これは難題である。前稿も難渋したが、今回はそれ以上である。なぜ、おもしろいか。笑いを解(ホド)いたところで、さしたる値打ちはない。ないが、うっちゃっておくわけにはいかない。いままで小生意気なことを書き連ねてきた手前、これを見逃してはお天道様に顔向けができない。
♪♪ 右から 右から なにかが来てる
ぼくは それを 左へ受け流す
いきなりやって来た
右からやって来た
ふいにやって来た
右からやって来た
ぼくは それを 左へ受け流す
左から右へは 受け流さない
もしも あなたにも
右から いきなりやって来ることがあれば
この歌を 思い出して
そして 左へ受け流してほしい ♪♪
ムーディ勝山が歌う「右から来たものを左へ受け流すの歌」である。フルバージョンでは延々6分つづく。いまだ耳に触れたことのない方に、誤解が生じないようにことわっておくが、これは人生訓ではない。イヤなこと、ツラいことも受け流して、明るく前向きに生きていこう、などと訴えてなぞいない。「みなさんも悲しみや不安を受け流してほしい」との本人のコメントは、完全な後付けのコジツケだ。なにせ電気掃除機を使って清掃中、鼻歌からひらめいたのがこの歌(歌といえるなら)である。キリストにせよブッダにせよ、鼻歌まじりに教えを垂れたなどとは聞いたことがない。第一、あとで紹介する外のレパートリーと辻褄が合わない。失礼、言葉遣いをまちがえた。合わせる辻も褄もない。
「ミュージック、スタート」と一声を放ち、「チャラ チャ チャラ チャラー チャー チャラ チャ チャラ チャラー チャー …………」と30年前のムード歌謡「東京砂漠」の口伴奏が始まる。なんともショボい。内山田洋とクール・ファイブの艶(アデ)やかさなど微塵もない。ついでアカペラで歌い始める。顔は面長、髪は横分け、ちょび髭とあご髭、白いタキシードに黒の蝶ネクタイ。右手にマイクを握り、左手は拳にして脇腹に構え、しっかと前を見据えて歌う。音程は時々不安定、無理にキーを低くしているせいか高いところは引きつる。なにかをクっているようで、意外にまじめにも見える。付け加えると、外のレパートリーも「ミュージック」とメロディーは変わりない。そういう意味では首尾一貫している。
ムーディ勝山。26歳、お笑い芸人。滋賀県出身、吉本興業所属。本来はペアらしいが、ここのところピンがほとんど。「ムーディー勝山」ではないのだそうだ。終わりの「ー」は要らない。「ムーディ勝山」が正解。意味不明な、本人のこだわりである。
「さんまのまんま2007年新春スペシャル」に出演し、今年注目の若手芸人の一人として紹介される。『慧眼の士』はいるものだ。その後、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」 「爆笑レッドカーペット」などに出て、ブレイクしはじめる。3月には「エンタの神様」に初出演。今月24日には「笑っていいとも!」のクイズコーナーに登場。昨年の年収が24万円であったことが分かり、涙ではなく笑いを誘った。
レパートリーは7曲ぐらい。前述の「右から左……」以外に ――
「上から落ちてくるものをただただ見ている男の歌」
♪♪ 上から 上から 何かが落ちてくる
ぼくはそれを見てる
いきなり落ちてきた
上から落ちてきた
ふいに落ちてきた 上から落ちてきた
ぼくは それをただただ見てる
上から下に 落ちる
3メートルぐらい 離れたところに
落ちてきた
もしも あなたにも
上から いきなり落ちてくることがあれば
この歌を 思い出して
そして ただただ 見ていてほしい ♪♪
「数字の6に数字の5を足したの歌」
♪♪ 数字の6に 数字の5を足した
数字の6に 数字の5を足した
いきなり足してみた
数字の6に足してみた
ふいに5を足してみたのさ
数字の 数字の 数字の6に
数字の5を足した ♪♪
「2日(フツカ)前から後頭部に違和感がある男の歌」
♪♪ 2日前から 後頭部に違和感がある
2日前から 後頭部に違和感がある
3日前までは 何にもなかったの
急に2日前から 後頭部に違和感がある
なぜか 後頭部に違和感がある
いままで一度も 大きい病気に
かかったことないから 大丈夫
きっといける 多分大丈夫
でも 後頭部には違和感がある ♪♪
歌詞は不明だが(おそらく、意味も不明だろうが)、「37歳の唄」 「嫁はんがチョイスしたシャツを着てるの歌」 「窓から虫が入ってくるのを気にしない女の歌」 「白い何かの歌」 ―― 。
わたしは初めて遭遇した時、エイリアンと見紛(ミマガ)えた。「な、なんだ。こいつは!」と仰け反った。少々のものには動じないつもりだったが、その誇りをいたく傷つけられた。
同じ歌ネタでも、波田陽区ともはなわとも違う。おちょくりも諷刺もない。当初、評価は芳しくなかったらしい。「何がおもしろいの?」「普通に笑えない」「何が言いたいの?」などの声があったそうだ。しかしこうまでブレイクしてしまうと、笑わないでもいた日には世間様が許さない。
そこでだ。冒頭の難題に立ち返る。
いわゆるナンセンス・ギャグなのであろうか。赤塚不二夫の系譜を継ぐものなのか。そうではないだろう。歌詞がある以上、ナンセンスではなかろう。吉本も最近は多彩だ。「体育会系」もいるが、それだけではない。魑魅魍魎の世界である。
考え落ちでもなさそうだ。少なくとも、「サゲ」ても「落ち」てもいない。むしろ「浮き」上がっている。『考え浮き』だ。意味があってこそ、考えは「落ちる」。「あー、そういうことだったのか」となる。しかし、カツヤマくんの詞に意味はあるのだろうか。なぜ、左から右へは受け流さないのか。結論を得るには確実に100年の熟考を要する。だから意味は詮索無用だ。だが言葉が並ぶと、無用ではあるがそれでも意味をなす。考えても、考えてもそれは定まることを知らない。「あー、そういうことでもなかったのか」となる。だから、浮くのだ。『考え浮き』である。
一発ギャグでもない。時代を背に負うギャグの衝撃力はない。「ガチョーン!」の裏には右肩上がりの時代のうねりがあった。つべこべ言わず、ころあいでシャッフルしてもどうにでもなった。いま、その勢いはない。
笑いの主要素が「意外性」にあり、時代や社会を準(ナゾラ)えると仮定する。ドタバタでもギャグでも風刺の爽快感でもなく、考え落ちでもないもの。意味のおかしさではなく、意味のないことのおかしみ。『考え浮き』の浮遊感こそがいまに相応(フサワ)しいのかもしれない。世の行く末は定かならぬ。考えて意味があるのか、はたまた、ないのか。こたえは浮き、かつ漂う。
もしかすると、歳に似ずムード歌謡なぞに先祖返りした若者が、鼻歌でわれわれを手玉にとっているだけなのかもしれない。そうだとすれば、勲章か、はたまた死を、だ。
どちらにせよ、今のお笑い界は短命である。賞味期限、1年というところだ。カツヤマくんも『夭折の天才』で終わるだろうが、今は旬。存分に笑わせてもらおう。
ちなみに、わたしの着うたは「右から来たものを左へ受け流すの歌」をDLして使っている。おそらく、前農水大臣はこの歌を聴いたことはなかったのだろう。あるいは流そうにも水が高価すぎたか。惜しまれる……。□
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♪♪ 右から 右から なにかが来てる
ぼくは それを 左へ受け流す
いきなりやって来た
右からやって来た
ふいにやって来た
右からやって来た
ぼくは それを 左へ受け流す
左から右へは 受け流さない
もしも あなたにも
右から いきなりやって来ることがあれば
この歌を 思い出して
そして 左へ受け流してほしい ♪♪
ムーディ勝山が歌う「右から来たものを左へ受け流すの歌」である。フルバージョンでは延々6分つづく。いまだ耳に触れたことのない方に、誤解が生じないようにことわっておくが、これは人生訓ではない。イヤなこと、ツラいことも受け流して、明るく前向きに生きていこう、などと訴えてなぞいない。「みなさんも悲しみや不安を受け流してほしい」との本人のコメントは、完全な後付けのコジツケだ。なにせ電気掃除機を使って清掃中、鼻歌からひらめいたのがこの歌(歌といえるなら)である。キリストにせよブッダにせよ、鼻歌まじりに教えを垂れたなどとは聞いたことがない。第一、あとで紹介する外のレパートリーと辻褄が合わない。失礼、言葉遣いをまちがえた。合わせる辻も褄もない。
「ミュージック、スタート」と一声を放ち、「チャラ チャ チャラ チャラー チャー チャラ チャ チャラ チャラー チャー …………」と30年前のムード歌謡「東京砂漠」の口伴奏が始まる。なんともショボい。内山田洋とクール・ファイブの艶(アデ)やかさなど微塵もない。ついでアカペラで歌い始める。顔は面長、髪は横分け、ちょび髭とあご髭、白いタキシードに黒の蝶ネクタイ。右手にマイクを握り、左手は拳にして脇腹に構え、しっかと前を見据えて歌う。音程は時々不安定、無理にキーを低くしているせいか高いところは引きつる。なにかをクっているようで、意外にまじめにも見える。付け加えると、外のレパートリーも「ミュージック」とメロディーは変わりない。そういう意味では首尾一貫している。
ムーディ勝山。26歳、お笑い芸人。滋賀県出身、吉本興業所属。本来はペアらしいが、ここのところピンがほとんど。「ムーディー勝山」ではないのだそうだ。終わりの「ー」は要らない。「ムーディ勝山」が正解。意味不明な、本人のこだわりである。
「さんまのまんま2007年新春スペシャル」に出演し、今年注目の若手芸人の一人として紹介される。『慧眼の士』はいるものだ。その後、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」 「爆笑レッドカーペット」などに出て、ブレイクしはじめる。3月には「エンタの神様」に初出演。今月24日には「笑っていいとも!」のクイズコーナーに登場。昨年の年収が24万円であったことが分かり、涙ではなく笑いを誘った。
レパートリーは7曲ぐらい。前述の「右から左……」以外に ――
「上から落ちてくるものをただただ見ている男の歌」
♪♪ 上から 上から 何かが落ちてくる
ぼくはそれを見てる
いきなり落ちてきた
上から落ちてきた
ふいに落ちてきた 上から落ちてきた
ぼくは それをただただ見てる
上から下に 落ちる
3メートルぐらい 離れたところに
落ちてきた
もしも あなたにも
上から いきなり落ちてくることがあれば
この歌を 思い出して
そして ただただ 見ていてほしい ♪♪
「数字の6に数字の5を足したの歌」
♪♪ 数字の6に 数字の5を足した
数字の6に 数字の5を足した
いきなり足してみた
数字の6に足してみた
ふいに5を足してみたのさ
数字の 数字の 数字の6に
数字の5を足した ♪♪
「2日(フツカ)前から後頭部に違和感がある男の歌」
♪♪ 2日前から 後頭部に違和感がある
2日前から 後頭部に違和感がある
3日前までは 何にもなかったの
急に2日前から 後頭部に違和感がある
なぜか 後頭部に違和感がある
いままで一度も 大きい病気に
かかったことないから 大丈夫
きっといける 多分大丈夫
でも 後頭部には違和感がある ♪♪
歌詞は不明だが(おそらく、意味も不明だろうが)、「37歳の唄」 「嫁はんがチョイスしたシャツを着てるの歌」 「窓から虫が入ってくるのを気にしない女の歌」 「白い何かの歌」 ―― 。
わたしは初めて遭遇した時、エイリアンと見紛(ミマガ)えた。「な、なんだ。こいつは!」と仰け反った。少々のものには動じないつもりだったが、その誇りをいたく傷つけられた。
同じ歌ネタでも、波田陽区ともはなわとも違う。おちょくりも諷刺もない。当初、評価は芳しくなかったらしい。「何がおもしろいの?」「普通に笑えない」「何が言いたいの?」などの声があったそうだ。しかしこうまでブレイクしてしまうと、笑わないでもいた日には世間様が許さない。
そこでだ。冒頭の難題に立ち返る。
いわゆるナンセンス・ギャグなのであろうか。赤塚不二夫の系譜を継ぐものなのか。そうではないだろう。歌詞がある以上、ナンセンスではなかろう。吉本も最近は多彩だ。「体育会系」もいるが、それだけではない。魑魅魍魎の世界である。
考え落ちでもなさそうだ。少なくとも、「サゲ」ても「落ち」てもいない。むしろ「浮き」上がっている。『考え浮き』だ。意味があってこそ、考えは「落ちる」。「あー、そういうことだったのか」となる。しかし、カツヤマくんの詞に意味はあるのだろうか。なぜ、左から右へは受け流さないのか。結論を得るには確実に100年の熟考を要する。だから意味は詮索無用だ。だが言葉が並ぶと、無用ではあるがそれでも意味をなす。考えても、考えてもそれは定まることを知らない。「あー、そういうことでもなかったのか」となる。だから、浮くのだ。『考え浮き』である。
一発ギャグでもない。時代を背に負うギャグの衝撃力はない。「ガチョーン!」の裏には右肩上がりの時代のうねりがあった。つべこべ言わず、ころあいでシャッフルしてもどうにでもなった。いま、その勢いはない。
笑いの主要素が「意外性」にあり、時代や社会を準(ナゾラ)えると仮定する。ドタバタでもギャグでも風刺の爽快感でもなく、考え落ちでもないもの。意味のおかしさではなく、意味のないことのおかしみ。『考え浮き』の浮遊感こそがいまに相応(フサワ)しいのかもしれない。世の行く末は定かならぬ。考えて意味があるのか、はたまた、ないのか。こたえは浮き、かつ漂う。
もしかすると、歳に似ずムード歌謡なぞに先祖返りした若者が、鼻歌でわれわれを手玉にとっているだけなのかもしれない。そうだとすれば、勲章か、はたまた死を、だ。
どちらにせよ、今のお笑い界は短命である。賞味期限、1年というところだ。カツヤマくんも『夭折の天才』で終わるだろうが、今は旬。存分に笑わせてもらおう。
ちなみに、わたしの着うたは「右から来たものを左へ受け流すの歌」をDLして使っている。おそらく、前農水大臣はこの歌を聴いたことはなかったのだろう。あるいは流そうにも水が高価すぎたか。惜しまれる……。□
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