伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

とんでもニュースを見て

2011年05月31日 | エッセー

 間の抜けたニュースもあるものだ。5月28日のこと、NHKが海江田経産大臣が女川原発を視察したと映像つきで報じた。すべての電源が失われたという想定の訓練にも立ち会ったと伝え、中央制御室での訓練の模様を映した。
 わたしはたまらず噴いてしまった。
 すべての電源が失われたのに、中央制御室がなぜ写る! 煌々と常設の照明が灯るなかで、所員が計器を読んだり指さし呼称や各種操作をする。そんなばかな!  福島第1原発では各号機の中央制御室の電源も落ち、暗闇の修羅場と化したはずだ。それが全電源喪失の意味ではないか。
 マンガみたいなニュースだった。海江田氏はいつものように緊張感のまるでない面相で、「訓練を見たが、比較的しっかりやっている印象を受けた」などとお気楽なコメントをしていた。
 武田邦彦氏が近著(「原発大崩壊!」ベスト新書)で、原子『炉』自体の安全にだけ目を向け、電源系や冷却系を等閑視してきた国や原発関係者の姿勢──原発を、周辺設備を捨象して原子炉に局限化した──を糾弾していたが、まさにその通りである。現に5月末、3.11の本震直後女川原発の配電盤がショートし、非常用発電機が破損していたことが判明している。
 こんなブラックジョークのような訓練や、冗談のようなニュースを見ると武田氏にまったく異論なしだ。それにしてもこの大臣は何を見たのだろう。訓練が本気で本物なら、それ自体が見えるはずがないではないか(暗視カメラでも用意せねばならない)。暗転の中でなければ訓練にはならない。停電の街中をヘッドライトを点けた車で走れたからといって、至極当たり前の話ではないか。ヘッドライトさえ消えた車でなければ、シミュレーションにもテストにもトレーニングにもならない。だから、件の視察と訓練は実に人を喰った話だ。いまだに原子炉のみに目を奪わる陥穽から脱していないと断じざるをえない。
 どうして、こんなことが罷り通るのだろう。
 
 先頃、内田 樹氏、中沢新一氏、平川克美氏が交わした鼎談「大津波と原発」(朝日新聞出版)が話題になっている。特に注目されるのが中沢氏の『一神教論』だ。
 生物の生きる生態圏の内部に、外部の太陽圏に属する核反応の過程を持ち込んだ原子力発電は、ほかのエネルギー利用の形態とは本質的に異なる。それは、本来そこには所属しない外部を、われわれの生態圏に持ち込むことであり、一神教と同じではないか。だから、「原子力技術は一神教的な技術」である。さらに、日本は元来ブリコラージュが得意でモノティズムの発想はないに等しい。モノティズムとの対応についてノウハウの蓄積がない。にもかかわらず、産業拡大の巨大な渦の中で原発を闇雲に開発してきた。それがついに福島原発の事故に至ったのである。
 という。おもしろい見方だ。唯一絶対、万物創造神への絶対的服従。外なる巨力への渇仰と、異端への排斥。一神教は外在性と排他性を属性とする。約(ツヅ)めていえば、一神教の圧倒的な力も怖さも知らず、とりあえずの間に合わせをするということだ。
 内田氏は神仏習合を例にとり、一神教である原子力エネルギーを一神教的方法で対処せず、多神教的なアマルガムのなかで制御しようとしてきた、と応ずる。「鬼神を敬して之を遠ざく」ではなく、鬼神と在来の神々でアマルガムを拵(コサ)えてしまう。つまりは、混ぜ物にして取り込んでしまうのである。
 ブリコラージュとアマルガム。逆相のようであるが、この伝統的手法が原子『炉』偏向の根にあるのではないか。ブリコラージュもアマルガムもモノティズムからは最も遠い。徹底した外在性の下(モト)で『ありあわせ』などあろうはずはなく、排他性が貫徹するところ『合金』などありうべくもないからだ。まことに両氏の炯眼には度肝を抜かれる。放射能許容値が目まぐるしく変化するご都合主義も、十八番(オハコ)のブリコラージュでありアマルガムのなせる技だ。

 中沢氏は、詰まるところ「文明の大転換」を呼びかける。たしかにフクシマが問いかけるものは深くて重い。とんでもニュースでも一見の価値はあるというものだ。□


缶蹴り

2011年05月27日 | エッセー

 先日のTBS「ひるおび!」でのこと。衆院震災復興特別委員会での谷垣自民党総裁の質問を取り上げていた。
 質問時間60分のうち実に55分を使って、首相が原発への注水を中断させた、させないの押し問答を繰り返したと非難を浴びせた。もっと大事な議論があるだろうというわけだ。司会役の芸人が煽り、弁護士からタレントにいたる『コメンテーター』なる連中がそうだそうだの大合唱で応える。お追従もいいところだ。わたしはなんとなく齟齬を感じ、なんだか怖気づいてきた。そこに、ある政治解説者が割って入った。そこはマエストロだ、きちんとしたコメントをする。
──自民党には3時間の質問時間があった。谷垣氏はその冒頭1時間を使ったのである。あとの質問者が別の質問をしているので、押し問答だけがすべてではない。ただ、党首がこの手の質問を担うのは作戦の立て方が下手だったとはいえる。──
 なるほど、もっともな話である。もっともでも、まともでもないのは番組の組み立てとトーンだ。あれでは明らかな世論(セロン)誘導ではないか。新手のヤラセではないか。委員会でのやり取りを記した大型のフリップを畳み掛けるように見せて、国会中継の映像も谷垣氏の部分だけ。訳も解らない芸人司会者と芸人随伴者(弁護士も同類)が、訳の解ったような口を利く。これぞ世論誘導、ポピュリズムの絵に描いたような好例、典型ではないか。ちなみに、番組の最後まで司会者をはじめ外の出演者までマエストロの説明に納得した素振りも発言もなかった。芸人のくせに、まったく芸がない。アドリブが利かない。台本どおりしかできない。

 億面もなく、再三にわたって引用する。
■根源的には「知りえない」事実という核に言葉を付け加えることによって、われわれは世界を豊かにする。報道やノン・フィクションは公平・客観・中立をいい、重箱の隅をつつき、他人の非を追及することで、逆に世界を貧しくしてきたのではないか。 (養老孟司著「大言論Ⅲ」から)
 「世界を貧しく」どころか、こんな手法がまかり通るなら「世界を欺く」ではないのか。悪意や悍ましい底意が働いたとは信じたくないが、こんなお粗末な番組は国民を確実に「貧しく」することだけは確かだ。
 件(クダン)の解説に付け加えるなら、谷垣氏の質問はかなり枢要な部分を突いているということだ。原子力災害対策特別措置法によって付与される原子力災害対策本部長(=内閣総理大臣)の権限は絶大である。第二十条の 3 には以下のような定めがある。
〓〓原子力災害対策本部長は、当該原子力災害対策本部の緊急事態応急対策実施区域における緊急事態応急対策を的確かつ迅速に実施するため特に必要があると認めるときは、その必要な限度において、関係指定行政機関の長及び関係指定地方行政機関の長並びに前条の規定により権限を委任された当該指定行政機関の職員及び当該指定地方行政機関の職員、地方公共団体の長その他の執行機関、指定公共機関及び指定地方公共機関並びに原子力事業者に対し、必要な指示をすることができる。〓〓
 対象が公であると私であるとを問わず「必要な指示をすることができる」。つまり、有期の独裁的権能を揮えるのである。憲法第22条を一時的に失効させ、居住移転の自由をも奪うことができる。それほどの強権の行使には、命懸けの自覚と責任を要する。生半な心構えでは困るのだ。
 万余に亘る生殺与奪の権を握るからには、己を虚しくするだけでは足りぬ。己を捨てねばならない。震災後2ヶ月にもならぬ5月2日、中国料理店に出張(デバ)って久しぶりの家族団欒ですなどという能天気は、被災者に失礼ではないか。いな、侮辱ではないか。こんな覚悟の欠片もない、まるでサラリーマンのような者が大権を壟断していいのか。大災害の砌に宰相であることに『宿命』を感じるというなら、なぜ身悶えするほどに悩まぬ。頭を掻きむしるほどに、脳髄が痺れるほどに、なぜ考え抜かぬ。家族ぐらい捨てずに、他人に故郷を捨てよと言えるか。いっとう終わりに食膳に着くのが本物の指導者ではないのか。
 谷垣氏の肩を持つつもりはないが、「注水を中断させた、させない」の詮索が議題に上ること自体がリーダーシップの欠如をなにより証明しているのだ。原子力災害対策本部長としての指揮だ。厭な譬えではあるが、武器をもってする戦場でこんな不確かな采配を振るえば自軍は殲滅されるにちがいない。
 昨日(5月26日)になって、東電は「実際は発電所長の判断で中断はなかった」と発表した。問題の所在はそこではない。所長の英断、もしくは独断で救われるほどに、「本部長」は機能していないということだ。自民党には「総裁が恥をかかされた」との声があるそうだが、それは浅慮に過ぎる。谷垣氏は「真相」のとば口まで来ていたのだ。
 蛇足だが、この経緯に絡んだ細野首相補佐官の対応は、なにやらかつての「ガセ・メール騒動」を彷彿させる。この政党には、このような覆い難い尻の軽さがあるのではないか。補佐といいながら、一体だれを補佐しているのやら。

 この際だ。前々から気づいていたことを記す。サミットで訪問したフランスでの儀仗兵閲兵を見て、いよいよその感を強くしたからだ。
 総理大臣の歩き方である(寓意ではなく、文字通りのそれ)。
 あれは、なんだ。顔と同様に、なんとも貧しくぎこちないのである。むしろ案内する女性(誰だかは知らない)の方が立派で威厳がある。威風堂々とまではいわぬが、もっとちゃんと歩けないものか。首相官邸へ入る時もそうだ。ちょこちょこと子どものように歩く。小泉氏は颯爽としていた。安倍氏は闊歩し、福田氏も肩で風を切っていた。麻生氏はやや粋がって、鳩山氏だってなんだか胸を張っていた。だが、歴代首相でこれほどしょぼい歩き方はないのではないか。運動神経を疑うようなそれである(障害を抱えているのなら、こちらの無礼を謝る)。一国を代表する人物である。だれか振り付け師でも雇って、一から矯正したほうがよい(もっともそのうち必要はなくなるだろうが)。頼んだ覚えはないが、代表される国民のひとりとしてはなはだ恥ずかしい。
 加えていつかも書いたが、あの声だ。寝ぼけたダミ声。およそ情味というものを寸毫も感じさせない、獄卒、看取が掛ける号令のようだ。人をして和ませない、不快にさせる声だ。
 小林秀雄はかつてこう述べた。  

■人間は、その音声によって判断出来る、またそれが一番確かだ、誰もが同じ意味の言葉を喋るが、喋る声の調子の差違は如何ともし難く、そこだけがその人の人格に関係して、本当の意味を表す、この調子が自在に捕えられる様になると、人間的な思想とは即ちそれを言う調子であるという事を悟る、…… (「年齢」から)

 「この調子が自在に捕えられる様」になったなどと自惚れてはいないが、快不快を判じるぐらいの感性は持ち合わせているつもりだ。それは主観、感情論だという向きには、風の吹きようでころころ変わる政策や理念を詮議する無駄や空疎を挙げれば事足りよう。目の前の現実を有り体にみる視力さえあれば、瞭然であろう。
 ああ、なんどもいおう。「町の衆(シ)も悪い」(3月10日付本ブログ。この缶蹴り、奇しくも3.11の前日であった。こちらの方こそ、むしろ『宿命』めくのだが……)□


ラジオじゃダメだよ

2011年05月23日 | エッセー

「きょうは美空ひばりの特集かい?」
 遠くにテレビの音を聞きながら、家人に訊いた。実はものまねの特集で、青木隆治という最近売り出し中のそっくりさんの歌声だと言う。
 は、は、だまされたか。これは、「オレオレ詐欺」の亜種ではないか。騙されついでに、そう考えた。
 近年、ものまね番組が隆盛だ。審査員席にものまねのできない芸人が座り、ものまねのできる芸人を評する。芸人なら芸が豊富な者こそ上座であろうに、芸の貧困な者が上から断を下す。まことに滑稽な図だ。芸人の芸人による芸人のための学芸会といったところか。安直な視聴率稼ぎの企画に、まんまと嵌められるこちらも情けない。何度も引くので気が引けるが、タモリの名言「お前ら、素面でテレビなんか見るな!」が何度も過ぎる。
 それにしても、ものまね芸になぜ人気があるのか。気が引けるが、またしても引いてみる。

■根源的には「知りえない」事実という核に、言葉を付け加えることによって、われわれは世界を豊かにするのである。報道やノン・フィクションがそれを目指してきたか。公平・客観・中立をいい、重箱の隅をつつき、他人の非を徹底して追及することによって、逆に世界を貧しくしてきたのではないか。それが売れない、はやらない、どうしていいかわからない、などの根本的問題を生んだのではないのか。そこにマンガが流行し、ファンタジーつまり「ハリポタ」が世界的に数億部を売るという現象の根拠がある。
 マンガもファンタジーも、新聞とは違って、はじから「真っ赤なウソ」というラベルが貼ってある。人々はその世界に浸る。そして「人生の真実」をむしろそこで発見するのである。なぜかって、すでに述べたように、国家ですら、虚構といえば虚構だからである。なぜフィクションのほうがいいのか。言葉という、いわばはじめからフィクションでしかない(失礼)ものに、ある種の絶対性を与える文化が、世界的に普遍化しつつあるからである。私が原理主義に批判的な理由もそこにある。
 西洋の町の中心を占める、ひときわ目立つ、二つの大建造物がある。それは教会と劇場である。この二つは、なにを意味するのか。「この中で生じることは真っ赤なウソですよ」ということを、あの立派さが保証しているのである。建物を立派にすることによって、これはマンガだとか、フィクションだとかいう、それに等しい安心感を人々に与える。だからあの二つの建物ほど、現実の役に立たないものはない。近年でも教会に避難した全員が虐殺されたという事件が、アフリカであったはずである。■(養老孟司著「大言論 Ⅲ」から)

 つまりは、「真っ赤なウソ」を愉しむのが「ものまね」であろう。知りつつ騙されるのだ。だから、テレビだ。これがラジオでは洒落にならない。音だけでは「オレオレ詐欺」になってしまう。いかな年寄りでもテレビ電話では騙せまい(目の薄い老人であれば、振り込み自体ができない)。視ることは「百聞」を凌ぐからだ。ラジオがそっくりさんであることを隠して歌番組を流したら、冗談にもならない。立派な詐欺だ。だから、ものまね番組はテレビにしてはじめて可能だ。いな、テレビもしくは舞台に限る芸である。「教会と劇場」がテレビだ。「この中で生じることは真っ赤なウソですよ」と、「保証している」からだ。テレビこそ、「『真っ赤なウソ』というラベル」そのものではないか。そうなると、ものまねは聞かせるのではなく、見せる芸であることがその属性であろう。
 だからコロッケは最初、口パクの顔まね、形態まねで売ったのだ。声音を真似しはじめたのは「深化」をめざしてであろうし、その精進は充分報いられている。だが、コロッケの『旨み』は形態にこそある。歌い手の個性を抽出し、これでもかとデフォルメする。デフォルメは芸の伝統的本質のひとつだ。すでにしてホンモノを喰っている、いや、超えている。これぞ芸だ。立ち枯れ寸前だった歌手Mなぞは、コロッケの後光で季節外れに花を咲かしているにすぎない。足を向けて寝ては人の道を外れる。
 比するに、青木くんは見世物の域を出ていないのではないか(修錬によって身につけたものが芸、珍奇で人を呼ぶのが見世物とすれば)。どんなに似せても、ホンモノを超えることは絶対にできない。他者に較べ、似せる度合いを縮めるにすぎない。本物そっくり、「それがどうした?」でしかない。どこまでいっても、「真っ赤なウソ」だ。「真っ赤」ではあっても「ウソ」に替わりはない。アプリオリな資質で売っても、ホンモノには手を束ねている。ともあれ、ものまね「芸」としてはコロッケこそ正統である。なぜなら、コロッケはラジオでは通じないからだ(いつも見るテレビの姿を想像することはあっても)。逆に、青木くんは危ない。ラジオではなんとか詐欺になりかねない。
 「逆に世界を貧しくしてきた」「報道やノン・フィクション」と同じ位相にいるホンモノたち。ものまねの繁昌は、その不作に補いをつけているのかもしれない。□


奇妙で絶妙

2011年05月21日 | エッセー

 フクシマ以来、「シーベルト」は耳にたこができるほど聞いた。なお聞きつづけている。問題はいくらまでならいいのか、である。
 細かいことは解らないが、国の基準が都合に合わせ場当たりで変化するものだから不信が募る。そこで、ICRP(国際放射線防護委員会)の基準が引き合いに出される。これはどこかの国と違い、相当にしっかりとした基準である。興味深いのは、その線引きの根拠だ。線引きとは、被爆の許容限度である。つまりは発ガンの確率をどこまで認めるかだ。
 放射線に当たればガンを誘発する。いくらの被爆で何人にガンが発生するか。そのデータを集積し、ガン発生率何パーセントで線を引くか。そこが、興味深い。
 確率の計算は数理的になされるが、線引きはすぐれて人為に属する。実は、被曝量の基準には交通事故死がリファレンスされている。交通事故による死者の発生率と同等に定められているのだ。交通事故死率≒発ガン率、というわけである。それが、年間被爆総量1ミリシーベルトである。この量であれば、1年間に車に轢かれて死ぬぐらいの人数で“済む”。このあたりで折り合いをつけましょうという数値である。計算上、1億人中5千人の発ガンになる。ちなみに、日本の年間交通事故死は5千人前後だ。もちろんガンに罹っても治る人がいるからおかしいという説もある。放射線による発ガン率そのものに異を唱える向きもある。甲論乙駁ではあるが、これが国際社会のコンセンサスである。(天然放射線量は年間1.4ミリシーベルトあるので、それに加算しての話である)

 放射線と交通事故。このリンクが奇妙であり、絶妙でもある。毒を計るに毒を以てする。さらにどちらも限りなく減らすこともできる。ICRPの苦し紛れの浅知恵か、それとも深謀か。少なくとも融通無碍にヌエのごとき基準値を繰り出す某国行政府よりは、よほど信が置ける。

 原発の燃料であるウラン235は天然ウラン238には0.72パーセントしか含まれない。ところが地球が誕生したころには30パーセントもあったという。半減期が7億年とはいえ、40億年もの間に次第に減少していった。1895年キュリー夫人がウラン鉱からラジウムを見つけ出したころには、今の含有率になっていた。もしも含有率がもっと下がっていたら、歴史的発見はなかったかもしれない。そうであれば、レントゲンもない替わりに原発もない。フクシマはないが、医療の劇的進歩もなかった。禍福は糾える縄の如しだが、どう糾うかは人間の側にあると心したい。□


ふー、疲れた

2011年05月18日 | エッセー

 連れ合い側の親戚で法事があり、山間(ヤマアイ)の町を訪ねた。総勢、19人。現地の親族を含めると、25、6名になる。もう立派な集団である。
 山懐に町はある。木々の緑と、川、渓谷。自然のただ中である。村おこしで観光地化を進めている。一軒とはいえ立派なホテルも温泉もあるのだが、経費を考えて簡易宿所に泊まることにした。ぎりぎり分散して、わたしを含め9人が一カ所に。
 食事なし、風呂なし(近くの温泉でもらい湯)、テレビなし、タオルも洗面道具もなし。さすがにシーツは新しいものが用意してあったが、なにやら布団がカビ臭い。そういえばドアを開けた時から、建物全体がかすかにカビ臭くはあった。
 今は使っていない調理場もあるから夏場だけの観光客相手か、あるいはかつての主役がいまはホテルに座を奪われてうら寂しくなっているのか、訊きそびれてしまった。
 副業でやってますという風の主人が、自由に使ってくださいと言って前払いの料金を受け取ると、さっさといなくなってしまった。あくる朝そこを辞す時になっても現れず、電話で連絡してそれでお仕舞い。なんともあっけらかんとしたものだった。

 歩いて数分のところにレストランがあり、お定まりの打ち上げとなった。鄙びたところには不似合いのフレンチ。シェフが腕を振るった料理に舌鼓を打つ。と、宴もたけなわのころ、大皿に載った土色に焦げた肉のブロックが運ばれてきた。
 嫌な予感……。何度か触れたが、わたしは焼き肉さえ食さない『文明人』である。だからユッケ騒動なぞ無縁。どっかにユッケ(行け)だ(若干、無理か)。
 ひょっとして猪か? ところが聞けば、熊だという。もっと悪い! とたんに、壁際へ猛ダッシュ。フレンチだかイタリアンだか知らぬが、いっぺんに酔いも醒める。しかし、愚妻はおもむろにスライスしてむしゃむしゃ。『共食い』も恐れぬ猛獣のごとき食欲、服を着た石器時代人。長い年月、こんな野蛮人といっしょに暮らし、よくぞ食べられなかったものだ。わが身の幸運に涙しつつ、部屋の隅でしばし蹲っていた。
 愚妻曰く、「少しくさかった」と。なにをおっしゃるウサギさん、いや、大ブタさん。あんなに美味しそうに喰らいついておいて、いまさらクサイもないもんだ。クサイのニオウのは、乙女の時に言うことば。今や歩くビヤ樽、傍若無人のオバさんとなっては、ご冗談にしか聞こえませぬぞ。それともグサイ(愚妻)だけにクサイか(失礼)。

 1歳ちょっとの玄孫(ゲンソン・やしゃご)から、いまだカクシャクたる90数歳の高祖母(コウソボ・ひいひいおばあさん)に至る揃い踏みは、実に圧巻、壮観であった。どれがだれなのか、だれがどれなのか? ついにそれぞれが誰某(ダレソレ)の何なのか、名札をつけることに。ぜんぶ集合すれば、いったい何人になるのか。眼前の20数人にして、すでに『人間家系図』である。どうにかすると、ダーウィンの「種の起源」が連想されてしまう。少子化の時代に、これは表彰物ではないか。いやー、あっぱれである。

 深夜、宴は跳ねた。杯盤狼藉を後にして宿舎へ。したたか酔ってるくせに、寝付けない。寝が浅い。3人づつの3部屋。隣は相も変わらず傍若無人さんが、傍若無人ないびきをおかきいになっている。その隣にもう一人。親族とはいえ、異例の川の字だ。おまけに寒い。さすが盆地である。苔むすようなクーラーはあるものの、エアコンではない。たまらず物置を物色し、石油ストーブを持ち込む。
 朝が早い。天候ではなく、宿がである。かつ、ちぐはぐである。年寄りからワケ(若)ーのまで、日が昇る前に起き上がる人、布団を上げても依然寝つづける者。9人が一つ屋根の下で暮らすと、こんなにもリズムが錯綜するものか。ずるずるの朝飯、あひる飯(ブランチ)、慌ただしい洗面、トイレ、意外に多いゴミ。
 東北での避難所生活が、どれほど大変か。慰問に来た東電の社長に「あなたもここで生活してください!」と被災者が詰め寄っていたが、宜なる哉だ。寝て起きるという基本のサイクルが、環境の変化で突如苦痛を強いてくる。なごみの循環が呻吟の繰り返しに豹変する。わずか一泊とはいえ、骨身に染みた。

 正午を期して、散会となる。それぞれ、遠近(オチコチ)に散ってゆく。再開を約しはしたものの、はたして……。玄孫はやがて親となるであろう。高祖母の上の呼称はないが、にわかな造語が必要となるまで長寿をと願う。
 ともあれ、稔りは撓(タワ)わにあった。しかし草臥(クタビ)れた。身体の芯に疲れを残したまま、谷間(タニアイ)の郷(サト)に別れを告げた。□   


昔の伝でなぜいかない?

2011年05月16日 | エッセー

 
 かつての駄文を、億面もなく引いてみる。なお本稿はフクシマからの連想ではあるが、直接のテーマではない。
〓〓奇想、天外へ! 
  原発は「トイレなきマンション」と呼ばれる。排泄物、つまり核廃棄物の処理施設がないからだ。今は敷地内の肥溜めに貯めているようなものだ。あと数年であふれる。外に持ち出して処分せねばならない。なにやかやで厖大な費用が掛かる。3年前の経済産業省の試算によると、なんと総額19兆円。受益者負担となり、電力料金に上乗せされて消費者が払うことになる。この試算に含まれるのかどうか定かではないが、廃炉原発の始末にも巨費が掛かる。これは日本一国だけ。全世界の原発を考えると、空前の数字になる。
  糅(カ)てて加えて、核兵器だ。ウラン235にせよ、プルトニウム239にせよ、こちらは放射能の塊だ。地球上に3万発。ウルトラ・オーバーキルもいいところだ。廃絶が進んで、解体されると放射能物質が山を成す。こちらの処分は原発の比ではない。いくら掛かるか。おそらく試算のしようもないであろう。
 最終処分とは地中深く埋めることだ。地質を調べ、地下300mの硬い岩盤に封じ込めるのであろうが、どっこい地球には地震というものが起こる。いかな岩盤とて勝てる相手ではない。さすれば早い話、人類は放射能を枕に寝ている仕儀となる。半減期はプルトニウム239が2万4千年、ウラン235は7億年。気が遠くなる数字に、笑ってしまう。
 ――核廃棄物、もしくは廃棄核兵器をロケットに詰めて、宇宙の果てに飛ばしてはどうか。できれば、ブラックホールめがけて。
 腰だめの試算をしてみる。
 スペースシャトルの製造費用は約2000億円。普通のロケットが製作に1000億円、打ち上げ費用が一回に100億円掛かる。
 ペイロード(積載量)は、スペースシャトルが約30トン。いま計画中のスペースシャトルを改良した大型物資輸送用ロケットだと、その3倍。約90トン運べる。
 日本の原発からは年間1000トンの核廃棄物が出る。リサイクルした後、最終処分、つまり埋設処理が必要な蓄積量は、平成14年時点で約3万トン。大型輸送ロケットで333回分になる。一機が3000億円と見積もると、約100兆円。GDPの5分の1、年間予算の1.3倍。アメリカの場合、原発数は日本の約2倍。従って、費用も2倍。GDPは1200兆。こちらも日本の2倍を超える。
 巨額のようだが、100年もかければ十分可能ではないか。途中には技術の進歩がある。スケールメリットも働く。代替エネルギーが開発、実用に供されると累積量は止まる。『世紀の事業』として各国共同して取り組めば、費用対効果は確実にある。
 一方、核弾頭は一個平均30キログラムとして3万発で約900トン。貨物ロケット10機分で足りる。総額3兆円、割安だ。こちらは解体せずにそのまま飛ばす ―― 。
 この類いのプラン、誰かが着想したにちがいない。しかし、俎上に載らないのはなぜか。
 以下、考えつくままに何点か挙げてみる。
① 荒唐無稽。バカバカしい。たわごと、戯(ザ)れ言。世迷い言。夢想として歯牙にもかけない?
② なんらかの倫理観が働いた?
 『宇宙的』倫理観とでもいおうか。宇宙を汚してはいけないという抑制が働いた。ただそうだとすると、なぜ地球はゴミだらけで平気なのか。養老孟司氏の言に、「部屋の掃除をしてキレイになっても、掃除機の中はゴミだらけ」というのがある。大気圏内では、所詮右のモノを左に持って行っただけではないのか。ならばと、大気圏外にぶっ放そうという発想はオカしいのか。
 宇宙は無限である。有限説もあるが、ウラン235の半減期7億年に光年を掛けても果てには届かぬ。遙か天外へ、銀河の先の、そのまた先へ運ぶこのプラン、「宇宙の無限性」で相殺されないものであろうか。「無限性」で相殺できないところに倫理の核心があるのだろうか。
③ 上記②と関連するが、宇宙への畏怖ゆえか?
 未知であるがゆえの畏怖。宗教的感情に近いもの。天に唾するか、神に弓射るか。
④ 将来の技術開発を待つのか?
  まさか半減期の短縮はできないだろうが、それこそ奇想天外な技術の開発に期待するため。これは世紀の単位を要する。
⑤ エイリアンの逆襲を恐れるためか?
 ひょっとして、これが現実的かもしれない。
⑥ やはり費用と技術的問題?
  でも7億年もの間、核を枕に寝続けるのか。そのうちに巨大地震でも来て地中の核物質が噴きだし、本物の『猿の惑星』にならないとも限らぬ。〓〓(07年2月 抄録) 
 実は、「宇宙処理」はかつて検討されたことがあったそうだ。しかし採用はされなかった。その理由は、上記6項目のどれにも該当しない(わずかに、⑥が擦っているが)。まことに己の浅慮が恥ずかしい。かつての(それがいつごろかは寡聞にして不明)技術陣(おそらくNASAか)が、打ち上げ失敗による地球全体への拡散被害を恐れたのが真相らしい。② も ③ も擦りもしなかった。ましてや ⑤ は完璧に埒外だった。(おもしろくもない!)

 あらためて、② を補足したい。「大気圏内では、所詮右のモノを左に持って行っただけではないのか。ならばと、大気圏外にぶっ放そうという発想はオカしいのか。」のところだ。20世紀後半に至るまで(グローバリゼーションが喧伝される以前とも言い換えられるが)、地球は「無限性」に満ちていた。なかでも海は、すべてを受け容れるプラネット・アースの「無限」であった。あるいは空も無窮の空間であり、地もまた無尽の母性であった。ありとあらゆる塵芥(チリアクタ)の類(タグイ)はそれら「無限」に向けて放出され、またガイアの懐へ戻された。そこには倫理的抵抗感はなかったはずだ。なにせ、相手は無限で無窮で無尽だったのだから。
 それが明らかに変化した。地球の「有限性」が声高に叫ばれはじめた。地球温暖化問題はその最たるものであろう。温暖化の原因を何に求めるかは議論の分かれるところだが、プラネット・アースの有限性については異論がない。ならば『昔の伝』で、「無限性」を宇宙にスライドさせればよいではないか。
 ところが、ふたたび「宇宙処理」を俎上に載せる気配はない。まったく眼中になさそうだ。はて、どうしたことか──。
 ヒントになるかどうか。内田 樹氏の「私家版・ユダヤ文化論」(文芸新書)から引用したい。

■ローレンス・トーブはイランのイスラム革命やベルリンの壁崩壊を予言したことで知られる未来学者であるが、彼の未来予測は人類の歴史がある種の「成熟」の歴程を不可逆的にたどっているという確信に依拠している。「人類は進歩しているだろうか?」という問いをポストモダン期の知識人は一笑に付すだろう。もちろん科学技術は進歩した。しかし、この戦争と虐殺と差別と迫害の連鎖のどこに人間性の成熟のあかしをお前は見ることができるのか、と。
 トーブはこのようなシニカルな評価を退ける。十九世紀以後の歩みをたどってみても、人間たちは人種的・性的・宗教的な差別や、植民地主義的収奪や奴隷制度をはっきり「罪」として意識するようになってきた。これらの行為はそれ以前の時代においては必ずしも「罪」としては意識されていなかったものである。たしかに依然として人は殺され続けているし、富は収奪され続けているが、そのような凶行の当事者でさえ、その「政治的正しさ」や「倫理的な根拠」について国際社会に向けて説明する義務を(多少は)感じている。これは百年前には存在しなかった感情である。
 そのことから見て、人類は霊的に成熟しつつあり、人間性についての省察を深めつつあるという見通しを語ることは許されるだろう。そうトーブは書く。「時代ごとの進歩の速度にはばらつきがあり、少しの進歩も見られない時期もあった。けれども、人類が全時代を通じて、物質的ならびに霊的進歩を遂げてきたことを否定することはむずかしい。■

 人類の「霊的成熟」が宇宙処理の技術的失敗という恐怖と打算を超えたとみるのは、能天気に過ぎるだろうか。『昔の伝』がお蔵に入ったままなのは健忘ではないと信じるのは、希望的観測に過ぎるであろうか。□


大言論 Ⅲ

2011年05月13日 | エッセー

 4月に Ⅲ が出て、このシリーズは完結した。

   養老孟司の大言論 Ⅲ  新潮社 
   大切なことは言葉にならない

 アフォリズムがいっぱい! である。わたしなりにいたく感じ入ったものを列挙してみる。寸法を整えるため、原文を生かしつつぎりぎり端折った。前後のコンテクストはもちろん、語調が損なわれたかもしれない。そのため文意の掴めないものもあるだろうが、なにはともあれぜひ原書を紐解いていただきたい。

■客観性とは「バカでもわかる」ことをいい、「俺にしかわからない」という感想を主観というのである。幸か不幸か、時代は主観から客観へと移行してきた。

■本気で戦えば、敵に似てくる。

■おそらくすべての研究は最終的解決には向かわない。当面の解決があるだけだ。最終的解決があるという信念もまた、「原理主義」だ。ヒットラーはホロコーストを「ユダヤ問題の最終的解決」と見なした。

■「私は私、同じ私」というのが、社会的常識になっている。それこそが「情報化社会」である。なぜなら、時間を経ても変わらないもの、それが「情報」だからである。

■ヒトはひたすら妄想を実現しようとする動物でもある。それを文明とか進歩とか呼ぶ。

■「同じ」こそが、いわゆる近代文明のキーワードである。

■第一次産業の社会的地位は明らかに低い。頭で考えただけでは、うまくいかない。そういう仕事は、現代ではいわば「下等な」仕事である。そう思う人たちを都会人と私は定義する。都会人は予測と統御が成り立たない仕事を避ける。

■アメリカという「人工国家」が「本当か」というなら、広い意味でウソだといえないことはない。国家の正統性なんて、いわば人為的に作るしかない。それは壮大なウソともいえるではないか。

■私に国家は虚構だということをしっかり印象付けることになったのは、いまにして思えば昭和二十年八月十五日だった。

■国家というウソは、国民全体を縛る。人を縛り、動かすのは、事実より虚構、言葉だからである。国家は虚構でも、とりあえずわれわれはその虚構に生きるしかない。言葉は意識の産物で、虚構こそ意識の典型的な産物なのである。

■呪術が現代社会を覆っている。たとえば投票行動である。エンピツで紙になにか書いて箱に入れ、それで世の中が変わる。そういう考え方って、お呪いと似たようなものじゃないか。現在の問題は政治システムを動かせば済むという話ではない。

■現代社会は言葉が当為という面で力を持ちすぎている。文句をいえば済むと思っているのである。「こうすべきだ」「ああすべきじゃないか」。だから挙句の果ては、極端なクレーマー、モンスターと呼ばれる親や患者が出現する。

■いまでは言葉が強く呪術性を帯びたからとしかいいようがない。国会は法律を作り続ける。まさに「開け、ゴマ」ではないか。法で規定すれば、世界はよくなると思っているとしか思えない。そのどこに「現実」があるか。

■「呪い」と「お呪い」が同じ文字だということにあらためて驚く。呪いは悪いほうへ、お呪いはいいほうへと、言葉の効き目が逆さになっているだけである。いずれにしても、言葉の働きに頼っていることに変わりはない。

■言葉の当為への大人たちの妙な信頼が、「死ね」といわれて死ぬという、子どもの行為を生んだような気がするのである。

■世界はわからなさに満ちている。それが歴史になったとたん、わかるようになるというものウソであろう。後になったら、もっとわからなくなるに決まっている。その当たり前の認識が、じつは欠落してきたんじゃないか。

■正解はたしかに存在しているはずだが、それには近づくことしかできない。その謙虚さが、報道やノン・フィクションに欠けてきたことが問題だ。こちらも正解がないと怒る。「ふしぎ発見」というTV番組に、かならず「正解がある」。正解があるのに、どこが「ふしぎ」か。

■根源的には「知りえない」事実という核に言葉を付け加えることによって、われわれは世界を豊かにする。報道やノン・フィクションは公平・客観・中立をいい、重箱の隅をつつき、他人の非を追及することで、逆に世界を貧しくしてきたのではないか。

■マンガもファンタジーも、新聞とは違って、はじから「真っ赤なウソ」というラベルが貼ってある。人々はその世界に浸る。そして「人生の真実」をむしろそこで発見するのである。

■西洋の町の中心を占める、ひときわ目立つ、二つの大建造物がある。それは教会と劇場である。この二つは、「この中で生じることは真っ赤なウソですよ」ということを、あの立派さが保証しているのである。

■都市は、徹底した意識的世界である。

■ホモ・サピエンスが言葉を持ったのは、たかだか五万年ていどの時間であろう。文字の歴史はもつと新しく、千年の桁にしかならない。インターネットはつい最近である。そういうものに、根本的な欠陥がまだ内在していたとしても、なんの不思議もない。

■体を使えば、意識が変わる。変わったらどうなるか、そんなことが私にわかるわけがないだろうが。そこから先は、「変わった自分」に考えてもらえばいい。変わらなかったらどうする。もっと働けばいい。先史以来、人類はそうやって生きてきたはずだ。

■その人にとっての現実とは、その人の行動に影響を与えるもののことである。お金はほとんどの人にとって現実であろう。しかしお金くらい、抽象的なものはない。そもそも動物はそれをまったく理解しない。

■木の葉の配列など、眼前にある種の規則がみごとに具現されている。規則自体は複雑すぎて、よくわからない。しかし感性はすでにそれがみごとな「解」であることを、直截に捉えて、「美しい」というのかもしれない。

■現代の教育は、問題解決型の人を育てる。でも答は見えているんだが、問題がわからない──人生ではそれもふつうに起こる。「あいつ、なんであんなことをしたんだ」という状況がそうであろう。解はすでにあるが、問題が不明なのである。

■自然の中でヒトは新参者だ。ホモ・サピエンスは、たかだか二十五万年前にアフリカに発生した。その意味でヒトが遅れてきたというのは常識だが、それでも、ヒトはヒトがいちばんエライと思っている。たから平気で先輩の自然を破壊する。それがヒトの脳が生み出した意識という機能の悪い癖である。

■(赤軍派の事件など)現にあったものだから、いうなれば仕方がない。それならどうしてああいうことになったのか、それを考えるのが、同時代人の務めだと、強迫的に思っている。

■神秘や奇蹟など、端から信じていない。でも反原理主義という原理主義でもない。なにかを信じないというのであれば、意識と理性の万能を信じないだけである。だって一生の三分の一は意識がないんだからね。

■私は『唯脳論』を書いた。むろんそれは「脳だけ」という意味ではない。世界はいまや「脳だけ」になりつつあるが、身体があるでしょ、と書いたつもりだった。理念は脳で、実感は身体である。それは言葉を持つ人類が発生して以来の問題だ。

■選挙による民意なんてものは、私は必要悪だと思っている。そんな抽象的なもので、具体的な人生を左右されてはたまらない。そう思うからである。民主主義という「理念」と、選挙による多数という「実感」が結びついて、小沢になっている。


 養老節、炸裂である。知の『人生行路』翁のぼやき、連発である(特に、最後の項は逸品、絶品である)。いっしょに切れて、ぼやいて、カタルシスだ。そのわけはこの前記した(3月31日付「大言論」)。
 この巻には、インド、ブータン、台湾の旅行記が綴られている。大半を占めるこれらの紀行が、ほかの巻にない風趣を醸している。
 さらに巻末には、養老先生お勧めの書籍が150冊余紹介されている。古今の名著に並んで、まんがもある。『おそ松くん』『ナニワ金融道』……先生の懐は、実に深い。先日引用した「武士の家計簿」もリストアップされていた。ニンマリだ。

 この巻の発刊準備中に東日本大震災が起こった。
■地震も津波も、生き死にも、すべて言葉ではない。そんなこと、当たり前だが、いまでは地震も津波も「言葉や映像になった」のと違うか。思えばやはり「大切なことは言葉にならない」のである。

 大団円は、まことに含蓄ある一節で刻まれる。地震をどれほど詳細な情報にしてみても、津波に呑まれたともがらの無念は掬えまい。
 ──根源的には「知りえない」事実という核に、言葉を付け加えることによって、われわれは世界を豊かにする。──前掲の警句が、凡庸な脳髄を痛打した。□


ツキジーとロージー

2011年05月12日 | エッセー

 何十年振りだろう。築地市場に足を運んだ。
 いつも前のめりで忙(セワ)しなく変化をつづけるこの都市で、これほど変わらない一画があるだろうか。賑わいは往時と同じだ。市場(イチバ)の結構も、魚介の匂いも、掛け声も、レトロな屋号も、無粋な看板も、値札も、粗っぽく打たれたコンクリートの床も……なにも変わらない。電動の荷車が少し増えた程度だ。
 旧のままなのは移転計画のためか。そうだとしても、そいつは沙汰止みにしてほしい。つくねんと昭和が居つづけるこの街を消さないでほしい。老残を引きずる都知事の最後の仕事は、まちがいなくそれだ。わるいこたぁーいわねー、はえーとこ、そんな話はなかったことにしてくれろ。
 などと、心中繰り言をしながら市場を抜けた。商店街だ。
 せっかくだ。タレントIの兄弟が営む卵焼き屋に行ってみよう。評判らしい。さて、どっちだ? 
 うろうろしながら、四つ角に。
「どこに行きたいの?」
 今風のつなぎを着たじいさんだった。かといって、機械仕事をしている風はない。自ら志願して案内役を買っているのか、道を尋ねる人の相手をしている。
「そいつは、この通りをまっつぐ行って、二番目の交差点を左に曲がんの」
「あんた、ある(歩)って行くのかい? そりゃあ大変だ」
「そこの黒塀はねー、財界のお偉方行きつけのお店だよ。東京でも一、二番の料亭だ。むかしは、ほれ、フイ・
リッピンのスカルノ大統領がよく来てたね」
 スカルノはインドネシアのはずだが、そんな突っ込みは恐れ多くておくびにも出せない。
 ともあれじいさんはほかの数軒との違いも紹介しつつ、懇切に件(クダン)の卵焼き屋を教えてくれた。
 案の定、店の前は人だかり。テレビの宣伝効果は捨てたものではない。
 
 さて、お上りさんついでに東京スカイツリーを目指そう。建設中は必見だ。完成したら、二度と造りかけは見られない。ふたたび、四つ角に。じいさんに、先ほどの礼を言い、スカイツリーへの道を尋ねる。すると、
「東京スカイツリー? それはどこにあんの?」
 と、のたまう。耳が遠いのかしらん。二度、三度と繰り返す。応えは同じ。
 はい、はい。やっと解りました。じいさん、すっとぼけてやんの。つまり、ここから見える東京タワー以外は勘弁ならねーんだ。スカイツリーだか、クリスマスツリーだか知らねーが、そんなものは余計なんだ。築地と銀座が世界なのだ。世界の中心なんだ。
「けっこう、毛だらけ。ネコ灰だらけ。……」なんていう寅さんの啖呵売(タンカバイ)が聞こえてきそうなじいさんの口吻だった。そこで、命名を考えた。『ツキジー』なんてーのは、どうか。再び築地を訪れ、ツキジーに会える日がくればいいが……。長寿を祈りたい。
 ここにも、確実に変わらない築地があった。いやー、お上りの甲斐があったというものだ。ツキジーに最大の敬意を表してスカイツリーは止めにし、まっつぐ銀座へある(歩)って行くことにした。
 
 銀ブラの目的はただ一つ。「ブラタモ」で紹介されたビルの谷間の通り抜け路地だ。……そうです。なにを隠そう。わたしがミーハーおじさんです! 
 こちらは、もうまっつぐに銀座4丁目の垢抜けした交番の、ちょいとイケ面のお巡りさんに尋ねた。
「それなら、ボクも観ました」
 話が早い。教え方もスマート。ほんの1、2ブロックをある(歩)って目的地に着いた。3回も行ったり来たり。仕舞には通り抜けになっている喫茶店に気の毒で、そこでコーヒーブレイクに。
 観察していると同輩が何人も、何組も行き交っているではないか。これはすでにミーハーではない。そうだ、『ロージー(路地)』と呼ぼう。しかも、平板アクセントで。などと妙に納得して、六本木へ。
 そこから先は、前稿に記した。順序がアベコベで失礼。□


高所平気

2011年05月09日 | エッセー

 三島由紀夫は飛行機に家族と同乗しなかったそうだ。万が一を考えて、いつも別便にしたらしい。この上なく周到な用心深さである。一方、自決の日を決め大団円を書き終えた後に、中を埋めていくという豪胆さ。双方、常人にはなし難い。その柔と剛を極めた精神のありようは凡愚の想像を絶する。
 そこへいくと凡愚そのものであるわたしは、当然のごとく躊躇なく家族で乗り込んだ。飛行機にではない。六本木ヒルズ、森ビルの52階に直行する超高速エレベーターに、である。なにを大仰なと言われそうだが、30年以内にM7程度の首都直下型地震が起こる可能性は70パーセントと予想される。飛行機が墜落事故を起こす確率は0.0009パーセント。明らかに森ビルのエレベーターの方が危険だ。
 ビルは自家発電。一般家庭8千世帯分の能力がある。節電とは無関係だ。普段と変わらぬ営業だそうだ。しかしGWとはいえ、大震災の後だ。余震の続く中である。人は少ないだろうと踏んだが、意外にも盛況であった。
 エレベーターは音もなく、揺れもなく、Gを寸毫も感ずることなく、須臾の間(マ)に駆け昇った。
 展望台である。文字通りのお上りさんだ。ヒルズに聳えるため、東京タワーと遜色ない。スカイデッキは海抜で東京タワーの特別展望台を2メートル抜く。スカイツリーは遙か彼方に霞んでいる。
 ガラス張りの窓際にへばりついて、ジオラマのような下界をじっと覗き込む人たち。低いベンチに外向きに座り、身じろぎもせず見入っている。あるいは、眺望を種に話に興じている。250メートルからの俯瞰である。高所恐怖症というわけではないが、こちらは恐怖が先に立つ。時刻も3時前だ……。

 「高所平気症」というのがある。同恐怖症よりも、幼児にとっては危険だ。高層マンションで育った子どもは、これになりやすい。高さに恐怖心を抱かず転落事故につながる。高所平気症によって転落死する子どもは相当に多いらしい。魂を抉るような名作 “Tears in Heaven” はエリック・クラプトンが4歳で逝った愛息に捧げた曲だが、53階のベランダからの落下はこの病が禍したらしい。
 展望台の淵を取り巻く人群がすべて平気症ではなかろうが、平気であることは確かだ。都市化の極みともいえる展望台に、至極当たり前に憩う人びと。身構える素振りは微塵もない。各地観光スポットのタワー展望台に、今もあるかもしれない軽い戦慄も、ある種の華やぎも、ましてや嬌声も、そこにはない。特異な非日常の空間では決してないのだ。エレベーターひとつで刹那に地表から移動してくる。それはもはや呻吟しつつ登る階(キザハシ)ではない。地表の延長といえる。床が垂直に延びただけだ。動作としては、箱の中への一跨ぎと外への一歩があるだけだ。水平移動しかしていない。そこを高層マンションや高層オフィスビルを日常の生活空間とする人たちが訪(オトナ)う。平気以外ではあり得ないだろう。
 徹頭徹尾、意識が造り出した都市。鉄骨とコンクリートに鎧われて、上へ上へと居住空間を押し上げつづける。だからといってヒトに羽根が生える道理はなく、無意識の感覚世界からは乖離していく。人とヒトとがすれ違い、“Tears in Heaven”が頬をつたう。

 案内係の女性にしつこく聞き回り、やっと檜町(ヒノキチョウ)公園の位置が判った。森ヒルズとは双璧といえる東京ミッドタウンの向こう側に隣接しているため、残念ながら見えない。長州藩下屋敷にあった清水園(亭)を祖型とする。名園は新しい身繕いで、いま櫛比するビルの谷間に自然を供する。深夜、泥酔したクサナギ君が素っ裸で叫声を発したあの公園である。都市の頂から彼方を鳥瞰しつつ、若気の酔狂にエールを送りたくなってきた。□


生き延びた家計簿

2011年05月05日 | エッセー

 この連休の旅で、往き還りの列車の中で読もうと選んだ。

   武士の家計簿 「加賀藩御算用者(ゴサンヨウモノ)」の幕末維新

 なんともこれがおもしろい。往きで、一息に読んでしまった。03年発刊の新潮新書。知ってはいたが、ついつい読みそびれてしまっていた。著者は磯田道史(ミチフミ)氏。41歳、茨城大学准教授である。昨年12月に、森田芳光監督、堺雅人、仲間由紀恵らをキャストに映画化された。とても映像化されるような内容ではないが、それをドラマに仕立ててしまう力業が映画人の骨頂であろうか。
 ドラマといえば、著者と精密な家計簿を含んだ古文書との偶会自体が劇的だ。加賀百万石の会計係であった猪山家の、4代40年にわたる出納帳である。江戸末葉から明治初頭へかけての、武家の克明な生活記録である。本書はその家計簿を審らかに解(ホド)いて、幕末維新を鮮やかに描いた歴史書となっている。日本史の大きな切所を先人たちがどう迎え、越えていったか。今を生きる者にとっても、それは十分に示唆に富む。宏大な歴史のうねりを、家計という微小な点にまで次数を落とし込んだところがなんとも絶妙である。
 今稿では、特に興味を引いた何項かを取り上げる。

■「蔵米知行」の制度が確立すると、領主はまったく領民の顔をみることなく、年貢を取ることができる。猪山家にしてみても、そうである。知行石高に相応した年貢米を、藩庫にもらいにいくだけでよい。知行地の場所など、どうでもよいのである。だから子孫にも領地の記憶はない。石高・知行高の思い出だけが残るのである。これが日本の「封建制」の実態であった。領主と土地のつながりが極限まで弱められた領主制とまではいわないが、近世日本の領主制はヨーロッパなどの感覚でいえば、とても封建制といえるものではなかった。しかし、日本列島の大部分は、「領主が領地に足を踏み入れない領主制」の地域であった。明治維新がおきると、武士階級があれほど簡単に経済的特権を失った秘密は、実はここに隠されているように思う。現実の土地から切り離された領主権は弱いものであり、トップダウンの命令一つで比較的容易に解体されたのである。しかし、武士の領主権が現実の土地と結びついていた鹿児島藩などでは、そうはいかない。西南戦争など激烈な「士族反乱」を経験しなければならなかった。■(上掲書より抄録。以下同様)
 知行制度、特に地方(ジガタ)知行に対する蔵米知行を、「武士階級があれほど簡単に経済的特権を失った秘密」と捉える視点は鮮やかだ。司馬遼太郎は、外圧に対すする過敏な感覚が版籍奉還という奇蹟を生んだといった。外圧が内部崩壊に連鎖せず、むしろ再建に連動していったのは蔵前知行のもつ構造性が演じた神業だったといえるかもしれない。

■実は、武士身分が窮乏化したのは、「身分費用」が一因になっていた。江戸時代のはじめ、十七世紀ごろまでは、武士身分であることの収入(身分収入)のほうが、武士身分であることによって生じる費用(身分費用)よりも、はるかに大きかったといえる。ところが、幕末になってくると、武士身分の俸禄が減らされて身分収入が半減する。「半知」や「借上」とよばれる俸禄カットが諸藩で行われだした。しかし、武士身分であるために支払わなければならない身分費用はそれほど減らない。十七世紀に拝領した武家屋敷は大きなままで維持費がかかる。また、「家格」というものが次第にうるさくなってきて、家の格式を保つための諸費用を削るわけにはいかなくなった。そのため、江戸時代も終わりになると、武士たちは「武士であることの費用」の重圧に耐えられなくなってきていた。猪山家にしても、そうである。武士身分でなければ、借金を抱えなくて済んだのである。今日、明治維新によって、武十が身分的特権(身分収入)を失ったことばかりが強調される。しかし、同時に、明治維新は武士を身分的義務(身分費用)から解放する意味をもっていたことを忘れてはならない。幕末段階になると、多くの武士にとっては身分利益よりも身分費用の圧迫のほうが深刻であった。明治維新は、武士の特権を剥奪した。これに抵抗したものもいたが、ほとんどはおとなしく従っている.その秘密には、この「身分費用」の問題がかかわっているように思えてならない。■
 「武士は食わねど高楊枝」が、家計簿によって事細かに挙証される。猪山家では祝いの鯛が買えず、絵に描いた餅ならぬ鯛を絵にして体裁を取り繕ったらしい。プレビューを観ると、この部分は映画に取り込まれている。
 徳川幕府は世界史に冠たる超保守政権であった。反進歩主義といってもいい。世の変化をことごとく凍結した。橋も道も船も、居住も移動も、身分も、病的なまでに現状維持を旨とした。すべては将軍家安泰のためである。
 武家にとっては家門の継承こそが至上命題である。「身分費用」の捻出のため武士は困窮をつづけ、借財の重圧に呻吟する。猪山家とて例外ではなかった。借金整理のために家財をすべて売り払い裸同然となる(もちろん、映画にはおいしい部分だ)。「高楊枝」は命懸けであったのだ。だから、「明治維新は武士を身分的義務(身分費用)から解放する意味をもっていた」との指摘は膝を打つほどに闡明だ。

■我々は武家の女性と聞くと「財産権も弱く、しいたげられていたのではないか」と思いがちである。実際のところ、武家女性は、しいたげられていたのだろうか。たしかに、武家の女性は特殊な例をのぞいて、家の相続権はない。また、少女時代は男子にくらべて、一段下におかれていたといってよい。嫁に入ってからも、辛抱させられることが多かったであろう。しかし、男の子を産み、やがて、その子が成長して「母上様」となり、孫ができて「おばば様」となると、家庭内での地位は格段に向上していった。猪山家でも、さんざんに小遣いをつかっているのは、当主を産み、嫡子を産み、母となった女たちである。武家女性の地位は「年齢と出産」によって変化するものであった。また、武家女性は、生涯にわたって、実家との絆が強い。お嫁にいって七年とか十年たつのに、猪山家の娘たちは、実家の父と弟から「給料日のお小遣い」を毎年もらっていたのである。そればかりではない。夫と妻の財産は、むしろ我々よりも明確にわかれていた。猪山家の家計簿にも、直之が「妻より借り入れ」と書き込んだ箇所がある。つまり、直之の妻の財産は、猪山家財産とは別会計になっており、夫婦であっても借金をする形になっている。ただ、さすがに利子は取っていない。妻の財産が夫と分離しがちなのには理由があった。江戸時代の結婚は、それほど長く続くものではなかった。まず寿命が短いから、すぐに「死別」になる。そのうえ離婚が多い。農民よりも、武士のほうが、むしろ離婚は多いかもしれない。だから、夫婦の財産はきっちり別になっていて、いつ離婚してもよいようになっていた。江戸時代の結婚は長くは継続しないものである。宇和島藩士の結婚カップル五十六組を追跡すると、わずか三年で二十組が離死別していた。二十年も継続した結婚は四分の一にすぎない。江戸時代の結婚に金婚式は稀有なのである。嫁は子供をもうけてしっかり定着しないかぎり、いつ実家に帰るともしれない存在であった。したがって、妻の財産も独立的になりがちであった。我々が漠然と抱いている「封建的な」武家女性のイメージと実態は「随分ちがう」と考えたほうがよさそうである。■
 財産の分離、実家との強い絆、離婚率の多さ、なんとも驚きだ。ヴィクトル・ユゴーではないが、「女は弱しされど母は強し」である。

■婚約しても、結婚にいたるかどうかはわからない。江戸時代には「熟縁」ということがよくいわれた。このころの結婚は熟さなければ成立しないのである。婚姻届の提出日を境にして、未婚状態と既婚状態が白黒はっきりしているわけではない。それは現代人の感覚である。私は、江戸時代の結婚には、未婚でも既婚でもないグレーゾーンの「結婚しつつある状態」が存在したのが特徴であると考えている。猪山家と増田家は婚約を熟させるために工夫を凝らしている。とにかく、お政に猪山家を訪問させたのである。歳暮挨拶には増田九兵衛がお政を同道したし、明けて文久二年の正月十六日には増田の母親がお政をつれて年頭挨拶にきた。猪山家のほうでも、お政を歓待し、干鱈など土産をたくさん持って帰らせた。月末には、お政は一人で猪山家を訪問するようになっている。もっとも家来の送り迎えはつく。この日、お政を迎えにいった増田家の家来は猪山家から渡された御祝儀袋をひらいてみて驚いた。一五文もはいっていればよいと思ったのに、銀一匁がでてきたからである。現代なら四〇〇〇円。通常の六倍の金額であった。さらに二月に入ると、お政を半月ほど猪山家に宿泊させてみることになった。このような「お試し期間」は珍しいことではなかった。■
 「熟縁」には参った。『同棲時代』も顔負けである。お家大事を前提にしつつも、前項といい、「お試し期間」といい、意外な風通しに微苦笑してしまう。

■青天の霹靂というべきか、成之は新政府の「軍務官」に呼び出された。用向きは成之の人生を決定づけるものであった。「軍務官会計方」に任命するというのである。つまり、成之は大村益次郎らの「軍務官」にヘッド・ハンティングされたのである。新政府は「元革命家」の寄り合い所帯であり、当然、実務官僚がいない。例えば、一万人の軍隊を三十日間行軍させると、ワラジはいくら磨り減って何足必要になり、いくら費用がかかるのか、といった計算の出来る人材がいないのである。■
 大村の引きが端緒となり、仕舞には高禄の海軍官僚軍人の道を歩むことになる。革命期なるがゆえか、事実は小説よりも奇なりだ。

■鉄道開業などで文明開化の流れを悟り、隠居を決意した直之であったが、どうしても納得できない政策もあった。その一つが「太陽暦の採用」である。改暦前後の直之の姿は本当に痛々しい。太陽暦をつきつけられて、直之は「鮒の藻刈りに酔いたる体」つまり、自分は住処を奪われて息も絶えだえになった鮒のようだ、と言って苦笑している。新政府の開化政策は直之には「ヨウロッパ同様になること」と意識されていた。鉄道などはその利便性を理解するが、服装や食事・暦など生活習慣に及ぶと、一転、強い抵抗感を示す。猪山家の一年は武家の年中行事で埋めつくされている。先祖の忌日、正月の祝いなど、決まったパターンが反復されてきた。そのため、暦を改められてしまうと、混乱してしまう。十一月二十日になって急に「来月三日が年頭」と沙汰されても困るのである。「天と地、海と陸が逆さまになるとは、このことだ」と言って、本当に悩んでいる。■
 これは実に興味深い。鉄道は歓迎しても、太陽暦は受け入れがたい。文明と文化の違いではないか。文明には普遍性があり、輸出ができる。文化は個別化し、直ちに輸出には堪え得ない。輸出は先方にとっては輸入だ。別けても文化の輸入に、明治の先達たちは刻苦を重ねた。痛々しいほどに勉励した。かいがいしく『坂の上』をめざした。『雲』がそこにあったからだ。いま『雲』は眼下にあるといわれる。しかし、本当か。『坂の上』に新たに立ち昇った『雲』が見えないだけではないのか。
 1世紀を生き延び、最適の研究者の手に辿り着いた家計簿。それだけで因縁めいてくる。とびきりのレアな史料から時代のポピュラリティーを掴む。まことに好著というにふさわしい。□