今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

山陰旅行1:山根家のルーツ探訪…玉造から大東へ

2014年09月08日 | 

本記事は、全国の山根さん以外は興味をもてない内容なのをご了承ください。

さて、わが名字たる「山根」は、幕末維新の頃は長州の萩に居たが、さらに遡れば山陰が出である。
それについては、学生時代、わが家の伝承や父が購入した『山根一族』(日本家系家紋研究所)を参考に民俗学の授業レポートを書いたことがある。

山根と名乗る前を遡ると、すなわち山根の元は、「湯氏」であったという。
湯(ユ)というストレートな名は、その名字の地に温泉を連想させる。

その地が、そう、われわれが一泊目に泊まった、玉造(タマツクリ)温泉なのだ。

玉造温泉は、古代からの温泉で、出雲第一の名湯。
中世、ここを本拠地にした豪族がその名も湯氏。

湯氏の居城(玉造要害山城)は、玉作湯神社の奥の”湯山”(源泉の山)にあるので、名実ともに玉造の湯を支配していたことがわかる。

さっそく玉作湯神社に詣でた(写真)。
この神社、「縁結び」の神社として有名らしく、参拝者は若い(もしくはそれより年長の)女性が中心。
そもそも玉造温泉街自体、若い女の子の泊まり客が多い。
まず泉質に美肌効果があり、神社に縁結びの御利益を結びつけたのが奏効しているようだ。

参拝記念に、神社のお札を買おうと社務所を訪れたら、もう条件反射になっているのだろう、みんなが買っていく「願い石」の説明をされた。
女性らに混じって私一人が境内にうろついていては(同行者は宿に残した)、
ステキなご縁を願った乙女が瞼を開いて最初に目が合った男が私となってしまい、
御利益を大いに損ねては申し訳ないので、
華やいだ神社を早々に後にし、脇の指導標に従って、一人要害城を目ざす。

左右の竹があまりに丈夫なため、もともと少ない踏跡が不確かになってくる(実際、帰りは迷った)。
竹やぶの上のかすかな踏跡をたどって、斜面を登っていくと、「一の平」という頂上部に出る。
そこの看板地図(写真)を見ると、なんと「伝佐度守古墓」が離れた所(図の右下)にあるらしい。
湯判官佐度守(家綱)といえば、湯氏の中でも存在が確かで文書にも載っている人で、山根兵庫助と名乗ったともいわれる(史実なら、初代山根!)。

竹林で方向も距離もよく分らないので、あきらめかけたが、
竹にその指示板が打ち付けてあった。もう行くしかない。
それに従って降りて登って空堀を過ぎると、小さな苔むした石の祠が1つ稜線上に鎮座していた(写真)。
これだ!
400年の時を経て、わが先祖と対面することができた。
ここに来た甲斐があった。
湯氏は南北朝から戦国時代まで、この地にいて、尼子の家臣となったが、尼子滅亡を受けて、離散したらしい。そしてうちの先祖は毛利に服属し、萩の方に移ったらしい。

写真を撮るため、腰を下ろすと、山に登ってきたので息がはずんでいるせいだろう、
あたりの竹やぶからヤブ蚊がどっと押し寄せ、自分の服が蚊だらけになる。
その数たるや、ふつうの林では体験できない(ここが代々木公園でなくて助かった)。
そのため長居ができなかったのが悔やまれる(蚊のいない季節がお勧め)。

さて、われわれ一行は玉造温泉を後にし、道路標識に従い「大東町 16km」に向う。
信号がほとんどない道路を快走し、今では雲南市に入る大東町に達する。
ここあたりは出雲平野と中国山地の境で、まさに山の根にふさわしい。

ネット情報によると、山根氏は、ここ大東町の佐世荘の山根という地名から始まったとある。
上のサイトにはその典拠が載っていないが、佐々木系図によれば、佐世氏(湯氏の遠縁)の佐世清信の孫長清が山根と名乗ったという。
なのでここ佐世を山根発祥の地と比定したい。
といっても父には湯氏が元だと聞かされ、また『山根一族』によると湯佐度守家綱の子が関ヶ原の後、「湯氏の本城である温泉城の南麓なる古戦場に移し,地形に因みて山根と称する」とある。
ただ玉造には古戦場はなく、玉造から南西にあるここ大東町には戦国時代の古戦場(尼子氏vs.大内氏)もあるので、やはり佐世あたりになりそう。

地図によると、佐世(下佐世、上佐世)は大東町の中心部から外れた農村のよう。
下佐世に郵便局があるので、そこに行って「山根」という古い地名について尋ねようとしたら、土曜で閉局だった。
近くにいた工事作業員のおじさんに、上の質問をしてみたが、わからないという。
上佐世の小学校の向かいに地域交流センター(合併前の公民館)があり、開いていたので入ってみたが、誰もいない。
そこの書棚には「大東町誌」があり、それを旅行前に読んでくる予定だったのを思い出した(旅から帰って読んだ→後日譚)。

近所の住民の氏名が載った看板(住宅地図のようなもの)があったが、「山根」さんは一人もいない。
山根発祥の地であって、山根さんたちはここから出ていって、東西に散らばったのだろう。

ここに来たもう一つの目的は、登山をやっていた者の関心として、ここの山根は何ていう山の根なのか、すなわち山根の”山”を確認することであった。
地図では佐世の南西にある「(御)室山」に当りをつけたが、実際には目立った”山”という感じではなく、むしろ特定の山というより漠然とまわりの低山に囲まれた地という感じで、
山根の名にふさわしいのんびりした所だ(写真:右側の山が室山)。
あえて車から降り、足で歩いて、空気を吸って、風景を眺め、体全体で山根発祥の地を味わった。
そして郵便局の前で待っているレンタカーに乗り、この地を後にした。


後日譚

本来行く前に見る予定だった『大東町誌』『新大東町誌』を帰宅翌日に国会図書館で見たが、「山根」に関する記述は、人名にしろ地名にしろ見当たらなかった。
そこで同館の地図室で明治時代の5万図などいろいろあたったら、発行中の『島根県道路地図』(33P右)の大東町のページ33(右下)に、下佐世(C4)からから東南東へ5キロ、同じ大東町の箱渕(G6)という所に「山根」というバス停を見つけた(地名だろう)。
ただそこは地図で見る限り、深い谷の合流点なので箱渕という字名の方が合っている。
平氏のように追手を逃れて隠れ住んだわけではないので、ここが発祥の地とは考えにくい。
また、同地図の大東町中湯石(G3:玉造からほぼ真南)に「山根生コン」という工場マークとその西隣に「湯神社」がある。
湯神社についてネットで調べたら、南隣の海潮温泉を古代から守る温泉神社で、湯氏が勧進したものではなかった(祭神も異なる)。残念!
ちなみに『角川日本地名大辞典』の「島根県」には「山根」は1つも載っていない。「鳥取県」には6箇所も載っているのに(三朝に行く途中の倉吉市内にも山根の地名があった)。

→皆さんから情報をたくさんいただきました(コメントをご覧ください)。

「山陰旅行2」に続く


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42 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (山根)
2024-04-09 10:26:06
福岡の山根さん、
宇田源氏に遡れるなら佐々木氏系で、うちと同じ”出雲の山根”系になりますね。
出雲の山根は、地元に止まった”伯耆の山根”と違って、出雲の地から四散した感じです。
ちなみに、”広島の山根さん”からもコメントをもらっています。
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Unknown (福岡の山根)
2024-04-09 00:35:45
以前コメントした福岡の山根です。
江戸時代まで山根を継いできたのは戸籍を遡って分かったのですが苗字が途絶えそうになると坂本家と分家して養子に入ったり入れたりを繰り返していました。調べると坂本のルーツも宇多天皇に繋がり、不思議に思っています。
広島にも親戚がいるようです。
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Unknown (山根)
2023-12-19 09:16:51
山根秀治さん、貴重な情報ありがとうございます。私も父から宇多天皇の末裔であることを聞いていました。それから隠岐にいて後醍醐天皇に仕えたことも。
山根となるまで佐世と名乗ったことは、やはり佐世から山根が出ているようですね(佐世には行きましたが山根口という所は知らなかったです)。
ちなみにコメントはこちらでは編集できないので、個人情報はそのままになっています。差し障りがあるならコメントを削除いたします。
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発祥の地(島根) (山根秀治)
2023-12-19 01:28:55
山根一郎様:こんばんは。初めまして山根秀治(やまねひではる)と申します。先生の山陰旅行ブログを拝見しました。私は東京出身ですが、現在は滋賀県彦根市(彦根城の直ぐ側)に住んでおります。私が調べたところ、山根姓の始祖は宇多天皇で、その9番目の子である敦実親王から始まり、敦実親王の長男:源雅信、その次男:源扶義、その次男:佐々木成頼、その長男:佐々木章経、その長男:佐々木経方、その長男:佐々木季定、その長男:佐々木秀義、その五男:隠岐義清、その次男:隠岐泰清、その八男:広田頼清、その五男:佐世晴信、その次男:佐世清重、その四男:山根長清という流れになると考えております。宇多天皇が始祖ということから現在の「島根県雲南市大東町仁和寺山根口」が有力地ではないかと推測しております。私の連絡先:〒522-0087:滋賀県彦根市芹橋2-6-17、TEL:0749-20-9650、メールアドレス:yqr01151@icloud.com です。以上、宜しくお願い申し上げます。
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家紋について (山根)
2023-06-26 10:45:02
古川さん、情報ありがとうございます。
山根の家紋は「三ツ」のデザインが共通しているようです。
以前に記した通り、ウチの家紋は男紋は「六連銭」ですが、女紋は「三つ沢瀉に姫蔦」というもので、その由来は不明です。
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過去記事から (古川)
2023-06-25 09:16:00
出雲の古川です、ご無沙汰しておりました。
過去の記事で旧姓山根さんの家紋について三ツ星に下一文字という事でしたが、木次町の山根は主に仁多郡奥出雲系でタタラをしていた家の流れとなります。一の上に団子が三つで山形を表現しています。

三ツ星は航海する船乗りの目印となり、それが紋へと変わり、海賊や水軍といった海に関わる人々に伝えられています。山根であれば、以前お伝えしました源頼政の後裔にあたる四国得能家がルーツとなります。
出雲市内の山根はおおよそこの流れ。

余談としましては、私家の三ツ目結も元々古川の姓からわかるように、川や海を行き来していた人々の子孫で、団子さん兄弟なので、三ツ星の変形です。
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Unknown (山根)
2023-03-26 17:09:54
福岡の山根さん。
江戸時代からというと武家ですね。
ただ九州発祥の山根は聞いたことないので、関門海峡を渡ってきたのかも知れません。
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Unknown (山根)
2023-03-26 05:36:47
福岡ですが戸籍を辿ったところ山根という苗字を江戸時代から受け継いでおります
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Unknown (山根)
2022-12-05 18:27:47
山根さん、私と同姓同名だった人は農学者にもいました。
出雲系ということなら、広い意味で私と同系のようですね。
別系統で伯耆系の山根もいるということが、ここにいただいたコメントでわかりました。
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山根家 (山根 洋)
2022-12-05 10:14:55
山根一郎様
記事を読ませていただきました。
私の父親(亡くなっていますが)も山根一郎
と同姓同名でした。
近いうちに島根にルーツを探しに行くつもりです。
小さい頃の話で、島根大学の初代学長の新次さんがどうのとか言っていた記憶とか出雲大社までの道があったとか言っていました。私は疎遠になっていますが60歳目前にて気になっています。
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Unknown (山根)
2022-09-17 21:06:55
山根さん、伯耆山根(進氏系)の更なる情報ありがとうございます。
進氏まで遡るとかなり古くなりますね。
また、映画になった「たたら侍」とも関係していそうですね。
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日野郡史 (山根一朗)
2022-09-16 18:36:58
日野郡史 下巻(国会図書館デジタルコレクション)P2,061-2062及びP2,081-2,082をご参照ください。山根家の記載があります。
孝霊天皇の臣下である大連「進」(紀)氏の一族です。
歴史上のトピックス(Wikipediaより)は、
鬼住山の鬼退治(出雲勢力の防衛線突破)、
伯耆の内乱(進と小鴨との勢力争い)
船上山の戦い(一族の名和氏に呼応し参戦)
などがあります。
因みに、最近刀剣がブームとなっています。童子切、髭切で有名な「安綱」は進氏の領内(伯耆町大原)で作刀をしていました。
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Unknown (山根)
2021-02-05 23:02:22
古川さん、情報ありがとうございます。
滋野氏流の根津(禰津)氏由来ですか。真田の本拠・上田の近くですね。前にも記した通り、ウチは明治に萩から上京して、その一部が長野市付近に移り、父も若い時長野で暮らしていて、第二の故郷でした。
それにしても切腹の話が気になります。
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Unknown (古川)
2021-02-05 21:27:43
久しぶりにコメントいたします。

出雲山根氏は信州滋野氏流かも知れません。信州中沢氏が牛尾となり、湯氏と姻戚関係が生じていますが、湯原弥二郎宗綱が安芸吉田にて切腹の折に父は湯原遠江守幸清で自分の祖は根津氏より起こっていると言ったそうです。
そうであれば山根さんの六連銭も納得のゆくところなのではと思います。 山中鹿之助とも繋がっていそうです
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Unknown (山根)
2020-08-16 10:05:09
石川県の山根さん、”たまつくり”から山根へ嫁がれたということで、まるで山根家のルーツを再現したようです。
石川の山根家は、地元発祥なのかな。
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Unknown (石川県の山根)
2020-08-16 00:31:12
私の旧姓が玉作で、山根に嫁ぎました。この記事を見つけて嬉しくなり、コメントさせて頂きました。
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木次の山根 (山根)
2017-08-27 09:55:07
旧姓山根さん、情報ありがとうございます。たぶん出雲系の山根家は江戸時代の間に佐世から隣の木次に移ったのでしょう。
隠岐の島で校長をしていた人が出るとは歴史の因縁を感じます。
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Unknown (旧姓山根)
2017-08-25 21:12:36
木次町の町上の山根が本家になります。
近所にも山根姓の人がおられました。
私の幼稚園時代の女先生も、同級生にも山根のよっちゃんてのがいました。
本家は明治の頃に町議会議員をしていたのが山根吉五郎、本職は大工の棟梁でした。孫は島根の隠岐の島の高校で近年まで校長を務めていました。
山根よしお?だったかなと。
木次の町には数件しかないように記憶しています。
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Unknown (山根)
2017-07-15 15:14:09
旧姓山根さん、コメントありがとうございます。木次線沿線には山根はいませんか。倉吉市内に「山根」の地があるように、島根より鳥取の方が山根が盛んなようです。
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Unknown (旧姓 山根)
2017-07-13 20:11:11
わたしの生まれは島根の木次町、となりは大東町。
山根の性は奥出雲にはあまり多くないと思います。現在は米子市に住んで35年あまりですが近所にも山根さんがひと家族、どちらかというと倉吉市の方に山根姓はそれなりにいらっしゃるように感じます。
家紋は三一ではなく逆さ三一。
一の皿の上に団子が三つ逆さに乗ってる家紋です。
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Unknown (山根)
2017-06-24 00:35:49
広島の山根さん。皆さんの情報のおかげです。広島北部であれば、出雲系か石見系かもしれませんね。
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ありがとうございます (山根義昭)
2017-06-22 20:39:03
広島の山根といいます
明治以前から今の場所に先祖がいたようですが(いつか、お寺で調べようかと)。興味深い記事を読ませていただきました
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2つの山根 (山根)
2017-05-21 00:25:26
東海地方にもたまに「山根」さんがいらっしゃいますが(山田姓が多い)、やはりルーツは山陰なのでしょうか。ただし伯耆系と出雲系は地理的に近いにもかかわらず別系統なようです。いいかえれば両山根が中国地方を中心に「山根」を拡げていったようです。
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ありがとうございます (山根 一男)
2017-05-17 02:14:41
 岐阜に住む山根です。興味深く読ませていただきました。40年ほど前に、その当時の本籍地であった鳥取県東伯郡関金町を尋ねたことがあります。
 山根姓について、はじめて詳しいことを知りました。どこかでつながっているんでしょうね。ありがとうございました。
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山陰の山根氏まとめ (山根)
2017-03-02 17:37:48
自己レスですが、このあたりで、山陰の山根氏について一応まとめてみます。

まずこの地方の山根は、場所的に伯耆系と出雲系の2系がありまる。
伯耆系には①紀氏→進氏→日野郡古市の山根(桔梗紋)があり、日本家系家紋研究所発行の『山根一族』(以下(『一族』)によれば、那賀郡波佐にある鎌滿城址は山根修理介が城主であったということです。
またそれとは別に②清和源氏の新田氏系があり、それがこの地で山名氏(伯耆守護)→山根義時となりました。こちらの山根も日野郡にいたので、伯耆系はいずれも”日野郡”が本拠地になります。しかし5世後の義房が石見へ移り、石見山根の祖となりました(『一族』)。
進氏系①は室町期に山名氏②に服属しています。

出雲系は、③近江の佐々木系(宇多源氏)で→隠岐氏→湯氏→佐世氏→山根長清(三つ割梶の葉紋)となり、これがウチの先祖系となります。
一時期隠岐が本拠地だったので、隠岐に流された後醍醐天皇に関連した逸話があるのも頷けます。
その他に④源頼政→得能氏→山根(三沢氏家臣)があるようで、『一族』によれば
伊予の河野氏の末である美作の鳥取氏から山根が出ているとのこと。

伯耆には日野に”山根”という地があり、そこを名字の地としたようですが、出雲には地名がなく、佐世の地形からとったと言われています。
また同じ島根でも、石見の山根は主に伯耆系②で、出雲系とは別系ということになりそうです。
更に西の長門の山根(ウチの先祖が含まれる)は、隣接の石見というより、③④の出雲系となりそうです(毛利に服属したため)。
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六連銭 (山根)
2016-08-21 17:33:10
自己レスですが、わが家の家紋(男紋)が「六連銭」である由来が気になり、調べてみたら、宇多源氏の佐々木正勝(近江)の替え紋が該当しました。やはりウチは近江の佐々木系なようです。
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Unknown (山根)
2016-07-24 10:34:44
古川さん、情報ありがとうございます。
なるほど山根は、複数系統が石見・出雲・伯耆を中心にして、播磨西部を含む中国地方一帯に分布しているようですね(あと佐々木系の近江)。それぞれ地形から名乗ったのでしょう。
ちなみに亀嵩は「砂の器」で有名になった地でもあり、佐世訪問のついでに訪れたかったのですがかないませんでした。
”山の根”がひしめく中国地方内陸部にいつか行ってみたいです。
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源頼政系 (古川)
2016-07-21 13:27:28
お久しぶりです

以前に源頼政の流れである山根姓を書きましたが、この山根姓は三沢氏の家臣となり、子孫は奥出雲亀嵩でタタラ業を営み財をなして、その分家は安来、出雲または松江の平野部に広がったようです。三沢氏と共に萩へ移った者がいたのかはわかりません。仁多にも山根の地名があります。

この他、石見山根家では山名三郎義範の子孫時氏が足利氏に属し伯州を領して、武蔵守義時の頃に山根姓になったとしています。義房という人物は石見三浦氏との姻戚関係があり、尼子氏によって山名氏の本城が落城すると石見国へ逃れたと伝えています。鳥取県では進氏とこの山名氏の系があるようですね
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Unknown (山根)
2016-07-02 16:33:42
山根さん、コメントありがとうございます。上月城は尼子氏とも関係があったので、尼子つながりかもしれません。ネットで検索すると、山根さんが佐用町にいらっしゃるようですね。
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僕の名字も山根です。 (山根)
2016-07-01 23:50:04
僕の元々の本籍地は、兵庫県佐用郡上月町という所です。戦国時代に上月城という城があったのが地名の由来だそうです。
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Unknown (山根)
2015-12-17 10:02:55
古川さん、情報ありがとうございます。
湯氏の系統と称しているウチは、明治以降、信州と縁ができるのですが、「山根」発生当時から縁があったのですね。
大東町の山根口という所は知りませんでした。国土地理院の地図には載っていました。佐世に行く時、近くを素通りしてしまったことが悔やまれます。
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Unknown (古川)
2015-12-16 23:26:07
余談ですが、湯頼清の子清信は佐世氏の祖とされていますが、この清信は中沢氏(のちの牛尾氏)の娘婿となっています。中沢氏は信州諏訪出身ですので、中沢氏の娘と清信の間の子が佐世氏であり、そこから山根長清になるというわけです。因みに中沢氏の後裔が三つ割梶の葉を家紋としているようですよ。

雲南市大東町に山根口と言う地名があります。
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家紋 (山根)
2015-12-16 09:38:51
浜田の山根・古川両氏のおかげで、この記事がにわかに活気づきました。
伯耆、出雲、石見それぞれ別系統があるようですね。鳥取には山根という地がいくつかあり、まさに地形から取りやすい名字ともいえます。ただ山根は山陰に集中しているけど。
あと家紋から探究するという手がありますね。
ちなみにうちは男紋と女紋があり、男紋は六連銭でなぜか信州真田氏とほとんど同じです。女紋は「三つ沢瀉に姫蔦」というのですが、実物は見ていません。
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Unknown (古川)
2015-12-15 21:22:59
山根一朗様のコメントで思い出したのでメモ帳を確認したところ

鳥取県日野郡古市の山根家は進氏の子孫で進九郎三郎の嫡子幸定が古市に下り山の根にあたるので山根と改称し家紋も桔梗紋に改めたと伝えられているようです。
これは伯耆山根姓のルーツですね
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山根谷 (山根)
2015-12-15 20:26:29
『山根一族』によると江戸初期あたりに出雲で山根を名乗ったとありますが、元の近江ですでに山根と称していた可能性があるということでしょうか。
ネットで「山根谷」を検索したら、島根県の邑南町にヒットしました(浜田に近いようです)。
まぁ、地名としての山根は愛知や茨城にもありますが。
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Unknown (浜田の山根)
2015-12-15 11:51:37
補足ですが、山根姓は昔で言う因幡から石見にかけてと、近江に固まっているみたいです。

佐々木一族の支配地域に重なった部分が確かに有ると思います。
あと関ヶ原の後、石見から長門の方に移り住んだ一族も有るみたいです。

毛利の直臣ではなく、益田氏や周布氏の家臣団としてですが、両家が治めていた地域に行くと結構山根姓を見ます。
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Unknown (山根)
2015-12-14 21:25:38
古川さん、情報ありがとうございます。
頼政系統の話は初耳です。
うちは長州系なので、もちかしたらこちらの系統とも関係があるかもしれませんね。
私なりに調べてみようと思います。
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Unknown (古川)
2015-12-14 19:31:59
私の住む出雲市には山根姓がそれなりにあります。出雲市中野の薬師寺縁起によると源頼政の孫、得能彦左衛門・伊豆守が事情があって山根姓となり末孫が出雲で繁栄したようです。得能氏は伊予河野氏の庶子にありますが、毛利元就の時代に吉田八幡宮の神主だった河野大膳大夫が出雲の伊努神社の神主として安芸から来住し、江戸時代の初頭に子孫の河野勝久の弟が長州に移住したようです。この系統から山根姓が出たとも考えられます。
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Unknown (山根)
2015-12-14 08:36:53
浜田の山根さん、情報ありがとうございます。
近江の佐々木氏が元と、また「山根谷」が発祥という話もきいていますが、それが近江にあるというのは初めてです。
また石見の城主についても初めて知りました。出雲と萩の間に山根氏の活躍の場があったのですね。
まずは「山根谷」を確認したいと思います。
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Unknown (浜田の山根)
2015-12-13 23:10:45
私の家に伝わる話では、元々近江(滋賀県)山根谷発祥で、室町時代以前に下級官吏として派遣された一族が、土着したと聞いてます。
石見部では結構、小さな城の城主として名前が残っています。
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山根情報 (山根)
2015-01-10 21:22:37
山根さん! 情報ありがとうございます。
島根より鳥取の方に”山根”が拡がっているようですね。ウチは出雲→萩の流れなので、鳥取(伯耆)方面は視野に入っていませんでした。
紹介いただいた宮司さんはFacebookをやっているようなので、まずはネットであたってみます。
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Unknown (山根一朗)
2015-01-09 22:55:58
山根のルーツお探しの由。
鳥取県伯耆町二部に千年前から存在します野上荘神社の宮司家にその手掛かりがあると存じます。
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