今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

吉良の殿様

2009年12月14日 | 歳時
12月14日は赤穂浪士討ち入りの日だが、
2週間前に三河湾沿いの吉良町に行ったばかりで、
現地での吉良の殿様への崇敬ぶりを見てきた者にとっては
(しかも私自身が吉良のホテルで、”刃傷松の廊下”よろしく額上部から流血)、
我が殿を殺した赤穂浪士の絶大な人気に圧倒され、
身を隠すようにしてきた人たちにむしろ同情する。

そもそも吉良氏は、清和源氏足利将軍家の一門であり、
本来的には徳川氏よりも家格が上。
そのセレブを”仇討ち”したのだから、
江戸庶民にとっては、溜飲が下ったのだろう。

領主として善政を施したという吉良上野介義央(よしひさ)は、
地元の華蔵寺に埋葬され(写真)、14日は命日として法要が営まれる。
物語としての「忠臣蔵」の影響力はそれなりに認めるが、
その陰で不当な歴史的評価を浴びている側にも光が当たるようになればいい。