伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ガードレールの謎

2011年10月31日 | エッセー

 中学生だったころ、ひとつの大きな謎を抱えていた。なぜガードレールは路肩にあるのか。
 当時急速なモータリゼーションの最中(サナカ)で、新設や既設の道路にさかんにガードレールが拵えられていた。「交通戦争」と呼ばれた時代で、事故が多発し戦争のように死傷者が累増していた。まだ歩車道を別つブロックもなく、白線が引かれただけの道路が大部分だった。もちろん歩行者でしかなかったわたしは、ならばなぜ道路の端にそれを作るのか、むしろ歩道を区切る白線上に設置すべきではないか、と引っ掛かっていたのだ。
 長じて、謎は解けた。あれは歩行者ではなく、車を守るための設備なのだ。撓んで衝撃を吸収し、かつ車が道路から飛び出さないような構造になっている。さらに自ら車を運転するようになってからは、もしも歩道の白線上にあれば走りにくく返って危ないと得心するようにもなった。まことに身勝手なものだ。
 つまりは視点をどこに置くか、立ち位置をどこに取るかで見え方は変わる。変わるどころか、見えたり見えなかったりする。交通事故などはその具象的な典型であろう。思考とて同じだ。春秋の筆法が生まれる所以である。
 唐突だが、「生類憐みの令」は天下の悪法とされる。ために、後期は「犬公方」として綱吉の評価はすこぶる低い。しかし「生類」とは生きもの全般を指し、猛々しい武士の気性を和らげて泰平の代に馴致させようとしたとの再評価もある。
 さらに田中角栄というと、金権政治の権化とされる。「日本列島改造論」を打ち上げて土建国家へと走った。しかし経済復興を区切りに、対米追随から自立へパラダイム変換を図った側面は見落とされがちだ。対中国や対中東外交、原発推進の底意もそこにあった。
 例には事欠かぬが、ワン・フレーズの『春秋』では明解ではあっても多面性や重層性は失せる。発言者の立ち位置をしっかり掴んでいないと、交通事故よろしく見えた見えないの水掛け論に堕す。それに先入主でもあれば、論議はいよいよ不毛を極める。ついには夜郎国王の自大に鼻を抓んで御免被るしかあるまい。
 肝要なのは複眼の視座ではないか。自己本位の閉じた発想に豊饒はない。想像と創造は踵を接する。彼岸に視点を置く想像力は、此岸に時ならぬ創造の稔りをもたらす。世に言う逆転の発想はこの伝だ。
 山中伸弥教授は「じゃま中」と渾名されるほど手術が下手だった。臨床から研究へ進路を変えたのはそのためだった。iPS細胞は受精卵からの細胞分裂を逆進する発想が開発をもたらした(立花隆氏はこれを「タイムマシン」と呼んでいる)。

 蒸し返すが、やはりガードレールは合点が行かぬ。「車社会」という転倒のスタンスが車をガードするレールを生んだにちがいなかろう。車にも命は乗っているが、歩行者も命だ。どちらが交通弱者かは言うまでもない。歩車道の完全分離ができない以上、ガードすべきは弱者ではないか。技術を駆使した新時代のガードレールを俟つか、当今の自転車問題を含め道路のあり様をドラスティックに変えるか。スタンスの転倒を正さねばならぬ。
 「安全保障」とて同様だ。「国家の安全保障」と「人間の安全保障」はアンビヴァレンツである。象徴する話がある。司馬遼太郎の講演から一部を引く。
──私は戦車兵でした。敵が東京湾や相模湾に上陸したら、出ていく。これが私どもの戦車連隊の役目だったわけです。あるとき、参謀肩章をつけた大本営の偉い人がやってきて、いろいろ説明したことがあり、私はちょっと質問してみました。敵が上陸してきたら東京の人は逃げることになる。大八車に家財道具を積んで北のほうに逃げるとすれば大混雑するだろう。「途中の交通整理はどうするのですか」大本営の人は頭をひねって、「轢き殺していけ」これにはびっくりしました。日本人が日本人を守るために戦争をしていて、それで日本人を轢き殺していけと言う。不思議な理屈ですね。──
 墨子は戦争の不採算を説き非戦論を唱えたが、2400年を経てもいまだに褪せてはいない。膏血を絞って贖う兵器が、「人間の安全」を保障するだろうか。人類が歴史に学んでいない最大の教訓は、戦争の二文字だ。□


『卯の大変』

2011年10月25日 | エッセー


 「亥(イ)の大変」とは、304年前の江戸中期、宝永4年(1707年)に東海から南海を襲った大地震・大津波と富士山の大噴火をいう。片や「3.11」以前では記録に残る最大の地震であり、片や歴史上最後の(直近の、ともいえるが)大噴火であった。この度富士山は噴かなかったものの、原発事故をそれに準えると、今年は『卯(ウ)の大変』といえるかもしれない。
 宝永地震は東海・東南海・南海連動型で、南海トラフ沿いを震源とする海溝型地震であった。マグニチュードは8.7、震度7、津波は最大25.7mに達した。死者は2万人余に及び、田畑の損壊は30万石(仙台藩が半分消えた勘定になる)、その他広範囲に甚大な被害をもたらした。
 宝永大噴火は地震の49日後に起こった。平安以来記録されている富士山三大噴火のひとつである。溶岩流はなかったものの大量の火山灰が噴き出し、100キロ離れた江戸が灰に塗れた。幕府は火山灰の除去費用に当てるため出目(貨幣改悪鋳造)を強行し──出目は元禄時代のデフレ対策として行われ、ある程度の効果があった──ひどいインフレを引き起こした。
 右肩上がりだった元禄の世は、「亥の大変」により急降下することになる。新田開発、米の増産、人口の急増も頓挫し、拡大路線は修正を余儀なくされた。荻原重秀に替わり新井白石が実権を握り、引き締め路線、内実重視へと舵を切った。続く享保の改革を経て、経済構造に本質的な矛盾は孕みつつも低成長を基調とした流れができる。のち幕末まで、1世紀を優に越える泰平が続き撓わな文化が稔った。

 因縁話をするつもりはない。歴史に安易な繰り返しモデルを探るべきではない。ただ、そこに教訓を学ばないとしたら歴史を知る意味は失せる。
 報道によると、今世紀に入り世界の自然災害が急増しているそうだ。90年代には年間200~300件だったものが、400件に達しているという。とりわけ水害が多発し、最近5年間では半数を超える。タイでも目下進行中だ。
 20世紀は戦争の世紀だった。極悪の人為により膨大な屍が晒された。もしかすると、21世紀は天変の世紀かもしれない。人為を超える天意に、累々たる屍の山ができるかもしれぬ。したくもない想像だが。
 しかし、新興国の工業都市化が大地の保水力を奪っているのではないかと指摘する識者もいる。無軌道な自然破壊も地球規模で進む。原発も然り。人為の介在が天変を誘発したり増幅していることも確かだ。
 『卯の大変』は世界的で、かつ示唆的だ。「亥の大変」が江戸時代のターニング・ポイントになったように、まず日本が先駆けてターンできるか。「大変」とは大きく変わる、または変えると訓(ヨ)みたい。□


惚れてまうやろ!

2011年10月21日 | エッセー

 白状すれば実は経済音痴である。本ブログで偉そうに税制がどうの、国債がどうのと言ってきたのは酢豆腐の戯れ言であった。能がないから自家製は無理だが、買い求めようにも銘店犇(ヒシ)めいて決めかねていた。だからといって、斉東野語ばかり繰り返していても詮無い。ならば、やはりどこかの豆腐屋を贔屓にするほかはあるまい。
 そんな折、極上の豆腐に巡り合った。美味である。絶品である。無理にとはいわぬが、ぜひ御賞味あれ。

 共感の言々句々──
◆国は、本当は上ではなく国民の下にいる。
◆政治とか行政というのは基本的にサービス業だ。国民国家というのは、国家が国民に対してサービスを提供するという構造物なのだ。国家は国民に奉仕する、そういう位置づけを政治家が認識していなければならないのに、全然そんなことを思っている政治家がいない。
◆政治に主導力は必要ない。政治はあくまでも国民についていく「フォロワー」でないといけない。国民が示した方向性に向かって照準をしっかり合わせて、最高のサービスを提供していくというのが政治家に課せられたミッションだ。そのために我々は彼らを税金で養っている。
◆政治家は「公僕」である。「シビルサーバント」というぐらいだから、国民の「召し使い」なのだ。
◆実は市民というものは、国家を超えて、国民という概念を踏み倒し踏み越えたところに出現するものではないか。「社員」とか「国民」は存在したが、「市民」というものはなかった。
◆弱みを強みに変えればいい。経済成長時代が終わったということは、みんなもう、あまりあくせくしなくてもいいということだ。ゆとりができる。また、日本が憲法で軍事的腕力を封印していることを嘆く向きもあるが、丸腰ほど人に安心感を与えるものはない。
◆日本は資源がなくて対外依存度が非常に高い。これもまた大変な弱みであると言われるが、対外依存度が高いということは、逆に他国との絆を大事にする姿勢につながるはずで、何より「自由、無差別、互恵の通商」という高い理想を掲げる国々の先頭に立つことができる。これが食糧自給率が高かったり、資源もいろいろな物をちゃんと自分で確保したりした上で、「自由、無差別、互恵の通商」が大事だと言っても、「言っていることと、やっていることが違う」などと言われかねない。しかし、実際の日本には食料や資源を確保している実態がないから、本音と建前が一致している国だと見てもらえる。
◆グローバル時代のヒーローというのは、スーパーマンではなくて「ドン・キホーテ」的なものだ。ドン・キホーテという人物像の特性は何か、これはひとえに「あなたさえよければ」という利他の思いに満ちているところにある。世のため人のために役に立ちたいというミッションを持っているわけだ。もう一つ、他人依存度が強いという特徴もある。何しろサンチョ・パンサがいなければ、いくら頑張っても何もできないのがドン・キホーテ。そして腕力がない。利他的精神に満ち溢れ、他人依存度が高くて、そして腕力がない。この三つの条件が備わっている者にこそ、グローバル時代のヒーロー役がふさわしい。──(抄録、“ですます”調を“だである”調に改めた)

 先日、教えを乞うた浜 矩子先生である(9月16日付本ブログ)。これらの至言の数々は、最新刊「成熟ニッポン、もう経済成長はいらない」にちりばめられている(同志社大学教授 橘木俊詔氏との対談。朝日新書、今月刊)。諸手どころか、両の足も挙げて大賛成である。特に「日本は資源がなくて対外依存度が非常に高い。云々」の段は、かつて本ブログに提示した主張の通りである。大いに我が意を得たりだ。
 こういうスタンスの人なら信が置ける。徹した下から目線には心が躍る。柔軟な逆転の発想にはカタルシスを覚え、利他の精神にはハタと膝を打つ。
 過日は「白雪姫」に登場するリンゴ売りなどと悪態をついたが、人を見掛けで判断してはいけない。損をする。「お顔と同様に、論旨は異端、極論とはいえぬが、エキセントリックではある。物言いも傍若無人とはいえぬが、かなりキツイ。」と、上げたり下げたりもした。汗顔の至りだ。穴があったら入りたいが、ないので先を続ける。

 驚きの言言句句──
◆日本は今や典型的な成熟債権大国になっているのに、巨大なる天才子役みたいな中国と張り合わなくちゃいけないと本気で考えている。
◆日本は衰退の甘い香りを味わいながら生きていけばいい。いつまでも未来永劫、成長し続けられるわけがない。老衰の結果として消滅した国家というのはこれまで一つもない。
◆「内なる細胞分裂」がキーポイントではないか。外に向かっていく成長路線ではなく、内にあって細胞分裂が進む。そのことによって、活性が高まる。
◆豊かさの中の貧困問題を解消するには、どうしても細胞分裂型による内なる小宇宙群の形成が必要だ。
◆何かにつけて人とつながりたいと思う願望は、ともすれば結構、自己都合的な側面を伴う。最近のスポーツ選手は、やたらに「応援よろしくお願いしまーす」って言う。あれって、どうもすごく鬱陶しい(笑)。
◆グローバル時代になったことで、国民国家というものが非常に政策能力の低下を強いられている。それを端的にあらわしているのが、いろいろな国々が軒並み財政破綻状態に追い込まれていることだ。
◆「一ドル50円」というとどうしても「円高」ととらえられがちだ
が、そうではなくて「ドル安」である。ドルが過大評価されていることの修正が、ここまできている。
◆不可避的に基軸通貨の時代ではなくなる。もはや「パックス誰それ」などという国はどこにもない時代が到来している。
◆これからの通貨体制は、国の数より通貨の数が多くなるという流れだ。例えば「九州円」という独自通貨を持つ。国民国家が適正な通貨圏としての力を失うのではないかと見ている。
◆「無軸通貨時代」とでも言うべき時を経ないと、次の時代には行けない。その混沌の中で何が起こるか? 地域通貨が活躍するプロセスに入る前に、私は多分ユーロは消えてなくなるというふうに思っています。
◆「EUに学べ」とか「アジア版ユーロ圏を目指せ」という話が下火になればなるほど、アジア地域における経済的融合がうまくいく可能性が高まる。
◆TPPはアメリカから押し付けられた「貿易不自由化」である。TPPは相当に声高な悪魔のささやきではないか。
◆日本の国債は大半を日本人が持っているから大丈夫だという言い方がされるが、本当のことが隠蔽されている。体質としては、ヨーロッパの財政が悪い国々とまったく同じだ。
◆20世紀までは収斂のプロセスだったが、20世紀はもう終わった。グローバル時代である21世紀に入ったとなれば、その逆の分散の力学が時代特性となってもおかしくない。だからEUは古いのだ。
◆若者たちがやたら資格を取っているように、手に職をつけたいと思っている学生がとにかく多い。でも、この傾向が続くときちんとものを考える人材がいなくなり、日本が世界のドン・キホーテになることも難しくなってしまう。
◆アメリカ人が大人になる日が来るのかどうか、大人になりきれなくて若死にするという気もするが……。アメリカは実はまだ先進国の域に達していないとも考えられる。──(抄録、“ですます”調を“だである”調に改めた)

 かなりエキセントリックな発言が並ぶ。意表を突く見解もある。目から鱗もある。一部であり端折ってもいるので中身は前掲書に当たっていただくとして、痛打の連続である。豆腐の角で頭をぶつけて死ぬのは適わぬが、この豆腐はひょっとするとそれほど硬い。少なくとも浅見、我見、偏見の類は脆くも壊れた。豆腐屋さんはこれで決まりだ。かくなるうえは多少の疑問符は潔く飲み込んで、御高説を拝聴するに若(シ)くはない。
 こうなってくると、『リンゴ売り』どころかアバタもえくぼ。なんだか、先生がチャーミングに見えてきた。ここで少し古いが、「Wエンジン」のギャグを一発…………『んー、惚れてまうやろ!』
 おー、怖ッ! □


新聞スクラップ

2011年10月17日 | エッセー

■ 羽があるのに
〓〓F2戦闘機6機を修理へ=津波で水没―防衛省
 防衛省は、東日本大震災の津波で水没した航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)のF2戦闘機18機のうち、6機を修理して再使用する方針を決めた。残り12機は被害が大きいため、処分する。2011年度第3次補正予算案で、修理費約1090億円(契約ベース)を要求した。修理が順調に進めば、5年後に再飛行できる見通しだ。
 防衛省は水没した18機について、既に約136億円を投じて修理が可能かどうか調査していた。18機のほとんどが、海水に漬かって電子機器類が使えなくなっていたり、エンジンや機体が腐食したりしている状態という。〓〓(9月18日付朝日)
 後日、天声人語も取り上げた。
 鴨長明が京都で起きた地震を「羽がなければ、空をも飛ぶべからず」と歎き、今回の大地震でも飛んで逃げたカモメをうらやむ声を聞いたと綴った後、
〓〓「羽があるのになぜ」と思わせたのが、宮城の航空自衛隊松島基地で津波を浴びた戦闘機である。1機110億円で買った18機が水没した。「お粗末」という投書が先の声欄に載った。
 離陸には時間がかかり、間に合わないとの判断だったという。無理をすれば人命も危なくなる。それは分かるとして、これだけの損失と出費を、気前よく不問には付せない国民も多かろう。
 不作為の責任はなかったか。次期戦闘機という総額1兆円規模、ピカピカの買い物の前に、進んでの検証と開示が欲しい。〓〓(10月14日付、抜粋)
 と苦言を呈している。
 「離陸には時間がかかり、間に合わない」はおかしい。津波の到達まで10数分もあったのにスクランブルが掛けられないのでは、なんとも間拍子に合わない。何のために羽を付けているのか。第一、何のためにそこにいるのか。陸自は涙ぐましい救援活動で大いに名を高からしめたが、空自で相殺されてしまった。こないだは名を落としついでに燃料タンクまで落した。国会も、マスコミもこのようなムダをきちんと糾すべきだ。1090億円は膏血である。最低限、関係者を厳しく処分すべきだ。津波はコントロールできずとも、シビリアン・コントロールの健在は見せてほしいものだ。

■ おーい、行くとこがちがうゾ! 
〓〓菅氏のお遍路 大師も困惑?
 誰であろうと、お遍路をするのは勝手だが、議員の仕事も出ず、のんびりとお遍路をしていていいのか。大震災からの復興と原発事故の1日も早い収束を祈ったそうだが、遠く離れた四国からでは、祈りが届くとは思えない。菅氏が行くべきは多くの被災者が今も苦しんでいる被災地である。首相としての不始末や至らなさを反省しつつ、被災者の声に耳を傾け、一議員として努力すべきだ。遍路に出るなら議員を辞めてからにしてもらいたい。議員歳費をもらいながらの遍路旅は認めない。〓〓(10月10付朝日「声」欄、抜粋)
 やはり具眼の士はいるものだ。まったくその通りだ。おまけにSPまで付く。なにを仰々しい。当然公費だ。飽きもせず、またぞろ安っぽいパフォーマンスか。鳩ぽっぽといい、カンちがいといい、どじょうといい、『どーじょう』もないノダ(お粗末!)、この政党は。

■ 神がかり
〓〓沢選手ら招き園遊会 陛下、決勝守備に「びっくり」
 天皇、皇后両陛下が主催する秋の園遊会が13日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、約2千人が出席した。園遊会は今春は震災のため中止しており、昨秋以来1年ぶり。
 女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」主将の沢穂希選手は水色に花柄の振り袖姿。ワールドカップ(W杯)優勝について天皇陛下に「おめでとう。ずいぶん練習されたでしょう」と言葉をかけられ「佐々木(則夫)監督のもと、たくさん練習しました」と答えた。W杯決勝PK戦でGK海堀あゆみ選手が足でシュートを止めたことについて天皇陛下は「足でああいうことができるのかなとびっくりしました」と感想を述べ、佐々木監督は「神がかりでした」と答えた。〓〓(10月14日付朝日)
 佐々木監督の応えが絶妙ではないか。世が世なら現人神であるお方に「神がかり」とは、きわどくもあり、間が抜けているようで可笑しくもある。こんなやり取りが平気で交わせて、軽い笑いが起こる。皇室との距離も程よいのではないか。
 巧まず出てきた言葉であろうが、この監督はピッチ外でも相当イケる。□


はじめてのねんきん

2011年10月15日 | エッセー

 振り込むという通知がきた。初めてである。ついに馬齢がそこにまで至ったかと涙を啜りつつ開封して、悲嘆は驚嘆に、驚嘆は慨嘆に変わった。尾籠ながら、仕舞にはタン(痰)まで出た。
 目を疑うほどの少額である。現役続行中とはいえ、あまりに少ない。日本年金機構とやらに電話して、これは月額であるか、さもなくば(ここはしっかりドスを利かして)年額であるかと確かめた。間、髪を容れず、窓口のお姉ちゃんにあっさりとかつ極めてさっぱりと、年額ですと返されてしまった。言葉を失い、嗚咽を堪(コラ)えながら、電話を切った。
 「年」金というのだから、やはり年額なのか。あわてて字引を繰ると、「一定期間、または終身にわたり、毎年、定期に支払われる定額の金」とある。ええい、紛らわしい。「定期」が曲者だ。毎年支払われるから年金だとして、こちとらには定期と定額が問題なのである。別けても定期が喫緊の関心事だ。定額の価値は定期によって変わる。もしや日額では、などとセコいわたしなどはいけない妄想をしてしまう。世にはこのような分からず屋もいるのだから、通知書にはそこをキチンと明記してほしいものだ。こんな不親切な通知書を五万と出しては、事務手数費の方が高くつきはしないか。
 想像や期待を裏切る少額は、きっと賦課方式によるためだ。仕送ってくれる若者たちの稼ぎが少ないのか、いただく側の頭数が多すぎるのか。たぶん後者であろう。人口変動が賦課方式のボトルネックであってみれば、止むを得ないことでもある。税方式に切り替えるべきだと主張する某政党もあるが、税額の急増と移行期間の不公平が思慮にない。だから、考えていないに等しい愚案といえる。
 しつこいが、少額である。この世との手切れ金にしてもあまりに薄情だ。これではお小遣いにしかなるまい。はじめてのお小遣い、いや人生二度目のお小遣いだ。孫でもいれば本物のお小遣いになるが、あいにくそのようなものを未だ持ち合わせていない。ならば、日ごろの労を労って荊妻に。んー、悪くはないがクセになっては薮蛇だ。では、コツコツ「使ったつもり貯金」でもするか。塵も積もれば山とはいうが、貯金などという悪癖、悪習はからきし身についていない。いっそ10倍ぐらいのデノミをしたつもりで、『大金』を自分で散財するか(デノミには下げばかりではなく、上げもある)。

 「はじめてのおつかい」という番組がある。隠し撮りには大目をつぶるとして、実にあどけない。かわいい。同じ枕であっても、「はじめてねんきん」ではあどけなくも、かわいくもない。だからここは「はじめてのお『こ』づかい」とオヤジギャグを飛ばして、かわゆくしてみようか。ひょっとしてあどけないとはいえても、断じてかわゆくはない。ええい、儘よ。貧乏花好き、どこかで『大金』に見合う「花」を探すとしよう。□


病友

2011年10月13日 | エッセー

 先日引いた浅田次郎著「アイム・ファイン!」は、これもかつて引いた「つばさよつばさ」の続編である。JALの機内誌に連載されたエッセーをまとめた作品である。前著は先月、文庫本となった。その「一病息災」と題する章に至って「おおーっ!」と雄叫びを挙げ、跳び上がるほどに驚いた。なんと、氏は08年夏、狭心症を患っていたのだ。

 「ひどくデモーニッシュな力で、ググッと羽交い締めにされるかのよう」な胸の痛みを感じたそうだ。歯医者のついでに行った内科で「狭心症」との診断は出たものの、「全然ピンとこなかった。なにしろ風邪ひとつひかない健康優良オヤジである。心臓には毛が生えているはずであった。」と高を括って、薬を飲みながらの暴飲暴食。果ては新潟競馬へ遠征。帰路、絶頂の痛みが。ついに医大病院でカテーテル検査を受け、冠動脈の一部が「九九パーセント閉塞」という病状が判明。そのままステント留置術となった。
 「エイリアンと格闘すること二時間、わたしの心臓は甦った。」そして、二週間の入院。
「退院時に医師から申し渡された今後の留意点は、かなり厳しいものであった。 
 まずは禁煙。一日千六百カロリーの食事制限。減塩。減糖。体重を六十三キロまで落とす。毎日の運動を心がける。サウナ厳禁は言うに及ばず。
 トホホ、である。このようにストイックな生活は考えるだに情けない。」
 「要するにこの先、禅僧のごとき生活を余儀なくされるらしい。」と、『泣きの次郎』が『ぼやきの次郎』へと変わる。
 
 実は同じ年の冬、わたしも同じ病に罹っていた。その折の体験は「囚人(メシウド)の記」と題して、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ と(病名は伏せて)本ブログに載せた(08年1月~3月)。わたしの場合、ステントは時すでに遅くバイパス手術となった。施術は7時間、入院は3カ月に及んだ。ⅠとⅡは、病床で看護師の目を盗みつつ綴った。Ⅲは、術前後のことでさすがに退院後に記した。
 6つの節を立て──
 誤診のために、措置が遅れたことを< 藪 >に。初めての体験で考えた入院という名の<逮捕>について。病院食に<刺身>が出た驚き。最後の晩餐か、病院倒産の自棄(ヤケ)のやんぱちか。手術直後の容赦ない看護婦の歩行指導を呪った< 鬼 >。早朝の採血、検査ばかりの医療への疑問を呈した<ドラキュラ>。浅田次郎著「壬生義士伝」に<インスパイア>されたこと。
──などなどを書き留めた。
 いま読み返して感慨一入。あらためて身につまされる。しかも結構、いい出来でもある(誰も誉めないから、自分で)。
 同病、相憐れむ。「相」でなく一通ではあるが、高名で、かつ敬愛する作家と同じ時期に同じ病に臥せたとは、なんとも光栄である。ならば、『同病、片慶ぶ』であろうか。あるいは、戦友ならぬ『病友』ともいえようか。愛読者冥利に尽きるというものだ。
 「退院時に医師から申し渡された今後の留意点」は、当たり前ではあるが当方と酷似している。ただサウナ厳禁は、風呂嫌いのわたしには痛くも痒くもない。今も続いているかどうは知らぬが、氏は禁煙はさして応えなかったという。わたしは禁煙ではなく、『卒煙』を宣言した。だから忘れたころに、懐かしい『同窓会』を催す。
 エッセイはぼやきで終わらず、次のように結ばれる。


 制約を受けた自分がいったいどんなふうに変容してゆくのか、興味も覚える。なにしろ五十六歳の今日まで、自由奔放に生きかつ書いてきたのだから、病という埒を設けられれば、これまで予想もしなかった世界が展(ヒラ)けそうな気がするのである。
 ともあれこのたびの椿事は、知れきった往生をせぬために小説の神様が与えて下さった、「一病息災」の好機であると思うことにしよう。


 流石である。転んでもただでは起きぬポジティブ人生。氏の掲げる「絶対幸福主義」であろうか。「知れきった往生」は市井の民にとっても厭わねばならぬ。あれから3年、「好機」は活かされているか。「今後の留意点」にわが身を照らし、『病友』の名に恥じぬ後半生を期したい。□


嫌いな訳

2011年10月09日 | エッセー

 他人様(ヒトサマ)にすれば噴飯ものであろう理由により、わたしは Mac は元より iPod も iPhone も iPad も使わない。もちろん、食い物の“マック”は別だが。
 Apple Inc.が嫌いなのだ。正確にいうと、社名に“Apple”を僭称することに我慢ができないのである。Appleは、われわれ年季の入ったBeatles贔屓にとってはまことに神聖かつ不可侵な名である。Appleとはすなわち、 Apple Corps Ltd. 以外にはあり得ない。すでに一般名詞ではなく、固有名詞である。わたしのようにすっかり参り続けている人間にとっては、もはやappleでさえ食物ではない。ヒンドゥーにとっての牛と同様、観賞はしても喰ってはならぬものだ(幸い、嫌いでもあるが)。ましてや一民間企業の名乗りに冠するなぞは、神を畏れぬ、天に唾する不届き、不心得ではないか。と、これが嫌いな訳である。噴飯ものであろうが、至って本気である。だから新し物好きでは人後に落ちぬのに、この会社の製品にだけは手を出していない。
 笑い話だが、はじめはアップルがアメリカでPC製作に乗り出したと破天荒な誤解をしていた。後、商標権を巡る訴訟に及びやっと判った。ほとんど能天気だ。
 当然、ジョブズなる人物に好感を懐くはずはない。先日の死去にもとりたてて感懐はない。ビル・ゲイツの「私たちは30年近く前に出会った。人生の半分以上は競争相手であり、友であった」には納得するが、ダビンチに併称される現代の天才だとする孫正義氏のコメントは肯んじられない(ステークホルダーである事情を差っ引いても)。レオナルドに失礼だ。マウスは独創的だが、レオナルドが考案した飛行機ほど革命的ではない。iMacに幾何学的美観はあっても、モナリザのように微笑みはしない。だったらお前やってみろと詰め寄られそうだが、それができたらここでこんなことはしていない。
 彼の訃報で、かねてのわだかまりがにわかに浮いてきた。なぜ日本で iPod や iPhone は生まれなかったのか、である。
 もともとiPodはソニー・ウォークマンの後継が狙いだった。ところが、ソニーはiPodを作れなかった。進化から隔絶したガラパゴス諸島のように、自前にこだわり過ぎた結果ではないか。独自の技術、パーツ、製造の自前路線を走り、差別化を図った。「世界に一つだけの花」を売ろうとした。
 アップルは技術、パーツ、製造はアウトソーシングし、商品を使う仕組みを作ろうとした。花が繚乱する「一つだけの世界」を売ろうとしたともいえる。クリエイションというよりキュレーションである。こちらが積み木細工だとすれば、日本はジグソーパズルともいえる。積み木はありきたりのパーツで如何様な形にもなるが、ジグソーパズルには解は1つだけだ。ストラテジーがまるでちがう。これでは敵わない。

 話を踏み外す。『痔主』についてだ。
 浅田次郎日本ペンクラブ会長は、つとに知られた痔主である。それもかなりの大痔主らしい。その氏がシャワートイレの発明を痔主への福音とし、「やはり日本人はすごい」と大絶賛している。以下、随筆集「アイム・ファイン!」から。(◇部分)
◇まさに大発明である。この発明は、たぶんテレビとかラジオとか自動車とか、それくらいのレベルの大発明であろうから、アッという間に世界中に行き渡るであろうと考えた。
 しかしふしぎなことに、なぜか国外でシャワートイレを見かけることはない。
 大いなる謎である。◇
 と疑問を呈する。
◇理由は価格であろうか。たしかにシャワートイレの価格は、痔主にとっては安いけれど、非痔主にしてみれば贅沢であろう。◇
 二つ目にトイレ自体の重要性。
◇外国人はさほどトイレの設備にこだわらない、という気もする。高温多湿で人口も過密である日本は、伝統的に衛生感覚がハイレベルで、風呂とトイレには執着する。しかし外国人は、われわれほど生活の中において、トイレの設備になどこだわらないのではなかろうか。たとえば、バスとトイレが同じ場所に共存するという欧米の伝統など、その証明であろう。パリの高級レストランでも、しばしばトイレの粗末さにあきれることがある。◇
 として、さらにある研究者の分析を紹介する。
◇そもそも、国産のシャワートイレは便器の国際規格に順応していない、というのである。言われてみればなるほど、ヨーロッパ先進国の便器はわが国のそれに較べてずっと小さい。◇
 「小さい」とは意外だが、雪隠までもガラパゴス化なのか。これでは輸出の切り札がふん詰まりになる(失礼!)。その先生は畳み掛ける。
◇アメリカ人はシャワートイレに出くわしたとたん、面白がって遊んでしまうというのである。ために試験的に設置したトイレは、たちまち水びたしになり、その先のセールスにはまったく結びつかぬのだそうだ。◇
 これには眉唾を呈して、結びは哀願に満ちる。
◇痔主の個人的見解としては、日本人の手になるこの偉大な発明を、いち早く世界に普及させてほしいと切に希う。これは父祖が営々と築き上げた便器先進国の務めであろう。
 かくてこそ世界中の痔主は神の顕現にも等しい福音を与えられ、私の旅も平安なものとなるのである。◇
 JALの機内誌に連載された作品である。世界を結ぶ飛行機の中で、「世界中の痔主」に「神の顕現にも等しい福音を」と氏は呼びかけている。なんとか氏の願いを叶えられないものか。シャワートイレよ、ウォークマンの轍を踏むな! いつの日か、日本発『トイレの神様』たれ。またしてもアメリカに出し抜かれてはならぬ。油断は大敵だ。『世界に一つだけのシャワートイレ』ではなく、シャワーの虹が結ぶ『一つだけの世界』を作ろう。

 それにしても、ステイーブ・ジョブズ(=Jobs)、その名のごとく多くの仕事を成した生涯であった。冥福を祈りたい。□


よぉ、桜吹雪??

2011年10月06日 | エッセー

 片肌脱いで「この桜吹雪、散らせるものなら散らしてみろぃ!」と啖呵を切って、大立ち回り。そこに同心たちが駆けつける。気がつくと、金さんの姿がない。
  後日のお白洲。正面には「至誠一貫」の扁額。遠山奉行が御成りになって、吟味がはじまる。被害者は、一部始終を知っている金さんを証人にと求める。悪人どもは端(ハナ)から認めず、すったもんだの大口論に。極まったところで、謹厳な遠山奉行がにわかにべらんめーに一転し、
「おうおう、黙って聞いてりゃ寝ぼけたことをぬかしやがって! この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ!」
 と片肌脱ぐ。一同、たちまち「ははぁ! 畏れ入り奉りました」と観念。
 黄門様と似たパターンだ。同じく歴史上の人物に材を採っているが、およそ実物とは掛け離れた物語になっている。捻りがあるのは、印籠の替わりに彫物であることか。こればかりは贋物(ガンブツ)を拵えようがない。かつ内田樹氏がいう取り巻きによる権威の証明ではなく、苦労にも自ら片肌脱いで大見得を切らねばならない。しかも割り符のように事前の仕込みが要る。つまりあらかじめ見せておかねばならない。片や、見たこともない印籠でも──あるいは贋物であってもいいのだが──使えるのに、彫物は面倒である。
 話が逸れた。9.26陸山会事件の判決についてだ。
〓〓石川被告ら小沢氏元秘書3人に有罪判決 
 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」をめぐる土地取引事件で、東京地裁(登石郁朗裁判長)は26日午後、政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪に問われた衆院議員・石川知裕被告(38)ら元秘書3人に対し、いずれも有罪とする判決を言い渡した。
 量刑は、石川議員が禁錮2年執行猶予3年(求刑・禁錮2年)▽後任の元事務担当秘書・池田光智被告(34)が禁錮1年執行猶予3年(求刑・禁錮1年)▽元会計責任者で、西松建設による違法献金事件でも起訴された元秘書・大久保隆規被告(50)については、土地取引事件の一部は無罪としたうえで、禁錮3年執行猶予5年(求刑・禁錮3年6カ月)とした。〓〓(9月26日付朝日)
 この判決は仰天ものだ。唐突ではあるが、裁判長が遠山の金さんとオーバーラップする。今まで何度か触れてきたように、小沢氏への評価は別にして、「事件」そのものには大きなオブジェクションを突き付けざるをえない。
 かつて取り上げた郷原信郎氏は、ネットに「陸山会事件の判決要旨を読んだ。唖然としたとしか言いようがない。こんな刑事判決があり得るのか。検察の立証をベースにしてきた従来の刑事司法を、(悪い意味で)根底から覆し、裁判所が、勝手な判断ができるといえる」とのコメントを寄せていた。さらに、江川紹子氏は舌鋒鋭く斬り込んでいる。以下、ネットへの投稿を要約。

◆東京地裁は検察側の証拠を自ら排除しておいて、判決ではそれを「当然……したはずである」「……と推認できる」など、推測や価値観で補い、次々に検察側の主張を認めていった。しかも、その論理展開は大胆に飛躍する。
◆刑事裁判において、裁判官の価値観と推測によって、かくも安易に共謀を認定し、刑事責任を負わせるというのは、あまりに荒っぽく、危険に思えてならない。
◆大久保被告の関与──犯罪の実行に直接関与せず、相談にも乗らず、謀議もなく、事後報告も受けず、犯罪の存在すら知らずにいても、共謀が成立して有罪となるのでは、部下の犯罪は知らずにいても上司の罪となりうる。これでは、村木厚子さんも同様になる。
◆今回の判決は、証拠重視の時代の流れに逆行している。
◆裁判所が、肝心の政治資金収支報告書の記載について淡々と証拠と法律に基づいて判断するのではなく、「政治とカネ」問題を断罪することに並々ならぬ熱意を注いでいた。
◆そもそも本件は、水谷建設からのヤミ献金の有無とは直接関係がない。ところが、この裁判では、検察側は「動機もしくは背景事情」として、このヤミ献金疑惑の立証にもっとも力を入れた。そして、裁判所もそれを許した。
◆裁判所が「政治とカネ」の問題を成敗してやる、という、ある種の「正義感」がびんびんと伝わってきた。そこに、特捜検察の「正義感」と相通じるものを感じて、強い違和感を覚えた。この種の「正義感」は「独善」につながる。
◆こういう判決は「マスコミを活用した雰囲気作りさえできていれば、薄っぺらな状況証拠しかなくても、特捜部の捜査は有罪認定する」という誤ったメッセージにならないかと危惧する。
◆今、もっとも改革が必要なのは、裁判所かもしれない。

 やはり彼女の眼は公平である。極めて納得性のある論旨だ。
 「淡々と証拠と法律に基づいて判断する」のが裁判である。「裁判官の価値観と推測」は無用だ。昨今、特捜のシナリオ捜査が問題視されているのに、今度は裁判官がシナリオを描いている。プロクルステスの寝台が東京地検から東京地裁に移されたのか。検察の証拠を斥けておいて結局は認めているところなぞは、捜査、検察、裁判が未分化だったお白洲を彷彿させる。まさに金さんだ。
 江川氏が惧れる「ある種の『正義感』」。これが曲者だ。「『正義感』は『独善』につながる」からだ。先の「裁判官の価値観と推測」を「桜吹雪」に準えると、「その論理展開は大胆に飛躍する」様は「見覚えがねぇとは言わせねえぜ!」の大見得にぴたりと当て嵌まる。
 「マスコミを活用した雰囲気作りさえできていれば、薄っぺらな状況証拠しかなくても、特捜部の捜査は有罪認定する」の「雰囲気作り」がさらに曲者だ。言い換えれば、大向う受けする状況がつくられるならば、ということだ。これは、『割り符のように事前の仕込み』として彫物を『あらかじめ見せて』おくことではないか。世にシナリオが事前に用意、流布されていることだ。あざとくいえば、人民裁判のような「雰囲気作り」だ。これなら、「薄っぺらな状況証拠」を苦もなく乗り越えられる。大向うは同じ彫物を見て、「よぉ、桜吹雪!」とヤンヤの快哉を挙げ、引かれ者たちは無理やり「畏れ入り奉りまりました」と観念を迫られる。
 「独善」と「雰囲気」が相俟った時、近代刑事裁判の検察性悪説という大前提が脆くも吹っ飛んでしまう。金さんの場合、証人と裁判官が同一人物という奇妙奇天烈なドラマツルギーがあり、ほかに刑事、検事、弁護士の3役も兼ねる。もしも遠山御奉行様ご乱心となれば、まったくの暗黒裁判と化す。繰り返すが、「ご乱心」を織り込み済みで設えるのが近代裁判制度である。制度に完成形はない。ならば二審に期待すると同時に、江川氏がいうように裁判所改革こそ急務であろう。

 それにしてもこの裁判官、金さんが憑きでもしたのだろうか。「よぉ、桜吹雪!」と、大向うの掛け声がほしいのか。なんとも、秋の夜長の綺談である。□


2011年10月04日 | エッセー

 笑子と書いて「しょうこ」と読ませる。「えみこ」ではない。訓ではないのが、ひどく珍しかった。
 町内いたるところに同級生がいるなかで、彼女の住まいはわが家の斜向かいにあった。となれば一緒に遊んでもよさそうなものだが、思い出せる情景は一つか、二つしかない。当時の子どもたちはいつも群れていたし、男女の別もあったからだろうか。もっともこちらの記憶の減衰を棚に上げるわけにもいくまいが……。
 彼女は三人姉妹の末っ子だった。長姉はすらっと背の高い、長ずればきっと美人になるにちがいない容姿をしていた。二十代の終わりに、病気で他界したと風の便りに聞いた。やはり佳人は薄命なのだろうか。笑子は長姉ほどではないが、やがて佳人の列に連なるかもしれぬ面立ちをしていた。
 幼稚園から中学に上がるまでは一緒だった。父親の転勤に伴い、中一の早々に東京へ越した。おとなしく目立たない子だったし、こちらにも引っ越しの騒動があって、お別れの場面は記憶に一つも残ってはいない。残ったのは、一葉の写真だ。幼稚園の遠足で、肩から水筒の下げ紐を袈裟に掛け彼女と手をつなぎ、隊伍の先頭に立つふたりが写し込まれている。モノクロームでセピア色に変色してはいるが、切り取られた刹那はたしかに初々しくあどけない。
 東京で学生生活を始めたころ、一度笑子を訪った。中央線からバスに乗り替えた。家族が揃い踏みで迎えてくれ、御馳走になった。後日、お礼の手紙を出した。末尾に、お嫁に行く時は連絡をくれるよう認(シタタ)めた。なぜそんなお節介を書いたのだろう。
 祝いでもしようと考えたのか。間抜けな夜郎自大か。それとも、あえかな恋心だったろうか。結婚によって幼馴染みという繋がりは様相を変える。その際(キワ)を自虐してみたかったのか。
 笑子が結婚した時、連絡はなかった。あの末文は若気の勇み足とでも、打っ棄られたのか。知ったのは数年後だった。もっともその時分はこちらも激しい青春の坂を上下していて、それどころではなかったろう。しかし、ごくわずかな澱が凝った。
 先日、年頭に東京で開いた同窓会での写真を見た。彼女が映っていた。ほぼ四十年ぶりだ。四十という星霜は剛力というほかない。津波のように否も応もない。みんなが相応に、剛力に搦め捕られていた。彼らがわたしを見ても同じ感想を漏らすだろう。お互い様だ。すでに面影は霞んだ認識番号でしかない。彼女とて例外ではない。ただ、おとなしく目立たない撮られかたは昔のままだった。さらに軽く微笑んでいるようで、笑子の名に故事付けたくもなった。
 微かだが、にわかに「澱」が撹拌された。

 人生のそれぞれのフェーズには相応の書割がある。「澱」は何枚目かの書割に点描のように滲みでている。しかし決して汚くはない。その書割を引き出す際の、格好の目印だ。□