今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2024年の論文一応の書き上げ

2024年09月08日 | 心理学

大学はまだ夏休み中なので、夏と表現するが、今年の夏も図書館に通って論文執筆に勤しみ(ただし今年の夏に限っては、関連文献として心霊コミックを読みふけた)、本日の日曜は国会図書館が休みなので、近所の区立図書館で、原稿を一応書き上げた。
字数は私の標準の15000字。
内容は、霊視認についての一般的態度調査と霊視認事例2つの紹介。

今回特に問題にしたのは、伝統的霊概念が霊の不可視性を前提としている点。
すなわち、科学的態度以前に、プラトン以降の「霊肉二元論」による(世界に流布している)霊概念(霊=非物質)においてすでに霊視認は否定されているということ。
もちろん既存の宗教も、死後の世界(天国、極楽、黄泉、地獄…)をちゃんと用意しているので、幽霊は理論的に存在しない。

なのに、世界中で霊の目撃情報(噂・流言)があいついでいたため、既存の宗教は無理やり後付けで浮遊霊を認めたり(浄土真宗は認めていない)、霊魂論の近代版である心霊科学では、霊の「物質化現象」というこれまた後付けで容認せざるを得なくなっている。

私が頼りにしたかったのは、心理学者による霊視認現象の心理学的説明だが、
例えば ユングは、英国の農家滞在中に幽霊を目撃したのだが、怖がって翌日退去して、貴重な実体験を研究材料にしなかった。
後年、彼の無意識理論に基づく観念的議論で霊に言及しているが、科学としては霊の”観測”こそ大切。
というわけで、既存の霊概念も心理学も霊視認を説明できない。
科学の方は幻視と決めつけているが、既知の病理による幻視は説明できても、健常者の幻視現象は認められていない。

なので、現象データから出発せざるを得ないのだ。