伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

母親の死生観

2022年04月30日 | エッセー

 28日に見つかった右足側と同じメーカー、色、サイズの左足側の運動靴と片方の靴下も見つかり、県警が関連を調べている。
「DNA鑑定の結果も出ていないですし、娘のものと信じたくはない」
「必ず元気に戻ってくれると信じている。美咲も家に帰りたいと思っていると思うので、見つかるまで探したい」
 この発言に強い違和感を覚えた。話は逆で、早く弔ってほしいと娘が母親を呼んだのではないか。それを母親が拒んでいる。そんな図が仄見える。
 わが子の生存を確信して捜索する。それは解る。しかしここに至る2年半、この母親は万が一に備えどのような心の準備をしてきたのか。そこが腑に落ちない。そこに稚拙な死生観が窺えるからだ。否、死者が欠如した生者のみの現世(ウツシヨ)が。言い換えれば、カットインとカットアウトの截然たる死生感覚とでもいおうか。
 思想家 内田 樹氏はこう語る。
〈「もう生きていない」が「まだ死にきっていない」ものについての「第三のカテゴリー」を作り出すことがなければ「祀る」という行為は始まらない。生物と無生物の間の「第三のカテゴリー」、それが「死者」である。死者はもうそこにはいない。私たちは死者の声を聞くことができない。けれども死者の声の「残響」はまだ空中にとどまっている。〉(「武道的思考」から)
 勘違いしないでほしい。「死者の声を聞く」とはオカルティズムではない。霊力、憑霊でも口寄せでもない。そうではなく、不可視な世界にまで及ぶプリミティブな想像力の謂である。
 だが、マスコミは極めて解りやすい愚物を血祭りに上げることに必死だ。「知床遊覧船」のなんとか社長である(名前はどうでもいい)。KAZU Ⅰの知れ切った無謀を晒すことに血眼になっている。なんとも奇怪な話だ。前述した「死者」の複雑性に比して、この単純な事故への執着はマスコミの知性の衰微を裏書きしているといえなくもない。
 今も、娘は残響を放つ。葬送を求めて……。 □


岸田の(ま、)

2022年04月27日 | エッセー

 (ま、)と言っても話の間ではない。それは落語家の妙技だ。武道の間合いの間でもない。3密を避ける間でもない。「えー」「えーっと」「んー」はよくある。かつて一世風靡した「まぁー、そのー」もある。変わったところでは「あーうー宰相」もいた。しかし、これは毛色が違う。
 原稿を読むスピーチでは稀に、ぶらさがりやノー原稿での発話では決まってその冒頭に挿入される「ま、」である。いや、「ま、」ほど強くない。「ま、」とは書けない。書くとなればやはり、(ま、)だ。
「(ま、)その件につきましては……」
「(ま、)こういった予算も含まれておりますから……」
「(ま、)参加の可能性を検討して……」
 といった具合に頻出する。余程気をつけていないと聞き逃す。いったん気にし始めると、耳障りなことこの上ない。なんにせよ、総理として発言が軽くなっていけない。側近が諫言し、強制的に矯正(ダジャレ、失礼)したほうがいいかも知れない。
 では、岸田政治の「間」はどうか? これは結構というか、意外にも上手く取れている。
 元首相の「あんな男」と間を置き始めている。安普請で張りぼての感はあるものの「新しい資本主義」は「アベノミクス」へのアンチテーゼだ。アベノミクスとは企業に多量のカネをばら撒いて景気を盛り返そうとする企てだった。日本経済はすでに成熟期に入っているのに、それには目を瞑って張りぼての成長を狙った。ガチョウに多量の餌を無理やり食わせて肝臓を肥大させ、フォアグラを採ろうとするような愚策だった。案の定、肝臓は肥大する前に肝硬変を起こしてしまった。餌に使った国債は幾何級数的に積み上がり、変なバブルを生みつつある。なにより給料が上がっていない。OECDのデータによれば、2020年の平均賃金(約447万円)はOECD加盟35ヵ国中の22位。18位の韓国(約477万円)より下位にあり、30万円も安い。「あんな男」は一体何をして来たのか。
 ウクライナに悪乗りして「あんな男」が核共有なぞと騒ぎ始めると、非核三原則の堅持を確認し出鼻をぴしゃり。「あんな男」と確執のある林外務大臣の起用は、北方領土を始め何の成果も生めなかった「アンバイ外交」からの決別といえなくもない。
 〈「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と改称し、相手国指揮統制機能をも反撃対象に含める。国防費はGDPの2%以上。〉これは自民党の提案であって、岸田内閣の方針ではない。
 コロナでは、つまらない流行り歌を掛けながらペットを抱いて自宅のソファーで寛ぐ動画が顰蹙を買ったアンバイ君。比するに、遅い遅いと尻を叩かれながらもなんとなく集団免疫の曙光が見えてきた幸運で支持率も尻上がりになっている。
 してみれば、アンバイ政治の「間」は「間抜け」の「間」となる。「あんな男」の成れの果てだ。大言壮語して結局口先男と扱き下ろされ大汚点となるよりも、(ま、)がよっぽど増し、安全策か。岸田の(ま、)は案外捨てた物ではなさそうだ。(ま、)そんなところで……。 □


孫娘

2022年04月24日 | エッセー

 体調芳しからず、今年は「媼」にも「翁」(15年4月、拙稿「媼と翁」)にも会わず終いだった。代わりに昨日、斜向かいのお宅にある八重桜を見せていただいた。
 道路を跨いで、その距離7メートル。毎年訪う「媼」の圧倒的な存在感に気圧されて見れども見えず、至近距離にあるこの桜を等閑視してきた。凡愚の浅識である。
 「八」は事物を左右に分けた様を字源とする。別てば殖産に通じ、末広がりは吉事の予感に満ちる。通途は5枚、6枚以上の花弁を付ける桜を八重咲き、八重桜と呼ぶ。染井吉野に遅れること1、2週間で開花を迎える。「媼」の孫といえなくもない。前者の開花が空間に鋭く放射されるのに比し、後者は空間を楚楚と包み込む。おぼこの所作か。あの撫子色は乙女の頬を染める恥じらいか。
 染井吉野は江戸後期、江戸駒込の染井村の植木屋が売り出した桜だ。その際、山桜の名所「吉野の桜」を強かにも借名しその名とした。今なら裁判沙汰だが、もはや古き良き時代の逸話といえる。全国の桜の名所で咲き誇るソメイヨシノはそのクローンたちだ。だから一斉に咲く。見事といえばそうだが、人為を払拭し難く無粋でもある。
 「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」
 いにしえより春の風物詩は八重桜が定番だった。新参者の染井吉野なぞ足元にも及ばない。
 昨夜の夕餉、「孫娘」に祝意を込めて一献花見酒を舐めてみた。刹那、安酒に奈良の都が香ったような、そうでもないような。 □


出色の番組

2022年04月20日 | エッセー

 今月18日、NHK「映像の世紀バタフライエフェクト──ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」は出色だった。
〈冷戦下の東ドイツ。抑圧された社会で生きる3人の女性がいた。見えない将来に絶望していた物理学者のアンゲラ・メルケル。体制への批判を歌にこめた歌手ニナ・ハーゲン。デモで自由を訴えた学生のカトリン・ハッテンハウワー。1989年、政府報道官のひとつの失言から始まったベルリンの壁崩壊は、巨大な嵐を巻き起こし3人の女性の運命を変えていく。宰相メルケル誕生に秘められた、絶望の中から希望をつかんだ女性たちの物語。〉(番組HPから)
 1人目。東ドイツで牧師の娘として生まれたアンゲラ・メルケルは物理学の道を歩む。20歳のころ、ドイツの青年を魅了していた歌は『カラーフィルムを忘れたのね』。1歳違いの国民的アイドル歌手ニナ・ハーゲンが暗喩をたっぷり効かせた体制批判の曲だった。後、イギリスに亡命しパンクロックへと進み「パンクのゴッドマザー」と呼ばれる。彼女が2人目。メルケル20歳のころの「ある日の月曜日」、秘密警察シュタージの許可なしで「開かれた国」を掲げた東ドイツで最初の学生デモが行われた。主導者はカトリン・ハッテンハウワー。直ちにシュタージに逮捕される。だが後、毎月曜日ごとにデモは繰り返され数年後「国民は、目的・親戚血縁の申請なく、旅行をすることを許可する」という法律改定に結実する。彼女が3人目。
 番組は3人の軌跡を追う。まるでドラマだ。事実は小説よりも奇なりである。
 メルケルが政界入りし第4次コール政権の女性・青少年問題相だったころ、薬物使用についてテレビ討論会が開かれた。出席したニナ・ハーゲンが薬物問題についてメルケルに噛みつく。メルケルは微笑みながら静かに受け止めている。ついにニナ・ハーゲンは激高し席を蹴って立ち去る。周りは制止するが、メルケルの微笑みはそのまま。同年配なのに、まるで大人と駄々っ子。実に好対照。すでに大政治家の片鱗を見せていた場面だった。
 そして大団円。昨年12月8日、メルケルは16年間勤め上げた首相を辞し政界からも引退した。退任式で、恒例により当人のリクエスト曲を軍音楽隊が演奏した。音楽隊は戸惑いつつも1週間でなんとか仕上げる。その曲がなんと『カラーフィルムを忘れたのね』だった。やることがなんとも粋だ。「この曲は青春時代のハイライトだった」とメルケルは語った。
 政治家時代としてのハイライトは中東難民の受け入れではなかったか。国内の猛反発に屈せず頑として譲らなかった。おそらく、プロテスタンティズムに誘起されたホロコーストへの贖罪意識が裏打ちされていたのではないか。一国のトップリーダーのありようを歴史に刻したシーンだった。比べるのも恥ずかしいが、どんどん負の遺産が露見されていくどこかの汚点首相なぞ足元にも及ばない。国民のひとりとして「あんな男」を宰相に押し上げた責任の一端に恥じ入るばかりだ。
 ともあれNHKはいい番組を作る。ただし、政治の介入だけは大きなお世話だが……。 □


世界人口の減少は地球を救う

2022年04月17日 | エッセー

 1万2千年前の農業革命以来ひたすら世界の人口は増え続けてきた。18世紀後半から19世紀にかけて産業革命が起こり、第1次人口爆発を迎える。急増分は商工業の発展と植民地への流入で吸収された。さらに1950年以降は幾何級数的に伸びて1970年、37億人に達する。これが第2次人口爆発である。前期のような産業の発展が伴わず第三世界の貧困・食糧問題が発生し、先進国への労働力移動をもたらした。
 人口増加は人類の宿痾。そう言われて久しい。
 ところが、人口問題のオーソリティである河合雅司氏は近著「世界100年カレンダー」(朝日新書)で刮目すべき見解を提示している。向こう100年、世界は少子高齢化による人口減少に直面するというのだ。要旨を抜粋すると──
▼国連の「世界人口推計」(2019年)ほか、今後50年もせずして人口減少に転じるという試算が少なくない。世界人口は43年後の2064年に約97億3000万人でピークを迎え、あと数十年のうちに本格的な人口減少時代に突入することになりそうである。
▼少なくとも東アジアでは人口の収縮が始まっている。中国では生産年齢人口がすでにピークアウトしており、総人口も減少に転じている。韓国と台湾は2020年に人口減少に転じた。
▼21世紀は主要国でも人口の減る国が少なくないが、日本の減り方は驚異的だ。
▼21世紀前半に人口が大きく伸びる「サハラ砂漠以南のアフリカ」の国々も例外ではなく、地球規模で少子化が進む。
▼地球規模で女性が子どもを産まなくなる傾向にあり、少子化がすでに急速に進行している。豊かになり教育や公衆衛生が普及し、幼児死亡率が改善し「少産」へ向かっている。
▼一国単位ならば、移民で辻褄合わせもできよう。当座の経済成長を維持することも可能だが、世界規模の人口減少で「世界」という器のサイズが縮む以上早晩限界が訪れる。
▼アメリカでも総人口の伸び率が鈍化を見せ始めている。高齢化で亡くなる人が増加し平均寿命が短くなってきている。
▼中国で2060年に高齢者数がピークを迎えるということは、日本と同じ流れにあり、これからの40年間の中国社会は、若い世代が減りながら高齢者だけが増えていく。
▼インドは2024年の14億3191万人をもって減り始める。中国とともに21世紀前半にピークを迎え、その後は急激に減少していく。
▼21世紀前半に人口が大きく伸びる「サハラ砂漠以南のアフリカ」の国々も例外ではない。地球規模で少子化が進む。──となる。肝は次だ。
【温暖化など解決が急がれる「既存の地球規模の課題」は、世界人口が減ることで解消に向かう。とはいえタイムラグが長い。このジレンマを解消する切り札が、クリーンエネルギー改革だ。脱炭素社会の実現は「低所得国」の経済発展に備え、その発展に頼りながら生きていこうという「高所得国」をはじめとする国々が21世紀を生き抜いていくための知恵であり方策である。】
 世界規模の人口減少でエネルギー使用も減少する。それは温暖化など地球規模のアポリアを克服させてくれる。しかしすぐにとは行かない。時間が掛かる。クリーンエネルギー社会はまだまだ先だ。その間もエネルギーは要る。人口は減っても経済をポシャらせるわけにはいかない。経済を回して喰っていかねばならぬ。石油の埋蔵は後50年、シェールガスも後50年は持つ。合わせて100年。ちょうど世界人口の減少移行期の100年に当たる。経済の発展は今の低所得国にトポスが移るが、そこも人口は減っていく。それらの国々にとって高エネルギー消費は頭数が減るだけに魅力的だ。ぶっちゃければ、石油やガスをたっぷり使って高度成長を維持してくれれば、先進国はどんどん輸出ができる。喰いつなげる。その次のフェーズは今の先進国が十八番とするクリーンエネルギーだ。そうなれば、また優位に立てる。そういう話である。ファクトフルネスとはまことにややこしい。
 世界人口の減少は地球を救う──逆転の発想などではない。事実の歩みだ。自然の調整弁だ。ただし、狂気の世界戦争による人口減少はまったくの想定外である。 □


アインシュタインの手紙

2022年04月12日 | エッセー

閣下、
 過去4か月の間に、フランスのジョリオ、またアメリカのフェルミとシラードの研究によって、大量のウランによる核連鎖反応が有望なものとなってきました。
 この新たな現象は爆弾、それも、あまり確かとは言えないのですが、考えられることとしては極めて強力な新型の爆弾の製造につながるかもしれません。船で運ばれ港で爆発すれば、この種の爆弾ひとつで、港全体ならびにその周囲の領域を優に破壊するでしょう。
 私の知るところでは、実際ドイツは、ドイツが接収したチェコスロバキアの鉱山からのウランの販売を停止しています。こうした、いち早い行動をドイツが取ったことは、おそらくはドイツ政府の外務次官フォン・ヴァイツゼッカーの子息が、現在ウランに関するアメリカの研究のいくつかを追試しようとしているベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所に所属していることを根拠として理解できるでしょう。


 「アインシュタインからルーズベルト大統領への手紙」である(500字ほどを要録した)。日付は1939年(昭和14年)8月2日。第2次世界大戦開戦の1ヶ月前である。ナチの政権掌握が1932年、翌年すでにアインシュタインはアメリカに亡命していた。
 この手紙は、ナチが原爆の開発に着手しているからアメリカは後れを取ってはならない、との提言である。3年後、マンハッタン計画として実現しヒロシマ・ナガサキへと連なる。アメリカにおける「必要悪」論に科学的エビデンスを供するものとなった。
 「ナチが核に手を染めた。アメリカよ、先を越せ!」
 である。あまり知られていないことだが、実はアインシュタインは独り合点をしていた。ナチは核開発をしていなかったのだ。ヒトラーはアーリア人優越の人種的盲信を掲げ、ユダヤ人を徹して憎んだ。ユダヤ人の手になる書物を焚書に処し、ユダヤ人による学問的業績を根絶やしにした。果てはジェノサイド、ホロコーストとユダヤ人そのもの民族的絶滅を図った。そのヒトラーにユダヤ人科学者の存在など全く眼中になかった。一顧だにしなかった。ましてやユダヤ人が主導した核開発には何の興味も示さなかったのである。ヒトラーの関心は核にではなくミサイルに向いていた。大量の人員を投入し失敗を繰り返した末、1942年V2ロケットが完成する。中心者はのちアポロ計画を率いたヴェルナー・フォン・ブラウンであった。
 アインシュタインに悪意はなかったにちがいない。ナチス憎しの先入主に眼が曇ったのだろう。後年、彼は大いに悔やむことになった。天才の手から水が漏れたというべきか。
 常識のピットホールである。脳はもともと物臭で知的負荷を厭う。ために、ついピットホールに引っ掛かる。だが、たまにツッコミを入れると意想外な展開を見せる。知的“ノリツッコミ”も案外捨てたものではない。 □


ゴルバチョフとウクライナ

2022年04月08日 | エッセー

 あまり語られないことだが、ウクライナに独立をもたらしたのはミハイル・ゴルバチョフ氏であった。31年前の1991年8月24日、近世コサックの叛乱以来350年が経っていた。
 1985年ソ連共産党書記長に就任以来推進したグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)の歴史的帰結であった。
1991年──
3月 ゴルバチョフの新連邦条約に対する国民投票
8月19~22日 ソ連のクーデター/24日 ウクライナ独立宣言
 ※この折、西側の東方進出を禁ずる密約があったともいわれるが、成文条約はなく、独立はソ連邦全体の祝祭的うねりの中で進んでいったと見るべきだろう
12月1日 独立の是非を問う国民投票、大統領選挙。クラフチューク,初代大統領に就任。
 その時、事は目まぐるしく推移した。
 してみると、プーチンはゴルバチョフ氏のレガシーを無惨にも溝(ドブ)に捨てたことになる。戦争はその能力と意思が揃わなければ起こらない、否、起こせない。ましてやこの場合、意志が狂気に呑み込まれている。苛斂誅求は度を超えている。
 侵攻直後の2月26日、ゴルバチョフ財団は一刻も早い戦闘停止と和平交渉開始を呼びかける声明を発した。
「世界には人間の命より大切なものはなく、あるはずもない。相互の尊重と、双方の利益の考慮に基づいた交渉と対話のみが、最も深刻な対立や問題を解決できる唯一の方法だ。我々は、交渉プロセスの再開に向けたあらゆる努力を支持する」
 生命尊厳に基づいた相互の尊重と利益。対話路線。対立を捨て人類益を優先する協調。これぞゴルバチョフ氏の真骨頂である。40年を隔てても、氏の姿勢に微塵もブレはない。
「ウクライナに軍事侵攻し、「核大国」を誇示して威嚇するプーチン大統領の行動は決して容認できない。一刻も早い停戦に向けて各国は尽力すべきだ」
 としつつも、
「ただ、冷戦終結とソ連崩壊から30年以上たった今、なぜ今回の事態が防げなかったのかを冷静に振り返り、見つめ直す必要がある。留意しておくべきは、西側が冷戦終結後の対ロシア戦略を誤り、東西をカバーする安全保障の国際管理に失敗したという現実だ」
 と、自らを客観視する冷徹な視座を忘れない。ゴルバチョフ財団は提言ばかりではなく、リベラル派への財政的支援も行っている。超一流の人物の片鱗が窺えよう。90歳。老骨に鞭打ってなお、ひとり世界史の逆流と対峙する。同氏へは畏敬と共に更にもっとフォーカスしてよいのではないか。
 刻下、20年前の書籍が注目を集めている。『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)だ。元駐ウクライナ大使で同国の歴史に造詣の深い黒川裕次氏の手になる作品である。ヨーロッパでロシアに次ぐ広い国土を持つ「知られざる大国」。なぜ、永く独立が成されなかったのか。著者は「ツァーリ政府の下で民族主義が抑圧されていた」、「インテリの比率は低く、そのインテリもロシア文化にどっぷりと浸かっていた」との国内要因を挙げる。加えて、西ウクライナの民族運動が「ポーランドの圧倒的な力に潰され」、東ウクライナは「ロシアのボリシェヴィキの人的、物的な差に圧倒されてしまった」と繙く。括れば、「豊かな土地をもつことの悲劇」だったという。宜なる哉だ。
 その地政学的属性を乗り越えて、肇国の僥倖をもたらしたのはミハイル・ゴルバチョフという名のより壮大なインテリジェンスだった。確かに今、国内評価は低い。しかし、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。泡沫(ウタカタ)の評判なぞにどれほどの値打ちがあろう。真に問われているのは人類史的座標だ。 □


「お呼びでない?」

2022年04月02日 | エッセー

 「疾風のように現れて 疾風のように去って行」ったのが月光仮面だった。ヒロインの危機に際し必ず応召したのがヒーローであった。対語は同時期、植木等が十八番にした「お呼びでない?」であった。もちろんオーディエンスに年代差はあるが、どちらも時代の子である。戦後高度成長期にヒーローとアンチヒーローが共存していたともいえる。煮え立つような再興の時、清濁混沌は大きな推力へと変わる。
 テロリストにとって「お呼びでない」のはヒーローである。ジョン・マクレーン刑事はなぜかその「お呼びでない」時に必ず居合わせる。第2作で陸軍特殊部隊を率いるグラント少佐から「間違った時に間違った場所にいる間違った男だ」と痛罵された。どうしてマクレーンは「間違った時に間違った場所に」否応なく手繰り寄せられるのか。思想家にして武道家の内田 樹氏の炯眼を徴したい。
〈たぶん彼にはそれを感知するセンサーが備わっているということですね。そういうセンサーがなければ、ああまでピンポイントで殺人やテロの現場に居合わせるというようなことはできません。でも、そのセンサーを逆向きに使っていれば、彼は生涯に一度も犯罪現場に遭遇しないし、銃を抜くこともない「異常に幸運な刑事」として定年退職することもできたはずなんです。〉(東洋館出版社「複雑化の教育論」から抄録、以下同様)
 武道は「危機的状況を脱出する能力というより危機に遭遇しない能力」であり、「危ないところには行かないということ」だと氏はいう。マクレーンはまったく逆だ。なぜか。「そこで起きるトラブルを解決する高度の能力が自分にはあるということが何となくわかっていて、それを発揮したいという欲求に抗しきれずにふらふらと吸い寄せられていくんでしょう」と氏は語る。
 クライシスを孕んだトラブルが「お呼びでない」はずはない。歴代のヒーローに違わず、マクレーンの偶会も応召であったことは否めない。
 ブルース・ウィリスが失語症で引退と報じられた。マクレーンが始めて「間違った時に間違った場所」を事前回避した。そう見ていいのではないか。B・ウィルスとマクレーンは最早別ち難い。 □