伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

さらば、排球の佳人たち

2008年08月24日 | エッセー
 〓〓19日の女子バレー準々決勝ブラジル戦は、目の前にたたきつけられたスパイクで終わった。全日本を約10年にわたって引っ張り、アテネ五輪後は主将をつとめた竹下佳江(30)。この4年はストレスで眉毛が抜けるほどバレーと向き合った。そんな身長159㌢のセッターが、北京のコートから去った。
 五輪に苦しめられてきた。
 00年シドニー五輪の出場権を逃すと、背の低いセッターは戦犯扱いされた。大型化の流れの中、一度は身を引いた。現役に復帰して出場した04年アテネ五輪は準々決勝で敗れた。
 アテネ後から主将に。ミーティングの真剣さに耐えきれず、ちゃかすような態度をとる若手に、「悔しさを知らない」と悩んだ。ある朝、鏡を見たら右の眉毛がすべて抜けていた。ストレスからだった。
 自分を厳しく律してチームをまとめた。中学生のころから必ず試合に来てくれた父菊雄さん(70)には弱音も吐いた。
 「主将って重いよ」
 菊雄さんは「当たり前やんか。勝負の世界なんやけん」とぶっきらぼうに応じた。
 試合について、「悔いはない」と言いきった。コートから引き揚げる竹下に、観客席の菊雄さんが、日の丸入りの扇子を振って呼びかけた。
 「おーい」
 竹下は声の方を見上げ、少し笑った。〓〓

 8月20日、朝日新聞はそう伝えた。泣けた。同時に筆者のオリンピック観戦も終わった。星野ジャパンがプロ集団らしからぬ無様(ブザマ)な負けを晒しても、格別な感慨は沸かぬ。予想の通りだ。壮行試合の惨敗から結果は見えていた。もしも『ナガシマ』ジャパンだったら、もっと絵になる負け方をしたであろう。所詮は監督の格が違い過ぎる。『ナガシマ』にどうにか釣り合うのは『オー』しかいない。これはアプリオリな問題だ。それにしても面汚しな。星野ジャパンの面々よ、ソフトの女傑たちの爪の垢でも煎じて飲み給え。

 東京オリンピック、「東洋の魔女」を振り返ると、ソフトの軌跡に似たものがある。
 まず、宿敵の存在。バレーは当時のソ連、ソフトはアメリカだ。さらにマイナーな競技であったこと。1949年に始まった世界選手権、60年代まではほとんどヨーロッパの国々で争われた。そこに割って入ったのが日本だった。国内においても9人制が主流で、6人制は緒に就いたばかり。オリンピックの正式種目となったのは1964年、東京オリンピックだった。おまけに北朝鮮がボイコットしたため規定の6ヶ国に足りなくなり、急遽費用を負担して韓国に出場してもらったという裏話まである。それほどにマイナーな時代だった。
 1996年のアトランタオリンピックから始まったソフトも北京でまだ4回。というより、これでひとまずは消える。国内はともあれ、世界的には競技人口は少ない。こちらもマイナーだ。
 「東洋の魔女」といえば「回転レシーブ」。高さのあるソ連の攻撃をいかに防ぐか。苦闘と知略の結晶であった。まず、拾う。これが画竜に睛を点じることだ。続くコンビバレー、「時間差攻撃」「ひかり攻撃」「稲妻おろし」 …… 。フィジカルなハンディを克服する創意が繰り出された。「技術立国」日本の歩みと重なる。だが日本発のさまざまな技術が世界化されるに伴い、メダルからは遠ざかっていった。
 ソフトの勝因は世界最速、119キロを誇る上野由岐子の存在を外しては語れまい。まず投手の腕(カイナ)から球が放たれる。すべてはそこから始まる。そこに群を抜く投手力を注ぐことが画竜点睛だ。加うるに、金城鉄壁のディフェンス。明確なコンセプトが光る。
 東京オリンピックでの対ソ連戦。視聴率は85%に達した。北京のソフト決勝戦の67%は、今では44年前の85%に劣らぬ驚異の数字だ。
 忘れてならぬことは両競技、女丈夫(ジョジョウフ)の独壇場であったことだ。この辺りの事情には時代の底流が滲み出ていたのかも知れぬ。60年代はウーマンリブのはしり、いまは女性の時代が幕を開けようとしている。

 女子バレーには背負(ショ)い切れないほどのかつての栄光がある。競技人口の厚さ、広い裾野。根を張ったVリーグ。加えて、日本バレーボール協会の肝煎りで、世界規模の大会が毎年のように日本に誘致される。テレビメディアの便乗大はしゃぎ。どうしても実力より人気が先行してしまう。プレーヤーたちには辛かったにちがいない。筆者も責任の一端を感じないわけにはいかない。

 竹下は「ヒデ」型・「カズ」型でいえば、「ヒデ」の道を選ぶだろう。高橋も「シン」からの脱皮だ。おそらく「多治見」にはなるまい。競技の性格上、「カズ」の選択は難しい。杉山も同じくだ。佐野も、櫻井も、大村も …… 。「柳本ジャパン」はこれを汐に総入れ替えだ。というより、監督自身の去就が問題だ。この一年、余りにも無策だった。もはや世代交代の時機、文字通りの換骨奪胎に取り組まねばならぬ。(「ヒデ」型・「カズ」型については、07年5月16日付本ブログ「ヒデかカズか」で述べた)
 敗者の帰国に、テレビカメラのひとつも向けられることはあるまい。成田は淋しかろう。 …… またも、泣ける。
 「排球の佳人たち」が去る。彼女たちの青春も終わる。ピッチでは一敗、地に塗れても、人生の大勝負はこれからだ。次は、「畢生の佳人」たれ、と願わずにはいられない。 

 あと数時間、北京の闇に聖火が溶け入る。 □


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集まり、散じて ……

2008年08月20日 | エッセー
 幸か不幸か、一人の国会議員もスターもいない。芥川賞作家はもちろん、博士と名のつく人物も見当たらない。一方、いまだに塀の中で暮らす悪党も出なかったようだ。
 卒業以来初めてとなる小学校の同窓会。烏兎怱々。お天道様もお月様もまことに足が速い。実に40数年ぶりだ。物故者7パーセントは存外に少ない数字か。それにしても4割、60人の参集は上出来である。

 団塊の世代。全国、800万を数える。戦後、一呼吸を置いて生まれた。灰神楽が鎮まり、辺りがうっすらと見通せる頃合い。復興の足音が響き始めていた。戦後に始まり、「もはや戦後ではない」時期をくぐり、戦後を忘れ、風化する時代を迎えた。それが、この世代だ。
 「テレビの来た日」はそれぞれの記憶に鮮明に残る。週刊誌となった少年マンガに飛びついたのも、プラモデルの隆盛を担ったのもわれわれだ。ガガーリンにもアポロ11号にもしたたかに魅了された。TOKYOオリンピックの高揚に沸き、BEATLESの雷光に打ちのめされた。大人社会にアンチテーゼの狼煙を上げた時は、スチューデントパワーと呼ばれた。長じては、高度成長から次のフェーズを駆け、バブルに舞い、その崩壊に辛苦を嘗めた。昭和から平成へ、さらに20世紀から21世紀へ、そのメインストリームには常に圧倒的なマンパワーの団塊の世代がいた。日本史上、おそらく二度とは生まれない世代だ。

 去る者は日々に疎し、という。しかし半世紀にも近い星霜を経ると、疎ましいより初々しい。なかには『別人』との邂逅もいくつかあった。久闊を叙するよりも、誰何が先だ。だが、これが意外に難儀だ。特に先方がこちらの名前で呼びかけた場合なぞ、酔いも醒める窮地に。礼を失してはならぬ。ところが、名前が頑として浮かばない。まさか張三李四とはいくまい。日本には30万の姓がある。記憶に錘が付いて、水面に顔を出さない。話は進む。ぶら下げた名札を盗み見ようにも、裏返っていたりしたら最悪だ。ついには近くの知己に耳打ちをして尋ねる。ヤツも知らない時はお手上げだ。言い繕ってその場を逃げるほかない。
 遠来の輩(トモガラ)には、落葉帰根を密かに期する者もいる。それもひとつの選択だ。多いに歓迎したい。
 見目形が変わるのは解る。お互い様だ、メタモルは許そう。しかし南橘北枳は合点がいかぬ。それとも理解が稚拙だったか、幼少の記憶が変質したか。永い来し方はあらゆるものを押し流し、ひとときも停(トド)めてはくれぬものか。
 青梅竹馬も実らぬが華。空蝉はお飯事の舞台とはならぬ。だから座興にもなろうというものだ。

 60通りの軌跡を刻んで、皆がここにひとたび見(マミ)え、そして散った。胡蝶の夢とはいうまい。ひとりのセレブも生みはしなかったが、60人の主役の揃い踏みであったことは確かだ。

 ともかくも、宴は跳ねた。いよいよ「秋」の到来だ。「白虎」の季節だ。一服している暇(イトマ)はない。 

※「秋」と「白虎」については、06年9月30日付本ブログ「秋、祭りのあと」を参照されたい。 □ 


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「地球村の超人運動会」が始まる

2008年08月08日 | エッセー
 天野祐吉氏は洒脱なコラムニストだ。今月5日付の朝日新聞「CM天気図」がこれまたすこぶるいい。以下、抜粋。

 〓〓だいたい、オリンピックはずるい。欧米人に有利な体力勝負の競技が多すぎる。もっと日本人の得意な、たとえば「指相撲」とか「野球拳」とか「ダルマサンガコロンダ」とか、そういうものを正式種目に入れてくれなければ、なかなかメダルがとれないではないか。
 もっとも、テレビというメディアのおかげで、オリンピックは昔のような「国家対抗のメダル獲得競争」から「地球村の超人運動会」に変わった。主役は国家ではなく、フェルプスやイシンバエワや北島康介といった個人であり、国境をこえたスター選手たちである。テレビというメディアは、一人ひとりの人間は映せても、国家なんてものは映せないのだ。〓〓

 東京オリンピックを控えた四十数年前、校庭に集められてはさかんに「五輪音頭」を踊らされた。筆者、生来がシャイである。爾来、「音頭」なるものを頑なに拒む。
 開会式は寸分の狂いもない完璧な運営であった。紺青の空にジェット機が五色の輪を描く。当時としては画期的な演出だった。重厚にして軽快、故團 伊玖磨氏作曲の行進曲がしばらく耳朶に残った。
 早々の重量挙げ、三宅義信の快挙。人類最速の男、ヘイズの疾走。大松監督率いる女子バレーの偉業。ヘーシンクの勇姿。柔道が国際化した瞬間だった。市川崑監督の映画「東京オリンピック」の演出なきドラマ。息を呑む映像。焼き付いてはなれない、アベベの孤影。さまざまなことどもが輻輳し、当時を生きた日本人にエポックを刻んだ。
 同時にそれは東京をも一変させた。戦後復興のメルクマールとして、高度成長の絶頂を国土に印した。新幹線が東海道を貫き、高速道路が網の目を広げ、日本橋は覆われた。敗戦国日本が国際社会に復帰した輝かしいモニュメントであった。
 
 いま北京を視る時、たしかにいつか来た道だ。TOKYOと重なる。振り返れば、ソウルもそうだった。開催単位は都市とはいえ、国家の威信を背に負う。新興国の場合、特にそうだ。さらにTOKYOの時とはちがい、プロ・アマの垣根は取り払われ、テレビメディアの急伸とともに商業化もした。国威と国益が掛かる。
 開会式は回を重ねるごとにショーアップされる。前回をどう超えるか。趣向が凝らされ、知力、体力と、技術、資力の限りが尽くされる。しかし、こういう競争は結構ではないか。一国の総力を注いで大いに競(キソ)えばいい。「平和の祭典」にふさわしい文化の競り合いだ。ロゲ会長は全面的にスリム化を図るというが、開会式だけは埒外に置いてほしい。さて、「北京」はどうか。 ―― あと2時間余り。もうすぐだ。

 「オリンピックは昔のような『国家対抗のメダル獲得競争』から『地球村の超人運動会』に変わった。」と天野氏はいう。殊に個人競技ではそうだ。「楽しみたい」という選手のコメントも最近は当たり前になった。マイケル・フェルプスは星条旗のために泳ぐのではない。狙う8個のゴールド・メダルは彼の胸でこそ輝く。エレーナ・イシンバエワが5メートルのバーを跳び越えたのは、ロシアの力の証明ではない。女性の壁を破り、そのポテンシャルを証すためだ。北島康介の辛苦は日の丸の栄光に捧げられたものではない。「チョー、気持ちいい!」を味わうためだ。まず「超人」がいて、未到のレコードに挑む。それが先だ。
 チームプレーとて然り。「柳本ジャパン」であり、「星野ジャパン」であり、はたまた「なでしこジャパン」なのだ。このネーミング、すばらしいではないか。かつて「大松ジャパン」などとは言わなかった。ジャパンがあって、しかるのち大松がいた。今はそうではない。まず柳本晶一がいる。ジャパンチームである以前に、「柳本チーム」なのだ。それほどに個人を押し出す。大和撫子とはいいつつ、猛々しくもある。競技とのミスマッチのおかしさ。ついでに「ジャパン」をも喰っているようだ。
 「ジャパン」は国名から、そうではないなにものかに変わりつつある。国はあきらかに後景に退きはじめた。郎平はアメリカの女子バレーを世界ランキング3位に育て、井村雅代は中国のシンクロを世界4強のひとつに押し上げた。いまや狭量なナショナリズムは時代錯誤でしかない。

 無知と偏見を承知でいえば、カーリングと「ダルマサンガコロンダ」の間にさしたる違いはなさそうだ。「野球拳」は野球の後継種目としては異端であろうが、「指相撲」はいい。アーム・レスリングこと腕相撲も一考の価値ありだ。
 ともかくもこの「運動会」、「地球村」のビッグ・イベントだ。無事に終わることを切に望む。応援も運動会レベルで十分だ。勝っても負けても「村の運動会」なのだから。 □


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2008年7月の出来事から

2008年08月04日 | エッセー
●日雇い派遣を原則禁止へ
 格差問題への批判などを受け、与党が合意(1日)。厚労省が秋の臨時国会に労働者派遣法改正案を提出へ。
―― 賛否両論のある政策変更だ。専門職に限られていた「派遣」を原則自由に変えたのが1999年。「失われた10年」、「就職氷河期」の只中だった。今度は当初の原則禁止へ戻すという。世の動きに即応したフレキシビリティーは大事だ。しかし、政治の波に翻弄される若者たちが可哀想でならぬ。

●大阪・道頓堀の「くいだおれ」閉店
 看板人形の「くいだおれ太郎」の人気が最高潮に(8日)
―― ある学者の調査によると、「太郎効果」は三十数億円という。太郎は言うまでもないが、それにもましてあの女将だ。テレビメディアを上手に使い、閉店を逆手にとって大儲け。転んでもただでは起きぬ。難波商人の面目躍如だ。大阪のオバハンは健在である。

●北海道洞爺湖サミット
 福田首相議長を務め、2050年までの温室効果ガス排出量半減という長期目標を共共有することなどで合意(7~9日)
●世界貿易機関(WTO)多角的貿易交渉が決裂
 ジュネーブでの閣僚級会合で、途上国に限り認める特別緊急輸入制限(セーフガード)措置の発動条件を巡り、インド・中国と米国が対立(29日)
―― 二つをひとつの視点から捉える。つまり、パラダイムシフトが起こっている。四捨五入していうと …… 原油・農産物の高騰は投機筋の動きだけが要因ではない。BRICsだけでも30億の人口を抱える。人類の約半分だ。さらに他の新興国が続く。今までは8億人の先進諸国が世界の食料と資源を握り、廉価に抑えてきた。ところが中印が高度成長し、需要が急増した。供給が追いつかない。需給のバランスが構造的に崩れているのた。
 カネが貯まれば発言力も増す。ドーハ・ラウンドの決裂はその象徴である。対立の図式は【中+印 vs 米】。極めて明快だった。前後するが、洞爺湖サミットも然りだ。焦点だった50年までの温室効果ガス半減は、G8の責任は曖昧のまま。中印が加わった宣言では、「50年までに半減」の文言もなくなった。ただ中印などの新興国を議論のテーブルに着かせ、地球的な問題群に正対させたのは大きな成果だ。リップサービスだとしても、公の場で解決への協力を表明したことの意義は重い。
 G7がG8になり、実質的には中印を入れると、今やG10だ。つまりは、G(グループ)のビッグ・ワンたるアメリカが相対的に存在感を弱めている。20世紀を主導した『アメリカ帝国』が後景に退き始めた。それが印象に濃く残る洞爺湖とジュネーブだった。
 『帝国』の残映を追ったものの徒花ですらなかったブッシュは、次回のテーブルにはいない。

●「iPhone3G」日本で発売
 米アップルの携帯電話「iPhone3G」がソフトバンクモバイルから発売(11日)
―― ケータイ事情については前稿「電話もできるケータイ?!」で語った。筆者もすぐに乗り換えたいが、15年にもなるauユーザー。なかなか不義理はできぬ。伜は今月早々にiPhone3Gに買い替えた。義理も人情もないヤツだ。

●野茂英雄投手が引退
 トルネード投法で日米通算201勝。「悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る」(17日)
―― 07年5月16日付本ブログ「カズかヒデか」でこう述べた。
 〓〓カズ型か、ヒデ型か ―― いいか悪いか、という話ではない。あなたはどちらに惹かれますか、という話だ。スポーツは人生の写し絵でもある。準(ナゾラ)えもできるが、現身(ウツセミ)は儘ならぬことだらけだ。その通りにはいかぬ。いわゆる「定年」以降の話ではない。むしろ絶頂は現役の直中(タダナカ)にあり、その後も依然として現役であり続けねばならぬところに難儀はある。絶頂が定年に重なればこれほどの僥倖はあるまいが、万に一つだ。〓〓
 愚稿の中で、桑田真澄、野茂英雄、有森裕子を『カズ型』に入れた。「僕の場合は悔いが残る」との発言は、『カズ型』を奇しくも傍証する。桑田が引退を発表したのが3月。またひとつ星が流れた。

●大雨、増水で児童ら5人死亡
 神戸市の都賀川が急激に増水、川遊びの児童らが流された(28日)
―― 事故は「親水公園」で起こった。一瞬にして『恐水公園』と化した。なぜか。河川政策の誤りだ。
 宅地開発のために川を細くしたのだ。都賀川でも、70メートルもあった川幅が11メートルに狭められた所がある。当然、より深くせねばならない。川は低くなった川底と切り立った両岸をコンクリートで固められ、「排水路」に役割を変えていった。その後自然環境への意識が高まり、川底に自然石を配置したり護岸内部に遊歩道を造って「親水公園」という名の『憩いの場』へと変わっていく。しかし、本質は排水路である。人工の排水路を「親水」と偽称したにすぎぬ。川上はもとより、周辺の水を短時間に集めて一気に流す。だから、事故は起こるべくして起こった。
 避難誘導システムの整備を論ずる前に、河川行政の錯誤を認めることが先だ。お為めごかしの「親水」など即刻止めるべきだ。「これからは川から逃げ遅れないような警報の出し方や避難誘導システムの導入を検討したい」と、県の担当者が話したそうだ。はなしはあべこべだ。こういう役人こそ大阪湾に流してしまいたい。

●漁師が一斉休漁
 燃料費の高騰を訴え、全国20万隻の漁船が(15日)。政府は燃料費補助を盛り込んだ原油高対策を発表(29日)
―― なぜ漁業だけに、という疑念が起こる。まず燃料費は漁業のコストの3~4割を占めることが一つ。運送業界が1割だから格段に違う。もろに原油高の大波を食らっている。二つ目に、市場での競りで価格が決まること。工業製品のように直交渉ではない。言わば、「買い手市場」なのだ。コストの増加を価格に転化しにくい構造だ。おまけに、近年の魚離れである。価格は低迷を免れない。
 指摘されるように、単なるばらまき支援で終わってはならない。これを機に、省エネや流通改革など漁業の体質転換を図っていかねばならない。なにせ日本はEEZ世界第6位の「海の国」だ。捨てたものではない。
 まな板に乗った魚の目が怖いといって捌けないヤングママ。まずはこの辺りからなんとかせねばならない。『さかなクン』にも大いに奮闘を願いたいところだ。

●イテローが日米通算3千本安打
 34歳9カ月で。4千本安打も「ものすごく遠くだけど、見えないことはない」(29日)
―― 少なくとも米国では、クロサワを凌ぐ一番有名な日本人だ。張本の記録は指呼の間。有言実行がイチローの魅力の一つだ。「見えないことはない」金字塔を是非とも仰ぎ見たい。

●哀悼 …… 大野晋さん (国語学者)88歳(14日)
―― もちろん著作でだが、いろいろなことを学んだ。教訓にしていることもたくさんある。持論の日本語「南インド起源説」も魅力的だった。米寿での他界。御冥福を祈るのみ。 
(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げました。見出しとまとめはそのまま引用しました。 ―― 以下は欠片 筆)□


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