博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『書写歴史』その3

2009年11月12日 | 中国学書籍
ということで前回予告した通り、朱淵清『書写歴史』で印象に残ったコメントを順不同で列挙していきます。元々が雑多な本なので、ここで取り上げるネタも雑多です……

○『尚書』金縢は現存最古の小説。

○先秦諸子は自らの思想を説明するために大量に比喩や例を用いているが、引用する説話が歴史的事実か否か批判・校正をせず、事実を追究するという態度が明らかに欠けていた。

○というか、そもそもそのような説話は事件の真実を記録するためのものではなく、道徳的価値や政治的価値を宣伝するためのもので、そのためには誇張・併合・改造・虚構すら許容された。
……こういう冷静な議論が出来る人なのに、どうして「4000年前の遺跡から大洪水の跡が発見されたが、これはまさに禹が治水をした時代のものなんだよ!」という論文(本書附録論文「禹画九州論」)を書いてしまうのか(-_-;) 

○『竹書紀年』の出現が晋代の歴史撰述に大きな影響を与えた。

○漢籍で欠字を示す□は汲冢書の整理時に初めて使用された。

○三国~南北朝時代は中国地理学の勃興期。

○今文経は孔子を、古文経は周公を尊奉する。今文は孔子を素王とし、古文は孔子を先師とする。今文は六経を孔子の作とし、古文は六経はみな史とする。今文は微言大義を発するのを好んで災異・讖緯を述べ、古文は訓詁考拠を重んじる。
……「素王」というのは無冠の帝王を指す言葉ですが、ごく大雑把にに言い換えるとメシアということになります(^^;)

○『孔子家語』は王肅による偽書ではなく、孔子の子孫が代々伝承してきた言行録の集大成。上海博物館蔵戦国楚簡の『孔子詩論』の類の書籍を元ネタとして編纂された。

○武侠小説でよく出て来る守宮沙のネタ元は『淮南万畢述』。ただしこの書は既に散逸しており、『太平御覧』・『博物志』・『漢書』顔注に該当部分が引用されている。

○『史記』殷本紀に殷王室の祖神の1人として見える「昭明」は、『世本』の類の史料にあった「契が生まれながらにして昭明」という文を司馬遷が読み間違えたことによって生み出された。(蔡哲茂の説の引用。)

○『越絶書』呉内伝に見える越王句践の「維甲令」はタイ語と中国少数民族のタイ族・壮族の言語で読み解ける!……らしい。
……これは鄭張尚方の説を引用したものですが、本書の解説を読む限りは「おはようはオハイオ州に由来する」というトンデモ説と大して変わらないような……

○『尚書』でよく出て来る「王若曰」(王かくのごとく曰く)というフレーズは、王が法令を頒布したことを強調するもの。中国の歴史上で重視されるのは発言の質ではなく、誰が発言するのかという発言権であり、この発言権は権力者にしか付与されない。文革の時期に、演説の前に必ず『毛語録』やその他毛沢東の言葉を引用したのもこれと同じことである。現在も大学キャンパスの中で「(校長の名)の本を読み、××大学の人になろう」などという横断幕が掛かっていたりする。
……こんな具合に所々で文革がネタにされていますが、著者には色々と言いたいことがあるのでしょう。

○清代の君臣はどこまでも「主子」と「奴才」の関係でしかない。

○後漢末に流行した人相術は要するに性格分析学。これは個人の自我意識の発展に大きく貢献した。

○伝統文化中、極端に自分の利益しか考えない人生態度は普遍的なもので、その代表格がが金庸描くところの韋小宝。
……本書で唯一出て来た金庸ネタ。

○『詩経』七月に見える「一之日」「二之日」「三之日」は1ヶ月を36日、1年を10ヶ月計365~6日とした場合の残りの日を指すという説がある。

○アメリカでは考古学は人類学の一部とされるが、中国では夏鼐・蘇秉以来歴史学の一部とされている。
……中国神話が史実であることを証明する手段として考古学が利用されている現状を鑑みると、むしろ人類学の一部でいいですと言いたくなってくる(-_-;)
コメント (2)
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