今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

霧ヶ城跡と馬籠

2023年04月10日 | 城巡り

中津川の定宿(に復帰!)がある湯舟沢に向かって、南の恵那山脈から覆いかぶさるように伸びている尾根の末端が台地状の平原※となっている霧ヶ原(写真中央:馬籠から見た霧ヶ原の台地)。
※:両側が沢筋なので尾根が台地状になっているこういう地形は隣のふれあい牧場のある蕨平も同じ。背後の山脈からの大規模な地滑りの跡かもしれない。

ここは山上の平坦地で、古くは東山道(とうさんどう)が湯舟沢から神坂峠に上り、今では集落もあるのだが、山上の高原として別荘開発も進んでいる(あまり増えていない)。

かつての吉田兼好と同じく、湯舟沢の地を気に入っていた私も、ここに別荘を構えてみたいと思ったこともあったが、建物の管理・整備者ではなく、客としていつでも入れる温泉と出された料理を楽しみたいので、別荘の夢は消えた。

そんな霧ヶ原には山城(城址)が2つある。
1つは霧ヶ原の集落の中にある丸山城跡
もう1つは霧ヶ原の平原の突端、湯舟沢に落ちる急斜面上にある霧ヶ城跡

いずれも岩村城の出城で、信濃の武田勝頼と美濃の織田信長の接点の地(城も取ったり取られたり)。
そして、ここ霧ヶ原は、東山道という古い街道を押さえ、また木曽川に沿って信州木曽の山地から美濃の平野に出る所(後の中山道)を押さえる要害の地でもある。

前者の丸山城跡は、道標や案内板もあって城跡の直下に車を止めて簡単に行けるが(以前訪れたが記事にはしていない)、
後者の霧ヶ城跡は、道標も案内板も何もないので、どこから行けばいいのかわからなかった(一度敗退)。
Google マップの霧ヶ城跡のコメントに、入口が示されていたので、その通り別荘地を抜けた先のソーラーパネルの脇道から徒歩で入れる(役に立った!)。

観光地でない山城なので、不明瞭な踏み跡(同好の士による)を頼りに藪をかけ分けて進む。
すると、樹林の中に見まごうことのない石垣が(写真)。
写真を見て分かる通り、元が平坦地なので曲輪(くるわ)は楽に造れる場所だ。

山城巡りは、復元・模造の立派な天守閣なんぞとは無縁で、森の中の遺構から曲輪、切岸、虎口を見つけ、頭の中で縄張りを復元する。

石垣のそばの枯れた巨樹の脇に江戸時代の石仏(聖観音)が立っていて、その下から広めの道が登ってきている。
湯舟沢からの登城路だろう。

石垣の先は、狭い曲輪が並んでいて、その先端は急斜面となって湯舟沢に落ちている。
どちらかというと美濃側に対する構えの造りだ。

こういう未整備の山城は織田と武田に挟まれたこの地にはたくさんある。
通い慣れたこの地で、これらを巡る旅がまだ残っている。

この後、車で中津川駅前に行くと、駅前の馬籠行きのバス停に外国人の行列。
全員西洋人だが、団体旅行かどうかわからない(日本の団体旅行のように旗もって先頭に立つ人がいない)。
日本人客は一人もいない。
実際、馬籠に訪れる日本人は車で、路線バスを使わない。

その馬籠に行ったら、馬籠下の無料駐車場は満杯。
※ここの南(荒町側)にも馬籠城跡がある。
宿場内の道は、路線バスだけでなく観光バスでも来たらしい東西の外国人がたむろし、あちこちの店に入っている。
まさにインバウンドが戻った感じ。
2年前に経験した「無人の馬籠宿」からの変わり様→その時の記事

私も、全国旅行支援のチケットで買い物をする(木曽漆器を中心に買いたいものは絶えない)。
中津川にはこういう有名観光地(他に苗木城)もあるが、訪れる人のない山城もある。

宿に戻ったら、外国人(東欧系?)のグループがチェックインしていた。
平日なので、今日の宿泊客は日本人より外国人の方が多い。


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