BVの方が音に隙間ある分表現力に幅があり歌の切なさ増なのは聴いた通りだが、もう1ツ指摘しておきたいのは、編曲を他者に任せその結果を受け入れる形となった為、FoLをあたかも他人の書いた曲のように客観的に捉え直して歌えている点だ。周知の様に光は他人の曲-カバーソングを歌うと途轍もない表現力を発揮する。自分で書いた曲に比べ曲に対する愛情について素直になれるからなのだ(と思う)が、今回のFoLBVではソレと似たような心境になれたのではないか。いつもより一歩引いて自分の曲を眺められた分「こっちの方が好き」と素直に言えているのでは。
| Trackback ( 0 )
|