Willow's Island

since 2005

偽善アメリカ人の吐いた本音

2013年06月11日 22時30分06秒 | テレビ

 先日録画した「たかじんのそこまで言って委員会」を見ていると、元・アメリカ国務省高官のケビン・メアが出演していた。「橋下大阪市長の慰安婦発言を嘆く」という題目で発言していた。こいつによると、慰安婦問題は強制があったかどうかという問題ではなく、慰安所の存在そのものが問題なのであり、女性の人権問題なのだそうだ。アメリカが問題にしているのはこの点であって、だから橋下の釈明は論点がずれている、と。
 いかにも現代アメリカ人が好みそうな論点である。しかし番組でも指摘されていたが、それなら終戦直後の日本でアメリカ兵のために存在したRAAという施設は何なのか、まさに慰安所じゃないのか、という話になる。それに対してメアは「あれはよくなかった」と述べるのみであった。良くなかったのなら謝罪しろよ、と言いたくなるが、アメリカは絶対に謝罪しない。じゃあ日本だけが謝罪しなければならない理由は何なのか?
 人権問題ということのつながりで、広島・長崎への民間人への原爆投下についてアメリカが謝罪していないことを宮崎哲弥が言及すると、こともあろうに、このチョビヒゲは「謝罪するわけねえだろ。ありゃ虐殺じゃなくて戦争中の行為だよ、ヴォケ。」とか抜かしやがった。私はブチ切れた。
 女性の人権が問題だというなら、当時の広島や長崎にも、家族のため家事に励んでいた主婦や、赤ちゃんの世話をしていた母親や、将来のことを考えて勉強を続けていた女学生、などがいたはずである。しかし彼女らは、原爆投下によって容赦なく虐殺された。想像を絶するひどい火傷を負い、これ以上ないほど残酷な殺され方をした。その時はなんとか命が助かっても、放射能の影響で結局は苦しみぬいて死んでいった者も多い。彼女らの「人権」はどうなるのか? 敗戦国の人間には「人権」が無いってのか? 仮に戦争の原因が一方的に日本にあると仮定しても、非戦闘員女性の「人権」に韓国人と日本人の間に差を設ける理由は何なのか?
 慰安婦絡みでは偉そうに「人権」を唱えながら、自分たちがやった残虐行為はしれっと正当化するアメ公特有の偽善ぶりに、かなり血圧が上がった。このメアとかいうチョビヒゲは、「沖縄はゆすりの名人」とか言ったせいで国務省を更迭された、という過去がある。こいつの著書を読むと、そんな発言はしていない、というようなことが書いてあったので、冤罪だったのかもしれないと思ったことがあるが、おそらくそれは私の間違いだった。こいつは本当に沖縄人の神経に触る発言を以前から繰り返していたため、国務省からも疎まれていたんじゃないのか。さすがにアメリカ国務省もあやふやなことで処分などしないだろう。メア本人が自分を処分した国務省に対して恨みがましいことを一切言っていない、という事実も、かえってあやしい。こいつは処分されるに足る発言をしていたのである。
 まあ、ほとんどの一般アメリカ人は慰安婦にも原爆にも興味がないのだろうが、ひとつ分かったことがある。おそらくアメリカ人にとって「女性の人権」とやらは、いわゆる「国民感情」なのである。ここで言う「国民感情」というのは、それぞれの国で特有の、理屈や論理を受け付けない絶対的なセンティメントのことだ。これはたいていの国にあると思う。韓国であれば竹島や慰安婦問題、日本であれば拉致問題や原発、などだ。アメリカの場合は、911に加え、「女性の人権」があるのだろう。詳しくは知らないが今までいろんな経緯があって、こういうことに対してやけに敏感な社会になったのではないか。女性に対する暴力や性犯罪は日本よりひどいくせにな・・・(いや、だからこそか)。とにかく「国民感情」である以上、どんな理屈を並べて日本の立場を説明したところで無駄、ということである。