「とと姉ちゃん」はちょうど3分の1を終える木曜日の第52回で漸く「常子、とと姉ちゃんになる」を達成して(?)スタートラインに立った感。全くスロースターターだな。
高畑充希の演技力は文句無しだ。この点、前クールを遥かに凌いでいる。しかし、朝ドラの主人公役に演技力なんて求められているのか。大事なのは「好感度」だと思うのだがその点高畑は意図的に「煩わしい」演技を増量させていて、なんちゅう芸風やねんと毎日ハラハラドキドキである。
このドラマ、当初から1人々々の心情が説明不足で視聴者に不親切なのだが、高畑は間合いと表情でその不足点を埋めにかかる。ある意味雄弁なんだけど、ながら観視聴者の多い朝ドラ枠ではあっさり檀ふみに喋らせた方が野暮だがわかりやすくていい。そういう意味では高畑の責任ではないのだが、結局は出来上がった画面が総てで、視聴者をおちょくるような間合いと百面相ぶりは決して好感度には繋がらない。
一方、一昨日指摘した通り、その性質はコメディリリーフにはうってつけだ。大地真央と片岡鶴太郎と一緒に画面に収まるともう完全に喜劇臭しかない。しっかりしたセットとも相俟ってシチュエーションコメディ待った無しだ。おばちゃんの笑いを足さないとな。いやそれじゃドリフになっちゃうか。秋野よう子とピエール瀧を左右に配した森田屋の場面はもう完全にコントで、いつか楽屋オチが来るんじゃないかと心配になる。「説教なんて面白いもんじゃないからね、この漫画の人気が落ちる」「いいや2ページほどやる!」みたいなヤツがな。(註:世に珍しい「ドラえもん」でのメタ台詞。幼き日の私は最初何の事だかさっぱりわからなかった)
そうして喜劇のノリを強めているように見える「とと姉ちゃん」だが、ここから戦時中に突入する訳で、果たしてドラマとしての一貫性は保たれるのやら。主題歌の方は前回指摘した通り準備万端だ。万能だねぇ。ある意味、劇中で『花束を君に』流しときゃいつ如何なる時でも格好がついてしまうのだから頼もしい。
高畑の演技は喜劇の中では上手く機能するが悲劇に振れると途端に煩わしさが戻ってくるだろう。悲しみは視聴者にまず感情移入してもらわなくては始まらないが、今のはぐらかすような間合いでは苛々が募るばかり。ここでガラッと切り替えた演技をこの子が出来るかどうか知らないので、期待しつつ見守るか。まだ後3分の2あるんだしな。
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