伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

大言論

2011年03月31日 | エッセー

 世には奇特な人がいるものだ。ほしい本が売り切れ続出で手に入らないと聞こえるように独りごちたら、ネットで取り寄せてくださった。それも、たった一冊だけの在庫であったらしい。別に脅迫したわけでも、おねだりしたのでもない。そういう気持ちは幾重にも胸に蔵(シマ)って、少し大きめではあったが壁に向かって呟いただけである。それだけでこちらの意を、あるいは欲を察してくださるから奇特なのである。人格者とはこのような徳を備えた人をいうにちがいない。かつて本ブログで述べたように、まさしく「人格とは創造力」である。

   養老孟司の大言論 Ⅰ

   希望とは

   自分が変わること
  
 新潮社より2月に出た。季刊雑誌「考える人」に連載したエッセーをまとめたものだ。Ⅰ だから、当然つづく。あと2カ月、Ⅲ まで予定されている。

■私にとって読書とは純粋ではない行為の象徴なのである。
 それ自体に意味がないにもかかわらず行われる行為は、シンボルというしかない。読書はしばしば「それ自身が目的の行為」として意識されてしまう。それが誤解であることは、明らかであろう。
 (読書に)淫してはいけない。昔の人はたえずそれを注意したのである。読書はもともと合目的的行為ではない。つまり動物にとって、すなわち生存にとって、必要不可欠な行為ではない。それなら、もっぱらそういう行為に走るのは不健康だ。かつてはそれは当然の常識だった。それはいまでも本当は変わらないはずである。■ (上掲書より。括弧内は欠片による註。以下同様)
 
 こんなことを言う知識人はいままでいなかったのではないか。たしかに「麦をただよわす」という戒めはあったし、「詩を作るより田を作れ」とも古人は言った。だが、世に名だたる大先生が宣うのである。解剖3千体の凄腕が一刀を振り下ろすのである。「純粋」なる学校の先生が聞けば腰を抜かすかもしれない。わが子の成績向上という「合目的的行為」をゴリ押し中の、なんとかママは怒り狂うであろう。
 しかし、言われてみればその通りなのである。この身も蓋もない物言いが、わたしは好きでたまらない。木で鼻を括る御託宣が無性にありがたいのである。なにせ尋常ならざる人並み外れた読書量の先生にこうまで言われたのでは、二の句が継げない。本屋で立ち読み程度の読書量でしかない「不健康」なわたしなぞ、立つ瀬もなければ隠れる穴もありはしない。

■(二宮尊徳の像は)「若者よ、薪を背負え、薪を背負えば、やがて本を読むようになる」。あれはじつは、そういうややこしいメッセージとして、成功しているのである。いまの若者には、「尊徳の薪運び」ていどの必然性を帯びた行為すら、社会的に与えられていない。それなら本を読む根本の動機がない。読書は合目的的行為に「伴う」行為なのに、肝心の合目的的行為自体が欠けるからである。それなら読書自体が目的になる、つまり自己目的になってもいいではないか。状況はすでにそうなっているのだと思う。ところが自己目的化するには、読書はじつは不十分な行為である。それならテレビのほうがマシ、マンガのほうがマシということになる。ついにはそれがバーチャル・リアリティーということになる。体を使って働かせれば若者は本を読むようになる。それだけのことに過ぎない。■

 若者の読書離れを憂えての諌言である。早い話が、目的と手段の関係だ。目的なしに手段を強要するのはおかしい。だから手段が自己目的になる。行き先を決めずに鉄道に乗るようなものだ。乗ること自体を目的にするなら鉄道マニアである。新幹線では味気ない。徹底的にこだわりの世界に入り、エキセントリックな種族となる。
 面白いのは次の部分だ。

■本が売れる理由なら、私自身も読むから、わからないではない。たとえば『ハリー・ポッター』はなぜ世界中で四億冊以上も売れたのだろうか。これは『千と千尋の神隠し』が空前の観客数を動員し、マンガが売れ、ひいては『水戸黄門』が終わらないのと同じであろう。その理由は、パッケージに「真っ赤なウソ」と振ってあるからである。アニメもマンガもファンタジーも時代劇も、頭から「本当だ」と思う人はいない。真っ赤なウソだと、パッケージに書いてある、そういうものか、現代社会では売れる。なぜなら、人々は安心してその世界に入れるからである。入り込んだところで、はじめからウソじゃないか。それならいつでも外に出られるのである。出ようと思えばすぐに出られる、お化け屋敷みたいなものである。それなら真っ赤なウソは、全面的にウソか。冗談ではない。ウソから出たマコトこそが真実なのである。お化け屋敷のお化けはウソだが、恐怖は本物である。■

 これには膝を打った。途端に浮かぶのが浅田次郎氏だ。氏は「作家はウソをつくことを許された職業だ」と公言して憚らない。この割り切り様(ヨウ)は並な作家ではない。希代のストーリー・テラーの秘密はそこにあるのか。
 浅田氏といえば、作中に突然「すげぇー」などという言葉が出てくる。それもカギ括弧書き以外なので、すげぇー驚かされる。いわば氏の地金であろう。といって悪性ではなく、作者の人となりが香ってほほえましい。養老先生もそうだ。講演でもないのに、「……でしょうが。」と文末にくる。出身の鎌倉流の物言いなのかどうか定かではないが、江戸っ子のような気っ風のよさがあり文章に弾むようなテンポを添えている。
 例えば次の一節など、まさに『養老節』の炸裂である。 

■欧米で個人主義が通用するのは、歴史的には当然である。キリスト教の霊魂不滅が「永続する個人」を長年にわたって保証してきたからである。さもなければ、最後の審判に出席する「私」がいないではないか。私自身は、最後の審判にどの俺が出ればいいのだと、悩んでいる。アルツハイマーになった私が最後の審判に出たって、神様も困るであろう。■

 しばし呵々大笑した。「個人」が日本になくて、なぜ欧米にあるかを語る文脈で出てくる。前々稿の「世間論」での「告解による個人の成立」に重なる。佐藤氏には失礼だが、刀の切れ味がまるでちがう。
 
 新刊の内容は、日常的話題に材を求めた『養老思想』の集大成といったところか。御本人は「元来私は理科系だが、その中でも博物学志向である。博物学はモノから発想するものだから、頭の中だけで考えるのは、じつは苦手である。」と仰せになり、自らを「純粋行為至上主義者」と宣言されるぐらいだから「言論」の人という自覚はお持ちではなかろう。そういう御仁が、敢えて物申す。だから「大言論」の「大」は、「大それた」の「大」にちがいない。見得を切ったのではなく、いたく御謙遜あそばされた名乗りではないか。わたしはひとりで、そう合点している。

 『養老思想』のカタルシスとは何だろう、と考える。接するたびに味わうあの解放感はどこからくるのか。
 やはり、カギはこれではないか。氏は04年、「運のつき」(マガジンハウス)で次のように語っている。
〓〓『唯脳論』を書き終えてから、中村元先生の書いた仏教の解説本をたまたま読んでました。そこに阿含経の内容を紹介した、短い解説がありました。それを読んだ瞬間、思いましたよ。「俺の本って、お経じゃないか」って。「俺が書こうと思ったことって、昔のお経に書いてあったんだ」って。多くの人が信じないでしょうね。私だって、信じられなかったんですよ。でも、そうだから仕方がない。もちろん本人はお経の勉強なんか、したことがありません。でも近代科学の成果を学んで、その基礎について考えていたら、なんと結論がお経になっちゃったんですよ。スリランカから来られたお坊さんにお会いして、お話をしたわけです。この方は私の著書を読んでおられて、私となら話をしてもいいといわれたんだそうです。読んでくださったのは、『バカの壁』と『養老孟司の〈逆さメガネ〉』だと思います。お会いして、このお坊さんがまず仏教の基本的な考え方を述べられたわけですが、それは要するに「諸行無常」と「無我」です。それを聞いているうちに、アッと思いました。私がこのふたつの著書に書いたことは、要するにそれですからね。私となら「話をしてもいい」とこのお坊さんが思われたのは、要するに根本的な考えが同じだと思われたからでしょ。ところが、です。このふたつの本を書いていたときの私の頭には、それが仏教的な思想だという思いはまったくなかった。近代科学について考えているうちに、いわば「ひとりでに」到達した結論だと、自分では思っていたわけです。いうなれば、西欧近代的自我の産物というわけです。どこまでいっても自分で考えたもの、「私の思想」なんだから。なんとそれが、いわれてみれば、仏教の根本思想と同じなんですよ。〓〓 
 特に団塊の世代は、にわかな欧米風価値観の中で育った。それは劣等感にも通底する。憧憬と反発が綯い交ぜになりつつ、外見だけは欧米化を成し遂げた。中身も外面(ヅラ)も借り物という後ろめたさが付き纏う。鬱屈は揺れつ戻りつしながら続いてきた。そこに『自前』が躍り出た。しかもその源は歴とした東洋本流に発する。外来と優に伍し、かつ楽々と超えるものが身内にあった。そんな解放、清涼感ではないか。となれば、文字通りの「大言論」でなくしてなんであろう。
 続巻のⅡとⅢが楽しみだ。今度はぜひとも『自前』で手に入れよう。□


「五」づくし

2011年03月27日 | エッセー

 甘・酸・鹹・苦・辛を五味という。人生も同じ。辛酸を嘗め、甘いも鹹苦もなべて味わう。齢(ヨワイ)を重ねるごとに、滋味も増せばよいのだが……。
 乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味とくれば、牛乳の精製過程に準える仏典の五味だ。日常語ではないが、醍醐味ばかりは通途、馴染みのことばとなって久しい。

 顧みるに、十五志学はさっさと摺り抜け、ために五斗米のために腰を折る。やっと五十知命の境を跨ぐも、いっかな天命は掴み得ず。さらに十星霜を旧(フ)るも、いまだに五里霧中を蹌踉(ヨロボ)う。なんとも汗顔の至りである。四捨五入を旨とする雑駁たる生き方では一五一十、三綱五常を全うするは叶わぬ夢か。
 目を転ずれば、母国は敗戦の焦土から立ち上がり、五穀豊穣、一時(イットキ)は我が世の春を謳った。一億の民草が等し並、五十歩百歩から始めた復興も三々五々と富貴が生まれ、格差の歪みが走り、バブルが弾けて四分五裂の様相を呈する。とりわけ永田町を頒つ亀裂は無惨に深い。
 近年辛うじて五風十雨を保つも、いま未曾有の地異に再び奈落の断末魔に直面する。この時こそ、五臓六腑に生気を満たし再起せねばなるまい。四の五のいう暇はない。五分五分で済まされる事態ではない。災いを転じて福となさねば、先代にも後代にも相済まぬ。まことに因果な巡り合わせともいえるが、悠久の歴史に燦然たる光を放つに違いない、壮大なる起死回生劇を演ずる主人公の群れ、ヒーロー・ヒロインたちの揃い踏みといって毫も憚りはあるまい。

 木・火・土・金・水は中国、五行の思想。万物組成の元素と説く。
 片手には五本の指。転じて「五指に入る」と評されれば、ほかの四指は判らずとも鼻が高い。
 五人組はクインテット。カルテットより格段に音は重層になる。
 五年を束ねて、五年紀と称する。十年紀の半分、十年で一昔なら『半昔』というところか。三十年が一世代。その六分の一だ。急速激変する当今の世界では、五年で一昔、十五年で一世代か。現にこの五年間、公私ともに書き切れぬほどの出来事があった。いわんや十五年前なぞ、忘却の彼方だ。
 五点を辺にもつ五角形。米国国防の中枢は、言わずと知れたペンタゴン。文字通りの正五角形だ。二万六千人が働く世界最大のオフィスビルでありながら、十分以内でどこにでも行ける。五角形のゆえであり、これぞアメリカ様式ともいえる。
 勘定するには五つで一区切り、「正」の字を使う。実に重宝している。
 地球上には五大陸。日本ではオリンピックは五輪となる。確かに字数は少なくて済む。
 つき合いはないが、音符を記すのは五線譜。退社は五時で、アフター・ファイブは余暇の代名詞。「フィンガーファイブ」、「ジャクソンファイブ」。一世風靡の華やぎは遥けき後景に。懐かしさに涙が滲む。
 野球の五番は三塁手。名三塁手・長嶋さんの華麗なプレーが甦る。ウィザード・イチローは背番号51。松井秀喜はは55。ぞろ目とならば、「コント55号」。「飛びます、飛びます」 の坂上二郎さんは、先日あっちへ飛んでった。たくさんの笑いをありがとう。冥福を祈りたい。
 「オール5」とくれば、団塊世代には見果てぬ夢に終わった理想の通信簿。などなど……。
 事々然様に、「五」とはいかにもおもしろい。

 忘れてならぬのは、「Fukushima 50(フクシマ・フィフティ)」だ。海外からは、五十人の勇者と讃えられる。八百人いたが事故直後に七百五十人が退避し、差し引き五十人の勘定だ。だが実際には補充があり、五百数十人が現場の只中で格闘している。ついにその中から被爆負傷者が出た。カロリーメイトで食いつなぎ、椅子に掛けたまま一、二時間の仮眠で交替する苛酷な作業だ。もはや苦役、懲罰に近い。東電、保安院側の安全管理はどうなのか。報道によれば、東電は事故現場でのただならぬ放射線量を知っていたらしい。だが伝えてはいなかったという。こうなれば、もはや犯罪行為だ。
 声高な悲壮感が喧伝された消防隊員に比して、この落差には声を失う。「賢く怖がる」とは寺田寅彦の至言だが、「賢く」の部分が後退、あるいは欠落してはいないか。犠牲になるのは、いつも一兵卒。人の世の、寒々しいあり様(ヨウ)に悲憤が募る。

 きょう3月27日、本ブログはまる五年を迎えた。因みに、「五」で尽くしてみた。
 いままで佶屈な拙稿、駄文、愚慮、妄想の類にお付き合いいただいてきた皆さまに、深く感謝申し上げたい。
 御意見五両堪忍十両という。愚考に耳を傾けることさえ五両の値打ち、それにも増して堪え忍んでの永のお付き合いは倍する金子に当たる。しかし差し上げる持ち合わせはないゆえ、依然として堪忍だけを強いることになろう。嗚呼、「鶴亀、鶴亀」の大合唱が聞こえる。□


「世間」から考える

2011年03月23日 | エッセー

 未曾有の騒擾の中で、一件の暴動も略奪も起きない。配給を待って整然と列をなす人びと。避難所での秩序だった共助。自らの被災を投げ捨てての献身的な救援活動。海外から驚嘆と称賛の声が寄せられる。宣揚されることが逆に物申せぬプレッシャーとなってはならぬが、日本人の良質な国民性が顕現されているにはちがいない。
 実は、偶然にも大震災の前日に読み始めていた本があった。
 「なぜ日本人はとりあえず謝るのか──『ゆるし』と『はずし』の世間論」 佐藤直樹・九州工業大学大学院教授著、今月発刊のPHP新書である。
 「『世間』は現在でも、少なくとも英語圏においては存在しない人的関係のあり方である」と、佐藤氏は述べる。「世間」──諸外国が瞠目する被災地の姿は、この日本独特の社会システムが生み出しているのではないか。
 中国の「幇(パン)」とは似て非なるものだ。中国には父系を縦軸にした血縁的つながりと、横軸としての「幇」がある。幇では強い連帯のもとに相互扶助がなされる。出身地に基づく郷幇と、同じ職業を軸にした業幇がある。華僑は名立たる幇であるし、三国志に登場する「桃園の義盟」は最も象徴的な「幇」だ。強い結束力と同等の排外性をもつ苛烈な集団主義である。司馬遼太郎は幇について、国家の庇護が望めない社会で身を守るための自衛手段であったと述べたことがある。『ゆるし』と『はずし』は似てなくもないが、起源も構造性も異質である。
 
 同書は近年解体したかにみえる「世間」が依然根強く残っていること、『ゆるし』と『はずし』の観点から犯罪について、別けても精神障害者(刑法39条の問題)と少年による犯罪(少年法の改定)、厳罰化への考察、ペナル・ポピュリズム、子どもたちに拡がる「プチ世間」、グローバリズム・新自由主義との葛藤などが論じられている。一読ならず再読、熟考に十分値する内容である。

 佐藤氏は大掴みに別けて、「世間」には4つのルールがあるという。
   ①贈与・互酬の関係
   ②身分制
   ③共通の時間意識
   ④呪術性

 噛み砕けば、①は貰ったら必ずお返しをすること。年賀状、中元、歳暮をはじめとする贈答文化である。②は他人との位置関係(特に上下)を常に計ること。年齢や肩書きへの拘り、複雑な敬語はここに来由する。③は今を共に生きる感覚。明日は我が身、他人事(ヒトゴト)ではないとする共生感。または同調を強いる圧力ともいえる。KYの所以だ。④は友引、仏滅にはじまる俗信、迷信の多さ。外来の体系的宗教を蚕食していった故俗、民俗の群だ。神仏混交をはじめ、「葬式仏教」しかり、1日クリスチャンの「クリスマス」しかりだ。各種の紙誌にはお定まりのように占いが載る。民族の古層に宿る呪術性のなせる業か。さらに②と③のギャップ(いわば、差別性と平等性の歪み)から「妬み」が生まれ、出る杭は打たれる。

〓〓日本人は「世間を離れては生きてはゆけない」と固く信じているから、「世間」から「はずされ」たら、蒸発するか死ぬしかなくなる。
 日本人は、ウチの集団から排除されないために、きわめて几帳面に沢山のルールを守っている。そのことで集団からの庇護を受け、「存在論的安心」を得ることができる。そうして犯罪防止の力を内面化することに成功している。日本で犯罪にはしる可能性がもっとも大きいのは、ヨソに排除されたときである。しかし日本人は、ウチ世界から排除されないようにつねに他人の視線を意識しているために、ヨソに排除されることは稀である。〓〓(上掲書より抄録。以下同じ)
 「存在論的安心」──これがキー・コンセプトである。秋葉原事件、その容疑者の発言が脳裏を過(ヨ)ぎる。「かまってほしくて(ネットに)書き込んだが、無視されたので見返そうとしてやった」……

 おもしろい例が引かれている。
〓〓アメリカでは、子どもが何か悪いことをしてしかる場合に、外出をさせないよと脅す。しかし日本では逆に、しかる場合に、家から外に締め出すよと脅す。これによって、日本人は家族のなかで、処罰とは、家族というウチ世界からの排除であることを学ぶのだという。「世間」論的にいって、日本の子どもが親に極端に依存しているのは、親と子の関係が、歳をとってもずっと親と子の関係のままであり、西欧のように個人と個人との関係にならないからである。それは親と子が、お互いに独立した個人の時間ではなく、いつまでも同じ時間を生きているという意味で、「世間」の「共通の時間意識」が作動しているということである。〓〓
 西欧では告解により「個人」が成立したが日本ではいまだ「個人」が不在だと、佐藤氏は指摘する。つまり神と直結することで「存在論的安心」が約束され、ほかの関係は二義的なものになった。しかし、日本にはそのような圧倒的に巨大な宗教がなかった。だから「個人」不在の中で、「世間」が「存在論的安心」を補完してきたということであろう。

 養老孟司氏の言を引こう。炯眼は同じ的を鋭く射貫く。
■ 西洋人のように「私」の単位が個人で、その個人というのは意識という部分であるという考え方は、日本人にはなかったように思います。自分固有の魂があって、それが身体に間借りをしているだけだというのは西洋的な考え方です。こういう考え方は日本の哲学者の書いた本には調べた限りでは見当たりませんでした。(「超バカの壁」新潮新書)
■ (日本の)世間で育って、「個人」、「個性」なんていわれると、「ウソつけ」と私は思っちゃうわけです。中国なら人を表すのに「人」という漢字ひとつで十分です。日本に入ると、それが「人間」になっちゃうんですからね。「人と人の間」、「人間」という表現は中国語では世間のことです。「間」は人じゃない。それは「世界の常識」でしょう。なのに、人をあえて「人間」にしちゃう。それが日本の世間です。ヒトと世間とが同じ言葉になっているって、「ものすごいこと」だと思いませんか。(「運のつき」マガジンハウス)
■ 戦後の日本の一つの特徴は、平和が六〇年続いた結果、その約束事だという感覚がなくなったことです。そして世間というのは、約束事の集合体だということもわからなくなってしまったのです。
 敗戦で日本がつぶれてしまったわけではなく、暗黙のルールは了解事項としてきちんと残ったわけです。そしてそうした明文化されていないルールのほうが、人間が共同生活をしていくうえではよほど実体に近いものであるはずなのです。
 アメリカや中国が原理的になるのは当然です。あれだけの大きな国になると、細かくルールを明文化して決めないといけない。ローカルのルールだけに任せたら、そもそもあんなに大きな規模の国は不自然だということがすぐにわかるはずです。(「養老訓」新潮社)
 「ヒトと世間とが同じ言葉になっているって、『ものすごいこと』だ」 蓋し、至言である。世間擦れしてはなるまいが、現に身を置く「世間」知らずでもなるまい。期せずして顕れ出でた日本人の美質。「世間」論から手繰るとよく見えるのではないか。これで世間が立つというものだ。

 3月20日、天声人語はこう結んだ。
「危機が深いほど反発力も大きいと信じ、被災者と肩を組もう。大戦の焼け野原から立ち上げたこの国をおいて、私たちに帰るべき場所はない。」
 締め括りの一言が胸を打つ。今こそ、「共通の時間意識」を活かす時だ。□


被災地に届け! 『元気の歌』

2011年03月15日 | エッセー

 手を抜いたと叱られるのを覚悟で、以前の本ブログを引く。
〓〓死に神の名刺
 だれにでも、忘れられない言葉がある。通奏低音のように脳裏を流れる言葉の群れがある。
 黒澤明監督「夢」の一場面 ―― 原子力発電所が爆発し、逃げまどう人々。種別に着色された放射能の霧が迫る中、原発技師が叫ぶ。「人間はアホだ。放射能の着色技術を開発したって、知らずに殺されるか、知って殺されるか、それだけだ。死に神に名刺をもらったってしょうがない!」
 放射能汚染の只中で、その種類や半減期が解ったところで何の解決になるというのか。それが人間の寿命を幾何級数的に上回ることを知っているだけで事は足りるだろう。いや、死に至る毒であると知っているだけで十分だ。なのに、『説明』しかできない科学の限界、無能。いな、科学の本質。知識と知恵の相克。
  死に神とは何か。核が死に神か。いや、ちがう。それでは宇宙は成立しない。原発そのものでもないだろう。核兵器か。それもちがう。火を使い始めた人類が地球をも燃やせる道具を手にした。火打ち石から核ミサイルへ。だれが作った。天から降ってきたのか。つまりは、人間のなかに潜む悪魔、魔性。これこそ死に神の正体なのか。諸悪の根源はいずかたにあるか。外にはない。人間を離れて、あろうはずがない。〓〓(06年4月22日付)
 『説明』さえたどたどしい関係機関。タームの連発では、こちらに伝わらない。現場では命懸けの苦闘が続いているはずだ。フロントのお前達は専門家ではなかったのか。分かりやすく説明できてこそプロフェッショナルだ。こんな時にこそ真価が問われる。高給を食む以上、それなりの働きをせよ。隔靴掻痒。会見とやらを聞くたびに、もどかしさと憤りが突き上げる。
 国内発電量の3割は原発である。世の大勢はその既成事実を前提に容認してきた。筆者もその一人だ。しかし圧倒的に悲惨な現実を前に、それは揺らぐ。「原発そのもの」が「死に神」ではないにせよ、化身、分身といって余りある。どこかの都知事(といっても、一人しかいないが)は、この震災を「天罰」と宣(ノタモ)うた。我欲に満ちた日本への鉄槌だ、と。センスどころか人格を疑う一言だが、敢えて使うなら原発に象徴される現代社会の有り様への超弩級の疑問符、オブジェクションではないか。世界全体に突き付けられた「天啓」ではないか。
 囂(カマビス)しい地球温暖化のうねりの中、ドイツなどでは脱原発路線に揺り戻しがみえる(つまり、原発回帰)。だが、再考が必要だ。作家の広瀬 隆氏は次のように訴える。(異論は多いが、インパクトのある主張にはちがいない)
■ 原子炉で生まれた熱エネルギーの三分の一しか電気にならないのである。大消費地から遙か遠方の地域に建設されてきたので、送電線によるエネルギー・ロスが大きく、〆めて70%のエネルギーを捨てている。最もエネルギー効率の悪い発電所である。温排水によって海に捨てられる熱量はどれぐらいになるだろうか。2010年7月現在、商業用原子炉五四基の合計で4911.2万キロワットの「電気出力」を持っている。その2倍の約1億キロワットの膨大な熱で海を加熱しているのが原発だということになる。この熱量を言い換えると、日本全体では毎日、広島に投下された原爆100個に相当する巨大な熱量で海を加熱しているのである。これで生態系が壊れないはずがない。■ (「二酸化炭素温暖化説の崩壊」集英社新書)

 14日、月曜日。ラジオから音楽が流れてきた。随分久しぶりのような気がした。当たり前の日常がどれほどありがたいものか。つくづく感じ入った。
 茂木健一郎氏は、その著「すべては音楽から生まれる」(PHP新書)で次のように語る。
■ 音楽はすごい。音楽には、かなわない。これが、物理学、法学、生物学、脳科学を研究してきた一人の男の、素直な気持ちである。
 生きながらにして、生まれ変わったような体験、それが音楽であり、音楽が生命哲学の根幹にかかわるジャンルと呼ばれる所以も、ここにあるのかもしれない。
 音楽は意味から自由であり、生命運動に近い。だから、私の音楽に対する関心は一貫して生命哲学と密接につながっている。おそらく、ニーチェが音楽に興味を持っていたのも、そういう理由からではないか。哲学者ニーチェは「音楽なしで〈生〉をとらえることはできない」と語った。■
 再度、かつてのブログを引きたい。
〓〓「午前中に・・・」
 4月15日新譜が出た。オリジナル・アルバムとしては実に6年振り。全10曲、すべて拓郎の作詞作曲である。「午前中に・・・」がそのタイトル。今月の5日が誕生日だったから、満63歳直後のリリースである。
   
    〽波がぶつかって くだけていくように
      それは人生という名の 旅だから  

      歩けるかい 歩こうネ
      歩けるかい 歩こうネ

   夜が明けて行く もうすぐ朝がくる
   それは人生という名の 旅だから
   
      歩こうか 歩けるネ
      歩こうか 歩けるね

   旅を続けながら 答えを探すのだ
   それは人生という名の 謎だから

   歩こうか 歩けるネ
      歩こうか 歩けるね

   君は立ちつくして とまどってはないか
   それは人生という名の 旅だから
  
   進めるかい 進もうネ
   進めるかい 進もうよ
 
   君と歩く道 まだ見ぬ遠い道
   それは世界で1つだけの 道だから
  
   歩けるかい 歩こうね
     歩けるかい 歩こうよ〽
      (「歩こうね」  作詞/作曲 吉田拓郎)

 アルバム2番目のこの曲を聴いた時、柄にもなく無性に込み上げてくるものがあった。
 いけない。拓郎の歌を聴いて涙するなんて、ファンにあるまじき所業だ。
 と、懸命に堪(コラエ)えた。

 わたしの中には勝手に決めた禁忌がある。 ―― 拓郎の歌を聴いて泣いてはいけない。ファンであるなら。 ―― という、極めて偏向した掟である。喜怒哀楽のうち、「哀」はない。哀音がないのである。勝手な解釈だが、吉田拓郎というミュージシャンの核心部分には乾いた南風が吹いている。けっして湿ってはいない。彼は鹿児島生まれだ。幼少年期は、厳格な薩摩隼人の古風を帯びた父親の元で送った。その古風が多分に南の風を呼び込んだのかもしれない。
 悲しい歌がないわけではない。しかし、哀しくはない。哀音に塗(マミ)れることはない。そのかわり、「喜」「怒」「楽」は溢れるほどある。それが拓郎の磁力だ、そう決め込んでいる。
 ある時、信頼する友人が「拓郎を聴くと元気が出る」と語った。わが意を得たり、である。一句満了である。鋭い感性に期せずして歓声を上げた。(失礼!) 言い古されたことだが、人は心に傷を負うと北へ向かう。演歌はほとんどが北を舞台にする。

 あまり傾けるとひっくり返りそうなので、少しだけ含蓄を傾ける。
 一説によると、「悲」とは心に刺さったトゲを抜いて軽くしてやることという。悲しい歌にカタルシスがあるのはこの事情に因るかもしれない。一方、「哀」とはあわれみ、悼み、不憫を感じるだけでベクトルは内に向くばかりだ。喪中、忌中の意も含む。悲とは似て非なるものである。「悲」が叶えば、「喜」も「楽」もすでに掌中にある。
 さすれば、この曲は「悲」の歌か。寄り添いつつ歩む。傍らで軽く支えつつ、静かに進む。押しはしない。前に回って引きもしない。ただ寄り添うのだ。問いかけつつ …… 。
 
 10曲いずれも逸品だが、点睛はこの曲だ。これに尽きる。〓〓(09年4月17日)
 「音楽はすごい。音楽には、かなわない」と茂木氏はいう。「音楽なしで〈生〉をとらえることはできない」とニーチェは語る。どちらも至言であり箴言だ。さらには、「拓郎を聴くと元気が出る」との畏友の卓見にあらためて敬服する。ならばこそ──

   「 歩 こ う ね 」

 この曲を東北の、関東の友垣に贈りたい。この歌を届けたい。届けたいが、著作権がありブログの機能に限りがある。ここに音楽ファイルを埋め込めないのが、なんとも口惜しい。だが、声を限りに叫ぼう。
 被災地に届け! 『元気の歌』□ 


2度目の復興へ

2011年03月13日 | エッセー

 午後3時前だった。最初にラジオで聞いた時、アナウンサーの読みちがいだと疑った。だが、何度も繰り返す。高さ6メートル、だと。ただならぬものを感じてテレビをつける。 
 釜石港を襲う津波をリアルタイムで見る。
 …………
 在京の子どもたち、親戚、友人。なかなか電話が繋がらない。なんとかメールで連絡を取る。みな、無事だ。
 倅は渋谷で帰宅難民となり、店舗を解放している喫茶店で一夜を明かす。東京も捨てたものではない。粋な計らいだ。娘はバイクで職場と行き来。仕事先の板橋区で小学校に非難し、帰りを諦めた友人。大渋滞に巻き込まれた友人。棚のものが散乱した都内の親戚。さまざまだが、ひとまずは安心。
 民放もコマーシャル抜きで報道。刻々と被害が判明していく。フジテレビは安藤優子以下、スタジオなのにヘルメットを被ってアナウンス。何かをアピールしたいのだろうが、おかしい。しかも阿弥陀被りだ。あご紐を締めると、発声が窮屈であろう。正確に伝えねばならないのだから、余計おかしい。過剰な演出だ。さすがに明くる日からは外していたが。
 次の日の午後、ローカル・ラジオが「津波の心配があります。絶対、海に潜らないでください」と伝えた。車で走行中、そう聞こえた。漁業関係者に「海に『戻』らないでください」と呼びかけたのかもしれない。ふと、前日のヘルメットとあご紐が甦った。
 風聞メールも飛び交っているらしい。こういう時は正式ルートの報道に信を置くべきだろう。だが、それが頼りない。11日夜から、テレビが福島原発の不具合を報じはじめた。今回の災害対策の急所にちがいない。メルト・ダウンが現実になりつつある。チェルノブイリ、スリーマイルの記憶が過(ヨ)ぎる。12日3時過ぎの爆発は何だったのか。3時間過ぎても掴めない。やっと開いた原子力安全保安院の記者会見、枝野の記者会見──遅い! 要領を得ない。肝心のことを言わない。言質を取られまいとするのか、言葉尻が法律用語のようだ。避難命令にしても、菅の発令が遅い。しかも小刻みだ。こんな時に、避難のしすぎはない! 発生直後に浮かんだ「こんな政権で、災害対処は大丈夫か?」という心配が的中せねばよいが。
 
 いまだ被害の全貌は明らかになってはいない。しかし前代未聞の大震災であることは確かだ。万人単位の安否不明者もいる。とりわけ津波の被害は酸鼻を極める。映像を見た印象は、自然災害というより『水爆』──である。戦時の航空機による爆撃を空爆というが、津波の海水による『水爆』である。『海爆』ともいえる。プレートの沈み込みによる地震である。陸地が沈み込み、地形が変わっているかもしれない。
 犠牲者には衷心よりお悔やみとお見舞いを申し上げたい。また救助が遅滞なく進むことを強く祈りたい。
 すでにこれは国難である。ならば一国を挙げて対処せねばならぬ。このような未曾有の災厄に偶会するのもただならぬ因縁だ。日本の歴史、いな人類史的課題への挑戦と捉えたい。
 60数年前、わが国は全国規模の「空爆」の灰燼から立ち上がった。約10年で復興は成った。今度は、2度目の『戦』後復興ともいえる。幸い前回とは違い、国の大半は無傷だ。経験もある。心が没しない限り、再起はできる。どっこい、日本は沈んではいない。□


町の衆(シ)も悪い

2011年03月10日 | エッセー

 ある町に、一人の靴職人がおった。腕が悪いので、注文がこない。商いはさっぱりじゃ。どうしたものかと考えあぐねて、なんと医者を始めたそうじゃ。
 口は達者だったらしく、言葉巧みに、あろうことかインチキ薬を売り始めた。
「この解毒剤は、どんな毒でもたちどころに消します。虫の毒、蛇の毒、食あたり、それに毒薬も平気。毒殺される心配はなくなります」と。
 するとどうじゃ。売れに売れた。町一番の有名人になってしもうた。
 ところがじゃ。ある時、本人が重い病気にかかってしもうた。
 話を聞いた町長は、
「なんの毒でも消せる解毒剤を作る医者が、病気になるのは変だぞ」
 と、疑いを起こした。一計を案じた町長は、彼の解毒剤に毒を混ぜるふりをわざと見せておいて、こう言った。
「褒美をつかわすから、これをみな飲んでみよ。その解毒剤が本物なら、飲めるはずじゃ」
 医者はついに観念して、
「お許しくだせー。実は、薬のことなど何も知りません。この解毒剤はインチキです」
 と、白状した。
 怒ったのは、だまされた町の衆(シ)じゃ。金を返せと、大勢押し寄せた。えらい騒動の中で、町長は皆にこう呼ばわった。
「悪いのはもちろん、元靴屋のインチキ医者だ。だがな、お前さんたちは、こいつを責めるより前に、自分を責めるべきではないのか。なにせ、足をあずける靴さえ注文しなかった靴職人に、一番大事なおのれの命をゆだねたんだからね」……


 イソップ童話「医者になった靴職人」である。遥かな古代ギリシャで込められた寓意は、歴史を超えさまざまに読み取れよう。寓話の妙だ。

 なんとも政権批判が囂(カマビス)しい。テレビも新聞も、マスコミ挙げての大合唱だ。だが、どうにも腑に落ちない。月夜の蟹を、そうともしらず持ち上げたのはどこの誰だったのか。いまさら干潟の鰯だとこき下ろしても、遅い。
「足をあずける靴さえ注文しなかった靴職人に、一番大事なおのれの命をゆだねた」のは誰か。
 選ばれた側の責任は問わねばならぬが、選んだ側の責任も同等に、否それ以上に重くはないか。所詮は人気取りのマスコミ諸氏は、揃ってそのことには口を噤む。考え及ばぬのか。小狡いのか。
 西洋の格言は、「結局、国民はそのレベルに合った政治しか持てない」と諭す。当今、「そのレベル」さえ下回っているとの声もある。いずれにせよ授業料は高くついたものの、「自分を責めるべき」時は今だ。せめて、ありもしない『万能解毒剤』につられて『インチキ医者』に掛かってしまう愚は避けたいものだ。□


春告草

2011年03月08日 | エッセー

 春告草とはいい名だ。
 はるつげぐさ──。梅の異名である。
 まだらな残雪のなかに、凛と咲く。季節の端境に、春の帷を遠慮がちにすこし押し開いて、すっと顔をだす。やがて来たる百花繚乱の先魁だ。
 
 春の絶頂には、桜花の御幸が列島をしずしずとすすむ。
 山野を染め、世を寿ぎ、征く先々でやんやの歓呼が沸く。
 そのころには、梅花は先陣から後詰(ゴヅメ)へ。身繕いを変え、ひたすらに初夏の完熟へ向かう。観賞から実利へ。もう一仕事、ある。

 奈良朝まで、花は梅であった。平安の中葉より、桜が花となった。同じ眷属とはいえ、華やぎは百花の王だ。だから梅は侍従か、近衛の兵か。いや、楚々たる居住まいにはこちらが似合いだ。
 
 食用と薬用。活路は多岐に亘る。古代中国では、塩とともに調味料に供された。「塩梅」の来由だ。
 年に十二万トン。林檎の一割強、意外に少ないというべきか。柄のわりに多いと評すべきか。列島の遠近(オチコチ)で、百種を数える果実が撓わに枝を揺する。

 中国音の「マイ」が「ンメ」と伝わり、「ムメ」から「ウメ」へ転訛したという。一文字が背負う遥けき歴史だ。
 梅干、梅酒、梅見、入梅、梅雨、松竹梅、梅擬、梅割、梅襲、梅暦、早梅、老梅、鶯宿梅、桜梅桃李……。
 群れなす熟語。古参ゆえの重畳たる縁係か。言の葉に古格が滲む。
 
 寒梅こそ、感に堪えない。季冬の風にそよぐ一輪に、春の風を予感する。冬枯れの景観に落とされた一点の薄紅(ウスベニ)に、爛漫の仄かな兆しをとらえる。洒落めくが、観梅の妙だ。

 芭蕉が詠めば、こうなる。

    梅が香に 
     のつと日の出る 
      山路哉

 「のつと」の凄みはどうだろう。名句は人をして須臾に山道へといざない、暁の陽光を全身に照射する。魁けるのは、やはり梅、梅香だ。

 祖父の名は梅の字を冠していた。当今、人名に草木の名を配することは稀だ。逝いてのち、四十星霜を超える。面影はとうに遠景に退いたが、この時季に「のつと」呼び寄せるのも悪くない。□


枝葉の問題

2011年03月05日 | エッセー

 テレビニュースの音声でその発言を耳にした時、「ん、おかしいぞ」と引っかかった。正確を期すため、ニュース・サイトに当たってみた。
〓〓枝野幸男官房長官は18日午前の会見で、民主党内の亀裂で菅直人首相の退陣論が浮上していることに関連して、憲法上・民主党規約上与えられた任期のなかで最大限の成果を挙げていくことが首相に課せられた任務だと述べ、総辞職や衆院解散・総選挙の可能性を否定した。
 民主党の一部衆議院議員が17日に会派離脱を表明したことで、2011年度予算・予算関連法案の年度内成立の行方が混とんとしている。予算関連法案の年度内成立は絶望的との声も野党からは聞かれ、菅首相の退陣論が内外から強まっている。 しかし枝野官房長官は「菅首相は憲法に基づいて残り2年半あまりの任期を与えられて仕事をしている。また、民主党代表としても1年半あまりの任期を与えられて仕事をしている」とし、「ルールに基づいて、与えられた任期のなかで最大限の成果を挙げていくことが憲法上も民主党規約上も菅首相・民主党代表に課せられている任務だ」と述べ、退陣論を否定した。〓〓(2011-2-18 asahi.com)
 「民主党代表としても1年半あまりの任期を与えられて」も、「民主党規約上も……民主党代表に課せられている任務」も問題はない。民主党の規約なぞ、どうでもいい。知ったことではない。愚にもつかぬ家内(ヤウチ)の決め事に一顧も一瞥もする謂れはない。
 引っかかったのは「菅首相は憲法に基づいて残り2年半あまりの任期を与えられて」の部分だ。この発言はトリックか、あるいはトラップか。筆者は運よく引っかかったのだが、視聴者の多くは引っかけられたのではないか。

 憲法のどこにも首相の任期を規定する文言はない。定められているのは、国会議員の任期である。
──日本国憲法 第45条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。
 
 さらに、首相はだれが選ぶのか。
──日本国憲法 第67条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。
 
 つまり議院内閣制の元で総理を選ぶ議員の任期こそが区切られ、かつ保証されているのである(解散のないかぎり)。決して総理の任期が議員任期同様に保証されているのではない。現に、今の議院では2人の首相が選出されている。

──日本国憲法第69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
──日本国憲法第70条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

 上記の2箇条以外では、任意の総辞職がある(第70条の「欠けたとき」に該当するという説もある)。これはアンバイくん以来習慣化している。なににせよ、「憲法に基づいて……任期を与えられて」いる根拠はどこにもない。よくもまあ、「憲法に基づいて」などと大仰に言えたものだ。こんな国民を侮った、無知を前提にしたような発言が許されるのか。弁護士出身を笠に着て、憲法を引き合いに出せば煙(ケム)に巻けるとでも高をくくったか。実に慇懃無礼ではないか。
 この寸足らずクンは小賢しいのか、頓馬なのか。鵺(ヌエ)のようだ。──再来年の夏まで、まだ「2年半あまり」衆院議員の任期はあります。民主党はせっかく掴んだ与党の地位を離したくはありません。だから憲法69条は発動されません。民主党代表の任期も来年の秋まであります。首相は任意の解散など真っ平御免。『市民』から這い上がって掴んだ権力の座。夫婦連れ立っての高級料亭、グルメ三昧が易々(ヤスヤス)と止まられましょうか。とことん政権にしがみつきます。なんと言われようと、別に憲法上おかしくはないでしょ!──と、つまりはこう言いたかったのだ。突っ込まれれば、きっとこの寸足らずは「舌足らずでした」と言うにちがいない。

 ついでだから糠に釘を打っておこう。
 このエダハ(枝葉)官房長官、過剰な敬語、丁寧語が気にかかる。度が過ぎて、「そんな言い方はないだろう」と耳に障ることが万度だ。前任者の轍を踏むまいと、余計な警戒をしているのか。
 一匹、二匹部屋に入り込んだハエがなかなか外に出ない。叩くのは面倒だし、汚い。どこを、どう飛ぶか。追うほど興味も暇もない。……そんな伝で、例示はしない。日毎の官房長官会見とやらを聞けばすぐに判る。
 しかし、これは『エダハ(枝葉)』の問題ではない。枝葉も多すぎると幹を覆ってしまう。何の木だか、見えなくなる。それは要注意だ。現に、今回の発言。もしや計算尽くか。ひょっとして、首相の任期は憲法上衆院議員任期と同期間保証されているから、退陣論に憲法上の正当性はないとの誤解を狙ったか。まんまとひっかけられるところだった。
 付言すれば、例はないが参議院議員でも首班指名は受けられる。また憲法第70条をこじつけて、衆院解散、総選挙後の初回国会まで首相の任期はあると強弁しても、それは能天気な見当外れに過ぎない。これは議院内閣制の手続きを定めたものであり、任期の定めとはいえない。いわば免許の更新手続きであり、免許の有効期限ではない。だから逆にいえば、衆院4年、参院6年の任期と首相の在位期間とは無関係である。国会議員であるならば任期に限りはないともいえる。ほとんど想定不能だが、多選の制約もない。繰り返すようだが、憲法に首相の任期に関する定めはないのだ。

 ともあれ、みなさん! 「気をつけよう 振り込め詐欺と 枝の(野)言の葉」 お粗末。□


「悲愴」を超えよ

2011年03月01日 | エッセー

 久しぶりに小説を読みたくなった。本屋の棚を物色すると、目線はどうしても浅田次郎氏の作品に行き着く。棚差しの文庫を端から端へ。まだ読んでいない長編に手が伸びる。なにげなくすっと取り出したのは、「日輪の遺産」であった。
 硬質なタイトルに戸惑いつつ、読み始める。
 何年ぶりだろう。止まらなくなってしまった。一夜(ヒトヨ)をはさんで一気に読まされた。目は疲れたが、心根を鷲掴みするような感動が突き上げてきた。
 生意気をいうと、作品としては粗い。
──いわゆる「若書き」である。このたび文庫版刊行にあたって、四年前の原稿を読み直せば、筆を加えたい部分はいくらもあった。
 センテンスの配分が悪く、文末の処理も稚拙である。そのほかにも、大きく改稿を施したい箇所はいくらでもあった──と、筆者も跋文で語っている。
 しかし「若書き」ならばこそ、プロットから言葉のあしらいの端々にいたるまで、この作品は後の大成を予感して余りある。かつ「きんぴか」「プリズンホテル」の只中で書かれている。巷間定まりつつあったピカレスク作家の高名から、新たな地平を拓くモニュメントともなった。
 平成五年、初版のあとがきにはこうある。

■今年はチャイコフスキーの没後百年にあたるということで、過年のモーツァルトと同様に多くのコンサートが催されている。中学生の娘と第六番「悲愴」を聴きに出かけたのは、本著の資料にうもれ、物語を組みあぐねていた春先のことであった。
 交響曲の最終楽章には、ふつう典雅で壮麗な音楽が配されるものだが、チャイコフスキーの第六番「悲愴」は、その題名のごとく暗鬱な、誠に救いがたいアダージョで終わる。弦は嘆き続け、やがて号泣し、絶望の淵に沈むように消えて行く。
 帰るみちみち、「どうしようもない終わり方ね」と、娘も嘆いた。第三楽章の勇壮なマーチとスケルツォに、ダグラス・マッカーサーの雄々しいイメージを描いていた私が、「どうしようもない終わり方」を思いついたのはそのときであった。十三歳の少女の横顔とともに、物語の構造は完結された。■(抜粋)

 「物語を組みあぐねていた春先」に突如射込んだ日輪の閃光こそ、「暗鬱な、誠に救いがたいアダージョで終わる」交響曲と「十三歳の少女の横顔」であった。
 十全に陽光を浴びた向日葵が大輪の華を拡げるように、たちまちに物語は開花を迎えたにちがいない。それは日輪の遺産であると同時に、浅田文学のレガシーともなる宿命を帯びて……。

 読み終えて、書店の表紙カバーを外した。帯に記された「2011年8月 映画公開」のコピーが飛び込んできた。気づかなかった。ふだん、帯なぞ気にもとめない。昨年から撮影が進んでいたそうだ。以下、角川書店(映画)のHPから。
〓〓1993年発表の「日輪の遺産」は、売上部数50万部を誇る根強い人気作にして、浅田自身が映像化を熱望し続けてきた。
 浅田作品の大ファンを自認する佐々部清もまた『半落ち』『出口のない海』といったヒット作・話題作を数多く手掛け、今や日本を代表する映画監督。これ以上望むべくもない強力タッグがついに実現!
 さらに主演は、『南極料理人』『ゴールデンスランバー』と出演作が立て続けにヒットし、いま最も勢いのある堺雅人。そして共演には、中村獅童、福士誠治、ユースケ・サンタマリア、八千草薫。
 わたしたちの国、未来を一途に想う日本人としてのプライド=矜持を、戦後60年以上を経た今、現代の日本人に問う、心揺さぶるエンターテインメント大作!〓〓
 などと引用すれば宣伝めくが、むしろわたしには因縁めく。

 映画事情に疎いとはいえ、映像化をつゆ知らず読んだ原作。五十万部の逸作を、なぜ今どき。それも憑かれたように、一息に。
 舞台の一つになった稲城市には、昨年畏友が越した。年末に年賀状の新しい住所にふと興味を覚え、地図でさんざ調べた。まさかデジャ・ヴュの下地づくりではないが、まったくの無縁の地でもあるまい。
 さらに要所となる日野村(現・日野市)では、友人が永い闘病生活を送っている。時々、忘れた頃に舞い込む彼からの手紙。罫線を無視した殴り書きの文字に、いつも苦笑する。彼が日野に行き着いたには少なからぬ事情があった。この物語でも似た位置づけだ。この地もまた縁係(ユカリガカ)りなしとはいえまい。
 最重要の場面となる旧陸軍多摩火工廠。わたしの住まう市域にも、ごくごく小規模とはいえ同類の施設があった。戦後永く閉ざされ、鬱蒼たる樹木が覆っていた。遠く黄ばんだ外壁を垣間見るたび、戦争がそこに取り残され凝(コゴ)っているようで薄気味悪くもあった。平成に入り再開発され、過去の残滓はなにもない近代的な街区に生まれ変わった。なにやら大団円の展開に似てなくもない。

 いずれも牽強附会の類だが、だからといって贔屓の引き倒しにはなるまい。筆の弾みに、斉東野語も記したい。
 この作品が世に出たのは九十三年。バブル崩壊と踵を接した「失われた10年」のとば口に当たる。戦後復興以来、初めて日本経済が蹉跌をきたした時期だ。行く手に暗雲が立ち籠め、人々の自信や誇りが潮(シオ)の引くように消え入りかけたころだ。日輪は輝きを失い、斜陽は疑いようもなく現(ウツツ)のものとなった。文庫化された九十七年は奈落の底ともいえる。「文庫版あとがき」に筆者は綴った。

■作家としての私の稀有な経歴は、おそらくこの先も、私に勇気を与えてくれると思う。できうる限り真摯に誠実に、この作家的使命を全うしたい。
 使命とは何であろう。
 作中の大仰な一節を借りるとするなら、こういうことであろうか。
<将軍の言う勇気という代物が、そのふしぎなくらい大きく感じられる掌から自分の体に流れこんだように、丹羽は思った。それはたちまちかがやかしい黄金に形を変えて、丹羽の胸をうずめうつくした。>
 もし読者の心に、これと同じ反応を多少なりとも起こすことができたのなら、「日輪の遺産」は稚拙なりに有意義な作品であったことになる。■

 「日輪の遺産」が何のメタファーであるか。それは読み人(ビト)により百態だ。しかし、この作家が高らかに掲げた「作家的使命」はただ一つ。奈落に沈みつつある同朋に「勇気という代物」を流しこむことだ。日輪の国に住まう友垣に「遺産」の在処(アリカ)を指し示すことだ。
 九十三年、発刊。つづく九十七年、文庫版。そして本年、映画化。いまこの国は百年に一度、いな二千年に一度(前稿を参照されたい)の危殆に瀕している。「浅田自身が映像化を熱望し続けてきた」ともいう。「作家的使命」の、三度目の挑戦にちがいなかろう。
 
 作中の「遺産」とは、直接的には「M資金(マッカーサー資金)」を指す。おそらく都市伝説に類するはなしではあろうが、実在を信ずる向きもある。これを騙った詐欺事件もあった。ともあれ敗戦後の奇跡的復興がはなしを裏書きしたといえる。その「伝説」を、筆者は実に巧みに「遺産」に仕立て直した。並な力量ではない。ストーリー・テラーの膂力に唸る。
 物語が閉じようとする間際、亡霊が語りかける。


 託された花の重みを海老沢は感じた。
「自信は、ありませんよ」
 海老沢は誰に言うともなく、独りごちた。
 すると群像の中から、粗末な国民服を着た男が一歩進み出て、痩せこけた顔に精いっぱいの微笑みをたたえながら、切実な甲高い声で、はっきりとこう言った。
「だいじょうぶだ。なにもこわがることはない」、と。

 
 「どうしようもない終わり方」をする物語に、雲居を割って日輪の閃光が射込まれた瞬間である。闇を蹴破って奈落に暁光が差し込んだ刹那である。
 「だいじょうぶだ。なにもこわがることはない」
 このひと言を刻するため、長い物語は編まれたともいえる。
 映画は別物といえばそうだが、筋書きはかなり変えられているようだ。換骨奪胎なのか。さて、どうだろう。
 楽しみに夏を待とう。□