伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

新庄の新庄による新庄のための……

2006年10月31日 | エッセー
 自暴自棄という言葉がある。この場合、『自暴自輝』だ。
 頼まれもしないのに、自ら引退を宣言したのが4月。プレーオフ、リーグ制覇と続いて、日本シリーズで止(トド)めの優勝。『自暴』を自作し、最後は「超」ハッピーエンドの『自輝』を自演する。まんがのような展開だった。
 御大ナガシマの『メークドラマ』どころの話ではない。強肩はつとに知られたところだが、彼は強運でもあったようだ。それもとびきりの。
 そのSHINJYOが「死んでも忘れられない」と言うほどの屈辱を味わったことがある。97年のオールスター。阪神時代のことだ。打率は2割そこそこの最低。ついに応援団は応援を拒否、出場批判の横断幕がスタンドに。その最中(サナカ)、打席に向かう彼にペットボトルが投げつけられたのだ。おそらく地獄を垣間見た一瞬であっただろう。野球人生最大の出来事に、彼はこれを挙げる。「仮面」や「宙づり」だけの、単なる能天気の野球バカではない。なにせ、彼がいまだに使うグラブはプロ1年目の18歳の時に買ったもの。修理しながら使い続けてきた。SHINJYOには似つかわしくない話だが、本当だ。このあたり、意外にもイチローに通底する。
 
 圧巻は、日本シリーズ第5戦 ―― 8回裏、1アウト、ランナーなし。SHINJYOは最後の打席に立つ。中日のピッチャーは、プロ6年目、エースナンバーをつけた中里。

 1球目 真ん中146キロのストレート、見逃しで1ストライク
 2球目 真ん中低めのストレート、空振りで2ストライク
 3球目 真ん中高め148キロのストレート、空振りで3球三振

 どうだろう。いかにも、SHINJYOである。下手にヒットなど打たない。ボテボテのフライで一塁など、もってのほかだ。沽券を落とす。ホームランは要らない。この時点、すでに帰趨は決している。傷口に塩を擦り込む辛辣さは、SHINJYOにはふさわしくない。伊達男はそんな無粋をしないものだ。
 真っ向勝負の中里も立派だが、注目すべきは谷繁だ。わたしには谷繁が男気(オトコギ)を出したような気がしてならない。打たせようとした、とは言うまい。少なくとも、SHINJYOらしい空振りのシチュエーションを用意した、とは言えるだろう。
 それにしても落合の暗さはなんだろう。明るいところにこそ、人は集まる。指揮官がベンチの奥で鎮座ましましていたのでは、なるものもなるまい。「オレ流」もいいが、夜郎自大では鼻持ちがならない。「どっちが勝ってもいいじゃない。ファンや視聴者が楽しめるプレーをしたい」とのSHINJYOの『真情』を何と聞く。
 バレンタインとくればチョコレート。チョコレートとくれば、言わずと知れたロッテ。片や、ヒルマンとくればなんだろう。丘に立つ男、か。となると、BEATLESの「フール・オン・ザ・ヒル」が浮かんでくる。
   丘の上の愚か者は
   沈んでいく夕陽を見る
   頭のなかの目が
   回っている地球を見る
 かなりアブナイ詩ではあるが、ただの愚か者ではなさそうだ。目は回っている地球をしかと捉えている。
 彼は12年間マイナーリーグの監督として磨き上げたアメリカ野球を、ことし捨てた。バントが3倍になったのは象徴的だ。日ハムは「刻む野球」に変身した。彼は「オレ流」を捨てたのだ。「フール・オン・ザ・ヒル」である。己を虚にすることは生半(ナマナカ)な人格では適わぬ。「捨ててこそ立つ瀬もある」とは人生の極意だろう。

 プロスポーツとはパフォーマンス、を地で行った男、SHINJYO ―― 魅せてくれた。
 辞めてほしい人間は山ほどいるのに、辞めてほしくない人物はあっさりと舞台を去る。彼の引退は、世の習いへの痛烈な皮肉か、アンチテーゼか。
 振り返るに、新庄の新庄による新庄のための日本シリーズであった。いや正確に言おう。新庄の新庄による新庄のためのペナントレースであった。□

お客様は神様です!

2006年10月27日 | エッセー
 いまは亡き国民歌手・三波春夫は言った。「お客様は神様です」と。なぜかこの言葉、本人の真情を離れてギャグにされてしまった。芸能界のあざとい商売気のゆえであったろうか。相当に古い話だ。
 芸は神仏への奉納がはじまり。神仏の御前(ミマエ)で歌う心境で舞台に立てば、客は神の化身となる。その時、化身から神力を得て自らを越える力が引き出される。だからお客様は神様なのだ、と。これが真意であったらしい。
 叩き上げの芸人にしてはじめて言える言葉であろう。いま、かれらは客をなんと呼ぶか。「一般人」と言って憚らないのだ。そして、自らを「タレント」と称する。タレントの原義は才能である。裏を返せば、場違い、勘違いの選民意識が臭ってこないか。「セレブ」などとカタカナで丸めたとて同じことだ。余計臭う。
 一体いつから、こんな逆転現象が生まれたのか。徳川初期、京都の四条河原で興行したことから歌舞伎役者を「河原乞食」と呼んだ。芸人の起源である。生産に携わらない『虚業』のゆえであっただろう。時代は下り、近代、現代にいたりマスメディアの発達とともに逆転は露わになる。特にテレビメディアの浸透が拍車をかけた。さらには芸の稚拙化、一般化、大衆化がすすみ、客との境も揺らいでいる。または、大衆芸能や座敷芸、素人芸がテレビメディアに入り込んできた、という見方もできる。テレビは舞台と客席の段差を取り除き、同じフロアーにしてしまった。プロとアマ、ジャンルの違い、まさにバリアフリーだ。このこと、功も罪もある。問題は「罪」だ。

 かつて川崎敬三、桂小金治がワイドショーの司会として一世を風靡したことがあった。『怒りの小金治』などともてはやされた。視聴率の谷間に当たる昼に、週刊誌のテレビ版をもってくる。ターゲットは主婦層。当時はまだ没個性を旨としたアナウンサーに替わって、アンカーマンに芸人を配する。斬新ではあった。しかし、わたしは違和感を感じていた。なにか胡乱な気配がしたのだ。
 いまその位置に、みのもんたがいる。3月のことだ。朝のニュースショーで、浅田真央が年齢制限のためトリノに出場できないという話題を取り上げた。スケート連盟に年齢制限の再考(引き下げ)を求める安倍官房長官(当時)談話に噛みついたのだ。ルールはルール、決まったものを都合よく変えられるか、と言うのである。一知半解の知識とはこのことだ。若くしてタイトルを取り、プロへ転向されるのを防ぐために年齢制限を吊り上げてきたのは外ならぬ連盟である。連盟のご都合主義こそ問題なのだ。そんな事情も知らず、見かけ倒しのご意見番など百害あって一利なしだ。
 官僚汚職が発覚すると、この国から官僚を一掃せよと言わんばかりの物言いで大向こうを煽る。船にクルーがいないてどうして航行ができる。官僚の不祥事と官僚機構とは別の話だ。システムに欠陥があれば直すに如(シ)くはないが、システムそのものをなくす訳にはいかない。警官が飲酒運転をしたからといって、警察は要らないとはならない。ところが、下世話ではそうなる。ついつい、そういう話向きになるのが人の世だ。冷静さを求めるべきなのに、メディアが阿(オモネ)ってはミスリードだろう。
 言うまでもなく、テレビメディアの膂力は巨大だ。みのもんたが番組で取り上げた食材は、夕方にはスーパーから消えているという。みのが健康法なるものを紹介するたびに、それの処方をしつこくせがむ患者がいると、友人の医者はこぼしている。カボチャや神経痛なら、まだ赦せる。怖いのは世論にバイアスがかかることだ。似非インテリの極めて個人的なバイアスが。かつ、それが無自覚に、いな手前勝手な『正義』を背負(ショ)ってなされることだ。市井の民を代表してもの申す、そんな臭気が芬々とするのだ。
 国民の代表面(ヅラ)はいただけない。迷惑だ。胡散な齟齬の根はここだ。はっきり言おう。河原乞食風情に代表、代弁を頼んだ覚えなぞない。大衆の代表を気取るなら、代議制のシステムに則り選挙に出たらどうだ。いまやマスコミは第四の権力となり、不可侵を嘯(ウソブ)く。容易に矢は届かない牙城だ。それをいいことに、盲滅法な腰だめは御免蒙る。
 時間的制約からの単純化、映像メディアであるための印象化、観られてなんぼであるゆえの視聴率ねらい ―― これらはテレビの抱える宿痾である。現代社会は未聞の複雑系だ。単純化は危険なのだ。簡単に四捨五入はできない。四捨が全体の死活を握る場合がある。イラク戦争を見れば分かる。善玉、悪玉の二元論は底知れぬ泥沼に足を取られる結果となった。体制の転覆が病巣の一刀両断にはならない。骨は折れても、複雑系では複眼思考こそが必須なのだ。単純化はポピュリズムの陥穽に直結する。いつぞやの宰相のように。
 第四の権力は、いまのところ三権によるチェックアンドバランスのレジューム外にある。「言論の自由」は血で贖(アガナ)った権利だ。社会の礎だ。可惜(アタラ)疎かにはできない。ただ絶対不可侵ではない。だが、権力のコミットは許しがたい。ならば、自己規制か。コマーシャルベースである以上、それにも限りがある。所詮は、こちらが眼力を磨くしかあるまい。なにせ、スイッチはこちらにある。チャンネルも自在に変えられるのだ。
 吉本隆明はかつて次のように剔抉した。  
  ―― 芸能者の発生した基盤は、わが国では、支配王権に征服され、妥協し、契約した異族の悲哀と、不安定な土着の遊行芸人のなかにあった。また、帰化人種の的な<芸>の奉仕者の悲哀に発していることもあった。しかし、いま、この連中には、じぶんが遊治郎にすぎぬという自覚も、あぶくのような河原乞食にすぎぬという自覚も、いつ主人から捨てられるかもしれぬという的な不安もみうけられないようにおもわれる。あるのは大衆に支持されている自己が、じつはテレビの<映像>や、舞台のうえの<虚像>の自己であるのに、<現実>の社会のなかで生活している実像の自己であると錯覚している姿だけである。 ―― (河出書房「情況」より)
 昭和45年のことだ。『情況』は少しも変わってはいない。
 
 繰り返そう。川辺で舞い唄う物乞いが、この世ならぬ彗星にメタモルフォーゼするためには神力を要する。神力はいずかたより来(キタ)るか ―― 「お客様は神様です」。□

されどジョーク

2006年10月19日 | エッセー
 売れ筋だというので、読んでみた。中公新書の早坂 隆著「世界の日本人ジョーク集」である。
 新幹線か、飛行機の中、移動中、旅行中に最適の本だ。的確な海外事情の認識のもとに編集され、適切な解説が施されている。ジャンルも偏りなく、そのままで簡便で平易な日本人論となっている。ここがミソだ。冗談という一番取っ付きのいい形で、民族論というかなり重い課題を扱う。たかがジョークだが、されどジョークでもある。なかには喉に刺さって、放って置けないトゲもある。
 著者は三十路を少し超えたばかりのルポライター。他にもいくつかのジョーク集を出している。ルーマニアをはじめバルカン半島というかなりマニアックな視座が新鮮だ。
 取り上げられているものはどれも逸品であるが、営業妨害にならぬ範囲でいくつかを紹介しよう。

◆死刑執行
 ある時、死刑の執行が行われることになった。ギロチン台の前に連れられて来たのは、ユダヤ人牧師、アメリカ人弁護士、日本人技術者だった。
 ユダヤ人牧師が跪くと死刑執行人が尋ねた。
「仰向けがいいかね? それとも、うつぶせかね?」
 ユダヤ人牧師が答えた。
「仰向けにしてください。神を見上げることができるから」
 死刑執行人はレバーを引いたが、ギロチンの刃は牧師の喉仏の直前で止まってしまった。
「おお神よ、これも神のお力である」
 牧師はそう叫んだ。執行人も、
「これは奇蹟である」
 と驚き、死刑執行は中止となった。
 続いて、執行人はアメリカ人弁護士にも同じ質問をした。
「仰向けがいいかね? それとも、うつぶせかね?」
 弁護士は答えた。
「先例を破ることはできない。仰向けにしてくれ」
 執行人は再びレバーを引いた。が再び、刃は喉仏の直前で止まったのだった。弁護士への執行も中止となった。最後に日本人技術者の番になった。同じように、
「仰向けがいいかね? それとも、うつぶせかね?」
 と問うと、日本人は、
「仰向けにしてくれ。メカを見たいから」
 と答えた。そしていよいよ執行人がレバーを引こうとしたその瞬間、日本人が叫んだ。
「ちょっと待ってくれ! どこに問題があるかわかったぞ!」
 日本人はそう言うと、あっという間に、巧みな修理を施したのだった。執行人は、
「そうかい。どうもありがとうよ」
 とお礼を言い、無事に刑は執行されたのだった。
  ―― 収められているジョークはすべて外国産である。海外から見た日本人の姿である。もちろん、特徴を顕すためにはデフォルメが入る。だからおもしろい。

◆二人集まると
 各国の人が二人集まると、いったい何が生まれるだろうか。
 ドイツ人が二人集まると、三つの規則と、四つの法律が生まれる。
 ユダヤ人が二人集まると、三つの意見と、四つの政党が生まれる。
 日本人が二人集まると、三つの銀行と、四つの会社が生まれる。
 アメリカ人が二人集まると、三つの諍(イサカ)いと、四つの正義が生まれる。
  ―― あと、中国と『グルの国』もほしいところだ。

◆意見の一致
 マルクスとケインズがあの世で出会い、そして激しい議論を始めた。
 相反する思想をもった二人、やはり意見は合わなかったが、たった一つだけ結論の一致をみた話題があった。それは、
「自分の理想を体現した国家はどこだろうか?」
 という問いであった。二人とも、
「日本」
 と答えたのである。
  ―― 深い内容だ。よく語られることでもある。以下、本文より。
 「『歴史上、唯一の成功した社会主義国家』は日本である。終身雇用制、巨大な官僚機構、各分野にわたる細かい規制、産業の保護や育成を目的とした政府の市場介入、『一億総中産階級』といった国民意識など。累進課税、各種社会保険などの制度を通じて、政府は所得形成や所得配分に幅広く関与した。日本の企業は通産省の指導の下、まずは国内競争力をつけることに力点がおかれた。政府はまず外国からの資本や技術の流入から国内企業を保護し、企業の実力がついてから、自由化へと踏み切った。官僚の関与は、物資物価の統制から技術導入の許認可、立地制限などまで幅広い範囲に及んだ。官僚主導の日本型システムは、アジア諸国の模範となった。」
  ―― ところがいま、『社会主義国家』としての成功神話に陰りと歪みが生まれてきた。次は何主義でいくのか。

◆浮気現場にて
 会社からいつもより少し早めに帰宅すると、裸の妻が見知らぬ男とベッドの上で抱き合っていた。こんな場合、各国の人々はいったいどうするだろうか?
 アメリカ人は、男を射殺した。
 ドイツ人は、男にしかるべき法的措置をとらせてもらうと言った。
 フランス人は、自分も服を脱ぎ始めた。
 日本人? 彼は、正式に紹介されるまで名刺を手にして待っていた。
  ―― フランス人は、さもあるらん。日本人については、納得? 異論? やはり反論?

◆日本を怒らせる方法
 各国の政治家が集まって「どうしたら日本を怒らせることができるか」について話し合った。
 中国の政治家が言った。
「我が国は潜水艦で日本の領海を侵犯した。それでも日本は潜水艦を攻撃してこなかった」
 韓国の政治家が言った。
「我が国は竹島を占領した。それでも日本は攻撃してこない」
 ロシアの政治家が言った。
「我が国はもう長きにわたって北方の島々を占領している。それでも日本は攻撃してこない」
 それらの話を黙って聞いていた北朝鮮の政治家が、笑いながら言った。
「そんなこと簡単ですよ。我々が核兵器を日本に使いましょう。そうすれば、さすがの日本も怒るでしょう」
 すると、アメリカの政治家が首を横に振りながらこう言った。
「無駄だね。それ、もうやったもの」
  ―― 瓢箪から駒、どころか核か。

◆捨てたもの
 アメリカ人、日本人、イラク人が大型客船で船旅をしていた。しかし、ある時、航行していた船が突然浸水し始めた。多くの荷物が積まれていたので、三人は邪魔なものを捨てなければならなくなった。
 まず、アメリカ人が荷物を捨てた。それはクルマだった。
 次に日本人が荷物を捨てた。それはカメラだった。
 最後にイラク人が捨てたのは、アメリカ人だった。
  ―― これはもう皆さん、納得である。プレジデント・ブッシュを除いては。

◆信頼できる政党
 日本の安全と財産を守る三代政党とは?
 三位……民主党
 二位……自由民主党
 一位……共和党
  ―― アイロニーとばかりは言えない。実態はその通りかも知れない。外国の軍隊が半世紀以上も駐留し続けている国が独立国家といえるだろうか。(独自武装を主張するものではありません。誤解のないように。)

 本書からの孫引きで締めくくろう。
 「冗談は、しばしば真実を伝える手段として役立つ」(フランシス・ベーコン)□

奇想! 「戦国自衛隊1549」

2006年10月13日 | エッセー
 当地のグルは消えた。もう一人のグルは、ただ一人のグルになった。
 たとえば、次のような言い分がある。
―― 「オレたちは身を守るために拳銃を持つ。だが、お前たちは持ってはならない。これ以上銃が増えたのでは危なくてしようがない。身を守りたければ、オレたちの誰かのそばにくっついていろ。ともかく、オレたち以外は拳銃を持つな!」 「そんな手前勝手があるものか。とどのつまり、NPTとはそういう理屈なのだ。大国とやらが、早い者勝ちで手に入れた核を独り占めにすることだ。どのような武器を持とうが主権国家たるものの固有の権利である。持つなというなら、お前たちこそ先に捨てろ!」
 このやりとりには二つの欠落がある。1945年8月6日、人類は核を兵器とする時代に入った。史上、空前絶後のエポックであった。信じがたいことだが、核を「大いなる爆弾」としか認識し得ない人びとが世界の大半だ。61年を経てもなお、サタンであることを叫び続けねばならない。わが国の責務として。
 兵器に非ざる兵器が核である。その使用はガイアをたちまちにして『猿の惑星』に化す。抑止論なる巧妙な言い逃れも生んだが、核は他の兵器とは次元を異にする。分かりやすい譬えのようで、似て非なるものだ。譬えを使うには用心が要る。核は拳銃ではない。「ダモクレスの剣」だ。
 もう一つ。今や主権国家はあっても、一国のみで自立自存する国などとうにない。二度の大戦を経るなか、20世紀初頭からの世界の歩みは、各国固有の権利に縛りをかけるものであった。軍事権までも供しようとするEUは、国家の時代を超える壮大なる挑戦である。
 ただ、「先に捨てろ」とはいかにもその通りだ。68年、PTBT(部分的核実験禁止条約)で米英ソが端緒を開いて以来38年、核軍縮の歩みはあまりにも遅い。大国の傲りだ。いまだ、3万発の核弾頭が地球を覆う。オーバー・キルの白刃(ハクジン)の上に身を乗せ続けている。廃絶を夢物語だと打棄(ウッチャ)る前に、人間が生んだ問題ならば人間の手で解決できない筈はないと、なぜ考えない。
―― 「飢饉が頻発し、餓死が蔓延する国が、核兵器を開発している場合ではないだろう。それに、一部の特権幹部だけが贅沢をしているような国はまともではない」
 これはよく聞く。しかし、国のかたちが違うのだ。『〇〇共和国』などという表看板に幻惑されてはならない。紛れもない『グルの王国』が、その実態だ。一人が統(ス)べ、一人に民草が額ずく。願うは王朝の常(トコ)しなえの栄え。それこそが鴻恩に報いる道。そのような思考回路しか与えられてはいない。数百年も歴史を遡及した位相にグルの国はあるのだ。このアナクロニズムこそ、絶望的な不幸でなくして何であろう。
 王朝の安泰、すべてがこの一点に収斂される。一点だ。だから、手練手管は生半(ナマナカ)ではない。戦国の世を想起すれば分かる。五感は研ぎ澄まされ、権謀術数の限りを繰り出す。一筋の縄などで事足りる筈がない。
―― 「拉致を論(アゲツラ)うなら、戦前・戦中の日本はなにをしたか。その何百倍、何千倍もの人をさらい、虫けらのように殺したではないか。しかも、いまだ償いもない」
 これは議論でない。だとしても、チンピラのそれだ。ただ、わが国でもほんの百数十年前まで意趣返しはあった。だが、時代相応に進んできただけだ。

 過日、「もう一人のグル」と題した拙稿を載せた。「絶望的な不幸と見え透いたアナクロニズム。本質はそれだけだ。」と書いた。事態が展開し、再び取り上げた。まことに哀しいほどのアナクロニズムだ。どころか、国を挙げてタイムスリップして来たと措定した方が、むしろすっきりと説明は付く。
 
 『戦国自衛隊1549』 ―― 「過去からの攻撃」に晒される現代日本。自衛隊は救助のため決死の「ロメオ隊」を『1549年』に送り込む。タイムスリップだ。待ち受けるのは、「信長」率いる現地の兵。現代武装の「羅漢兵」や帰順した「桜衆」。戦いの帰趨はいかに……。
 奇想、天外より来る。しかしそれほどに、グルの国は遠い。
―― さて、六カ国協議の「ロメオ隊」5名は同床異夢だ。A隊員は転覆が狙いだ。一番の力持ちだが、いまその余力はない。C隊員は御身大事。隣家の火事などもってのほかだ。K隊員も同じく。隣家を隔てるものは襖一枚だ。R隊員はC隊員の活躍がおもしろくない。手柄を横取りされないよう思案中だ。その中で、J隊員はひたすら隊友の奪還に奔走してきた。ここにきて、二の次だったものが降って湧いた。
 これでは任務の遂行は覚束ない。先ずは5名の思惑を擦り合わせ、目標を統一せねばならない。喫緊を要するものはなにか。「羅漢兵」にも「桜衆」にも暴発だけはさせてはならない。あろうことか、彼等の手には時空を越えて2003年から持ち込まれた最新兵器がある。暴走だけは食い止めねばならぬ。現世(ウツシヨ)はガラス細工でできている。有り様(ヨウ)は限りない複雑系だ。見霽(ハル)かす平原に敷かれた単線を、蒸気機関車が馬と変わらぬ速度で走っているのではない。寸毫も隙間のないダイヤの網を、無数の電車が片時も休まず疾走している。もはや蒸気の時代にタイムスリップはできないのだ。暴悪へのラダーを登るより、むしろ膠着の泥濘(ヌカル)みがましだ。そのくらいの腹は決めてかからねば、曙光は差し込んでくれない。気を尽くしても余りある相手だ。
 やはり、キーマンはA隊員だ。戦況を俯瞰し、先見の明が光る手が打てるか。古語に「忙時、山、我を見、閑時、我、山を見る」とある。浮足立つと目線が近くなり、遠景が見えなくなる。兵法の心得でもある。猪突猛進する兵は「猪武者」といって、戦国の世でも見下(クダ)された。前車の轍を踏むほど愚かではあるまいと信じる。
 孫子は「囲む師は、必ず欠く」と説く。窮鼠にしてしまえば猫をも噛む。「必ず欠く」とは包囲に穴を開けておくことだ。高等で難渋な戦術である。だが、試みる値打ちはある。C隊員の実家はそのような智慧の宝庫である筈だ。

 ……と、ここまで考えて一服付ける。グルの国でもセブンスターを『造』っているらしい。幸運にも、わたしはセブンスターを吸わない。□

遠景素描

2006年10月05日 | エッセー
 大きな川がある。鉄橋を渡った汽車が黒煙を曳きながらホームに滑り込んでくる。20数キロ離れた隣の市まで、半時間ほどの乗車だ。ふた月に一度、商いの仕入れに祖父と母が交互に通った。その度に、わたしはせがんで付いて行った。途中の駅が三つ、トンネルが二つ。はるかに違う街の賑わい。小学生のわたしにとって、それは立派な旅行だった。一通りの用事が済むと、その町一番の洋食屋に向かう。注文は決まってオムライスだった。とびきりしゃれた食べ物だった。汽車とオムライス。遥かな少年時代の遠景だ。
 その旅行は、小学校の高学年になるまでつづいた。そのうちに商勢が衰え、やがて沙汰止みになった。

 昭和の30年代は小学校時代に重なる。国を挙げての高度成長の熱気は片田舎にも及んだ。大きなトンネル工事があり、飯場がいくつも建った。各地から人が集まり、小さな町はごった返した。
 河口のとなりにある工場は千人規模の人間を抱え、不夜城となった。引き込み線には、ディーゼル機関車が引っぱる貨物列車がひっきりなしに往来した。わずか1キロの線路に、踏切が二つ。そのどちらにも信号手が常駐し、昼夜にわたって踏切を上げ下げし旗を振った。そのたびに車は列をなした。

 小学校の間にたしか二度、サーカスがやって来た。ブランコに乗る少年が臨時の同級生となった。長い興行を終え次の開催地へ旅立つ時、彼は教壇に立ち挨拶をした。訛りのある言葉だったことを覚えている。涙がこぼれた。

 映画館が二軒。それぞれが洋画と邦画を専門に上映した。入り口には大きな手描きの看板が掛かっていた。いつも本物そっくりに描かれていた。写真以上の迫力だった。小学生は親が一緒でないと入れてくれない。知り合いのおじさんに頼んでは同伴してもらった。暗闇の中で、規則違反の緊張を抱えながら観た。外に出た時、宵闇が街を包み、まるでタイムスリップしたような感覚に戸惑った。時間のトンネルを潜り抜けたあの一瞬の快感。それももう一つの愉しみであった。

 同級生の被る野球帽は、どれもYにGのマークが付いていた。わたしは理由なく拒んだ。いまだに尾を引いている。小学校の中学年だったころ、何人もの小学生が突然この町を去った。チョーセンという国へ帰ると聞いた。かれらはいじめられていた。石の飛礫の代わりにそのコトバを投げつけ、触れ合うことを避けた。かれらを泣かせることが少年たちの勲章だった。その輪の中にいなかった偶然を、今にして感謝する。かれらは野球帽さえ被ってはいなかった。

 はじめて徹夜をしたのは、戦艦大和を作った時だ。高学年のころ、プラモデルが流行っていた。労作の執念を祖父が褒めてくれた。祖父は大工上がりの頑固者だった。美空ひばりが好きで、最先端の電気式蓄音機でよく聴いていた。後にも先にも、祖父から褒められたのはその一度きりだった。大和はその後二度の引っ越しで姿を消した。6年後祖父が亡くなった時、大和の勇姿が甦った。
 
 冗長は避ける。遠景は、眼を細めてほんの三つ、四つ、微(カスカ)かに輪郭が見えればいい。望遠鏡では無粋だ。なにより、面はゆい。ただ、時代の勢いとともに少年時代を送れたことは僥倖であった。団塊の至福でもある。ミレニアムの節を跨ぎ、この町も例に漏れず、名残さえもが遠景に退いていく。
 
  ―― 昨夜、黄ばんだ写真帳からプラットホームに立つ先妣とのツーショットがこぼれ落ちた。□