伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

なぜ、おもしろいんだ!?

2007年05月28日 | エッセー
 これは難題である。前稿も難渋したが、今回はそれ以上である。なぜ、おもしろいか。笑いを解(ホド)いたところで、さしたる値打ちはない。ないが、うっちゃっておくわけにはいかない。いままで小生意気なことを書き連ねてきた手前、これを見逃してはお天道様に顔向けができない。
 
   ♪♪ 右から 右から なにかが来てる
     ぼくは それを 左へ受け流す
     いきなりやって来た
     右からやって来た
     ふいにやって来た
     右からやって来た
     ぼくは それを 左へ受け流す
     左から右へは 受け流さない
     もしも あなたにも 
     右から いきなりやって来ることがあれば
     この歌を 思い出して
     そして 左へ受け流してほしい ♪♪

 ムーディ勝山が歌う「右から来たものを左へ受け流すの歌」である。フルバージョンでは延々6分つづく。いまだ耳に触れたことのない方に、誤解が生じないようにことわっておくが、これは人生訓ではない。イヤなこと、ツラいことも受け流して、明るく前向きに生きていこう、などと訴えてなぞいない。「みなさんも悲しみや不安を受け流してほしい」との本人のコメントは、完全な後付けのコジツケだ。なにせ電気掃除機を使って清掃中、鼻歌からひらめいたのがこの歌(歌といえるなら)である。キリストにせよブッダにせよ、鼻歌まじりに教えを垂れたなどとは聞いたことがない。第一、あとで紹介する外のレパートリーと辻褄が合わない。失礼、言葉遣いをまちがえた。合わせる辻も褄もない。
 「ミュージック、スタート」と一声を放ち、「チャラ チャ チャラ チャラー チャー チャラ チャ チャラ チャラー チャー …………」と30年前のムード歌謡「東京砂漠」の口伴奏が始まる。なんともショボい。内山田洋とクール・ファイブの艶(アデ)やかさなど微塵もない。ついでアカペラで歌い始める。顔は面長、髪は横分け、ちょび髭とあご髭、白いタキシードに黒の蝶ネクタイ。右手にマイクを握り、左手は拳にして脇腹に構え、しっかと前を見据えて歌う。音程は時々不安定、無理にキーを低くしているせいか高いところは引きつる。なにかをクっているようで、意外にまじめにも見える。付け加えると、外のレパートリーも「ミュージック」とメロディーは変わりない。そういう意味では首尾一貫している。

 ムーディ勝山。26歳、お笑い芸人。滋賀県出身、吉本興業所属。本来はペアらしいが、ここのところピンがほとんど。「ムーディー勝山」ではないのだそうだ。終わりの「ー」は要らない。「ムーディ勝山」が正解。意味不明な、本人のこだわりである。
 「さんまのまんま2007年新春スペシャル」に出演し、今年注目の若手芸人の一人として紹介される。『慧眼の士』はいるものだ。その後、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」 「爆笑レッドカーペット」などに出て、ブレイクしはじめる。3月には「エンタの神様」に初出演。今月24日には「笑っていいとも!」のクイズコーナーに登場。昨年の年収が24万円であったことが分かり、涙ではなく笑いを誘った。
 レパートリーは7曲ぐらい。前述の「右から左……」以外に ――
 「上から落ちてくるものをただただ見ている男の歌」
   ♪♪ 上から 上から 何かが落ちてくる
     ぼくはそれを見てる
     いきなり落ちてきた
     上から落ちてきた
     ふいに落ちてきた 上から落ちてきた
     ぼくは それをただただ見てる
     上から下に 落ちる
     3メートルぐらい 離れたところに
     落ちてきた
     もしも あなたにも 
     上から いきなり落ちてくることがあれば
     この歌を 思い出して
     そして ただただ 見ていてほしい ♪♪

 「数字の6に数字の5を足したの歌」
   ♪♪ 数字の6に 数字の5を足した
     数字の6に 数字の5を足した
     いきなり足してみた
     数字の6に足してみた
     ふいに5を足してみたのさ
     数字の 数字の 数字の6に
     数字の5を足した ♪♪

 「2日(フツカ)前から後頭部に違和感がある男の歌」
   ♪♪ 2日前から 後頭部に違和感がある
     2日前から 後頭部に違和感がある
     3日前までは 何にもなかったの
     急に2日前から 後頭部に違和感がある
     なぜか 後頭部に違和感がある
     いままで一度も 大きい病気に
     かかったことないから 大丈夫
     きっといける 多分大丈夫
     でも 後頭部には違和感がある ♪♪
     
 歌詞は不明だが(おそらく、意味も不明だろうが)、「37歳の唄」 「嫁はんがチョイスしたシャツを着てるの歌」 「窓から虫が入ってくるのを気にしない女の歌」 「白い何かの歌」 ―― 。

 わたしは初めて遭遇した時、エイリアンと見紛(ミマガ)えた。「な、なんだ。こいつは!」と仰け反った。少々のものには動じないつもりだったが、その誇りをいたく傷つけられた。
 同じ歌ネタでも、波田陽区ともはなわとも違う。おちょくりも諷刺もない。当初、評価は芳しくなかったらしい。「何がおもしろいの?」「普通に笑えない」「何が言いたいの?」などの声があったそうだ。しかしこうまでブレイクしてしまうと、笑わないでもいた日には世間様が許さない。
 そこでだ。冒頭の難題に立ち返る。
 いわゆるナンセンス・ギャグなのであろうか。赤塚不二夫の系譜を継ぐものなのか。そうではないだろう。歌詞がある以上、ナンセンスではなかろう。吉本も最近は多彩だ。「体育会系」もいるが、それだけではない。魑魅魍魎の世界である。
 考え落ちでもなさそうだ。少なくとも、「サゲ」ても「落ち」てもいない。むしろ「浮き」上がっている。『考え浮き』だ。意味があってこそ、考えは「落ちる」。「あー、そういうことだったのか」となる。しかし、カツヤマくんの詞に意味はあるのだろうか。なぜ、左から右へは受け流さないのか。結論を得るには確実に100年の熟考を要する。だから意味は詮索無用だ。だが言葉が並ぶと、無用ではあるがそれでも意味をなす。考えても、考えてもそれは定まることを知らない。「あー、そういうことでもなかったのか」となる。だから、浮くのだ。『考え浮き』である。
 一発ギャグでもない。時代を背に負うギャグの衝撃力はない。「ガチョーン!」の裏には右肩上がりの時代のうねりがあった。つべこべ言わず、ころあいでシャッフルしてもどうにでもなった。いま、その勢いはない。
 笑いの主要素が「意外性」にあり、時代や社会を準(ナゾラ)えると仮定する。ドタバタでもギャグでも風刺の爽快感でもなく、考え落ちでもないもの。意味のおかしさではなく、意味のないことのおかしみ。『考え浮き』の浮遊感こそがいまに相応(フサワ)しいのかもしれない。世の行く末は定かならぬ。考えて意味があるのか、はたまた、ないのか。こたえは浮き、かつ漂う。
 もしかすると、歳に似ずムード歌謡なぞに先祖返りした若者が、鼻歌でわれわれを手玉にとっているだけなのかもしれない。そうだとすれば、勲章か、はたまた死を、だ。
 どちらにせよ、今のお笑い界は短命である。賞味期限、1年というところだ。カツヤマくんも『夭折の天才』で終わるだろうが、今は旬。存分に笑わせてもらおう。

 ちなみに、わたしの着うたは「右から来たものを左へ受け流すの歌」をDLして使っている。おそらく、前農水大臣はこの歌を聴いたことはなかったのだろう。あるいは流そうにも水が高価すぎたか。惜しまれる……。□


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奇譚! ビヒーモスVS.リヴァイアサン(下)

2007年05月27日 | エッセー
 トマス・ホッブスに触れねばなるまい。17世紀、国家とはなにかを考えた思想家である。
 ―― 人間には天賦の自然権がある。自己保存のために暴力を使う権利だ。したがって、プリミティブな有り様(ヨウ)は「万人は万人に対して狼であり、万人の万人に対する闘争」であるとし、自然状態と呼んだ。この野蛮を脱するため、各々の自然権をひとりの主権者に委ねる契約をする。そのようにして国家は成る。しかし契約を破るならず者は必ず出る。だから国家はリヴァイアサンのごとき絶対的な力を持ってこれをねじ伏せねばならぬ。これが弱まれば内乱を招く。ビヒーモスである。ビヒーモスが荒れ狂えば、自然状態に戻り文明は破壊される。だから、リヴァイアサンは必要悪なのだ。
 四捨五入すると、こうなる。さてその怪獣とは ――
 リヴァイアサンは、旧約聖書に登場する海の怪物、悪魔である。巨体ゆえに泳げば波が逆巻き、口からは炎、鼻からは異様な煙を吹き上げる。鋭利で魁偉な歯をもち、鎧のように強靭な鱗が全身を覆い、あらゆる攻撃を寄せ付けない。性は凶暴、冷酷にして無情。眼光鋭く、つねに獲物を物色しながら泳ぎ回る。
 片や、ビヒーモス。ヘブライ聖書に出てくる水陸両生の怪物である。創造主以外には弑(シイ)することができない。草食で、杉のような尾を生やし、鉄のように硬い骨をもつ。リヴァイアサンにとって最大最強の宿敵である。

 話をすすめよう。もう一つの『特異な属性』についてだ。発祥は(上)の冒頭に述べた。インターネットは「相互の網」である。垂直型のヒエラルヒーではない。フラットなシステムだ。つまりは、中枢に管理機能をもたない。それが生い立ちだ。したがって両極が、なんらの制約も受けずに直結する。これがアプリオリな属性である。
 再度、言おう。『特異』の意味は、ヒエラルヒーを排しフラットであることだ。前述(上)の『属性』に劣らず、これも想像を絶するポテンシャルを秘める。
 ―― 「エンド・ツゥー・エンド」と呼ぶ。「P2P」(peer-to-peer)ともいう。ピア(仲間)同士が直に結び合うことだ。アドミニストレーターでも、クライアントでもない。主従の関係をなさず、かつサーバーも介さない。
 重ねて言おう。これはネットの一形態でも、理想の有り様(ヨウ)でもない。アプリオリな属性である。事改めて取り上げられるのは、技術が追いついていなかっただけだ。
 象徴的でかつ衝撃的な『事件』を挙げる。
 ―― 金子 勇の挑戦と挫折だ。2004年5月10日、京都府警に逮捕される。なぜ京都府警なのかは興味ある話だが略す。東京大学大学院特任助手時代にファイル交換ソフト「Winny」を開発し公開したことが著作権法違反幇助に当たるとして起訴、懲役1年を求刑される。裁判は2年続き、2006年12月13日、京都地裁は有罪判決を言い渡し、150万円の罰金判決となる。被告、検察とも判決を不服として控訴。裁判は二審に移った。
 彼は逮捕前、「著作権を侵害する行為を蔓延させて、著作権を換えさせるのが目的だ」と語っていた。これが「挑戦」。「挫折」は有罪にあるのではない。「著作権侵害の意図はなく、P2Pの技術を検証するためだけにWinnyを開発した」とう弁護団の主張にある。彼はドンキホーテになることも、ガリレイになることも避けた。ましてや人柱になる道も選ばなかった。裁判は、開発が幇助に当たるかどうかに矮小化されてしまった。
 事の本質はそうではない。楽曲とアプリケーションソフトとを合わせ、著作物侵害被害額約100億円といわれる『事件』の向こうにあるものはなにか。それは、「P2P」と著作権の相克。「エンド・ツゥー・エンド」が立ち消えになるやもしれぬ局面。さらに、『特異な属性』が『ビヒーモス』に化身するかもしれない恐怖だ。
 著作権の問題は重い。現代社会が抱える深刻なアポリアのひとつだ。「知価社会」 ―― 20年前、工業化社会の後を襲うものを堺屋太一はそう予見した。さすがの炯眼である。著作権に纏ろう問題は、知価社会のパラダイムにとって難治の宿痾である。知的財産権は「知価」の具体である。ネットの出現は「知価社会」を加速度的に押し上げた。パブリックドメインとの整合性をどう執るのか。頻発するWinny事件にかまけていると、木を見て森を見ない愚をおかすことになる。
 2004年3月、アンティニー.Gが出現する。「純日本製の世界一凶悪なウイルス」といわれた。『悪霊』はWinnyに取り憑いた。こともあろうに京都府警の捜査資料が流出する。茶番のような皮肉だ。のち、安倍官房長官(当時)はWinnyを使わないように国民に訴える。「木」しか見ていないお粗末な発言であった。
 
 2004年あたりから「Web2.0」の時代が開闢する。ホームページの閲覧という偏倚(ヘンイ)から、双方向性という『属性』が開花を迎える。併せて、メモリーディバイスの進化、拡大により世界の情報量は15世紀の数億倍に増加したという。情報の大海である。地球に8番目の大洋が生まれたことになる。
 90年代末からの動きを俯瞰すると ――
 ハッカーの猖獗。「ナップスター」の騒動。「ウィンテル帝国」の台頭。オープンソースの開幕。「TRON」の躓き。「チャイナスタンダード」の蠢動。ドメイン管理を巡る軋轢。米国主導への反発。「司祭」グーグルの跋扈。中国とグーグルとの摩擦。国策検索エンジンの開発。ネット・インフラの構築。ブロードバンドの普及。などなど ―― 。
 浅学には捉えきれない。非才には手に余る。だが、ここまで書いた。一旦の締め括りをしたい。

 出自が抱える二つの『特異な属性』。それは、「サブ・カルチャー」と「フラット」である。どちらもリヴァイアサンとは相容れない。ベクトルは逆だ。国家が「サブ」であろう筈はないし、ヒエラルヒーは国家の揺るぎない属性である。叛逆は許さない。ネット社会を放置すれば、「自然状態」が再来する。自然権の行使はねじ伏せねばならない。ビヒーモスは「不倶戴天の敵」なのだ。
 敵は手強い。水陸両生である。陸(オカ)に上がられてしまうと、リヴァイアサンは攻め倦(アグ)ねる。海に引き留めようと懐柔策も使わねばならない。囲い込みだ。反撃だけではない。硬軟両様を駆使せねばならぬ。リヴァイアサンはしたたかである。当然ビヒーモスとて油断はできぬ。因縁の攻防戦は始まった。

 「ビヒーモスVS.リヴァイアサン」はさらに苛烈を極めるのか。糾(アザナ)える糸のごとくに事態は輻輳するが、新しい地平はつねに混沌から生まれ出でた。この稿が「奇譚」であることを望みたい。□


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「ちゅうげんのにじ」だい3かんをよんで

2007年05月23日 | エッセー
 ぼくも、あさだのおじさんのまねをして、ひらがなでかきます。だい3かんのなかで、とつぜん、かながきがでてきました。ラスト・エンペラーとなるおさないプーイー(溥儀)が、かたるところです。とても、しんせんでした。
 
 さて、ほんだい。
 いやー、まちました。はんとしもまちました。きょねん、くれのよていが、ついに5がつになりました。これだと、さいごのだい4かんは、ことしじゅうにまにあうのでしょうか。しんぱいになってきます。でも、あわてることはありませんね。あと、ひとつです。あさだのおじさんには、じっくりとかいてもらいましょう。だって、ながーい、ながーいものがたりも、いよいよほんとうのおわりになるのですから……。

 だい3かんの、しんぶんこうこくに、おじさんじしんが、こうかいていました。
  ~~この冒険小説を通じて、近代中国の真実を伝えたい。そして誰の胸にも眠っている、人間の闘志を喚起していただきたい。  浅田 次郎~~
 ぼくには、「ぼうけんしょうせつ」のところがよくわかりませんでした。1かんめも、2かんめも、「ぼうけん」は、なかったようなきがします。だって、だれもいったことがないばしょにいったり、だれもやったことがないものごとにちょうせんする。きけんをしょうちで、すすんでいく。それがぼうけん、でしょ。こないだよんだ「トムソーヤのぼうけん」にでてくるようなはなしは、このしょうせつには、でてきませんよね。
 だから、ぼくは、こうかんがえたのです。チュンル(春児)が、びんぼうのどんぞこからみをおこし、かんがんとなり、しゅっせし、シータイホウ(西太后)をささえ、そして、しんおうちょうのさいごをみとる。そのじんせいそのものが、「ぼうけん」なのかな、と。でも、それも、ちょっとちがうなー。
 そんなことを、うっすらとかんがえながら、よんでいくうちに、つぎのいっせつに、めがとまったのです。

  ~~春児はあわてて表情を繕った。できることならすべての人に、真実を打ちあけたい。太后が悪女でもなく、鬼女でもなく、みずから進んで人柱となったことを。だが太后との約束を果たしおえたあとでなければ、けっして口外してはならなかった。それはおそらく何十年もののち、遥かな未来にちがいないが。~~(第三巻 第六章 七十)

 ひょっとしたら、「ぼうけん」って、このことかもしれない。そう、ひらめいたのです。もちろん、ぼくのかってなかんじかただし、ぼくりゅうのこじつけだし、「どくだんとへんけん」ってやつですが……。
 つまり、シータイホウは、くにをかたむけた「あくじょ」であるといわれてきた「ていせつ」へのちょうせんです。れきしのほんには、シータイホウは「ちゅうごくの3だいあくじょ」のひとりだとかいてありました。けんりょくにしがみついて、たみくさをぎせいにし、せんそうにまけて、ずるずるとがいこくのいいのままになった。だから、しんちょうをほろぼしてしまった、と。
 それを、ひっくりかえして、ちゅうか、おくまんのたみのため、れきしのぜんしんにそぐわなくなったおうちょうのまくをひく ―― だいあくにんを、とびきりのいじんにする。これは、ものすげーぼうけんですよね。
 むかし、あさだのおじさんは、「しょうせつかは、うそをつくことをゆるされたしょくぎょうだ」といいました。でも、まっかなうそでは、ひょうしぬけです。だって、100ねんまえのはなしですよ。しりょうは、やまほどあるはずです。しゃしんだって、いっぱいのこっています。おじさんは、たくさんのしりょうに、あたったにちがいありません。そのうえで、かいてるのですから、きっとじしんはあるはずです。それにしても、ぼうけんですよね。おじさんのゆうきに、はくしゅです。

 シータイホウがなくなって、チャンゾォリン(張作霖)とユアンシイカイ(袁世凱)が、ものがたりのじくになっていきます。ちからとよくがうずまいて、ワクワクするてんかいです。でも、これいじょうはいえません。よんでください。

 もうひとつ。なまいきなことを、いいます。 ―― しんちょうのさいごが、えがかれているしょうせつにしては、かくめいがわのこと、つまり、「しんがいかくめい」のことがかかれていません。もしかして、4かんめにでてくるのかもしれませんが、いまのところ、れきしのぜんたいのうごきが、よくつかめません。かたておち、いえ、これは「かけらのおやじ」がいっていたわるくちです。ぼくが、いったんじゃ、ありませんよ。おこらないでください。

 「そうきゅうのすばる」から8かんめ。あさだのおじさんのふでは、ますますさえてきました。ことばのひとつ、ひとつがキラキラかがやいています。ちゅうげんにかかる、なないろのにじのようです。(だんかいのまめつぶ)□


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奇譚! ビヒーモスVS.リヴァイアサン(上)

2007年05月22日 | エッセー
 インターネットの誕生は意外に古い。
 1969年(昭和44年)9月1日のことだ。ARPA(米国防総省高等研究計画局)が開発したARPANET(アーパネット)が接続試験に成功した。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に運び込まれた小型コンピュータと見事につながったのだ。38年前のことだった。
 冷戦下、核ミサイルなどの攻撃から国内の通信網をどう守るか、ペンタゴンは考えた。 ―― 電話のような中央集権型では要所が破壊されると脆(モロ)い。扇の要が外されると体(テイ)をなさなくなるように、末端はすべて通信不能となる。そこで中央に収斂しない、末端同士が結びつくフラットな通信網が企図された。直線でも複線でもない、まさに網の目である。どこかが破られても迂回すれば繋がる。これがARPANETであった。
 出自は、米軍の落とし子であったといえる。出自が時として生涯を規定するように、インターネットは『特異な属性』を抱え込むこととなる。これは後述する。今稿のテーマだ。
 その後、ARPANETはまたたく間に企業や大学に広がる。70年代に電子メールの仕様が決定。接続の網は80年代にはヨーロッパにまで至る。ここにきて、米軍のネットは分離される。ARPANETは全米科学財団に移管され、INTERNETと呼ばれるようになる。
 日本に上陸したのが89年。91年に学術・研究機関に限られていた門戸が開放され、民間商用にも個人にも供されるようになる。同年、ワールドワイドウェブ(WWW)というインターネットのシステムが開発、確立される。93年にブラウザー、94年にかけてプロバイダーが出現。そして95年、マイクロソフトがWINDOWS95をリリース。ネット接続を標準装備したこのOSがインターネットの爆発的拡張に火をつけた。だから95年がインターネットの本格的デビューといえる。そこから勘定すると、わずか12年。経年1旬にして1世紀を超える長足の進歩を刻んだ。今や、文明史を画するテクノロジーは世界を覆う。

 落胤 ―― 正嫡ではないがゆえに日陰に生きていかざる得ないが、貴種に変わりはない。世が動けば世嫡(セイテキ)を襲うこともないとはいえない。これが『特異な属性』のひとつだ。国家の枢要な属性のひとつである国防の落とし子。それがインターネットであった。
 60年代初頭、「グローバルビレッジ」を唱えた識者がいた。外周4万キロの物理的制約を超えて地球がひとつの村になる。テレビを先達としたメディアの延長にそれは期待された。しかしそれは夢想の域を出るものではなかった。依然として人びとは電話と手紙しかコミュニケートする手段を持ち得なかった。『村人』がリアルタイムに繋がる手立てはなかった。「グローバルビレッジ」は一旦は時代の表層から隠れ、埋み火となる。一方で、60年代末から各国が抱える問題群がグローバル化してくる。公害と核が地球的問題群として取り上げられるようになる。世界同時進行でスチューデント・パワーが吹き荒れた様相は象徴的でさえあった。ネガティブではあるが、グローバリゼーションは確実に潮位を増していった。
 やがて89年、ベルリンの壁崩壊とともに冷戦が終息する。世界史に仄かな曙光が兆(キザ)した。相前後して、グローバルなコミュニケーション・ツールとしてインターネットが登場する。加えて、パーソナルコンピュータの出現。大型コンピュータをタイム・シェアして使うのがやっとであったレベルから、一人ひとりが一気に大型の膂力を手にしたのだ。これは革命的であった。三十星霜を経て、埋み火が焔(ホムラ)を上げたのだ。夢想は俄に現実味を帯びてきた。しかし、事はさほどに容易ではない。国によってインフラの整備はまちまちだ。国境は易々(ヤスヤス)と越えても、言語の分厚い壁が立ちはだかる。先ずはそれぞれの国境の内側で成長を遂げることになる。
 『特異な属性』 ―― 落胤ゆえの性(サガ)か、コマーシャリズムの触手にもみくちゃにされながら、ネットは淫靡な紛(マガ)い物も含んだ玉石混淆のサブ・カルチャーとして出発する。ここだ。落胤といえども「貴種に変わりはない。世が動けば世嫡を襲うこともないとはいえない」 ―― 地殻の変動によって傍流が主流を凌ぐ水量を湛え、ついには主流をも併呑するように。95年以降のさまざまなインフォメーション・テクノロジーの動きは、まさに地殻の変動にも匹敵するものだった。それも有史以来の変動だ。つまりは世が動いたのだ。落胤が、正嫡たるべき国家の諸機関やマスメディア、つまりはメイン・カルチャーを圧倒しはじめたのだ。「世嫡を襲う」かのごとくに。
 実例を挙げよう。
 2001年、9.11同時多発テロを機に、アメリカでブログが一躍注目を浴びる。現場からのレポートが載り、アフガンへの軍事報復に対する意見が交わされた。マス・メディアにはない双方向性が人びとを惹きつけた。やがてこの流れはSNSを生み、ネットに無尽のコミュニティーがつくられていく。
 2002年、韓国大統領選。「オーマイニュース」を軸とするネットの世論が盧武鉉を大統領に押し上げた。「オーマイニュース」というサイトは一般のユーザーが記者として投稿する。有力新聞は政府のコントロール下にある。有力紙が報じない政府の腐敗をどんどん暴いた。盧武鉉の支持者たちは掲示板やメールを使い選挙運動を展開した。ついにネットが国論を動かしたのだ。
 2004年にはアメリカ大統領選挙、候補者予備選が行われた。民主党のディーンは自らが開設したブログをフル活用する。コメントやトラックバックで議論が行き交い、ついには若者たちを中心に小口の政治資金を広く集めることに成功。企業やパーティーという古い手法に風穴を開けた。
 日本では2005年9月、郵政選挙が行われた。2ちゃんねるを筆頭にネットの世論は小泉支持一色となる。ところがマスコミは一瞥も投げない。結果はネットの世論形成力を見せつけた。かつ、ネットが世論を飛躍的に増幅する機能を併せ持つことが実証された。

 象徴的な事実を挙げよう。ヒッピー・ムーブメントをサブ・カルチャーの一典型とするなら、それが猖獗を極めた60年代、ひとりの青年がインドを彷徨いLSDに酔い禅を組んでいた。誰あろう、後にアップル・コンピュータを創設するスティーブ・ジョブズである。PCを革命的に飛躍させた人物である。サブ・カルチャーの申し子がネット社会の扉を押し開けたことになる。
 サブ・カルチャーの本能はカウンター・カルチャーである。それは時として反権力の砦となる。『ビヒーモス』が産声を上げたのだ。トマス・ホッブスが怖れ、リヴァイアサンにとって不倶戴天の敵が襁褓(ムツキ)を脱ぎ捨て歩み出そうとしていた。(下に続く)□


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カズかヒデか

2007年05月16日 | エッセー
 以下、ニュースから ―― 。
  ~~カズが日本人最年長ゴール
 サッカーの元日本代表でJ1横浜FCのFW三浦知良が5月12日、J1での日本人選手最年長ゴールをマークした。
 広島市の広島広域公園陸上競技場で行われたJ1第11節のサンフレッチェ広島戦で今季初ゴール。40歳2カ月16日での得点となり、3日に中山雅史(ジュビロ磐田)が記録したばかりの39歳7カ月10日を塗り替えた。歴代でも鹿島アントラーズ時代のジーコ前日本代表監督の41歳3カ月12日に次ぐ2位となった。
 三浦は前半42分、浮き球にタイミングを合わせて左足で豪快にゴール。試合は2―0で勝った。~~
 三浦知良 ―― この男とともにJリーグは産声をあげた。この男の存在なくしてJリーグはない。プロレスにおける力道山のごときものだ。プロ野球における長嶋のごときものだ。センセーションを巻き起こし、つねにその中心にいた。カズ・ダンスの登場はサッカーがプロスポーツになった瞬間だった。ピッチはパフォーマンスの舞台となった。一時(イットキ)は野球の影が薄くなるほどの隆盛を呼んだ。派手で意表を突く態(ナリ)といい、数々の名(迷)言録、プライベートでの話題性といい、カズは紛れもなく『スター』であった。
 1993年10月28日、カタールのドーハで悲劇は起こった。のち98年に日本はフランス・ワールドカップで初出場を果たすが、スターの姿はなかった。絶頂を越えたスターにさまざまな曲折が訪れる。やがて四十路を越え、いま現役最年長のJリーガーとしてピッチに立つ。
 
 スターであろうとなかろうと、誰にでも絶頂期はある。ただ、生涯にわたって絶頂にあり続けることはできない。夭折の天才以外にはありえない。だが、天才は同時代にその名が贈られることはまずない。となると、問題は絶頂期を過ぎての身の処し方だ。もちろん、絶頂を捉える感性は大前提となるが。
 そこに一形態として、『カズ』がいる。区切りをつけて、解説者やコーチ・監督に転身する道は十分に可能だったはずだ。だがカズは、スターではなくとも一選手であり続ける道を選んだ。おそらく彼はボロボロになるまで現役であることを止めないだろう。あのスポーツから三行半(ミクダリハン)を突きつけられるまでピッチに立つことを諦めないだろう。ひょっとすれば、心中する気かもしれない。痛々しくも、凄味のある生き様を見せるにちがいない。
 『カズ型』と呼ぶことにしよう。ピークを過ぎてもなお戦場を去らない武士(モノノフ)であり、アスリートたちだ。中山雅史はこの型だ。野茂英雄もそうだ。桑田真澄、有森裕子、高橋尚子も『カズ型』に入るだろう。おそらく日本人には多いタイプだ。そして日本人好みの類型だ。だから、灰も残らぬほど燃え尽きた「あしたのジョー」はあれほどの共感を勝ち得た。「宙船」もつまるところ『カズ型』であろうか。

 片や、中田英寿 ―― ヒデがいる。カズよりは十歳も若い。昨年7月3日、ネットで引退を表明。いま世界を巡る旅人だ。華麗なる転身。あっけないほど潔い引き際だった。新庄剛志もそうだ。荒川静香も入れよう。『ヒデ型』は意外と少ない。日本では希少な類型かもしれない。その絶頂でカットアウトする。音楽や映像では多用される手法だが、己の人生に援用するとは垂涎の生き様である。生中な才能ではなしえない。

 カズ型か、ヒデ型か ―― いいか悪いか、という話ではない。あなたはどちらに惹かれますか、という話だ。スポーツは人生の写し絵でもある。準(ナゾラ)えもできるが、現身(ウツセミ)は儘ならぬことだらけだ。その通りにはいかぬ。いわゆる「定年」以降の話ではない。むしろ絶頂は現役の直中(タダナカ)にあり、その後も依然として現役であり続けねばならぬところに難儀はある。絶頂が定年に重なればこれほどの僥倖はあるまいが、万に一つだ。

 愛娘の臨終にも立ち会わず、妻の末期にも駆けつけず、ひたすら鉄道員(ポッポヤ)稼業を貫いた老駅長。定年を直前にした雪の正月、娘が亡霊となって訪(オトナ)う。現れるたびに、見ることの叶わなかった成長の跡をなぞるように……。
     ◇     ◇     ◇
「おとうは、おめえが死んだときも、ホームの雪はねてたぞ。この机で、日報書いてたぞ。本日、異状なしって」
「そりゃおとうさん、ポッポヤだもん。仕方ないしょ。そったらこと、あたしなあんとも思ってないよ」
 乙松は椅子を回して振り向いた。ユッコは赤い綿入れの肩をすぼめて、悲しい笑い方をした。
「めし、食うべ。風呂へえって、おとうと一緒に寝るべ。な、ユッコ」
 その日の旅客日報に、乙松は、「異状なし」と書いた。
        (略)
「しかしまあ乙松さん、じゃなかった幌舞の駅長、いい顔してたなあ。俺もあやかりてえなあ。ほれ、そこのホームの端の雪だまりにね、しっかり手旗にぎって倒れてたですよ。口にゃ警笛くわえて」
「もうその話はすんな」
 仙次は運転台に乗り込む前に、ホームの先端に立って雪を踏んだ。乙松がここに倒れていたのは、淋しい正月をともに過ごして帰った、その翌朝のことだった。始発のラッセルが、前のめりに俯した遺体を見つけたのだった。 (浅田次郎「鉄道員」から)
     ◇     ◇     ◇
 万に一つの僥倖を描いたドラマである。『カズ型』の一典型であり、極致であろう。

 なお本稿を書いている途中に、自民党内で参院選にカズを担ぎ出そうとする動きがあるとの報道があった。おい、おい、である。まさかカズは承けまいが、もしそうなったら本稿はどうする。(中山)『ゴン』型とでも変更するか。どうにも収まりが悪いし、第一、「伽草子」の沽券にかかわる。カズよ、悪巧みには乗るな。乗せられるな。どうせ、起立要員のカズ(数)にされるに決まっている。そのうち、カスになって捨てられるは必定。君にお化け屋敷の赤絨毯は似合わない。ピッチに敷かれた緑の絨毯こそふさわしい。□


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「お言葉」を拝して

2007年05月11日 | エッセー
 売れているらしいので、読んでみた。『爆笑』したところは1個所もない。タイトルで人目を引こうとする気持ちは分かるが、ミスマッチだ。言葉は弱いが、せいぜい『微苦笑(ビクショウ)』であろう。
 ―― 長嶺 超輝著「裁判官の爆笑お言葉集」(幻冬社新書)である。法廷での、裁判官の「意外な」発言を集めている。いわば、裁判官発言――『変化球』特集である。マニアックな本ではあるが、ヒューマンな内容である。裁判官とて人の子。ならばこその苦悩を垣間見ることができる。
 一部を紹介すると。

◇死刑はやむを得ないが、私としては、君には出来るだけ長く生きていてもらいたい。
―― 死刑を言い渡して後。矛盾しているが、「遺族に謝罪を続けていってください」とつづく。
◇控訴し、別の裁判所の判断を仰ぐことを勧める。 ―― 死刑を言い渡して後。
◇尊い命を奪った罪は、被告人の一生をもって償わせるのが相当で、仮釈放については可能な限り、慎重な運用が成されるよう希望する。
―― 無期懲役を言い渡した後。(註:無期懲役は終身刑をいうのだが、実際には10年以上の服役で仮釈放の対象になる)
◇早く楽になりたい気持ちはわかるし、生き続けることは辛いかもしれないが、地獄をきちんと見て、罪の重さに苦しんでほしい。
―― 死刑求刑を退け無期懲役を言い渡して。
 上記四つは、死刑か無期か、究極の裁きである。義憤があり、躊躇はないにしても重圧が滲み出ているものもある。ちなみに、法は死刑判決が確定した後6ヶ月以内の執行を定めているが、実情は平均7年5ヶ月後に執行されている。苦汁の押印を避ける法務大臣がいるからだ。
◇この前から聞いてると、あなた、切迫感ないんですよ。
―― 姉歯秀次・被告人への質問で。自らの頭部をも偽装したあの男だ。
◇刑務所に入りたいのなら、放火のような重大な犯罪でなくて、窃盗とか他にも……。
―― 犯罪の指南をしているわけではない。クサいメシがお望みの「服役志願者」がいるのだ。ムショを最後のセーフティー・ネットにするとは、下手なデモより説得力がある。
◇暴走族は、暴力団の少年部だ。犬のうんこですら肥料になるのに、君たちは何の役にも立たない産業廃棄物以下じゃないか。
―― 足を洗おうとした仲間への集団暴行致死事件。こんなことを言う裁判官がいるのだ。大いに好感がもてる。
◇もうやったらあかんで。がんばりや。
―― まさか判決文ではない。窃盗罪に猶予つき有罪判決を下し、閉廷の後で。これも悪くない。
◇いい加減にこれっきりにしてください。
―― 万引き常習犯に。悲痛な『訴え』であろうか。
◇二人して、どこを探しても見つからなかった青い鳥を身近に探すべく、じっくり腰をすえて真剣に気長に話し合うよう、離婚の請求を棄却する次第である。
―― 熟年離婚裁判で。いい歳をコいたおばさんが裁判まで起こして、こんなお言葉でちょん。これでも分からないなら、蛙の面にしょんべんだ。
◇恋愛は相手があって成立する。本当に人を愛するなら、自分の気持ちに忠実なだけではダメだ。相手の気持ちをも考えなくてはいけない。
◇子どもは、あなたの所有物ですか? 社会全体の宝でしょ。
―― ストーカーと児童虐待。一時代前にはなかった事件だ。裁判官の発言にも時代が映る。
◇暴力団にとっては、石ころを投げたぐらいのことかもしれないが、人の家に銃弾を撃ち込むと相当、罪が重くなるわけです。
―― そこのところが分からないから罪に及ぶのだが……。判決は懲役11年の実刑。重い!
◇君の今後の生き方は、なくなった3人の6つの目が、厳しく見守っている。
―― 殺人犯に無期懲役を言い渡して後。これは相当キツいボディーブローになったにちがいない。
◇吸いたくなったとき、家族をとるか大麻をとるか、よく考えなさい。
◇最後の機会を与えます。返済するというあなたの言葉を、だまされたことにして信用するから。
―― この二つは猶予つき有罪判決を言い渡して後に。猶予をつけたのだから、これぐらいの捨てぜりふはいいだろう。

 木で鼻を括ったようなことしか言わない裁判官が、時として微苦笑を誘ってくれる。いい話だが、喜んでばかりはいられない。再来年、5月からの裁判員制度の開始。専門化され特化され過ぎた裁判のあり方に市民感覚を取り入れようとの狙いだ。おまけに陪審制とちがい、量刑まで担う。これは大改革である。果たして、吉と出るか凶と出るか。
 そこで唐突だが、欠片の主張 その5。

  〓裁判員制度は中止しよう! 
   裁判のコンピューター化に本格的に取り組もう〓

 なぜ裁判員制度なのか、とんと見当がつかぬ。明らかに一周も二周も遅れている。下手をすれば、時代錯誤、とんでもない先祖返りかもしれない。
 問題点はさまざまに指摘されている。
―― 参加への強制性の問題。守秘義務。個々の資質の問題。口下手な人はどうしても多弁な人に引きずられてしまう。激昂するタイプの人。逆に内向する人。その相互のコミュニケーションの問題。休業補償はどうなるのか。今のところ、判断は個別の企業に委ねられている。疾病をもつ人もいる。あるいは、ストレスにより病気になったら。障害者の参加は。メディアスクラム(マスコミによる集団的過熱取材)の危険性から守られるのか。などなど。
 クリア可能な周辺的問題もあるが、本質的には市民化がなぜ必要なのかということだ。自衛隊のシビリアン・コントロールとは訳が違う。
 洋の東西を問わず、法治とは性悪説から出発した。韓非もホッブスもしかりだ。リヴァイアサンに対するアンチテーゼなのだ。徳治は一瞬にして暗黒の統治や裁判にすり替わる。嫌というほどその辛酸を嘗めて、やっと人類が到達した結論である。だから徹して徳治主義を排除する。法によって権力に十重二十重の縛りを掛ける。早い話が、刑法の名宛人は誰あろう、裁判官である。罪刑法定主義が対象とするのは裁判官であり、決して被告人ではない。判決に恣意が介在することを徹頭徹尾排斥する。窃盗罪に死刑を宣告することも、殺人罪に3年未満の懲役を科すことも禁ずる。さらに、刑事訴訟法は検察官を含めた行政権力への軛である。行政権の行使にレギュレーションを掛けるものだ。同じ司法試験の難関をくぐっても、裁判官は司法権に属すが検察官は行政権に属す。
 したがって有り体に言えば、裁判で裁かれるのは被告人ではなく、行政権力の代理人である検察官である。性悪説を現実に背負うのは検察である。デュー・プロセスの原則もそこに由来する。かつ推定無罪の原則に照らせば、結審するまでは「犯罪者」は存在しない。それが近代裁判の鉄則である。人類の叡智だ。
 だから裁判員制度には、刑法の原則から考えて疑義がある。司法の独立を認め、職業裁判官に特化して付与した権能だからこそレギュレーションを掛けているのだ。その権能に不特定の市民が介在することは、刑法の対象が拡散する結果にならないか。本来、特権と制約はセットの筈だ。裁判員の登場は両者のバランスに齟齬をきたさないか。法の整合性に疑問が湧く。あるいは、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式の責任の希釈化なのか。はたまた、刑事裁判での99%という異常な有罪率への目眩ましか。もうひとつ穿って考えれば、憲法改正への陽動作戦かもしれぬ。なるほど、「市民」という言葉は耳に心地よい。
 ここはしばし沈思すべきではないか。疑わしきは罰せずの伝で、疑わしきは進まずの慎重さが必要だ。市民感覚なる漠たるものの代償に、法秩序をはじめ失うものが余りにも多すぎはしないか。複雑系の社会だからこそ、エキスパートが挨たれる。必要なのは市民感覚ではなく、専門知識であり、厳正なジャッジメントだ。「1000人の罪人を逃がすとも、1人の無辜を刑するなかれ」と、格言は戒める。
 付言すると、2004年、100年ぶりに大幅改正された刑法、刑訴法は、重大犯罪事件に対する法定刑の罰則強化と、公訴時効期間の延長などを柱とするもので、裁判員制度は同年成立した「裁判員法」に準拠する。2法は別々である。なぜ刑法に裁判員制度を追記しないのか。刑法を変えずに、刑事裁判のあり方を変える。これも腑に落ちない。
 さらに、上掲書で著者が次のように述べている部分。
  ~~法というものの仕組みは、つきつめれば「デジタル」に他なりません。すなわち「ある」か「ない」かという二項対立の組み合わせです。法律の条文に書かれた「要件」をすべて満たし、「スイッチ」が全部「オン(入)」ならば訴えは認められます。「要件」を満たさず、スイッチがひとつでも「オフ(切)」になっていれば、訴えは退けられます。ただそれだけのことです。~~
 性悪の前提に立つがゆえに、法は人的要素を極限まで削ぎ落とそうとする。徳治など欠片も残すまいとする。それが法治の在り方だ。そのベクトルに裁判員制度は明白に逆行する。人民裁判や陶片追放へのバイアスは寸毫も許してはならない。「アナログ」要素を徹底して排し、限りなく「デジタル」に近づけること。人為を極限まで消し去ること。それが罪刑法定主義の目指すところだ。非情こそが理想だ。せいぜい「お言葉集」程度が許容の限界である。
 神ならぬ人が人を裁けるのか。人が人ならぬ神業に挑戦すること。それが裁判である。ならば、いっそここで発想を変えて、神に近い存在に役目を委ねてはどうだろうか。つまりはデジタル化、機械化である。数十年を要する土木工事は機械化された。それは間化の極みである。人は苦役から解放された。神業のひとつだ。
 戦後だけでも60年を過ぎている。データは十分だ。プログラミングの技術も申し分ない。将棋ソフト「ボナンザ」が渡辺明竜王をさんざ苦しめたのはつい先月のことだ。将棋と裁判はもちろん違う。ソフト技術が進化している一例である。
 セキュリティーの問題。入力ミスの不可避。事実認定の関門。難題はうんざりするほどある。なにより、機械が人間を裁くことに対する抵抗感がある。しかし奇想といわれようと、裁判員制度という名の先祖返りよりはましではないか。もちろん、一足飛びにはいかない。データの活用から始めるのもいい。ともかく、「籖」で市民をかき集めるより、司法の前進はよほど確かだ。□


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朝日がサンサン おはようサン

2007年05月07日 | エッセー
 拓郎の「朝陽がサン」ではない。前代未聞の社説21連発。それも1日分の紙面にだ。さすがは朝日新聞と唸りつつも、余程のマニアか死ぬほど暇な人間でない限り読了は無理だろうと中半呆れた。しかし、労は多としたい。三代続く愛読者として梨の礫では相済まぬ。ささやかなレスポンスを試みる。

 5月3日、憲法記念日。「社説21」は次のようにはじまる。(抄録)

  〓提言 ―― 日本の新戦略 憲法60年   
 なにかと改憲論の試練にさらされてはきたが、この憲法が日本の民主主義や平和を支える基盤となってきたことは疑いの余地がない。
 朝日新聞にとって今日は、記者が凶弾によって命を奪われて満20年という格別な日でもある。〓

 この新聞社にとって、言論テロは慟哭の凶事であると同時に正義の矜恃(キョウジ)でもある。剣よりも強きペンを掲げようとする者の不屈の記念碑である。
 まず、今回憲法を論ずる前提として、将来の国家像を構想したところが新鮮だ。

  〓「地球貢献国家」をめざそう。これが「新戦略」のキーワードだ。さまざまに迫る地球上の困難に対し、省エネ、環境技術をはじめとする得意技で貢献する。さまざまな国際活動の世話役となって実りを生む。それが、日本の国益にも直結する。
 日本に相談したら、何か、困りごとに対応する糸口を見つけてくれる。そんな「ヘルプキー国家」である。
 世界は、ハードパワー(軍事力、経済力)だけでは動かない。文化、価値観、外交政策などの「魅力」によって望む結果を得る力、つまりソフトパワーがないと、ハードパワーも空回りに終わる。常にソフトパワーを意識し、魅力ある態度で理念や具体案を語っていかなくてはならない。
 日本は何を考え、どう行動すればいいのか。日本文化の伝統に根ざす三つの日本語を思い出しておきたい。「ほっとけない。もったいない。へこたれない。」〓

 以上が骨格の抜き書きである。経済大国でも、もちろん軍事大国でもない国家の有り様(ヨウ)を描く。意志があり道具立てが揃っていても、目指すべき山が決まらないことには始めようがない。国力の上から、歴史的にも、地政学的にも「地球貢献国家」は極めて納得がいく。その高みから憲法を俯瞰する。

  〓「戦争放棄」の第9条を持つ日本の憲法は、そのための貴重な資産だ。だから変えない。これも私たちの結論だ。ただし、準憲法的な「平和安全保障基本法」を設けて自衛隊をきちんと位置づけ、「専守防衛」「非核」「文民統制」などの大原則を書き込んではどうか。憲法の条文から自衛隊が読み取れないという「溝」を埋めるための工夫である。国連主導の平和構築活動には、一般の軍隊とは異なる自衛隊の特性を守りながら、より積極的に加わっていくことも、基本法にうたうのがよい。〓

 かつて同紙のコラムに、「中曽根康弘の改憲ロマンチシズム。宮沢喜一の護憲リアリズム。一つ加えれば、社民党党首土井たか子の護憲ロマンチシズム。」と書かれていた。言い得て妙である。この伝でいくと、安部晋三は改憲リアリズムか。ロマンチシズムはそのままがいい。生臭くなってはいけない。
 昨年話題を呼んだ「憲法九条を世界遺産に」(集英社新書)で、太田光は次のように述べた。
  ~~医学の発展というのは、皿の上で勝手に細胞が腐って変化しちゃったりとか、科学者が予期しないところでの発見が鍵になりますよね。ちょっとした偶然や突然変異がヒントになって進歩していく。日本国憲法のでき方も、それとよく似ているなと思ったんです。予想外のところでできてしまった。戦争していた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向かい合えたのは、あの瞬間しかなかったんじゃないか。日本人の、十五年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた。これはもう誰が作ったとかという次元を超えたものだし、国の境すら超越した合作だし、奇蹟的な成立の仕方だなと感じたんです。僕は、日本国憲法の誕生というのは、あの血塗られた時代に人類が行った一つの奇蹟だと思っているんです。この憲法は、アメリカによって押しつけられたもので、日本人自身のものではないというけれど、僕はそう思わない。この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思います。~~(一部、中略)
 本の題名を含め、なかなかの卓見である。好みのタイプではないが、見識は率直に認めざるを得ない。対談で、中沢新一は九条が抱える本質的なアンビヴァレンツを ――
  ~~普通の国の憲法では、不戦しか言わないでしょう。我々は軍隊を持つ。現実的な思考をすれば、国家にとっては不戦しかあり得ない。日本国憲法はそうじゃない。非戦だと言い切っている。そこが日本国憲法のユニークさなんですね。国家が国家である自分とは矛盾する原理を据えているわけで、日本国憲法が世界遺産に指定されるに値するポイントですね。日本国憲法は、普通の国の憲法とは違う。とくに九条があることによって、普通になれない。それは国家が自分の中に矛盾した原理を据えているからです。だからそれはある意味で、修道院に似ています。修道院のような暮らしは普通の人にはできない。でも、修道院のようなものがあると、人間は、普通ではできないけれど、人間には崇高なことにとり組む可能性もまだあるんだなと感じることができる。そういう場所があることは、すごく大事なことです。~~
 ―― と語る。「修道院」はおもしろい。おもしろいが、妙味を解さぬ輩もいるし、無粋な事情もある。そこで、朝日は生真面目にも「準憲法的な『平和安全保障基本法』」を提唱する。これが同紙としての新機軸であろう。
 もう一つ、興味をひかれたところがある。「歴史和解を確かなものにすることは、日本の安全保障問題だ」とした部分だ。

  〓日本がアジアで積極的に活動するには、近隣国から信頼されることが前提だ。「過去」で足をすくわれては、未来に向けた戦略は成り立たない。その意味で「歴史問題」を抱え続けることは大変な安全保障問題でもある。近隣国との和解を戦略の真ん中に据えるべきだ。 〓

 歴史問題の解決に安全保障というインセンティブを持たせたところが新しい。だが残念なことに、寸法が短い。もっと多面的に論じてほしかった。
 1年間にわたる模索の集大成であり、社を挙げての力作である。ネットでも全文を公開している(無料)。是非、御一読願いたい。

 連休が終わった。頭の回路も普段に戻し、サンサンたる「朝日」を浴びながら、この国の来し方行く末を沈思黙考してみてはいかがであろう。□


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東方見聞録

2007年05月03日 | エッセー
 1年2ヶ月ぶりに御上りさんをしてきた。前回は火急のことゆえ、目的地に直行し、すぐに取って返す旅であった。したがって東京『見学』もままならなかったが、今回はあちらこちらを巡行できた。その一端を録してみたい。
 
【腰痛】
 「体力がないと東京では生活できない」腫れ上がった足を揉みほぐしながらの、慚愧に堪えない最大の印象である。移動ひとつ、ドアツードアの田舎暮らしでは想像もつかない体力勝負だ。おまけに、わたしは腰が悪い。いたるところ、昇降の連続。プラットホームから水平移動して改札をくぐれるところは希だ。かつ、やたら歩く。「駅中(エキナカ)」が隆盛を極め、駅の中でさえ歩かねばならぬ。
 本来、駅とは改札があり、駅舎があり、細々としたキヨスクがあるだけの交通機関の『点』であると心得ていたのだが、いまや様変わりだ。街が駅に侵入し『面』をなし、『立体』をなしている。「駅中」はすでにして「街中」なのだ。
 「メタボリック・シンドローム」など『東京人』にはおそらく無縁にちがいない。メタボリックとは代謝ということだが、人間自体があの怖ろしく複雑な街の構造の中を目まぐるしく代謝している。動線を辿れば一目瞭然だ。「メタボリック・シティー」の中で代謝に異常を来すことなどあり得ようはずがない。それは人道に悖(モト)る所業である、と負け惜しみを言いつつ東京ばな奈ではなく、歩き過ぎによる『東京腰痛』を土産に持ち帰った。

【無礼者】
 あえて根拠をあげれば、右利きにあるのか。取り出すためには、どうしても左側に物を持つ。上着の左ポケットに財布があると取り出しやすい。あるいは万が一の時、利き腕で防御し攻撃を加えるためか。
 東京では、エスカレーターの左側に立つ。右側を空け、『自力』で昇降する者が通る。大阪は逆だ。おそらくこれは東京の向こうを張ったにちがいない。前述の『合理的』根拠に比べ、理屈が見当たらない。
 だが、そもそもエスカレーターは『他力』の階段である。そこに『自力』を持ち込むこと自体、宗旨が違う。そんなヤツは、『動かない』階段を使えばいいのだ。まあ、百歩譲れば、エスカレーターが増えて『自力の階段』が少なくなってきた事情があるのかもしれない。それにしてもだ。宗旨をはき違える無信心者がいる。
 2007年、4月29日(日曜日)、午後6時37分26秒。山手線大崎駅、ニュー大崎ビル、エスカレーター。危うく転びそうになったのである。うっかり右側に立っていた。ヤツは無言のまま身体をねじ込み、つまりわたしを左側に押し寄せ、そのまま『自力』で降りていった。しかも、空いている左側を迂回もせずにだ。堂々と自らの『権利』を行使するかのごとくに。1、2段は蹌踉(ヨロ)けてしまった。「失礼」の一言もなしにだ。
 法律のどこにそんなことが書いてあるのだ。都条例にでもそんなルールがあるのか。この不心得者が。とっ掴まえて、宗旨の混同に関することからでも説教しようかと呼び止める間もなく立ち去ってしまった。追っかける体力もない。コトに及んだら面倒だ。第一、このごろは腕力にはからっきし自信がない。無礼者の背中を睨みつけて、文明は人を幸せにしないなどと呪ってみるしかなかった。

【オレ、オレ】
 モノの本では読んだことがある。最近の女子高生が自らを『オレ』と言うのだ、と。いたのだ。この耳で聞いたのだ。実物を。
 4、5人の制服を着た女子高生の集団であった。学校帰りか、笑い騒(ザワ)めきながら自販機の前にたむろしていた。と、「オレ」が聞こえたのである。しかも何回も。何人も。はっきりと時代の『最先端』に触れた瞬間であった。
 浜崎あゆみなどが彼氏を「きみ」と歌う。いまのトレンドである。人称の変化は時代の反映でもあろうし、単一化はボキャ貧の先鋭的表出であろう。穿って考えれば、英語的発想なのか。ともかくも奇っ怪な現象である。この度、幸運にも謦咳に接することができた。上京した甲斐があったというものだ。
 いやー、団塊のおじさんは「オレ」の一撃に目眩を覚えたのである。すげーカルチャーショックであった。

【同じ】
 「きょうは祭りかい?」と呟いたほど、駅前から人の波である。それに、ぷーんといいにおいが鼻を刺激する。祭りに特有の、醤油の焦げたあのにおいだ。出どころは駅前の焼鳥屋だった。五月晴れ。参道はごった返している。
 京成金町線、柴又駅。同じだ。あの映画のシーンと変わりない。駅前に、鞄を提げたあの人の銅像が建つ。道路ひとつを渡って、門前町がつづく。団子屋、漬物屋、佃煮屋、鰻屋、煎餅屋、駄菓子屋がびっしりと建ち並ぶ。人混みをかき分けながら中ほどまで進むと、あった、あった。紛う方なき「とらや」の金看板が。「名物 草だんご」の幟がはためく。ここまで来て入らない手はない。注文は草だんごとラーメン。なぜラーメンなのか。ひょっとしたら、というひらめきがあったからだ。
 案にたがわず、極上のラーメンであった。「極上」とは、30数年も前に味わったあのラーメンと同じということである。黒くて、ひたすら辛い下町のラーメン。鳴門が一切れ、もやしに支那竹、少し厚く切ったチャーシュー。刻みネギが散らしてある。麺は少し細め。なにより天下御免の醤油味だ。甘いも辛いもめったに口に出さない味覚音痴の連れ合いが、「辛い」と唸ったほどに分かりやすい味なのである。わたしは嗚咽をこらえながらすすった。懐かしい出合いだ。持って帰れないのが残念だ。また別れねばならぬのが無念だ……。
 参道を抜けて帝釈天を折れ、少し行くと「寅さん記念館」がある。土手をくり抜いて造られ、エレベーター完備だ。もちろん、大船撮影所からセットが丸ごと移設されている。厨房との仕切にある暖簾を半開きにして顔を覗かせ、記念撮影する人もいる。さくらになった気分か。わたしは座敷への上がり框にどっかと座り、写真を一枚。一瞬の寅さんだ。柴又界隈の精巧なジオラマ。映像機器を駆使した展示。世に数多ある博物館になんら遜色はない。渥美清ではなく、寅さんに絞った記念館のコンセプトも納得だ。
 屋上は展望が一転し、見晴るかす江戸川のパノラマだ。さくらが自転車を走らせた土手道。いまも自転車が走る。広大な河原ではゴルフや野球に興じる人たち。転がり回って遊ぶ子どもたち。犬を散歩させる人。またしても、同じなのだ。江戸川では矢切の渡しの小舟が浮かぶ。一人100円ほどだ。わたしは土手の草の上で大の字になって、しばしまどろむ。いい気持ちだ。極上の昼寝である。
 よくよく観察すると、行き交う客はほとんどが在京の人たちだ。それも家族連れが多い。地方の訛りも言葉もほとんど耳にしなかった。ましてや、観光バスも小旗を持ったガイドを先頭に進む一団もまったくいない。漏れ聞こえてくる会話からすると、リピーターもかなりいる。ひょっとすると、ここは穴場かもしれない。東京に暮らす人たちの隠された観光スポットではないか。地方から来る観光客にはお定まりのコースがある。お台場、渋谷、新宿、六本木、浅草、秋葉原、それに東京ではないがディズニーランド、などなど。おそらく、柴又は入っていないだろう。ちなみに「はとバス」のコースを調べてみたが、柴又は見当たらない。
 寅さんの舞台に、山田洋次監督は最初、千葉のある街を候補に挙げていた。ところが現地に行ってみると、イメージと違う。帰りの車中でふっと浮かんだのが柴又らしい。なにせ戦時中の空襲を受けていない。だから戦前の街がそのまま残されている。途中下車して現地を踏んでみると、御眼鏡にかなった。イメージと『同じ』だったのだ。
 実は、同じ、同じと書いてきたが、話はアベコベなのだ。柴又が先にあって、寅さんが後から来たのである。ところが今やその主客が逆転しているところが、この町の魅力であり引力であるかもしれない。そこには、寅さんが生きた時代の昭和の街並みがある。門前町の店々では当意即妙に客とのやり取りが交わされる。コンビニのマニュアル言語ではない、しゃきしゃきの東京弁が飛び交う。なによりも客には「寅さん」の『実体験』がある。遙かいにしえの遺跡巡りではない。テーマパークのような人工物でもない。しかも近場も近場、23区内だ。おかしな物言いだが、もう一度言おう。柴又は映画と同じだった。

【オーバー クリーン】
 勿論、わたしの造語である。東京はキレイすぎる。特に駅やビルの中。度外れてキレイである。ごみ箱はない、灰皿はない。紙屑ひとつ、吸い殻のひとつも落ちてはいない。定期的どころか、二六時中スイーパーが立ち働いている。汚れてはいけないという強迫観念にでも追い立てられているのか。それこそ寅さんの時代の東京はもっと汚れていた。人間の痕跡があった。今は小ぎれいどころか、オーバークリーンなのだ。わたしのように田舎暮らしの生な人間には、いたたまれないほどにクリーンなのだ。およそ人間臭くない。無菌室などにでも押し込められたように息苦しいのだ。
 養老孟司氏によると、都市化は自然を排斥する、まず土を徹底して覆ってしまう、と。アスファルトとコンクリートでしらみつぶしに塞いでいく。なれの果ては、ヒートアイランドと、都心での洪水である。ちょっとの雨でも、大地に吸い込まれない水がたちまちに溢れる。
 とすると、『オーバー クリーン』は土を覆い尽くしてしまった後の、都市化の極みであろうか。はたまた、京都議定書の約束を守れないカモフラージュか、はらいせか。角を矯めて牛を殺すのは愚かだ。煙草吸いをいじめるのは止して、同じ努力を大気汚染の防止に振り向けたらどうかい、と言いたくなる。しかし、きっとどこかに想像を絶する汚染、汚濁が進行しているにちがいない。部屋をキレイに吸い取った後の掃除機の中はゴミだらけであるように。
 
 700年前、マルコ・ポーロは「東方見聞録」の中で、日本を「黄金の国ジパング」と紹介した。奥州中尊寺の金色堂の噂話を曲解したらしい。爾来、日本は東方の憧れの国とされた。六本木ヒルズを曲解して、わが首都を『黄金の都トーキョー』と呼ぶ愚は犯したくないものだ。ただ、マルコ・ポーロは日本人について「人を食べる」とも記述した。こちらの方は、わが首都になぞらえることもできなくはない。
 今回の『東方見聞』、『録』するに十分の内容であった。□


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