今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

水戸に行く

2023年03月05日 | 東京周辺

3月に入り、ようやく春らしくなった日曜。
といっても曇天の予報なので山は遠慮しておこう。
天気が悪くても1日を有意義に費やせるのは県立博物館。
そう、県立レベルだと展示が豊富で館内だけで2-3時間過ごせる。
これに近くの市立博物館を合わせれば、もうお腹いっぱいとなる。

ということで、18きっぷを使って高崎にある群馬県立博物館に行こうと思ったら、なんとしばらく閉館中とのこと(事前にネットで確認しておいてよかった)。
急いで行き先を変えて水戸にある茨城県立歴史館に変更した。
いわゆる郷土博物館には、自然系と歴史・民俗系があり、大抵は1つの建物に収まっているが、関東では埼玉県と茨城県は自然系と歴史・民俗系がそれぞれ別個の博物館となっている。

関東で生まれ育った私だが、茨城県庁所在地の水戸には、降りたことがない。
歴史好きなのに、水戸徳川家には関心がなく(むしろ拒否感)、戦国の佐竹氏も奥に引っ込んでいるだけでパッとしないこともあって、水戸に行く用事がなかった。


常磐線で土浦で水戸行きに乗り換えると、今日は偕楽園の梅祭りなので水戸の1つ手前の偕楽園で停車するという。
そこの方が歴史館に近いので、ほとんどの乗客と共に偕楽園で降りた。
ただし偕楽園には入り口が行列なので入園はしないものの、園内の梅は車窓からと園外からも堪能できた(写真)。
偕楽園に隣接する常盤神社境内の出店で軽く腹ごしらえをし(梅酒もコップ酒で売られていたが、酒気帯びで博物館見学というのも気が引けるので遠慮した)、境内の義烈館(光圀こと義公と烈公の展示)を見学(300円)。
幕臣の子孫である私は、同じ徳川の将軍家の足を引っ張り、危機に陥れた烈公こと徳川斉昭が好きでないので、そちらの展示は足早に済ませた(そもそも倒幕の論理を与えたのは光圀)


ここから御成門通りを進んで広い敷地の歴史館に到着。
園内には旧水海道小学校の明治建築の立派な木造校舎がある。
610円を払って入った博物館では「鹿島と香取」の特別展をやっている。
関東でも別格なこの二つのペアとなる神社の特集とはラッキー。
鹿島神宮に伝わる刃渡2mを超える太刀とその鞘(共に国宝)には驚いた(建御名方神用で人間では振り回せない)。

中世以前”香取海”と呼ばれていた内海である現在の霞ヶ浦を中心とした県南東部のこの地域こそ、縄文時代の貝塚から始まって、交通・交易のネットワーク地で、関東武士による将門の乱も忠常の乱(平定)もこの地域が関わっている。

それに対して水戸以北は中世は佐竹氏の指定席で、江戸時代になって秋田に改易されて代わりに入ったのが水戸徳川家。
歴史館には水戸徳川家専用の展示室があって、最後の将軍・慶喜の展示(彼の写真作品など)を見学。
以上で2時間以上費やし、時刻は15時前。


水戸は東京から18きっぷ(普通)で片道2時間半かかる。
夕飯までには帰宅したいので、次の水戸市立博物館に急ごう。
と思っても歴史館前のバス停では次のバスは15分後。
じっと待っているのもつまらないので、好文亭表通りを歩いて市立博物館を目指す。
この博物館は、国道50号のバス通り(黄門さん通り)からさらに奥に入った有名な水戸芸術館アートタワー(写真)のさらに奥にある。
まぁ、初めての水戸の街中を歩くのも悪くない。


水戸市立博物館は中央図書館と同じ建物で、入館は無料だが、特別展「那珂川ヒストリー」は200円。
県南は霞ヶ浦+利根川の水運が盛んだったが、水戸を中心とする県央とその北西部は、那須岳を水源とする那珂川が水運を担っていた。
しかも河口の那珂湊からは東北地方との水運もある。
さらに那珂川からちょっと陸路を経ると涸沼になり、そこからは旧霞ヶ浦の広大な水運と繋がって、さらに陸路を挟んで江戸に繋がっている。
茨城は、関東の他県にはない、川と内海と外洋という水運に恵まれていたことがわかった。

以上をざっと見て、ここから水戸駅までも歩いて、駅のコンビニでフランクフルトを買って腹ごなしをして、16時すぎの始発上野行き(普通)に乗った(これで家には19時に着ける)。
県立と市立の博物館2つで時間いっぱいだった。
市内の名所(弘道館、水戸芸術館、徳川ミュージアムなど)はまたの機会に。
ついでに、常磐線の車窓から遠望する筑波山(876m)は名山の風格。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。