今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

次の地震はそこでは起きない

2016年04月26日 | 防災・安全

地震災害が起きると、「次はどこか」という思いにかられるのは、地震国の住民であれば、いたしかたない。
実際私もそのような記事を書いたら、アクセスが増えた。

だが、われわれが目の当たりにしてきた事実は、「東海地震」が起きる起きると言われ続けて30年、そこは沈黙したままで、
その間に起きたのは、あたかもその予想を避けるかのように、神戸、中越、東日本、熊本など、まったく別の地域での地震。
つまり地震は”そこ”では起きなかった。

だから、「神繩・国府津-松田断層帯」の確率が最も高い、いや「首都直下型」が先、いや「南海トラフ」が先という議論は無意味で、
どこで起きてもおかしくないと思うのが正しい。
真性の地震国であることを自覚するなら、「次はどこ」という推定地の限定化ではなく、
「次は自分のいるここかもしれない」と全員が思うべきである。
言い換えれば、「次は(自分の居る所ではなく)あそこだ」と思って”安心”することは防災上の後退でしかない。

「次はここかもしれない」という前提に立って、まずすべきことは、
震度7が起きても倒壊だけは免れる耐震化である(1981年6月以降の建築なら新耐震基準を満たしているのでOK)。

今回の地震でもそれ以前の地震でも、新耐震と旧耐震の差が歴然だった(熊本県の耐震基準は東京などの80%レベルに抑えられている)。
先日訪れた小田原城内(神繩・国府津-松田断層帯と相模トラフが近くを通る)の天守閣は、その耐震化工事で閉館中だった(5月から開く)。
公共施設は公費で、住宅は私費と公的補助で推進する。
この耐震化の不徹底が防災のネックになっていることが、熊本地震でもはっきりした。

そして、自治体(都府県)レベルでの防災化の推進(公助)が必要。
これは「この地に起きるかも知れない」と正しく自覚しているかどうかで差が出てくる。
さすが関東大震災に見舞われた東京都と、来る来るという東海地震の震源域をかかえる静岡県は真摯に取り組んでいる。
東京でいえば、大震災後の大正時代に、火災の延焼防止と物資の輸送促進のための広い道路網(東京を同心円状に囲む環状線とそれに直交して放射状に広がる線)を計画し、それが現在でも進行している(住民の反対でなかなか進まないため)。 
それと少なくとも東京区部では、住宅地のブロックごとに消火器が設置されている。
これは名古屋市(東海・東南海地震に見舞われるはず)では見られない光景だ。

東京に大地震が来たら”壊滅する”という期待が、特に遷都を希望する地域から寄せられているが(自分の所には地震は来ないと思っている)、
「次はここかもしれない」と自覚している東京だからこそ、財力を活かして最強の防災都市に成ろうとしている。
自治体の防災対策は住んでいればよくわかり、住んでいない人にはわからない。
だから勝手に「あそこは地震で壊滅する」なんて言わない方がいい。
むしろ、過去の震災経験も戦災もなく、古い町並み(旧耐震の木造家屋+緊急車両が入れない狭い道)の残っている(次はここかもと住民の誰もが思ってない)地方都市こそ、被害が大きくなりそうだ。