伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

十年一筆を磨く

2016年03月28日 | エッセー

 昨日、3月27日で本ブログは満10年を迎えた。927本、200万字前後か。「十年一剣を磨く」とはいうが、とても「一剣」とは言い難い。せいぜい鉛筆がいいところだ。
   鞭声粛々、夜、河を過る
   暁に見る千兵の大牙を擁するを
   遺恨なり、十年、一剣を磨き
   流星光底、長蛇を逸するを
 頼山陽の名句に擬するなら──深更から暁に至るまで打鍵し十年一筆を磨いてきたが、並み居る億万のブログに押し遣られ、悲しいかな遂に長蛇を逃してしまった──とでもなろうか。ただ佶屈聱牙な本ブログにお立ち寄りいただいている皆さまには満腔の謝意を捧げたい。と同時に、引き続きのご愛顧を伏してお願いする次第である。
 第一稿は06年「寅さんの声が聞こえる」、同日に第二稿「ヘンなことば」を上げた。寅さん語録の紹介と、最近の言葉事情を愚考した。双方とも何度も取り上げたトピックである。自賛を赦されるなら、寅さんについては07年6月の拙稿「第100回記念 ―― 奇想!『寅さんの声が聞こえる』」が自信作である。ヒンドゥー教に説く「四住期」のうち「林住期」に寅さんの生き様を擬した。言葉考は爾来飽きるほど書き殴ってきた。本ブログの主要テーマの一つである。
 十年一昔という。確かにこの括りにはさまざまな事どもが去来した。個人では08年の手術が最大事であった。同年1~3月、「囚人の記」1. ~3. に綴った。付け加えれば、マドンナとの遭逢もあった。07年12月「訴えてやる!」、08年5月「へーん、しん!」と題して書き残した。中身はタイトルで御推察願いたい。
 社会においては、何といっても11年の東日本大震災と原発事故だ。今月12日「5年目の3・11」で述べた通りだ。一点、味噌を上げさせてもらうなら、発災直後に『空爆』と『国難』の二語を使ったことだ。今になって、同様の言葉で3・11を捉えた識者が少なからずいたことを知った(今月23日付朝日新聞特集『災後考』による)。半藤一利、御厨貴、田原総一朗、木田元(哲学者)、松谷みよ子(児童文学作家)、堺屋太一(作家・評論家)、猪瀬直樹(作家)、山崎正和(劇作家・評論家)の各氏だ。半藤氏は大空襲による「焼け野原の記憶がよみがえった」と証言し、田原氏は原発事故を「第二の敗戦」と捉えた。先つ日の拙稿では『国難』と『復興』のそれぞれに対して小考を記した。今稿では碩学養老孟司氏の炯眼を信倚したい。
 氏は3・11直後、「戦前、日本が曲がっていったのは関東大震災からではないかと考えている。大正デモクラシーがなぜ、軍国主義に変わってしまったか。震災の影響が非常に大きかったのではないか」と語った。刺激的で極めて深い問題提起だった。そして今月11日大震災5年目に、氏は朝日のインタビュー記事で次のように語った。以下、書抜。
◇突然、極端に異なる知覚、感覚が暴力的に入ってくるような事態を脳みそは嫌います。大震災などの天変地異が起こると、それぞれの人の脳に、暴力的ともいえる勢いで外部の事象が攻め立ててきて、意識の世界が妨害されます。未曽有の事態に直面した人間の脳みそは、それまでとは大きく変わったものになってしまう。
 少し前まで、豊かな都市生活が繰り広げられた場所に、焼け焦げた遺体が無数に転がった。それを目の当たりにする経験をした人々の心には、非常に深刻な影響が残りました。修羅場を体験した人は、あれから自分が変わったと思ったはずです。
 大震災から戦争まで一直線に流れていったのは、一晩であまりに多数の死を目撃し生の不条理に直面したことで、命をめぐって心に大転換が起きたからでしょう。人間の命の値打ちが軽くなり、戦争を始めるハードルも低くなった。あれほど絶望的な戦争が延々と続いたのも、大震災で心の大転換があったからとしかいいようがありません。
 自然界が人間の価値観と関係ない力学で動いていると直視すること。自然に善悪はありません。台風、噴火イコール悪でもない。外部世界をニュートラルに見ない社会は狂ってしまいます。既成のシステムも、その時限り、今の状況に過ぎないのに、これからも未来永劫、維持されると思い込む。それは頭の中毒です。中毒の行き着く先は原理主義です。◇
 戦争への顚落の導因を関東大震災に看取し、自然をありのままに直視しない社会は滅ぶと誡め、既存システムへの執着は頭の中毒だと断ずる。いつもながら、腑に落ち胸がすく大言論だ。
 してみると、本邦この5年の趨勢は「大震災から戦争まで一直線に流れていった」歴程を準っているといえば大言、過言の極みであろうか。「戦争を始めるハードルも低くなった」諸相をこの2、3年、目の当たりにしては来なかっただろうか。「意識の世界が妨害され」憲法で誓った平和への志向が霞んではいないか。大震災で崩れ去った安全と成長の神話に未だに執着するのは「頭の中毒」そのものといえる。足を洗えないのは中毒だ。「既存のシステム」への偏執から抜け出せずパラダイムシフトができない。「行き着く先は原理主義」だ。刻下の宰相に巣喰う反知性主義こそ原理主義の別称ではなかろうか。
 10年の節を跨越し、「長蛇を逸する」遺恨なきよう「流星光底」する一筆を磨かねばなるまい、などと分不相応な心組みを妄想して今稿を閉じたい。 □


ブログの衝撃と訓話の不愉快

2016年03月22日 | エッセー

 「保育園落ちた日本死ね!!!」は遂に鈍重な政府に腰を入れさせた。総数約1600万、内アクティブ300万といわれるブログの中で際立った影響力を劇的に誇示した。
 怒髪天を衝く筆鋒を抜き書きしてみよう。
¶ 一億総活躍社会じゃねーのかよ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。
保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ。
不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。
まじいい加減にしろ日本。 ¶
 なんとも凄まじい。「無理だからwって言ってて」の“w”は誤字ではなく、“(笑)”の省略形らしい。自嘲を込めたのか。片や、宮崎くんも松島おばさんもバッサリ。この投稿は2月、どっこい今月はこのおばさん、ウチワに飽き足らず、スマホと新書と欠伸の三連発をカマしている。返す刀でオリンピックを糾弾し、議員定数も槍玉に挙げる。社会的政治的イシューを網羅的に俎上に上げる手腕は見事なものだ。なによりこのヤンママを地で行った物言いが利いている。「保育園を落ちました。日本はどうかしてます」と来て「ではありませんか」「大いに疑問です」などと小洒落ていたら、誰も目を止めなかったであろう。まことにヴォイスのなせる技だ。
 犬の遠吠えにしかすぎない本稿に比して、空前の膂力を満天下に示したといえる。まさに『ブログの鑑』だ。
 このブログを取り上げた予算委員会での質疑をたまたま聞いていた。総理は匿名である以上確かめようがない、と答弁した。このひと言に、この人物のなんたるかが凝っている。この場合、匿名であるか否かはまったく問題にならない。火事の通報を想起すれば足りる。通報者が特定できなければ消防は動かないのか。「確かめようがない」とは問題の存否もしくは程度を差しているのであろう。まさか存否ではあるまい。すでに政策に取り込まれてる以上、存在を知らないはずはない。ならば、程度か。そうともいえる。しかし真意は、「日本死ね!」への深層心理からの拒絶が問題の提起自体をネグレクトさせようとしたのではないか。『美しい日本』に「死ね!」と罵声を浴びせられた。その刹那、思考停止してしまった。だから施策を打っているにもかかわらず、辻褄の合わない「確かめようがない」という言葉が口を衝いて出た。まさしく語るに落ちたわけだ。
 反知性主義とは実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度であると、佐藤 優氏は言う。総理の発言はこの定義に過不足なく該当する。してみれば、このブログは時の宰相の反知性主義を白日の下に曝いた智剣だったといえよう。
 一方、先月下旬大阪では「女性は2人以上産むことが大切」と全校集会で生徒たちに語った校長の発言が物議を醸した。要旨は以下の通り。
¶ 今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを2人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。
 なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。
 「女性が、こどもを2人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それほど価値のあることなのです。
 もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。
 次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。
 人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。
 子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。
 やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。 ¶
 賛否があるらしい。ただコンテンツ以上に聴く者を動かすのはその語り口だ。話者との関係、知的レベル、理解力、親和の情、場所、シチュエーション、社会的環境、地域的事情、成熟度、個人的歴程などさまざまなファクターが織りなす中で言葉を紡がねばならない。この話を聞いた女子生徒の中で何人が胸にすとんと落ち、「日本の国がなくなってしま」わないために「2人以上産み、育て上げ」ようと凜々しき決意に立ち上がったであろうか。この校長は確信に充ち満ち、前言を変える気はないそうだ。
 さて上げて落とすようだが、「保育園落ちた」ブログとこの校長訓話の双方に致命的に欠けているものがあるような気がしてならない。それは何だろう、としばらく考え倦ねていた。やがて内田 樹氏の近著を読むうち、霞が晴れた。以下、抄録。
◇国民もまた政府と同じように、出産育児を「経費と収益」で考量するようになる。「子どもを産むのは得か損か?」という問いのかたちで出生問題を考える傾向が支配的になる。今の日本では出産も育児も、親の社会的活動に大きな障りとなります。育児負担は経済的にも重いし、就業形態も制約されるし、自由時間もなくなる。
 出産育児はさまざまな発見をもたらし、親の人間的成熟に資する「愉快な経験」であるということをアナウンスする人はきわめて少数派です。とりあえず政府は言わない。
 逆説的ですが、少子化政策と児童虐待は、思想的には同一のものです。そこには出産育児を通じて「人間は成長する」という当たり前のことが言い落とされている。損得というのは「財布から出した金」と「手に入れた商品」を比べる消費者の言いぐさです。でも、消費者は成長しない。「スーパーで買い物をしている間に価値観が変わる消費者」というのはありえない。子どもを産み育てる過程で「子どもを産むのは得か損か」という算盤そのものが失効するということは、算盤勘定をしている人間にはどうしても理解できない。資本主義先進国では、どこも損得を基準に思量する人たちが多数を占めるようになった。だから、人口減になる。当然のことです。
 日本はこのまま人口が減り続けます。これは断言できます。人口減が止まるとしたら、それは「子どもを生み育てる喜びと達成感は、損得勘定できるものではない」というまっとうな知見が常識に再登録された場合だけです。◇(文春文庫「街場の文体論」より)
 そうなのだ。「親の人間的成熟に資する『愉快な経験』」が語られていない。欠損していたのはこれだ。前段のブログは未だしとしても、後段の訓話にはあって然るべきではないか。なぜか双方に漂う身も蓋もない欠乏感の正体はこれだ。
 かつて養老孟司氏は少子化よりも少“親”化が問題だと指摘した。親の親世代が自らの『愉快な経験』をもっともっと語り継がねばならない。「常識に再登録」されるまで。 □


梯子

2016年03月19日 | エッセー

 勤めていたころの話。イベントがあった際、社屋の外壁に字幕を取り付けることになった。上役が心意気を見せようと自らその作業を買って出た。下働きのおじさんに梯子を抑えておくように命じて登り始めた。三、四段進んだところで、上役が顔を真っ赤にして急に呼ばわり始めた。
「離せ、離せ!」
 なんと、おじさんは上役の片足を両手で必死に抱きすくめている。声を荒げれば、余計に力を入れる。といって上役が手を離して制止しようにも、離せば引き摺られて転落してしまう。危ない。急いで駆けつけおじさんの手を引き離して、やっと事なきを得た。実はこのおじさん、耳元の大声でやっと通じるほどの難聴だったのだ。
 上司の認識不足も責められるが、状況を弁えずまさかの足にしがみついたおじさんもおじさんだ。後で訊けば、変なことをさせるなと訝りつつそうしたと言った。
 作ったように滑稽な話だが、実話だ。コミカルなエピソードには、とかくアレゴリーを捩じ込みたくなる。上司を刻下の宰相に、おじさんを日銀総裁に、字幕をなんとかミクスに、とでも。
 マイナス金利は設備・住宅投資を高め個人消費も上向くと踏んだが、すべては裏目に出た。内閣府の調査では、消費関連の景気判断は前月比でマイナス2.4㌽、住宅関連でも1.8㌽の悪化。株価は下落し、消費マインドは陽気とは逆に冷えたままだ。どころか、家計は不安を抱き防衛意識が高まっている。社会主義国紛いの政府による賃上げ要請にもかかわらず、春闘は軒並みダウン。全体のベアは、前年比0.5%未満にとどまる公算が強い。なにせ、あのトヨタの社長が「潮目が変わった」と言うくらいだ。“上役”さんの大音声(オンジョウ)に応じた“おじさん”の意固地な奮闘が、あに図らんや“上役”さんを窮地に追い込んでいる。これでは、なんとかミクスの大字幕もはっつけようがない。そんな図ではないか。
 潮目といえば宰相も総裁もグローバル経済のそれはもとより、経済史的潮目がまるでお解りになっていない。いまだに成長神話に憑依されたままだ。東芝の不正会計事件はその神話が生んだ悲しくも哀れな末路だというのに。
 経済学者の水野和夫氏は東芝とVW2つの不正事件について「電気機械産業と自動車産業で起きたという点で近代の終わりを象徴するような事件だ」と述べ、「東芝は『日本株式会社』の一つであり、VWは『ドイツ株式会社』ですから、株式会社の存在がいま問われているのです」(詩想社新書「資本主義の終焉、その先の世界」から)と深層を抉っている。
 ならば両社のトップは文字通りの“上役”で、“おじさん”は実務者や技術者ということになろうか。この場合、「離せ!」は「稼げ!」だ。挙句、梯子を外された。
 本邦一国が丸ごと『日本株式会社』にしか見えないヤンキー宰相さんも他人事(ヒトゴト)ではあるまい。もうここまで来れば、なんとかミクスの“はしご”はできませんぞ。 □


欠片の瓦版 16/03/15

2016年03月15日 | エッセー

■ 面談、廊下で5分立ち話 「万引き」確認不十分 広島・中3自殺
 「3時間待ちの3分診療」がまず浮かんだ。3年間の中学生活がたった5分の立ち話で総括される。日本の医療事情を揶揄するこのコピーに通底する薄ら寒さが突き刺さってきた。
 さらに、診察室のありさま。医者は始終机上のディスプレーを見ている。生身の人間がさまざまなセグメントに分割され、数値として表示される。マニュアルめいた問いかけがあり、処方がプリンターから吐き出される。
 大きく捉えれば、近現代が抱える問題群の根を「数値化」に求める識者は多い。宇都宮大教授で歴史家の下田 淳氏は「あらゆるものを数値と結びつけて考えたがる『理系バカ』が支配する現代社会から脱しなければ、日本の未来はない」(筑摩選書「ヨーロッパ文明の正体」)とまで言い切っている。極小すれば、『理系バカ』が一地方の中学校にまで浸潤しているともいえる。政府や大阪府・市が進める愛国心教育の数値的査定なぞは『理系バカ』の愚劣で醜悪な暴走でしかない。大学教育の文系廃止も同じ文脈のファナティックな狂騒だ。
「君にとっておれは数いるクランケのワン・オブ・ゼムかもしれぬが、おれにとって君はオンリー・ワンだからね」
 かつて入院中、ドクターのすげない対応に稿者はそう噛み付いたことがある。“彼”にも地団駄踏んで噛み付いてほしかった。それが口惜しい。

■ 囲碁AI、韓国棋士に3連勝で勝ち越し
 最初に白旗を上げたのがチェス。続いて将棋。そして今回、最後の砦とされた囲碁が一敗地に塗れた。勝者はグーグル傘下のディープマインド社が開発した囲碁の人工知能(AI)『アルファ碁』である。
 6年前に将棋が負けた際、次のように拙稿を呵した。
〓将棋コンピューターソフト「あから2010」、女流王将破る 開発35年、進歩示す
 「あから」は仏教用語で10の224乗のことで、将棋で可能な全局面数に近いという。プロのタイトルホルダーにコンピュータが初めて勝った。これは快挙であり、紛れもない出藍の誉れではないか。屈折しつつも、苦節35年。見事な成長を遂げた。
 注目すべきは、「四つのコンピューター将棋ソフトが多数決で指し手を決める」手法だ。これは3人寄れば文殊の知恵を、1人分優に凌ぐ。女流王将といえども、トップ・アマを4人も向こうに回せば勝ち目は相当引っ込む。
 人間の思考に学ぶところから出発した機械(ハード、ソフトともに)が、いまや先達に堂々と伍する。どころか、超えようとしている。否、超えた。機械に負けたなどと、無粋なことは言うまい。“あから”さまに(失礼)ぶっちゃけると、ソフトを書いているのはいまだに人間だ。〓(10年10月「時事の欠片 ―― 出藍の誉れ」から)
 『アルファ碁』はどう違うか。報道によれば「ディープラーニング」(例:赤ん坊がいろいろな触れ合いから猫の特徴を学習し、あれこれの猫を猫として認識できるようなる過程)の進歩だという。それが様々な棋譜を読んで「自ら学習する力」に飛躍した。膨大なデータからシミュレートし、最適の手を選んだのが今までの方法。だがチェスが10の120乗、将棋が10の220乗であるのに対し、囲碁は10の360乗と極端に選択肢が多い。とても計算が追いつかない。アルファ碁は棋譜データを画像としても処理し、「人間が直感で状況判断するように、選択した少数の情報だけを処理」していくそうだ。となると、すっかり人間と同じ遣り様。「インターネットから10万の棋譜を入力し、自己対局を3千万回やって学習した」という桁外れの能力を考え併せれば、もはや人間跣ともいえよう。
 「天声人語」は、3月14日に
──SFで人類の敵といえば、宇宙人か人工知能が頭に浮かぶ定番である▼そのうち当コラムも「筆者は人工知能氏に」とお知らせする日が来るやも知れない。きのうの4局目で、ようやく李九段が一矢を報いた。届いたニュースにどこか安堵する自分がいる。あまり急ぐなよ、君。──
 と綴った。文筆だけではなく、自動運転、画像検索、金融、介護などなど、多くの分野で将来が期待される。そのうち人間の替わりどころか、「人類の敵」になりかねない。“心身”ともにヒトを超える日が来るやもしれぬ。先述の「ソフトを書いているのはいまだに人間だ」を超えて、「ディープラーニング」したAIが自ら書きはじめないとも限らない。さて、どうする? 
 新たな神話が要るかもしれない。「神が人間を造り給うたように、AIを造り給うたのは人間である。今や人間は創造主、神となった」と。ただ、それをAIが自己学習してくれる豊富で信憑に足るデータが残せるかどうか。「あまり急ぐなよ、君。」じゃなくて、「急ごうよ、僕たち」だ。

■ 訃報:多湖輝さん90歳=「頭の体操」著者、心理学者 3月6日死去
 毎日新聞、1時間前の速報である。「頭の体操」に限らず、高校時代から長く読んできた。面識はないが、恩師でもある。なんだか心中すっぽり穴が空いたようだ。長寿であったことが救いか。御冥福を祈るばかりである。 □


5年目の3・11

2016年03月12日 | エッセー

 5年が経った。ひとつの節目ではある。民放はニュースでの特集以外はいつも通りのおバカ番組を垂れ流していた。だから一日中、NHKの特番を見つづけた。なにができるか、なにをしているかではなく、ともかく忘れまいとの一心で見つづけた。
 直後の3月13日、「2度目の復興へ」と題し拙稿を呵した。末尾に、──すでにこれは国難である。ならば一国を挙げて対処せねばならぬ。このような未曾有の災厄に偶会するのもただならぬ因縁だ。日本の歴史、いな人類史的課題への挑戦と捉えたい。
 60数年前、わが国は全国規模の「空爆」の灰燼から立ち上がった。約10年で復興は成った。今度は、2度目の『戦』後復興ともいえる。幸い前回とは違い、国の大半は無傷だ。経験もある。心が没しない限り、再起はできる。どっこい、日本は沈んではいない。──と記した。
 いかにも甘かった。なぜ「国難」なのか。「復興」とはなにか。言葉が軽い。認識が浅い。読み返すに、忸怩たるものがある。

 11日、主要三紙は揃って社説に取り上げた。(──部分は要約)
 朝日は「震災から5年 心は一つ、じゃない世界で」とのタイトル。サブタイトルは3つ。
¶ 深まる「外」との分断
──「今年の漢字」にも選ばれた「絆」から、今「分断」を憂える声が聞こえる。住宅移転、巨大防潮堤、震災遺構、地元の意見は割れてきた。特に福島は線量による区割りで補償額が違い、家族や住民が切り刻まれている。放射能被害を克服しつつある福島の苦悩が外に伝わらず、風評も収まらない。「原発への否定を無頓着に福島への忌避に重ねる口調に落胆」する人も。──
¶ 「言葉」を探す高校生
¶ 伝わらないことから

 毎日は「大震災から5年 福島の現実 向き合い、そして前へ」と題し、小見出しが2つ。
¶ 被害の全体像なお不明
──放射能汚染の実態と、今も続く被害を正確に把握しなければならない。原発事故については、政府の事故調査・検証委員会のほか、国会や民間の事故調査委員会などが報告書をまとめた。だが、原子力災害による被害に焦点を当てた政府の総括的な調査や検証はいまだ不十分だ。福島大の小山良太教授は「原子力災害の政府報告書がないことは、事故の総括がまだされていないということだ」と指摘する。具体的には、避難状況や土壌などの汚染実態の把握、健康調査、農産物の検査結果などの現状分析、放射線対策への取り組みと、それに対する評価が必要だと説く。──
¶ 「福島白書」の作成を
 
 読売は「復興総仕上げへ 再生への歩みを確かなものに」との表題で、4つの副題。
¶ 将来見据えて事業の見直しを
¶ 住まいの再建にメド
¶ 人口減を食い止めよう
──テナント27店舗が並ぶ商業施設が誕生した地域がある。7億円近い整備費のうち、国の補助金が約7割を占める。現在、休日の午後でも、人通りはさほど多くない。復興の拠点としての役割を果たすには、地元住民だけでなく、観光客も足を運ぶエリアとして、にぎわいを創り出していくことが欠かせない。巨額の予算を投じて、高い防潮堤を設けても、その近くに住む人がいなければ、無駄になるだろう。安倍政権になって、国土強靱化の名の下に過剰な公共事業が息を吹き返した面は否めない。国費で整備された施設でも、維持管理は地元が担うケースが多い。その費用が財政を圧迫しかねない。──
¶ 福島支援に国を挙げて

 毎日には隔靴掻痒の感がある。「福島の現実 向き合い」どころか、われわれは国際社会に向かって「アンダーコントロール」「完全にブロック」と大嘘をついてオリンピックを招致した首相を抱えている。少なくとも世に真摯であろうとするなら、先ずはこの恥ずべき現実に向き合わねばならない。
 「復興総仕上げへ」とは、読売は相も変わらず脳天気だ。<企業誘致、観光客誘致、特産品開発>という地方振興三種の神器から発想が抜け出ていない(昨年11月の拙稿「“1%”が魅力!」を参照願いたい)。旧来のパラダイムを前提にしての効率論では去年の暦だ。
 3紙の中で出色だったのは朝日だ。ここだけが直截に内面へ問いかけた。分断は絆の反対概念だ。結合は善を招来するが、分断は悪を生む。しかも県の内外(ウチソト)の重層に亀裂が走る。5年が突き付けた一つになれない世界。共感を打ち砕く現実。タイトルも含意に富む。
 マスコミには発災前後を対比する数字が並ぶ。復旧のメルクマールではあろうが、復興のそれではあるまい。
 11年6月、政府が立ち上げた復興構想会議は「創造的復興」を理念に掲げた。論点にはいくつか興味深いものがあった。数例挙げてみると、
──“創造的復興”とは?
 旧結合の喪失/新結合の創造/思い切って大胆に新しいつながり、ネットワーク、地域社会再編を模索する時。
 まちの復興より「人」の復興/21世紀型の新しいまちづくり/真の「安全・安心」は高台移転だけでは担保できない。
 “未来”の震災に備える/「予防」減災/リスクの見える化
 社会の血液循環のクリエイティブ・デザイン──
 などであった。ラフではあっても「復興」にかなり太い線で輪郭を引いている。「旧結合の喪失」から発しているのは鮮やかだし、「予防」減災も納得がいく。社会の血液循環を創造するという視点も際立つ。特筆すべきは「震災からの復興と日本再生の同時進行」を原則にしたことだ。少子高齢化、人口減少社会、産業の空洞化、低成長社会などの日本全体が抱える問題群を乗り越えるモデルケースにしようとの理念である。極めて深い問題意識が裏打ちされていた。
 それが今、かつて来た道、公共工事の濫立に矮小化しているのではないか。5年の節目になすべきは、再度「復興」を問い直すことだ。遅くはない。1度立ち止まって原点を見つめ直す。振り返るに、「国難」とは「成長神話」の崩壊ではなかったか。経済成長がすべてを解決する。すでに崩れ始めいたその神話が、もう一つの神話「安全神話」とともに二つ乍ら瓦解したのが3・11である。国難とはパラダイムシフトなくしては存続できない事態のことだ。 
 資本主義の終焉を予告する水野和夫氏がいう「『より速く、より遠くへ、より合理的に』という近代資本主義を駆動させてきた理念」を逆回転させた『よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に』(集英社新書「資本主義の終焉と歴史の危機」から)を中核的価値に据えなければ乗り切れない時代である。「成長から成熟へ」をキーコンセプトに、マクロなスタンスから「復興」を問い直すべきだ。
 随分横柄な物言いになるが、ダウンサイジングを怖れるべきではない。拙速より巧遅がうんと賢い。大儲けより小商いでいい。遠くのお得意より近回りの顔が見える客だ。東北だけで経済が回れば御の字ではないか。そうやって、これからの日本にロールモデルとなる。態(ナリ)は縮んでも気宇は壮大。一番涙を流したところがやがて先頭を走り、一等多くの笑顔に包まれる。東北こそ、その資格ありだ。 □


『こんこ』

2016年03月09日 | エッセー

 季節外れとでもいえそうな雪をテレビが伝えていた。
 つい、
 〽雪やこんこん 霰やこんこん
 と口ずさんだら、傍らの荊妻が「常識のない人は困るね。雪や『こんこ』だよ」と宣った。
 確かにそうだ。

1 .雪やこんこ 霰やこんこ。
   降つては降つては ずんずん積る。
   山も野原も 綿帽子かぶり、
   枯木残らず 花が咲く。
2. 雪やこんこ 霰やこんこ。
   降つても降つても まだ降りやまぬ。
   犬は喜び 庭駈けまはり、
   猫は火燵で丸くなる。

 題名は『雪』。「日本の歌百選」のひとつ。明治44年に文部省が定めた「尋常小学唱歌」が初出という。作詞、作曲者ともに不詳。稿者に限らず、『こんこん』と歌う“常識のない人”は多いのではないか。長く保育畑にいたからこそ、山妻は『こんこ』を“常識”にできたにちがいない。なぜなら長く謦咳に接してはいるが、ほかの畑で『こんこん』たる常識をお持ちであるようにはとても見えないからだ。要するに、たまたま知っていただけだ。
 「こんこん」には2つある。形容動詞の『渾渾・混混・滾滾』。広辞苑に拠れば「水が盛んに流れて尽きないさま。また、物の入りまじるさま」をいう。一方、副詞の『こんこん』は「木を軽く連打する音、軽い咳、雪や霰が頻りに振るさま」をいう。“常識のない”『こんこん』は後者だ。ところが、そうではない。詞は『こんこ』なのだ。
 これにも2説ある。1つは、「来む来む」の転訛。雪よ、『降れ降れ』との願いだ。2つ目は、「来む此」。ここ(此)に降れとの謂だ。国語学者の大野晋氏は前者を採っていたそうだ。だとすれば副詞の「こんこん」と同意だが、歌詞はあくまでも『こんこ』だ。悔しいが、愚妻の常識に軍配があがる。しかし、癪だ。枕流漱石を試みた。
 調べてみると、なんと『こんこん』があった。
 『雪』に先立つこと、遙か10年。明治34年文部省認定の「幼稚園唱歌」20曲のうちに、
 東くめ作詞、瀧廉太郎作曲『雪やこんこん』
 と題する唱歌があったのだ。
 歌詞は、

 〽雪やこんこん、あられやこんこん。
   もっとふれふれ、とけずにつもれ。
   つもった雪で、だるまや燈籠。
   こしらへましょー、お姉様。〽

 である。曲はまるっきり違うが、歌詞は紛れもなく『こんこん』である。これで枕流漱石せずとも、石に枕し流れに漱げるというものだ。
 実は、さらに遡ること明治20年に選定した「幼稚園唱歌集」が文語が多くて幼児には不向きであった。そこで、口語による童謡の作詞を始めた東(ヒガシ)くめに白羽の矢が立てられたというわけだ。彼女は『お正月』をはじめ瀧廉太郎と組んで数々の名曲を遺し、口語体童謡の母と讃えられる。
 如上のごとく、『こんこ』よりも『こんこん』が先輩格である。だからどうだといわれても困るが、このことも“常識”に加えていただければ幸いである。
 来シーズンまでもう歌うことはないだろうが、今度は声高らかに『こんこ』でいこう。これこそ“常識”の“こんこん”ちきなのだから。 □


終わらざる『終わらざる夏』

2016年03月05日 | エッセー

 10年7月浅田次郎著『終わらざる夏』が上梓された2週後、《炎陽の一書》と題する拙稿を呵した。一部を引いてみる。
〓帯広告は謳う。
  着想から30年。浅田次郎が満を持して挑む、北の孤島の「知られざる戦い」。
  1945年8月15日 ―― 戦争が、始まる。
 著者は、「止めようとして止められなかった戦争と、終わってから始まった戦争とでは、天と地の開きがある」と語る。さらに、「戦後65年、いまが小説を書いて世に出すギリギリのタイミングではないか」とも続けた。
 時を遣り過ごせば、あの戦争が「歴史」になってしまう。赤紙に翻弄された群像が父であり母であり、祖父母であったうちに、つまりは戦争と血の繋がりがあるうちに書き留めておかねばならぬ。起こる筈のなかった終戦後の戦争を不問のまま「終わらせてはならない」のだ。「挑む」のは、そのためだ。
「私は、人間を書くのが小説だと思っています。だから今回も、戦争を書いたのではなく、戦争に参加した人間たちを書いたのです」
 と、著者は語る。
 ―― 戦争とは、命と死との、ありうべからざる親和だった。ただ生きるか死ぬかではなく、本来は死と対峙しなければならぬ生が、あろうことか握手を交わしてしまう異常な事態が戦争というものだった。 ―― (第三章 より)〓
 先日半藤一利氏の近刊を読むうち、「終戦後の戦争」にふと疑念が湧いた。浅田御大に対し、浅学非才を省みない傲岸不遜の邪念であることは百も承知である。盲蛇に怖じずであり、遼東の豕と切り捨てられるは覚悟の前でもある。しかしなんとなく気障りだ。不問に付しておけば不定愁訴が嵩じる。そこで、あらためて「終わってから始まった」について、同書を繙き原文に当たってみた。
 上下千頁に迫る大著である。見落としがあるかもしれぬが、該当部分は2箇所に留まる。
 1つ目は、罐詰工場で働く女子挺身隊の娘たちを北海道へ脱出される場面。地下壕に集合した彼女たちに工場の担当者が語りかける。

 すべてを洗いざらい言う。これまではみなさんに聞かせたくないこともあったし、時にはやむなく嘘をついたこともあったが、今は本当のことだけを言います。
 戦争は八月十五日で終わったはずなのに、きょう八月十八日からまた戦争が始まりました。国際法を無視して、敵が攻めてきたのです。こうした事情では、みなさんがこのさき何をされるかわかったものではありません。日本軍はやむをえず戦っていますが、問題は勝ち敗けではなく、そうした性根の敵ならばみなさんに対しても容赦はないだろうということです。
(第8章 下巻382頁)

 2つ目は、前線大隊からの師団長への戦闘報告。

 僭越ながら、同志P・I・ジャコフ師団長閣下にお訊ねいたします。回答は望みません。同志閣下および同志幕僚諸兄がこの素朴な疑問についてご再考下されば幸いです。
 第一に、戦争は和平の成立またはいずれかの降伏によって終結を見ます。八月十五日にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した日本に対して、十八日になってから新たに武力を行使するというのは明らかな国際法違反ではありませんか。そうではないとする合理的な可能性を、本官はどうしても見出せません。
 第二に、勇敢なるわが赤軍兵士は、去る五月七日のドイツ軍無条件降伏によって、大祖国戦争に勝利しました。ならば、八月八日に至って、有効なる相互不可侵条約を破棄してまでの対日宣戦布告は、新たなる戦争の開始なのでしょうか。そうではなく、これもまた栄光の大祖国戦争の一部であるとするなら、本官はこの戦闘に限っては栄光なるものの根拠を見出せません。
(第8章 下巻410頁)

 1つ目の「八月十五日で終わったはずなのに・・・十八日からまた戦争が始まりました・・・国際法を無視して」と、2つ目の「八月十五日にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した・・・十八日になってから新たに武力を行使・・・国際法違反ではありませんか」は同意である。「終わってから始まった」についての描写は調べたところ、この2箇所きりであった。国際法の無視・違反が糾弾されている触りだ。
 そこで、口耳之学である。先述の半藤氏に戻る。『昭和と日本人 失敗の本質』で、氏は「当時の日本の政軍指導層の国際法にたいする無知」を剔抉している。
◇ポツダム宣言受諾の通告といっても、連合国にとっては、日本の降伏の意思表示にすぎなかったということ。国際法上の正式の「降伏」を完成するには、降伏条項の正式調印をまたなければならなかったのである。それを日本のトップはしっかりとわきまえていなかった。満洲に侵入したソ連軍参謀長アントノフ中将は、八月十六日の布告のなかで、堂々と言明している。天皇が連合国に対して十四日に行った通告は「単に日本降伏に関する一般的なステートメント」にすぎず、日本軍の降伏が正式に実行されていない以上は「極東におけるソ連軍の攻撃態勢は継続しなければならない」と。(略)
 ソ連軍は侵攻をとめなかった。なぜ、この無法が許されたのか。理由は実に簡単であった。八月十五日以後に日本政府と軍部とがしばしば使った「降伏」という言葉は、すべて、降伏文書調印(九月二日)以後を示していたからである。◇

 国際法上の「降伏」とは慣例的に「ハーグ陸戦条約」に基づき、
① 休戦協定を結び、のち平和条約の締結をする
② 占領による戦闘終結
 のいずれかと定められている。一方伝統的な戦時国際法では休戦協定の合意は口頭によればよく文書の手交を要しないとの見方があるが、休戦と降伏を同列に論じるのはいかにも無理筋だ。
 大枠の時系列を追ってみる。
 1945年 7月26日 ポツダム宣言
          8月14日 宣言受諾、連合国へ通告
             8月15日  玉音放送
           8月28日 連合国軍進駐開始
             9月  2日  降伏文書調印
 ①に拠るなら9月2日、②に拠るなら8月28日が降伏となる。
 ソ連軍上陸船団が占守島に上陸したのが8月18日で、戦闘終結が21日であった。この4日間は②の8月28日までに収まるし、無論①の9月2日より以前であった。つまり半藤氏の論攷に準えれば、8月18日も8月28日時点も、ともに未だ「国際法上の正式の『降伏』は“未”完成」であったのだ。ならば、“国際法の無視・違反”の論拠が揺らぐ。「戦争は八月十五日で終わったはずなのに」も、「八月十五日にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した」も怪しくなってくる。「終わってから始まった」ではなく、「終わってなくて始まった」ではないのか。
 なお、ソ連の対日宣戦布告は8月8日。翌9日に満州侵攻が始まり、同月18日まで続いた。こちらも如上の通りである。
 因みに、米英仏露は9月2日を「対日勝戦記念日」としている(中国は9月3日)。連合国の認識はなべて①であったことが判る。
 となると、卓袱台返しか。いや、滅相もない。そんな大それた疑念を抱いては不敬不遜の極み、身の程弁えぬ増上慢の謗りを受けよう。
 先ずは、「戦争を書いたのではなく、戦争に参加した人間たちを書いたのです」との著者の言を想起したい。このモチーフに適うため、この小説は通途の8・15説を前提としたと捉えたい。国際法上の規矩準縄は副次的マターに過ぎない。所詮は重箱の隅だ。
 さらに、「当時の日本の政軍指導層の国際法にたいする無知」がスターリン率いるソ連の狡知にしたたかに弄ばれたことだ。前掲書で半藤氏はこう述べる。 
◇ソ連はソ連であせっていた。この最終段階にきてのアメリカ案の占領区域別けの基準は、それぞれの連合国軍の現在位置(降伏調印時)が第一におかれていたからである。そこでソ連軍は、達すべき目標と地点を「関東軍の破砕、全満洲、北朝鮮、南樺太、千島の解放」とし、それを降伏文書の正式調印の日までに完遂しなければならないと、猛進につぐ猛進をつづけた。ソ連にとって幸いなことは、日本軍部の無知蒙昧が大本営命令として、日ソ停戦交渉は関東軍がよろしくやれと、「局地交渉」にしてしまったことである。◇
 脳天気な「停戦交渉は関東軍がよろしくやれ」は完全に逆手に取られた。親方が出てこない「局地交渉」など端っからネグられてしまい、攻撃は続行された。
 肝心要は「日ソ中立条約」である。この締結は1941年4月であった。有効期間は5年で、満了1年前までにいずれかが廃棄を通告しない限りさらに5年延長されると規定されていた。関東軍の特殊演習を背信行為と決めつけて、一方的に廃棄を通告してきたのは1945年4月であった。真っ当に読めば、延長はなくなるとしても、あと1年間1946年4月までは有効であるはずだ。駐ソ大使がその旨を糺すとソ連の外相は来年4月までの有効をあっさり認めている。しかし、まんまと二枚舌に欺されてしまった。してみれば、浅田氏が前線からの戦闘報告書で語らせた「第二に・・・有効なる相互不可侵条約を破棄してまでの対日宣戦布告」がにわかに重くなってくる。無法と非道の導因は、むしろこれではないか。4ヶ月余も拱手していた「日本の政軍指導層」の無能が取り返しのつかない犠牲を生んだと断じざるを得ない。「日本軍部の無知蒙昧」が『終わるべき』夏を『終わらざる夏』に顚落させたのだ。牽強付会を赦されるなら、その意味でこそ『終わらざる夏』がおよそ不似合いな須臾の炎陽で北端の島を焼き尽したのではないか。
 「戦争に参加した人間たち」は作家の勁筆によって作品の舞台に甦ったが、『終わらざる夏』は今も澱となって北方の島々に鈍く凝っている。 □
                      


アダムズ方式

2016年03月03日 | エッセー

 永田町が「アダムズ方式」で揉めている。衆院議長の諮問機関「衆院選挙制度に関する調査会」が定数配分にこれの導入を答申したのだが、自民が難色を示しているためだ。答申はこうだ。
──都道府県への議席配分は、各都道府県の人口を一定の数値で除し、それぞれの商の整数に小数点以下を切り上げて得られた数の合計数が小選挙区選挙の定数と一致する方式(いわゆるアダムズ方式)により行うこととし、各都道府県の議席は、その人口を当該数値(除数)で除した商の整数に小数点以下を切り上げて得られた数とする。──
 算数おんちの稿者は、ここにある「一定の数値」(=「当該数値《除数》」)に引っ掛かった。これは一体なにか?
 議席の配分方式として検討されたのは、2つの基数方式と7つの除数方式だったそうだ。基数方式とは人口規模に応じて比例配分する方法である。一見フェアな配分なのだが、総定数の増減と個別選挙区の定数が逆転する場合がある。実際にアラバマ州で起こったことから「アラバマのパラドックス」と呼ばれる。これはいかにもマズい。そこで基数方式を外して、アラバマパラドックスが生じない除数方式から選ぶことにしたのだろう。
 俎上に載せた7つの除数方式とは、ドント/サンラグ/修正サンラグ/ヒル/ディーン/デンマーク/アダムズの各方式である。要を得た略説をする力量はないが、小数点以下の処理の仕方が違うとだけはいえる。切り捨てるか、四捨五入するか、降順配分するかの違いで、切り上げるのはアダムズ方式のみである。ここが肝だ。アダムズ方式は以下の通り。
1.  一定の数値dを選ぶ。
2. 各選挙区の人口Pをdで割った商P/dを計算し、小数点以下を切り上げた値をもとに名区に配分される議席数を決める。
3. 議席数の総和が議席総定数と等しくなるまでdを増減してステップ2. を繰り返す。
 単純な例を挙げてみる。議席総定数を5とし、A県人口100人、B県60人、C県20人とする。
1.   dを40として
2.  人口を除すると、A県100/40=2,5で議席3。B県60/40=1,5で議席2。C県20/40=0,5で議席1となる。
3.  総定数が6となるので、dを50として
1.  再度、dを50で
2.  人口を除すると、A県100/50=2,0で議席2。B県60/50=1,2で議席2。C県20/50=0,4で議席1となる。
3.  総定数が5と等しくなって終了。
 これだと定数ゼロはあり得ないし、人口の少ない選挙区に極めて有利に働く。そこで、dである。これは、3. から2. を繰り返すなかで算出される値である。つまりあらかじめレギュレーションとして与えられた数値ではなく、総定数という結果から導出される変数ともいうべき値ではないか。「一定の数値」から定数を連想したためにど壺に嵌まったのだろう。まことに悲しいほど算数に弱い。さらに、「一定」とは「定まったと」いう以外に「十分ではないがそれなりの」との意味がある。この場合は後者か。
 ともあれ、引っ掛かりは消えた。おもしろいのはドント、サンラグは数学者の名前、ディーンも大学教授、ヒルはたぶん“the Hill”で米国議会のこと、デンマークは国名とあるなかで、アダムズは政治家の名前であることだ。それも第6代アメリカ合衆国大統領ジョン・クィンシー・アダムズである。
 父ジョン・アダムズは初代大統領ジョージ・ワシントンの後を襲った第2代大統領である。独立宣言を主導し、海軍を創設したアメリカ建国の父の中でも最も影響力があった一人とされている。両アダムズはアメリカで最初の親子二代の大統領だった。2組目はブッシュ親子である。親は措くとして子ブッシュは語る値打ちはあるまい。悲しいことにアダムズ父子は二人とも党内の抗争に悩まされ、2期目の選挙で敗れ大統領は1期のみで退いている。
 ジョン・クィンシー・アダムズも歴史に名を残した人物である。26歳でのオランダ担当大臣を皮切りにポルトガル、プロシャ、ロシア、イギリスの大使、公子を歴任し、その間米英戦争の停戦交渉に当たっている。モンロー政権では国務長官を務め、スペインと渡り合ってフロリダを獲得した。併せて長官時代、モンロー主義の確立、推進に大きく貢献した。未だ建国3、40数年。よちよち歩きの国家を背負っての外交である。後、その功績は高く評価され米国史上偉大な外交官の一人とされている。
 ただ大統領になってからはパッとしなかった。インディアンの土地を国費で買い取るという当時としては斬新な政策を推し進めたものの強烈な反対を喰らい、政争が絡んでさしたる業績は挙げられなかった。しかし、ここからが違った。ホワイトハウスを去ったのち、なんとマサチューセッツ州選出の下院議員として再び国政に乗り出したのだ。米国史上、大統領を経験した下院議員はジョン・クィンシー・アダムズただ一人である。
 捲土重来か、アメリカを代表するスミソニアン博物館を有するスミソニアン協会の設立に尽力し、また大統領時代からの懸案であった国立天体観測所の建設に足跡を残した。後世の歴史家は「フランクリンを除いて、アメリカの科学主義の前進に大いに貢献した人物はいない」と讃えた。
 その時期、新たな議席配分法案がイシューとなった。法案では議席総数が213から240に増えるのに、マサチューセッツ州の議席は13から12に1減するという。すわ一大事とアダムズが案出したのが如上の「アダムズ方式」であった。
 180年を越えて今もこの方式が長寿を保っているのは、おそらく「切り上げるのはアダムズ方式のみである。ここが肝だ」からではないか。その発想は「米国史上偉大な外交官の一人」だったからこそ、といわねばなるまい。利害損得を比較考量し押したり引いたりしつつ、かといって相手に致命傷や敗北感を与えずに落とし所をわが方(カタ)へ引き寄せる。そういう外交感覚を端数の「引き上げ」に見て取るのは穿ち過ぎであろうか。選挙の選出方式に万人の納得も完璧な正解もあり得ない以上、実に滋味のある妙案といえよう。そこの機微が飲み込めぬ自民党の諸君は野暮天揃いというほかあるまい。
 1848年初頭、下院でアメリカ・メキシコ戦争の従軍士官に謝意を捧げる提案の採決が行われた。元々この戦争に反対であったアダムズ・ジュニアは大きな声で「否」と応じ、数分後に倒れた。2年前に1度倒れ、復活してちょうど1年を過ぎた頃だった。すぐに下院議長室に移されたが、そのまま同室で2日後に息を引き取った。80歳、壮絶な討死とも気高き殉死ともいえる。「これがこの世の終わりか。私は満足だ」が、今際の言葉だったそうだ。わが永田町では絶えてなき話だ。
 赤絨毯の頓痴気たちに偉人の爪の垢を煎じて飲む気があるなら、すぐさま答申通りアダムズ方式を採用せよといいたい。 □