自暴自棄という言葉がある。この場合、『自暴自輝』だ。
頼まれもしないのに、自ら引退を宣言したのが4月。プレーオフ、リーグ制覇と続いて、日本シリーズで止(トド)めの優勝。『自暴』を自作し、最後は「超」ハッピーエンドの『自輝』を自演する。まんがのような展開だった。
御大ナガシマの『メークドラマ』どころの話ではない。強肩はつとに知られたところだが、彼は強運でもあったようだ。それもとびきりの。
そのSHINJYOが「死んでも忘れられない」と言うほどの屈辱を味わったことがある。97年のオールスター。阪神時代のことだ。打率は2割そこそこの最低。ついに応援団は応援を拒否、出場批判の横断幕がスタンドに。その最中(サナカ)、打席に向かう彼にペットボトルが投げつけられたのだ。おそらく地獄を垣間見た一瞬であっただろう。野球人生最大の出来事に、彼はこれを挙げる。「仮面」や「宙づり」だけの、単なる能天気の野球バカではない。なにせ、彼がいまだに使うグラブはプロ1年目の18歳の時に買ったもの。修理しながら使い続けてきた。SHINJYOには似つかわしくない話だが、本当だ。このあたり、意外にもイチローに通底する。
圧巻は、日本シリーズ第5戦 ―― 8回裏、1アウト、ランナーなし。SHINJYOは最後の打席に立つ。中日のピッチャーは、プロ6年目、エースナンバーをつけた中里。
1球目 真ん中146キロのストレート、見逃しで1ストライク
2球目 真ん中低めのストレート、空振りで2ストライク
3球目 真ん中高め148キロのストレート、空振りで3球三振
どうだろう。いかにも、SHINJYOである。下手にヒットなど打たない。ボテボテのフライで一塁など、もってのほかだ。沽券を落とす。ホームランは要らない。この時点、すでに帰趨は決している。傷口に塩を擦り込む辛辣さは、SHINJYOにはふさわしくない。伊達男はそんな無粋をしないものだ。
真っ向勝負の中里も立派だが、注目すべきは谷繁だ。わたしには谷繁が男気(オトコギ)を出したような気がしてならない。打たせようとした、とは言うまい。少なくとも、SHINJYOらしい空振りのシチュエーションを用意した、とは言えるだろう。
それにしても落合の暗さはなんだろう。明るいところにこそ、人は集まる。指揮官がベンチの奥で鎮座ましましていたのでは、なるものもなるまい。「オレ流」もいいが、夜郎自大では鼻持ちがならない。「どっちが勝ってもいいじゃない。ファンや視聴者が楽しめるプレーをしたい」とのSHINJYOの『真情』を何と聞く。
バレンタインとくればチョコレート。チョコレートとくれば、言わずと知れたロッテ。片や、ヒルマンとくればなんだろう。丘に立つ男、か。となると、BEATLESの「フール・オン・ザ・ヒル」が浮かんでくる。
丘の上の愚か者は
沈んでいく夕陽を見る
頭のなかの目が
回っている地球を見る
かなりアブナイ詩ではあるが、ただの愚か者ではなさそうだ。目は回っている地球をしかと捉えている。
彼は12年間マイナーリーグの監督として磨き上げたアメリカ野球を、ことし捨てた。バントが3倍になったのは象徴的だ。日ハムは「刻む野球」に変身した。彼は「オレ流」を捨てたのだ。「フール・オン・ザ・ヒル」である。己を虚にすることは生半(ナマナカ)な人格では適わぬ。「捨ててこそ立つ瀬もある」とは人生の極意だろう。
プロスポーツとはパフォーマンス、を地で行った男、SHINJYO ―― 魅せてくれた。
辞めてほしい人間は山ほどいるのに、辞めてほしくない人物はあっさりと舞台を去る。彼の引退は、世の習いへの痛烈な皮肉か、アンチテーゼか。
振り返るに、新庄の新庄による新庄のための日本シリーズであった。いや正確に言おう。新庄の新庄による新庄のためのペナントレースであった。□
頼まれもしないのに、自ら引退を宣言したのが4月。プレーオフ、リーグ制覇と続いて、日本シリーズで止(トド)めの優勝。『自暴』を自作し、最後は「超」ハッピーエンドの『自輝』を自演する。まんがのような展開だった。
御大ナガシマの『メークドラマ』どころの話ではない。強肩はつとに知られたところだが、彼は強運でもあったようだ。それもとびきりの。
そのSHINJYOが「死んでも忘れられない」と言うほどの屈辱を味わったことがある。97年のオールスター。阪神時代のことだ。打率は2割そこそこの最低。ついに応援団は応援を拒否、出場批判の横断幕がスタンドに。その最中(サナカ)、打席に向かう彼にペットボトルが投げつけられたのだ。おそらく地獄を垣間見た一瞬であっただろう。野球人生最大の出来事に、彼はこれを挙げる。「仮面」や「宙づり」だけの、単なる能天気の野球バカではない。なにせ、彼がいまだに使うグラブはプロ1年目の18歳の時に買ったもの。修理しながら使い続けてきた。SHINJYOには似つかわしくない話だが、本当だ。このあたり、意外にもイチローに通底する。
圧巻は、日本シリーズ第5戦 ―― 8回裏、1アウト、ランナーなし。SHINJYOは最後の打席に立つ。中日のピッチャーは、プロ6年目、エースナンバーをつけた中里。
1球目 真ん中146キロのストレート、見逃しで1ストライク
2球目 真ん中低めのストレート、空振りで2ストライク
3球目 真ん中高め148キロのストレート、空振りで3球三振
どうだろう。いかにも、SHINJYOである。下手にヒットなど打たない。ボテボテのフライで一塁など、もってのほかだ。沽券を落とす。ホームランは要らない。この時点、すでに帰趨は決している。傷口に塩を擦り込む辛辣さは、SHINJYOにはふさわしくない。伊達男はそんな無粋をしないものだ。
真っ向勝負の中里も立派だが、注目すべきは谷繁だ。わたしには谷繁が男気(オトコギ)を出したような気がしてならない。打たせようとした、とは言うまい。少なくとも、SHINJYOらしい空振りのシチュエーションを用意した、とは言えるだろう。
それにしても落合の暗さはなんだろう。明るいところにこそ、人は集まる。指揮官がベンチの奥で鎮座ましましていたのでは、なるものもなるまい。「オレ流」もいいが、夜郎自大では鼻持ちがならない。「どっちが勝ってもいいじゃない。ファンや視聴者が楽しめるプレーをしたい」とのSHINJYOの『真情』を何と聞く。
バレンタインとくればチョコレート。チョコレートとくれば、言わずと知れたロッテ。片や、ヒルマンとくればなんだろう。丘に立つ男、か。となると、BEATLESの「フール・オン・ザ・ヒル」が浮かんでくる。
丘の上の愚か者は
沈んでいく夕陽を見る
頭のなかの目が
回っている地球を見る
かなりアブナイ詩ではあるが、ただの愚か者ではなさそうだ。目は回っている地球をしかと捉えている。
彼は12年間マイナーリーグの監督として磨き上げたアメリカ野球を、ことし捨てた。バントが3倍になったのは象徴的だ。日ハムは「刻む野球」に変身した。彼は「オレ流」を捨てたのだ。「フール・オン・ザ・ヒル」である。己を虚にすることは生半(ナマナカ)な人格では適わぬ。「捨ててこそ立つ瀬もある」とは人生の極意だろう。
プロスポーツとはパフォーマンス、を地で行った男、SHINJYO ―― 魅せてくれた。
辞めてほしい人間は山ほどいるのに、辞めてほしくない人物はあっさりと舞台を去る。彼の引退は、世の習いへの痛烈な皮肉か、アンチテーゼか。
振り返るに、新庄の新庄による新庄のための日本シリーズであった。いや正確に言おう。新庄の新庄による新庄のためのペナントレースであった。□