伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

障害者施設事件

2016年07月30日 | エッセー

 彼が病んでいたかどうかは知らない。だが、病んだ時代を表徴しているとはいえる。
 彼に知性がないはずはない。犯行の過程をみれば、それは判る。ある思念に領せられて、それを自ら相対化できない知性のありようを反知性主義と呼ぶ。非知性でも、無知性でもない。佐藤 優氏は反知性主義を「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義する。さらに内田 樹氏は「シンプルな法則によって万象を説明し、世界を一望のうちに俯瞰したいと願う知的渇望に駆り立てられている」とし、「積極的に攻撃的な原理である」とする。
 彼は「ナチスの思想が降りてきた」と言った。エスニック・クレンシングは反知性主義の最も忌むべき極みだ。エスニックを障害者に置き換えただけの、あるいはT4作戦をなぞっただけのこの上ない「シンプルな法則によって」、日本が抱える困難の「万象を説明」でき解決できるとした。衆院議長に当てたメッセージにはそう書いてある。「世界を一望のうちに俯瞰」した後、その原理を「積極的に攻撃的」に実地に移した。惨劇はそのようにして起きた。
 彼を嗤うのは容易い。しかし炭鉱のカナリアを嗤うわけにはいかない。日本に瀰漫しつつある反知性主義が何方(イズカタ)へ向かうのか、その数歩前をカナリアは先駆けたのかもしれないからだ。
 内田 樹氏に瞠目すべき論攷がある。
◇若い者からみれば「老人」というのは「いずれそうなるかもしれない自分」です。「幼児」というのは「かつてそうであった自分」です。老人も幼児も他者の支援がなくては生きていけない、栄養もとれないし、移動も出来ない。周りの支援がないと生きていけない。病人や障害者もそうです。それは「そうなったかもしれない自分」です。それを今健康で十分に活動的である「自分」が、「かつてそうであった自分」「将来そうなるであろう自分」「高い確率でそうなるかもしれない自分」を支援する。それは相互支援というよりもむしろ「時間差を伴った自己支援」なのです。ある分岐路で違う道を選んでいたら「こうなっていたかもしれない自分」、自分の可能態に対する支援なのです。◇(「最終講義」より抄録)
 「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」とは、先日生者の列を離れた永 六輔が紹介した作者不詳の民間伝承である。参照に値する。
 施設の入所者は「将来そうなるであろう自分」「高い確率でそうなるかもしれない自分」なのだ。染色体が僅かばかり齟齬をきたした確率は誰にでもある。生涯不自由を抱えねばならぬ事故に遭う危険は日常茶飯だ。病(ヤマイ)と老いから無縁な者は一人もいない。「将来そうなるであろう自分」だ。だから障害者に対する支援は他者ではなく、タイム・ラグを挟んだ自分への支援である。持ちつ持たれつではない。先付けてのセルフケア、そう捉えるべきだと内田氏はいう。将来自らがその立場になった時は、“誰か”が彼の(あるいは彼女の)セルフケアとして行う。自分もそうなって不思議はない自らの可能態(事故や病など)に対する支援も同等だ。でなければ育児放棄し弱者を排斥する家族が瞬く間に崩壊するように、共同体は存続できない。
 そこで、弱者への向き合い方だ。次のように指摘する。
◇別に人に抜きんでた倫理性や愛情深さなんか要らない。そんなものを求めるのはむしろ有害だと僕は思います。自分が他の人たちよりもずっと人格的に高潔で、慈愛の深い、例外的な善人であるという自己評価が強化されればされるほど、その人がそのへんでうろうろしている幼児や老人を見て「ああ、これは私だ」と思う可能性は減ずるからです。皮肉な話ですけれど、個人に向かって、「例外的に善良で、慈愛深い人になりなさい」と要求すればするほど、その要求に応えて自己形成を果せば果すほど、その人の自我の殻は硬いものになる。その人の他者との共感や同期の能力は低下する。「施す自分」と「施される他者」の間、強者と弱者の間の非対称性の壁がどんどん高く、分厚くなってゆく。◇(同上)
 これは重い。倫理性や愛情深さの要求は有害だと氏はいう。要求に応じようとするほど関係は上下に裂かれていく。アプリオリに善人であることは例外に属すからだ。「強者と弱者の間の非対称性の壁がどんどん高く、分厚くなっ」た挙句が生殺与奪の権を手にしたという幻想だったとはいえまいか。彼がそうだったとはいわない。事件の概要からの類推だ。規模は小さいものの同様の事件が続いている。構造的に潜む要因を探らねばならない。彼の特異な属人性に帰していては片手落ちだ。 □


勘違い、二つ その弐

2016年07月27日 | エッセー

 二つ目の勘違いちゅーのんは、「成長」でんねん。はっきり言いまひょ、経済成長はもうありまへんねん。ない。どぉー考えてもありまへん。この先も成長できるっちゅーのは、勘違いもええとこや。そこを皆はん、解ってまへんねん。
 動物も、植物も、人間かて同じでっしゃろ。いつまでも伸びまへんでー。みーんな、5メートルも身長があったら、どないします。成長はいつか止まりまんねん。そないなこと、当たり前や。あとは中身で勝負でっしゃろ。浜 矩子ちゅう経済学の偉いセンセもゆ(言)うてなはった。「成長から成熟へ」て。その通りや。
 第一、人が減ってまっ。特に働く人の数が減ってます。この先も増えまへん。なんぼ政府がケツ叩いたかて、分母が小さいのにそりゃ無理や。突然おなごはんが三人もよったり(四人)も産み出しなはったらでけるやろうけど、「保育園落ちた日本死ね」なんちゅう今のご時世では、それは夢物語でんな。たとえみーんな入れたとて、あきまへん。文明ちゅーもんが進めば人口は少のーなるのは世界共通やそうや。資源には限りがあるさかい、自然に調整されるんのとちゃいまっか。頭数が増え続けたら、生き残りのために殺し合わなあきまへんようになりまっさかい。それとも、産ませんようにしまっか。そんなことしたら、人権無視や。そやさかい、自然の調整機能ちゅーうのんが働くのやそうでっせ。
 それに大きなことを言いますと、資本主義はもうそろそろ限界やそうです。そのことは今までに何べんも申し上げてきましたさかい、繰り返しはしまへん。そやけど、14年の5月『我が解を得たり!』ちゅう稿を読んでくれはったら、よー判ってくれはんのとちゃいますやろか。
 浜センセは、経済成長が必要なんはふたつしかない、なんもかんものー(失)なった時か、これからなんもかんも始めなあかん時や、て言うてはります。それでも成長せなアカンのやったら、めちゃドデカい天災か戦争しかありまへんで。忘れた頃にやって来るのが地震やから、これは措いときまひょ。安倍はんが武器の輸出を解禁したり、防衛装備庁をこしらえたりしなはるのは戦争で成長しようちゅ魂胆とちゃいますやろか。武器の開発はいたちごっこやからこれでええちゅう限界はありまへん。ドンパチがあってものーても、諍いがあるうちは需要はいつもありまっ。あのお人が言いなはる「成長戦略」にぴったしや。なにがなんでも成長ちゅうのやったら、これに行き着くのとちゃいまっか。現に経済成長してる国は戦争か内戦でガタガタになってる国や。
 もともと十六世紀までは人類の歴史に経済成長はなかったそうや。ゼロ成長ちゅうやつでんな。ずーっとそれでやってきた。それからでっせ、一人当たりのGDPがゼロから上向いたんは。成長、成長はそこから始まったんや。それから五百年、枠組みを変える潮時なんとちゃいますやろか。
 アベノミクスかて、世の中、世界のなり行きちゅうもんを無視したどだいムリ、幻でんなー。この前の選挙の時に、十二年からの三年間に二十だか三十兆円だかの増益があったちゅうて政府は宣伝してなはりましたが、その間に国債は百兆円も増えてます。差し引き、七十兆のマイナスでんねん。ものに譬えれば、国債ゆうのんは給料の前借りですさかい、急に儲かって昇給でもせーへん限り後々くる(苦)しゅうなんのとちゃいまっか。絶対そうやで。わてらは消えてまっしゃろが、子や孫がえろー可哀相や。そんなことになったら、子孫に恨まれて浮かばれまへんで。ホンマに。
 先日、朝日新聞に夕張の鈴木直道市長はんが出てなはりました。東京都の職員から市長になりなはった若手のホープや。こんなことが載ってました。
<少子高齢化で人口が減る。借金は増えるのに消費税の増税は延期となり、負担は若い世代に送られる。こうした日本の課題を先取りする「先進地」が、10年前に財政破綻した北海道夕張市だ。炭鉱で栄えたまちも、高齢化率はいま5割。最盛期の1960年に12万人弱いた住民は、いま8千人台。炭鉱から観光へという政策転換を決めた市長や議員はいなくなり、残った市民が負担を背負う。全国で唯一の財政再生団体である。>
 将来の日本そのままや。その縮小版やで。借金の返済は、あと10年は続くそうや。市長は、
「破綻したとき、借金は地方税など毎年度標準的に入る財源(標準財政規模)の8倍あり、いまも1秒に69円を返済している計算です。一方、国の借金は1秒あたり81万5千円ほど増え続ける。日本全国、他人事ではないのです」
 なんやかんや言うても、成長一本槍の考えを改めなあきまへん。発想の転換ちゅうやつでんな。パラダイムシフトや。成長ありきで知恵を絞るより、成熟のために考えていかな、あきまへんねん。経済成長一本槍はカネ、カネ、カネのえらいへんちくりんな世の中を拵えたんとちゃいますか。もうそろそろレベルもラベルも変えなあきまへん。
 成長はもうない。“その壱”と合わしてふたつの勘違い。くれぐれもよー気をつけなはれや。 □


勘違い、二つ その壱

2016年07月25日 | エッセー

 お国の頭(カシラ)から鄙の民草まで、皆々様にどぉーしても言っておかにゃあならねーことがありやす。もちろん手前も歴とした民草の一本でございます。もうそろそろ風に吹かれてか、日照りに射(イ)られてか、それとも長雨に根腐れて消えっちまうか、しがねー老いぼれの道っぱたの草でさー。口幅ってーのは百も承知でありやすが、早えーとこ胸に溜まった澱みてーなのを吐き出しちまわねーと後生が悪うござんす。耳に痛えことを申し上げやすが、しばし御辛抱を。
 皆さん、えらい勘違(チゲ)えをしていなさる。それも二つ。
 ます一つは、この国はアメリカさんの属国、俗にいやー、あちらさんが親分でこっちがその子分てーわけで、皆さんこのことを御存知ない。そんなバカなって、鼻で笑っておしまいになる。ところが、一端(イッパシ)に独り立ちした国だなんてなー、ひでー三階、四階、五階いや、誤解でして、哀れ、遼東の豕てーやつですな。
 七十(シチジュウ)年もめえ(前)からあちらさんは日本に陣取って、いっかなお帰りにならない。冷戦とやらが終わって、これでお引き上げかとほっとしたのも束の間、今度はソ連の代わりに中国を敵役にしてそのまんま居座りを決め込んじめーやがった。二言目にゃ、「国を取り巻く環境が変わった」とおっしゃる。でもね、よーくお考えくださいまし。ずーっと睨みを利かしていたのに、環境が変わったなんて、それは睨みが利いていなかったってーことになりゃあしませんか。日がな見張っていたのに泥棒に入られるガードマンなんざ、いてもいなくてもおんなじってーことですよ。そうじゃありませんか。でも居座ってる。しかも、相変わらずのやりてー放題。沖縄じゃあ、日本のお巡りさんも手出しができねえありさまで。なんとも情けない。さる筋から漏れ伝わったところでは、アメリカさんは日本全国どこにでも基地が作れて、おまけに高えーところから低いとこまで北から南、空も勝手。そんな取り決めがあるらしい。ひどいじゃありませんか。
 余所様の軍隊が大手を振って伸(ノ)し歩く。それに一朝事あった時にゃ、二十三万の自衛隊は三万と七千(シチセン)のアメリカさんの差配を受ける仕組みてーんですぜ。代わりに護ってくれるったって、あちらさんの国益にならねーなら出張(デバ)ってく義理はねえんだそうです。「防衛義務」なんつってもずいぶんと緩いもんで、いざってー時に当てになるのかどうか分かりゃあしません。そのくせ「思いやり予算」だかなんだか、上げ膳に据え膳、貢ぎっぱなしだ。そんな独立国って、ありますか。なにもあたしゃー、だから自前のぐんてー(軍隊)を持てと言ってるんじゃあない。それじゃあ国を挙げて敗戦ののちに出直した筋道が通らねーてぇことになっちまう。とにこうに考えるに八方塞がり、自棄(ヤケ)のヤンパチ日焼けのなすびてーやつで、どうにもならねー。このどうにもこうにもままならねーってのが、属国の属国たる所以てーやつでさー。
 国の舵取りだって、GHQの時からアメリカさんの仰せのまま。「対米従属」ってー道を直走り。役人だって、宗主国のために甲斐甲斐しく働く者が出世するんです。そういう仕組みになっちまってる。GHQが店じめいなすってからは、あーせい、こーせいと、あけすけにはあちらも言いやしません。ただしこれは先(セン)にもお話ししやしたが、砂川裁判なんて抜き差しのならねえ時にゃあ、なりふり構わず割って入りやすがね。それは万に一つ。普段は大親分よろしく下風の体面てのも立ててやって、表だっては差し出がましいことは言わない。でも、そこはこちらの国の偉いさんやお役人が御意向てーものを忖度して動く。仕事のできる番頭は主人の指図なんざ待ちません。痒いところに手を回し、一を聞いて十を知る。洋風に言やぁ、バトラーてーんですか。ご主人様の意を体して万事粗相がない。ご主人様の先を行ったり、てめーの独断でことを運ぶなんざ、もっての外でございやす。そんなことをした日にやぁ、すぐに用無し、お払い箱にされちまう。田中角栄の旦那がそうでしたな。アメリカさんに仁義も切らずに中国と誼(ヨシミ)を通じちまったもんだから、えれー目に会いなすった。キッシンジャーってーあちらさんの大番頭が随分キレまくったそうです。親分に取っちゃー子分の勝手はとうてい許せねーことでしてね、抜け駆けは御法度。角栄の旦那がロッキードで大ドジを踏んじまったのも意趣返しだったとか。もっぱらの噂でした。
 つい先だっての日韓合意てのも、どうやらアメリカさんの指図があったらしい。でなきゃあ、急に一件落着なんて、どうにも説明がつきませんや。中国だあ、北朝鮮だあ、てーへん(大変)な時に、子分同士で諍い合ってる場合じゃねえ。おめえーら、ていげー(大概)にしろ。なんて、大目玉を食らったにちげーねー。そうでなきゃ、あの急転直下は合点が行かねー。
 まだまだ色々ありやすが、長っ尻と長広舌は無粋の極み。もう一つの勘違いは次回に持ってくとして、ひと言ご注意を。
 よく「本邦はアメリカの五十一番目の州だ」なんてことを言う人がおいでになる。手前も一時(イットキ)、そんなことを口走ったもんです。だが、それはかんげ(考)ーちげ(違)えーてもんで、お偉いアメリカさんは日本を州になんぞしやしません。三億ちょいの人口に一億二千の人間を抱えた州が増えたら、どうなりますか。あちらさんの基準でいきやすと、上院議員が二人に、下院議員は四百三十何人中、百二十何人かが「日本州」選出になる勘定です。本国が乗っ取られちまう。そんな馬鹿なことはしません。
 てな訳で、下手な講釈はこのへんに。ではまた、ごきげんよう。 □


朝の音(オト)

2016年07月22日 | エッセー

 障子が白んで、遠近(オチコチ)に鳥の囀りが湧いてくる。鄙の街中に鳴り渡る目覚めのオルゴールであろうか。
 それでも起き上がる気力はなく、薄い布団に包まりながら、なお聞き耳だけは立てている。アンニュイな朝ぼらけ。気分は少しだけ王侯貴族のよう。
 朝の音は、昼のそれとはあきらかにちがう。人の声、掃除機、洗濯機、足音、車、偶に飛行機、工事の音、物売り……。昼は活計(タヅキ)の音だ。夜は黙(シジマ)。そこに音がしたら、すわ異変だ。朝は産声でも、まさか勝鬨でもあるまい。遠慮がちで密やかでさえあるからだ。
 古(イニシエ)の歌人は
   春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際
 と、愛で
   冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも
 と、こころを寄せた。
 あけぼの、つとめて、どちらも朝の色合いだ。音ではない。もしも音なら、なんと詠ったであろう。朝霜が陽に射られて爆ぜる微かな軋み。氷柱(ツララ)が緊縛を緩め、雫が大地を連打する節奏。喘ぎつつ進む足が踏み拉く雪の悲鳴。詩人はどんなことばを紡いだだろう。
 もしかしたら、朝は鳴りを潜めているのかもしれない。じっと聞き耳を立てているのは朝の方では。黙の縁(フチ)から活計の端(ハシ)へ、その際(キワ)でそっと耳を澄ましているのが、朝だ。鳥は目覚めた合図を囀りにして朝に送っている。きっとそうだ。聞くのではない。聞かせる。それが朝の音だ。聞かせつつ、聞く。聞きつつ、聞かせる。その初動の内に、その相応の内に朝の音はある。
 「おはようございます」は活計を始める挨拶だ。だから朝の挨拶になる。どんな小声であろうと、必ず同じ言葉が返る。太古よりの義務だ。もしも怠れば世間の懲らしめを受ける。聞かせつつ、聞く。聞きつつ、聞かせる。この相応の遣り取りもまた朝の音だ。
 
 昨日から朝の音がにわかに華やいだ。軽やかな子供たちのさんざめき、足音。陋屋を掠め、フェードアウトする。しばらくの後、今度は逆から同じようにやって来る。
 ラジオ体操だ。
 休みなのにいつもより早く起き、葉書大の出席カードを握って駆けつけた、あの往時が蘇る。決まって旧盆を境に足が遠のく。尻すぼみの年中行事。今の子供たちも同じだろうか。
 夏の、この一群(ヒトムレ)の朝の音。唐突に始まり、やがて消える。でも、鳥の囀りに劣らず聞かせる朝の音だ。懶惰な身には、仮初めの王侯貴族を辞めてどこかへ飛び出せ、と聞こえてくる。気怠い体に活を入れて、えぃと起き上がってみるか。 □


なぜ、段線?

2016年07月18日 | エッセー

 数年前からそれを目にするたびに、不思議でならなかった。先日、ハーグの仲裁裁判所が法的根拠なしとの判決を下した「九段線」だ。なぜ“段”線なのか。「断線」ではない。線を絶つのではなく、段々に引く線である。ぶっちゃけていうと、なぜ実線ではないのかといういわばチャイルディシュ・クエスチョンである。
 等間隔ではないから、破線ではない。破線は等高線や特別登山ルートを地図表示したり、道路標示に使ったりする。白の実線と破線、追い越し禁止か否か。“キップ”の悪夢が甦るややこしいアレだ。Google Mapsは帰属が曖昧な国境を点線で表示するようになったが、段線はそれともちがう。
 元は1947年に、まだ中国本土にいた中華民国が引いたものだ。戦後中華民国海軍が南シナ海にある大小の島々を使い始めた際、水文学調査を行い自前の地図を作り公布した。そこに領海として南シナ海をU字型に取り囲むように要所要所に線を引いた。11本あったので「十一段線」と呼ばれた。後レッド・チャイナが引き継ぎ、1953年に当時の北ベトナム支援のため2本を除き9本とした。中国から突き出されたベロのように見えるので、「赤い舌」とも呼ばれる。
 段線は台湾本島南部から時計回りに、バシー海峡(南シナ海と太平洋を結ぶ海上要路)/北ルソン島トラフ(フィリピン最大の島との境)/マニラ海溝/南沙群島とフィリピンの間/パラワントラフ/南沙群島とマレーシアの間/南沙群島とインドネシアナトゥナ諸島の間/南沙群島とベトナムの間/西沙群島とベトナムの間、と海南島付近まで続く。すべて中国にとって海洋、海底資源や軍事、軍略においての要衝である。
 実線でないことをエビデンスの不確かさや躊躇あるいは遠慮と捉える向きもあるが、それはない。判決への強烈なネグレクトを見れば判る。そこで奇想を企てた。ひょっとしたら、これはグラデーションではないか。グラデの現代的表記が段線になったのではなかろうか、と。中華思想において国境はなかった。王地と化外の地があるばかりで、その境はクリアカットに区切られてはいない。王権は中央から外へとグラデーション状に及ぶ。
 碩学の論攷を徴したい。以下、内田 樹氏の『街場の中国論』(ミシマ社、07年刊)から抄録。
◇理解しにくいことは、中国人は「国境線を画定する」というふるまいそのものに対して激しいアレルギーを持つ、ということです。中華思想は天下すべてが中国を中心にひとつの調和した小宇宙を形成しているという宇宙観ですから、「国民国家」や「国境線」という概念自体にそもそも存在する余地がありません。国民国家や国境線が存在し始めた十七世紀よりはるか以前から中国には国家があり、統治秩序があったわけですから、中国人の国家観や国境観をウェストファリア・システムに準拠して想像すると、どうしてもうまくゆかないのは当然なんです。中国人にとって蛮族が住む「化外の土地」はまだ「王化」が及んでいないのだけれど、だからといって軍事的なハードパワーをもって強権的に「王化」するべきだとは考えていない。辺境の蛮族たちが中国中央に対して朝貢して形式的にでも臣従しているかぎりは、文化的な恩恵は豊かにお裾分けしてあげるし、政治的な自治権も認める。ただし、心理的に臣属関係にあることだけは忘れるなよ、というのが王化戦略ですね。
 国境線が画定していないで、辺境がなんとなくごたついていて、臣属関係がはっきりしないエリアがあるということは中国にとっては歴史的に「常態」であって、べつにそれほど不愉快なことではない。むしろ国境線が画定して、「こっちから向こうは中国じゃない」というふうに切り立てられることのほうがはるかに気分が悪い。中国人にとっては四千年前から、王土の辺境の帰属がはっきりしないということは当たり前のことであって、「まあ、そのうち(数百年もすれば)落ち着くところに落ち着くのではないか」というようなスパンで考えている。◇
 鄭和の南海遠征を除いて『陸の国』でありつづけた中国が、「ウェストファリア・システムに準拠」しようとした時、まさか地図にグラデーションを施すわけにはいかなかった。グラデの代わりに使ったのが段線ではないか。段線の隙間はグラデの替わりだ。
 荒唐無稽と一蹴されそうだが、清が滅んでまだ35年、間(アワイ)には袁世凱の「中華帝国」もあった。4千年の30数年、「中国人の国家観や国境観」が容易に変わろうはずはない。「四千年前から、王土の辺境の帰属がはっきりしないということは当たり前のこと」、「べつにそれほど不愉快なことではない」はずだったのに、突如西洋流の「統治秩序」を強いられた。「辺境の帰属」をはっきりさせるという「はるかに気分が悪い」事業を避けると国が立ち行かなくなる。そういう歴史の切所に立ち至った。「どうしてもうまくゆかない」挙句の、苦肉の策が「段線」ではなかったか。実線ではないわけはたぶんそうであろう、と奇想する。
「中国にとって、そしてその他の領有権主張国にとって、曖昧さが良いことかもしれないと今なお考えている」、「その結果、中国など領有権主張国にとって動ける余地が広くなり、妥協する余地が広くなる」
 これは先日の「アジア安全保障会議」での、中国人民解放軍軍事科学研究院の上級フェロー・姚云竹少将の発言である。如上の「中国人の国家観や国境観」を彷彿させる。
 といって、呆れるほどのアナクロニズムだと嗤ってばかりはいられない。ウェストファリア・システムは400年、彼(カ)の国はその10倍で4千年。どだい桁が違う。歴史の古層が簡単に書き換わると考える方がイージーに過ぎるだろう。4千年の歴史の果てにやっとみんなを喰わせることで成立した中国(中華人民共和国)が、これからはみんなを豊かにすることでしか存続し得ない歴程を迎えている。先ずは、そう惻隠することだ。嫌中は勝手だが、隣り合わせの大国が崩れて本邦が無事であるわけがない。九段線周辺国とて事情は同じだ。中国は紛れもない大国である。超軍事大国でもある。「リバランス」を掲げはするものの、アメリカも戦を望んでいるわけではない。ましてや虎の威を借りて高飛車に出ても、対米追随で属国紛いの本邦が太刀打ちできる相手では決してない。軍事的オプションは論外だ。下の下策である。国際秩序に順応してくれるに越したことはないが、急いては事をし損じる。相手に合わせて、「『まあ、そのうち(数百年もすれば)落ち着くところに落ち着くのではないか』というようなスパンで考え」ねばなるまい。
 ここは、「中国人の国家観や国境観」に寄り添ってみるのが上策ではないか。グラデのままにしておいて、機を見てローカル・アグリーメントを持ちかける。領有権は棚上げにして、経済協定を結ぶ。これが大人の知恵だ。デジタルに黒白つけねば不愉快だというのは子どものレベルである。
 領有権を迂回すると、「『化外の土地』はまだ『王化』が及んでいないのだけれど、だからといって軍事的なハードパワーをもって強権的に『王化』するべきだとは考えていない」のだから、軍事的オプションはクリアーできる。協定は「辺境の蛮族たちが中国中央に対して朝貢して形式的にでも臣従しているかぎりは、文化的な恩恵は豊かにお裾分けしてあげるし、政治的な自治権も認める」という臣従関係の擬態になり得る。
 「段線」をグラデつまりは段階的なボーダーとして捉えるならば、段階的つまりは柔軟なソフトランディングが可能ではないか。なにはともあれ、断線させないのがクレバーな対応だ。 □


最終オフェンスライン

2016年07月14日 | エッセー

 昨年4月、『ディフェンスライン』と題する愚稿を呵した。天皇のペリリュー島訪問について、「おわび」の文言にさえ拘る安倍談話との落差を指摘し、次のようにオマージュを呈した。
<この落差はなんだろう。比較するのも汚らわしいが、人品骨柄があまりにも違いすぎる。かつて司馬遼太郎が、本邦においては天皇家以外はみんな馬の骨、これほど平等な国はないと語ったことがある。所詮は山口の馬の骨。謦咳に接しても、何の感化も受けぬらしい。
 歴史的、政治的見解は甲論乙駁だが、刻下日本で「有責性」を最も深刻に感受しているのはたぶん天皇であろう。
 “ディフェンスライン”とはゴールに一番近いDFの位置に引かれた仮想の線をいう。齢80を超え自衛艦に寝泊まりしての刻苦の慰霊は、一身を挺したディフェンスラインではないか。慰霊とは「象徴」ゆえのレギュレーションをかいくぐって紡ぎ出された、この上なく健気な平和活動の謂ではないか。ならば天皇に最後のディフェンスラインを託さねばならぬほど、此国(シコク)の民草は不甲斐ないのか。しかも、殺到する攻撃にディフェンスラインを上げてオフサイド・トラップを誘う機も失いつつあるようだ。仮想の線は見えない。破られた時、はじめて見える。それでは余りに愚かだ。>
 ならばこれは、『最終』オフェンスラインといえるのではないか。愚案を巡らす。
「天皇陛下 生前退位の意向」
 これは朝日新聞1面の主見出しだ。各紙とも同じ扱い、1面トップで大きく伝えた。
 一つは、参院選直後という時期。憲法改定発議に必要な3分の2が成り、改憲が射程に入ったこのタイミングに「意向」が明らかになったことだ。政権にとって追い風では決してない。むしろ、逆風だ。朝日は両翼の識者からコメントを取っている。
<▽原 武史・放送大学教授(日本政治思想史)
 現代にふさわしい皇室のあり方を模索、実践しようとした天皇のお考えの表れだろう。
▽百地 章・日大教授(憲法)
 譲位制度の可否という、国会と内閣にたいへん重い宿題を出されたことになると思う。>(抜粋)
 上段はごく一般的な見解、注目は下段だ。言わずと知れた“あの”「日本会議」のブレーンである。“彼ら”にとっては「重い宿題」なのだ。有り体にいえば、足枷だ。憲法改正へ一瀉千里とはいかなくなった。突然の「宿題」が課せられたからだ。しかも天皇自身の「意向」であれば、“彼ら”にはこの上なく「重い」。「意向」では2年とも数年内とも報じられている。となれば、任期中の改憲を明言している安倍首相の任期に重なる。「宿題」の提出期限とダブることになる。国民の関心はもちろん皇室に向かう。政権は「宿題」を放っておくわけにはいかなくなる。「皇室典範」の改定がにわかに浮上する。ヤな向かい風、とんだお荷物だ。政策のプライオリティー、セットアップに齟齬をきたすのはまちがいない。超重量級のボディーブローだ。「『象徴』ゆえのレギュレーションをかいくぐって紡ぎ出された、この上なく健気」で「一身を挺した」改憲阻止へのオフェンスではないか。
 もう一つ、中身だ。自民党の改憲案では、
<第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。>
 とある。つまり理路を追うと、今上天皇は自らが「元首」になることを拒否している、と解せる。「元首」は、前掲の原教授がいう「現代にふさわしい皇室のあり方を模索、実践しようとした天皇のお考え」にはないオプションなのだ。これは極めて明確なメッセージではないか。忖度もなにもない。あからさまな意思表示である。自民党改憲案への超重量級オブジェクションである。いや、「『象徴』ゆえのレギュレーションをかいくぐって紡ぎ出された、この上なく健気」で「一身を挺した」改憲阻止へのオフェンスではないか。
 付言すると、百地はコメントで「明治以降の伝統を尊重すれば譲位ではなくて摂政をおくことが、陛下のお気持ちも大切にするし、今考えられる一番いい方法ではないか」と述べている。「伝統」は「明治以降」に限らない。その10倍の永きにわたる。さらに「摂政」まで出てくると、聖徳太子の神代の昔にタイムスリップだ。もう、絶句するほかない。
 昨年3月発刊された『《昭和天皇実録》の謎を解く』(文芸春秋)で、作家の半藤一利氏と政治学者の御厨 貴氏が興味深い遣り取りを交わしている。
◇半藤:戦争が終わると昭和天皇とマッカーサーの会見が十一回もありました。
御厨:そもそもマッカーサーに会いに行くこと自体が、本来ならば政治的争点に充分なりうる。首相すら差し置いて、天皇自らGHQに乗り込んでいくわけですから。戦前からすでに、立憲君主の枠組みの中でと言いながら、その折々で天皇は政治介入らしきことをしています。田中義一内閣を総辞職に追い込んだ例が最たるものですが、戦後になって対峙する相手が、軍部からマッカーサーになったと捉えることもできます。◇(抄録)
 「実録」から戦前、戦中、敗戦時と軍部に対峙した模様がさまざまに読み取られ、戦後マッカーサーとの攻防が語られる。昭和天皇はかなり政治的なキャパシティを持ち合わせていたことが窺い知れる。だから、「最終オフェンスライン」との愚案もあながち捨てたものではない。なにせ「一系」中の「一系」だ。帝王学の継承に寸分の狂いもないはずだ。そこいらの馬の骨の隔世遺伝とはわけがちがう。 □


黒岩知事にガッテン!

2016年07月11日 | エッセー

 この盆暗頭には合点が行かない報道があった。
<神奈川知事、渋谷の自宅に公用車送迎 「週末の公務で」
 神奈川県の黒岩祐治知事(61)が、週末に東京都渋谷区の自宅への送迎に公用車を使っていたと、週刊新潮が7日、報じた。黒岩知事は記者会見で「公務に向かうための自宅への迎えと、公務から自宅への送りは公用車を使っているが、公務に該当しない活動での迎えと送りは、個人事務所が準備する車を使うなど、けじめをつけて厳格に運用している」と説明。週末も公務がある時にのみ、公用車を使っているという。
 週刊新潮の記事によると、2015年4月から16年3月までの間に、計113日で自宅のある渋谷区から公用車が出発していたという。また、週末には頻繁に自宅から公用車が出発していたという。>(7月8日付朝日新聞から)
 舛添元都知事の神奈川県版かとの疑念だが、合点が行かないのはそれではない。「東京都渋谷区の自宅」! 実はこれだ。神奈川の県知事が渋谷に住んでいる? 国会議員が東京に住まうのは分かるが、余所の都道府県に居住する人間が知事になれるのか? 選挙権と同じく、被選挙権も居住地域に限定されるのではないか。国会議員の場合は、住民票がいずこにあろうが(立候補する選挙区に居住実態がなくても)全国どこの選挙区からでも立候補できる。地域ではなく本来的には国政を担うとの建前に立てば、それは料簡できるし知ってもいた。“職場”も東京都千代田区永田町の一つ切りだ。しかしまさか、他県の住人が知事になれるとは。
 まことに浅識とは怖いものだ。公職選挙法を繙くと以下のようにある。

(被選挙権)
第十条   日本国民は、左の各号の区分に従い、それぞれ当該議員又は長の被選挙権を有する。
一  衆議院議員については年齢満二十五年以上の者
二  参議院議員については年齢満三十年以上の者
三  都道府県の議会の議員についてはその選挙権を有する者で年齢満二十五年以上のもの
四  都道府県知事については年齢満三十年以上の者
五  市町村の議会の議員についてはその選挙権を有する者で年齢満二十五年以上のもの
六  市町村長については年齢満二十五年以上の者

 はてさて、知らなんだ。ああ、恥ずかしい。一、二、四、さらに六に住居の定めはない。つまり、衆参国会議員と村長も含めた地方自治体の首長には「その選挙権を有する者」という地域の限定はないのだ。さすがに地方自治体の議員についてはその縛りがある。三と五だ。首長にはそれがない。極端な話、北海道に住む沖縄県知事、東京都荒川区在住の高知県高岡郡日高村・村長だってルール上は可能だ(現実にはあり得ないが)。だが北海道に住んでいては沖縄県議会議員になれないし、荒川区在住では日高村・村会議員にはなれない。では、アメリカ在留邦人の首長はどうか。興味は湧くが、奇想は措いておく。
 諸外国のルールは寡聞にして知らない。しかし、本邦の首長に関するこの奇怪な規矩は考えるほどに納得しがたい。通い知事、さしずめ通い婚か別居夫婦といったところか。なぜこうなったのだろう。愚案を巡らしてみた。
 慶応3年(1868年)、「王政復古」によって幕藩体制は天皇の下に中央集権国家へと向かう。翌明治2年(1869年)、「版籍奉還」。全国の藩主から領地(版)と領民(籍)に対する支配権が天皇に奉還される。この時に、藩主たちは「知藩事」に任命される。知藩事とは支配権を持つ領主ではなく、天皇に任命された地方行政官である。さらに2年後政府直属軍を創設し軍事的優位を確立したところで、明治4年(1871年)に「廃藩置県」を断行。藩はすべて府と県に統一され、知藩事は全員失職して華族に除せられた。東京、大阪、京都の3府は知事、それ以外の県は新たな首長を「県令」と呼び、すべて中央政府が任命するシステムへと移行。8年後には名称はすべて知事に統一された。
 どうもこの経緯にヒントがあるのではないか。換言すると、制度疲労や経済的事由があったにせよ、「版籍奉還」や「廃藩置県」がなぜスムーズにできたのかというイシューだ。いわば革命の肝が意外なほどに整然とかつ淡々と進んだのはなぜか。
 司馬遼太郎はかつて、藩主は領地を寸土も所有しておらず支配権を持っていただけだから廃藩置県が難なく進んだ、と述べたことがある。
 歴史学者の與那覇 潤氏はこう語る。
◇小川和也さん(歴史学者・引用者註)が近世領主層の政治テキストだった「牧民之書」の分析から、古代律令制の下での「国郡里制」の意識は幕末の大名にまで受け継がれており、だからこそ速やかな版籍奉還・廃藩置県ができたのだと示唆していることです。国司を畿内から派遣した古代のアナロジーで、官選知事が東京から送り込まれる中央集権化を理解できたということですね。この意味でも、統合された国家としての「イメージ」の起源は古代からあり、大名領ごとの分割統治ながら「支配の実態」も近世にはともなうようになってきて、明治維新は両者を合流させただけ、と考えたほうがいいと思います。◇(太田出版『日本の起源』から)
 江戸幕藩体制という「封建制」から明治政府による「郡県制」への転換ないし回帰には、「古代律令制の下での『国郡里制』の意識は幕末の大名にまで受け継がれて」いた歴史的背景があった。だからこそ、「国司を畿内から派遣した古代のアナロジーで、官選知事が東京から送り込まれる中央集権化を理解できた」のではないか。
 GHQの占領政策が地方自治の再構築にどう影響したのか。浅学ゆえ詳らかにできない。専門家の研究に俟たねばならぬが、ともあれ「古代のアナロジー」が今に至るまで伏流しているのはまちがいなかろう。大統領制に擬した首長の選出方式といい、少なからず興をさかす。
 居住にかかわらず首長たり得る。この妙ちきりんな定めは日本人の意識の古層によって導出された。“東京都民の”黒岩知事に、ガッテンだ。 □


驚くべき隔世遺伝

2016年07月08日 | エッセー

 『3分の2で攻防、60年前も』──7月8日、朝日が載せた参院選の特集記事だ。これが実に興味深い。要約すると、

▽60年前の7月7日、朝日1面に「憲法改正、是か非か」「争点は3分の2議席」の大見出し。
▽前年、保守合同で自民党・再統一の社会党による「55年体制」が完成。
▽首相は鳩山一郎氏、幹事長は岸信介氏。ともに天皇の元首化、再軍備を主眼においた自主憲法制定が「悲願」。
▽この参院選で、改憲の発議に必要な「3分の2」議席確保を狙う。
▽婦人・青年層の票が逃げると懸念し、「当面の重点政策」10項目には「憲法改正」を入れず。
▽野党・社会党は徹底して「3分の2議席阻止」「改憲阻止」を訴え、憲法の争点化に注力。
▽改憲阻止は、再統一したばかりの社会党が一致して掲げ得る数少ないスローガン。
▽市民運動や労働組合、女性団体、学生など72団体が参加し、野党を後押し。
▽結果は社会党は躍進し、野党がかろうじて「改憲勢力3分の2」を阻止した。

 と60年前を振り返った。それにしても1956年とのアナロジーには驚く(結果はまだ不明だが)。改憲狙いと争点暈かし、野党勢力の共闘……そっくりだ。還暦と同じように政治も元に戻るのであろうか。それとも、質(タチ)の悪い隔世遺伝の症例であろうか。続いて、

▽以来岸氏を含め、歴代の自民党政権は改憲を争点に選挙戦に打って出ることはなくなった。
▽今、安倍政権は国民生活に直結する経済政策「アベノミクス」を「最大の争点」に掲げ有権者の関心を引き付けようとしている。
▽今回の選挙は、政策の選択にとどまらない。この国のありようそのものが問われている。3分の2議席を獲得すれば、祖父が果たせなかった「悲願」の達成に向けて一歩を踏み出すことが可能となる。

 と結んだ。6月3日の社説には、
<安倍政権は、過去2回の国政選挙では国民生活に密接にかかわる経済を前面に掲げた。今回も同様だ。だが、これまでは選挙が終わると、安倍政権は顔を一変させてきた。特定秘密保護法に安保法。国民の知る権利や平和主義という憲法の根幹にかかわる法の制定に、一気に進んできたことを忘れてはならない。>
 と述べている。いわば其の手は桑名の焼蛤か。
 もう一つ。昨年からの春闘への介入、別けても経営者側への賃上げの要請だ。これには仰天した。護送船団方式をはじめ、「成功した唯一の社会主義」とも揶揄される戦後の経済政策とは位相を異にする。なにがなんでものアホノミクス実績づくりのプレッシャーを、なんと経営側に掛けたのだ。これではモロの社会主義だ。アホノミクスのためなら、何でもアリーノ自民党に宗旨替えしたのであろうか。近ごろでは「同一労働同一賃金」の提言。これもヨーロッパの社会民主主義政党と見紛う、自民党らしからぬ変貌だ。魂消ることばかりである。
 そこで、こちらにも如上の遺伝的バイアスはないかと調べてみた。あった。なんと、祖父さんは社会主義者だったのだ。政治学者の白井 聡氏がこう語っている。
「おもしろいことに、岸信介は戦後も自分を社会主義者として自己規定しています。彼は座右の書として北一輝をあげていたように国家社会主義者であり、敗戦を経ても主観的には全くぶれていないのです。(略)しかも、岸は戦後社会党右派に入党しようとしているんですよね。さすがに、社会党側が拒否したため、保守の側にいったようです。」(ちくま新書『日本劣化論』より)
 1952年公職追放解除になった岸は、自主憲法制定と再軍備を掲げて「日本再建連盟」という新党をつくる。ところが明くる年、総選挙に打って出たものの大敗を喫する。結果を受けて、岸は社会党への入党を要請したのだ。理由を後年、自分は私有財産を否定する国家社会主義者だから「自由党より社会党のほうが私の思想に近かった」と語っている。稀釈はされているものの、隔世遺伝といえなくはない。御都合主義では片付けられない血の臭いがする。なにより国家社会主義は戦前的価値観に親和性が極めて高い。それがナショナリズムの一畸型であるためだ。
 アナロジカルな政争的軌跡と政策的同位性。二つ乍らの淵源に隔世遺伝があったとしたら、血は水より濃い、か。この場合、「水」とは元意である他人、文字通り一家以外の国民すべてという謂になる。ならば、彼の公言は限りなく極小で狭小な私語でしかない。 □


「程度の問題」にシフトを

2016年07月04日 | エッセー

「人質事件に日本人が巻き込まれている可能性があり、私から情報の収集、そして事実関係の確認、さらにはバングラデシュをはじめ関係各国と緊密に連携協力をして、人命第一に対応するよう指示をいたしました」
 本邦の首相はいつもこういう物言いをする。揚げ足をとるようで恐縮だが、神は細部に宿るとの伝でいけば突っ込みを入れたくなる。「私から」指示しないと日本政府は動かないのか、と。そんなはずはないのであって、緊急時にもキチンと要路、要所は対応している。「私からも」というのが普通であろう。それを殊更「私から」と言挙げするのは幼児の自己肥大した物言いのようでいただけない。事あるたびにいつもこうだから、耳に障る。
 今世紀最大ともいえるアポリア、テロリズムにどう対処するか。極めて示唆に富む論攷を紹介したい。以下は内田 樹氏と姜 尚中氏との対談での遣り取りである。
◇姜:どこかにある戦場をテレビで見ている、そのテレビから突然として銃弾が飛んでくるような感覚で、日常生活に戦場の光景があらわれてくる。それが、今我々が置かれている状況です。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』じゃないけど、「戦争は平和」という永久に戦争を続ける世界が、本格的に来そうな状況なのかなと僕自身は思っているんです。
内田:戦争をどう抑止するかという議論は、もっとクールでプラグマティックな「戦争は廃絶できないが、いかに死者の数を減らすか工夫することはできる」という「程度の問題」にシフトすべきではないかという気がしてきたのです。そのほうが理にかなっているんじゃないか。戦争は根絶できない。テロも根絶できない。それで虚無的になるべきではない。それならそれで、じゃあ戦死者の数、テロリストによって殺される市民の数をどうやって抑制していけるのか、それを技術的・計量的に考える方が合理的なんじゃないか、と。戦争をこの世からなくすとか、この世からテロをなくすというと、そのためには必ず「この世から戦争をなくすための最終戦争」が起案されることになる。◇(集英社新書、先月刊「世界『最終』戦争論」から抄録)
 「日常生活に戦場の光景があらわれてくる」、ダッカのレストランでの惨劇はまさにそうであったろう。ディストピアにおいて「戦争」は、「平和」の対語ではなく同義語でしかない。暗喩でも隠喩でも、ましてや諷喩でもなく、メトニミーに近い。ダブルスピークそのものだ。
 受けての内田氏の言に目から鱗である。意表を突く視点だ。“all-or-nothing”では「戦争をなくすための最終戦争」という愚かな泥梨に陥らざるを得ない。地震対策と同様の「クールでプラグマティック」な減震、免震の発想、「程度の問題」へのシフトだ。
 事件前外務省はバングラデシュについて危険情報や注意喚起は出していたが、全く無益に終わった。進出企業の担当者を大使館に呼んで具体策をレクチャーするなどしていたのかどうか。危険地域の大使館には安全対策の専門家は派遣されていたのかどうか。渡航希望者に制限を掛けてもいいではないか。君子危うきに近寄らずこそ最上の安全対策だ。見境のないグローバリゼーションにも一考を要する。国として海外展開にセキュリティー面からレギュレーションを加えることも一計だ。他国に後れを取ったっていいではないか。命あっての物種だ。海外の同朋をどう護るか。「安全法制」というなら、こっちこそ喫緊であろう。「テロには断じて屈しません」などは、子どもだって言える。求められるのは欧米並みに肩を怒らせることではなく、「技術的・計量的に考える」大人の知恵だ。
 今度が初めてではない。もうそろそろ学習してもいいのではないか。衆知を集めれば、「合理的」な方策はいくらでも出て来よう。まさか、本邦首相は「戦争をなくすための最終戦争」派ではあるまい(と信じたい)。ならばぜひ、「程度の問題」へのシフトを『私から』指示してほしい。 □