インスタライブ最初の一時間最後の質問が「挫折について」だった。ヒカルの言うことは余りにも的を射ていてぐうの音も出ないというか、そうだよね、うんうんと言うしかないほど真実味が溢れるものだった。
だけど、これ本当に挫折についてたった今悩んでる人にとって有用なのかなぁ?と思うとそこがなんだか心許なくてな。
というのも、ヒカルは、挫折する状況、即ち人生に於ける勝ちや負け、成功や失敗に関して
『その一個の勝負に勝つことが目的でやってるわけでもなくて』
というたった一言で片付けて本論に移ってしまったからだ。画面を見ながら「そのいちばん肝心な所をほぼスルー!?」と心の中でツッコンでしまったよ。いや、皆そこで躓いて悩んでるんだと思うんですけど…。
特に若い子たちにとっては社会生活において「勝負は一度きり」という局面が余りにも多い。しかもそれがそこからあとの人生を、大きく大きく左右する。いや実際はそんなの大した事ではなくて後からいくらでもカバーできることなのかもしれないが、悩んでいる人にとってはその時点での認識が総てなのだ。その時点で、その目の前の勝負が貴方の人生の成功と失敗を分ける、と思い込んでいたり思い込まされていたりするから、そこでの一度の負けや失敗が挫折の経験となっていつまでもいつまでも尾を引くのである。
だってそうでしょう、私立中学の受験失敗した人が留年してもう一度受け直せるか?無理なんだよそれは。生殺与奪を握っている親のような存在から物凄いプレッシャーをかけられて試験に挑んでそこで失敗したら小遣いを減らされるとか門限が厳しくなるとか交友関係を制限されるとか言われて更に挑んで負けて死ぬほど罵倒されてそこで「これはただ一度の失敗だからまた次頑張ればいい」と“その時点で”開き直って前向きになれる?? これは本当に“その時点で”そう思えなければ意味が無い。というのも、統計の教える所に拠れば、10代などの若い層での自殺理由のかなり多くがそういった学業等での挫折経験&体験によるものらしいからだ。……統計が信用出来るかという問題は大きいのだけが悔しいけどここでは深入りしないでおく。
中学受験だけでもない。他の資格試験、高校や高専や大学などの更に進んだ場所に行く為の試験もある。スポーツであれば、「甲子園で絶対優勝する!」という目標を掲げて頑張る若人には最大でも5回しかチャンスがない。彼らにとってそれは趣味ではない。なぜなら、それを理由にして高校に通わせて貰ってる人が殆どだからだ。れを理由に高校に入学させて貰えてそこからの進路も部活の成績次第というギョーカイがそこにあるのよ。大人の仕事と同じかそれ以上に切実に人生が掛かっている。或いは、そう、ただそう思い込まされている、そう洗脳されているだけなのかもしれない。ヒカルはそこを「ただの概念」としてスパッと斬り捨てていて、いや確かにそれはそうなんだけれども、現実にそれを価値として人生を賭けている人達がいるのだ。
実は私は、その点についてヒカルよりもっとドラスティックに「アホだなぁ。バカバカしいなぁ。」と普段から思ってるクチなので「野球したいなら身体が動かなくなるまでずっとやってりゃいいじゃん。動かなくなったらコーチでもすれば。」とか平気で言っちゃうデリカシーの欠片もない人間として実は全くエラそうなことは言えないんだけどね。同じスポーツでも例えば卓球なんかは野球と違って協会自体が昔から「生涯スポーツ」としての地位を重視していて、ギョーカイとしても死ぬまでピンポン玉を追いかけていたい人生を送ってる人が大量に居るもんだからあそこではそんなに「挫折感」ってないのよね。40代カテゴリーでタイトルがとれなかったら次は50代カテゴリーで頑張るか!みたいな事でずっと続けられる。勿論負けた時は人生終わった勢いで悔しがるんだけどね。それで辞めるという人が他のスポーツに較べて劇的に少ないというのが肌感覚だ。何より、人に自慢するとか承認欲求とかそういうのから離れて「やってて面白いから」っていう動機が(国際的にも)強いっていうこのスポーツ自体の特性が効いてるんだけれども。
うわ、余計な話をしていたら長くなったな。このままぬるっと次回に続けよう。…ってまた他の話題を差し挟むかもしれませんが。
| Trackback ( 0 )
|