伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

霊長類最強女子

2019年10月29日 | エッセー

 といっても吉田沙保里のことではない。旧稿を引く。
〈ついぞ凡人が考えもしないことを大まじめに考えるのが学者というものであろう。「赤ん坊はなぜかわいいのか?」を探究したのがアメリカの言語学者ノーム・チョムスキー氏であった(もっとも赤ん坊の時から小憎いほどの面相であれば、すでに救いがたいのだが。)。(15年7月「首を振らないハト??」から)
 チョムスキー氏はインタビューでこう応えている。
 〈ほとんどの種では、幼児は早くから独り立ちするのに対し、人間の幼児は非常に長い期間親に頼って育ちます。その理由として挙げられているのは、人間の脳が急速に大きくなる一方、女性が無事にお産をするためには、赤ちゃんの脳の大きさには限界がある。したがって、子供が生まれてからの成長期間が長くなって、子供は自立するのに時間がかかる。そうなると、大人が世話したくなるような何かを子供が持っている必要がある。当然、進化は、思わず抱き上げたくなるような、世話をしたくなるような姿をした子供に有利になり、彼らが選択されて残っていく。もしそういう気持ちが大人に起こらなければ、子供や幼児は死んでしまいますから。「かわいい子」という表現があるように、大人をして世話をしたくなるようにさせる何かを、幼児は持っているんですね。〉(NHK出版新書「知の逆転」から)
 人間は脳が勝負である。進化とともに大きくなったが、二足歩行に伴って母体の腰が小さくなり産道がはなはだ狭くなってしまった。脳の成長を待つと産道を通過できなくなる。そこで頃合いのところでお出まし願うことになった。それでも母子ともに命がけの難産である。人類の宿命ともいえる。雑把に言えば、みんな未熟児で産まれてくる。だから「子供は自立するのに時間がかかる」。しかも産むのも人手を借りねばならず、新生児を育てるのも同様だ。となれば、「大人が世話したくなるような何かを子供が持っている必要」があり、「思わず抱き上げたくなるような、世話をしたくなるような姿」、つまり「かわいい子」として世に現れ出(イ)ずる──。そういうことだろう。
 画蛇添足を恐れずにいうと、赤ん坊は「かわいい子」であると同時に『霊長類最強』でもある。人為をまったく纏わない天衣無縫。小さい態(ナリ)のくせに大人を翻弄する。泣こうものなら、おむつか、いや乳かと周りはきりきり舞い。笑おうものなら、一発で大人をしてでれでれの腑抜けにしてしまう。なんとも憎いほどの人心収攬の凄技であることか。まさに「霊長類最強」とはこのことだ。
 百聞は一見にしかずという。だが、写真や動画では「一見」に当たらない。実物を見るのが「一見」である。先日、娘の娘と初見参となった。実物は、やっぱり「霊長類最強女子」であった。 □

 


「漂流」

2019年10月25日 | エッセー

──江戸・天明年間、シケに遭って黒潮に乗ってしまった男たちは、不気味な沈黙をたもつ絶海の火山島に漂着した。水も湧かず、生活の手段とてない無人の島で、仲間の男たちは次次と倒れて行ったが、土佐の船乗り長平はただひとり生き残って、12年に及ぶ苦闘の末、ついに生還する。その生存の秘密と、壮絶な生きざまを巨細に描いて圧倒的感動を呼ぶ、長編ドキュメンタリー小説。──
 昨年発刊された文庫本のカバーにはそうある。吉村 昭著『漂流』である。75年にサンケイ新聞で連載され、翌年に新潮社から単行本として刊行された。81年には森谷司郎監督で映画化された。
 「絶海の火山島」とは「鳥島」のことである。いくつか同名の島があるため、伊豆鳥島とも呼ぶ。本土から約590キロ。最も近くかつ有人の島である青ヶ島まで140キロ。そこから60キロ先に支庁がある八丈島、八丈島から本土までは290キロ、まさに「絶海」の孤島である。直線距離で東京から西に590キロ行けば広島県福山市に至る。それだけの距離を高知沖から鳥島へ約2週間漂流し、そして漂着した。
 鳥島は有史以来何度も噴火を繰り返してきた火山島である。明治から戦前に人が居住した時期もあるが、それ以外は無人の島であった。八丈島までは流刑されても、そこからさらに200キロも隔てる絶島に流そうなどとは思念の外にあったろう。気象庁の観測所が置かれてはいるが、今もって無人の島だ。動植物は天然記念物のあほう鳥以外は皆無に近い。全島を覆うほどのあほう鳥こそがこの島の主である。鳥島の「鳥」は多分あほう鳥だ。もちろんあほう鳥は渡りをする。その習性が物語の枢要な伏流となった。島全体が天然記念物に指定されているため、都の許可がなければ上陸できない。海岸線は6.5キロ、面積約5キロ平方メートル、最高標高は394メートル。湧水、滝、水流の類いはまったくなく、水をどう確保するかが生死の鍵となった。暴風雨は容赦なく何度も襲う。平地はない。洞穴にしか居を構えることはできない。シシュポスのごとく際限なく続く苦渋と鬱屈の日々。死にさえ誘(イザナ)う絶望を振り切って生還は果たせるのか。想像を絶する12年の格闘が稀代のノンフィクション作家によって綴られていく。記録文学の金字塔といって過言はない。
 「12年に及ぶ苦闘」のあれこれは原著に譲る。当然「圧倒的感動」のほとんどはそこに発するのだが、おそらくあまり触れられてこなかったであろう最終章について記したい。
 漂流者たちはついに島を脱出し、青ヶ島を経て八丈島に上陸する。
 〈十四名の者たちは、それぞれに無人島への漂着の顛末を申し述べた。それを陣屋の書記である大書役が、詳細に記録した。
 十四名の者たちは、百姓平四郎方で起居して審問をうけたが、かれらは罪人同然の身として、厳重な監視をうけていた。
 地役人たちは、八重根湊につながれている漂民たちの作った船を押収し、載せられていた品々や長平たちの携帯品も調べて次のように記録した。
  無人島ヨリ乗来ル小船並諸道具荷物改之覚
 一、小船  一艘
   是ハ無人島ニテ寄木ヲ拾ヒ打立申候
 一、艪   五丁
   内四丁ハ大坂船ヨリ取上置候 一丁ハ薩州船ヨリ取上置候
 一、綱   二房
   是ハ島ニテイツサキノ木ノ皮ニテ作申候〉
 以下、10品目について数量や入手方法などが事細かに記述された調書が紹介される。続いて漂流者一人ひとりの氏名、生国等の記載。
 〈土州鏡郡赤岡浦
  松屋儀七船
  水主   長平
   拾三ヶ年無人島二罷在候〉
 と順次記録されていく。こんな下りもある。
 〈その吟味中、大坂船の沖船頭儀三郎は、代官に願書を差出した。かれの船は、難破する前に御城米を運送する雇船として金百両を借りて、御城米の不足分の米を買入れ、残金は航海中の雑費にあてていたが、難破し無人島に漂着したので、百両を返済することは困難であり、御慈悲をもって御容赦いただきたいと申し述べた。
 代官は、それを無理からぬことと判断し、儀三郎の申出を支持する意見書を作成した。〉(抄録)
 吟味の精密さに比して細やかな気配り。100年以上遡る三方一両損の大岡裁きを彷彿とさせる。
 さらに、
 〈八丈島代官所では、口書三通、書付一通、帳面一冊をととのえ、諸国の郡代・代官を支配する勘定奉行に提出した。
 勘定奉行は根岸肥前守で、吟味が十月二日、七日、八日、十日、十七日の五日間にわたっておこなわれた。その結果、八丈島代官所での口書と長平たちの陳述と完全に一致していることが判明し、勘定奉行根岸肥前守から漂民の領主の江戸屋敷へ身許確認の照会があった。〉
 身元確認が終わり、14人の漂流者たちは晴れて生国へ散っていく。幾人かのその後が語られ、長い物語は閉じられる。
 何より役人たちの手順の正確な運びと、今の司直の調書に引けを取らない厳密さ、精密さに驚く。江戸の太平とともに武士は官僚にメタモルフォーゼしていくのだが、世界のどことも伍し得る優良な官僚群を堅固に構築していったといえる。
 イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは自著『サピエンス全史』で、農業革命ののち紀元前3500~3000年に古代シュメール人によってなされた「書記の発明」が人類史を大きく変えたと言う。「脳の外で情報を保存して処理するシステムを発明した。これによってシュメール人は社会秩序を人間の脳の制約から解き放ち、都市や王国や帝国の出現への道を開いた」(同著より)と語る。「書記」は人類初の情報革命であり、それは今日「文書主義」と呼称されるものの祖型となり、官僚機構の原初的形態となった、と。
 本邦では古墳時代にその萌芽があり、飛鳥時代の大宝律令から本格運用が始まった。爾来、日本における「書記」は江戸時代に成熟、完成に至ったと見ていいのではないか。この物語に記された如上の記述はその有力な傍証ではなかろうか。というのは、近年相次ぐ文書問題に表出した官僚および官僚機構の劣化を目の当たりにするにつけ江戸の官僚たちの律儀に感じ入ったからである。牽強付会はそのためだ。
 江戸後期に起こった壮絶なサバイバルと官僚による手堅い事後処理。それらは決して遠い昔の話ではない。台風19号で失われた人命と未だに対応し切れていない行政機構──。極めて今日的な課題である。 □

 


紳士のスポーツ

2019年10月21日 | エッセー

 日本代表はベストエイトへの躍進はなったものの南アフリカ戦で退けられた。壁は厚いというものの善戦であった。
 戦前、ラグビーは「ラ式蹴球」と呼ばれた。「ゼロ戦」のような軍隊調でそれなりの味はある。戦中は「闘球」、これも言い得て妙だ。発祥をたどれば、イングランド中部の町ラグビーにあるラグビー校に行き着く。19世紀初頭の話だ。ラグビーとは彼の地にある丘の要塞の名だという。
 かつて旧稿で、野球は正味のプレー時間は約3割、残り7割は読み合いに費やすというとても珍しいスポーツだと記した(本ブログ開始の直後、06年3月の『野球 大発見!』)。だから、野球は「スポーツの将棋(スポーツにおける将棋)」ともいえる、と。
 〈長考ののち、棋士の手から駒が盤上に放たれる。その動きは一瞬だ。まさに刹那の攻防。そして対局者の長考が始まる。ありとあらゆる局面が予想され、百千のシミュレーションが展開され、選択肢が絞り込まれていく。そして、決断の時。ふたたび、盤上に駒が放たれる。
 ああ、そうか。あの『7割』は『長考』なのだ、と俄に合点がいったのである。としてみれば、グランドのプレーヤーは『盤上の駒』か。なるほど、そう捉えればオモシロくなってくる。プレーの一齣づつに間を配して、観客にまで『長考』をさせてくれる実に親切な造りになっているのだ。〉(抄録)
 さて、ラグビーはどうか。英国は北緯50°以北にあるため健康保持に恰好の戸外活動となった。加えて、他民族国家ゆえに社交にも供された。さらに、多くの植民地を統治する心身ともにタフな行政官を育成する必要があり、その手段として必須とされたのがラグビーであった。状況を判断し予測し決断する。臨機応変にフォーメーションを形作り即応することで身体のコミュニケーション力を磨く。それは政治的な統治能力と同質であった。つまりは大英帝国のガバナンス向上に資する競技であったといえる。ならば、「スポーツのガバナンス学(スポーツにおけるガバナンス学)」、あるいは「スポーツの紳士学」と呼べるのではないか。「闘球」と称されるほどに烈しくとも、ハイソサエティによるハイソサエティのための必修教科、「紳士のスポーツ」であったのだ。
 チームを組んだボールゲームは歴史時代以前の太古に生まれ、古代ローマ、中国戦国時代に発達した。おそらくいずれも軍事用の訓練として取り入れられたものと推測される。大きく括れば、遊びの中に成員の一体感を涵養する人類の知恵であろう。生き残りの術(スベ)を修得するためだ。それがファーストプライオリティである。勝ち負けは枝葉に過ぎなかった。サッカーも含め英国生まれのスポーツは引分けが前提とされていたそうだ。「ノーサイド」の語源はそこに発する。敵味方の構造そのものがなくなるのだ。のち、スポーツ化の亢進とともに勝敗への拘りは生まれた。
 得点の成否はシンプルなのだが、なにせやたらと反則が多い。べからず集の塊のようだ。これがラグビーを分かりづらくしている。だが、レギュレーションをこれでもかこれでもかと掛けるのは如上の「ガバナンス学」ゆえにちがいない。なによりあの異形(イギョウ)のボール。わざと扱いにくく、まともに飛ばないようにしてある。七つの海に跨がる大英帝国の版図。気候も民族も歴史もなにもかも違う。そこをどう統べるか。高度な統治能力が要求される。その縮図といえよう。だとすれば、W杯のチーム編成が国籍に無頓着であるのも頷ける。
 スポーツにはそれぞれに淵源がある。知ってプレーするか観戦するか、知らずのそれか。プレーヤーの質もオーディエンスの感動の質も自ずと変わってくるにちがいない。例えば相撲は神事を祖型とする。土俵は俵で結界された聖域である。その結界線を白鵬は青竹よろしく何度も踏みつける。それでも“大横綱”か。無知にもほどがある。
 W杯はいよいよ佳境に入る。それにしても偉丈夫による猛々しい肉弾戦。紳士とは難儀なものだ。 □


腕組み

2019年10月14日 | エッセー

 はたと自分はどうだろうと腕組みをしたら、左腕を上にしていた。いつも決まってそうだ。右腕が上にくることは絶えてない。
 左腕を上にして腕組みをする人は右脳人間だそうだ。情報のアウトプットが右脳優先。右脳は感覚・感情・イメージを司り想像力が豊かで抽象的表現に長けている。
 右腕が上の場合は、左脳人間。左脳優先で情報をアウトプットする。計算や分析に長け、論理的思考がお得意。表現は直截だ。
 左右どちらにせよ、ビジネスシーンでは御法度である。相手に対する警戒心が形を取ったものと心理学は説く。だから印象を損ねる。傲慢にもみえる。
 大辞林には、両腕を胸のあたりで組み合わせること。「腕組みして考える」など、とある。ひとり沈思黙考する場合はなるほどそうだが、対人では得にはならない。もっとも、聞きたくないとの意思表示に使ったり、上から目線で高圧的な発語をする際にも腕組みをする。クレーマーはたいがい腕を組む。
 ただし、障碍を抱え腕を組んで身体のバランスを取っている人もいる。速断は禁物だ。それにしても健常者でありながら、腕組みによって大いに悪印象を与える手合いがいる。そう、赤絨毯のあの妖怪たちだ。筆頭はアッソー大臣。渋面をつくり半身を反り返らせ、薄笑いを浮かべつつ(のように見える)いつも腕組みをしている。悪ぶって威圧的なのはなめられまいとするアッソー君独特の処世術だとの見方もあるが、絵面は決していいものではない。
 最近特に目立つのがアンバイ君の腕組みだ。隣席のアッソー君の感化か感染か、十八番の「真摯で丁寧な説明」とはまったく似ても似つかない。「聞きたくないとの意思表示」、つまりは聞きたいことしか聞かない反知性主義の腕組みともいえるし、国会無視、審議拒否、討議サボタージュの腕組みともいえる。国会審議を単なる通過儀礼に貶める「上から目線で高圧的な」腕組みでもあるだろう。「バカヤロー解散」はアッソー君のじいさん、「デモは騒がしくても銀座通りはいつもと同じ」はアンバイ君のじいさん。悲しむべき隔世遺伝といえよう。
 哲学界のロックスター、若手の天才哲学者と評されるマルクス・ガブリエルは、「権威をからかう可能性を生み出すことはとても大事だ。自分の生活における権威を笑うことができなければ、健全な民主主義社会は生まれない。」
 という。たかが腕組み、されど腕組みだ。そういえばトランプもよく腕組みをする。昨年のG7でメルケルが詰め寄りトランプが腕組みをして苦虫を噛み潰す場面は記憶に新しい。因みに左腕が上。ああ、やっぱりだ。でも困り顔で立ち会うアンバイ君は右が上。冒頭の説に疑問符がつく。いや待て、そうではない。アンバイ君はポチとしてまだ修行が足らんのだ。……と、しばし腕組みをして考えた。 □


栗ご飯

2019年10月11日 | エッセー

 栗ご飯の季節である。4年前の10月、「栗と団栗」と題する拙稿を記した。
 〈山間(ヤマアイ)の親戚から一抱えもある栗が届いた。荊妻が毬栗と格闘する後ろ姿が縄文人に重なって見え、ひとり、笑いを堪えた。太古、彼らも皮剥きには難儀したにちがいない。それとも石器を巧みに操ったのか。1万5千年といえども遠からず。人類が料理と向き合う姿に変わりはないと、合点が行った。(中略)本邦には1万年もの長遠な期間、豊かな環境に恵まれ「生活の知恵と知識を高度に磨いた」「ユニークな人々」(註・縄文人)がいた。「日本人の基底にあるメンタリティや心象風景が息づいた」道理ではないか。
 愚妻が毬栗を前にした時の並々ならぬ闘志、孤軍を厭わぬ奮闘。あのハイテンションは個人的資質に帰するというより、古層的本質に由来するのではないか。炊きあがった栗ご飯の湯気の向こうに、どや顔の縄文人がいた。〉
 毬や鬼皮は物理的な外敵防止であり、渋皮は味覚で敵を退けるものといえる。実は、渋皮にはタンニンが含まれ栄養豊富で老化防止やガンの予防に効果があるとされる。だが、サルやクマには判るまい。さらに、物知りによると毬が栗の皮、鬼皮と渋皮が実で、甘い黄色い部分は種なのだそうだ。生存競争の中で、殻斗に覆われる堅果が身に付けた知恵であろうか。まことに奥深い。
  さて、サルやクマに効果覿面の「渋み」についてである。五原味・五味(甘・酸・塩・苦・旨味)には含まれないが、生理学的には「苦み」と同一の味覚とされる。つまり「苦み」とパラフレーズできる。とすると、苦みの意味は? というのは、本来五味とは人類の生存に不可欠なセンサーである。過不足なく食い物を摂取するための検知機能である。となれば、苦みを検知する目的は何か、ということだ。
 苦みは甘味や塩味に比べ約千倍の感度があるという。経口最強の敵である毒を感知するためだ。だから子どもは大人以上に苦みに敏感で、ゴーヤやピーマン嫌いは致し方ない。
 酸味も苦みに続くセンサーだ。腐敗の感知である。だが酸味のある食材には疲労回復やスタミナアップなどに資する作用があり、必須の味覚である。
 甘みは三大栄養素の一つ糖質へのセンサーだ。エネルギー源がどこにあるか、食物が発するシグナルをいち早く捕(トラ)まえる。甘みが美味の王者である由縁であろう。
 塩味(エンミ)はミネラルバランスを示すシグナルである。カルシウム、鉄などは微量ではあっても人体に不可欠な無機質である。過不足ないミネラルバランスこそ最強の治癒力ともいわれる。
 旨味は00年にグルタミン酸受容体の発見により世界的に認知された味覚である。三大栄養素の一つたんぱく質の所在を探知するセンサーである。役割はグルメではない。生存にある。
 お気づきであろうか。五味に「辛み」がない。苦みはあっても辛みはない。食欲増進や新陳代謝の促進、暑気払いに効果があるのに、なぜか? 味覚ではないからだ。舌や口腔にある受容体が捉える痛覚なのだ。痛覚である以上、味覚に加わることはない。味覚神経ではなく、熱や痛みを伝える感覚神経を通って脳に伝わる。汗だくで激辛ラーメンを啜りつつ「痛い!」を連発するのはそのためだ。昨今の激辛挑戦番組は大食いからの食に名を借りたSMへのシフトといえなくもない。
 英語では熱いも辛いも“hot”、巧いものだ。そういえば、「酸いも甘いも噛み分ける」という。「辛いも甘いも」とは言わない。こちらも巧いものだ。
 内田 樹氏は近著『生きづらさについて考える』でこう語る。
「家事というのは、本質的には、他人の身体を配慮する技術なのだと思う。清潔な部屋の、乾いた布団に寝かせ、着心地のよい服を着せて、栄養のある美味しい食事を食べさせる。どれも他者の身体が経験する生理的な快適さを想像的に先取りする能力を要求する。具体的な技術以上に、その想像力が大切なのだと思う。そういう能力は他者との共生のためには必須のものだと私は思う」
 今年も栗剥きが始まる。また荊妻のテンションは異様に跳ね上がる。果たしてそれは、縄文人のDNAか、「他人の身体を配慮する技術」なのか。あるいは苦みセンサーの起動か。答えは炊飯器の湯気の中、杳として知れない。 □

 


子ども跣

2019年10月08日 | エッセー

 耳を疑い、目を疑う、ついでにTV、新聞まで疑う報道である。神戸市須磨区の市立小学校で教員の間でいじめがあった。暴言暴行、セクハラの強要。激辛カレーを喰わせたり目に塗ったり。おまけに学校側の隠蔽──。
 親の背を見て子は育つというが、子を見て真似る教員か。玄人跣とはいうが、これではお株を奪われた子どもが跣で逃げる。新語誕生、“子ども跣”。まったくの想定外。フクシマの想定外は安全神話を葬り去ったが、この想定外はどんな神話を押し潰すのだろう。
 もしも教育神話というものがあったとすれば、『二十四の瞳』はその典型であろう。新米の大石久子教諭、「おなご先生」は理想は高くともひ弱で指導力もなく、「泣きミソ先生」と揶揄されるほど適格性に疑問符がついていた。しかし、やがて彼女は子どもたちからかけがえのないメンターとして尊敬を受けるに至る。そこには個人の資質を超えて先生と生徒との間に制度としての師弟関係が心理の深層に根付いていたと見てまちがいはない。つまりは、教壇に立つ人は偉いという神話だ。そのようなありようを教育神話と呼ぶならば、須磨の小学校で起こったいじめは、いまや教育神話が潰えている先鋭的病症といえよう。
 批判の大半に多用されている言辞に「あるまじき」がある。あるまじき教師、あるまじき出来事など。「あるまじきと」は、「あるべき」ことが措定されている故である。その「あるべき」ことこそ、教育神話ではないか。となれば文部行政の成れの果てともいえるがそこに留まらず、問題のリゾームは一国を覆うほど深刻であるといわざるを得ない。モンスターペアレントという鬼胎を生むに至った保護者とて、そのリゾームと無関係であったはずはない。
 どの難民キャンプでも食がなんとか確保されると次に決まって難民自身が始めることがあるという。それは学校だ。青空教室であっても地面に文字を引っ掻いてでも、子どもたちを集め教育を立ち上げる。なぜか。子どもたちが生き延び集団を存続させていくための知恵と力を培うためだ。それほどに人間にとって学校はプライオリティが高い制度である。それが蝕まれ、崩壊しようとしている。こちらは神話というより現実の足元の話だ。そこいらの会社でパワハラがありました、ならばよくある話で打っ遣てもおけようが、ことは社会の存立に拘わる。このままなら、“子ども跣”が本当に起こる。子どもが学校に寄り付かなくなる。会社は潰れても、まさか社会は潰すわけにはいくまい。 □


「トロッコ問題」は問題ではない!

2019年10月03日 | エッセー

 以下、毎日新聞から抄録。
 〈授業で「トロッコ問題」 岩国の小中学校が保護者に謝罪
 山口県岩国市立の小・中学校で、思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、両校の校長が授業内容を確認していなかったとして、保護者に文書で謝罪した。
 トロッコが進む線路の先が左右に分岐し、一方の線路には5人、もう一方には1人が縛られて横たわり、分岐点にレバーを握る人物の姿が描かれたイラスト入り。「このまま進めば5人が線路上に横たわっている。あなたがレバーを引けば1人が横たわっているだけの道になる。トロッコにブレーキはついていない。あなたはレバーを引きますか、そのままにしますか」との質問があり「何もせずに5人が死ぬ運命」と「自分でレバーを引いて1人が死ぬ運命」の選択肢。
 授業は、選択に困ったり、不安を感じたりした場合に、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらうのが狙いで、トロッコ問題で回答は求めなかったという。〉(9月29日付)
 10月1日、TBSが「グッとラック!」で取り上げた。鴻上尚史や僧侶で終末看護の玉置妙憂、立川志らくなどが甲論乙駁を繰り広げた。志らくは謝罪はポリシーがない証拠と批判。電話出演した尾木ママは「小学生に判断を求めるのはどう考えても発達段階が早すぎる」とコメントした。
 なんだか耳のたこが痒き、交わされる蒟蒻問答がなつかしくなってきた。
 「トロッコ問題」は20世紀の英国哲学者フィリッパ・フットが提起した道徳的ジレンマである。トロッコとは路面電車を指す。13年にハーバード大学のマイケル・サンデル教授が授業で使い「白熱教室」として話題を呼んだ。本稿でも何度も取り上げた。だから耳に胼胝、懐かしの場面の再来となった。
 15年8月の拙稿『究極の選択』で紹介した内田 樹氏の達識を再録したい。
 〈そんな問いをしている時点でもう手遅れなんです。「究極の選択」状況に立ち至った人は、そこにたどり着く前にさまざまな分岐点でことごとく間違った選択をし続けてきた人なんだから。それまで無数のシグナルが「こっちに行かないほうがいいよ」というメッセージを送っていたのに、それを全部読み落とした人だけが究極の選択にたどり着く。正しい決断を下さないとおしまい、というような状況に追い込まれた人間はすでにたっぷり負けが込んでいる。それは「問題」じゃなくて、「答え」。「いざ有事のときにあなたはどう適切にふるまいますか?」という問題と、「有事が起こらないようにするためにはどうしますか?」という問題は、次元の違う話なんです。〉(「評価と贈与の経済学」から)
──実は、問いの時点で手遅れ
   「究極の選択」に立ち至った人は、間違った選択をし続けてきた人
   それは「問題」じゃなくて「答え」
   有事への対処と防止は次元の違う話──
 つまり、サンデル教授の主題は「正義」(学術的・哲学的次元)であり、内田氏のそれは「勝負」(武道的発想)である。どうだろう、この切れ味は。問題ではなくてそれが答えだ、には快哉を叫びたくなる。〉(──部分は稿者のまとめ)
 とっくに決着がついた話なのに、またぞろ蒸し返しの蒟蒻問答。如上のコメンテーター諸氏は当代随一の知性に学んでいなかったのか。知見の狭小さに悲しくなる。
 前後するが、13年3月『やっと掻けた!』ではこう記した。
 〈もちろんサンデル教授の意図は、「究極の選択」を迫ることで哲学的思索に誘(イザナ)うことだ。その手法は斬新で高い評価に値する。しかし「次元の違う話」なのだ。想像するに、内田氏のオブジェクションを筋違いあるいは横紙破り、もしくは茶化しだととる向きがあるかもしれない。だが、氏の言説には「生き残り」という語句が頻出する。教授になくて内田氏にあるもの、それは武道家の感覚、勝負感ではないか。なにより合気道は敵をつくらず、敵を無力化することを目的に掲げる。となれば、教授の設問に対する最も率直で最もふさわしい解は内田氏の言ではないか。〉 (13年3月「やっと掻けた!」から抄録)
 「勝負」の一例を挙げよう。9.11原発事故での危機対応の適否は「問題」ではなく「結果」であった。「そこにたどり着く前にさまざまな分岐点でことごとく間違った選択をし続けてきた」結果であった。「間違った選択」は故宇沢弘文先生が提起した「社会的共通資本」を市場原理に委ねたところから発したともいえる。株式会社はその属性上、原発のリスクを低く見積もろうとする。その「間違った選択」の連鎖の果てにフクシマの惨劇は起こった。
 正義が勝つとは限らない。正義ならばこそ勝たねばならない。だから、人生に掛かるのは「勝負」である。清く正しく美しく生きても襲い来る変事に足を掬われては「負け」であろう。
 千葉に住まう旧友が台風15号に備え、卒寿を超える母堂とともに家族一同ホテルに「疎開」したという。ために暴風被害も停電も回避できた。
 武士の心得について内田氏は「適切なときに、適切な場所で、適切なふるまい」をなし、かつ「用のないところには行かない」ことだという( 「内田 樹の大市民講座」から)。「用のないところには行かない」とは居つづければ自らにとって致命的に「用のないところ」になる地点から去ることにも通じる。
 自然が相手だと、ことは闡明になる(フクシマは天災ではなく人災であった)。台風に正義不正義はない。「有事が起こらないようにするためにはどうしますか?」という「問題」があるだけだ。蓋し、旧友は現代の武士といっておかしくはない。少なくとも蒟蒻問答の再演に無駄な電気を使うTVメディアよりも遥かに高次の「答え」を見せてくれた。 □