね。そこに一方の部族の人が何か彼らのところの特産品を置いてきます。そして、彼が立ち去った後に、交易相手の部族の人がやってきて、それを持ち帰り、代わりに彼の方の特産品をそこに残してゆく。そういうふうにして、顔を合わせることなしに行う交易のことを「沈黙交易」と言うのです。これがたぶん交換というものの起源的な形態ではないかと私は思います。「特産品」というのも、たいせつな条件ですね。両方の部族がどちらも所有していて、その使用価値がわかっている品物を交換するわけではないんです。
 いかなる価値があるのかわからないものを交換しあうというのが沈黙交易の(言い換えると、起源的形態における交換の)本質です。沈黙交易においては、価値のあるものを贈られたので、それにちゃんとお応えしようとして、等価物を選んで贈り返すわけではないんです。
 価値のわかりきったものを交換するというのは、「交渉を断ち切りたい」という意思表示なわけです。完全な等価交換というのは、交換の無意味性、あるいは交換の拒絶を意味します。ということは、「なんだか等価みたいな気もするんだけれど、なんだか不等価であるような気もするし……ああ、よくわかんない」という状態が交換を継続するためのベストな条件だということになりますね。実は、市場における商品の価値というのは、この「商品価値がよくわからない」という条件にかなりの程度まで依存しているんです。
 「何か別のものと交換したくて、たまらなくなる」気持ちを亢進させる力、それを私たちは「経済的価値」と呼んでいるのです。どうしてかと言いますと、誰かと何かを交換することが私たち人間にとっては、尽きせぬ快楽をもたらすからです。どうして、それが快楽なのか、その理由を私たちは知りません。交換のうちに快楽を見出したのは、クロマニヨン人とされています。その前のネアンデルタール人までは、交換をしなかったからです。◇
 と起源的交換を明かし、さらに論は進む。
◇私たちは機会さえあれば、交換の原初の形である沈黙交易に戻りたがる傾向があります。インターネットでものを買うネットショッピングや、TVでやっているTVショッピングや、『通販生活』は、実は沈黙交易の新ヴァージョンじゃないでしょうか? 店で買うより割高の、それも不要不急の品物を、買わずにはいられないというこの衝動はどこから来ると思いますか? 通販が本質的なところで沈黙交易的だからだと私は思います。交換相手の顔も見えないし、声も聞こえない。無言でお金を送金すると、無言で品物が届けられる。相手がそういうふうに見えないものであればあるほど、私たちはでも、クロマニヨン人以来、ずっと人間はそうなんです。それに第一、どうして社名が「アマゾン」なんです? 変でしょう? もっとも先端的なネットビジネスの会社名が、どうして世界でもっとも深い密林地帯を流れる川の名前なんです? なんで「ハドソン・ドットコム」とか「セーヌ・ドットコム」とか「スミダガワ・ドットコム」じゃないんです? アマゾン・ドットコムの創業者はおそらく自分たちのビジネスが本質的なところでかつて《マト・グロッソ》の密林の奥でインディオたちが行っていた沈黙交易と同質のものであることを直感していたんだと思いますね。◇
  「アマゾン」には、唸る。年来の疑念に爽快なる明答をいただいた。いつも言うことだが、内田先生はやはり偉い。
 「どうして、それが快楽なのか、その理由を私たちは知りません」「どうにも抑えがたい衝動を感じてしまう。理由は不明。」を、脳科学から解こうとすれば如上のドーパミン説に繋がるのではなかろうか。ともあれ、荊妻がネアンデルタール人の系譜を引かないことだけは判明した。ホモ・サピエンスへと括られるクロマニヨン人にルーツがあると断じてよかろう。「私たちは機会さえあれば、交換の原初の形である沈黙交易に戻りたがる傾向があります」その通り(「私たち」に私は含まないでほしいが)。バザー、フリマー、通販、いずれも「沈黙交易の新ヴァージョン」ではないか。
 さきほど図鑑でクロマニヨン人を検めた。んー、荊妻の姿に重ならなくもない。やはりそうか、不思議な納得だ。おまけにわが家の物置も、鬱蒼たるジャンク(ジャングルではなく)に覆われたアマゾンに似てきた。やはり大掃除を急いだ方がよかろう。片付け“こんまり”流でいくと、すべて廃棄だ。ところが、荊妻には『ときめき』の楽園である。今度ばかりは鉄砲玉どころか、ミサイルが飛ぶかもしれない。えい、ままよ。突撃あるのみだ。 □


「捕まって」??

2014年03月07日 | エッセー

 一目散に逃げる泥棒に「こら、待て!」と呼ばわっても、待つはずはない。待てない事情があるからだ。無理な注文はほかにもある。
 千葉県柏の事件でもそうだった。マイクを向けられた近隣住民が、一様に「早く捕まってほしい」「早く捕まってくれないと心配」などと応えていた。
 これもおかしくはないか。「早く捕まえてほしい」「早く捕まえてくれないと心配」と言うなら解る。下手人は捕まりたくないから逃げている。なのに「捕まってください」とお願いして、どうする。自首を勧めているととれなくもないが、コンテクスト上無理がある。第一、ことばが違う。冒頭の「こら、待て!」のほうが、まだ理に適う。「待つ」のが誰だか明確だ。ところが、「捕まって」は不得要領だ。犯人が「捕まる」が転じて「捕まって」となったものか。「捕まえられてほしい」が真意だろうが、約め方がぞんざいで受け身表現に聞こえる。なにより事が事だけに、「捕まる」とくれば主客はこの上なく明確だ。捕方と咎人、その二つきりだ。このタイマンがちんこに近隣住民が割り込む余地はない。だから犯人の親かなにかが「捕まってくれ」と懇願するのならまだしも、周辺的被害者である住民が「捕まってください」はないだろう、という話だ。
 あるいは穿てば、ネガティブ・ポライトネス(距離を措くことで消極的な慎ましさを示す礼儀)の亜流ではないか。もちろん相手は警察だ。「ご注文はこれでよろしかったでしょうか」の類だ。客席に運んできたのは只今なのに、テンスを過去にずらす。時間的に距離を措いて遠慮がちに問いかける。これもネガティブ・ポライトネスといえる。お上に気が引けて、「捕まえてくれ」とは言い辛い。言い淀んだ末に、中途半端に距離をとった。それではないか。
 さらに、関西芸人が多用する「嫁」。お笑い芸人の跋扈とともに全国的になりつつある。妻をそう呼ぶ。その意味もあるにはあるが、まずは舅、姑が使う呼び名であろう。または嫁が舅、姑を「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶ。これは一般的だ。家制度が崩れて、かつてのように「おとう(義父)さん、おかあ(義母)さん」は廃れてしまった。どちらもトポスをずらす。前者は舅姑に、後者は孫に。それで尺を稼ぐ。ネガティブ・ポライトネスと同工異曲といえなくもない。それにつけても、「捕まって」である。よりによって咎人にまでトポスを移すことはあるまい。
 無理も通れば道理になる。そうはいっても、「捕まって」は無理筋であろう。まさか平成の人生幸朗を気取っているわけではない。なにせ、責任者がいそうにない。難儀なことだ。
 ヤツは署へ向かう時、「チェックメイト!」と呼ばわった。どうにもならない、詰め切られた局面を、チェスでそういうらしい。「捕まって」しまったことをそう言ったのだろうか。しかしいまだ真相も深層も捕まえられてはいない。 □


とほほ

2014年03月05日 | エッセー

 一つ二つ年嵩の友人が病に倒れた。急いで病院に駆けつけたが、生憎ICUにいて家族以外は会わせてくれない。義兄弟だからいいだろうと強請っても、子供の使いで来たんじゃないぞと凄んでも、醜女の婦長は頑として特例を赦さない。彼女はマスクをしていたから面貌のすべてを見たわけではないが、あの憎々しい応対からして眉目が秀麗であろうはずがない。だから不美人と推断した。万が一違っていたら当今流行の土下座でもして詫びる他あるまいと肚を括ったが、後日それはまったくの杞憂であることが判明した。美醜は顔を覆っても、判る人には判るものだ。(エヘン!)
 十日ほどして、ICUを出て来た。稿者が六年前に煩った病と同じである(08年「囚人の記」で記した)。幸い彼の場合胸を掻っ捌かれることなく、即刻カテーテルによるステント挿入で治療できた。そのため麻酔は局部的で、激痛に始終吠えまくったらしい。ドクターがちょっと静かにと何度も窘めたらしいが、身体を引っ括られていれば喚くぐらいしか痛みの紛らしようはない。藪に限って筋の通らぬことを言う。聞いてびっくり、稿者を誤診したあの迷医ではないか(これも、「囚人の記」に刻した)。ああ、彼の回復の一日も早からんを、というか一時(イットキ)も早く藪から抜け出るを痛切に祈るばかりである。
 三日前にも見舞った。もう歩いている。腹が減ってしょうがないと言う。経過は順調だ。と、目に留まったのがその歩きようだ。もともと姿勢のいい男で、いつも背筋がキリッと伸びていた。ところが背中を心持丸め、しかも足を微かに曲げたまま運びが小刻みで不確かなのだ。ぎょっとした。老いた、のであろうか。それとも術後のゆえか、患いのためか。視てはならぬものを瞥(ミ)てしまったようで、こちらの眼が泳いでしまった。他人事(ヒトゴト)ではない。自分も同じように視られているかもしれない。立ち上がる仕草、階段を昇る挙措、すれ違い際の身の躱し、お辞儀の屈み具合、気を張っていてもつい滲み出る老いの気配。恐怖だ。忘れっぽくなったのは取り繕えても、人前に晒す体躯の動きはどうにもならない。
 振り返れば八年前の06年に「老人力、ついてますか?」などという拙稿を、よくも脳天気に書き殴ったものだ。なんのことはない。矢はこちらに飛んで来ている。予後に安心はしたものの、重い気後れを引き摺りながら病院を後にした。
 その重さとはなんだろう。
 世のほとんどの人は親の老いに直面する。しかし語弊を恐れずにいうと、それは余所事でしかない。親子という対比からすると、対岸の火事だ。だが、こればかりはちがう。同輩とは自分でもあるからだ。二人とも此岸にいる。此岸の火事だ。生きとし生けるものすべてに不可避な老いが、ひたひたと迫る。熱風や火の粉をわが身に受ける、その重さではないか。
 世のほとんどの人は病の苦悩を嘗める。年齢不問だ。しかし、老いのそれを嘗めるには年季が要る。こればかりは若造には叶わない。そこで、内田 樹氏の透察が浮かんだ。
◇私は「無力であるが、それは私の外部に『父』がいて、私が力をもつがことを禁止しているからではなく、単に私が無力だからである」という自己認織から出発しようと思っている。弱さを根拠にしつつ、それを決してパセティックな語法では語らないという決意を私は「とほほ」と擬音化する。◇(「街場の教育論」から)
 父権制イデオロギーを脱した知性のあり方を語るところだが、『父』を「老い」に代置すれば立派なメトニミーになる。父子は絶対に逆転しない関係にあるからだ。
 つまり『脳天気に書き殴った』「老人力、ついてますか?」を、いよいよ「パセティックな語法では」なく脳天気に自問するフェーズに立ち至ったということである。めでたいのか、そうではないのか。とほほ、である。 □


翁の訃報に接して

2014年03月01日 | エッセー

 訃報を一読した時、「老衰で亡くなった」とある老衰のふた文字に目が釘付けになった。不謹慎ながら、あーやっぱりと感じ入った。
 肺炎や心疾患、ましてや癌などではなく、消え入るようにおだやかにそっと音もなく生者の列を離れた。それが老衰の謂ではないか。してみれば、まことにまど翁にふさわしい死に様ではあるまいか。因みに、厚労省のデータによると死因の一位は四〇代から八〇代が悪性新生物(癌・腫瘍など)で、九〇代が心疾患、百歳以上は老衰だそうだ。
 誰よりも『ふしぎがり』の翁が一番の『ふしぎ』に出会って、今ごろは黄泉路を目を輝かせて闊歩しているかもしれない。冥福など祈らずとも、翁は自ずから至福ではないか。百四歳。見事で、晴れやかな大往生というほかあるまい。……そんな身の程知らずの感慨に、しばし耽った。
 
 本ブログでは10年1月に、「奇蹟の人」と題してまど・みちお翁を取り上げた。二度目は12年10月だった。臆面もなく愚稿を再録してみる。
〓『やぎさんゆうびん』
 やぎが登場するのは、手紙という紙のせいだ。やぎは紙を喰う。“おてがみ”も喰われてしまう。当然、ご用事は消える。ご用事を尋ねて、“おてがみ”を書く。それも喰われる……。この繰り返しは笑いを誘う。でも、繙いてみる。
 行き交っているのは“おてがみ”の意味ではなく、コミュニケートしようとする意志ではないか。意味を無謬かつ完璧に伝えることはできない。それでもなお伝えようとする意志は伝えられる。相手が受ける。そこからしか、コミュニケーションは起動しない。寓意はそのように採れる。
 ならば、これは挨拶と同義ともいえる。人は「おはよう」を、「早くからお仕事ですか。どうぞお気をつけて」との謂であると了簡して発してはいない。それは最低限敵意は持っていないことを示し、コミュニケートの用意があると告げる符牒である。コミュニケーションを立ち上げる定式である。だから、“おてがみ”は喰われてもなんら支障はないのだ。何が書かれていたか、どうでもいい。白紙だっていい。よしんば封筒の中は空っぽでも構わない。
 曲名がやぎさんの『おてがみ』ではなく、『ゆうびん』となっているのも一興だ。“おてがみ”が符牒である以上、送達にこそ成否が掛かるからだ。郵便の本務は送達にある。伝えられなければ、コミュニケートは立ち行かない。〓(「ペン」から)
 優れた作品は寓意に満ちる。雄大な山容は数々の登山路を供する。その一つに、つたない脚力で喘ぎつつ挑んだつもりだ。
 つまりは、 メタ・メッセージである。内田 樹氏の高見を徴したい。
◇メタ・メッセージというのは「メッセージの解釈にかかわるメッセージ」のことです。不思議なのは、「後ろの方、聞こえますか?」という問いかけには二種類の回答しかないことです。それは「はい、聞こえます」と「いいえ、聞こえません」です。不思議でしょ?
 「聞こえません」て、お前聞こえてるやんか! そうなんです。メタ・メッセージは「聞こえない人にも聞こえてしまうメッセージ」なんです。すごいですね。◇(「内田樹研究室」から)
 『やぎさんゆうびん』がそうであったように、ひらがなをふんだんに駆使した翁の詩はそれ自体が「聞こえない人にも聞こえてしまうメッセージ」ではないだろうか。とすると「いいえ、聞こえません」は、換言すれば「聞けども聞かず」である。交通安全教室でいう「見れども見えず」の同類だ。感性(たぶん知性も)の貧困による受信の不能か、注意力の散漫によるそれか。安全教室は後者への戒めだが、翁作品の場合はおそらく前者であろう。しかしそこに止まる限り、個人の問題であり咎め立てする筋合いはない。ところが昨今は、作為によるネグレクトが蠢動し始めているようだ。「いいえ、聞こえません」どころか、「いいえ、聞かせません」である。
 東京都内で相次ぐ「アンネの日記」や杉原千畝関連の書籍に対する陰湿な破損行為。幼稚な焚書ともいえるが、これ程の史的遺産もまた「聞こえない人にも聞こえてしまうメッセージ」だとすると、明らかに「いいえ、聞かせません」と答えている。マイクロバーストだと打棄れなくもないが、上空にダウンバーストを起こす積乱雲の存在を推測せざるをえない。はたして杞憂といえるか。
 大きなメタ・メッセージを贈り続けてくれたまど翁を送る間際に、こんな不祥事があったのは慚愧に堪えない。そればかりが心残りである。後は、居残った者が踏ん張るしかあるまい。 
 合掌。 □