伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

夫唱婦随

2017年07月29日 | エッセー

 最初にお断りしておくが、今稿は皮肉では決してない。全き真情の吐露である。
 籠池夫妻の一連の言動、また今般の大阪地検聴取に際しての振る舞いにはいたく胸を打たれた。夫唱婦随、ここにあり。まさにその亀鑑である。夫が唱え、妻がこれに随う。ベルエポック、再臨である。なにを大時代なという向きには、悔しかったらやってみ給えといいたい。当今、レアもレア、希少種にまちがいない。
 結婚について、内田 樹氏はこう語る。
 〈今よりも不幸にならないように結婚するんです。「二人で暮らす方が生き延びられる確率が高い」から人は結婚するんです。発生的には「幸福になるための制度」ではなく、「生存確率を高めるための制度」なんです。
 結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障なんです。結婚は「病気ベース・貧乏ベース」で考えるものです。〉(「困難な結婚」から)
 刻下籠池夫妻が直面する「人生の危機」は、われわれをして否応なく「病気ベース・貧乏ベース」つまりは「災難ベース」で結婚を捉えさせずにはおかない。夫妻の抱える事の真偽を問うているのではない。結婚のなんたるかを問うている。トラブルやエラーを前提にしない事故防止はあり得ない。ベースをマイナス想定に置くことこそ危機管理の骨法である。まさに生存戦略上の「安全保障」ではないか。否、夫婦(ミョウト)の契はそのような世知辛いものではない、情愛に充ち満ちたものだと仰せある御仁もあろう。勘違いしないでほしい。今論じているのは「制度」についてである。結婚という機制についてだ。ただ、「愛情ベース」は甚だ危ういとはいえよう。恋愛結婚の4割は離婚している。見合いのそれは1割。プラス想定をベースにすることは「安全保障」には不向きだ。
 籠池夫人と比するに、アンバイ夫人はいかがであろうか。足を引っ張りまくっておきながら、なにも語ろうとはしない。黙したままだ。どこが可愛いのか(それは余計か)、旦那は庇いっぱなし。これではまるで『不肖不随』ではないか。安全保障どころか、リスク源そのものと化している。手をつないでタラップを降りるのは開明的な愛情表現のつもりかもしれぬが、見せられる方は番度(バンタビ)気持ちが悪い。まかさ転落防止の“安全保障”ではあるまい。ともあれ、籠池夫妻には豊潤にあってアンバイ夫婦には片鱗もないもの、それが夫唱婦随だ。
 秋葉原駅頭での抗議と絶叫、自宅での出頭前の実況中継などなど、小銭稼ぎか下品なパフォーマンスかと、とかく批判がある。しかしそれは短見というものだ。
 橋本 治氏の洞見を徴しよう。
 〈「気取った東京」に対する対抗文化で下位文化の関西では、東京人が「品がない」と思うような素人参加のラジオ番組があった。漫才のミヤコ蝶々と南都雄二が司会をする『夫婦善哉(メオトゼンザイ)』だ。この番組は素人の夫婦にあれこれを喋らせる「お笑い番組」だった。『夫婦善哉』の出現によって、これに出演する関西の夫婦は、「愚かしい我が事をおもしろく語る」という土壌を、無意識の裡にも用意するようになる。『唄子・啓助のおもろい夫婦』、桂文枝の『新婚さんいらっしゃい!』へと続き、「夫婦は、人に語っておもしろく、あきれるようなエピソードを持っておくべきだ」という常識は定着していった。〉(「知性の顚覆」から抄録)
 ならば、籠池夫妻の劇場性は深く関西の伝統に根ざしたものといえよう。さらにいえば、「『気取った東京』に対する対抗文化」である。文化的アンチテーゼである。平成版『夫婦善哉』だ。「気取った東京」の象徴であるアンバイ夫婦には到底真似のできない芸当である。いいとこ、『夫婦ぜんざい(餅に餡)』か。でも、事はそれほど甘くはない。
 笊ならぬ籠で水を受けるように漏水が激しい土地に作った灌漑用の池を「籠池」と呼んだそうだ。件(クダン)の小学校用地は元々沼か池だったという。なにやら話は因縁めくが、この夫妻の因縁はもっと深いにちがいない。足を捕らえて放さない沼から抜け出せるか否か。生き残りを掛けた夫唱婦随の勝負が続く。 □


首相官邸に辞書はないのか?!

2017年07月25日 | エッセー

 「李下に冠を正さずという言葉がある。私の友人が関わることだから、国民の皆様から疑念の目が向けられることはもっともなことだ。思い返すと、私の今までの答弁においてその観点が欠けていた、足らざる点があったことは率直に認めなくてはならないと思う。常に国民目線に立ち、丁寧な上にも丁寧に説明を重ねる努力を続けていきたい。改めてその思いを胸に刻み、今この場に立っている」
 24日衆院予算委員会冒頭でのアンバイ君の発言である。おぉ、と耳をそばだてた。ん、ん。なんか変だ。
 「私の友人が関わることだから」は、確かに「李下に」に符合する。李下にあるなら、「国民の皆様から疑念の目が向けられることはもっとも」ももっともだ。「答弁においてその観点が欠けていた」の「その観点」とは「疑念の目」であろうから、これも解る。変なのは、続くフレーズである。「足らざる点があったことは率直に認めなくてはならないと思う。常に国民目線に立ち、丁寧な上にも丁寧に説明を重ねる努力を続けていきたい」。約(ツヅ)めれば、今度は「丁寧に説明」をしますということだ。
 「冠を正さず」はどこへいったのだろう? いや、そんなことはない。まさか、そこまで物知らずではなかろう。と、自問自答してみたが、やはり明らかにコンテクストは「丁寧に説明」が「冠を正さず」に該当する。もしくは端っからないか、どちらかだ。ひょっとしてアンバイ君は「冠を正さず」を「冠を正さなくてはならない」、「正さなくては疑われる」とでも理解しているのではないか。そこまでわが宰相をアホ扱いしては天に唾するものではないか。でも、そうとでも理路を追わないと、この発言は日本語にならない。
 この箴言の「冠を正さず」とは、たとえずれた冠を正すという“正当な”行為であっても李下では避けよとの訓(オシエ)だ。
 今月18日の拙稿「閉会中審査の前に」では次のように述べた。以下、抄録。
 〈「人の上に立つ王たる者、他人から嫌疑を受けるような立場になってはなりません。例えば、李(スモモ)の木の下で冠のズレを直してはなりません。手を伸ばして李の実を盗んでいるように見間違えられてしまうからです」
 「明示的な『総理のご意向』はなかったであろう。手続き上の瑕疵もなかったであろう」状況を「李の木」だとすれば、内部文書の「内部」は文字通りその「下」を、「文書」は「冠のズレを直して」に吻合する。「気張っちゃダメ」なのに、わざわざ「おしりを切っていた」。ケツカッチンは「冠を正さず」のまったく逆、「正した」ではないか。〉
 お判りいただけるであろうか。たとえ「“正当な”行為であっても李下では避けよ」だから、愚稿においては説明不足をまったく問題視してはいない。正当性を訴えることは、むしろ「冠を正す」ことになってしまう。厳密にいえば、李下に入った時点ですでにアウトなのだ。だから箴言は、李下に入ったらもう常識的で適法な言動をとるなといっている。それが最上の防衛策だと教示している。抗弁しないことが得策なのだ。薄ら惚けて、ずれた冠でもそのままにしておけ。それが君子の振る舞いだと箴言はいう。だって、すでにアウトなのだからそれ以上傷口を広げないようにするしか手はないのだ(自信があるなら、アメリカのような特別検察官制度の採用も一手ではあるが)。
 したがって、前稿でも加計孝太郎氏との交友については一言も触れていない。親密な交流を論(アゲツラ)えば「冠を正さず」を証明することになるからだ。ずれた冠をそのままにしておくほどの君子であると、お墨付きを与えてしまう。そんな利敵を働くほど稿者はお人好しではない。だからイシューをそこに置かず、内部文書の中身が「『冠を正さず』のまったく逆、『正した』」だと噛みついた。
 「申請を1月に知るに至った」(日付はどうでもいい、少なくとも今年に違いはない)には驚いた。これはすげぇー卓袱台返しだ。申請という形式論で逃げを打ったかとも考えたが、そうでもないらしい。これはもう李下そのものを否定したことになる。「正さず」もへったくれもない。李下に入っていないというのだから。だったら、冒頭の引用はなんだ? 「私の友人が関わることだから」は自語相違する。今になって「関わ」らなかったと言われても、こちらの頭が混乱してしまう。
 「常識が通用しない人は無敵だ」とは内田 樹氏の言である。確信犯的な反知性主義者たちには、ロジカルにエビデンスをもって理を尽くして語るという対話の基本ルールは通用しないと語る。その通りだ。ロジカルには卓袱台返しをしておいて「丁寧に説明」はないだろう。
 2日間の閉会中審査を聞いて大いなる疑問が沸いた。首相官邸に辞書はないのか?! □


陽炎

2017年07月23日 | エッセー

 地を灼く炎暑。鳥の囀りは悲鳴に変わる。気配さえ消した風に木々が焦(ジ)れる。草花は小さく蹲いじっと耐える。焦熱の野辺を強引に縦走する鉄路。なにやら見咎めて視点を絞ると、陽炎がのぼっている。ああ夏だ、と料簡する。
 しかし陽炎は春の季語だ。春の麗ら、陽に熱せられた空気が光を自儘に屈折させる。それが陽炎だ。影ろふと転ずれば、はかなき謂となる。蜉蝣がメタファーを帯することもある。
 夏に多い陽炎を春に限定したのは、冬を越えた日差しの確たる変化を一驚をもってとらえたからではないか。凍てつく桎梏の季節からの開放を天日(テンピ)の仄めきにしかと見取ったからではないか。その歓びは一陽来復の季(トキ)にしかないのだから。
 一転する。
   陽炎や柴胡の糸の薄曇り
 芭蕉は老境を詠ったにちがいない。陽炎が翁草の異称をもつ柴胡(サイコ)の綿毛に似ている。銀色のそれは翁の白髪のようだ。蕉門の円熟期と賞される「猿蓑」中の一句である。陽炎には「影ろふ」が含意されている。「薄曇り」との齟齬は老いへのゆらぎといえようか。芽吹きの春と老いたように晴れぬ空。このアンヴィバレンスにたじろぎ、ついには俳聖の哀しみに深く共振する。変わりゆく新しきもののうちに普遍を掬う。これこそ「不易流行」の極意であろうか。
 跳ねてみる。
   蟹 悪さしたように生き
 蟹は種類によって六月や冬の季語となる。だが、そんなことは不問だ。なにせ、五七五ですらない。それでもなお、これは俳句である。「諧」とは戯れ、諧謔は俳句が俳諧と呼ばれたころからの本質に属す。作句した渥美 清は蟹に自らを投影し、戯(タワブ)れてみせたに相違ない。横歩きは悪さにしか見えずとも、蟹にはこれしかないんだよ、と。圧倒的な存在感に鳥肌が立つ。「俳聖の哀しみ」に通ずるなにかがある。機知というより、しをりに近いなにかが。
 転んで、跳んで、お題から随分離れてしまった。陽炎のようだ。 □


閉会中審査の前に

2017年07月18日 | エッセー

 太古、斉の威王に虞姫(グキ)という寵妃がいた。家臣の不正を知り王に告げると、不遜にも政(マツリゴト)に容喙したとして幽閉されてしまう。しかし虞姫は毅然として威王に諫言する。
「人の上に立つ王たる者、大事をあらかじめ察知し、未然に防ぐべきです。他人から嫌疑を受けるような立場になってはなりません。例えば、瓜畑で身を屈め沓を履き替えたりなさってはなりません。瓜を掠めていると誤解されるからです。李(スモモ)の木の下で冠のズレを直してはなりません。手を伸ばして李の実を盗んでいるように見間違えられてしまうからです」
 『古楽府』君子行「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」の故事である。虞姫を前川前文科事務次官に準えるとおもしろい構図が描けるかもしれない。不正を働く家臣とは余計な忖度をした取り巻き及び霞ヶ関の一群か。
 来週には閉会中審査が行われるという。屋上屋、まことにしつこいが、事が事だけに屢述せざるを得ない。先月の拙稿を引く。
 〈おそらく明示的な「総理のご意向」はなかったであろう。手続き上の瑕疵もなかったであろう。しかし、疑惑を呼びかねない構図があったことは確かだ。ツッコミの隙を与えたことは事実だ。戦略特区という「瓜田」に「履を納れ」たことは抗いようのないファクトだ。首相官邸のHPには国家戦略特区は「総理・内閣主導」と太ゴシックで書かれている。そこに「腹心の友人」が絡めば、『痛くもない腹』を探られるのは当然だ。これは明らかに「瓜田に履を納れず」との『君子行』に悖る。そんな事の進め方自体が稚拙すぎる。
 民事も刑事も、裁判官は自らが当事者の代理人であったり自らの親族が係わる訴訟については外れることが各訴訟法で義務づけられている。当たり前といえば当たり前だ。行政だって同等ではないか。「腹心」というなら、余計に距離を置くべきだ。当該事案については余人をもって代えるくらいの慎重さが必要だった。「李下に冠を正さず」ならば、気張っちゃダメなのだ。それにしても、この程度の御仁がトップリーダーとはまことに「気鬱なこと」である。〉(「奇跡のレッスン」から)
 「戦略特区という『瓜田』」で、結句「腹心の友人」に絞り込まれた事実は「身を屈め沓を履き替えた」に符合するのではないか。手書きの追加条件は「身を屈め」といえようし、京産大が振り落とされたのは「沓を履き替えた」に等しい。
 「明示的な『総理のご意向』はなかったであろう。手続き上の瑕疵もなかったであろう」状況を「李の木」だとすれば、内部文書の「内部」は文字通りその「下」を、「文書」は「冠のズレを直して」に吻合する。「気張っちゃダメ」なのに、わざわざ「おしりを切っていた」。ケツカッチンは「冠を正さず」のまったく逆、「正した」ではないか。
 つまり、そのように警句があからさまに符節を合わすこと自体が疑惑の構造を形作っているのだ。「大事をあらかじめ察知し、未然に防ぐ」など、毫も形跡がない。いっぱい隙を作っておいて、さあ掛かってこいとは、これ見よがしな力の誇示が横綱の証だと勘違いしたどこかの頓珍漢相撲取りと同じではないか。万全の上にも万全の体勢を成した後、なお真摯に全力で立ち向かうのが綱を張る者のありようだ。アンバイ君の為様(シザマ)も同等だ。民事・刑事訴訟法を例示したように、行政のコンプライアンスへの真摯な向かい合いは微塵もない。疑念を持たれないような万全の体勢はなかったに等しい。むしろやってる感満載、己の売名のために敢えてしゃしゃり出たとしか見えない(といわれても、仕方なかろう)。その尻軽がなんとも愚かしい。驕りだか弛みだかしらないが、「この程度の御仁がトップリーダーとはまことに『気鬱なこと』である」と繰り返さざるを得ない。
 言った言わないではない。そんなことではない。言った言わないを問われる構図があったこと自体が問われるのだ。ここが画竜点睛である。“彼ら”の十八番である共謀罪に引き寄せれば、未遂であっても「企図し」「合意し」「準備行為」があれば罪に問える。特区選定はもちろん対象犯罪ではないが、構図は同等だ。自業自縛、身から出た錆とはこのことだ。
 イギリスの歴史家ジョン=アクトンは「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」と断じた。一強がお友達優遇という甚だ幼稚でみみっちいレベルではあっても、かつ忖度なる極めて民族誌的奇習ではあっても「絶対に腐敗する」醜態を晒した現実を注視せねばならない。そこから目を逸らしてはいけない。アクトンの箴言は常にアクチュアルなのだ。
 「行政が歪められたのではない。歪められてきた行政が正されたのです」と、加戸守行元愛媛県知事は切々とハスキーボイスで訴えた。本邦の住人は、どうもこの手の浪花節に弱い。
 「政策を決定する政治と、政策を遂行する行政機構とは別であります」と前川前事務次官は応じた。冷静で見事な切返しであった。歪められたのは政策であって、それは永田町が糺されるべきだ。歪められようとした政策遂行にレジリエンスを起動したのが霞ヶ関、なかんずく文科省ではないか。両者を混同してはことの本質を見誤る。前稿のごとく裁判に範を求めれば、デュー・プロセスである。政策遂行に恣意が介在すれば行政は死んでしまう。
 付言しておきたい。支持率急落はアクトンの箴言に抗する国民的レジリエンスといえなくもない。いな、そう捉えるべきだ。おきゃあがれ! あんまりナメんなよ! と。さらに、その向こうに憲法へのレジリエンス、改憲へのオブジェクションが仄見えないか。いや、そう甘くはない。憲法という「岩板規制に穴を開け」ようとする悪巧みを夢寐にも忘れるわけにはいかない。 □


横綱は勝ち方だ

2017年07月13日 | エッセー

 名古屋場所4日目、白鵬・貴景勝の一番。立ち会い後、突き押しの応酬があって両者がかなりの間合いを置いてにらみ合いとなった。場内、歓声。と、白鵬は前傾姿勢から直立して、さあこいとばかり両手を広げた。意を決して貴景勝が飛び込んだが、勝負あり。まんまと組み止められて一気に土俵際へ。寄り切って白鵬の勝ち。
 なぜか、愛知県体育館は沸かない。NHKのアナウンサーがボクシングの挑発ジェスチャーのようだと解説の元多賀竜・鏡山に振ると、鏡山は口ごもりつつ「(どういう意図なのか)私にはわかりません」と応じた。それはそうだろう。稿者の長い相撲観戦歴の中でも、あのような場面に出交したことは1度もない。
 「“来い”と言ったのかな。攻めるより、そこで受け止めようと切り替えた。余裕があるから勝つんだろうね」とは本人の弁だ。さすがは横綱相撲と評する報道や、朝日のように取り口に一言も触れていないところもある。しかし、双方ともおかしい。前者は能天気だし、稿者は無関心過ぎる。あれで最多勝記録更新間近なぞとは片腹痛い。
 勝ちに執着するのは力士として当然だ。但しそれは大関まで。横綱はちがう。勝ち方が問われる。いかに勝つか、だ。押し込まれて破れかぶれのうっちゃりでもいい、まさかの注文相撲でも料簡しよう。しかし、“あれ”はいけない。初っ切り紛いの“あれ”はない。本割りの土俵は稽古場ではない。稽古場で下の者に胸を貸す。それを本場所で再演しては興醒めだ。まず、必死に立ち向かう後輩に失礼であろう。ガチンコ勝負を期待する観客に対しも礼を失する。相撲が神への奉納を始原とするなら、圧倒的な力の差をこれ見よがしに誇示する夜郎自大は敬虔な尊崇からはかけ離れている。「岩戸隠れ」の故事は瞭らかに力の剥き出しの表出を嫌っている。
 何度も指摘してきた白鵬の「過剰適応」である。いや、この場合、「適応錯誤」といったほうがいい。本邦において、強さは謙抑的に現出されることが美しいとされる。いい悪いではなく、大陸とは文化的土壌を異にする。どうも、そこを見損なったのではあるまいか。繰り返すが、横綱は勝ち方が問われる。日馬富士の勝ち方、あるいは負け方に比してどちらが胸に落ちるか。答えは自明だ。申し訳ないけれども、そういうものだ。
 穿てば、あるいは「妥当適応」かもしれない。内田 樹氏の言を引こう。
「今の日本人はもう数値化されたものでしかものごとの価値を判断できなくなっている。ものごとの質を問うということができなくなっている。これこそ現代日本の社会全体を覆い尽くしている知的頽廃の際立った兆候だと思います。国会審議の時間数で法案が精査されたかどうかを判断しているような立法府が他の国の議会でもあるのか」(晶文社「日本の覚醒のために」)
 「数値化」の実例は「全体を覆い尽くしている」ゆえ、挙げるまでもない。法案の精査深度が審議時間数で衡量される。これは紛れもなくひとつの戯画だが、大相撲にまで浸潤しているとしたら病症は露わだ。勝ち方が不問に付された横綱の白星に、「ものごとの質を問うということ」ができなくなった「今の日本人」がありありと見える。とは、穿ち過ぎであろうか。 □


JAL機内誌

2017年07月09日 | エッセー

  少年老い易く学成り難し
  一寸の光陰軽んずべからず
  ・・・・(朱熹)

    ・・・・
  時に及んで当に勉励すべし
  歳月は人を待たず(陶淵明)

 と二首を挙げ『加速する人生』と題する一篇が、
   浅田次郎著「龍宮城と七夕さま」 (小学館 先月刊)
 に収録されている。
 氏は若年期の迅速というよりも加齢とともに増していく加速感、「人生の加速度」にこそ二首の真意があるのではないかと語る。年齢を重ねれば重ねるほど、逆に時は速く流れる。氏はこれを「怪奇現象」だともいう。確かに、小学校の夏休みは果てもなく長かった。ところが、リタイアの後は瞬く間に一年が過ぎる。
 氏はフランスの心理学者の学説を引く。
 〈人生の一時期における時間の心理的な長さは、年齢に反比例するという説である。たとえば、十歳の少年の一年は人生の十分の一だが、六十歳の一年は人生の六十分の一に過ぎぬから、心理的には短く感じられる、というのである。〉(上掲書より)
 さらに「経験量の理論」なる異説も紹介し、
 〈さまざまな経験を積み重ねているうちに、人生には未知の部分が少なくなり、新鮮な感動を覚える機会も減ってしまう。能動的な挑戦もしなくなるので、生活の中の可測領域が増えていく。通いなれた道は近く感ずるが、初めて歩く道は遠いのである。〉(同上)
 と綴っている。どちらも宜なる哉ではあるが、稿者はこう考える。
 列車が等速で走っているとする。こちらは車で併走する。車が速い時は隣の列車は遅く見えるし、スピードが落ちれば列車は車をぐいぐい離していく。列車をニュートンの絶対時間、新陳代謝や頭脳、心身両面の活性度を車の速度とすると「怪奇現象」の説明はつきそうだ。
 となれば「怪奇現象」が立ち現れたこれからこそ、「学成り」「勉励すべ」き好機と捉えるべきではなかろうか。であるなら、「学」とはなにか。碩学の言を徴したい。
 〈「学び」とは「離陸すること」です。それまで自分を「私はこんな人間だ。こんなことができて、こんなことができない」というふうに規定していた「決めつけ」の枠組みを上方に離脱することです。自分を超えた視座から自分を見下ろし、自分について語ることです。〉(内田 樹著「街場の教育論」ちくま書房)
 「枠組みを上方に離脱」し、「自分を見下ろ」す視座を獲得する。つまりは、「学び」とは居着いた地平から「離陸すること」である、と内田氏は訓える。固着した自らを相対化し、外に開くことだ。それは「人生の加速度」がいや増し、「一寸の光陰軽んずべからず」がストンと胸に落ち「歳月は人を待たず」が骨身に滲みる今だからこそ主題化するのではないか。いや、させねばならない。また「学び」とは狭義の学問を指すばかりではあるまい。人生の万般への探究を指すにちがいない。浅田氏のいう「初めて歩く道」にも通じよう。
 
 このエッセー集は、 JALの機内誌『スカイワード』に連載された40作を単行本化したシリーズの第四弾である。JALだけあってアジアから欧米と話題は世界を跨ぎ、時間は中世、昭和と大股に世界史を闊歩する。表題のおとぎ話から納豆、キムチという庶民の味、作家の楽屋落ち、なべぶた齋藤の字源を繙く学的深みまで、コンテンツは実に多彩だ。かつ愉しい。機内にふさわしい讀物である。空弁や駅弁とは違う、それはちょうど機内食のようだ。限られた環境ではあっても、選りすぐりの上質な食がコンパクトに供される。文章は重からず、軽からず。涙を流すわけではないが涙腺がくすぐられ、吹き出すわけではないが頬が緩む。書きざまは、オペラ歌手がカラオケで興ずるような趣である。機内にあらずとも、つまりは空中に身を置かずとも世界と歴史を鳥瞰できる珠玉のエッセー集である。
 機内から見る空は遠く蒼く晴れ渡っている。 □


ディフェンスライン 再び

2017年07月05日 | エッセー

 まず愚説を再録する。
¶ 歴史的、政治的見解は甲論乙駁だが、刻下日本で「有責性」(戦争の)を最も深刻に感受しているのはたぶん天皇であろう。開戦の年、今上天皇はわずか11歳であった。不覚にも高市早苗はこの史実を学び損なったのであろうか(「私は戦後に生まれたので、戦争責任を謝罪しろと言われても、私は謝る義理はない」と発言)。年端も行かぬ少年が長じて、今何を担っているか。その粛然たる事実を、まさか見落としているのではあるまい。
 “ディフェンスライン”とはゴールに一番近いDFの位置に引かれた仮想の線をいう。齢80を超え自衛艦に寝泊まりしての刻苦の慰霊は、一身を挺したディフェンスラインではないか。慰霊とは「象徴」ゆえのレギュレーションをかいくぐって紡ぎ出された、この上なく健気な平和活動の謂ではないか。ならば天皇に最後のディフェンスラインを託さねばならぬほど、此国(シコク)の民草は不甲斐ないのか。しかも、殺到する攻撃にディフェンスラインを上げてオフサイド・トラップを誘う機も失いつつあるようだ。仮想の線は見えない。破られた時、はじめて見える。それでは余りに愚かだ。 ¶(15年4月「ディフェンスライン」から)
 「この上なく健気な“平和活動”」について、痛いほど膝を打つ卓説をいただいた。かつ、深い学的裏付けを伴って。我が意を得たり、これに勝るものはない。
 本年4月、なんとあの内田 樹氏が『天皇主義者』を宣言した。右翼系雑誌『月刊日本』5月号のインタビューでのことだ。以下、要約する。
 タイトルは「私が天皇主義者になったわけ」
 〈死者たち、傷ついた人たちのかたわらにあること、つまり「共苦すること」を陛下は象徴天皇の果たすべき「象徴的行為」と定義された。
 憲法には、天皇の国事行為として、法律の公布、国会の召集、大臣や大使の認証、外国大使公使の接受などが列挙され、最後に「儀式を行うこと」とあります。陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示された。それは儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り添うことである、と。これを明言したのは天皇制史上初めてのこと。
 鎮魂慰霊というのは生きている人間の実利にはかかわりがありません。けれども、恨みを抱えて死んだ同胞の慰霊を十分に果たさなければ「何か悪いこと」が起きるということは世界のどの国でも、人々は実感している。その感覚が現に外交や内政に強い影響を及ぼしている。〉
 愚稿で「レギュレーションをかいくぐって紡ぎ出された」と記したことは、「『儀式』が何であるかについての新しい解釈」に通ずる。「平和活動」は、「鎮魂慰霊」に、さらに「苦しむ者のかたわらに寄り添うこと」つまりは慰藉に呼応する。内田氏は「天皇制史上初めて」とオマージュを捧げるが、慰霊と慰藉を「儀式」とする新解釈の視点も劣らず画期的である。
 返す刀は痛烈だ。
 〈僕は安倍政権の人々からは天皇に対する素朴な崇敬の念を感じません。彼らはただ国民の感情的なエネルギーを動員するための「ツール」として天皇制をどう利用するかしか考えていない。そのためには天皇を御簾の奥に幽閉しておく必要がある。国事行為だけやっていればいいというのが政権の本音でしょう。〉
 法改正は結局、今回限りの弥縫策でしかなかった。集団的自衛権はあれほど憲法の解釈を捏ねくり回したくせに、退位に関しては法改正に踏み込まず体よく天皇の意志を去なしたにすぎない。「ツール」視はありありだ。「ツール」としか見えない輩を天皇主義者とは呼べない。
 核心は次だ。
 〈今回、陛下が天皇制の「あり方」についてはっきりしたステートメントを発表された背景には、安倍政権が国のかたちを変えようとしていることに対する危機感が伏流していると私は思っています。正面切っては言われませんけれど、僕は感じます。〉
 稿者が「ディフェンスライン」と呼び、「最終オフェンスライン」(16年7月)と託す所以だ。内田氏の『宣言』にはもう一つ大きな論点がある。
 〈日本列島では、卑弥呼の時代から、摂関政治、征夷大将軍による幕府政治に至るまで、祭祀にかかわる天皇と軍事にかかわる世俗権力者という「二つの焦点」を持つ楕円形の統治システムが続いてきた。この二つの原理が拮抗し、葛藤している間は、システムは比較的安定的で風通しのよい状態にあり、拮抗関係が崩れて、一方が他方を併呑すると、社会が硬直化し、息苦しくなり、ついにはシステムクラッシュに至る。
 だから、昔の僕みたいに「立憲デモクラシーと天皇制は原理的に両立しない」と言う人には、「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が住みやすいのだ」と言いたいのです。単一原理で統治される「一枚岩」の政体は二原理が拮抗している政体よりもむしろ脆弱で息苦しい。それよりは中心が二つの政体の方が生命力が強い。日本の場合は、その一つの焦点として天皇制がある。これはすばらしい政治的発明だ。そう考えるようになってから僕は天皇主義者に変わったのです。〉
 と、「象徴天皇制は稀有な成功事例だ」と論じている。「二つの原理が併存」、「二原理が拮抗」、「中心が二つの政体」、さらに「政治的発明」とはいかにも内田氏らしい頭の良さだ。あらためて敬服する。
 象徴天皇制については、愚稿でも司馬遼太郎を徴しつつ何度も触れてきた。日本史においてはむしろこちらの方が常態であった、と。
 さて、内田氏の天皇主義者宣言である。明らかに、似非天皇主義者に対しての布告であり、アンチテーゼである。
 〈天皇制が健全に機能して、政治の暴走を抑止する働きをするなんて、50年前には誰一人予測していなかった。そのことに現代日本人はもっと「驚いて」いいんじゃないですか。〉
 インタビューの締めの言葉だ。蓋し、「健全に機能」こそ画竜点睛である。維新由来の『ツール主義者』の蠢動を断じて見逃してはなるまい。 □


頭の悪い人 良い人

2017年07月01日 | エッセー

 桜蔭中学、桜蔭高等、東大文科から法学部卒。厚生省入省、ハーバード大学大学院へ国費入学、理学修士号を取得。
 これがかのT田M由子議員の学歴である。まことに絵に描いたようにこの上なく華麗だ。後、金融庁課長補佐などを歴任し国会へ。2期目で第3次安倍改造内閣の内閣府大臣政務官(東京オリンピック・パラリンピック担当)、文部科学大臣政務官、復興大臣政務官に就任。永田町の星、それも赫々たる一等星である。その燦たる輝きが惨たる暗雲に掻き消されてしまった。
 「バカヤロー!」の暴言で。しかも暴行まで添えて。
 はたしてこれは舌禍であろうか。そうではあるまい。この狂態が明示しているものは、学歴の甚だしい無効、もしくは学びのあられもない失敗である。遠慮なくいえば、かしこくなるつもりが頭が悪くなってしまったのだ。
 思想家・内田 樹氏は、自らの言動を価値中立的な第三者の目で吟味できないことを「頭が悪い」と定義する。だから、
 〈「頭の悪さ」と「頭の良さ」を分岐するのは、「自分はもしかすると頭が悪いんじゃないか?」という自己点検の装置が起動しているか起動していないか、それだけの違いなんです。「自分は頭が悪いんじゃないか?」という疑問に促されて、それゆえメタ認知的に自分の思考を自己点検できる人はあまりひどい失敗をしない。それだけの話です。〉(「困難な成熟」から)
 と断じている。女史のあまりに「ひどい失敗」は「自己点検」どころか、ICレコーダーによる「他者」点検によって「メタ認知」されるに及んだ。女史は「“自分は頭が悪いんじゃないか?”という疑問」についに一度も「うながされ」た形跡がない。「それだけの違い」が毫もなかった。それが証拠に、秘書に対して「バカ」を連発している。子どものころによく言ったものだ。「バカって言うやつがバカだ」、パラフレーズするとそうなる。舌禍などではなく、女史は「頭が悪い」好個の実例を満天下に惜しげもなく開示したことになる。その意味で、全国のよい子たちへの反面教師であったといえよう。「あんなバカおばさんになるためにお勉強するんじゃあないよ」と。
 では、学びとは。再度尊見を徴したい。内田氏は名著「下流志向」でこう語る。
 〈学びとは、学ぶ前には知られていなかった度量衡によって、学びの意味や意義が事後的に考量される、そのようなダイナミックなプロセスのことです。学び始めたときと、学んでいる途中と、学び終わったときでは学びの主体そのものが別の人間である、というのが学びのプロセスに身を投じた主体の運命なのです。〉
 今月引いた(拙稿「これでいいのだ」)養老孟司氏の癌の告知と同趣旨である。「学びの主体そのものが別の人間」に変わることが学びの真価だ。どう変わるか、カリキュラムやシラバスにはそれについては一文字も記されていない。それは「事後的」にしか判らない。だから「運命」だ。だが、変わる。変わらねば、学びがあったとはいえない。女史の狂態をアプリオリな性向に帰することもできようが、だとしても、いやならばこそ女史の中ではなにひとつ「別の人間」は出現してこなかったことになる。だから、「学びのあられもない失敗」というのだ。
 稿者の後輩で、昨年還暦を期して大学の通信教育を始めた篤学の士がいる。かつてやむを得ず去った同じ学府でのリベンジである。家業を継ぎ、還暦とはいえ今も八面六臂の忙しい毎日だ。その中での挑戦である。もはや彼にとって学歴は何の意味もない。社会的名声やグレードアップ、企業収益の増大に些かも寄与するものではない(たぶん、いやきっと)。かの“狂女”のごとき学歴に供するための学びではまったくない。あるとすればリベンジ、それも「学び」のリベンジだ。「学びの意味や意義が事後的に考量される」学びだ。素の学びである。彼のチャレンジにはいかなるベネフィットも算入されていないのだから、残るのはそれだけだ。“狂女”と比するに、「頭の良さ」の典型例といえよう。敬服の一語に尽きる。
 彼に「忍の一字は衆妙の門」と贈り、学業成就を祈るばかりだ。 □