伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

政権にひれ伏すメディア

2016年05月08日 | エッセー

 うすうす気はついていたが、ここまでやるとは驚いた。
◇官邸ではテレビや新聞を毎日細かくチェックし、官邸にとって気に入らない報道があれば担当者に電話をかけ、直接釘を刺すと聞く。菅義偉官房長官、メディア対策を担当する世耕弘成官房副長官は、こうしたメディア・コントロールに力を入れてきた。在京キー局の関係者から話を聞くと、実際に菅官房長官や世耕官房副長官のもとで働くスタッフから「×月×日の△△はおかしな報道をしていた」という電話がよくかかってくるそうだ。政権に協力しなければ取材のチャンネルを閉ざされてしまう恐怖から、電話を受けたテレビ局では、記者クラブ所属の政治部記者が社内で「調整」に走るのだろう。◇
 ニューヨーク・タイムズ前東京支局長であったマーティン・ファクラー氏は近著『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(双葉社)でそう語る。
 氏は20年近い滞日経験を持つアメリカ人ジャーナリストである。東大大学院にも留学経験があり、ブルームバーグ、AP通信、ウォール・ストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズと一貫して報道畑を歩んできた筋金入りの言論人である。今年からは独立系シンクタンク・日本再建イニシアティブ(船橋洋一理事長)に転出し、一層の活躍が期待されている。
 前作『“本当のこと”を伝えない日本の新聞』(双葉社、12年刊)も好著であった。今回はより一層鋭く安倍政権によるメディア支配に斬り込んでいる。
◇第二次安倍政権が成立すると、メディアとのウェットな関係はドライなものへと変質した。「どう報じられるか、自分たちがコントロールしたい」という意図があるのだろう。メディアを選別して単独インタビューに応じ、自説を展開するようになった。首相が登場するとなれば、メディアにとってはやはり売りになる。それを逆手にとって、政権に協力的でないメディアは無視したり、わざと取材を後回しにしたりして距離を置くわけだ。◇(同書より抄録)
 意地汚く卑劣で姑息なメディア支配の実態が豊富な資料と果敢な取材を通して白日の下に晒されていく。分析は極めて明晰。ジャーナリズムの真摯な原点に触れたようで、それだけで清々しい。
 以下、手前味噌。
 14年9月『朝日、謝罪不用』と題する拙稿を呵した。
 碩学・内田 樹氏の『街場のメディア論』を徴し、弱者の立場に立ち「推定正義」を認めることが「とりあえずメディアの態度としては正しい」との論攷を紹介した。その上で、こう記した。(──部分は拙稿からの抄録)
──昨日朝日新聞の社長が記者会見を開いて、吉田調書の「命令違反」報道を取り消し謝罪した。取り消しはしても、謝罪は不用だ。さらに、慰安婦の強制連行証言についても虚偽判断と記事取り消しが遅きに失したと謝罪した。こちらも謝罪は不用だ。──
 「吉田調書」とは東京電力福島第一原子力発電所元所長・吉田昌郎氏の事故に関する発言を記録した政府事故調の資料をいう。「慰安婦の強制連行証言」とは、福岡県出身とされる文筆家・吉田清治氏による虚偽証言を指す。「調書」と「証言」、どちらも「吉田」で偶然の一致とはいえややこしい。まずは「吉田調書」から。
──吉田調書については改竄ではなく(調書の文面に恣意的に手を加えたのではなく)解釈の問題であった点だ。現に稿者は第一報を読んだ時に、これだけで「命令違反で撤退」と断定できるのか違和感を覚えた。しかし、如上のごとく「メディアの態度としては正しい」。敢えていうなら、勇み足だ。つまり、寄り切ってはいる。相撲で勝って、勝負に負けたといえなくもない。なぜなら朝日のスクープがなければ、吉田調書が果たして日の目を見たかどうか。失念できない功績だ。──
 この「吉田調書」について、ファクラー氏は上掲書でこう語る。
◇私から見れば、朝日新聞の「吉田調書」スクープは間違っているわけではない。事実は合っていた。だが、記事の伝え方において、間違えたニュアンスを読者に与えてしまった。「伝えるべき事実を正確に伝える」という、調査報道において大切な細かな神経の使い方が不足していたわけだ。その結果、大スクープのネタを手につかんでおきながら、朝日新聞は自壊への要因をつくってしまったのだ。せっかく記者が苦労してすごいネタを仕入れておきながら、調査報道の詰めが甘かったために自ら記事を台無しにし、「吉田調書隠蔽」という肝心な問題が脇に追いやられてしまったのだ。かえすがえすも残念でならない。一番得をしたのは、隠蔽していた調書が明るみに出たことで批判の矢面に立たされかけた政権側だろう。◇
 続いて、「吉田証言」いついて拙稿から。
──慰安婦誤報問題については、慶応大教授の小熊英二氏が「この問題に関する日本の議論はおよそガラパゴス的だ。日本の保守派には、軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にし、それがなければ日本には責任がないと主張する人がいる」と述べている。これはもう胸がすく一刀両断だ。「ガラパゴス的な弁明」とは、木を見て森を見ざる、角を矯めて牛を殺す、である。この問題は、戦争における国家的未必の故意による人道的犯罪である。国家的規模による未必の故意、ガラパゴスを離島すれば明晰に見えてくる視点だ。──
 同じく上掲書でファクラー氏はこう記した。
◇なぜ記事(朝日新聞の吉田証言」記事)を取り消す必要はないのか。こんな例を挙げてみたい。19世紀まではニートンの物理学が完全に正しいと思われていた。20世紀に入ってからアインシュタイン博士の相対性理論が発表されると、ニュートンの物理学の一部は間違いだということがわかった。だからといって、ニューヨーク・タイムズが19世紀に書いたニュートンに関する記事を、すべて取り消す必要があるわけがない。人類がもつ知識は、時代の変遷にともなって少しずつ上書きされていく。「吉田証言」については、記事の取り消しも訂正も不要だ。ただ、新たな事実が判明したならば、そのつど記事にして情報のアップデートをする必要がある。◇
 拙稿には朝日の回し者ではとの批評を少なからずいただいた。反論代わりに臭い自讃を試みた次第である。
 閑話休題。
 アメリカ大統領選候補者選びはいよいよ大詰めを迎えた。不思議なのは未だにクリントン氏のメール問題が取り沙汰されている点だ。米政府は押収した氏の国務長官時代のメール3万件にについて決定的な国家機密が混じっていなかったか全部調べ上げているという。昨年10月には議会が11時間に及ぶ公聴会を開き氏を追求した。昨日の報道によると、FBIが数週間以内に本人から事情聴取を行う見通しだという。
 このこだわりはなぜか。上掲書でファクラー氏は、「共和党側からの政治的な攻撃の意図があったことは確かだが、それ以上に国務長官すらコントロール下に置こうとするデジタル時代の不気味な怖さがある。秘密情報についてのメールや資料、メモはすべて“derivative classification”に含まれる。ヒラリー氏がやり取りした万単位のメールに“derivative classification”が混じっていれば、国家機密の管理が甘かったとして訴追の対象になりうるのだ」と述べる。“derivative  classification”とは秘密指定に関するすべての派生物をいう。秘密本体とそれに関係する文書やメール、メモなどを指す。こんなドデカい投網で狙われたら逃げようがない。「国務長官すらコントロール下に置こうとする」情報監視機関の独走。同盟国首脳への電話盗聴など朝飯前か。
  ファクラー氏は、「読者の皆さんは、監視体制が強化されるアメリカを『日本の暗い未来』のサンプルとして見るといい。アメリカは何かにつけて日本よりも10年先を行っている」と警鐘を鳴らす。
 さらにファクラー氏は糾弾する。
◇私が強い懸念を抱いているのは、異論を許さないネット右翼の存在を、安倍政権は「武器」として利用しているフシがある点だ。従軍慰安婦問題は第一次安倍政権、第二次安倍政権下で突然、ホットイシューになった。わざと慰安婦を政治問題化し、世論を焚きつける。そして安倍政権の「天敵」である朝日新聞をスケープゴートのように攻撃する。「暴民による支配」とでも言うべき政権によるネット右翼の利用は、日本社会に言論の萎縮を及ぼす。異論を認めず、自分たちに都合の悪いメディアを一斉に攻撃する。社会にこのような風潮を広げてしまったのは、明らかに安倍政権の大きな責任だと言わざるを得ない。◇(上掲書より)
 アメリカにひれ伏す安倍政権は、日本のメディアをひれ伏させようとしている。次には国民をひれ伏させようするのは目に見えている。 □