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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

寒候期に入ったと感じた部位

2023年10月04日 | 歳時

10月に入って、にわかに寒候期に入る気配。

私は、主に露点温度でそれを客観的に観測しているが、温冷感覚として肌でも感じる。

それを一番はっきりと感じた部位は、半袖から出ている腕や、靴下をつけていなかった足ではなく

お尻。

そう、まずは朝、便座に座った時に冷やっとした。

そして洗浄機から出る水にも冷やっとした。

今までは、これら二つともそういう冷感はなかった。

そしてその冷感はともに快適ではなく、不快に感じた。

というわけで、数ヶ月ぶりに、便座の暖房・温水スイッチを入れた。

こうして現代日本人は、お尻で季節を実感する。


地元の秋祭り…

2023年09月17日 | 歳時

地元の鎮守の秋祭り。
町会ごとに神輿と山車を出す。
ただ人口減に少子化のご時世。
私が子供の時のような賑わいはない。
その上この暑さ。
アスファルトの道を延々練り歩くのは辛そう。
見物する側も辛い。

鎮守社に行くと、社殿の前は誰もいない。
参道脇には出店が4件(昔はぎっしり並んでいた)。
その参道の中央を何の気なしに歩いていると、参道脇を歩いていた老人から、「参道の真ん中は神様が通る道だ」と言われた。
確かに、特に今日の祭礼の日は、神様があちこちの町内を巡行する日。
急いで参道の左側に寄った。

ここだけだとあまりにあっけないので、やはり祭礼中の隣の根津神社に行った。
こちらは区内最古の神社で、徳川将軍家との関係もある由緒ある神社。
境内も広く、出店がずらりと並んでいる(それでも以前よりは減っている)。

せっかくだから、昼食代わりに何か食べようと思ったが、こういう祭りの出店って買ったはいいものの、食べる場所がない。
境内の歩道脇に腰掛けて食べるのも落ち着かない(ゴミも持帰り)。
それに特に(広島風)お好み焼き(なんと800円)は量が多すぎる。
というもの、せっかく色々な出店が並んでいるなら、複数種食べてみたいのだが、お好み焼きや焼きそばはあれだけで満腹になる。
量を半分にして、値段もそれなりに安くしてくれたら、2軒以上で買って楽しめるのに。
あ、でも食べる場所がないか。

結局、出店を全て素通りして、地元の(冷房の効いた)中華に入って、椅子に座って冷水を飲みながら具材が豊富な五目焼きそば(800円)を食べた。
お好み焼きと同じ値段なら、こっちを選ぶ。

こういうわけで、せっかくの秋祭りを楽しめなかった。
なんか地元神社の祭って、参加者だけのものって感じ。


5月3日に帰京

2023年05月03日 | 歳時

GWはカレンダー通りで、2日に職場で定例会議(昨年までなら遠隔だったが今は対面)があるため、2日の朝に愛知に戻り、会議と事務処理を済ませ、日帰りではもったいないのであえて名古屋宅に一泊して、5月3日に帰京する。

5月3日からはカレンダー上でも3連休で、いわば GWのど真ん中で最も混む時期(なのでジパング倶楽部の3割引も使えない)。

朝のテレビで、東名高速下り車線の大渋滞の中継を見て、これなら上りの新幹線はたいして混まないと予測。
といっても、早いうちに帰京の途につくべく、朝食も摂らずに名古屋宅を出る。

休日なのに名古屋駅に向かう地下鉄も満員で、名古屋駅に行くとさらにでかい荷物を持った人たちでごった返している。
新幹線の改札まではいつも以上の混み具合だったが、いざ新幹線の上りホームの自由席エリア(1-3号車)に進むと、行列はほとんどない。
実際、10時前ののぞみ(東京行き)に乗車すると、自由席はいつもと同じくらいの乗車率で、難なく進行方向左側の2人席を1人で確保(真横の3人席は空席)できた。
一方4号車以降の指定席は、入線時に視認したところ、グリーン車を除いて満席だった。
すなわち、GWに限って新幹線を使うような人たちは、”自由席”というリスクを取りたがらないようだ。

東京駅に着くと、ホームは下りの新幹線に乗ろうとする人で溢れている。

結局、日本での交通混雑って、首都圏の人たちの動向によるものなのだ。

人をかき分けて新幹線の改札を出て、まだ正午前なので、川口まで電車に乗って GWに予定していた買い物、すなわち、これからの時期の服を買う。
今までは L.L.ビーンが私の基本選択肢だったが、最近は同じアウトドアテイストであるワークマンプラスに移行している。
前者がいつも変わり映えしないラインアップなのに対し(もう買うものがない)、後者は新鮮味のある、それでいて機能的でかつ安価な製品を出している(ユニクロよりも安い)。
後者の唯一の欠点は、家から近い都心に店舗がないこと。

というわけで、GW中唯一の仕事と最後の移動と買い物を済ませたので、これから残りの日々はのんびり過ごすだけとなった。


立春は1年で最も重要な日だった

2023年02月03日 | 歳時

節分の翌日が立春。
いや正しくは、立春の前日が節分で、日にちの決定権は立春の方にある。
立春は、冬至と春分の間の中日だから、地球の公転によって若干の誤差が発生するため。

お天気番組では明日の立春を「こよみの上で春」と言いうも、北海道の流氷が着岸したばかりで、本格的な寒気はむしろこれからの雰囲気。

その「こよみ」では、冬至・春分・夏至・秋分を四季の頂点とし、それらの中日を立春・立夏・立秋・立冬として機械的に季節を分割している。
なので「こよみ」上の季節(四季)は太陽光の周期によるものであって、それと位相がずれる気温の周期ではない。
この位相のずれが地球の公転上の「こよみ」と人間の季節感のずれに相当する。

さて、立春が、春の初日というわけだが、実は我々は立春よりも一ヶ月も前に「春」を謳っている。
1月の正月を「新春」と称して祝っているではないか。
なぜか。

1月1日は、冬至から10日ほど後の、どう考えても(気温ではなく太陽光の基準でも)厳冬期で、春の兆しなんてない。
なぜ厳冬期の正月を初/新”春”というのか。

それは、大昔は、立春が正月元日だったから。
つまり、立春こそ1年の始まりの最も大切な日だったのだ。
立春なら、寒さこそ厳しいが日も伸びて春の兆しくらいは感じられる(梅もそろそろ)。

立春が正月元日だったから、その前日の「節分」、すなわち”季かれ目”は本来なら年に4回あるのだが、大晦日の節分(冬→春)が年も切り替わるので最も重要だった。
なので大晦日の節分の行事(だけ)が、今でも立春の前日に残っているわけ。
その行事は、”追儺(ついな)”あるいは鬼やらい”といって、冬(陰)の邪気としての鬼に春(陽)のエネルギーの豆を投げて追い払う行事。
というわけで、節分の豆まきは、陰陽論に即した日本の伝統文化なので、少々馬鹿馬鹿しい気がするものの、一応私も実行する。
※:スーパーに行くと、大豆だけでなく落花生も同じコーナーに売っている。一部地域では落花生を撒くらしい。

ただし伝統文化でもなんでもない”恵方巻”はハナから無視する。
もっとも、豆まきしかない節分を、食で楽しく盛り上げる方向性には賛成(その方向性で七夕を素麺で盛り上げてほしい)
大晦日としての節分にふさわしい食は、”年越しそば”に相当する”節分そば”かな。
節分そばは、シンプルな”もり”ではなく、温かい”かけ”に春の具材をふんだんに載せたい。


2023年の元日を過ごす

2023年01月01日 | 歳時

皆様、新年明けまして おめでとうございます
今年一年、皆様にとって良い年でありますように

さて、自然な目覚めで元日の朝を迎えた私は、湯垢離をして体を清め、この日だけの絹の下帯をつけ、羽織袴姿になる。
まず室内の諸仏(如意輪観音、吉祥天、薬師如来、不動明王、孔雀明王、愛染明王、大勢至菩薩、観世音菩薩)を礼拝し、下駄を履いて地元鎮守の天祖神社を参拝。
晴天で寒くないが、参拝者はいつもより少ない感じで行列にならなかった。

この神社が管理している近くの富士神社の登拝札が売られていた。
ぜひほしいと思ったが、それならそこの富士塚に登らなくてはと思い、富士神社の富士塚の急な石段を登り、頂上の社殿に富士講式に「南無富士浅間大菩薩」と唱えて参拝して、再び天祖神社に戻り登拝札を求めた(500円:写真)。
これで元日に富士登山をしたことになる。

ついで第二鎮守の八幡神社を詣で、干支の置物を買い、ここの境内にも富士塚があるのでそこも富士講式で参拝し、神社隣の東覚寺(谷中七福神巡りの起点となっている)に詣で、本堂前に安置してある福禄寿を拝み、赤紙仁王のある不動堂も参拝。
かくして、例年の2社1寺に1社加えて近所の初詣を終える。

自宅に帰り、元日だけはトイレの烏蒭沙摩(うすさま)明王と台所の三宝荒神にも線香を手向け、真言を唱える。

ここから先は例年通り、母はおせち料理を大皿に盛り付け、私は酒の支度。
そして、弟一家も集まると、私は烏帽子・直垂の正装になり、屠蘇の儀を式三献に則って執り行なう。

それが終わると、子供たちにお年玉を渡して、大人たちは飲み食いに専念する。
かくして、飲み食い三昧の三が日が始まる。


2022年を私的に振り返る

2022年12月30日 | 歳時

年末恒例の今(2022)年の振り返り。

まずは、時代(20世紀、昭和)を飾った物故者が印象に残る(石原慎太郎、安倍元首相、エリザベス女王、ゴルバチョフ元書記長、アントニオ猪木、ペレなど)。
また幼馴染の同年の従兄弟が急逝したのはショックだった。

失ったものの大きさに比べ、得たものの小ささが身に染みる。
書いた論文は1本だけ。
投薬効果で、コレステロール値が劇的に改善した( LDL↓、 HDL↑)のは嬉しい。

身体運動のための山歩きとなっていた山との関わりを改め、修験道を参考に心身の修行としての”峰入り”を志向することにした。
そうすることで高尾山ですら貴重な霊山(行場)となり、また腸脛靭帯の痛みも無くなった。
今年行った山は、高尾山・小仏城山・景信山(以上高尾山域)、御嶽山奥之院・高水三山(奥多摩)、丹沢大山、茶臼山・白鳥山(奥三河)で、このうち初めての山は白鳥山(968m)。

各自治体の”郷土博物館”が有意義な情報源(数時間費やせる)であることが分かり、旅の目的地として加わった。
特に県立博物館(千葉、神奈川)の充実ぶりを実感。

美仏を拝みに大阪のお寺(観心寺など)に行った。
名古屋からなら、京都・奈良・大阪は日帰り圏だ。

パワースポットでの計測(地磁気、静電位、霊気)も続け、磁気については計測だけでなく新たに消磁も行なうようになった。
定番の茶臼山カエル館の他に、百間の滝・大鹿村の”磁場坂”(これらはパワーなし)、鹿塩の奥のパワーを確認し、また東京都心の将門首塚の再計測でパワースポットであることを再確認した。

パワーに関して、顧問をしている易学研究会で初めて実技指導をし、さらに(これはブログに未記載だが)霊視(霊が見える)現象の探究の道が開かれた。
来年は、この霊視現象を研究の俎上に載せようと思っている。


収穫祭としてのボジョレー・ヌーボー

2022年11月17日 | 歳時

本来、人々が一年で一番喜び・感謝すべき”収穫祭”が日本から消えてしまって久しい(昔は11月23日がそれだった)。

なので、その代わりにボジョレー・ヌーボーの解禁日を祝う(名古屋で)。
日頃飲むのはメルシャンの最低価格(298円)のワインだが、本日だけは惜しげもなくその10倍支払う(かように、本日解禁の新酒はそもそもワインとしては高級品ではない)。

ライトな口当たりで、飲むほどに気分が良くなるので、なおさら収穫祭を祝える(神道とキリスト教は酒を聖なるものとして宗教に取り込んでいる)。
新酒を味わっている時、東京の母から電話がきて、「本日ワインを買ったから、今度帰った時に開ける」とのこと。
2箇所でヌーボーを味わえる。

本日は、わが愛車の車検を済ませた日でもあり、その意味でも個人的に肩の荷が下りて祝杯をあげたい。
ちなみに、前回の車検は20万かかったが、今回は15万で済んだ。
これを2年に1回支払うのだから、車ってつくづく”贅沢品”なんだと実感する。

この額、ローンもない今の自分には一度に支払う最高額なのだが、言ってみればそれは”学費”を払う側でないからだ。

まぁ、こうやって皆で経済を回していけば、景気が回復し、お互いに潤うということか。
ケチるのもほどほどにしておこう、と今日の自分なら言える。


夏季休業中に”仕事”

2022年08月10日 | 歳時

8月に入り、前期試験の成績をつけ終え、唯一の出勤業務であるオープンキャンパスも済んだので、いよいよ”夏季休業”状態に入った。

この休業中こそ、遊びまくるのではなく、本来の”仕事”である研究活動のアウトプット、すなわち論文執筆に集中できる貴重な期間(大学の夏休みが長いのは、学生を遊ばせるためではなく、教員の研究活動のためだ)。

論文執筆は、幸い場所を限定しないので、東京宅に戻って、ノートパソコン持参で国会図書館で進める。
自宅だと気が散るし、日中の一番暑い時間帯を、冷房の効いた静かな図書館の方が集中できる。
地下鉄を使った家からの往復も気分転換と軽い運動効果を得られる。

閲覧室はスペースが広く、電源も自由に使える。
なんと言っても、必要な文献(出版物)は日本で一番揃っている。
先日までコロナ禍対応の予約制だったが、今では土曜以外は自由に使える。

ここがいいのは、食堂完備な点。
ただ本来の大食堂は閉鎖中なので(喫茶部と中食堂は利用可)、弁当を売っている売店で巻きずし(4切れ)を買う(私にとって昼食はそれで充分)。

以前と違ってヘッドホンで音楽を聞くのもOK。
惜しむらくは、休日が閉館であること。
明日の”山の日”はどうしよう。


名古屋宅にカブトムシ

2022年07月27日 | 歳時

名古屋の孤寓は集合住宅の一室なのだが、そこに戻る途中階の扉の前にオスのカブトムシがひっくり返っていた(脚を仰向けの状態)。
通路は屋根だけがある半屋外なので、虫の出入りは自由。

残念だと思いながら、足先で触ると、なんとカブトムシの脚が動く。
生きているわけだ。
カブトムシの形態は、平らな地面に対して不利で、一度ひっくり返ったら自分で体勢を戻す事ができずに死を待つのみ(子どもの頃カブトムシを飼っていてそういう姿を幾度も見た)。

頭の後ろにある小角をつまんで持ち上げ、間近で見ると結構立派なオス。

東京生まれの私には、カブトムシは最初から店で売っているものだった。
曲がりなりにも200万都市名古屋市内、しかも自宅直近で野生のカブトムシにお目にかかれるとは…。

カブトムシをつかんだまま、来た道を戻り、公園の樹木に止らせると、幹をしっかりつかんでいて弱ってはいない。
あとは自分の力で生きていけよ、と念じて引き返した。
考えてみれば、同じ昆虫でもゴキブリに対する対応とかくも異なるのも不思議だ。

追記:8月5日に名古屋宅に戻ったら、建物の前の電柱の下の路面に、♂のカブトムシが上半身バラバラになった死骸があった。
大きさと稀さから、あのときの奴だろう。
またこの建物に戻ろうとしたのか。
そしてたぶん野良猫にいたぶれられたんだろう。
これも運命だ。


谷中・上野観桜散歩:2022

2022年03月28日 | 歳時

世間では年度末の平日の月曜だが、勤務先では一応”春休み”なので、東京の実家にいる。
東京はすでに桜も満開だし、気温も高くなったので、少しは遠くに出かけようかと思うのだが、年度の切替り時期は学校関係者特有の鬱気に襲われるためか、遠出する元気が出ない(遠出するには、「よし、行くぞ!」という強い気持ちが必要なのだが、それが出ない)。
※:過去一年の業務のすべてが白紙に戻され、また1からやり直す新年度が始まる気の重さ。ただ、始まってしまえばこの鬱気は吹っ飛ぶ。3月末の今だけの状態。

なので、決心がいらない近所の散歩コース(谷中~上野)で桜を観に行くことにした。

正午前に西日暮里の店で定番の昼食(五目焼きそば)を食べて、出発点となる諏方神社の高台(諏訪台)に登ると、咲き誇った桜が迎えてくれる。
※日暮里・谷中の鎮守である諏方(すわ)神社は、諏訪ではなくこの字。ただし台地名は諏訪台。
この桜の花を観ただけで、鬱気が消えていく。
それまでの冬枯れの寂しい枝から一変した桜の”時限的な”華やかさは、”今だけ”という儚さを伴ったものだけに、むしろ焦燥感さえもたらし、鬱気がベースになければ、ハイ(躁)になってしまうほどだ。

谷中霊園の桜並木は、桜も人の量もともに手ごろで、近所の名所的な安心感がある。

霊園を出て上野に向かう所に、今まで素通りしていた多寳院(真言宗)という寺の桜がきれいなので、初めて立寄ろうと門に向かうと、「吉祥天安置」との石標がある。

私は昨年夏以来、吉祥天のファンになり(→吉祥天をお迎え)、吉祥天を求めて詣でているのだが、幾度も歩いた近場の散歩コースに吉祥天が祀ってあったとは。
石標でアピールしているだけに、閉まった本堂の隣に吉祥天を祀る堂があって、ガラス戸越しにきれいに彩色された吉祥天を拝める(写真)。
かように吉祥天は、如意輪観音や弁才天以上に女性美が表現される分、眼福を味わえる。

そこから今の時季に歩くにふさわしい”上野桜木”を抜け、赤煉瓦の校舎に桜が映える東京芸大を過ぎて上野公園に入る。
公園内を南下すると有名な丈の低い”上野の桜”の並木になる。
コロナ禍が幸いしてか、桜の下での宴会が禁止されているので、通行人が平等に満開の桜を堪能できる。
道脇の清水観音堂を桜越しに見上げ(写真)、観音堂に上がれば、清水の舞台上から桜越しに不忍池の弁天堂を見下ろす。

桜並木を抜けて最後は上野広小路に降りる。
ここまで来たなら、さらに山手線1駅分歩いて秋葉原に向う。

久々の秋葉でいつもの店々を巡り、名古屋宅用の電動鼻毛カッター(320円)を買う。

観桜も歩きもこれで充分。

今回歩いた山手線6駅分を電車で戻った。


正月は関東戦国史を読む

2022年01月02日 | 歳時

正月三が日の間は、お節料理を平らげた後は、仕事関係には手をつけずに、この時とばかりに好きな本を読みふけることにしている。
読む本は関東戦国史と決めている。

関東戦国史といっても小田原北条氏(早雲〜氏政)が主役となる戦国後半よりも、前半の足利成氏(しげうじ)、太田道灌、長尾景春らの時代に(高校の地歴部以来)注目している。
今では、戦国時代は京都の応仁の乱(1468)ではなく、関東の享徳の乱(1454)から始まったといわれている。
”戦国”の震源地である関東は、あまりに渾沌としすぎて、ドラマ・小説※にすらなりにりにくい程錯綜している。
※さすがに太田道潅の小説はいくつかある。最近では幡大介『騎虎の将 太田道灌』。

関東の戦国の逸話としては、映画『のぼうの城』で紹介された、天正18年の秀吉による関東征伐に唯一軍事的に屈しなかった武蔵”忍(おしの)城”が記憶に新しいが(成田長親の田楽踊りはフィクション)、私自身はそれより百年以上前の、太田道灌の幼少期の逸話にほくそえみ、そして彼が築城した江戸城、とりわけ静勝軒からの眺めを追体験したい。
その道潅、すなわち戦国無双の知将にして文化人、そして悲劇の最期をとげたこの主役以外に、反逆の意地を人生に貫き通した人として、足利成氏(享徳の乱の張本人)、長尾景春(その乱の最中に乱を起こす)、そして道潅の曾孫である太田資正(三楽斎)※に注目している。
※小田原北条氏の侵攻にひたすら抵抗。城間の伝令に犬を使ったというエピソードが印象的(『関八州古戦録』)。

まずは最新刊の『図説享徳の乱』(黒田基樹、戎光洋出版)で28年におよぶ乱の時系列をおさらいし、さらに太田資正についての研究書『太田資正と戦国武州大乱』(中世太田領研究会、まつまや書房)を読んだ。
こういう地方史研究の成果が頼もしい。


2022年の元日を過す

2022年01月01日 | 歳時

新年明けましておめでとうございます
皆様とともに新年を迎えられたことを慶び、
皆様の更なる御多幸をお祈り申上げます

2022年壬寅(みずのえとら)の新年を迎えた。
東京は晴天ながら、明け方は氷点下の気温。
元日は例年通り、武家礼法を基準にして儀式的にすごす。

まず、起きたら、新湯にて湯垢離をし(水垢離はちょっときついので…)、羽織袴に着替え、腰に白扇を差して(腹に差すのではない)、近所の二社一寺に初詣。
参拝者は昨年より若干増えた感じ(といっても行列には隙間を空ける)。
神社の鈴を鳴らす紐は上にあがって使えなくしてあり、寺の小さな鐘(梵鐘ではない)も撞けなくしてある。

これらを見ても、今年こそはコロナ禍を克服したい(インフルエンザレベルに)と思うようになる。

帰ると母がお節料理の仕度にいそしんでいる。
昼過ぎに、弟一家5人(甥1,姪2)を加えての正月の宴。
私は烏帽子・直垂(ひたたれ)姿になっていて、雅楽・越天楽のBGMの中、式三献に則った屠蘇の儀を取り仕切る。
屠蘇には金箔入りの日本酒を入れて、各人の盃に金箔が入っていれば目出度いとした。
式三献の単調な儀式に幾分でも趣向を凝らしたつもりだが、いつのまにか金箔の有無が関心の主になってしまった。

それが終ると、まずは子供(甥1、姪2)たちにお年玉。
私は、市販のポチ袋ではなく、千代紙を「当座金子包み」にして折った袋に、表書きに氏名を記して渡す。

酒宴の日本酒(越乃寒梅、久保田)は、Amazonで買った瓢箪(ひょうたん)製の酒器に入れ、”瓢箪酒”としゃれ込む。
仕上げの雑煮用の餅は、オーブントースターで必ず焼いて入れる。
我が家では昔からこの方式で、こうすれば、高齢の母でも安心して餅を噛み切れる(逆に言えば、毎年死者を出す”餅を焼かないで煮込む雑煮”が、なぜ世間では平然と継続されるのか。細かくしてもそのまま呑み込めば気道に詰る)
かように正月三が日は、和服で過し、昼から家族で酒を飲み、夜は静かに歴史書を読む。


2021年を私的に振り返る

2021年12月29日 | 歳時

年末恒例、今年を私的に振り返ってみる。

まず正月は東京の緊急警戒宣言で始まった。
そんな中、母は予定していた膝手術のため入院。
宣言下で面会もままならない中、病室に荷物を届けるという名目で見舞った。
術後の回復は順調で現在に至っているが、転倒が怖いので外出時は今でも歩行用カートを押している。

コロナ禍の影響で、5月に遠隔授業となったが、6月に対面に復帰した(以後はずっと対面)。
もちろんその間にワクチンを接種。
ただ2021年もずっとコロナ禍だったので、毎月やっていた温泉旅は5月、8-10月、12月は行かなかった。
7回行ったうち3回は中津川の定宿で、1月には「誰もいない馬籠宿」(歩いているのは自分一人だけ)という貴重な経験をした。

山は、2020年は高尾山に1回だけだったが、今年は高尾山に3回、それに小学校入学直前の姪と天覧山・多峯主山に行った。
以上、行くにしてもごく低山になってしまった。

川歩きは、荒川3回目(赤羽→彩湖)、境川(町田→多摩境)、それに名古屋で堀川(庄内川→納屋橋)を歩いた。
境川と堀川は歩きを続けるつもり。

11月に高校同期会が2年ぶりに開催されたが、慎重を期して欠席した。
結局、自宅での家族以外との飲み会は一切やらなかった。

研究科長をしていると仕事が多いこともあって、研究活動は低調で、紀要に1本(しかも論文ではなく資料)がやっと。
その代わり3月に私のことが書かれている『茶臼山パワースポットの謎—”計測マン”教授の挑戦』が出版された(ただし非売品)。
私のカエル館についての本ブログの記事がずらりと引用されているのだ。

本ブログに関しては、記事を連載することしばしで、3月に「危険な活断層」(2話)、4月に「サイキック・パワー講座」(8話)、9月に「夢を見る心」(4話)を連載した。
あと災害や事故・犯罪の発生時に、防災・安全についての記事を載せるようにしている。
ただし、読者の閲覧上位の記事はいずれも昨年以前のものばかりで、今年の記事でヒットしたものはなかった。

個人的に比較的大きな出来事は、8月にそれまで使っていたガラケーが壊れたので、やっとスマホ(アンドロイド)に切り替えたこと。
ただそれまでも通話以外はiPadとiPodtouchを使っていたので、大きな混乱はなかった。

そういえば落とし物が相次ぎ、そのiPodtouchは2月に、スマホは使い始めたばかりの8月に、そして 11月に サーモグラフィカメラ、12月にBoseのイヤホンを紛失した。
サーモグラフィは年末の大掃除で自宅のベッドの下から2ヶ月ぶりに見つかり、残りの3つは拾った人がしかるべき所に届けでくれて、すべて手元に戻った。

というわけで、個人的にな大過なく一年を終えることができた。
ただ世間では、伊豆山での土砂災害によって今年も気象災害での死者が出て、無差別殺人(未遂、既遂)が続いて公共空間でも安心できない状態になった。
危機管理は怠れないことを痛感する。


年末の賀状書きに思う

2021年12月26日 | 歳時

クリスマスが終ると、もう気分は正月に向けた”年末モード”に突入。
その第1段として着手しなくてはならないのは、賀状書き。
ご多分に漏れず、私も賀状書きが面倒くさいと思っている一人。
なので「賀状じまい」をしたいが、賀状じまいを賀状で宣言するには、通常の賀状作成よりも抵抗感がある(いい理由づけがない)ため、結局「辞める勇気がなく」※、例年通りの賀状作成と相成った。
※: M-1グランプリで最高齢で優勝した「錦鯉」が、この年齢まで続けた理由のセリフ。

賀状の裏面は、今年撮った写真から1枚選び、それの解説文と、それとは別の新年に向けての抱負を記す。

あと、買い替えたばかりのプリンタ(HP社のENVY6020なので、試し印刷を繰り返す。
このプリンタ、操作はすべてパソコンなどの外部デバイスからで、一見便利だが、パソコンがスリープしたり、他のアプリをつかっていると回線が切れて、印刷が中断してしまう。
というのも、印刷品質を”最高”にしないと写真画像は使えないレベルで、そうするとハガキ一枚の印刷にやたら時間がかかり、まとまった枚数印刷しようとすると、長時間を要するため。
それでも、今ではプリンタって賀状印刷くらいしか使わないので、1万円ちょっとで買えるこの機種以外に選択肢はない(HPのインクカートリッジはヘッド付きなので、インクがヘッドに固まっても、カートリッジを交換すればヘッドも交換されるが、他社製はヘッドがダメになるとクリーニングの効果なくプリンタが使えなくなる)

ハガキの裏面と、表面の自分の住所と宛名を印刷したら、あとは、相手の住所と宛名は手書きにする(それまで印刷するならホントに出す意味ないのでは)。
そして裏面の余白に一言書き添える。
この一言にけっこう考えこんでしまう。

以上、完全に効率化しないこともあって、日中は賀状書きに費やしてしまった(結局一日無駄になる)。
年末の忙しい時に、かように時間を要する賀状書きだから、ホントに「賀状じまい」をしたくなるのだが、
交際をシャットアウトする宣言のように響いてしまうのが気が引ける。
いっそ先方から申し出てくれるとありがたい。


祝、きのこの日

2021年10月15日 | 歳時

昨日、大学に出勤したら、職員の人から「先生、明日はきのこの日なんですって?」と言われた。
私がきのこ好きであることを知っているゆえの問いかけだ。
もちろん、私がそれを知らぬはずがない。
パソコン・タブレットのカレンダーに登録している。

夕方、近所のスーパーに行ったら、ブナシメジの売り場に「10月15日はきのこの日」と表示があった。

なんでも、10月はきのこシーズンなので、日本特用林産振興会が、その中日である15日を「きのこの日」としたらしい。

この日はきのこを食べよう、というわけだ。

私も、ブナシメジ、エノキ、マッシュルームを買い、15日の夕食は、きのこをたっぷり入れた「きのこそば」にする(「きのこ鍋」はちと早い)。
ちなみに生食できるマッシュルームはサラダ用だ。

きのこは食としてはこうして楽しめるのだが、グッズに関しては文句を言いたい。
きのこ好きは、食べるだけでなく、きのこを眺めていたいので、きのこのインテリアグッズや小物もほしい(その極致はガレの「ひとよ茸」のランプ)。
ところが、販売者はきのこなんて、見栄えのいいベニテングタケでありさえすればいいという安易な発想ばかりで、まさにベニテングタケばかり
きのこって種類がたくさんあり、色も形状もそれぞれバラエティに富んでいるのに。
キヌガサタケやタマゴタケ(幼菌)なんか実際見つけると感動ものだ。