伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

今これを読まないで、どうする

2014年08月30日 | エッセー

 日本に住まうならば、刻下必読の一書である。69回目を迎える8・15に、かもがわ出版から発刊された。

 内田 樹著
     憲法の「空語」を充たすために 

 『内田節』炸裂、『内田論』満載である。前者は氏独自の話法であり物言いだ。後者は氏が社会の病理を剔抉する慧眼の謂である。
 本年5月3日、「憲法記念日」に行われた兵庫県憲法会議主催の集会での内田氏の講演録である。これは本というより、ブックレットだ。100頁にも満たない。だから、一気に読める。
 解題すると、「憲法の『空語』」とは、制定時に憲法には「リアリティー」がなかったことである。掲げられた国家像に国民的合意があったわけではなく、それは──アメリカ独立宣言もフランス革命の人権宣言も「空語」──(上掲書より)であった事況と同様である。
 「充たす」とは、──「空語」としての憲法を長い時間をかけて忍耐づよく現実化する──(同上)ことである。つまり、かつて丸山眞男が語った「自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています」に通底する趣旨である。
 帯のコピーには、
     日本はいま、民主制から独裁制に移行しつつある
     筆者初の本格的憲法論
     グローバル化と国民国家の解体を許さない
 とある。
 内容は大括りで、
     日本の民主制と憲法の本質的脆弱性を考える
     1. 「日本国民」とは何か
     2. 法治国家から人治国家へ
     3. グローバル化と国民国家の解体過程
 である。
 憲法の名宛人はよくイシューに挙がるが、差出人について様々な角度からとびきり深く、かつ痛快な論究がなされるのが 1.  である。(以下「 」部分は上掲書から引用)
 フランスを例に採り、「枢軸側の実質的同盟者(引用者註・敗戦国)でありながら、最終的に連合国の一員(引用者註・戦勝国)として終戦を迎えることができた」のは、「終戦のときに焦土となったフランスで『最後に立っていた政体』が自由フランスであったために、フランスは戦勝国になることができた」と述べ、「敗戦国の中で唯一日本だけが・・・・戦争に反対し続け、敗戦のとき、焦土に『最後に立っている者』がいなかったからです」と展開する部分は痺れるほどの圧巻である。
 安倍首相の「総理大臣が最終決定者である」との発言に顕著な「今進められている解釈改憲の動きは『法治から人治へのシフト』のプロセスだと言ってよい」とし、「株式会社的マインドが日本人の基本マインドに」なったことにその原因を探る。これが 2. である。
 大阪市長もよく使う捨て台詞「反対なら、次の選挙で落とせばいい」に潜む、「民主制を空洞化する発想」を抉る。「次の選挙=マーケット」だとし、 「これまで政治家の口から聞いたことがない言葉を繰り返すようになったのは、彼らが株式会社の経営者の気分でいるから」と断ずる。
 さらに「株式会社は有限責任体であり、国民国家は無限責任体」であるとして、人治へのシフトがもつ本質的誤謬を糾弾する。これもまた、身震いするほどの圧巻である。
 3. は、自民党改憲草案22条への胸のすく指弾からはじまる。まさに快刀乱麻を断つだ。日本最高峰の知性による論駁にまともに太刀打ちできる論者など、劣化した自民党起草委員会には確実にいない。
 上記の草案に伏流するグローバル資本主義へと舌鋒は進み、国民国家の解体へと論及していく。持論の「反グローバリズム」が理路鮮やかに繰り出されていく。ここも、爆ぜ裂けるほどの圧巻だ。
 締め括りは極めて印象的だ。
「いずれ安倍政権は瓦解し、その政治的企ての犯罪性と愚かしさについて日本国民が恥辱の感覚とともに回想する日が必ず来るだろうと僕は確信しています」
 氏の確信は、「憲法に示された国家像を身銭を切って実現しようとしている生身の人間がいるという原事実が憲法のリアリティを担保する」との確言にリニアに繋がる。
 身銭を切る「生身の人間」とは、日本に住まう他ならぬ先ずわたしである。 □


「利休にたずね」てみた

2014年08月26日 | エッセー

 先月23日の拙稿『夏の滾り』でも引用したのだが、再度臆面もなく援用したい。歴史学者・磯田道史氏の言である。
◇いわゆる歴史文学には時代小説、歴史小説、史伝文学の三つがある。
 史伝文学は、歴史小説よりもさらに史実に即した歴史文学で、時代小説のような荒唐無稽な創作を排し、古文書などの史料に基づいて、実在の人物を登場させ、歴史小説よりも精密に実際の歴史場面を復元してみせる。まさに「事実は小説よりも奇なり」の文学であり、創作による架空を楽しむというよりも、歴史のなかの事実発見や分析の妙を味わうことに、その主眼をおいています。これが史伝、あるいは史伝文学というものであろうと私は考えます。◇(朝日新書「歴史の読み解き方」から抄録)
 「史実に即した」濃淡から捉えると史伝文学が一番濃く、続いて歴史小説、時代小説の順となる。裏返せば、「荒唐無稽な創作」性が最も高い歴史文学が時代小説といえよう。そのあわいにあって、「荒唐無稽な創作を」挟みつつも、ある程度の「史料に基づいて」、「実在の人物を登場させ」、おおよその「歴史場面を復元して」、「事実」ではなく「小説よりも奇なり」な『真実』を描こうとするものが歴史小説といえようか。
 してみると、これは歴史小説にカテゴライズされるであろうか。
   山本兼一著「利休にたずねよ」
 平成20年、第140回直木賞受賞作品である。昨年末に、市川海老蔵主演で映画化もされた。無類の読書好きである友人に薦められて、遅ればせながら先日読んだ。読んではみたが、拍子が抜けた。
 解説の宮部みゆき氏の言を借りれば、「晩年の利休は何故、多くの取りなしを振り切り、他の打開策をとらず、敢えて秀吉と対立し、自刃したのか。・・・・この有名な歴史上の謎の<解>」が、なんとも陳腐なのだ。『どうして、そこにいくの?』である。明かされた『真実』が、ちっとも「小説よりも奇なり」ではない。絵に描いたような、ステロタイプな小説的『真実』で大団円を迎える。だから、拍子が抜けた。
 利休自尽の訳については十指に余る説ある。つとに高名である故、ここでは略す。この作品がそれらを凌駕するドラマツルギーをもつことは認めるにしても、口惜しいことに歴史的鳥瞰に欠け、史的ビューに乏しい。せっかく「有名な歴史上の謎」に材を採りながら、眺望が近すぎる。
 例えば、次のような考究がある。
 内田 樹氏が釈 徹宗氏との共著『日本霊性論』(NHK出版新書、今月刊)で、こう語る。
◇奈良時代でも、平安時代でも、それまで宗教を担ってきた人たちは貴族、僧侶という、非生産者の都市住民であった。それが鎌倉時代に入ってきて、農民あるいは土に近いところにいる武士たちが新しい宗教運動を担うようになった。大地とのふれあいを持つ人たち、野生のエネルギーに直接ふれる経験を持った人たちが宗教活動の前面に登場してきた。◇(抄録)
 「土に近いところにいる」、「大地とのふれあいを持つ人たち、野生のエネルギーに直接ふれる経験を持った人たち」は、当然文化「活動の前面に登場して」くるはずだ。その高々とした一結晶こそ茶の湯であり茶器ではなかったか。
 つづいて、内田氏はこう述べる。
◇信長や秀吉はキリスト教と出会うことによって、「牧者」である自分が「羊の群れを率いてゆく」という自己イメージを形成したのではないでしょうか。そういうセルフイメージがないと、なかなか比叡山を焼き討ちしたり、石山本願寺を潰したりというようなことはできませんよ。あれほどの宗教弾圧は日本史上でも例外的な事件ですよね。◇(同上)
 叡山焼き討ちや石山合戦は、明らかに宗教的常識の古層を超えている。でなければ、不可侵も禁忌も踏み拉けるはずがない。そこで、こう展開する。
◇鎌倉仏教は「アーシー」(earthy)だけども、安土桃山文化ってまったくアーシーじゃないですよね。都会的で、技巧的で、構築的なものですよね。むしろ、ヨーロッパの感覚に近い。◇(同上)
 むろん信長も秀吉も茶の湯に肩入れはした。しかしそれは政治的小道具としてでしかない。だからといって、ハンチントン張りの文化的フリクションに問題を限局するつもりはない。ただ鎌倉と安土桃山との、またはアーシーと非アーシーとの対比も感に堪えるのではないか。痴人説夢と嗤われるのは覚悟の前。ならばお前が書けとお叱りを受けても、当然稿者に適うことではない。しかし、なにかその種の昂揚を求めて『たずね』てみた。答えは逸れたようだ。 □


「下流」から「劣化」へ

2014年08月19日 | エッセー

 三浦 展氏の『下流社会』が80万部を売ってベストセラーになったのが05年。07年には内田 樹氏の『下流志向』が10万部以上を売り上げ、今も読み続けられている。 
 さて先月、笠井 潔氏と白井 聡氏の対談『日本劣化論』(ちくま新書)と、香山リカ氏の『劣化する日本人』(ベスト新書)が踵を接して発刊された。おおよそ十年一昔を経て、刻下では「下流」から「劣化」に現代日本論のイシューが移ったかのようだ。降下圧は、ついに病膏肓に入るであろうか。
 『日本劣化論』は抜き身のごとき穎脱の論客二人ゆえ、痛快この上もない論旨が縦横に奔る。
 下敷きには『永続敗戦論』がある(13年7月『永続敗戦』、同年8月『夜話』で紹介した)。両者の共通点は、3・11を日本近代の必然的な帰結と見做す点だ。日本近代を近代人類史の一典型と採るなら、必然的な文明史的帰結でもあろう。科学技術の極北に核があり、8・15で兵器としてサタンの本性を晒した。片や、原発は平和なエナジーとして本性を隠した。ところが奇しくも同じ日本で、再びサタンが牙を剥いたのが3・11である。そのように括るのが責任ある思料ではないか。しかし劣化は悲劇的である。書中の白井氏の言を引こう。
◇今の財界は、すごく近視眼的になってしまっている。経団連の会長だってここ数代ろくな人がいません。今の米倉弘昌(住友化学会長)なんてもうどうしようもないわけです。原発が爆発するのを見ながら、「原子炉は地震と津波に耐えて誇らしい」と言った人ですから、ほとんど狂人に近い感じがします。もちろん今も昔も愚かな人間はつねに一定数いるわけですけれども、今の特徴は、度外れて質の悪い人間が跳梁跋扈していることです。◇
 つとに知られた発言だが、「劣化」のコンテクストに措かれると目眩がする。先月末には、大阪府警での犯罪認知8万件の過少報告が発覚した。劣化知事(当時)による劣化政策のプレッシャーに因るものだ。おちこちで劣化の連鎖が起こっているといえそうだ。
 白眉は自民党の「劣化」について論ずる件(クダリ)だ。笠井氏はこう語る。(以下、抄録)
◇安倍の鈍感さ。あれはネトウヨと同じですよね。共通の事実認識が最低限ないと、そもそも議論にならない。あるいは論破された後、一歩引いて理屈を組み立てなおしてまた反論してくるんだったら再論の余地があるけど、安倍は論破された後も同じことを繰り返し言い続ける。自分のそういう行動パターンに何の疑問も抱かない。これは安倍個人の知性の問題であるのはもちろんですが、日本社会に深く根を張りつつある新たな反知性主義の問題でもあると思うんです。「これこれの文献にこう書いてあるじゃないか!」と言っても、そもそも読んでいないし、これから参照しようという気もない。「自分の意見に反する文献なら、どっちみち嘘が書いてあるにきまってる」というわけです。この種の人間が目の前に現れたら、さすがにアメリカも面食らうでしょう。これは、同時代的な広がりを持つ非常に根深い鈍感さだと思いますね。◇
 受けて、白井氏は「こういう時期にああいう人が首相になって、最高権力者になってしまったということは偶然ではなく、ある意味必然ですよね。社会全体に反知性主義が蔓延しているのですから、見方によっては、日本国民を正しく代表しているとも言えるわけです」と語る。まことに手厳しい。「社会全体に反知性主義が蔓延している」事況については、『劣化する日本人』で香山リカ氏が克明に剔抉している。
 STAP細胞問題に潜む「自己愛パーソナリティ」、佐村河内騒動に顕れた「演技性パーソナリティ障害」、パソコン遠隔操作事件に視る「回避性パーソナリティ障害」、政治家の暴言・失言などなど、知的な劣化や想像力の衰退を事例を挙げつつ導出している。
 中でも、注目される実例がある。首相再登板を間近に控えた安倍晋三氏が、フェイスブックのコメントに特定のコメンテーター(香山氏自身)に対して「人前にでれない」「恥を知れ」などと過激な言葉で罵っているのだ。それよりも注目は、「さすが安倍さん」といった賞賛の声が圧倒的だったことだ。権力者のトポスや品格を等閑視する知的劣化が歴然としてはいないか。
 終章で反知性主義が安手の陰謀説への盲従に繋がる危険と、市場万能主義の跋扈に警鐘を鳴らしている。
◇「単純なもの、考えなくてもいいものが好まれる」という状況やそれでも説明がつかないことが起きると、とたんに「韓国が日本のマスコミや広告代理店を牛耳っている。その証拠はこれとこれで……」といった安っぽい陰謀論が登場してくる状況を見ると、「反知性主義」という病理の進行はすでに治療不能のレベルにまで到達しているのではないかとさえ思われる。
 従来の日本人モデル、つまり生真面目、慎重で誠実といった性質が突然、消えてなくなったわけではなく、それよりも「稼ぐことは悪いことではない。カネがほしいと思うのは汚いことではない」という資本主義が行き着いた先に一気に花開いた市場万能主義、新自由主義が、すべてを凌駕してしまったということなのではないだろうか。◇(上掲書より抄録)

 『日本劣化論』に戻ろう。
 圧巻は最終章で語られる戦争観だ。笠井氏の論攷を要約する。
◇一九世紀までヨーロッパでは、国際社会には国家間の対立を決裁しうるメタレヴェルの権力が存在しないので、戦争が利害調整の最終手段になるしかなかった。
  二〇世紀の世界戦争は、世界国家の実現を最終目的にした戦争であった。第一次大戦を起点とする二〇世の世界戦争は、国際社会にメタレヴェルを、要するに世界国家を析出するための戦争だった。
 二一世紀の戦争はどうなるのか。いわゆる世界内戦という戦争形態になるでしょう。テロとも戦争とも決めかねる軍事力行使に、これまた国家間戦争ではない反テロ戦争が対抗する。◇
 白井氏は「そういったテロの定義も戦争の定義も国家の定義もすべてぐちゃぐちゃになってきたから、その状態を世界内戦と言ったわけですね」とまとめている。
 国家間戦争から、世界戦争へ。そして世界内戦に。詳説は本書に委ねるとして、このように大きな俯瞰的勘考は視界を一気に開いてくれる。澄明な視座を与えてくれる。ところが、実態はこうだ。
◇笠井:大東亜戦争肯定論を靖國参拝などの形で実行していくと、サンフランシスコ条約体制を認めないのかということになりますね。条約破棄で第二次世界大戦をもう一度やり直そうとしていると疑われる。安倍にはどうも、そこのところがよく分かっていない。「戦争には負けたけれども、あれは正しかった」「勝敗と正邪善悪は別だ」と思ってるんだろうけど、喧嘩に負けた子供の負け惜しみと同じで、こんな言い草は国際政治のレヴェルでは通用しません。
白井:そりゃ、幼児化していますから、子供の喧嘩レヴェルの理屈しか繰り出せないんでしょうね。
笠井:一九世紀的な国民戦争ならともかく二〇世紀の世界戦争では、敗北の承認はすなわち、勝者の論理を受け入れることを意味します。それが嫌だったら、ドイツのように国家体制が崩壊するまで戦い続けるしかない。負けを認めたが最後、「アメリカは強かったから負けた。でも日本は正しかった」なんていう理屈は通りません。日本の戦後右翼とそれにつながる保守勢力というのは、どうもそこのところにかんして腹が決まっていない。ボクは悪いことなんかしていないという自己肯定、自己承認の欲望に取り憑かれ、それを疑おうとしない幼児性が抜きがたく存在する。この点は八・一五以来、何も変わっていないと思います。◇(抄録)
 これは核心をまっすぐに衝く。日本の保守と時の為政者が「子供の喧嘩レヴェル」でしかないほど劣化している事態に唖然とする。
 外に天皇、自虐史観の誤謬、ネトウヨ、レイシズム、沖縄、経済成長の無力と、論点は多岐に亘る。笠井氏は自著『国家民営化論』を基に国家が存続する意味を問い、主権国家の先に世界国家を遠望している。書名のインパクトもさることながら、蓋し好著である。
 以下、余話として。
 意外なことにGHQ時代にマッカーサー人気が日本人女性の間に起こり、アメリカ人男性への強い憧れを呼んだ。当然、日本人男性には深い性的トラウマが生まれた。石井氏はこれのソリューションとして石原裕次郎を挙げる。
◇兄である石原慎太郎が原作や脚本を手がけた初期の作品で、裕次郎はいわばアメリカっぽい男として登場します。とは言ってももちろんアメリカ人ではなくて、あくまで偽物なんだけど。『太陽の季節』や『狂った果実』というのは基本的に、そのアメリカっぽい日本人男がアメリカ人に奪われていた日本女性を奪還するという物語なんですよ。言ってみれば、アメリカに骨の髄まで完敗したという話です。日本男子の自己回復がアメリカもどきになることによってなされるわけですから。日本の保守派ナショナリストたちの矮小性の根源というのは、ここにあるのではないかと思うんです。◇(同上)
 内田 樹氏が『街場のアメリカ論』などでよく口にする──「日米同盟を強化することを通じてアメリカから離脱する」というトリッキーな構造、「従属を通じて自由になる」というすぐれて日本的なソリューション──がしきりに想起される。してみれば、あながち余話とは言い難い。 □


笑わせ、泣かせてくれた

2014年08月13日 | エッセー

 ロビン・ウィリアムズが忽然(コツネン)と生者の列を離れた。患いの後の自死らしい。こういう永訣はなんとも耐え難い。
「ロビン・ウィリアムズはパイロット、医師、妖精、ベビーシッター、大統領、教授、ピーターパン、そしてその間にいるすべてだった。最初は宇宙人として登場し、やがて人の心のあらゆる要素に触れた。私たちを笑わせ、泣かせてくれた。それを必要としている人たちのために、無限の才能を惜しみなく発揮してくれた」 
 オバマ大統領の追悼談話である。国民的アクターであったことが知れる。
「私たちを笑わせ、泣かせてくれた」
 このフレーズは名優の核心を衝いている。時系列でも、まさにそうだ。コメディアンとして名を上げ、後演技派に転じた。シリアスな性格俳優としても高い評価を得た。
 こういう例は日本にもある。馴染みのあるところを挙げれば、植木 等、いかりや長介、泉ピン子もそうか。特に黒澤の『夢』で鬼役に起用されたいかりやは印象に残る。
 コメディアンと演技派。両端のようで、人によっては見事な転身を遂げる。笑わせるのか、泣かせるのか。一般には笑わせるのが難しいという。してみれば、元々演技力があったというべきか。
 この両端の近似性について、脳科学者・茂木健一郎氏が語る以下の知見は示唆的だ。
◇進化の過程で、笑いが生まれてきたプロセスを説明する考え方として、「偽の警告」仮説がある。人類の祖先が集団で暮らしていたとき、仲間に危険を知らせるためのシグナルがあったはずである。肉食獣が迫ってきたときなどに、叫び声を上げて仲間に知らせる。そのような警告が実は間違いだったとわかったときに、緊張をほぐすために笑って見せたのが、笑いが生まれてきた理由だというのである。そう言われれば、緊張と隣り合わせだが、実は安全だというときに、人は笑うようである。バナナの皮にすべって転ぶというのは古典的なギャグだが、考えてみれば危険と紙一重である。もっとも、本当に危険だったら、笑うことはできない。危険に見えて実は安全であるという微妙なさじ加減が、笑いを誘うのである。◇(中公新書ラクレ「すべては脳からはじまる」から)
  「緊張と隣り合わせだが、実は安全」「危険と紙一重」「危険に見えて実は安全」に、笑いの骨法がある。目から鱗である。外敵との不断の緊張関係にあった太古の生活が笑いに満ちていたとは考えられない。もしいつも笑っているようであれば、アタマを疑われたにちがいない。不適応の烙印を押されてパージされただろう。ところが、現今はまったく逆だ。テレビメディアは多幸症のような笑いで溢れかえっている。安全になったともいえようが、内面は不安全を極めているともいえる。
 コメディアンと演技派が近似であることも「偽の警告」仮説で得心がいく。両端ではなく、「紙一重」で裏表なのだ。
 ロビン・ウィリアムズはかつて「アカデミー主演男優賞」に3回ノミネートされたが、いずれも選に漏れた。ゴールデングローブ賞の同賞は獲っている。このあたりに、運不運と世の移り気を感じなくもない。しかし渥美清が寅さんに乗っ取られたような悲劇は免れ、件の裏表を縦横に駆け抜ける果報には恵まれたといえよう。
 最初の主演映画ではポパイを演じた。80年のことだ。日本語の吹き替えは、奇しくもいかりや長介だった。まだ「8時だョ! 全員集合」の時代だった。声にもまして、なにか響き合うものを興行担当者は感じたのであろうか。
 ドラッグとアルコール。繰り返した挫折と栄光。深い病。皮肉なことに、名コメディアンの最終シーンはシリアスな役柄であったようだ。 
 「笑わせ、」そして「泣かせてくれた」名優に満腔の弔意を捧げたい。 合掌。 □


終の姿か

2014年08月09日 | エッセー

 先日喫茶店で、同じ団塊世代で少し先輩の女性と偶会した。談偶々、高齢化に話柄が及んだ時だ。彼女はやおら、さらさらと川柳をメモに記して渡してくれた。

   これがまあ 終の姿か 鏡見る

 ほう、即興でこれ。なかなかのものですねー。いつになく褒めそやしたのに、自分のお代だけ払ってそそくさと店を出て行った。こちらのしょぼい目論見は外れたが、この川柳は的を外れてはいない。
 「まあ」は、驚きではなかろう。詠嘆、諦念の「まあ」ではないか。ひょっとして、達観といえなくもない。鏡の己と、見ている己。清々しいというか、巧まざる心身二元論が心地よいではないか。
 見ている己は、決してリアルタイムの己ではない。うんと若いはずだ。“同い年”なら「終の」などとは言わぬ。だって、「終」の訳がない。しっかりした足取りで、“生きて”帰って行ったのだから。今に至るまで、死んだという話は聞かない。辞世でないとすれば、見ている己は明らかに今より若年だ。
 余命を勘案すれば、本当の「終」に至るまでにはさらに深刻な変化が予見される、どころか必定だ。もしかしたら向後のヘビーでシリアスなメタモルを見越した上で、ここらで早々と手打ちに及んだか。今を先途とピリオドを打って、こっから先は知らぬ存ぜぬ、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿を決め込んだのかもしれない。つまりは、逃げを打ったのか。
 「姿」といって終の「住処」を連想させたのは、憎い捻りだ。心身の「身」を住処に見立て、二元論を立てた。御婆(オババ)のくせに、なかなか手強い。

 老いについて、内田 樹氏が卓見を示している。
◇老いるというのは「精神は子どものまま身体だけが老人になる経験」のことである。「存在のゆらぎ」が老人であるということの最大の特徴である。赤ちゃんはずっと赤ちゃんのままである。でも、老人は赤ちゃんになったり、青くさい少年少女になったり、分別くさいおじさんや世間ずれのしたおばさんになったり、死にかけのおいぼれになったり、ちょっとした状況の与件の変化でこまめに「ゆらぐ」。老いるということは、単線的に加齢するというほど単純なことではない。「よく老いる」というのは、「いかにも老人臭くなること」ではない。そんな定型的な人間になっても仕方がない。生まれたときから現在の年齢までの「すべての年齢における自分」を全部抱え込んでいて、そのすべてにはっきりとした自己同一性を感じることができるというありようのことをおそらくは「老い」と呼ぶのである。幼児期の自分も少年期の自分も青年期の自分も壮年期の自分も、全員が生きて今、自分の中で活発に息づいている。そして、もっとも適切なタイミングで、その中の誰かが「人格交替」して、支配的人格として登場する。そういう人格の可動域の広さこそが「老いの手柄」だと私は思うのである。◇(小学館文庫「街場のマンガ論」から抄録)

 「老いの手柄」を掴むには、「ちょっとした状況の与件の変化でこまめに『ゆらぐ』」心のフレキシビリティが要る。「人格交替」の抽斗が、すっすっと滑らかに前後せねばならぬ。これがぎくしゃくしては、元も子もない。有り体にいえば、こころが若くあることだ。かつて拙稿(06年5月、「老人力、ついてますか?」)で触れた“老人力”にせよ、老いた心ではついたと知ることさえ叶わぬ。
 してみると、件の川柳は優れものといわざるを得まい。鏡の前に立った刹那、「世間ずれのしたおばさん」を抽斗から取り出してくる。「人格の可動域」はかなり広いとみてよかろう。かつて立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花だった作者も、今や、立てばビヤ樽座れば盥歩く姿はドラム缶へと見事にメタモルフォーゼなすっている。その御容姿を「終の姿」と決め切る明晰で図太い知性。依然として目から鼻へ抜けていらっしゃる。その「手柄」にあやかりたいものだ。
   これがまあ 終の姿か 御婆見る
 後ろ姿を見遣りながら返歌が浮かび、慌てて腹中深く呑み込んだ。 □


「平和ボケ」再考

2014年08月05日 | エッセー

 6月末の朝日新聞に、徴兵制の停止は軍国主義への回帰に繋がる、との編集委員による意見記事があった。ベトナム撤退後米国は徴兵を停止し、志願兵制度に移行した。「大半の国民にとって戦争はひとごとになり、国は戦争をしやすくなりました」と、識者の言を引いている。たしかに爾来、ベトナム反戦に比肩するほどの反戦運動は絶えて久しい。
 一見平和へ舵を取ったかのようで、実は藪蛇であった。そのティピカルな実例であろう。ならばこの伝をひっくり返せば、どうだろう。戦争へのバイアスがはっきりと掛かった場合、平和へのレジリエンスが強く働くのではないだろうか。かなりというか、呆れるほど脳天気な浅見だと批判をいただくことは覚悟の前である。歴史を識らないとのお叱りもあろう。しかし本邦の場合、事情が違うのだ。
 戦後70年(来年で)に及ぶ不戦の歴程は、なにはともあれ世界史的財産である。十年一昔で勘定すれば、700年に亘る長遠な星霜となる。それだけの長年月、一国の軍事組織が一人も殺さず、一人も殺されなかった。もはや奇蹟だ。内田 樹氏の洞見を徴してみよう。
◇「武は不祥の器也」。これは老子の言葉である。武力は、「それは汚れたものであるから、決して使ってはいけない」という封印とともにある。それが武の本来的なあり方である。「封印されてある」ことのうちに「武」の本質は存するのである。「大義名分つきで堂々と使える武力」などというものは老子の定義に照らせば「武力」ではない。ただの「暴力」である。私は改憲論者より老子の方が知性において勝っていると考えている。それゆえ、その教えに従って、「正統性が認められていない」ことこそが自衛隊の正統性を担保するだろうと考えるのである。自衛隊は「戦争ができない軍隊」である。この「戦争をしないはずの軍隊」が莫大な国家予算を費やして近代的な軍事力を備えることに国民があまり反対しないのは、憲法九条の「重し」が利いているからである。憲法九条の「封印」が自衛隊に「武の正統性」を保証しているからである。改憲論者は憲法九条が自衛隊の正統性を傷つけていると主張している。私はこの主張を退ける。逆に憲法九条こそが自衛隊の正統性を根拠づけていると私は考えている。◇(「『おじさん」』的思考」から)
 実に明晰にして整然たる理路である。これほど強固な護憲の主張を知らない。「封印」こそが「『武』の本質」なのだ。それを高々と貫いた70年である。世界史的快挙である。
 ところが、世にこれを「平和ボケ」と嘲る向きがある。ネガティヴに捉える傾きがある。永く平和が常態と化し(何をもって平和とするかはここでは措き、先ずは武力による戦闘がない状態としておこう)、戦争や安全保障に対してアパシーとなる。左右両翼から聞こえる見解である。
 ○○ボケとは○○によって感覚が鈍磨し、○○の反対物に対して無関心、無対応となる謂である。「幸せボケ」は継続する多幸感で生存感覚が鈍磨し、不幸への誘因に対して無関心、無対応となることだ。「時差ボケ」は時差によって体内感覚が鈍磨、変調し、正常な時間への対応不良に陥ることだ。「休みボケ」は休暇によって仕事感覚が鈍磨し、勤務への対応に齟齬をきたすことだ。
 振り返れば、古より武力戦闘集団は武士に限られていた。いわば選ばれたる志願兵制度である。維新後、西南戦争を嚆矢として徴兵制を採り国民皆兵となった。日本史上初であった。その後漸次軍国化が進行し、太平洋戦争の大敗北という破滅的終熄を迎えた。この間、約70年である。つまりは本邦は70年間、戦時もしくは臨戦期にあった。“非”平和が70年続いた勘定になる。そこでカウント・ゼロに戻してちょうど70年、平和が続いた。「平和ボケ」と切って捨てるは、余りにぞんざいであろう。ボケと呼ばわるには、70年を生きた同胞(ハラカラ)に礼を失するのではないか。
 そうではない。奇貨可居。「平和ボケ」は歴史的ポートフォリオではないか。ここまでくれば「ボケ」といわず、「イノセント」というべきであろう。なにせ、「反対物」を端っから知らないのだから。いうなれば、『平和イノセント』である。裏返せば『戦争無免疫』だ。実は、稿者はこれに賭けたい。「脳天気な浅見」とは、このことだ。集団的自衛権をはじめとする自民党右派政権の謀作を挫かんとすれば、これは存外有効ではないか。最後の砦となるかもしれない。
 免疫がなければ、忽ち病症は現れる。例えば時の首相により自衛隊にペルシャ湾への出動命令が下れば、好戦ムードが昂揚するであろうか。間違いなく、その逆だ。ましてや『戦死者』が一人でも出れば、抜き差しならない血塗られた戦争の現実を突きつけられることになる。イノセントな国民は果たしてそれに堪えうるであろうか。純粋で無垢な少年が、または少女が殺人現場に偶会して、なお精神の均衡を保てるか甚だ疑問であるのと同等に疑わしい。日本経済の生命線を死守するという大義に私たちは口を噤むであろうか。むしろ190日分はある石油備蓄で食いつなぎながら、なぜ外交努力を尽くさなかったのかという批判を政府に向けないであろうか。
  04年1月、イラク南部のサマワへ向かう自衛隊員と家族の別れのシーンが蘇る。選り抜きの隊員である。かつ、『非戦闘地域』で人道復興支援活動と安全確保支援活動が目的であった。それでも、送別は悲壮感が漂い涙の壮行となった。その時だ。稿者は『平和イノセント』の神々しき実像を見た。未知は人を畏怖させる。しかし、それは生存へのアラームでもあるのだ。
 事ここに至れば、「平和ボケ」はひょっとしたら「平和へのレジリエンス」たり得るかもしれない。とはいえ、こんな管見にしか便(ヨスガ)を預けられない刻下の事況が口惜しい。 □