博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『隋唐演義』その9

2013年04月12日 | 中国古典小説ドラマ
『隋唐演義』第51~56話まで見ました。

靠山王楊林は揚州近郊の紫金山で「銅旗陣」を布陣し、陣を破った者に玉璽を与えると十八路反王に挑戦状を発します。で、羅成の父親北平王羅芸や唐国公李淵らにそれぞれ10万の兵を送るよう命じます。李世民はこれを諸侯の兵力を削る策と見て、敢えて5000の兵しか引き連れずに李元覇とともに馳せ参じますが、「え?10万の兵を調達できなかったから5000人で勘弁してくれ?なめとんのか!」ということで、軍営に軟禁されてしまいます。

瓦崗寨では、羅成を父親の代理として出征させ、陣図を盗ませようとしますが、羅成が瓦崗寨の一員であることは隋将の丁延平(羅芸一家と家族ぐるみのつきあいをしており、羅成の義父でもある)にはバレバレでした。「陣図が欲しければワシを倒していけ!」ということで夜中の軍営で一対一のバトルとなり、見事陣図を勝ち取る羅成でしたが、丁延平は隋への忠義を全うし、そのまま自害して果てるのでありました…… この時についでに李世民も瓦崗寨の軍営へと逃亡。

陣図を得た十八路反王連合軍は、宇文成都と楊林の守る白虎陣へと突撃。(銅旗陣は玄武・青龍・白虎・朱雀陣に分かれている)兄李世民とともに瓦崗寨側に寝返った李元覇の活躍もあり、楊林を敗死に追い込んで銅旗をゲット。しかし李元覇が「四弟!敵は反乱軍ではなく隋軍だ!宇文成都を襲え!」とか「元覇!恩公(=秦瓊)が敵に襲われているぞ!救出するんだ!」というような李世民の指示に従って戦っているのを見ると、正太郎君にリモートコントロールされている鉄人28号を何となく連想してしまうのですが(^^;)

銅旗は奪われたものの、宇文化及や煬帝が素直に玉璽を引き渡すわけもなく、騙されたと怒った群雄は煬帝の行宮を攻めますが、結局攻め落とせずに連合軍は流れ解散。裏切りの代償として羅芸ら北平王府は一族郎党もろとも宇文成都によって殲滅され、唯一生き残った羅成も囚われの身となりますが、ここで羅成に恩を売っておこうと目論む夏明王竇建徳・竇線娘父娘によって救出され、竇線娘(勇安公主)はしばらく瓦崗寨の軍営に客人として逗留することに。

一方、揚州の行宮ではいよいよ宇文化及が簒奪を決行し、煬帝を縊死に追い込みますが、その直後になぜか蕭皇后の寝室の長持ちの中に忍び込んでいた王世充によって刺殺されてしまいます。王世充の目当ては伝国の玉璽でしたが、これまたなぜか寝室の長持ちに忍び込んでいた程咬金によって玉璽を目の前でかっ攫われてしまい、腹立ち紛れに蕭皇后を拉致。そして揚州城外では宇文成都と李元覇との最終決戦が行われます。宇文成都を討ち取る李元覇ですが、その彼も雷が原因で命を落とすことに…… 楊林・煬帝・宇文成都等々、主要な人物が次々に退場していきますね(´・ω・`)

隋朝の滅亡後、都の長安は唐王李淵が押さえ、洛陽も王世充が占拠。瓦崗寨では「俺たちこの後どうするよ?」と幹部会議に。秦瓊や軍師徐茂公らは隋の後継王朝の大本命である唐に帰順したそうな顔をしてますが、李淵一家に対して海よりも深い怨恨を抱える単雄信と、帝位を手放したくない李密とが反対し、方針がまとまらないまま解散。そして李密は折角手にした伝国の玉璽を王世充に引き渡してかつての愛人蕭皇后(李密は隋に仕えて大運河の工事に従事していた頃、彼女と密通していた)を引き取ろうと画策しますが……

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『劉邦の宦官』 | トップ | 『隋唐演義』その10(完) ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

中国古典小説ドラマ」カテゴリの最新記事