伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

私的演歌考

2010年08月31日 | エッセー

 演歌とはなんだろう。ふと、考える。

   演歌。 演説の歌。
   艶歌。 艶物の歌。 
   怨歌。 怨嗟の歌。

  諸説ある。どれもその通りだ。しかし、わたしはこう仮説を立てた。

 ―― 歌を演ずる。

 それが演歌ではないか。
 歌うのではない。演ずるのだ。歌をドラマ化する。感情移入では、まだ浅い。歌中の人となる。それでこそプロだ。憑依すれば、すでに天才だ。巧いかどうか、美声か否か。それは前提でもあり、埒外でもある。歌唱能力は演技力の一部でしかない。アマを隔つ壁はそこに屹立する。

 自由民権運動抑圧の渦中に「演説歌」として生まれ、政治的主張や諷刺が託された。「オッペケペー節」が代表である。つまり、弁士の代わりを演歌師が担ったのだ。そこに源流がある。
〓〓「おふくろさん」はわたしの嫌いな歌の筆頭かもしれない。粘りつくような森進一の歌唱もさることながら、川内康範の詞がどうにもいけない。演歌一般にそうなのだが、情感をステロタイプにして押しつけてくるところが鼻持ちならないのだ。『大きなお世話』に、いつも苛立つ。(08年11月30日付「『おふくろさん』と『キャンユー セレブレイト」』から)
 一般に演歌は無理やり人をステロタイプな心情に鋳込もうとする。それで安心する人もいるが、個人的嗜好をいえば、その強引さが好きではない。(本年6月9日付「絵が描ける歌」から)〓〓
 本ブログに吐露した嫌悪感(押し付けがましさ、強引さ)は、演説という祖型に来由するのかもしれない。遡及すれば、そうなる。

 艶歌へのメタモルフォーゼは明治後期からだ。演説歌の鋳型に艶種を流し込むようになった。
 「よこはま・たそがれ」がある。昭和46年のビッグヒットだ。
 ―― よこはま  たそがれ  ホテル  小部屋  くちづけ  残り香  煙草  ブルース  口笛  女の涙  裏町  スナック  お酒  ゆきずり  嘘  気まぐれ男  あてない  恋歌  流しのギター  木枯らし  想い出  コート  あきらめ  夜明け  海鳴り  燈台  かもめ ――
 歌詞は演歌の常套句の羅列だ。最小限の助詞だけで繋がれた言葉の堵列、櫛比であり、センテンスをなさない。出て来ないのは雨と雪ぐらいだが、「木枯らし」と「コート」が連想させなくもない。
 そしてサビが
  〽あの人は 行って行ってしまった
   あの人は 行って行ってしまった
   もう帰らない〽
 と「別れ」がきて、大団円となる。至れり尽くせり、なにもいうことはない。山口洋子が詩を書き、曲は平尾昌晃、五木ひろしが再デビューを賭けて歌った。
 「ステロタイプ」を見事に逆手にとった名曲である。艶歌、ここに極まれりである。

 添田 唖蝉坊(ソエダ アゼンボウ)。明治中期から昭和前期にかけて名を馳せた演歌師である。『ラッパ節』が名高い。60年代、高田渡、加川良、高石ともやなどが、本邦フォークソングの元祖としてさかんに取り上げた。いわゆるプロテスト・ソング、怨歌の系譜であろう。90年代には、一部のロック・バンドも唖蝉坊の曲をカバーしている。

 話を戻そう。―― 歌を演ずる ―― についてだ。
 美空ひばりの有無をいわせ
ぬ天才とは何だろう。すなわち、演ずる力だ。天稟などという生半なものではない。あの圧倒的な感動は、巫女の憑依に応ずる群衆の共振ではなかったか。かんなぎの告げる言霊が日本人の古層を刺激したにちがいない。でなければ、あれほど人びとの琴線を掻き毟(ムシ)りはしなかったろう。
 岡林信康や小椋佳が彼女に楽曲をトリビュートしたのは、異なるジャンル同士のコラボレーションなどという陳腐な目的ではない。自らの地上の苦吟を、巫女の託宣に委ねたにちがいない。まさに、「愛 燦々と この身に降って……」である。

 仮説は、そんなところだ。斉東野人の語と捨て置いていただきたい。□


「終わらない」もの 2題

2010年08月26日 | エッセー

 この夏、不刊の書にふたつ巡り会えた。
 ひとつは、浅田 次郎著「終わらざる夏」。
 この作品については、すでに触れた。(7月18日付「炎陽の一書」)付け加えれば、以下の記事だ。
●9月2日は「第2次大戦終結の記念日」 ロシア下院可決
 【モスクワ=副島英樹】ロシア下院は7日、日本が1945年に第2次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を大戦終結の記念日とする法改正案を可決した。北方領土の実効支配は第2次大戦の結果だと主張するロシア側が、戦勝を強調することで領土問題の足場を固め、日本を牽制する狙いがあるとみられる。
 イタル・タス通信によると、法案を提出したザバルジン下院国防委員長は「9月2日の記念日は、祖国と反ヒトラー連合国のために自己犠牲と英雄的精神、忠誠を示した同国人たちの記憶の印だ」と強調した。
 ロシアでは毎年5月9日を対ナチス・ドイツ戦勝記念日として大々的に祝っている。特に今年は戦後65周年にあたるため、メドベージェフ政権は第2次大戦がファシズム阻止の正義の戦争だったことを強調するキャンペーンを展開。対日戦勝記念日は、北方領土を管轄するサハリン州が以前から制定を求めてきた。(朝日 7月8日)
 となれば、『占守島』は『夏』の盛りだったことになる。図らずも「終わらざる夏」を裏書きすることになるが、なんとも露骨な政治的意図ではないか。65年くらいでは、歴史は依然として生臭いのであろう。なにせ、北方四島も店晒しのままだ。
 さて、もうひとつの「終わらない」もの。それは、

 田家 秀樹著「吉田拓郎 終わりなき日々」角川書店 本年6月発刊

 である。
 インタビューを軸にして構成されたドキュメントで、500頁弱に及ぶ大部の著作である。世に『拓郎本』は数多いが(日本のミュージシャンとしては恐らく最多であろう)、これほど対象と物理的に近いものは他に例を見ない(中身も群を抜く)。まさに、謦咳に接しつつ認(シタタ)めた生き証人の記録であり、証言だ。(著者は音楽評論家、音楽番組パーソナリティー。拓郎とは同い年で、ただ一人同行取材を許された作家でもある)
 75年8月の「つま恋」と96年4月を織り込みつつ、04年4月13日から09年12月5日に至る激浪が活写される。(日付までは不要のようだが、実は重い意味がある)
 なにより、我が意を得たりと膝を打ったインタビューを紹介せねばなるまい。そう、手前味噌である。我田引水、自画自賛である。味噌は自家製に限るし、水を引かねば我が田が干上がる。だれも誉めねば、縋(スガ)るは己のみだ。

 ―― (昨年リリースされたアルバム「午前中に・・・」の製作について)最後に『歩こうね』という曲をレコーディングしてる頃に“できたな”っていう手応えがあったね。あの曲ができたときに、このアルバムは悪くないっていう確信が持てた。こういう歌を自分で書けるんだな、こういうことを自分でやれる自分がコンディション的にいいなと思っていて、このアルバムは悪くないっていう風に思えた。あの時は『フキの唄』に対してのお褒めの言葉もそんなにまだ多くなくて、これがいいアルバムとして残るのか不安なことも多かったんだけど、『歩こうね』で悪くないと。これでこのアルバムは締まったと思いましたね。 ――
 「我が意」とは、
〓〓これほど見事な年相応の曲(「歩こうね」)を知らない。あっぱれと言うほかない。たいがいの凡庸は年不相応を衒う。だから転ぶ。かつ死線を越えた大病の経験が裏打ちされている。泣くなというのが無理だ。ある種の禁じ手ともいえる。
「拓郎さん、それはないよ」
 手にしたジャケットに、そう呟いた。10曲いずれも逸品だが、点睛はこの曲だ。これに尽きる。〓〓(昨年4月17日付本ブログ「午前中に・・・」より)
である。
 「これでこのアルバムは締まった」とは、まさに「点睛」ではないか。聴き漏らしてはいなかったと、エヘン、プイプイ、低い鼻を精一杯高くした。

 ―― インタビューをしても、どうしても中津川で「人間なんて」を2時間とか、つま恋で6万人オールナイトとか、そんな話ばっかりになる。フォーライフレコードを作ったとか。そういうのは、もちろん僕の人生の中にあったことではあるけれども、それは音楽人・吉田拓郎というか、ミュージシャン・吉田拓郎としては、その付録みたいなものであって、なにしろ40年間歌い続けたっていうこと、40年間、新曲を作り続けてきているんだということだけが僕の財産だと思っているから。 ――
 40年間「ミュージシャン・吉田拓郎」であり続けたことこそが、「僕の財産」なのだ。イベンター・吉田拓郎は「付録」に過ぎない。吐露されるこの真情をしっかりと受け止めたい。誇りを持って。
 彼が還暦を迎えたころ、本ブログにこう書いた。
〓〓「たくろうは私の青春そのものです」という人がいる。しかし、それはちがう。簡単に懐メロにしないでほしい。声を大にして言いたい。「たくろうは今そのものです!」と。バリバリの現役である。苔むした曲で食いつないでいる懐メロ歌手ではない。下世話な話になるが、彼は昨年、高額納税者番付にランクインされた。小生の記憶では、はじめてである。「今の人」以外の何者でもなかろう。たくろうに取り残された人にとっては「青春そのもの」かも知れないが……。〓〓(06年4月26日「赤いちゃんちゃんこ」より)
 通じ合う旋律が心地よい。(これも、牽強附会、独尊の類だが)

 この書の白眉は、著者による以下の述懐である。
〓〓図らずも時代の寵児に押し出されてしまった偶然と、そうやって浴びた脚光を更に強烈な乱反射で返してしまった彼自身の存在感。「30(歳)以上は信じるな」と公言していた若者が目の敵にされないはずがなかった。
 そんな話は、“フォークの貴公子”になってから、コンサートで“帰れコール”を浴びたことに変わって行く。彼を送り出す背景となり本来味方であるはずの“フォークファン”から罵声を浴びるという経験も彼だけだろう。
 もし、彼が人並み程度の才能の持ち主だったとしたら、その両方の力で真っ先に抹殺されていたことは間違いない。
〓〓

 「早送りのビデオ」から話は跳んだ。
 ―― 20歳過ぎに東京へ来て、東京っていう文化とのある種の戦いだったんですよ、僕は。それは誰も経験していないと思う。僕にとっては孤独な戦争があった。
 目が覚めたら今日一日の戦争がはじまってるみたいな毎日なわけ。いくところには必ず敵がいるわけでしょ。テレビ局とかラジオ局とかレコードメーカーとかメディア、マスコミ、雑誌すべてが敵ですからね、あの時代の僕には。毎日新しい敵がいる。そんなことを一年中やってたんですから、そりゃ早送りになりますよね。 ――
 打ち続く連戦を超えて、ついに病魔との戦い。満身創痍で迎えた09年12月5日。台本にないクライマックスが闖入し、不本意なピリオドが打たれる。そして、「終わりなき日々」がはじまった。

 印象的なコメントがある。
 ―― 病気というのは、明らかに色んな事を命令してますよ。あれをこうしろとか、こうすべきだとか。おそらく、これは病気以外に俺に教えてくれる人はいなかったと思いますよ。吉田拓郎は、生涯誰にも説教されずにこのまま終わるんだという気分で行きそうなところがあったと思うんだけど、この病気は、先生としては、すごい先生だからね。この人の言うことだけは聞かなくちゃという感じになりますよね。 ――
 彼は「世界一の弱虫」と、病中の自らを評した。冗句ではなく、素のままを語っている。とてもいい話ではないか。身につまされる。

 炎陽に逢着した不刊の書、ふたつ。片や「終わらない」不条理な戦争が記され、片や「終わらない」ミュージシャンの旅が綴られる。ことしの熱暑以上にガツンときた。□


ヨロンとセロン

2010年08月24日 | エッセー

 新潮選書「輿論と世論」に詳しいが、佐藤卓己氏(京都大学大学院准教授、メディア文化論が専門)の論考は出色である。病巣を割り出す透視線であり、腑分けする鋭利な刃のようだ。
 要旨は以下の通りである。

①戦前はヨロンは輿論。セロンは世論と書き分けていた。輿論はパブリック オピニオン、世論はポピュラー センチメンツといえる。輿論は理性的討議による合意、真偽をめぐる公的関心で、世論は情緒的参加による共感、美醜をめぐる私的心情である。
②輿論は規範的で、世論は実態的である。輿論ではあるべき建前が、世論では本音の部分が中心になる。だが建前がなく、本音だけでは社会は殺伐としたものになっていく。政治でも本音の世論だけではなくて、輿論という規範が必要である。
③テレビのような映像媒体は建前より本音をストレートに映すので、ポピュラー センチメンツを、つまり世論を表現しやすい媒体である。
④今の日本の政治体制は世論調査の結果が、政治あるいは政局にストレートに反映するシステムになっている。アメリカや韓国の大統領制であれば、4年なり5年なりの任期で守られており、当然、世論の支持率が一時期下がっても自分の長期的な政策を展開できる。だが日本の場合、内閣支持率が20%を切ると、与党の中でまず造反が起きて、議会運営が立ちゆかなくなり、不信任決議が出る。だから日本で世論調査が政局に連動するようなシステムになっているのは、まずは制度設計上の問題がある。
⑤世論調査に答える普通の生活人は、周囲の世間話、昨日、今日のニュースやワイドショーでどう報じられていたかという、まさに空気を読んで答えているだけでである。自分でよく考えた反応ではない。
⑥一定の時間に耐えられるかどうかが輿論を世論と分かつ。輿論は公に議論して作られる意見だから、時間がかかることは前提であった。そうして熟議され、合意を得た多数意見である輿論が、1、2週間でころころ変わるはずはない。だからころころ変わる内閣支持率というのは、そもそも輿論だとはいえない。
⑦世論(せろん)調査自体を否定するのではない。空気をはかる科学であることは間違いない。統計学的な意味も重要だ。だから世論を前提にどういう輿論を我々は組み立てていくかということの参考にするために世論調査を繰り返すのであれば、それもいい。ただ、実際には調査結果をいわゆる「ニュース」として扱うということに主眼が置かれていることが問題だ。世論調査から政治の議論がスタートしなければいけないのに、気分しか数量化していない世論(よろん)調査によって政治が動かされていることが非常に問題である。
⑧世論調査とは、体温を測るようなもの。だからそんなに頻繁に測る必要があるとすれば、議会政治は病気だということになる。輿論調査は国民投票の模擬投票のような発想で始まったものである。国民投票を日々繰り返すなら、議会は不要になる。世論調査の過剰な頻度は議会政治への不信表明ではないか。

 輿論と世論、両者の混同、混用が災いを呼んだ。つまりは、空気(=世論)を読むだけではいけない。熟議によって公的意見(=輿論)に集約していかなくてはならないということだ。極めて闡明な論旨だ。目から鱗ともいえよう。蒙を啓いて余りある。

 ①②は白眉だ。字引によれば ――
 【世論】せろん・せいろん。世間一般の論。
 【輿論】よろん。社会大衆に共通な意見。 ―― とある。
 中江兆民は、「輿論とは輿人の論と云ふ事にて大勢の人の考と云ふも同じ事なり」と述べた。「考」に注目したい。(センチメンツではない)
 明治となって「入欧」した際、先人達は丹念に言葉を創り選り分けてくれた。乳飲み子のような国を背負い、将来を期して刻苦してくれた。しかし敗戦の後、英語国語化の暴論まで飛び交う中で数多くの文化的功績が潰えていった。その一つがこれであろう。(戦後の漢字制限により、「輿論」の代わりに「世論」が用いられるようになった)
 【輿】とは「ヨ・こし・くるま・の-せる・おお-い」と読む。「御輿」「輿入れ」は馴染みの言葉だ。輿論という場合、輿は「おお-い」=「多い(衆)」の謂だ。字画が煩雑だと、「世」の音(=ヨ)だけを借りたのか。この手抜きがあらぬボタンの掛け違いを引き起こしたらしい。

 ③⑤に関しては、07年2月12日付本ブログ「うへぇー! 世の中、ゴミだらけ!!」で、「『社会調査』のウソ」(谷岡一郎 著<大阪商業大学学長> 00年 文春新書)を取り上げた。今もって新鮮なイシューである。
〓〓本書の論点は、次の五点に要約できる。
1.世の中のいわゆる「社会調査」は過半数がゴミである。
2.始末が悪いことに、ゴミは(引用されたり参考にされたりして)新たなゴミを生み、さらに増殖を続ける。
3.ゴミが作られる理由はいろいろあり、調査のすべてのプロセスにわたる。
4.ゴミを作らないための正しい方法論を学ぶ必要がある。
5.ゴミを見分ける方法(リサーチ・リテラシー)を学ぶことが大事だ。〓〓(上記ブログから)
 
 問題は④である。かつ⑥⑦⑧だ。
 「日本で世論調査が政局に連動するようなシステムになっているのは、まずは制度設計上の問題がある。」「世論(よろん)調査によって政治が動かされていることが非常に問題である。」
 いつからこうなったのか。おそらくは93年、<1強(自民) VS その他 弱 多数>の勢力図が崩れてからであろう。例外的に小泉政権が長命に至ったのは、ポピュラー センチメンツ(=世論)に巧みだったからだ。加えて、本邦初の劇場型政治を演じてみせたからだ。なんとも皮肉な話である。
 「制度設計上の問題」とは、つまるところ憲法にまで行き着く。となると、これは相当に大きな絵を描かねばなるまい。はたして任に堪え得る政治家がいるか。はなはだ心許ない。

 学者(曲学阿世の徒を除く)とはありがたいものだ。常人には届かぬ高みから俯瞰し、及ばぬ深みを凝視して核心を剔抉してくれる。活かすか否か、あとはこちらだ。□


なにかの拍子のプレーバック

2010年08月22日 | エッセー

 古びた物言いだが、青春の汗か。
 やはり、面映ゆい。高校を卒業して間もなくだったか、同窓の男女数人で山に登った。
 聳えるといえば大袈裟だが、大きな山脈が天地を領しつつやがて力尽き、海に墜ちる。その際(キワ)で、鯉の一跳ねのように盛り上がった山塊である。人目を引くほどの山容ではないが、いにしえの歌人が相聞に詠み込んだ故事をもつ。
 這うようにして頂上に至り、見霽かした街並みと山々、遠景にのたり横たわる海。さて下りようとして、最後尾から見た皆の後ろ姿。その一齣が、なにかの拍子にリフレインする。

 みなの注意を引くためか。蟷螂に指を挟ませたまま、椅子の上に立ち上がり腕を振り回した。小学校に入った間際だった。意味のない自己主張であったろう。子どもたちが取り巻いて囃し立てる。その情景が一齣となって、なにかの拍子に甦る。
 小学一年生といえば、一気にテリトリーが広がり日常が激変する時だ。不安と期待が綯い混ぜになって、そうした奇行を呼んだのであろう。

 少年のある夏、隣の家(ウチ)に遠方から親戚がやってきた。同年配の男の子がいる。興味は募る。恐る恐る話しかけてみた。よし、今晩、花火を見に行こう。道々、聞く異郷のはなし。暗がりの中で、見物席を探す。手をつないだふたりのその一瞬のたじろぎ。打ち上がった煙火に照らし出された河岸に蝟集する人びと。その須臾の間(マ)のシルエットが一齣となって、なにかの拍子にフラッシュバックする。

 挙げればかなりある。そう、なにかの拍子にだ。前後の記憶はきれいに飛んでいる。切れ切れの人生の一齣。脈絡のないワンカット。乾坤一擲などでは毛頭なく、切所でもなく、日常のごくわずかな起伏にしか過ぎなかったのに、なぜか古層に沈殿するワンシーン。しかも決まって自分もその中に写し込まれている。わが目で見た光景なのに、カメラ・ポジションは別にある。
 まさか、デジャビュではあるまい。時間の向きが逆さまだ。では、寄り寄りの気分に合わせて記憶の断片をピックアップしているのだろうか。それもおかしい。だって、いつも同じカットだ。記憶に箱があるとすれば、収まりづらいかたちなのか。蔵(シマ)っておくほどでもなく、ついそこらに散らしたままになってきたのか。
 ともあれ、わが事ながら解析は難儀だ。いや、他人(ヒト)にもあるはずだ。でなければ、筆者は奇人に別けられてしまう。

 一生といえども、起居にある瑣事の連鎖だ。とはいえバイアスが掛かり、時折のアクセントは付く。ならば明滅する齣の数々は、五線の音符は消えたのに、消し忘れたアクセント記号、演奏記号の残滓であろうか。

 吉田拓郎は、「早送りのビデオ」と題して来し方を綴った。(行く末に反転するところが、なんとも頼もしく誇らしいのだが)


  〽数え切れない 後悔と
   たどり着けない 旅のまま
   おさえきれない ジレンマと
   行方知れない 旅のまま

   つかめそうだが つかめない
   あの場所までは まだ遠い
   風のようには なれないし
   夢のままでは はかないし

   つまづいたって いいんだし
   やり直しも 出来るんだし
   これから先が 大事だと
   すべてここから 始まると

   僕の人生は 早送りのビデオみたい
   次へ 次へと 急いで進むだけだった
   僕の人生は 昔から変わることなく
   次へ 次へと 早送りのビデオみたい〽 (抄録)

 
 ひょっとしたら、早送りの時に齣落としされたカットかもしれない。あのなにかの拍子のプレーバックは。 □


破倫か

2010年08月17日 | エッセー

●「金に困っている」浜田幸一容疑者の地元評判
 あのハマコーが、逮捕された。千葉県警に10日、背任容疑で逮捕された浜田幸一容疑者(81)は、全国的に顔を知られ、地元での人気も根強い。しかし一方で、「金に困っている」といううわさもつきまとう。「地元が育てたヒーローだったが、普通の論理とは違う人」。地元では、そう指摘する声も上がった。
 1993年に政界を引退してからも知名度は高く、地元での人気は抜群だった。 昨夏の衆院選で靖一氏の応援に駆けつけた際には、「不良からヤクザになり、ヤクザから青年団長になり、県会に出、衆院議員に当選」と緩急をつけた話で笑わせた。一方で、最後には髪を振り乱し、駅頭で土下座しながら、「息子のためになにとぞ1人30票を」と鬼気迫る表情も見せた。(朝日 8月11日)

 これが第一報である。事件の詳細は省く。この稿では、中身は問題の外だ。問題はこれ以降のメディア・スクランブルである。特にテレビメディアは酷い。掌を返した一斉攻撃、袋叩きである。もっと冷静に伝えられないものか。掘り下げるというなら、対象は他にいくらでもある。ないというなら、テストパターンにBGMでも流せばいい。世界各地の勝景なら、気が利いてなおいい。もちろん持ちつ持たれつではあったにせよ(ならばなおさら)、今の今までいいように使い、さんざ視聴率を稼がせてもらっておきながら、水に落ちた犬を打つ。恥ずかしくはないのだろうか。
 ハマコーに肩入れする気は毫もない。政治家とは名ばかりの、パフォーマンスとブラフだけの単なる目立ちたがり屋、せいぜい政界の賑やかしでしかなかったのは百も承知だ。その上で、なおかつマスコミの騒ぎようには合点がいかぬ。すでに犯罪者扱いである。呼び名に「容疑者」と付けはするものの、推定無罪という大原則をかなぐり捨てたに等しい報道ぶりである。
 もしもこのマスコミの対応がひとりの人間の所業ならば、信義に悖ることが明確で自制も働くであろう。だが文字通り「マス」となると、群れに紛れて罵詈雑言の限りを尽くす。報道に名を借りた集団リンチに等しい。法には触れずとも、倫理に悖るのではないか。悖る先では、倫理が破れる。


 俺はしばしば、司令部の健康な兵を連れてある任務についていた。ジャングルを歩き回って破倫を働く兵を発見したらその場で処断するのだ。
 破倫。倫理を破る、と書く。若い参謀の任務としてはうってつけだ。つまり、遊兵化して人道に悖る行いをしている兵を、銃殺して回る。破倫とはすなわち、友軍の兵を殺して食う行為のことだ。


 浅田次郎著「雪鰻」の一節である。(短編集「月島慕情」に収録)実話にもとづくそうだ。なんとも背筋の凍(コゴ)える話だ。
 奇想の癖(ヘキ)には違いないが、「遊兵化して」「友軍の兵を殺して食う行為」とはいかにもメタファー染みてはこないか。かといって、「銃殺して回る」わけにはいかぬ。打っ棄っておくに如くはない。 □


『心尻』を捕らえる

2010年08月12日 | エッセー

 これではハトもカンも同じではないか。双方ともホントにお調子者だ。カンはハトより増しだろうとあらぬ期待を寄せてみたが、やっぱりあカン。あの間の抜けた、聞くだに不快になる寝ぼけ声で言わでもの与太を飛ばしちまった。

●菅首相が広島で会見「核抑止力は引き続き必要」
 菅首相は6日午前、広島市内のホテルで記者会見し、同市の秋葉忠利市長が平和宣言で「核の傘」からの離脱を求めたことについて、「国際社会では核戦力を含む大規模な軍事力が存在し、大量破壊兵器の拡散という現実もある。不透明・不確実な要素が存在する中では、核抑止力はわが国にとって引き続き必要だ」と述べ、否定的な考えを示した。(読売)

 平和祈念式典で随分と張り切った挨拶をした直後である。足して引いたのではゼロサムどころか、本音を見透かされた分、結局はマイナスだけが残る。政治家として二流、三流なのは知れ切っていたが、これでは雑魚、釣りでいうなら外道に等しい。
 比するに、潘基文国連事務総長の過不足なき発言と、初めて参加したルース駐日米大使の寡黙は殊に印象深かった。事務総長は韓国人被爆者の看過できない現実を封印し、立場を外さなかった。米大使は原爆投下の国是を封印し、参加することだけに幾多の意味 ―― 米国内世論の瀬踏みとオバマ訪問の地均しなど ―― を持たせた。これが政治家のすることだ。広島くんだりまで出張(デバ)って、口軽、尻軽を晒すのが政治家ではない。政治屋でも、まだ言葉が勿体ない。

 達引ついでに、本ブログを遡ってみたい。(抜粋)
〓〓2009年5月の出来事から(09年月6日3付)
●核不拡散条約(NPT)再検討会議準備会合
 米国が核軍縮に転じたことを歓迎(4~15日)
 ―― 4月5日、オバマ大統領は、プラハで歴史的演説を行った。骨子は次の4点。
 ① 米口核軍縮の推進と核不拡散条約(NPT)の強化
 ② 核兵器のない世界を目指す
 ③ 包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効
 ④ 唯一の核使用国としての道義的責任
 歴史的なのは④だ。「使用した側」の道義的責任に言及したアメリカ大統領は史上初だ。「核のない世界を目指す」、「核ゼロ」宣言である。
 伏流水ともいうべきものは07年にあった。この年1月、「ウォールストリート・ジャーナル」にキッシンジャー、ペリー両元国務長官ら共和・民主両党の長老政治家4人が、「核兵器のない世界へ」と題する論文を寄稿した。核抑止論は時代遅れであり、危険で非能率だと指摘。別けてもテロ集団には抑止論は無効であり、アメリカこそが核兵器廃絶を主導すべきだとした。すぐに、マクナマラ元国防長官などが強い賛意を表した。いずれもかつての抑止論の主役たちである。
 背景には、軍事技術の進展でハイテクを使った通常兵器の抑止力が飛躍的に上がり、核兵器のプレゼンスが劇的に薄れたという形而下的事情がある。だがそのような身も蓋もない見方は、① ③ のとてつもない至難さを考えた時、余りに皮相的との譏りを免れまい。
 将来の歴史書に「2009年4月5日」がゴシック表記され、ターニング・ポイントだったと解説されることを切に希う。もちろん併記される「バラク・フセイン・オバマ・ジュニア」も特大ゴシックで。〓〓
 つまり世界の大勢といって大袈裟なら、少なくとも世界のトップ・オピニオンは「核抑止論は時代遅れであり、危険で非能率だ」という域に達している。それをよりによって被爆国の代表がわざわざ時計の針を戻すことはあるまい。市民派出身が聞いて呆れる。守旧派のアナクロニズムにお追従でもするつもりかしらん。見舞いに行って、病室を出たとたんアッカンベーをしているに等しい。もっと小利口な物言いがありはしないか。
 なにも言葉尻を論(アゲツラ)っているのではない。『心尻』を問題にしているのだ。この人物の心を領しているものは何なのか。心根に据わるなにものかが心尻に滲み、言葉尻に纏わる。かつ一国の舵取だ。だから、拘る。
 さらに、口軽はつづいた。

●長崎の被爆者団体、首相の「核抑止力は必要」発言に抗議
 長崎市で9日に開かれた平和祈念式典の後、地元の被爆者5団体は市内のホテルで菅直人首相と面会し、菅首相が6日に広島で「核抑止力は必要」と発言したことに対し、「発言を取り消してもらいたい」などと要望した。菅首相は「人間がつくってしまった核兵器をいかにしてなくすことができるか、との思いを持ってきた。核抑止力が必要のない世界を作っていきたい」と答えた。(朝日)

 「核抑止力が必要のない世界を作っていきたい」これが、論客と持ち上げられてきた人物の正体である。発言取り消しを求められての回答がこれである。「理論家」が嗤わせる。答えになっていない。はぐらかして煙(ケム)に巻いただけだ。ましてや、被爆者の心情に寄り添おうなどという気遣いは毛筋ほどもない。
 「世界を作ってい」くのは世界の市民だ。世界の趨勢も心得ないキミのような井蛙(セイア)が「作っていきたい」とは、片腹痛い。申し訳ないが、そんな大言を発する力も資格もキミにはない。被爆者の矢も盾もたまらぬ訴えを弄ぶがごとき「政治的」発言は到底許し難い。ダムの建設中止や、予算の陳情ではない。事はダモクレスの剣である。もっともっと真摯な受け答えをすべきではないか。否というなら、堂々と意のあるところを開陳すればいい。
 被爆の悲惨を五体に刻み込む人たちだ。わが身を人類が犯した愚行のスペシメンとして供するを厭わぬ勇者たちだ。呪詛を平和の叫びに替え、サタンとのあくなき戦いに挑む先駆者たちだ。お調子者でつい口が滑った、では済まない。返す言葉がないのなら、その場に突っ伏したらよかろう。被爆者の掌を取って押し戴いたらどうだ。なにも語るな。語ればぼろが出る。

 拙稿をもう一つ。
〓〓死に神の名刺(06年4月22日付)
 だれにでも、忘れられない言葉がある。通奏低音のように脳裏を流れる言葉の群れがある。
 黒澤明監督「夢」の一場面 ―― 原子力発電所が爆発し、逃げまどう人々。種別に着色された放射能の霧が迫る中、原発技師が叫ぶ。「人間はアホだ。放射能の着色技術を開発したって、知らずに殺されるか、知って殺されるか、それだけだ。死に神に名刺をもらったってしょうがない!」
 放射能汚染の只中で、その種類や半減期が解ったところで何の解決になるというのか。それが人間の寿命を幾何級数的に上回ることを知っているだけで事は足りるだろう。いや、死に至る毒であると知っているだけで十分だ。なのに、『説明』しかできない科学の限界、無能。いな、科学の本質。知識と知恵の相克。
  死に神とは何か。核が死に神か。いや、ちがう。それでは宇宙は成立しない。原発そのものでもないだろう。核兵器か。それもちがう。火を使い始めた人類が地球をも燃やせる道具を手にした。火打ち石から核ミサイルへ。だれが作った。天から降ってきたのか。つまりは、人間のなかに潜む悪魔、魔性。これこそ死に神の正体なのか。諸悪の根源はいずかたにあるか。外にはない。人間を離れて、あろうはずがない。〓〓
 放射能に色を着けても後の祭りだが、永田町のお化け屋敷の妖怪どもには効果大かもしれない。トリアージに倣って、黒・赤・黄・緑の4色だ。 ―― 蛇足ながら順に、死亡・最優先治療・待機的治療・保留を意味する ―― 妖怪とはいっても黒は、当然ない(はずだ)。残り3色のトリアージ・タッグを着けていただく。ハトもカンも、すぐさま「赤」だ。(ハトは引退を公言しているから、この際「黒」でもいい。どうせ身内を後釜にするのだろうが)ただ、搬送しようにも受け入れ先がすぐには見つからないだろう。たらい回しの末に、息絶えるかもしれない。ともあれ、かの屋敷は緑が極端に少なくやたら赤と黄のタッグで、けばけばしくも賑やかなことになりそうだ。
 と、愚案に落ちて筆を擱く。 □


凡夫のあと知恵

2010年08月08日 | エッセー

 後悔も先立たないが、知恵もあとから顔を出す。凡夫たる所以である。本ブログでも、度々だ。あれはこう括ればよかったものを。その言い方はこの言葉を使えば、断然明瞭になったのに。あれはどう考えても、この表現が相応しかった。それは誤解を生んだかもしれない。あそこにはこれを加えるべきだった。などなど、あと知恵に溜息をつくこと頻りだ。
 まずはふたつ、恥を晒してみる。

■ 遠景の花火 
 花火の季節だ。
 最近、ふと気付いた。齢とともに、花火から距離を置くようになった。物理的に、である。
 幼少年期は見物の人混みの直中(タダナカ)で見上げた。長じると、次第に後退(アトシザ)りをはじめる。関心が花火から少しずつ離れ、蝟集する人々に移る。やがて子をなすとふたたび雑踏に分け入り、花火の醍醐味を知るに至る。さらに一時(イットキ)を過ぎれば、ふたたび後退りに戻る。それからは路上から、二階の窓から、遠景を望むことになる。
 屋並の遙か彼方、漆黒の天空の下辺に、小さな火輪を覗き見る。一呼吸置き、音は遅れて届く。乾いた軽い天鼓のようだ。低空の火輪は時に欠け、大輪も全体を見せることは稀だ。しかし、無粋ではない。団扇で風を呼び込み、蚊を追い遣りながらしばし見とれる。人混み、人いきれ、醤油の焦げる匂い、夜店の灯りを心中に呼び起こしてみる。やがて遙かな閃光が消え、音も止む。花火が跳ねると、潮の引くように群衆は去る。祭りのあと、だ。その寂寥を彼方(アナタ)から感じてみる。 …… わるくない。 (09年8月15日付)

 はるか後で、俳句の季語に【遠花火(トオハナビ)】があると知った。文字通り、「遠景の花火」である。時には音だけを指す。季語だけあって、音(オン)がいい。無論、タイトルはこちらがよかった。
 つい先日の花火見物。遠景どころか、かぶりつきに陣取った。迫力はあったが、通によればそんなところは無粋だそうだ。十何年も観たことがないという旧友を伴って繰り出したために、同じ観るならと、ついそうなった。
 帯のように立ち上(ノボ)る煙火 ―― 「花火」よりも、この字がより実態に近い ―― は初めてだった。なんというのだろう。おそらく新種にちがいない。それが同時に数条立ち並び、一瞬の幻想を醸す。こればかりは遠花火では邂逅できなかったであろう。いわんや、音だけではどうにもならない。無粋ゆえの一得であった。

■ 時事の欠片 ―― 消費税選挙
●予想上回る税収
 財務省が29日発表した2009年度の一般会計の税収は38兆7331億円で、昨年の補正予算時の税収見通しを約1兆9千億円上回った。景気の持ち直しによる企業業績の回復で、年明け以降の法人税収が予想より増えた。税収増に伴い、09年度の新規国債の発行額を当初予定していた53兆5千億円から、1兆5千億円減らす。
 税収が40兆円を割り込むのは1985年度以来、24年ぶり。所得税は前年度比13・8%減の12兆9139億円。消費税は同1・6%減の9兆8075億円だった。法人税は6兆3564億円で税収見通しは上回ったが、前年度の6割強の水準にとどまった。(朝日 6月30日)
⇒これは経済面の片隅に載っていた記事だ。内容の割りに扱いが軽すぎはしないか。法人税の1兆9千億円増といえば、消費税の約1%に当たる。逆に、消費税の1・6%減。こちらはデフレ・スパイラルを表すか。極めて示唆に富む指標ではないか。
 財政危機の処方箋は、やはり経済成長に如くはないだろう。シュリンクだけは避けるべきだ。マインドを冷やしてもならない。当座は輸出産業を先頭に、製造業の回復だ。それも国内生産力を復元することに主力を注ぐべきだ。
 わが国の状況とギリシャ危機を同列に論ずる向きもあるが、事情は大いに違う。それを承知の上で、傍証に挙げるのなら相当に悪辣だ。玉石混淆、これだけは誑されてはなるまい。 (10年7月5日付)

 名目成長率が上がると税収はそれ以上に増える。これを【税収の弾性値】というそうだ。弾みを与えられたように増えるのであろう。成長率が1%増加した時の税収の増加率で表す。日本の場合、1.1%ぐらい。ここからも成長戦略の重要性が判ろうというもの。一説によれば、名目経済成長率が4%以上なら財政再建は可能だそうだ。
 話柄も弾ませると、法人税は税の二重取りになるという主張もある。個人の所得と資産の補足が正確になされるなら、本来架空の存在である法人の所得に課税するのは税の原則(公平)に反するというのだ。となれば、総背番号制の導入が前提となる。また架空といえども法人が社会的存在である以上、さまざまな社会的サービスを受けている。だから、ゼロとはいかぬまでもタックスペイヤーではあるべきだろう。ただ先進諸外国に比して日本は高い。下げる必要はあろう。経団連の主張を丸呑みすることはできぬまでも、成長戦略の主要な要素ではある。
 話にもっと弾性を加えよう。
 課税は国家によって強制労働をさせられているに等しいから、人をして奴隷化するものだ、との学説がある。リバタリアニズムである。「自由至上主義」と訳される。他者の権利を侵害しない限りにおいて、個人の意志と自由を極限まで尊重すべきだとする政治思想である。
 個人の身体は個人の私的所有に属する。その私的財産権が政府や他者に侵害されると、個人の自由が制限され剥奪されるに至る。したがって、徴兵はもちろん徴税も否定する。自律を原則としてレッセフェールをめざし、公権力の徹底した制限と市場原理を優先させる。 ―― 極論ともいえるが、トマス・ホッブスやジョン・ロックを淵源とした、欧米を伏流する一大思潮だ。
 ともあれ、物事を根っこから考えることは緊要だ。迷ったら、原点。既知、既存を外して、ドラスティックに組み立て直す。そこに曙光が差すのではないか。これぞ、『思考の弾性値』ともいえよう。

 本ブログのような駄文なら嗤って済ませられる。しかし、一国の要路にある方々はそうはいかない。くれぐれも『あと知恵』に長歎息せぬよう自戒されたい。 □


真夏の怪

2010年08月04日 | エッセー

 字引によると、「怪しい」には七つの意味がある。
  ―― ①不思議、不気味、神秘的 ②異様 ③(悪化しそうで)不安 ④(本当かどうか)疑問 ⑤(犯人の)疑いがある ⑥男女の秘め事 ⑦正体不明 ――
 以下の二つ、さしずめ②と⑦、それに①か。④はない。まさか当人が⑤ではあるまいし、ましてや⑥はあり得ない(絶対に)。でもこの先、③はありそうだ。

●2人の死刑を執行 千葉法相になって初、自ら立ち会う
 千葉景子法相は28日午前に記者会見を開き、死刑囚2人の死刑を同日に執行したと発表した。死刑の執行は昨年7月に3人に対して行われて以来、1年ぶり。政権が交代し、千葉法相が昨年9月に就任してから初めての執行となる。かつての死刑廃止議員連盟のメンバーで、今月の参院選で落選した千葉法相が執行に踏み切ったことは、論議を呼びそうだ。
 千葉法相は会見で、自ら執行に立ち会ったことを明かし、「死刑に関する根本からの議論が必要だと改めて思った」と語った。法相として執行に立ち会ったのは「おそらく初めて」という。そのうえで、法務省内に勉強会を設置し、死刑制度の存廃を含めたあり方を検討する。国民的な議論の材料を提供するため、メディアによる東京拘置所内にある刑場の取材の機会を設ける――ことを明らかにした。(朝日 7月28日)

●所在不明の100歳以上、新たに12人 確認見直す動き
 東京都内で所在のわからない高齢者が相次いで見つかった問題で、すでに判明していた荒川区、八王子市に加え、港区や静岡県下田市、熱海市、北海道岩見沢市、名古屋市、福岡市などで、100歳以上の男女計12人が、所在不明になっていることが3日、朝日新聞社の調べでわかった。足立区と杉並区のケースを入れると10市区で計14人になる。
 厚生労働省によると、09年9月現在で100歳以上の高齢者は全国で約4万399人いるとされる。(朝日 8月4日)

 この二つ、『真夏の怪』と呼ばずしてなんとしよう。

 千葉法相の俄(ニワカ)な宗旨替え、これは怪しい。まさか参院選の落選がトリガーとなった訳ではあるまいが、いかなる御心境の変化があったのか。凡愚には察しかねる。かてて加えて「立ち会い」、さらに刑場の取材許可までくると、身の毛もよだつ「怪」、『真夏の怪』そのものではないか。
 民間人となった法相の資格自体を「怪」しむ声もあるが、憲法68条《内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。》に拠れば問題はない。ただそれにしても、はなっからの民間人ではない。選挙によって不信任された人物である。やはり慎むべきではないか。誰かが糸を引いたのか。まことに奇々怪々な展開である。

 超高齢者の所在不明、これもまた怪しい。有名人ではないにせよ、何十年も死亡を隠せるものだろうか。テレビでは相も変わらずおばかなアナリストが出てきて、地域コミュニティーの崩壊を得得と語る。そんなことはキミに教わるまでもなく、とっくに知れきったことだ。深刻なのは、家族の絆までが寸断されていることではないか。さらに、自治体の怠慢や縦割り行政の弊害を論(アゲツラ)い早急な『対策』を訴える。ばかも休み休み言い給え。どこの世界にこんなアブノーマルな事態を想定する役場があろうか。役人は万能の超人ではない。凡庸な俗人でしかない。しかも、出来事の方が空蝉を超えている。だから「怪」、『真夏の怪』なのだ。
 年間の失踪者は10万人を超えるという。無縁死(引き取り手がなく、自治体で葬られた人)が3万数千人。内、行旅死亡人(身元不明者)は千人もいる。自殺者は3万を突破したままだ。まさに「怪」が瀰漫した列島ではないか。これを怪しまぬこと、それ自体がすでに「怪」という以外ない。

 前者は命のカットアウト、後者はそれのフェードアウトといえる。塀の中で人為的にカットアウトされた人生。塀の外で、人知れずフェードアウトしていった人生。どちらも怪しく、また哀しくもある。 □


一瞬の主権在民

2010年08月02日 | エッセー

 先月15日付本ブログ「参院選 総括」に寄せていただいたfulltime氏のコメントの末尾に、こうあった。
「センキョという一瞬の主権在民は終わった。」
 実に穿った警句として、印象に残った。先日、この句をオーソライズする一文に偶会した。孫引きする。
「イギリス人民は、自分たちは自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれてしまうと、彼らは奴隷となり、何ものでもなくなる」
 J―J・ルソーの大著「社会契約論」の一節である。fulltime氏の観察眼に脱帽する。
 孫引きであるからには、子がいる。 ―― 「理念なき政党政治」の理念型 ―― 「世界」8月号に掲載された空井護氏の小論である。氏は北海道大学公共政策大学院教授で、現代政治分析を専門とする。
 市井にはない深み、筆者のようなディレッタントの意表をつく視座が気鋭の学者にはある。吐哺捉髪である。メシなど喰ってる暇はない。急ぎ身繕いをして先生の元へ、だ。
 かねてより二大政党制へのオブジェクション、選挙制度の不具合について幾度となく言い募ってきた。しかし、空井論はまず現在の政治状況を以下のように捉える。(抄録)

〓〓民主党と自民党の二つの主要政党が、いずれも「理念」「イデオロギー」を失い、与野党間で明確な理念的政策対立軸が形成されなくなっている。世界的に見れば、「理念なき政党政治」は昨日今日始まった話ではない。主要政党の脱イデオロギー化は、小選挙区制へと転換したことで、人為的に大きく促された。大政党を目指すのであれば、固い「理念」は大いに邪魔となる。「理念」に固執する政党は、連合参加能力を失う。
 われわれは「理念を備えた政党政治」という容易に叶えられない期待を抱き、当然のようにそれが裏切られるなかで幻滅を募らせるのではなく、むしろ「理念なき政党政治」を前提としながら、そのもとで市民としていかに政治を理解し、いかに政治的に振る舞うべきなのかを、いま一度よく考えてみるべきだ。〓〓
 冷戦の終結は脱イデオロギー化を世界にもたらした。イデオロギーという巨大な対立軸が消えた。日本でも55年体制は崩れ、対立軸なき時代に入った。「理念なき政党政治」は不可避となる。「『理念』に固執する政党は、連合参加能力を失う」とは、まさに普天間問題で連立を離脱した社民党である。理念が消えると、選挙そのものが変貌してくる。  

〓〓選挙は将来の政治的決定者の事前選択から、現在までの政治的決定者の事後評価へと、その基本的な性格を変えることになるものと考えられる。
 市民は、それまでの実績などを勘案しつつ、各党の政権公約を割り引かなければならない。割引率の上昇をくい止めるのが、イデオロギー政党である。
 政党が脱イデオロギー化すればどうなるか。政党が理念や大目標から政治的決定案を演繹的に導出しなくなると、将来約束の安定性は低下し、公約の見直しも珍しい事態ではなくなる。これでは市民は、選択に際して割引率を高めに設定せざるを得ない。また、複数の政治的決定案を統一的に理解できなくなり、政権公約をパッケージとして評価できなくなるから、市民が投じる一票は往々にして分裂的性格を帯びることになる。〓〓
 複雑系の社会にあって、理念がなくなれば『なんでもアリーノ』になるのは必然である。政策に嵌める箍(タガ)が外れるのだから、「政治的決定案を演繹的に導出しなくなる」のは必然で、大向こう受けする総花的政策が陳列されることになる。果ては、「公約の見直しも珍しい事態ではなくなる」のだ。マニフェスト『違反』が頻発する道理である。だから、「市民は、選択に際して割引率を高めに設定せざるを得ない」のだが、はたしてそのレベルにあるか。今は『違反』に目が向くばかりではないだろうか。選挙の賑やかしになりつつあるマニフェストが、政党にとっては他党と自党への諸刃の剣となりつつあるのだ。
 呉服屋でドレスを仕立てる訳にはいかない。イタリアンレストランで蕎麦は食えない。スーパーではなんでも揃う。しかし専門店の品質は期待できない。クオリティーは割引かねばならない。 …… そんな次第か。ただし選挙がショッピングと違うのは、一回切りの一店だけということだ。かつ返品も効かない。
 「政治的決定者」の「事前選択」から「事後評価」へシフトする選挙 ―― ここが、この論考の眼目である。
 事後的な評価である以上は、事前的であるマニフェストは限りなく希薄化する。早い話が、政策の丸投げである。それが実態的推移だ。宜なる哉である。選挙のたびに耳にする「だれがなっても同じでしょ」は、一面の真実といえなくもない。

 では、どうするのか。空井氏は、
〓〓政治的決定局面が不確定性と可塑性を備えるのであれば、市民に要請されるのは、なによりも政治的決定局面における政治的自己活性化であろう(要は「指示出し」や「ダメ出し」を積極的に行うことである)。市民には、大きな負担が要求される。政治的決定者を判定者としながら、それに対し市民が次々と政治的要求を突きつけるような政治である。
 市民は、選挙で事後評価を下すからこそ、政治的決定局面を真剣に見つめるのであり、選挙のときだけでなく、常にアテンティヴでなければならない。脱イデオロギー化した政党は、安定的な支持基盤を持たないから、そういう声に何らかの形で対応せざるを得ない。むしろ、市民間での対立する意見を前に、バランスのとれた決定を見出す能力こそが、政治的決定者に求められることとなる。〓〓
 と述べる。「市民が次々と政治的要求を突きつけるような政治」が要請され、「選挙で事後評価を下すからこそ、政治的決定局面を真剣に見つめるのであり、選挙のときだけでなく、常にアテンティヴでなければならない」とは、つまり、心して監視せねばならぬ、という結語ともなろう。
 
 だからつづけて、
〓〓「理念なき政党政治」のもとでは、基本的に選挙は未来を選択するものたり得ない。よって、市民は選挙の終了とともに、その政治的役割を終えてはならない。選挙が終わったまさにその瞬間、新たな政治的決定者とともに政治的決定局面に臨む心構えをしっかり整えなければならないのである。市民にとっての死活問題は、政治的決定それは、政治的共同体の全構成員を、有無を言わさず拘束する内容だからである。〓〓
 と締め括る。触れられてはいないが、「脱イデオロギー化した政党は、安定的な支持基盤を持たない」とは無党派層の存在を連想させる。脱イデオロギー化はひとり政党だけではない。市民もそうだ。むしろ流れは逆で、市民の脱イデオロギー化が政党のそれを呼び込んだともいえる。
 空井論を四捨五入どころか八捨二入すると、

 【対立軸の消失 → 脱イデオロギー化 → 選挙が事前選択から事後承認へ → 市民の監視が必要】

 となろうか。
 「政治的決定それは、政治的共同体の全構成員を、有無を言わさず拘束する」。然りだ。かつ「政治的決定局面が不確定性と可塑性を備える」以上、「政治的自己活性化」を市民に求める。 ―― 解る。たしかにそうだ。しかし、それだけか。現代の啓蒙思想で終始するのか。システムはこのままでいいのか。空井論はとば口でしかないのか。隔靴掻痒は免れない。

 ともあれ、「一瞬の主権在民」は「終わり」にせねばなるまい。「奴隷となり、何ものでもなくなる」前に。 □