伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

2010年4月の出来事から

2010年04月30日 | エッセー

●山崎さんシャトル、ISSドッキング 野口さんと対面(7日)
 日本人で2人目の女性飛行士・山崎直子さん(39)らを乗せた米スペースシャトル・ディスカバリーは、米中部時間7日午前2時44分(日本時間同日午後4時44分)、国際宇宙ステーション(ISS)とカリブ海上空でドッキングした。ハッチをくぐってISSに足を踏み入れた山崎さんを、長期滞在中の野口聡一さん(44)が出迎えた。日本人が2人、同時に宇宙に滞在するのは初めて。
 野口さんがカメラを構えて待ちかまえるなか、山崎さんは米中部時間7日午前4時すぎ(日本時間同午後6時すぎ)、真っ先にISSに入った。山崎さんは晴れ晴れとした表情を見せ、出迎えたISSの乗組員に両手を大きく振ってこたえたり、何度も拍手をしたりして、喜びを表した。
●「宇宙からこんにちは」 山崎さんが「初つぶやき」披露(16日)
 国際宇宙ステーション(ISS)に滞在中の山崎直子さん(39)は、米東部時間14日(日本時間15日)、簡易投稿サイト「ツイッター」で、宇宙からの「初つぶやき」を披露した。
 「宇宙からこんにちは」で始まるつぶやきは、自身が宇宙で詠んだ俳句「瑠璃色(るりいろ)の 地球も花も 宇宙の子」を改めて紹介。「皆さんもぜひ、俳句をおくってください!」と呼びかけている。
 ISSでは米東部時間15日未明(日本時間同日午後)、起床時間に、松田聖子さんが歌う「瑠璃色の地球」という曲が、山崎さんのために流された。選曲をした山崎さんの夫・大地(たいち)さん(37)は「妻がどうしても宇宙で聞きたいと言っていた曲です」とコメントしている。

⇒宇宙での日本人同士の出会い。ハグもなく、ためらいがちな(筆者にはそう見えた)握手であった。いかにも日本人らしい。外国人なら、こうはいくまい。『飛んでる』宇宙人の挙措に顕れた『這い蹲る』ようなきわめて民族的カラー。琴と笛の合奏よりも、よほど日本的であった。
 お目覚めの曲、自作の俳句にも「瑠璃色」がある。ロシア語の語彙にはまったくの門外漢だが、ガガーリンの「青」とはひと味違う。(ひょっとしたら彼の「青」は、日本語では瑠璃色のことだったかもしれないというだけの愚考だが)
 いっそ曲も「勇気凛凛瑠璃の色」ではどうだったろう。「ぼ、ぼ、ぼくらは『宇宙』探偵団 勇気凛凛瑠璃の色 …… 」と、これでは勇ましすぎるか。しかし『アサラー』、浅田フリークとしては最高の選曲となったのだが、選んだ夫君とは世代が違いすぎるか。それにしてもあのイケ面の夫君、聞くも涙の『内助』の功であったそうだ。かつて触れた上げマンの「マン」、男女共通である。ならば、細君を宇宙にまで上げた彼は日本史上最高の上げマンである。


●中国、さらに日本人3人の死刑執行 いずれも麻薬密輸罪(9日)
 中国遼寧省の瀋陽と大連で9日午前9時(日本時間同10時)、中国で麻薬密輸罪に問われて死刑判決が確定していた日本人3人の死刑が執行された。遼寧省高級人民法院(高裁に相当)から瀋陽の日本総領事館などへ通報があった。
 6日に大阪府出身者の刑が執行されたばかりで、わずか4日間に日本人4人が立て続けに死刑となり、日本側の対中感情に影響を与える可能性がある。
 日本人の死刑は、1972年の日中国交正常化以降初めて。中国当局から一連の死刑執行の通告を受けてから、日本政府は中国側にたびたび懸念を表明してきた。しかし、中国当局は4人とも、ほぼ通告通りに刑を執行した。
 3人とも公判で起訴内容を認めたものの、「刑が重すぎる」などとして減刑を求めていた。中国の刑法では麻薬や覚せい剤の密輸は50グラム以上で死刑の可能性があり、日本よりも格段に厳しい。

⇒この罪状なら、日本ではせいぜい7年、死刑はありえない。しかい、中国では阿片1キロ以上、ヘロイン、覚醒剤なら50グラム以上を密輸した場合、最高で死刑である。想像を超える重刑である。なぜか ―― 。以下、司馬遼太郎著「街道をゆく」19巻<中国・江南のみち>から引用する。
〓〓茶そのものが、ヨーロッパ人に文化衝撃をあたえた。ヨーロッパにおいて、最初に喫茶を根づかせるのは、十七世紀のオランダである。長崎を窓口とする日蘭貿易によってその習慣が導入されたが、ただ日本式の茶であるため、セレモニーが付属し、受容した階層もかぎられていた。次いで、英国である。仏・独が鈍感だったのは、日常の飲みものとしてワインやビールがあったためか、それとも蘭・英のように、アジアで商売をして栄えた海洋国家でなかったためか、そのいずれも理由のなかに入るに相違ない。
 おなじ茶の葉を発酵させると、紅茶ができる。紅茶と緑茶は、茶の木の種類がちがうのではなく、加工法がちがうだけである。紅茶はその盛大な需要者であった英国によって有名になったが、英国人が発明したものではなく、元来、中国に存在し、いまもある。
 英国は、十八世紀には喫茶の習慣ができた。しかも茶は、すべて輸入品である。それも、中国から輸入した。
 清朝における長崎ともいうべき広東(広州)港から英国へ出てゆく茶の量はぼう大なものであり、その代償として銀が支払われた。英国中が紅茶で浸るような状況下で、その代価としての銀が洪水のように中国に流れこんだことは、ちょっとした世界史上の偉観であった。
 清国は原則として鎖国であり、北京の皇帝にとっては、恩恵として茶と絹を英国に払い下げてやっているにすぎなかった。英国は流れてゆく銀をとりもどすには、産業革命の成果の一つである毛織物などを中国に買わせようとしたが、北京の皇帝は、「中国はすべて足りている」としてうけつけなかった。
 結局、英国(実務的には東インド会社)は十八世紀、アヘン(註・植民地のインドで栽培)を中国に売りつけ、清国人民の多くをその中毒患者にし、アヘン需要を高めることによって、茶による一方的な銀の流れを変えようとした。そのことにかぎっていえば成功し、一八三一年以後は、銀は逆流して清国から英国に流れた。このことがアヘン戦争(一八四〇~四二)となって噴出し、その結果、清国は屈辱的な開国をさせられた。
 中国の茶という本来、静かで平和な飲みものが、二十世紀後半の中近東の石油のように、十九世紀まで世界に連続的な衝撃をあたえたものであるということは、世が変ってしまうと、想像することすらむずかしい。〓〓
 中国の麻薬に対する国家的嫌悪はこのような歴史を背負っている。外来の麻薬に汚染された「被害者」であるというスタンスであろう。だから、使用には寛大となる。使用した者には刑事罰を問わず、中毒に対する治療を優先する。「麻薬使用自体が第三者の権利を侵害するわけではない」という理屈である。だから、密輸と使用とにとてつもない、それこそ生死を別つ刑罰の差が生じる。
 日本に生まれた「静かで平和な飲みもの」を喫する習慣が、大陸と世紀を経巡って「連続的な衝撃をあたえた」。それは「想像することすらむずかしい」が、その余燼が今も燻り続け、時として不幸な焔(ホムラ)を上げる。なんともやりきれない。


●テニアン誘致を決議 北マリアナ上院議会 日米政府に要求へ(22日)
 米自治領北マリアナ諸島の上院議会が16日、米軍普天間飛行場の移設先として同諸島のテニアン島を検討するよう日米両政府に求める決議を全会一致で可決していたことが分かった。あて先は米国防総省、日本政府など。27日には下院議会で同様の決議が行われる見通し。
 決議は普天間の移設先を検討する日米両政府に対し、東南アジアの防衛の拠点として北マリアナ諸島とテニアンを移設地として検討することを求めている。
 米国防総省がすでにテニアンの3分の2を租借していることや、東南アジアの防衛の観点からも地理的な優位性があると指摘。米軍人と家族に近代的な生活・娯楽施設が提供できることにも触れ、「北マリアナ諸島は普天間の移設を心から歓迎することを宣言している」としている。
 今月9~11日にテニアンを訪れ、テノリオ下院議長やデラクルス・テニアン市長から在沖海兵隊受け入れの意思を伝えられていた社民党の照屋寛徳国対委員長は「決議は住民の強い意思表示。日米両政府は重く受け止め、北マリアナ移設を交渉してほしい」と述べ、同地域への移設の実現可能性を強調した。

⇒社民党が「テニアン島案」に乗り気だ。しかし大変な難題がある。インフラ整備に巨費が掛かる上、米軍のトランスフォーメーションに修正を迫ることになる。どちらも一朝一夕にはいかない。さらに、日本の国民感情が懸念される。
 テニアン島は太平洋戦争中、日本軍が占領し重要な基地を置いたところだ。終戦前年に米軍に獲られ、日本への空襲拠点とされた。B29が毎日のようにここから飛び立った。45年8月6日「リトルボーイ」を抱いた「エノラゲイ」が広島へ、9日「ファットマン」を抱いた「ボックスカー」が長崎へ向けテニアン島を発進した。 ―― その島である。社民党は無神経に過ぎるのではないか。日本に止めを刺した島、時移りいまや軍用機の影さえ消えたこの島をふたたび軍事基地にするつもりなのか。県外であればどこでもいい、面子が立つとでもいう了簡であろうか。沖縄以外に、もうひとつオキナワをつくるつもりか。
 広島原爆死没者慰霊碑には、「過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。この碑文には当初、被爆した日本が誓うのはおかしいという批判があった。しかし、たった65年でこんな健忘に陥る政党が出てきた。原爆の到着地はもとよりだが、その出発地もノーモアでなくてはならぬ。だがこのような尋常な感覚さえ持ち合わせない政党が与党にいる不幸に、そろそろ気付くべきではないか。 □


NIMBY

2010年04月27日 | エッセー

  〽しらけ鳥 飛んでゆく 南の空へ
   みじめ みじめ〽

 先日も引用した小松政夫が唄った「しらけ鳥音頭」である。(今月6日付本ブログ「2010年3月の出来事から」)
 「しらけ鳥」にハトさんを、 ―― (くどい補足をすると)ご当人はシラケている訳ではないが、周りはすげぇー呆れけ(返)ーっている実情を重ねた ―― 「南の空」に沖縄の空を、「みじめ」には舞い降りる場所が見つかぬ彼(カ)の鳥の心境を託した。いよいよ尻(ケツ)かっちん、窮鳥さながらのどん詰まりに至ろうとしている。
 どうしてこうなっちまったのか。国民の『みなぁん』に、『あーね、あーね』と合点がいくように『おせ(教)ーて』ほしい。(ギャグの古さは御勘弁を)

 NIMBY ニンビー。コンビニではない。ましてやゾンビでもないが、昨日までの環境派や市民派がわが町の問題となると豹変する例を散見すると、あながち外れてもなさそうだ。世界平和を高唱しながら家内(ヤウチ)にバイオレンスが絶えない自称平和主義者も、ニンビーの亜種といえるだろう。
 “Not In My Back Yard”の頭文字を繋いでいる。「ウチの裏庭はヤだよ」 ―― 要るのは解るが、わが住まうところは御免蒙るとの住民感情をいう。原発、廃棄物処理場、軍事基地、刑務所、精神科病院、場、火葬場などがニンビーの槍玉になる。すべて、近くにあっても特別恩恵が大きくはない点が共通する。これがトリガーとなってわき起こる。必ず一度はお世話になる火葬場にしても、隣にあるからといってまさか歩いていくわけにはいくまい。
 わが町でも火葬場の建て替えがあり、進入路が変わった。新たなルートになる住宅地から、やはり反対の声が上がった。こんな片田舎でも1年365日、正月以外霊柩車が通らない日はない。ニンビーに火が付いた。すったもんだの挙句、鎮火はしたがなんとも荷厄介なことであった。
 公共施設の場合、見返りがある。振興策や雇用の創出である。これで落とし所が探られるが、軍事施設や原発ではイデオロギーが絡む場合がある。これは直ぐにニンビーとはいえず、泥沼になりがちだ。
 ニンビーは「住民エゴ」だとして、反対の運動そのものが批判されることもある。しかし批判する側が受け入れに手を挙げない以上、それはもう一方のニンビーである。外野席から反対運動に声援を送っていることになる。その辺りの事情については、反原発の論客で作家の広瀬 隆氏の「東京に原発を!」(集英社文庫)に詳しい。

 『おせ(教)ー』るほどではないが、「しらけ鳥」になっちまった理由(ワケ)はニンビーを見縊(クビ)ったからだ。橋本首相の補佐官であった岡本行夫氏は酒瓶を抱えて一軒一軒訪(オトナ)い、飲み交わし語り合い、まず信頼関係をつくったそうだ。防衛施設庁の役人も倣った。いかにも理の優ったあの岡本氏が、溝(ドブ)板さながらに最前線で白兵戦を繰り返していったのだ。橋本首相も大田知事と十数回の会談を重ねている。いまや風前の灯火となった「辺野古案」だが、そこに至る十数年には重畳たる汗と涙の苦闘があったことは記憶されていい。
 昨年の新政権発足の折、本ブログで『自信慢心内閣』と評した。(09年10月6日付「2009年9月の出来事から」) その体質を切所に来て、図らずも晒しているとはいえまいか。第一、職を捨てて(賭してではなく)、移転先候補地の説得に当たろうという勇猛果敢な与党議員など一人もいない。または自身の選出区域を説いて、受け入れの手を挙げさせようといった「ラマンチャの男」風の快男児も烈女もいない。「仕分け」なんという大向こう受けするパフォーマンスに現(ウツツ)を抜かす暇はあっても、溝板の一枚でも引っ剥がしてみようという気骨の士はいそうにない。“Trust me ”などとこまっしゃくれた英語は使えても、「うちなーぐち」の一つでも使って呼びかけようとはしない。この政権に人手は余るほどあっても、人物は絶無か。
 筆者、ニンビーに決して否定的ではない。強権国家にあらざる証として、むしろ好感さえ抱く。問題はそれではない。大きな物語を描きつつ、今日あしたの妥協点を見いだしていく膝詰めの語らいができるかどうか。ブレイクスルーはそこにしかない。試されるのは、生の人間としての力だ。 □


I can't stop loving you

2010年04月22日 | エッセー

 ラジオを付けると、予期せぬ懐かしい歌声が狭い車内を満たした。

  〽I can't stop loving you
   I've made up my mind
   To live in memory of the lonesome times
   I can't stop wanting you
   It's useless to say
   So I'll just live my life in dreams of yesterday
   Dreams of yesterday
   Those happy hours that we once knew
   Tho' long ago, they still make me blue
   They say that time heals a broken heart
   But time has stood still since we've been apart〽

 レイ・チャールズだ。車を止めて耳を澄ます。2コーラスでフェイドアウトし、アナウンサーの声に戻った。舌打ちをしてスイッチを切り、余韻を楽しむ。高校生だったころの事どもが淡い霞を纏って蘇る。

 「ソウルの神様」には心を揺さぶられた。レコード盤に針を下ろすと、微かに嗄れて、それでいてよく透る声がスピーカーを震わせた。盲(メシ)いた境遇ならばこその圧搾された魂の滴りに酔った。時折のシャウトが肌の色ゆえに差別されてきた民族の重い悲しみを吐き飛ばしているようで、心地よかった。
 “They say that time heals a broken heart
  But time has stood still since we've been apart”に少しばかりの現実を過剰に投影し、“I can't stop loving you”とバックコーラスに合わせて歌ってもみた。青くさい時代の、面映ゆい「事ども」のひとつだ。
 
 高校時代、毎日のように聴いた。だからレイの歌声が端緒となって、チェーンのように記憶の数々が連鎖して手繰り寄せられてくる。

 合格発表の日の情景。一気に広がった同窓の輪。自転車での通学。吹雪の寒さ。黄昏れてなお土に塗れた部活。授業での居眠り。数学の欠点。真夏の補習。夏休みのキャンプ。指先が触れ合って火照りが止まなかったフォークダンス、運動会。背伸びして肩肘張った文化祭の展示。友とのあれこれ、書き記すには紙幅と感情の堰が保たない。恩師との縁(エニシ)。夢、挫折。落胆、希望。受験。駆け足で過ぎた3年間。慌ただしい卒業 …… 。実らぬ恋慕をレイは“Unchain My Heart”と、軛から放たれたいと唄った。だがわたしにとっては、淡い霞を纏ったあの事どもは“Chain My Heart”でありつづけてほしい。なぜなら、良くも悪くもひとつきりの歳月であったのだから。

 “What'd I Say”は最大のヒットとなったが、ゴスペルを貶めたと非難を浴びた。クスリとの泥沼もあった。グラミー賞の栄光もあった。暗から明へ転ずる人生の劇を演じ、04年6月10日、73星霜の幕を閉じた。同年、彼の生涯を描いた映画「Ray」が公開されたが、自身は観る機会を逸した。

 日本流にいえば、ことしは七回忌となる。先妣も同じだ。その3日後だった。ラジオから流れ出た予期せぬ歌声。こじつければ、なにやら因縁めく。 □


ウッズ 復活なるか?

2010年04月19日 | エッセー

 タイガー・ウッズが復帰した。5カ月ぶりにグリーンが沸いた。彼にまつわるおもしろい逸話を見つけたので、引いてみる。
〓〓タイガー・ウッズが、あるトーナメントで勝敗を決するプレーオフを闘っていました。同スコアでウッズとコースをまわっていたライバルが、グリーン上で5メートルほどのパットを打とうとしていました。外せばウッズの勝ち。プレーオフですから、敵がパットを決めるとタイになり、振り出しにもどってふたたびラウンドを重ねることになります、ウッズにとっても、優勝して高額な賞金が手に入るかどうかの瀬戸際です。
 さて、このときタイガー・ウッズは、何を考えていたのでしょうか? もし入ったら勝負がもちこされる敵のパットに対して、ウッズは「入れ」と念じていたのです。〓〓(苫米地 英人 著「テレビは見てはいけない」PHP新書から抄録、以下同様)

 意外な答えの理由は何か。

〓〓ウッズの自意識は、相手の失敗を願うような自分を許さないのです。「世界最高のゴルファー」である自分にふさわしいライバルであれば、この程度のパットは決めて当然だ。このように考えるのです。相手が成功してくれないと、自分のレベルが下がってしまいかねない。「外れろ」と願うのは、「外れてくれないと自分は勝てないかもしれない」と考えることですから、自分の「高い自己評価」が下がってしまう。ウッズにとってそれは、相手と同じか、むしろ相手より下に自分を置くことにほかなりません。だからウッズは「入れ」と本気で願ったのです。彼にとっては、そのように高いレベルで勝負を繰り広げる自分こそが「快適な状態」となっています。敵が弱いとかえってやる気を失います。実力が伯仲すればするほど、闘争心をかきたてられ、「より高いステージに到達できる」と心から嬉しくなるのです。〓〓

 背景には父親の薫陶があった。幼児の時から、上記のような自意識を徹底的に植え込まれていたのである。米軍グリーン・ベレー出身の父親は、同部隊で使われていた「ルー・タイス・プログラム」と呼ばれる兵士への教育方法を子育てに持ち込んだ。

〓〓ルー・タイス・プログラムとは、「いかに高い自己イメージを維持するか」という思考の技術です。徹底して自己のイメージを高く保ち、その自分にそぐわない行動をとることを不快に感じる自我を構築する。いいかえれば、すべての行動を「have to」(やらなければならない)から「want to」(やりたい)に変えること。それがルー・タイス・プログラムの根本です。
 人間が快適に生活できる外部環境にはある程度の幅があり、その幅のことを「コンフオォートゾーン」と呼びます。人にかぎらず生物は、そのコンフォートゾーンから外れそうになると、体温や血圧を調整して環境に合わせようと、自動的に自分の体をコントロールします。この恒常性維持機能が「ホメオスタシス」と呼ばれます。重要なのは、温度や湿度といった物理的な側面だけではなく、心理的な面においても人間にはコンフォートゾーンがあるということです。
 グリーン・ベレーも敵に対してまったく同じように考えます。敵を決して侮らず、畏敬の念を抱き、優れた戦士とみなす。その強い相手を打ち倒すことができる自分は、兵士として最高の存在である ―― 。このように意識の「内部表現」を書き換えていくわけです。そのイメージを可能なかぎり強くリアルに脳内に描くことができ、無意識のレベルで自己イメージと同一化することができれば、自然と自分の無意識がそのイメージに現実の自分を近づけていこうとします。なぜなら現実の自分とイメージのあいだにギャップがあれば、人間はそのギャップを埋めるために「ホメオスタシス」(恒常性維持機能)が働くからです。〓〓

 もちろん天稟あってのことだが、実に興味深い話だ。最先端の科学的知見をただちに実用に供するのはアメリカの得意技であろう。
 なにを快適と感ずるか。コンフォートゾーンをいかに引き上げるか。それをどこまで無意識に刷り込むか。これは単なるハウツーを超える深みをもつのではないか。件(クダン)の思考様式を発揚していけば、人間の内面的レベル、生き様に繋がるかもしれない。ポジティブ・ライフの極みが拓けるやもしれぬ。グリーン上のライバルや戦場の敵を人生の坂や壁と置き換えてみれば、「優れた戦士」は人生のそれになる。あくまでも思考の様式としての仮借であり、心理的コントロールで御せるほど現身(ウツシミ)は柔(ヤワ)ではない。だがそれにしても、魅力的ではないか。

 以下、余話として ―― 。
 かつて筆者はプロゴルフが好きではなかった。特に男子は観る気がしなかった。プロゴルファーたちの面容が、なんともいただけなかったからだ。OやAを筆頭として、チンピラか無頼のあんちゃんのそれであった。優雅な香りのするスポーツとの落差がすこぶる大きかった。
 それを完璧に払拭してくれたのが石川遼くんである。プロスポーツ史に一線を画す颯爽たる出現であった。ゴルフを観るのではなく、遼くんを観に来るギャラリーが相当数いるにちがいない。若くして手にした数々のタイトルはもちろんのこと、彼はその存在そのもの、別けても見栄えにプロスポーツ史的価値がある、といえば言葉が過ぎるか。
 しかし、プロスポーツである以上「魅せる」ものだ。観させねば、魅せようがない。長嶋の一塁送球あとの泳ぐような手の動き。おそらく運動論的な根拠は希薄なはずだ。巧まずして観させたプロの見栄えであったろう。
 女子も大同小異である。拓郎がラストライブの「真夜中のタクシー」で、次のように語っていた。
「ぼくの時代はね、やっぱりね、横峯さくらや上田桃子じゃなくて、岡本綾子の時代だった。もうちょっと古い時代になると、樋口久子だね。
 ぼくの時代はね、岡本綾子さんになんの他意もないけどね、本当に言うけどね、単なる日焼けしたオバさんの軍団だったね。そこへいくと、最近の女子ゴルフは華やかで、観てていいねー」
 まったく同感である。共感一入(ヒトシオ)である。「華やか」こそ、プロたるの由縁だ。
 
 さて、グリーン以外で『華やか』だったウッズくん。復帰第2戦は29日から始まる。鮮やかな復活の勝利をと祈りたい。 □


近ごろの出来事から(2010年4月上旬)

2010年04月17日 | エッセー

●裁判員裁判を被害者が懸念、強姦致傷容疑での立件見送る(9日))
 大分市内の20代女性が性的暴行を受けてけがをした事件があり、捜査した大分県警が、被害者の意向をくんで裁判員裁判の対象となる強姦致傷容疑での立件を見送り、強姦容疑で男を逮捕、送検していたことが9日、捜査関係者への取材でわかった。女性は当初、厳罰を望んでいたが、強姦致傷罪が裁判員裁判の対象と知り、「人前にさらされたくはない」と県警に不安を訴えていたという。
 性犯罪を巡っては裁判員制度が導入される前から、被害者のプライバシーをどうやって守り、配慮するかが課題となっていた。今回は被害者の裁判員裁判に対する懸念が立件内容に影響を与えた。
 裁判員法は、法定刑に死刑か無期懲役がある事件と、故意の犯罪行為で人を死なせた事件を裁判員裁判の対象と定めている。強姦致傷罪は最高刑が無期懲役で裁判員裁判の対象となるが、強姦罪は3年以上の有期刑のため対象外となる。
 今後も被害者が裁判員裁判を望まないケースが予想されるが、大分地裁の加藤誠所長は「捜査機関が判断することであり、裁判所としてはコメントできる立場にない」としている。

⇒欠陥商品ならば買い換えれば済むが、欠陥制度はそうはいかない。来月で1年になる。最高裁の調査によれば、裁判員体験者の97%が「いい経験だった」と答えたそうだ。被告席でない限り、悪いと答えるはずはなかろう。むしろ、そういう好印象を積み重ねることで司法改革の御為倒(ゴカ)しを狙っているのではあるまいか。何度も触れてきたが、「欠陥制度」であって制度の欠陥ではない。それは枝葉(シヨウ)の問題に過ぎない。
 「過たば即ち改むるに憚る勿かれ」なのだが、どんどん既成事実が重畳され「過たば」の認識から遠ざけられていくのがなんとも口惜しい。だからマスコミはこのようなニュースをもっと大々的に取り上げるべきではないか。 


●「新型核」開発しない方針も明記 オバマ政権戦略見直し(7日)
●米ロ、新核軍縮条約に署名 オバマ氏「長い旅の一歩」(9日)
●オバマ大統領、核テロ対策の重要性訴え 核サミット開幕(13日)
⇒この1週間は現代史を画すターニングポイントになるかもしれない。次世紀の年表には年月日がゴシックで記され、重要な事績として刻される可能性がある。まだ可能性だが、大いなる希望でもある。衰えたりといえども、やはりアメリカでなくてはリードオフマンにはなれない。前任のおそ松くんがあまりにもひどかったせいもあって、余計輝いて見える。ノーベル賞という大きな手形を着々と落としているようで、喜ばしい限りだ。
 唯一の核使用国として、核のない世界を目指す ―― これがオバマの核心だ。かつ画期的である。否、空前であった。十全に快挙でもあった。
 NPR(核戦略見直し)は、(1) 核不拡散と核テロ防止  (2) 核兵器の役割縮小  (3) 戦略的抑止と安定の維持  (4) 同盟国への再保証  (5) 核戦力の維持 が柱だ。
 核セキュリティーサミットの開催は(1) の具体化である。(2) では、 米国や同盟国に対する核抑止を核所持の「唯一の目的」と明記した。自ら嵌めたこの軛は相当に斬新であり、廃絶への貴重で確実な一歩となる。これは「核の傘」である。さらに瞠目すべきは「非核の傘」を宣言したことだ。「消極的安全保障」とも呼ばれる。つまり、「使わない」ことで安全を保障するものだ。核不拡散条約(NPT)を順守する非核国に対しては核攻撃をしないとした。現在、NPT加盟国は180ヶ国を超える。国の数ではほとんどが「非核の傘」で消極的安全保障を受けるようになった。さらに、通常兵器、生物・化学兵器による攻撃やサイバー攻撃に対しても核の報復攻撃をしないとした。(3) では、ロシアはもとより中国も明確に対象としてあげた。「米ロ新核軍縮条約」への署名は具体化の大きな先駆けであった。「長い旅の一歩」ではあっても、踏み出さなければ近づかない。
 忘れてならぬことは、前述したオバマの核心だ。「核のない世界を目指」しての一歩である点だ。単なる危機回避や縮小ではない。机上にある分度器の一度は小さい。しかし延伸すれば開きは限りなく大きくなる。ベクトルの違いこそが正否を別つのだ。
 (4) (5) は地に足のついた感覚だ。だが、艦上型トマホークの引退、新たな核弾頭の開発取り止めは出色の方針である。
 念願の健康保険改革が成って、いよいよ本領発揮というところか。ニクソンの米中国交正常化といい、レーガンの米ソ対話といい、アメリカ外交の舵を大きく切ったのは改革派というよりも保守派の領袖であった。諸外国でも類似の現象は散見される。反対勢力への抑えが利くという側面があるのであろう。だが、オバマは文字通り「チェンジ」を旗印にして登場した。例外に近い。案の定、ボストン茶会事件にちなんで、反オバマの「茶会運動」が拡がりつつあるそうだ。どうか、オバマの挑戦を滅茶苦茶にしないでほしい。繰り返しになるが、良くも悪くもアメリカしかリードオフマンはいない。そのアメリカのリードオフマンがオバマだ。大統領には、反対は茶飯と心得ての敢闘を強く願いたい。


●タイでのロイター村本さん死亡「大変遺憾」=鳩山首相(12日)
 鳩山由紀夫首相は12日午前、タイ・バンコク市内で政府の治安部隊とデモ隊の武力衝突に巻き込まれロイターのカメラマン村本博之さんが死亡したことについて「大変遺憾だ」と述べた。
 さらに、タイのアピシット首相から親書があり、それに対して原因究明を求めると同時に「邦人の安全を守る努力をさらにお願いした。このような騒ぎが拡大しないよう、早くタイが安定できるようタイ政府に最大の努力をお願いした」と述べた。官邸で記者団に語った。

⇒鎮圧に当たるのは銃を持った国軍である。決してよいことではないが、国を二分する反政府運動に流血は当然予測できたはずだ。タイを非難する前に、そのような状況に飛び込む報道陣の姿勢を問うべきではないか。背景にはジャーナリズムを覆う過酷な取材競争もあろう。しかし防弾チョッキ一つ着けもせず、騒乱の渦中に入り込んでいく危機意識のなさ、無神経さこそ信じがたい。07年にもミャンマーで同類の事件があった。美談にするのは禁物だ。デモ隊の取材であろうとも、あの状況では戦闘現場の取材と変わるところはない。
 あるいは、カメラを構えファインダーを覗くと、撮影者本人はある種のバリアーに囲まれた錯覚に入るのではないか。心理的にも体感的にも、鉄板で鎧われた装甲車の覗き窓から外界を窺っているような感覚に囚われるのではないか。最近、そんな気がしてしようがないのだが……。


●普天間「決着」とは 首相「互いに方向認められる状況」(15日)
 鳩山由紀夫首相は15日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について、5月末までに米政府や移設先の関係自治体との合意を得るとの考えを改めて示した。一方で、この時点での「決着」は「その方向が互いに認められる状況を指す」とも述べ、米国や地元との合意は必ずしも厳密なものでなくてもよい、との含みも残した。

⇒首相の強気は、一体何だろう。アレクサンドロス大王にでもなったつもりか。「ゴルディウスの結び目」を一刀両断する気なのだろうか。見渡したところ名刀はありそうにないし、かといって手刀では役には立たない。根拠のない強気、つまりは蛮勇、虚勢、破れかぶれにしか見えないのだが。あるいはひょっとして肚を括ってでもいるのかしらんと、つい勘ぐってしまう。
 因縁話を一つ。
 戦後、日ソの国交回復が大きな外交課題となっていた。北方領土の問題、国連への加盟が大きく立ち塞がっていた。56年、決着をつけたのが時の首相、鳩山一郎氏であった。一身を賭して交渉に臨む。10月に日ソ共同宣言に書名。領土問題は先送りとなったが、国連加盟はこの年の暮れに果たす。氏はこれを潮に政界を引退した。
 終生の政敵は言わずとしれた吉田茂氏。前任の総理はその吉田氏。吉田氏がアメリカ重視だったのに対し対ソ外交を最大のテーマとした。 …… 浅からぬ因縁がありそうで、なさそうな。 □


言うよね~

2010年04月13日 | エッセー

〓〓大多数の上司は無能である
 教育学者のローレンス・J・ピーターは、「なぜ、組織には無能な上司が多いのか」をテーマとした画期的な研究を69年に発表しました。結論をまとめると、「人は能力の限界まで出世し、無能レベルに達すると出世が止まるため、大多数の上司は無能な上司なのである」ということになります。結果、ほとんどの組織で、中間管理職やその上司、社長にいたるまで、無能な上司の方が一般的で、無能レベルに達していない少数派の平社員と、まだ上り調子の中間管理職によって運営されていることになります。
 ピーターは、無能上司を減らすために、「昇給はしても、むやみやたらに昇格はさせない」などの方法を推奨します。身近な例ですと、簡単にイメージできるリーダーは政治家です。野党のときはとても評判がよかったのに、首相や大臣になったら、無能レベルに達して、内閣支持率が急落してしまった人たちを簡単に想像できるのではないでしょうか?
 無能上司は、自分の存在意義を示そうとして、部下の仕事の批判やあら探しが増えるため、部下が疲弊してしまいます。私も、あら探し型か提案型かで、無能上司とそうでない上司を見分ける方法を学んできました。残念ながら、「ピーターの法則」通りの上司の下になった場合には、自ら強力なフォロワーシップを発揮して気の毒な上司を助けるよう、考え方を変えてみてください。 <勝間和代の人生を変える『法則』>〓〓
 今月11日付朝日新聞のコラムから抄録した。少々古いフレーズだが、「言うよね~」である。
 核心的分析は、「無能レベルに達すると出世が止まる」である。例証の「内閣支持率が急落してしまった人たち」にとっては頂門の一針だ。返す言葉もなかろう。鉤鼻のおばちゃん、「言うよね~」である。
 しかし、浮世はもっと辛い。「批判やあら探し」に威張りが加わる。おまけに針小の実績を棒大にしての自慢が重なると、もういけません。いけませんが、どこにも行けません。勝間女史は「自ら強力なフォロワーシップを発揮して気の毒な上司を助けるよう」御教示なさるが、それができるくらいなら苦労はしません。特に「内閣」なぞの場合、こちらは手も足も出ません。最悪、4年間は指を銜えて待たねばなりません。
 またピーター博士が推奨する方法も、「無能レベル」の見極めが至難だ。ましてやその直前での寸止めは、もはや神業であろう。してみると、今や昔日の感があるが、旧来の「年功序列」は無益な神頼みをせず人知を巡らせた結構な仕組みだったといえなくもない。評価の基準は年数に一元化され、能力や実績は捨象される。その代わり、終身の雇用が保障される。これに企業別労働組合を加え、三つがセットになって日本型雇用を形成してきた。右肩上がりである限り、八方は丸く収まる。
 淵源は戦時下の生産体制にあった。賃金統制令と従業者移動防止令である。終戦で廃止となるが、慣例と体制は残った。これが戦後復興に大いに奏効した。綺麗なピラミッド型をしていた当時の人口構成が十全に活きた。若年労働者が大半を占め、しかもどんどん増える。しかし、年功賃金のために賃金総額は低く抑えられる。低い賃金コストによって大量生産によるスケールメリットが得られた。敗戦による先進国との技術や資源の格差に低価格で対抗できたのだ。驚異の高度経済成長を支えた独自のメカニズムであった。
 だがそれは、『グッド オールド デイズ』となって久しい。人口構造がまるで変わってしまった。大企業の一部では旧態へ戻す動きも見られるが、大勢は年功序列も終身雇用も大きく崩れつつある。それも当然の成り行き。周回遅れで欧米の歩んだ道をいま踏んでいるのだから。
 こうなれば、もっと歴史を溯ってみてはどうだろう。司馬遼太郎はかつてこう述べた。

〓〓日本の集団の歴史は独裁者の存在をゆるさないというふしぎな原理をもっている。
 鎌倉幕府もそうである。源頼朝は自分の兵力をもたずに、関東武士同盟に擁されて成立したために、絶対権力ではなく、一種の調整機能というべき存在であった。だからこそうまくいった。あとで出てくる北条執権勢力も調整機能的存在であった時代はよかったが、やがて独裁化しようとしたときに倒された。織田信長が日本史におけるもっとも独裁的な独裁者だったが、明智光秀という非合法的な批判勢力が出てきてこれを倒した。そのあとの豊臣政権は、最初は調整機能として機能した。しかしその政権の後期、秀吉の自己肥大が病的になり絶対権力化したとき、その死後諸大名の心が離れ、徳川家康を擁した。
 徳川政権はその成立の最初からごく相対的な調整機能としての権力であり、徳川将軍というのは、清帝国やロシア帝国の皇帝のごとく絶対的独裁者ではない。幕府の行政組織においても、老中の合議制で運営され、各部局の長は、江戸町奉行が二人であったように決して一人ではない。一人の人間に権力が集中することを組織原理としておそれたというほかない。ただ例外が一件だけあった。井伊直弼であった。かれは右の原理を無視し、自分ひとりに権力を集中させようとし、まず在来からあった大老職に就いたが、長つづきはしなかった。在職一年十一カ月で殺された。〓〓(「街道をゆく」 1.)
 特に徳川政権の行政組織は、あたかも「ピーターの法則」を知り抜いた上で構築されたシステムであったかのようだ。天下の太平と言う大前提があったとはいえ、舌を巻く巧妙さだ。だがこれも与件がまるで変わってしまった。グローバルな競争社会では組織原理たりえない。だが、幾許(イクバク)かの示唆はあるかもしれない。
 とこうに考えさまよいつつ、ふと「草枕」が浮かんだ。


     山路を登りながら、こう考えた。
     智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を
    通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
     住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
    どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画
    が出来る。
     人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。や
    はり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。た
    だの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国は
    あるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でな
    しの国は人の世よりもなお住みにくかろう。


 「人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」とは、唸る。「人の世」を緩く「組織」と括ってみれば、さすが漱石、実に深い。これぞ正銘の「言うよね~」である。それにしてもことしの花冷えは一段と身に滲みるのだが……。 □


立ち枯れるなニッポン

2010年04月11日 | エッセー

〓〓たちあがれ日本 結党 
 平沼赳夫元経済産業相、与謝野馨元財務相らが10日、新党「たちあがれ日本」を結成した。平沼氏が代表、与謝野氏が共同代表に就任し、結党趣旨に「打倒民主党」「日本復活」「政界再編」を掲げた。参院選では比例区と東京など複数区で候補者を擁立し、1人区については、自民党候補を支援する方針。
 新党結成の記者会見には、両氏と園田博之前自民党幹事長代理、藤井孝男元運輸相、中川義雄元内閣府副大臣の国会議員5人と、応援団長を自任する石原慎太郎・東京都知事が出席。会見で平沼氏は「政治生命をかけて日本のために汗をかく。民主党政権による政治はこの国をダメにしてしまう」と主張。与謝野氏は「民主党に政治への哲学はない。自民党には野党として戦う気力がない。反民主、非自民で戦う」と強調した。
 綱領や基本政策では「自主憲法制定を目指す」とし、外国人参政権と選択的夫婦別姓に反対を表明。社会保障財源として消費税を含む税制の抜本改革を掲げ、規制緩和や行革とあわせ3年間で経済と財政を再建するとした。
 国会議員5人の平均年齢は約70歳。石原氏は「年寄りだとバカにするかもしれないが、30、40、50代で我々と同じようにこの国を憂える人間がどれだけいるんだ。若い候補者を立てて参院選を戦う」と語った。〓〓(4月10日 朝日新聞)
 
 みんなの党代表の渡辺嘉美氏は特異な才能をお持ちのようである。記者から新党の名前について感想を求められ、「え、たちがれ日本? あ、失礼しました。たちあがれ日本、ね」と、とぼけて返した。(「たちあがれ」から「あ」を抜くと「立ち枯れ」となる。痛烈な皮肉だ!)年頭には、小沢幹事長の政治資金問題に絡む検察の狙いを「極めて古典的なスキャンダル」と言ってのけた。臭覚鋭く、言葉も巧みだ。父親譲りなのであろうか。
 命名したのは都知事だそうだ。メンバーの一人は「さすがは文学者だ」と誉めちぎった。開いた口がふさがらない。匠気が臭うキャッチコピーか、色褪せたスローガンらしきものとはいえても、政党名とはいいがたい。さらに、さすが文学者、投票の際の不便と不利なぞ眼中にないらしい。
 例外もあるが本来、野党に求心力はない。下野したとなれば、如実に失せる。だから欠片が零(コボ)れ落ちるのは道理でもある。小党に分裂し、合従連衡を繰り返し、やがて大同合併に至る。
 ことは93年に始まった。6月の衆議院解散直後、自民党から分離した勢力が「新党さきがけ」と「新生党」を結成。7月の総選挙で38年間の自民党支配は頓挫し、前年に結党されていた「日本新党」の細川代表を担いで非自民党政権が誕生した。この時点で、議席を持つ政党数は九つに及ぶ。わずか10ヶ月で細川内閣が潰え、「自社さ」などの様々な合従連衡を繰り返す。98年初頭、橋本首相から小渕首相に政権が渡るころには実に政党数、17を数えた。98年4月、前々年に結党していた民主党に、左右の会派が合流し「新・民主党」として再出発する。そして03年に小沢氏率いる自由党が加わり「現・民主党」となって、二大政党に収斂していく流れができた。
 概観すれば、そういうことである。今回、同じ繰り返しの兆しもあるが、決定的な違いがある。選挙制度だ。
 93年9月、「政治改革」を錦の御旗に、政権交代と迅速な政治決定を目指して「小選挙区比例代表並立制」が導入され、96年10月の総選挙から実施された。これによって中小政党が構造的に不利な立場に置かれるようになった。生来、政党は政権を望むものである。それが政党の属性だ。しかし余程にトリッキーな政変でもない限り、中小の政党が政権を担える可能性は皆無に近い。属性を剥離された政党が向かう先は永遠の野党(それを『健全』野党などと詭弁を弄する向きもあるが)でいつづけるか、大(ダイ)に身を委ねるか、第三極を目指すか、それ以外の術はあるまい。また政界再編の導因を標榜したり、個別特定の政策実現を掲げる専門店張りの小党もある。だが、いずれも二大政党制の元ではプレゼンスは限定的で極少だ。詰まるところ、問題は民意のすくい方、束ね方、つまりは選挙制度に帰着する。
 何度も触れてきた事柄ではあるが、あらためて小選挙区制の欠陥を要約して3点挙げてみたい。
①党に権限が一元化し、政党内デモクラシーが喪失される。
 ―― 「小沢独裁」と評される民主党の実態が雄弁に物語る通りだ。
②対立軸がない時代では政策の差がなくなり、劇場型政治が生まれ争点が単純化、粗大化する。
 ―― 選挙で多数を占めることだけに自己目的化する。「小泉劇場」然り、「郵政選挙」然りだ。先の「政権交代」はまさに単純化と粗大化の極みではなかったか。なによりイシューは「交代」だけであった。振り返れば、こんな単純で粗大な争点はかつてなかったのではないか。現政権の迷走はすべてそこに起因する。「高速無料化」の跛行は格好の一例である。現実の複雑系に単純、粗大化した政策があちこちで齟齬をきたしているのだ。
③先進国では多党化現象が起きている。
 ―― 速い話が、時代逆行の制度である。二大政党制の宗家イギリスで来月行われる下院総選挙では、労働党、保守党ともに過半数に届かないだろうと予測されている。自由民主党が躍進しているからだ。二つに一つの選択では多様な民意を吸収できなくなっている、一端どちらかに振れてしまうと政権が強権化してしまうなどの制度自体の金属疲労が指摘されている。イギリスに学ぶのはいいが、周回遅れでわざわざ前車の轍を踏む必要はあるまい。
 時代に準ずるには、二大政党制への軛を外すほかない。そのためには、なによりも先ず小選挙区制を改めるに及(シ)くはない。選挙制度の改革である。特に中小政党にとっては死活問題ではないか。ところが、どの野党もこれのプライオリティーが低い。まさか万年在野党を覚悟の前にしているのではあるまいに。まことに残念である。
 今般の新党は「打倒民主党」「日本復活」「政界再編」を掲げる。しかし、選挙制度の改革はどこにもない。慨世の情に嘘がないなら、画竜点睛は外せないはずだ。後世を憂うなら、後継が続くであろう道から荊蕀を抜き去るべきだ。政権を狙う政党本来の気宇をもつなら、最大の軛を振り払うべきだ。そうでなければ、画蛇添足の譏りは免れまい。年寄りの冷や水で風邪を引き、徒花で木が入り幕となるだけだ。余生に「趣味の庭づくり」ならぬ、赤絨毯の余生に「趣味の政党づくり」に明け暮れて老残の身を晒すのみだ。
 「年寄りだとバカにするかもしれないが、30、40、50代で我々と同じようにこの国を憂える人間がどれだけいるんだ」都知事先生のこの言葉。夜郎自大にしか聞こえないのは筆者だけであろうか。憂えるべき国にしたのは、どこのどなた達であろう。自らを省みず自己肥大した手合いを夜郎自大という。この先生はそのお手本のような人ではあるまいか。
 なにはともあれ、立ち上がってはみたものの、日照不足で『立ち枯れ』にならぬよう用心されたい。 □

< 跋 >
 「<先>月の出来事から」について ―― 主要な出来事を一カ月単位で振り返り、ピックアップするのはかなりの知力と労力を要することが、今にして判った。筆者の能力をはるかに超える。ギブアップである。したがって今後は、時事問題はそのつど取り上げるようにする。当然、断簡や寸評程度になりがちで紙幅が短くなるが、極力いくつかをまとめて載せるようにしたい。ご寛恕を乞いたい。


2010年3月の出来事から

2010年04月06日 | エッセー

 4月からの新しい紙面編成で、朝日新聞の「<先>月の出来事から」がなくなった。そのため、筆者の独断と偏見で出来事を選ぶことにした。もとより一月間のニュースを漏れなくキャッチできるわけもなく、選択そのものが偏向している。糅てて加えて、愚昧なる僻見である。それはしっかり割り引いてお読みいただきたい。老婆心ながら …… 。( ―― は朝日等の記事本文、⇒以下は筆者愚見)

●Jリーグ、2010年シーズンが開幕!(6日)
⇒NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」が秋まで中断する。3月23日、現シリーズの掉尾に三浦和良を取り上げた。御覧になった方もおいでだろうが、忘じ難きカズの一言を採録したい。
 98年、カズはW杯メンバーから落とされた。当時を振り返り、「それまでは余興だったのかな。あの時からサッカーの神様が『お前はこれから、どういうサッカー人生を歩むんだ?』って問いかけられ、本当のサッカー人生が始まったのかもしれない」と語った。07年5月16日付本ブログ「カズかヒデか」で述べた『カズ型』そのものの発言である。
 誰にでも、それなりの絶頂はある。肝心なのは、そのあとの身の処し方だ。勝負はピークにではなく、「後半戦」にある。そう心したい。

●核密約 歴代首相ら黙認 外務省極秘メモ公開(10日)
 ―― 岡田克也外相は9日、日米の密約に関する外務省調査結果と有識者委員会の検証報告書を公表した。併せて公開された機密文書から、政府が1968年に核兵器搭載の疑いのある米艦船の寄港・通過を黙認する立場を固め、その後の歴代首相や外相らも了承していたことが判明。寄港の可能性を知りながら、「事前協議がないので核搭載艦船の寄港はない」と虚偽の政府答弁を繰り返していた。非核三原則は佐藤栄作首相の67年の表明直後から空洞化していたことになる。見つからなかった重要文書も多く、有識者委は破棄の可能性など経緯調査の必要を指摘した。 ――
⇒これぞ政権交代の成果であると、鬼の首でも捕ったように喧伝するのははしゃぎ過ぎであろう。
 国是である非核三原則のうち、「持ち込ませず」についての密約である。「持たず、作らず」は、原子力基本法や核拡散防止条約などによる法的な縛りがある。だが「持ち込ませず」は国会決議ではあっても、法的拘束力はない。そのニッチが災いした。
 しかし、「丙丁に付す」という次元だけで論じていいものかどうかは疑問だ。60年安保改定時の最初の持ち込み密約から69年の沖縄返還交渉時の密約まで、日本は主権を回復したとはいえ、紛れもなく米国の圧倒的軍事力の麾下にあった事実を忘れてはならない。しかも冷戦の直中である。別けても沖縄は、本土復帰が成るまでアメリカの軍政下にあった。つまりは占領体制が継続していたのだ。沖縄返還交渉はそうし時代状況の中で行われた。それを等閑に付しては、当事者の難渋と成業(ジョウゴウ)に想像は及ばない。
 政治学者の姜 尚中氏は、かつてこう述べた。
〓〓沖縄の軍政支配と憲法第九条と天皇制の温存は三位一体だったと思います。もし天皇をそのまま生かして天皇制を容認するということになれば、アメリカ以外の連合国は許さなかったでしょう。結局、憲法第九条を作って日本を軍事的に去勢させる、しかしいつでも空爆できるように沖縄を確保しておくという形になりました。〓〓(姜 尚中&小森 陽一「戦後日本は戦争をしてきた」角川oneテーマ21)
 戦後日本は敗戦から出発した。姜氏の指摘は、その冷厳な歴史の核心部分を突いている。「空爆」とは日本本土に対するそれである。やがて対象は転ずることになるが、本質的なトポスは変わっていない。問題は自虐に陥らず、毛を吹いて疵を求めず、次世代への希望をいかに巧みに紡ぐかだ。

●遅刻問題 担当課長ら4人事実上更迭 原口氏、関連否定(26日)
 ―― 原口一博総務相は25日、国会審議に2回遅刻した問題を受け、大臣官房総務課長と国会連絡室長、同室員2人の計4人の国会対応の担当者を交代させる4月1日付の人事を内示した。国会開会中に総務課長を交代させるのは異例。省内には事実上更迭との見方も出ているが、原口氏は26日の会見で「適材適所でやっている。国会でおわびした件とは全く関係ない」と述べた。
 原口氏は3日の参院予算委員会に前原誠司国土交通相、仙谷由人国家戦略相とともに遅刻し、「日程表が間違っていた。事務方のミス」と釈明。これに対し、江田五月参院議長は「官僚に責任を負わせるような弁解はみっともない」と批判していた。 ――
●「長妻氏の個人的な逆恨み」 天下り阻まれ関係者恨み節(31日)
 ―― 30日決定の独立行政法人の役員人事で、厚生労働省所管の理事ポストが削減された。有識者による選考委員会が2度にわたって同じ官僚OBに決めたが、長妻昭厚労相が覆した。不透明な天下り人事の排除を狙った公募だが、長妻氏による「人事介入」への疑問も出ている。
 この元幹部は、長妻氏が野党時代に年金記録問題を追及した国会で答弁していたことから、「個人的な逆恨み」(関係者)との指摘もある。 ――
⇒さすがはヘビ目の大臣だけのことはある。実に執念深い。さらに原口氏とあわせ、まことにお粗末な話でもある。意趣返しなら、もっと用意周到に仕組まねばなるまい。きわめて雑で、幼稚に過ぎる。
 両氏が否定するにしても、このような人事を強行すると公務に私情を挟むとすぐに指弾されるのは明らかだ。であるにもかかわらず事を起こす感覚は、悲しいほどに稚拙でタクティクスの欠片もない。この程度の人物が主要大臣とは、現政権の抜き難い欠陥のひとつを露にしているのではないか。

●菅谷氏 無罪判決(27日)
 ―― 栃木県足利市で1990年、当時4歳の女児が殺害された「足利事件」で無期懲役が確定し、昨年6月に釈放された菅家利和さん(63)の再審で、宇都宮地裁は26日、無罪判決を言い渡した。
 佐藤正信裁判長は判決を言い渡した後、2人の陪席裁判官とともに「17年半もの長きにわたり自由を奪う結果となり、申し訳なく思う」と菅谷さんに謝罪した。
 検察側が上訴権放棄を申し立て、地裁に受理され、逮捕から18年3カ月を経て、菅家さんの無罪が確定した。 ――
⇒併せて、次の記事を一読願いたい。
●DNAデータベースに誤情報、別人に逮捕状 神奈川県警(20日)
 ―― DNA型が一致したとして神奈川県警が今年初め、容疑者として逮捕状と家宅捜索令状を取った男性が、実際は事件とは無関係の別人と判明していたことが捜査関係者への取材でわかった。警察庁が管理するDNA型データベースに誤った情報が登録されていた。DNA型鑑定の精度は飛躍的に高まっているが、人為的とみられるミスが絡み、別人の逮捕状まで取る事態となった。
 県警は朝日新聞の取材に「DNA型をデータベースに登録する作業の前段階で、鑑定前に検体を取り違えた可能性があるが、詳しい原因は現在も調査中」と回答している。鑑定そのものはデータ登録時も今回の捜査でも技術的な誤りがあった可能性は低い、としている。 ―― 
⇒菅谷氏の判決について検察は、DNA鑑定への過度な信用が徒になったと総括した。現在喧伝される5兆分の1という確率が想像を絶するだけに、もしも合致の結果がでると、そこで思考停止に陥ってしまう危険がある。この陥穽は断じて避けねばならない。(警察庁の発表によれば、最新の検査薬では77兆分の1に向上したという。しかし5兆にせよ77兆にせよ、実証された数値ではなく机上の計算に過ぎない。第一、5兆人に一人など実証する術がない)
 さらに菅谷さんの冤罪事件では捜査の可視化に論点が向かいがちだが、控訴時効の廃止・延長案も劣らず重要ではないか。厳罰化の大勢に乗じて進められるこの改定こそ、看過しがたい焦眉の急だ。
 先日、法務省の法制審議会刑事法部会は、殺人罪などの時効を廃止する要綱骨子案を決めた。今国会で刑事訴訟法改正案が提出され、6月にも成立・施行される段取りである。しかし、「千人の真犯人を逃すとも一人の冤罪者を生むなかれ」が刑事訴訟法の基本思想である。「疑わしきは被告人の利益に」が大原則だ。これを踏み外してはならない。本ブログで今までに何度も触れてきたことだ。土台が傾いでは建物は早晩ひび割れを生じ、やがては頽れる。 
 一番の問題点は、冤罪を生む可能性が高まることだ。年月とともに証拠は散逸する。アリバイ証言なども風化する。上記の部会で、委員の警察庁刑事局長は次のように発言したという。「殺人事件などで検挙されるのは、9割以上が1年未満。それ以降はあまり検挙できない。殺人事件だけでも年間1200件程度あるが、そのうち、時効まで捜査を継続し、もし時効制度がなければ検挙できた、という事件はまれである」これが現場の声だ。
 時効があるために捜査へのプレッシャーが過度に強まり、冤罪が生まれる可能性もなくはない。だが本来、時効は冤罪を防止するための制度である。なぜそれをわざわざ外すのか。世の趨勢に阿(オモネ)ったのか、あるいは体よく便乗した目眩ましか。裁判員制度といい、御為倒し(オタメゴカシ)の愚策にしか見えない。
 ドイツもフランスも時効はない。だが片やナチスによる虐殺事件、片やジェノサイドに対してだけだ。アメリカとイギリスもない。しかし両国とも刑事手続きそのものが違う。推定無罪の原則が徹底し、被疑者の権利が厚く守られている。単純に参考にするわけにはいかない。
 冤罪を生む可能性を徹して排除する。これがファースト・プライオリティーでなければならない。再考を切望する。

●水俣病訴訟、和解へ合意(29日)
 ―― 水俣病と認められていない被害者で作る水俣病不知火(しらぬい)患者会(熊本県水俣市)の会員2123人が国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めている訴訟は29日、熊本地裁であった和解協議で、原告側と被告3者が地裁の示した和解所見を受け入れ、和解する方向で合意した。
 地裁の所見には、和解対象となる原告に1人あたり210万円の一時金を支給するほか、療養手当や医療費の自己負担分の支給、29億5千万円の「団体加算金」の支払いなどが盛り込まれている。
 今後、「第三者委員会」が設けられ、原告一人ひとりが和解対象にあたる被害者かどうか判定が行われる。正式な和解は判定が出そろった後に成立する。対象とならない原告が出た場合、不知火患者会は団体加算金から補償する方針だ。
 一方、政府は訴訟を起こしていない被害者にも水俣病被害者救済法に基づき、和解内容と同水準の救済策を決める方針。4万人近いとされる未認定の被害者救済は、大きく前進する。 ――
⇒これは朗報である。前項の伝でいけば「疑わしきは罰せず」ならぬ、「疑わしきは救済」の原則を確立すべきではないか。「石川や 浜の真砂は尽くるとも …… 」と心配する向きもあろう。しかし不逞の輩は厳しく罰すればよい。財源も頭痛の種だが、変なバラマキよりも余程理屈が通る金ではないか。原爆症も併せて、この原則を法制化してはどうか。

●仙谷、亀井両氏鞘当て(29日)
 ―― 仙谷由人国家戦略相が「郵政改革案の預け入れ限度額の2千万円への引き上げは、官の肥大化を推し進めることになる」と批判したことに対し、亀井氏は「政策決定のプロセスで時計の針を逆転するようなことをやったら、この内閣は前に進まなくなる」と、改めて修正を拒否した。 ――
⇒この亀井発言は噴飯物だ。「時計の針を逆転」させているのは誰あろう、ドロガメくん、君ではないか! 「政策決定のプロセスで時計の針を逆転するようなことをやったら、この『国』は前に進まなくなる」と言い換えてはどうか。
 前々回の総選挙のあと、政策すべてを是としたわけではなく、シングル・イシューだったと批判したのは民主党ではなかったか。そうだとすれば、まさにそのイシューである郵政改革に国民がゴーを出したのである。それを先祖返りさせようというのが今回の改革案である。
 意趣返しと票田確保のためなら、なりふりかまわずゴリ押しするドロガメ大臣。おまけに尻馬に乗った原口大臣は、閣内から批判が出るととたんにトーンダウン。すったもんだで首相が裁定。ここぞとばかり、即断即決。いいところを見せたつもりだろうが、ドロガメに足元を見切られているのは衆人周知の中でのクサい小芝居であった。
 最後に、近ごろ評判のネット小話を一つ。
「日本の首相は自分を平和の象徴であるハトだと思っている。国民は選挙の公約が守れれなかったから、サギだと感じている。米国人は弱虫という意味のチキンだと見ている。中国人は格好のカモだと考えている」
 う、巧い! ついでに、

  〽しらけ鳥飛んでゆく 南の空へ
   みじめ みじめ〽
      (「しらけ鳥音頭」唄:小松政夫)

 と、これはかなり古い。しらけるほどに古い。ともあれ、5月はすぐだ。はたして「南の空」は照るか曇るか、はたまた嵐か。ハトかサギか、はたまたチキンか。「トラスト ミー」こそ、とっくに古い。 □