博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『逝きし世の面影』

2009年01月28日 | 世界史書籍
渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年)

留学先の知人から薦められて読んだ本です。

これまで「事情をよく分かっていない者が上っ面だけ見て書き残したもの」とされ、不当に史料的価値を貶められてきた幕末から明治にかけての外国人による日本滞在記。著者はシーボルト、ハリス、モース、イザベラ・バードといった人々が残したこれらの記録を「彼らは決して社会の表層しか見抜けないバカではない。見るべきものはちゃんと見ている」として積極的に活用し、近代社会へと移行しようとしていた時期の日本社会を描き出していきます。

で、彼らの記録から浮かび上がった日本社会像とは……士農工商といった身分制や「百姓は生かさず殺さず」といったスローガンが建前と化していて農民達は豊かな生活を享受しており、大人は子供に大変甘く、大人も子供の遊びに夢中になり、自然風景が美しく、かわいい女の子が村や街にあふれ、あり得ないほど性風俗がオープンで、猫が人語を解し、狐や狸が人を化かすという地上の楽園であった!!

しかし著者は「日本スゲーーーーッ!!!」と主張したいわけでは全くなく、幕末から明治にかけての日本を一例として工業化する以前の前近代の社会とはどういうものかを提示してみせたかったわけであります。このような暮らしは記録者である西洋人自身の先祖がかつて享受したはずの生活であり、当時の日本でも西洋文明の流入によって急速に失われつつあった生活であり、また日本を含めたアジアの諸地域が好むと好まざるとに関わらず、西洋の植民地化か自らの手による近代化のいずれかによって失われることを運命づけられていた生活であるわけです。

そういう意味で本書は日本史に留まらず世界史を描いたものとして読まれるべきだと思います。このあたり、本書の中で日本の仏教や寺院が西洋のカトリックやロシア正教に雰囲気が似ているという意見を採り上げていたり、著者がこのような社会を現代の日本社会とは異質の、既に滅び去ってしまった文明と言い切っている点からも明らかだと思います。

あとがきとかを見ると右寄りの人が本書を絶賛しているとのことですが、彼らはこのあたりのテーマを大幅に読み違えているのではないかと不安になります。そもそも『逝きし世の面影』という思わせぶりなタイトルが良くないのではないかとも思うわけですが……
コメント (2)
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